伊勢路Ⅲ-2、尾鷲-八鬼山-名柄-三木里 (2009.5.23)


☆期日/天気: 2009年5月23日 曇時々晴
☆地形図(2万5千分1): 尾鷲(伊勢16号-2)
☆タイム記録
    ホテル(7:20)-尾鷲駅入口[7:30]=(三重交通バス)=[7:41]向井-八鬼山入口(7:59)-行き倒れ巡礼碑(1818)-駕籠立場(8:36)-林道出合(8:45/9:05)-九鬼峠(10:00)-八鬼山荒神社(10:15/20)-八鬼山(10:30/40)-さくらの森園地(10:50/12:05)-十五郎茶屋跡(12:25/30)-明治道・江戸道合流点(13:00/)-名柄一里塚跡(13:28/35)-三木里海岸(13:47)-(14:01)三木里駅[14:03]=[14:19]尾鷲駅-ホテル{泊}

八鬼山さくらの森から九鬼湾を望む    (クリックすると拡大 スクロール)
☆行動記録とルートの状況
◆八鬼山越えは、伊勢路いちばんの難所として知られている。
  海際から640m ほどの峰を越えるので、山屋から見れば中低山クラスだが、普段山を歩いていない、70歳前後の年寄りの集団にとっては、かなりの難関と言えよう。
  日程変更の結果、前日に三木里から二木島までのトレースが済んでいるから、ここさえうまく歩き抜けることができれば熊野への道が開け、延々伊勢神宮から歩き継いで来たグループの伊勢路踏破計画の達成は確実なものとなる。
  気象情報による日程の入れ替えは功を奏し、雲行きの落ち着いた穏やかな朝になった。

  八鬼山声の朝は、左のような落ち着いた雲行きとなった。
尾鷲の北川橋から向井の登り口までの間も前日のうちにカバーしてあるので、この朝は尾鷲駅入り口から向井までバスでアプローチして歩きだした。

  食品・日用品店の前にある向井バス停から尾鷲の方に向かって少し戻ると左のような道の別れがあって、角に尾鷲節の歌碑が立っている。

  左手の道に入り、右下に石油タンクを見ながら進んでゆくと、古道の石柱と道標が立っていた。

  古道に入るとまもなく行き倒れ巡礼供養碑があった。
横の立て看板に茨城県筑波郡伊奈町から来た武兵衛を供養するための物と記してあった。

  八鬼山道には、長崎県、群馬県など、あわせて4基の供養碑があるという。
そのほかにも数知れない人が行き倒れたに違いない。
 

  供養碑の僅か先で沢を渡った。

  橋の先から徐々に登りになり、高度稼ぎが始まった。

横手の杉林の中からチェインソーのエンジン音が聞こえてきた。
首都圏でも週末に山に入ると良く山仕事の音を聞く。
林業が生業としては成り立たなくなっていることの証ではないか、と思う。

  登りが本格的になろうとする所に駕篭立場と八鬼山町石の案内板が立っていた。

  案内板から先は大分山っぽくなり、地形が込み入って来た。
沢の水流を2本渡って行った所で林道に上がった。

  向井から歩き出して約1時間経っていた。
この先には八鬼山越えの中でも最大の難所とされる七曲の急登があるので長めの休憩をして鋭気を養った。

  林道からひと登りしたあたりから七曲りの急登が始まった。
手を使うほどの傾斜はなく、石積みがしっかりしているので一歩一歩着実に登って行くだけだった。

  メンバーはみな、あらかじめ相応の覚悟をしてきていたようで何も問題なく登高して行く。
これなら大丈夫だ、と安心した。

 

  しばらく急登に耐えているとやや傾斜が緩んだ。
最大の難所は終わり、あとわずかのぼればさくら茶屋1里塚に着くと記した道標が立っていた。

  山の右斜面に入ってやや登り坂が緩んだところに丸石と地蔵があった。

  その僅か先に桜茶屋一里塚があった。
1里塚の起源を記した立看板があった。
江戸時代、公儀巡察使の巡察に対応して1里36町間隔で築かれたランドマークで、一対の土盛りの片方に松、もう一方に桜が植えられていたという。

  桜茶屋1里塚は2002年12月に伊勢路の一部として国の指定文化財の指定を受けたという。

  急登を抜けて九鬼峠に着いた。
荒神堂まで約10分、八鬼山頂上まで約20分、左に分かれて降って行けば九鬼と記した道標が立っていた。

  穏やかになった登りを進んでゆくと沢窪に立つ三宝荒神堂が見えてきた。
かつて、旅人を守る行者が篭っていた所だと言う。

  八鬼山に山賊が多かったのは尾鷲側の高い所で水が得られるので、山中潜伏するのが楽だったからではないかと、思った。
同じ理由で、旅人を守る行者の方も、食料の補給さえ得られれば長期間山中に滞在できた。


