衣笠山-仁崎峠-滝頭山-滝頭公園(2020.2.7) |
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☆期日/天気/山行形式: 2020年2月7日/晴/市中ホテル2泊山巡りの2日目 |
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衣笠山頂上展望台から北方の展望(画像をクリックすると拡大してスクロール) |
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☆ルート詳細図 詳細ルートマップ (縮小画像をクリックすると元図が表示されます) ★このルートマップは Windows アプリの カシミール3D に読み込んだ国土地理院新版淡色レベル16 によって作成しました。 GPS軌跡の記録、地点マーカの設置と正確な位置の補正は Android アプリ: 山旅ロガーと地図ロイドを使用しました。 縦横比は維持し、スケールも付けてありますが縮尺は精確ではないので、国土地理院の紙地図を参照して補正してください。 |
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<行動時間> 新豊橋[8:15]=(豊橋鉄道 渥美線 520円)=[8:50]三河田原[9:00]=(ぐるりんミニバス左回り 100円)=[9:19]やすらぎ苑バス停-衣笠山登り口(9:40)-衣笠山(10:40/50)-桟敷岩・奇岩巡り(11:11/33)-歩道出合(11:57)-東屋(12:02)-仁崎峠(12:12/35)-滝不動尊分岐(12:46)-滝頭山(13:04/15)-恐竜の背(13:27)-沢(13:40)-滝頭不動尊(13:55)-(14:11)滝頭公園バス停[14:15]=(ぐるりんミニバス
200円)=[14:19]新清谷-お祭会館(14:30/48)-(14:55)三河田原駅[15:02]=(豊橋鉄道渥美線 520円)=[15:37]新豊橋 |
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☆ルートの詳細 |
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二日目に歩くルートの最初の山となる衣笠山の玄関口は豊橋鉄道三河田原駅でした。 豊橋から35分程で着いた駅は広場に面したモダンな建物でした。 駅から登山口へのアップローチに市内を巡回しているコミュニティーバスを利用しましたが、所々の田舎の町で出合うこの手のバスは、料金が安い上に、地域住民の生活圏に沿うためあちこちに寄り道をしてゆくので目的地に着くまでの時間がかかるのと引き換えにその街の様子が分かるのが魅力です。 |
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田原地域は 11~13世紀にわたって窯業が栄え、奈良東大寺再建の瓦も焼かれたた歴史があるのが戦国時代に衰え、江戸時代は田原藩の領地になり、明治には養蚕業が盛んになったあと、近年は豊川用水による商品作物や花卉の栽培と自動車の大工場で栄えている様です。 街中を通り抜けたコミュニティーバスが山際の道路に上がった所にある "やすらぎ苑バス亭" で下車しました。 |
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バスが走ってきた方へ 200m ほど戻った左手の山側に登山口があって、山に入ってゆく歩道の入口の両脇に案内看板と道標が立っていました。 |
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入口から山に上がるとすぐに幅広い歩きやすい遊歩道になり、時々左手に開ける眺めを見ながら穏やかに登って行くようになりました。 |
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暫く歩いてゆくと尾根の背を通っている道とTの字に出合いました。 突き当りの正面に立っている道標の腕木には、右は小衣笠山、左は衣笠山と記してありました。。 |
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衣笠山に向かって左折して進むとほとんど平らな幅広い道になり、間もなく右側に施錠された車止めがありました。 フェンスの向こう側には数台の車を止められるひろばがあありその先には下から上がってきた車道が延びています。 |
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林道出合の先へ進んでゆくと右手へ別れてゆく道があり、入口の脇に "松尾岩へ" と記した案内標識が立っていました。 このまま遊歩道を進んでゆけば道が良くて楽なのでしょうがあんまり道が良すぎると退屈しそうな気もしたので松尾岩へ寄り道をしてみることにしまた。 |
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濃密な暖地林の中の細道を登ってゆくと大岩に突き当たりました。 大岩の裾に立っている樹木の幹に "松尾岩" と記した看板がかけてあります。 |
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松尾岩の右側を巻き登り、その先を登ってゆくと右下から登ってきた道が出合い、"殿様新道" と記したプレートがありました。 |
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さらにひと登りすると衣笠山の肩で、露岩が目立たなくなったあと、ほとんど平らな道になりました。 |
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頂上近しの雰囲気を感じながら進んでゆくと前の方に大きな展望台が現れました。 小さな山に不釣り合いの大きな展望台でした。 |
