西上州甘楽南山 小柏峠-亀穴峠 (2016.4.25)


☆期日/天気/山行形式: 2016年4月25日(晴のち曇) 日帰り単独山行
☆地形図(2万5千分1): 上野吉井(長野3号-2)
☆まえがき
    春分の日前後の連休から4月末にかけて3回、延べ6日の山行を行って、大沢峠(藤岡市下日野)から焙烙峠(甘楽町秋畑)までの吉井・甘楽南山稜線の全長トレースが完結しました。

  これはこの尾根筋の真ん中よりやや西寄り、小柏峠から亀穴峠の間の約 1.5Km ほどに残っていた未踏区間をカバーしてこのシリーズを締めくくった山行の記録です。

  踏破する主稜の長さが短いので新幹線とタクシーの機動力を組み合わせた日帰りプランとし、 ゴールデンウイーク前の好天日を選んで実行しました。

  春たけなわで濃密な霞が立ち込めたため遠くの山は見えませんでしたが近くの山肌は新緑の黄緑と、ごく淡いピンクの山桜と、植林の濃緑が織りなすパッチ模様が綺麗でした。

  下山後に立ち寄った田本のお店で地元のおば(ぁ)さん達と話す機会が得られ、かつて亀穴峠下の緩傾斜地にあった開拓村のことや、日野の谷の住民とこれらの峠の関係などを聞くことができました。

  新芽が薫る藪尾根は、ところどころで咲いているアカヤシオ、林の縁で咲いているスミレなどの色をも添えて、春山の魅力満載。
美しい故郷の山々の魅力に感激した山歩きでした。


天狗山から境界尾根・熊倉山    (画像をクリックすると拡大)
☆行動時間
    宮崎台[6:56]=溝の口=大手町=[7:48]東京[8:04]=(Maxタニガワ403号)=[9:01]髙崎[9:25]=(上信電鉄)=[9:57]上州福島[9:58]=(Taxi 2800円)=[10:16]菊ヶ池入口(10:25)-天狗山(10:54)-旧峠道交差点(11:10/15)-小柏峠(11:44)-830m圏アンテナ峰(11:52/12:00)-788m峰(12:15)-亀穴峠(12:36)-小幡道・新屋道分岐点標石(12:46/13:00)-栗栽培農家廃屋(13:30)-小尾根末端(14:05)-矢掛県道(14:24)-田本小暮酒店(14:36/15:00)-辛科神社(15:14/20)-(15:36)上鹿島バス停[15:47+7]=(上信バス上平線 500円)=[16:24+12]群馬藤岡[16:56]=(八高線)=[17:05]倉賀野[17:19]=(湘南新宿ライン快速)=[19:13]渋谷=宮崎台

☆ルートの概況
    今回は日帰りの速攻山行ででした。
東京から髙崎までの新幹線、上州福島から菊ヶ池までのタクシー利用により、程々の時間に出発したのに十分な時間的余裕を持って行動できました。

  この日の行程を余裕を持って消化できた最大の要因は、上州福島から小幡宝積寺を経て菊ヶ池入口までタクシーを利用し、20分足らずでアプローチできたことでした。

  菊ヶ池入口は三叉路の小広場で、菊ヶ池と天狗山への方向を示す道標が立っています。
前回、春分の日の翌日にここを通ってからまだ1月あまりしか経っていないのに枯れ木の山だったのが一面の新緑に変わった、低山の春の季節の移り変わりの速さに驚きました。

  天狗山に向かって進んでゆく途中、林道の曲がり角で右手が開け、熊倉山が良い形に見える所がありました。

  尾根の端を回りこんでゆくと左上に天狗山が見えてきました。

  緩やかに登ってゆく林道が山に突き当たる所にちょっとした広場があってその奥の左手に赤い幟が立っています。 

  幟の脇に立っている道標の脇から山道に入り、僅か登ると左手から廻り登ってきた幅広の作業道に出合います。

  作業道に入ってひと登りした天狗山の肩の鞍部は山の裏側にある白倉神社へ行く道が乗越しています。

  乗越の手前で後ろを振り返るとページ冒頭のような景色が見え、市町境界稜線の先に熊倉山のピラミダルな姿を見ることができます。

  白倉神社乗越から左手へ100m あまり進むと天狗山頂上で山名標識と三角点標石があります。
 
  二週間ほど前に歩いて「お友達」になった市町境界稜線を眺めながら糖分とイオンを補給しました。

  主稜への登路はまずほっそりした岩稜の登りから始まります。

  岩稜の上のコブを越えると緩急を繰り返しながら高度を上げてゆくようになりますが林業作業の標識か太い赤ペンキの二重線マークが目立ちます。

傾斜が緩んだ所で右下から登ってきた古い道形が出合いました。
更に尾根の背を登ってゆくと古い乗越と思われる浅い切通しを横切ります。

  その上はザレ気味で踏み跡不明瞭となりますが尾根の背を外さないよう、頑張って登り続けていると左手に境界稜線が見えてきました。

  わずかに傾斜が緩んだ所から左手に、獣道のようなか細い踏み跡が分岐しています。
人の道ではないような雰囲気ですが、入口の灌木の幹に巻きつけられた2本の赤テープがルートであることを示しています。 

