伊勢路Ⅲ-3、三木峠-羽後峠-甫母峠-二木島(2009.5.22)


☆期日/天気/山行形式:
2009年5月22日 (雨のち曇り)
☆地形図(2万5千分1): 賀田(木本13号-1)
☆タイム記録
    ホテル(7:20)-尾鷲駅[7:37]=[7:54]三木里駅(7:58)-ヨコネ道入口(8:15)-三木峠入口(8:45)-三木峠(8:55/9:00)-羽後峠(9:57/10:00)-曽根飛鳥神社(10:55/11:00)-甫母峠305m(12:04/12:20)-猪垣記念碑(13:21)-(13:45)二木島駅[13:54]=[14:15]大曽根浦駅-夢古道おわせ/熊野古道センター(14:33/16:30)-[尾鷲やのはま道]-(17:40)ホテル{泊}

◆2日目は八鬼山越えをするのが順路だったが、雨が不可避との見込になったので日程を入れ換え、三日目に予定していた三木里から賀田を経て二木島までをトレースした。

  三つの峠を越え、距離も長いのだがどの峠も低いので、長い急登がなく、雨の中でも歩きやすい。

  通常、ホテルの朝食は7時からだったが、6時40分からに繰り上げてもらい、7時半過ぎの列車で出発した。

  8時前に三木里駅に着いた。
紀伊名物の大雨ではなく、シトシト程度だったのはありがたかった。

  駅前広場の端の手摺から見える景色と地形図、ガイドマップを照合し、進路の見当をつけた上で歩き出した。
駅前の道を進み、入り江の詰めに架かっている橋を渡って南岸沿いの道路に入った。

  道路を僅か進むとヨコネ道の入口を示す道標が立っていた。

  山道に入るとすぐ炭焼き釜の跡があった。
このあたり、今は杉林になっているが、かつてはウバメガシなどの多い暖帯林で、白炭を焼いていたのではないだろうか?
(クリックすると拡大)


  紀伊の山の習いで樹木が勢いよく生育して視界が得られないが、途中に珍しく隙間があって入り江の海面が見えた。
輸送船が入って来るのが見えた。
入り江の奥で何か工事をやっている音がしていたが、その資材でも運んで来たのかも知れない。

  しばらくアップダウンした所でヨコネ道は終わり、海沿いの道路に戻った。

  道路を僅か歩くとまた道標が立っていて三木峠への入り口があった。

  峠に向かって小さな谷を詰めた。

  ひと登りで峠に登りついたが道標が立っているだけであまりパッとしない所だった。

  尾根上を左手に進むと展望所があるのだが雨の中を行ってもはかばかしい眺めは期待できなかったので小休止したのみで先に進んだ。

  三木峠から僅か下ると農道に出た。
もとはこれが国道だったのかも知れない。

  農道を横切ってその下の歩道に入ると細い石畳道が続いていた。
道に沿って猪垣が築かれていた。
茂みの中の石垣に沿って、時々左上に農道のガードレールを見ながら進んだ。
猪垣は畑の作物を守るためだったのだから、今は樹木に覆われているこのあたりもかつては段々畑だったに違いない。

  しばらく歩いたあと、また農道に上がり、斜めに横切ったところに羽後峠への入り口があった。
ひと登りで峠を乗り越し、しばらく猪垣沿いを歩いたあと下ってゆくと山の下をトンネルで抜けてきた農道に出合った。

  農道の縁に立つ道標にしたがって向かい側の道に入ると賀田羽根の五輪の塔があり、その脇からひと下りで賀田の集落に入った。

  海沿いを回ってきた国道に出て橋を渡った所から紀勢線の線路に沿って歩いてゆくと曽根の集落に入る。

  集落の家並みの間の道は曲がりくねっていたが要所に道標が立っていてどうにか進路を外さずに済んだ。

(クリックすると拡大)

  集落を出外れようとするところでは、左の山側に谷間が開けた。
山の低い所まで雨雲が降りてきていて、なかなか風情のある景色だったが、これから峠を越して行こうとしている者にとっては、あまり嬉しい眺めではなかった。

  海沿いの道が左手に回ってゆく所で飛鳥神社の脇に着いた。
鬱蒼とした鎮守の森の脇で道が分かれている所にあったスペースに立ち止まって小休止した。
雨の中では腰を下ろしてゆっくり休むのが難しく、疲れが溜まりやすい。

  神社の鳥居の前から集落に入った所は道がごちゃごちゃして分かりにくかったが、たまたま角に保育園があったのでそこにいた保母さんに道を聞くことができた。

  曽根五輪塔の脇から甫母峠への道に入った。
丁寧な石段が積まれた程よい傾斜の坂で、意外に歩きやすかった。
ただ、パラパラ雨が降ってくる中、片手で傘をさし、もう一方の手ではストックを突いて登り続けるのはあまり楽しいことではない。