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展望台に登ってみたらすぐ隣に石祠を頂いた岩峰が立っていました。 本来、この岩峰がこの山の頂上だったに違いないのですが、ツルツルの大岩は登りにく、滑落する危険もありますから大勢が登ることはできません。 シーズンに登ってくる大勢のハイカーに対応して "頂上の収容人数" を増やすため、展望台が設置されたのはないかと思いました。 展望台から北の方を見るとページ冒頭のパノラマ写真のような景色でした。 |
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(画像をクリックすると拡大) |
三河湾の対岸は蒲郡の市街で、その背後に連なっている五井山から宮地山への山並みの背後の遠方に大きな雪山が見えました。 望遠ズームに偏光フィルターを付けてヘイズを抑え、焦点距離を 300mm 相当まで延ばして撮った画像を拡大してみたら左のようになりました。 方向からみて御岳山に違いありません。 視線を転じて南の方を見ると下のような眺めでした。 田原市街の先は平野が広がり、その先に広がる遠州灘が陽の光を照り返して鈍く光っています。 |
衣笠山頂上展望台から南方の展望(画像をクリックすると拡大してスクロール) 。 |
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展望台から降りて先に進もうとしたら道端に三角点標席がありました。 数m 離れた所にもうひとつ古い標石があったので双方の写真を撮りました。 左は古い方の写真ですが、破損はなく、原型を留めています。 何らかの事情で標石の更新が行われたようです。 |
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三角点標石付近から南へ下るべきところを真面目にルートファインディングをせずに先に進んだら細長い頂稜をなぞった形となり山裏の白谷へ下る "白谷林道" への案内道標を見ることとなりました。 |
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さてどうしたものかと思いながら先に進んでみたら "桟敷岩" に行き当たりました。 桟敷岩にまつわる面白い伝説を記したプレートと衣笠山奇岩巡りの案内板とが掲げてありました。 |
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(画像をクリックすると拡大) |
桟敷岩は左のようは平らな大岩で、岩の上に上がると正面左手に越戸の大山が見えました。 大山は標高 320m あって渥美半島の最高峰です。 桟敷のように広い大岩の先の方に出てみると右手へ視界が広がり、三河湾を見渡すことができました。 山の下の海際の集落は仁崎のようでした。 |
(画像をクリックすると拡大スクロール) |
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奇岩巡りは、暖地林の中に色々面白い名前がついた大岩が散在していて、なかなか楽しい余録でした。 左はビバーク岩)です。 この山域はここを通って南アルプスから紀伊半島へ繋がっている秩父層の岩脈によって形成されているのだそうです。 |
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頂上から歩き出した方向がおかしかった上に密林の中に散在している奇岩をまわり歩いたせいで方向感覚を失い、さてどちらに向かって進めばよいのか?と言う状況になりました。 磁気コンパスを参照したあと、端末で表示した地形図と GPS 座標を見ながら道形を追っていったら手作りの案内地図が掛けられている立木があって方向感覚が回復しました。 |
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程なくルートに出合ったら尾根の背を幅広く刈り払った防火帯状のところを行く道になりました。 |
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ほとんど平らな道をのんびり気分で歩いてゆくと立派な作りの東屋が見えてきました。 お昼時だったので良い休み場が見つかったと近づいてみたら入口の階段にロープが張られ、立入禁止になっています。 台風の被害などで壊れたあと、修復ができていないようでした。 |
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東屋を見送って先に進んで行くと、あと僅かで仁崎峠という所で尾根の背を直進してゆくのと、尾根の左側を斜めに降ってゆくのと、二手にルートが別れていました。 何も考えずにまっすぐ進んで行ってみかなり急で長い丸太階段道の下降になりました。 間違ってつまずくと只では済まないと思ったので慎重に下って峠の舗装車道に降り着ぅと、峠の切通の向かい側、滝頭山入口の脇に祠があり、その右側に車止め広場が広がっていました。 広場の隅の日だまりザックを下ろしてゆっくり昼休みをしました。 |
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峠の向かい側をひと登りすると平らな尾根の背を行く穏かな道になりました。 頂上付近に巨岩が散在していた衣笠山とは対照的な雰囲気です。 |
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やや登り気味になってきた所から左へ分岐して行く道があり、入口に "お篭り堂、滝頭不動尊" と記した道標が立っていました。 |
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分岐を見送ってその先へ登ってゆくと横倒しになった樹木の脇に "ブランコの木" と記したプレートが掛けてありました。 。 |