  足場が悪くて頼りない踏み跡を外さないよう注意して進むと峠の鞍部が近づいてきました。

  小柏峠は南面の杉林が日を遮って薄暗い小鞍部です。
上日野小柏側へはしっかりした道が降っていて、入口に2体の石仏が並んでいます。

  峠で一服したあと東へ向かうと緩やかな登りになり、僅か進んだ所で行く手にアンテナ峰の高みが見えてきました。
  テレビ共聴用と思われる八木アンテナで鉄パイプの支柱にはマスプロアンテナのブースターが取り付けてありました。
  背の低いアンテナの感度を確保するためか、北面の樹木が伐採されていて、180度近い視界が得られます。

  亀穴峠に行くには北東400m あまりの所にある788m 峰への尾根に乗る必要があるのですが、下の写真でも分かるようにこの山は、山林の梢の間に僅かに見える程度の高さしかありません。

  木の葉が出揃う時期になると方向の判断が難しくなり、東の方に続いている良い道に迷い込んでしまう危険があります。
  アンテナの足許から北に向かってまっすぐ下ってゆくのがポイントですが、急斜面に伐採木が横たわっていて歩き難いのを左右にブレないよう我慢してひと下りすると穏やかな尾根の背に乗ります。

アンテナ峰から788m 峰方面の景色    (画像をクリックすると拡大)
 

  尾根上には道形のようなものは見えませんが、所々に境界標識の石柱などが見られ、なんとなく人(実のところは獣かも?)が歩いたような雰囲気が感じられます。

  古い大木の倒木の脇をすり抜けてゆくと藪っぽくなりますが押し分けて通る程にはなりません。 
 
  やがて枯れ笹に覆われた鞍部を通過します。
笹原は百年に一度一斉に枯れると言われていますがこれまであまり見たことがありません。
 

  枯れ笹原の鞍部を通り過ぎた所からゆるやかに登って行くと 788m 峰の天辺にに着きました。

山中の奥まった所ある高みで、落ち着いた雰囲気が漂い、静かで好ましい休み場でした。

  788m 峰は頭が平らなため、その先に繋がる尾根の入口が分かり難いのが問題でした。
さてどのあたりから進めばよいか?、と地形図と磁気コンパスを出してまわりを見回していたらそれと思しき藪の枝に黄色いテープがぶら下げてあるのが見つかりました。

  通り道と思われる所の両側にテープがあったのでその間を通って進むと目的の尾根に乗ることができました。
 

  尾根はすぐに細まって踏み跡も認められるようになりました。
このあたりの尾根筋には赤松が目立ちます。
788m 峰の東200m あまりの所に等高線が膨らんだ所がありましが、行ってみると地形図からイメージするより格段はっきり尖ったピークでした。
ゆるやかに登ると左のように5本の赤松が立っていてその間をすり抜けて前に進みました。

  下り気味になった尾根を進んでゆくと二股になった太いのとそれより細いのと母子松とでも呼べそうな二株の赤松が立っている所がありました。

 

  母子松を過ぎるとこの日のルートでは一番急な下降になりました。
この辺りまで来ると踏み跡が明瞭になりました。
人か歩いた跡なのか獣の通い路なのは分かりません。

  80m あまり高度を下げると傾斜が緩み、行く手の樹木に赤い標識板が見えてきました。
  ビニールテープ以外の標識は珍しいので何かなぁと思いながら近寄って見るとご覧の通り!
営林署が散りつけた標識板を木が咥え込んでいるのです。

  尾根が平らになって来ると右手から古いかすかな道形が出合い、間もなく亀穴峠の鞍部に着きました。

  峠の立木には左のように小さな標識板がネジ止めされていました。
至って目立たないものゆえ、その積りになって探さないと見つからないかもしれません。

  亀穴峠から先は既知のルートです。
道形は幅広くても、杉の枯れ枝が降り積もり、足をしっかり上げて歩かないと、引っ掛けて転倒しかねないので要注意ですが、一度通ったことがある道は気楽に歩けます。

