伊勢路Ⅲ-4、二木島峠-逢神坂峠-新鹿(2009.5.24)


☆期日/天気: 2009年5月24日 曇のち一時雨
☆地形図(2万5千分1): 賀田(木本13号-1)
☆タイム記録
    ホテル(7:20)-尾鷲駅[7:37]=[8:04]二木島駅(8:05)-国道登り口(8:20)-石畳(8:32)-二木島峠(8:45/50)-逢神坂峠(9:10/25)-新鹿庚申(10:07)-新鹿砂浜(10:15/40)-徳司神社(10:45/50)-(10:55)新鹿駅[11:46]=[12:31]尾鷲駅-(駅前で昼食)-尾鷲駅[13:32]=(南紀6号)=[16:05]名古屋[16:22]=(ヒカリ522号)=[17:51]新横浜=あざみ野=宮崎台

伊勢路4日の行程を歩き終えると新鹿の浜に出た  
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☆行動記録とルートの状況
◆ いくらかは降られたりしたが今度の伊勢路行も順調に行程を消化して最終日を迎えた。

昼前に二木島から新鹿までを歩けば今回はすべて終了。
尾鷲に戻ってお昼を食べればそのあとは家に帰るだけとなる。

  この三日、毎日同じ7時37分の列車に乗るため尾鷲駅に通ったが、今日が最後だ。
ホテルを引き払っているのでホームに出る前にそれぞれが不要な荷物を駅のコインロッカーに納めた。
  二木島は二日前に甫母峠から降りてきたときに通っているのだが大慌てで駅に駆けつけ、すぐに上り列車に乗って尾鷲に帰ったため、駅のまわりの様子はまったく見えなかった。
  駅舎の外に出てみると割と大きな集落で、山と線路の間の細長い土地に多くの家が立て混んでいた。
奥手の方には学校らしい建物が見えた。
  人家の間の狭い路地のような道に入り、集落の背後の山に向かったがあまり道らしい道ではなく、階段を上がった所で人家の玄関先に突き当たった。
  さてどっちに行けばよいのか?
立ち止まったらおばさんが出てきて左に行くよう教えてくれた。
  細く藪っぽい道を上がってゆくとキリシタン灯篭があった。
こんなところに何故、と思ったのであとから調べてみた。
  昔、二木島は風待ち港だったため長崎船など諸国の廻船が数多く入港しており、ここにキリシタンが住み着いたことは別に不思議ではないことが分かった。
  今は燈籠の竿だけが残っているが、その上部は十字架をなして丸味を帯び、ラテン語のPTI、つまりパートリー(父)と記してあり、竿の下際のアーチ型の中には南蛮風の長いガウンを付けた八頭身のキリストが彫られている、と言う。
熊野市有形民俗文化財に指定されているそうだ。

  キリシタン灯篭から僅かで山の中腹を横切っている国道に上がった。
高い所を通っている道路のため、海側の景色が良かった。

  左に折れて国道を僅か進むと山側の擁壁に階段が刻まれていた。
入り口に道標が立ち、二木島・逢神坂峠への入り口であることを示していた。

  階段を上がって僅か進むと石畳の古道に入った。

  歩き始めてしばらく経ったとき、駅からの歩き出したとき、気持が急いて GPS を起動するのを忘れたことに気がついた。
立ち止まってザックを下ろし、GPS を引っ張り出して電源を入れた。

  まわりは丁寧に敷き詰められた幅の広い石畳で、苔生した緑が美しかった。


  ひと登りというほどのこともなく二木島峠に着いた。
二日続きで駅への "駆け込み事件" 起こしてしまったのに懲りていたので先を急ごうと、立ったままの小休止で済まそうとしたが、年寄りはとかく耳が悪くなっているもの。
特に偉かった人ほど症状が強く出るようで、まるでバラバラだった。

  それでも曲りなりにも短時間の休憩で済み、次の逢神坂峠に向かった。

  逢神坂峠へは谷奥の山腹を緩やかに上下しながら進んだ。
土道の部分が多かったが苔生してふかふかしている所もあり、奥秩父か北八ヶ岳あたりを歩いているかのようなムードが漂った。

  丹沢など、山が低くて湿っている所は山蛭やマムシがが多い。
伊勢路ではどうなんだろうか?