  行き倒れ巡礼供養碑があった。
小さくて粗末な石塔だった。

  今、我々は衣食足りた上で近代装備に身を固めて歩いているが、かつては死出の旅の途中で命も絶え絶えに歩いていた者も少なくなかったに違いない。


  峠の登りの大半を過ぎると鯨岩がある。
一見ただの大岩だが、良く見ると鯨の顔の様に見えないこともない。

  鯨岩からさらにひと登りで甫母峠に着いた。
杉林の中に東屋があった。
久しぶりに屋根の下に入り、ゆっくり腰掛けて飲み食いできたのはありがたかった。

  甫母峠は曽根から甫母にゆくときは山越えの最高点になるのだが、二木島の方へ古道を辿るときは2Km ほどの尾根伝いの起点である。

  峠の西にある362m 峰に向け、約50m ほどの高度差を消化しなければならない。

  途中に楯見が丘と記した標識があったが指示している方向は霧が立ちこめ、何も見えなかった。
あとで地形図を参照してみたらその方向には楯ヶ崎と言う突崎のある半島が海に突き出ていることが分かった。

  尾根上を上下してゆく道は徐々に穏やかになりながら高度を下げて行った。

  このあたりは曽根次郎坂太郎坂と呼ばれているそうだが、これは "自領" 、 "他領" がなまったもので、伊勢と紀州の境であったことの名残りだと言う。

雨も峠を越したようで、まわりが何となく明るくなってきた。

  尾根の末端に近づくと一転して急降下が始まった。
雨は上がっていたし、石畳の道もしっかりしていたが、まだ濡れているので要注意だった。

  人里が近づいたところにある曲がり角に猪垣記念碑があった。
かつてこのあたりは半農半漁で、畑の作物を守るために多大な労力を費やしたのだろう。

  すぐ下に集落が見えてきた所から二木島駅までが大変だった。
まず尾根が国道で断ち切られてしまったたため、擁壁の縁を急勾配の階段で下らなければならなかったが、雨の中、長途を歩いてきた老体に疲れが溜まって思うような速さで下れない。

  少々の勘違いもあってこのままのペースでは列車に間に合わないかもと言う話が出て全員浮き足立った。
国道に下り立つと今度は向かい側の尾根の続きに登り上げ、またその先から急降下を続けなければならなかった。

  海沿いまで降り切ったら駅舎は川の対岸で、まっすぐは行けず、いったん国道に出て橋を渡り、ガードの下を潜ってひと登りしてようやくゴールインとなった。

  悲鳴を上げながらやっと辿り着いた者もいたほどの厳しい下降だっただが、予想した時間になっても列車が来ない?
変だなぁ、と駅舎の時刻表をよく見たら、13時44分だった筈が54分だった!
思いがけない形で授かった時間の余裕を活用したのが左の記念写真だ。
  雨中の長丁場のあとの大急ぎの急降下でかなりしごかれたが、その割には元気に歩ききった。
午後の時間が開いたので熊野古道センター会館に行って見ようと言うことになった。
センターの最寄り駅は尾鷲のひとつ手前の大曽根浦である。

  腹を空かせて駅に着いたので何はともあれ食事を、と探したが駅のまわりに食べ物屋はまったく見当たらず、これは困ったぞ、と言うことになった。
たまたま通りかかった地元のおじさんに尋ねてみたら熊野古道センターまで行けば、隣の入浴施設 夢古道おわせの食堂で手料理バイキングをやっているが今からでは時間が遅過ぎて間に合わないかも、と言う返事。

  何か食べる物があるだろうから、とにかく行ってみよう、と疲れた足を引きずって古道センターへ急いだ。
センターの後ろの一段高いところにある "おわせ" に行ってみたが、やはり言われた通りで、食堂の営業は終わっていた。
  せめて売店に売っている物で何か腹の足しになるものを、と騒いでいたら、あと片付けをしていた "お母さん達" から "残り物で良かったら食べてって" と声が掛っかた。
"地獄に仏" と言うか、 "観音様達" と言うか、テラスのテーブルの上に残り物を全部並べてもらい、片端から平らげた。

  存分に飲み食いをし、ゆっくり食休みもしたあと、古道センターを見学した。
はじめに見せてもらったビデオは動画が綺麗で纏まりがよく、伊勢路の概要を理解するのに役立った。
ただ、そのあとで見た展示室の方は、大部分がパネルでささか平板で迫力がなく、期待外れだった。

  ヒノキの角材を組み合わせたユニークな構造の大きな建物の立派さとはアンバランスで、箱物行政の産物か、とさえ感じた。

  古道センターを見終えたあと、ホテルまで古道筋を歩こうと言うことになった。
すぐ近くにある八鬼山入り口からホテル近くの北川橋まで、1時間あまりの道のりを今日のうちに歩いておけば翌日の山越えが楽になる。
入り口を確認したあと、東邦石油のタンクの間を歩いて矢ノ川橋を渡って行くと矢浜宝篋印塔があり、その脇からやのはま道がはじまる。
民家の間の裏道を折れ曲がり折れ曲がり進んで紀勢本線の踏切を渡り、その先にある中川橋を渡ると漸く尾鷲の "ダウンタウン" に入った。
街路沿いの所々に残っている老舗を見ながら北川橋まで歩き、ホテルに帰った。

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☆おわりに
    雨の中の長途を歩いたあと大曽根浦駅からホテルまでの古道筋歩きが付録についたので少々疲れたが、この夜も美味しい魚料理をたらふく食べて疲れを癒した。
伊勢路最大の難関とされる八鬼山越えを控えて天気が気になったが、さまざまな情報ソースから天気が良くなりそうなことが確実となったので、これは行けるぞ、と言う気分になった

  ハンディーGPS のトラックデータを機上セーブする前の精細度の高い状態(ACTIVELOG)で保存できるよう、サブノートPCを持参していたが、その操作も思惑通りにうまくやれることが確認でき、安心した。