  やがて、「左 小幡富岡道」、「右 天引新屋道」と刻まれた道標石柱が立っている所に着きました。
  かつての峠道の繁忙を偲ばせる石柱の横は日当たりの良い緩斜面で恰好な休み場です。


  前回と同じ様に長い休憩をし、糖分とイオンを補給しました。
  峠南面の緩斜の自然林の若葉が綺麗でした。
ひと月前に来た時は枯れ枝の林の向こうに御荷鉾の山並みが綺麗でしたが若葉が遮ってよく見えません。

亀穴峠道標石柱脇の景色    (画像をクリックすると拡大)

  休憩のあと、標石の脇から僅か折れ下って左に向かい、緩やかな道を下りました。
 

  杉林に突き当たった所で右折。
角の立木には前回通った時に巻きつけた赤テープがありました。
  角を右折して僅か進んだ所で杉林と自然林の境目を通っている踏み跡が左に別れて行きました。
  前回は2万5千分1地形図に描かれている破線、二重線を忠実に追跡するよう努めたのでこの踏み跡を登ってきましたが、今回は Google Maps や Yahoo 地図に描かれている二重線((林道跡) を追跡するつもりだったのでこれを左手に見送り、直進して自然林の中に入りました。

  分岐を過ぎるとすぐに細長い石垣がありました。
かつてこの辺りに存在した開拓村の住居跡に違いありません。 

 (画像をクリックすると拡大)

  このあたり、所々に直径 1.5m ほどの半円形の石垣があるのは不思議でした。

日当たりの良い所にひっそり花が咲いていました。

  道なりに歩いてゆくとふたつ目の住居跡石垣、さらにこの3番目の石垣がありました。
あとで聞いた話ですが、最盛期には10軒ほどの家があったそうです。

  緩傾斜地に降りてきている小尾根の端の手前で左手に回ってゆく所に倒木が2本ありました。

  道形に完全に被さっていて通り難いので邪魔な枝を押して通ろうとしたらポキっと脆く折れたのが自然の倒木と違う感覚だったので良く見ると栗のように見える肌の木でした。

  倒木の所を通過して広い凹地を渡ってゆくと前の方に人工を感じさせる直線的な地形が見えてきました。

  土手のようになっている所に上がってみると、向かい側に作業小屋のような建物が立っていて、その右手には広場がありました。

  建物に近寄ってみると一階は全面がオープンな土間になっていて奥手の砂場に無数の動物の足跡が残っていました。
手前側の床にはレコードプレイヤーとステレオアンプらしい物の残骸が置かれ、ここは作業小屋だったのではなくて、文化生活を営む住居があったことを示していました。 

  「小屋」のすぐ下には水場があって定住生活が可能な条件が揃っていることを確認できました。

  「小屋」の横手から延びている林道跡の追跡に掛かりました。
歩き出した道の真中に電気釜が捨ててあり、前月登ってきた廃歩道で電子レンジや食器棚などを見たのを思いだしました。

  広場のように開けた所を塞いでいる倒木を越えた右横に写真のように明瞭な屋敷跡が見えました。

その先からは、はっきりした林道跡が続くようになりました。


  右下に沢溝を見るとすぐ先に切り通しがありました。
切通しの上を横切るように被さっている倒木の脇を通り抜ける所には憶えがありました。
前回は上部の林道を進んでここまで来た所で反転し、尾根の端のカーブの頭から尾根の背に上がったのでした。 

  倒木から僅か先で尾根の端になり、道形は右に急カーブしています。
前回はこのカーブの先端から尾根に上がりました。

  右手に曲がり下った先で前回登ってきた廃歩道の出合いを確認しました。
上から歩道を覗き込んでみるとすぐ先に電子レンジの残骸が見えました。

  歩道出合いから僅か先に写真のような右カーズがありました。
カーブを曲がってゆくとぱっと前途が開け、上日野の谷が見えました。

  ここは山抜けのあとに行われた治山工事の上部で、前回はここまで踏み込んだものの、反転して戻り、大石の前から尾根の背の古い歩道に上がりました。

  前回、電子レンジ道(ドラム缶もあった)に上がった所にある大石と、入口に残置した赤テープのマークとを確認したあと、さらにひと下りすると小尾根の末端に降り着きました。

 (画像をクリックすると拡大)