  ネットで検索してみたら、"ぼんやりしていると、マムシにかまれるかもしれません。" と言う文句が地元の案内ウエブに出ていた。
蛭の方は検索に引っ掛らなかった。
 

  僅か下りながら右手に回り込んで行って沢を渡り、左手に登り返して行くと前方の樹間が明るくなってきた。

  緩やかな坂を登りあげて着いた逢神坂峠は、穏やかな雰囲気の漂う開けた鞍部だった。

  逢神坂の "逢神" は、狼のことという話もあるが、伊勢と熊野と双方の神がここで出逢う、という説もある。

  余裕たっぷりで今回の行程の最後の峠に到達し、全員大満足だった。
長い休憩をし、嬉しそうな顔が並ぶ記念写真を撮ったあと出発した。

  峠の下りは意外に急だった。
一応石畳になってはいるのだが並べられている石の形が不揃いで足場があまりよくない。

  足元に注意を集中して行かなければならず、ガクンとペースが下がった。
まわりは杉の密林で遠くは見えず、いささか単調だった。

  左手の方に回りこんで行った所で水流を横切るとすぐ、導水ホースか道に沿うようになり、人家が近付いていることを教えてくれたが、なかなか集落が見えてこなかった。

  杉林から出かけると漸く、橋間集落の人家と、その背後に綺麗なカーブを描いている砂浜がが見えてきた。


  2本の巨木に挟まれた橋間の庚申堂の前jから里道になった。
(クリックすると拡大)

  湊川に架かる橋を渡った所には "あたしか温泉" と記した道標が立っていたが駅とは反対方向なので様子見はあきらめた。
谷の奥手を眺めると、今日越えてきた峠の山が穏やかな姿で並んでいた。

  国道に出て僅か進んだ所に浜への出口があった。
海を眺めながらアイスクリームを食べたい、と思ったが道端のお店のアイスボックスは空だった。

  予定の列車まで1時間半くらいもあったので砂浜で長い休憩をした。
古くから有名な美しい砂浜だが、週末なのに僅かな人影しか見えず、景色がもったいない、と思ったほどだった。

  海を見飽きたので浜の先の方に見えた鳥居の方に行ってみた。
途中の砂浜はハマヒルガオが沢山咲いていて綺麗だった。

  鳥居は徳司神社の物だった。
徳司とは、徳神の意で、新宮飛鳥神社の本地仏大威徳明王のことだという。
神前に上がり、今度の旅を無事に歩き通せたことを感謝した。
ここの社叢は大木が多い。
三重県の天然記念物に指定されているという。

  神社から出た所から僅か北に戻った所で見当をつけて横丁に入り、駅に向かった。
住宅の間を折れ曲がって行く細い道は集落の古さを示していた。
  人家の裏手から階段を登って駅前広場に出た。
高台の上にある小奇麗な駅舎だったが、近くの駅と同様、無人駅だった。

 列車が来るまでまだ30分以上も時間があった。
山支度を仕舞ったあと広場の向かい側の小さなお店に行ってみたら、念願のアイスクリームを売っていた。
  手術で小さくなった胃袋が冷えすぎて腹が壊れるかも、と思ったが食い気に負けて大き目のカップを買った。
ジャージィー種か何かの牛乳を使った濃厚なアイスクリームでとても美味しかった。

腹は、家に帰ったあと壊れた。
  店のおばさんは、突然よそからやってきた同世代の男ども8人が、それぞれに何か買ってくれたのが嬉しかったようで、駅の待合室へ、地物の甘夏みかんを持ってきてくれた。
地物ではなかったが一緒に買った鰹だしの芋飴も素朴な甘みが好ましく、家に帰ったあと、数日の楽しみになった。

  待合室の壁に運賃表が掛けられていた。
新鹿から栃原まで1620円と書いてある。
茶畑の中でルート不明になって迷い歩いた思い出の土地だが、これほど運賃がかかるところまで歩いてきているのか、と自分ながら感心した。

  駅では長い待ち時間があったが、伊勢路最大の難関を、意外に順調に踏破できたことが嬉しく、楽しい待ち合わせだった。

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☆おわりに

    前の二日続けた駅駆け込み事件と裏腹に余裕たっぷりの結末となった。
そのお蔭で歩き終えの達成感を十分楽しんだあと、気持ちよく尾鷲に戻った。

  尾鷲駅前でめぼしをつけていた食堂は常連が占領していたので、少し先にある小さなラーメンショップでお昼を食べた。
ここも同世代のおばぁさんがやっている店だった。
突然現れた客で満席になったので、ニコニコしながら餃子を焼いたりラーメンを茹でたりしてくれた。

  列車の時間が近付き駅に戻ろうとしたら俄か雨が降ってきた。
紀伊特有の激しい雨は傘で防ぎ切れず、駅までの僅かな距離なのに、かなりズボンが濡れた。
不思議な天気の回り合わせは前月の吉野と同じだった。