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ブランコの木の少し先に左に分岐している道があって "女坂 恐竜の背、滝頭山頂上へ" と記した道標が立っていました。 これを見送って直進すると登りが極端に急になり、固定ロープの助けを得ないと登るのが難しいほどの急坂になりました。 |
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急登を抜けた所にあった石段の上に祠の跡地と思われる四角い平坦地があり、立木の幹に "滝頭山" の山名を記したプレートが掛けてありました。 山の下にある不動堂の奥の院があったのではないかと思いました。 東西に細長い平町の東端で東側の樹木は刈り払われているのですがその割には眺めはよくなくて谷向いの衣笠山のほかには捗々しいものは見えませんでした。 |
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滝頭山のあと、藤尾山-不動岳-赤松山-稲荷山の尾根筋を歩く計画でした衣笠山で寄り道をしたため時間が遅くなっていたのでこれらは次回の楽しみに回すことにして下山にかかりました。 下降の始まりは至って穏やかでした。 少し下った所に恐竜の背への分岐があったので立ち寄ってみました。 |
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分岐から僅か入ると恐竜の背で、尾根筋に突き出した露岩がギザギザになっています。 |
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(画像をクリックすると拡大) |
恐竜の背の上部の岩頭に出てみると広い視界が得られ、赤松山から稲荷山の方へ繋がっている尾根とその後ろに広がっている田原市街や渥美の平野を見渡すことができました。 |
分岐まで戻って右側の下山路に入り、下降してゆくと途中から極端な急降下になりました。 常緑灌木が密生している暖地林の中のため高度感はなく、固定ロープもあって安全ながら足より腕が疲れた急降下でした。 |
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100m 程もあると思ったほど長い固定ロープを下り切って谷底に降り立ちました。 水害の跡を修復したようで川底が石畳で覆われ、人工の水路のように見える沢でした。 |
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谷底の険しい地形を縫っている歩道を下ってゆくと滝行場があり、その少し下に不動堂がありました。 不動堂には番人が居て下から登ってくる長い石段の参道の両側に幟が並び立てられていました。 今でも参拝者が絶えていない "現役の不動さま" であることが分かりました。 |
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不動堂参道石段の下に上下二段の灌漑貯水池がありましたがその下が綺麗な園地として整備され、滝頭公園になっていました。 公園の縁の歩道からは谷の向い側に今日登ってきた衣笠山の整った三角形が見えました。 |
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公園の下手を横切っている車道に出合った所で左右を見たら右手の橋の先にバス停ポストが立っていました。 14時15分に通過するバスにちょうどよい時間に降りつけ、ひと息入れながら山支度を解いた所へ田原駅行きのバスが走ってきました。 |
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コミュニティーバスは朝方のアプローチのときと同じ様にゆるゆると田原市街に向かって走りました。 初めて訪ねた田原の町を少し見てみようと思っていたので市役所や駅が集まっている中心街に差し掛かろうとする所にある新清谷バス停でバスを降りました。 落ち着いた雰囲気の町でしたが衰退した感じはなく、住み良さそうな感じのする町でした。 市役所と駅の中間位の所に建っている蔵造りの建物の前に "田原まつり会館" と記した看板が立ててあったので入ってみたら左のように華麗な山車が置かれていました。 。 |
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隣の部屋には巨大な筒花火が置いてありました。 テレビで時々見かける三河の筒花火は手持ちですがこんなに大きなものもあるとは知りませんでした。 |
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凧の展示室があって、田原に伝承されている喧嘩凧が展示されていました。 各地の有名な凧のコレクションもあって、様々な変わり凧が展示されていました。 それらの中には、多摩川六郷で魚の干物を守るために上げられていた鳶凧や相模原市の巨大な凧もありました。 まつり会館から三河田原駅まではブラブラ歩いて10分たらずでした。 豊橋行電車は30分ごとに出ているので早い時間に豊橋に帰り着き、駅のまわりを見て歩きました。 |
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<補足情報> GPS軌跡・地点マークのダウンロード ★上の地図の GPS 軌跡と地点マーク情報をまとめて ZIP 圧縮したものです。 解凍するとそれぞれの GPX ファイルが得られます。 Googleフォトアルバム ★撮影地点の経緯度情報が付いた元画像のアルバムが見れます。 |
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☆おわりに |
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