  沢底に降りて、ジクジク水っぽいところを過ぎると現行林道末端の広場とも言える平坦地に降り立ちました。
広場の縁には左のような花が咲いていました、。

  広場の先は車の轍が残っていて時たま車が来ていることが分かります。
U ターンを過ぎると舗装路になり、間もなく県道が見えてきました。 

  県道から出てきた道を振り返ると左の写真のようになっています。

  出口の左手に矢掛バス停がありますがその近くにはお店がありません。

  バスが来るまでまだ1時間半近くも時間があるので暇つぶしとクールダウンを兼ねて県道歩きを始めました。

  車の往来が少なく、行く手に小梨山の山並みが見えて割と良い感じの車道歩きです。

  15分ほど歩いて藤岡温泉リゾート入口を通り過ぎるとすぐ細谷戸バス停でした。
バス停の斜向かいに小暮酒店があったので店先を覗き込んでみたらアイスクリームを売っているのを見つけました。

  お金を払うため店の中に入ったらおば(ぁ)さんが二人来ていておしゃべり中でした。
開いている椅子を指し、ここで食べてゆきなさいよと言われたのでアイスクリームを食べながらおば(ぁ)さん達と話しました。
 

  亀穴峠下の開拓村は最盛期には10軒もあったこと、最後に残った家は一帯で栗果樹園を経営したこと。
4月28日はお天狗山白倉神社のお祭りで、昔、日野の人達は山を越えて参拝に行ったこと。
店番のおばさんも小学生の時に白倉神社へ遠足で行き、梅の木平に下ったあとバスで帰った事など。
日野と小幡、新屋との間に頻繁な交通があったことを教えてもらえました。

  アイスクリームのあと、暇つぶしウオーキングの続きをしました。 

  春の山里はほんとに綺麗です。
15分ほど歩いたところに辛科神社がありました。
神殿の前に立っている天然記念物の大カヤがご神木でした。
神殿と向かい合わせに立っている参集殿の横手に引き水の蛇口があり、美味しい山の水が出ました。

  神社から10分ほどで上鹿島バス停に着きました。
前回、歩いた尾根筋を眺めながらバスを待ち、あとは既にルーティーンになっている藤岡、倉賀野、渋谷ルートで帰りました。

<ルートの詳細>




  ヤマレコの山行報告






  詳細ルート図
 
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☆おわりに

   亡父の晩年のケヤーのため定期的に行くようになった群馬富岡への行き帰りに、西上州から奥秩父へ広がる山並みと平野との境を仕切っている最外縁の山並みの尾根の形の良さに惹かれたのが始まりで、少年時代を過ごした田舎町の周辺の山々を訪ね歩くようになりました。

  幾らかは名が知られている牛伏山をはじめとして、八束山、朝日岳、天狗山などは登山道が整備されているので一部に険しい所はあっても容易に登頂できました。

  これに対し、日野と吉井・甘楽の市町境界を形成している稜線はマイカー時代が到来する前には山住みの人達が日常的に越えていた里山の一部でしたが、のちにはそれがかえって仇となって人が遠ざかり、登山ルートの整備なども行われず、谷筋の自動車交通路から外れた山村の荒廃が進むに連れて、取付きさえ不明になってしまったことが分かりました。

  地元の好事家がネットに出している情報や地元出版物の復刻版などを頼りに、手近な所から偵察をはじめ、あちこちに探りを入れているうちに徐々に視界が開けてきて、全域踏破の確信が持てるようになり、この春の延べ6日、実質4日の山行によって尾根筋の全長をひと通りカバーすることができました。

  低く小さな山の連なりでしたが、変化に富む藪ルートのトレースは、意外な充実感をもたらし、近年ではトップクラスの山旅のひとつとなりました。

この山行ではとりわけ、低山の春の季節の移り変わりの驚くべき速さと、早春の山里のこの上ない美しさが強く印象に残りました。

それぞれの山行記録は下のリンク・タイトルから参照することができます。
4月  9日: 大沢峠-小梨山-小梨峠
3月22日: 新屋峠・亀穴峠-小梨峠
4月25日: 亀穴峠-小柏峠(この山行のヤマレコ)
4月10日: 小柏峠-熊倉山-焙烙峠

また、下はこれらの山行でカバーしたルートの集成図です。






  西上州藪山探訪集成図









☆あとがき
  この山行記録を公開してから半年あまり経った10月の末、小学2年生まで亀穴の山上集落に住んでいたと言う人からメールをいただきました。
いま残っている建物はその方の隣家の倉庫で、峠付近に残っている幾つもの石垣は、ご祖父が築かれた物だそうです。
ささやかな山遊びが、遥か遠方で暮らしておられる同郷の方に、故郷の今の姿をお伝えする事となった奇縁に驚き、感激しています。