  お堂の脇の引き水の味見をしたあと頂上に向かった。
大きな石を積み重ねた石段が続き、歩きやすかった。

  八鬼山頂上は三木峠とも呼ばれ、あまり山の頂上らしくない所だった。
片側が石垣の細長い平地があって、その奥手に東屋が立っていた。

  東屋から海が見えるということだったが、雲か霧かに妨げられて何も見えなかった。
全員、難関を無事突破できたのが嬉しく、にぎやかな休憩となった。
 

  広場の出口で登頂記念写真を撮ったあと、江戸道に入って先に進んだ。
高木に囲まれて眺めは得られないが穏やかな尾根道で気分が良い。
(クリックすると拡大)

  頂上から僅か10分ほどで広い草原に出た。
さくらの森広場と呼ばれている所で、台地の縁にある東屋から、直下の九鬼湾を中心とするリアス式海岸の素晴らしい展望が得られた。
(→冒頭パノラマ)

  東屋の中で抹茶パーティをした。
このグループ恒例の行事だ。
風流人山屋のKさんが立てた抹茶と、"教授" が運んできた奥さん手作りの羊羹とを味わった。

  汗を流して歩いてきたあと、気付けの茶と甘いものとの組み合わせは格別だった。


  八鬼山頂上と、さくら広場と、二度の大休みで十分身体を休めたあと下山に掛かった。

  さくらの広場の右下隅から江戸道に入った所からは暫く、フィックスドロープのある急降下が続いた。
しっかりした石畳になっているが、ゴムソールとは相性が悪く、注意していないとスリップする。

  暖地林の中でまわりの景色も見えず、ひたすら足元に注意を集中して下り続けるしかなかった。

  長い急降下から平らな尾根に下り着いたところに十五郎茶屋跡の東屋があった。

  茶屋跡の広場の左側では樹木の間から海が見えた。
湾入と集落の様子から名柄・三木里のあたりと思った。
まだかなりの高度差があるから、下りつくまでまだ大変だなぁ、と思った。

  茶屋跡から先はいくらか傾斜が緩み、楽に歩けるようになった。
谷底に降りつくと谷の中を下ってきた明治道に合流した。

  明治道の上部はあまり歩かれないまま放置され、藪に埋もれているということだったが下部は後から作られた道に相応しく、幅が広くて丁寧な石畳になっていた。

  籠立場は、 江戸時代に参勤交代の紀州藩主や幕府から派遣された巡察使の駕篭が休憩した場所だという。

  険しい山道で駕篭を担ぐのは大変だったろうが、乗っている方もなかなか容易ではなかったのでは、と思った。

  籠立場からまもなく峠道の出口に着いた。
出水で荒れていたが豊富な水が流れていた。
お蔭で汗まみれの顔や腕を洗うことができた。

  川べりを僅か歩くと名柄の一里塚に着いた。
木立に囲まれて小振りの東屋があり、落ち着いた良い休み場だった。
  谷の出口のあたりでは道端に咲いているネムや、耕作放置された段々畑に咲いている花を見ながら歩いた。
落ち着いた空模様で、まわりの景色に薄日が当たって美しかった。

  難関を無事に突破できた満足感で全員気分がよくなり、楽勝ムードになった。

  まもなく紀勢本線の踏切を渡った。
地形図を参照し、駅まで約2Km だから20分強で到達できると読んだのだが、この見積もりは、疲れた年寄りグループにはやや甘過ぎた。
(クリックすると拡大)

  国道に出て沓川に架かる橋を渡ったところから谷の奥を眺めると今日越えてきた山が穏やかな姿で並んでいた。
 
  国道の左側は賀田湾で、向かい側は前日歩いた山だった。

  集落に入った所でおばさんに出遭ったので駅までの時間を聞いたら15分くらいと言う。
  どうにか間に合うのかなぁ、と思いながら海沿いの道を進んでいったが、かなり進んだところでまた聞いてみたら、また15分と言われた。

  あらためて地図でチェックすると、三木里駅は集落の中ではなく、その向こう側の奥手に位置しているため、まだ1Km 超もの距離がある。

  ぼやぼやしていると14時3分の列車に間に合わなくなりそうだ。
もしそれを逃がすと次の列車まで2時間も待たなければならない。

  最後の10分ほどは、まるで速歩レースのような歩き方になり、汗だらけで駅に着いた。
驚いたのはバラバラになるかもと思ったグループがほとんど同着したことだった。

  僅か数分の待ち時間で上り列車に間に合い、早い時間に尾鷲に帰ることができた。

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☆おわりに

    尾鷲駅に着いたところで、港の方に行き、良さそうな店でビールなどを飲みたいと言う話が出たので駅で聞いてみたら果果しい返事が得られなかったのでホテルに帰って2階のレストランで飲むことになった。

  ホテルで賑やかなビールパーティをした。
どうなることか、各人それぞれ不安や心配があった伊勢路最大の難関を、思いのほかうまく歩き抜けることができたことが嬉しかった。

  この夜もまた、駅近くの鮮魚割烹に行き、美味しい魚料理を楽しんだ。
三夜のうちではもっとも安上がりだったが、マンボウの酢の物など、珍しくて美味しいものが多く、全員大満足だった。