田辺、中辺路-本宮大社、那智 (2007.10.24-27)


☆期日/山行形式:
2007年10月24日-27日 グループ、ホテル・民宿・旅館利用、古道古峠歩き

☆地形図(2万5千分1): 栗栖川(田辺6号-3)、皆地(田辺6号-2)、発心門(田辺5号-2)、
                                   伏拝(田辺1号-4)、那智勝浦(田辺3号)

☆まえがき
    春から年寄り仲間で熊野古道歩きを始めた。
一回目は新宮から大和八木まで紀伊半島の中央部を縦断し、熊野を南北に見る縦軸の土地勘が得られた。
二回目の今度は、紀伊半島西岸の田辺から中辺路を辿って熊野本宮大社まで歩き、西熊野の横軸の感覚を得たいと考えた。

  折角遠出するのだからあちこち見て歩きたいと言う声が出たのでもう一日継ぎ足し、最終日に那智を回って帰ることにした。
さらにもっと欲張りたいという有志には1日先発し、高野山を回って田辺で合流するオプショナルツアーを提案した。

伏拝付近では雨雲立ち込める熊野川谷を見た    (クリックすると拡大します)

  秋の長雨は終わったが日暮れはまだあまり早まってはいないと言う条件で期日を設定したのだが行程の後半部では気圧の谷の接近と、太平洋側を北上してきた台風の影響を受け、短時間ながら激しい雨に遭った。

  各自の脚力、体調もバラバラだったのでこの日は無理をせず、路線バスでエスケープ。
小広王子から発心門王子への三越峠越えをスキップした。

最終日は台風が足早に通り過ぎていったお蔭で朝のうちに雨が上がった。
おかげで、
伏拝から本宮大社への最終行程と那智の主要スポットのあらかたは、気持ちよく歩くことができた。

    なお、先発組の高野山と集合日の午後の田辺市中足慣らし歴史散策とでは最高の天気に恵まれた。
全体としてはソコソコの天気だった訳であり、今回もマズマズのオーダーメードの旅ができたのではないかと思う。


☆行動記録とルートの状況

10月25日 (曇り一時小雨)
<タイム記録>

   田辺ホテル前[6:32]=(龍神バス発心門王子行)=[7:05]滝尻王子(7:35)-展望台(8:50/55)-高原熊野神社(9:50/10:00)-大門王子(10:55)-十丈王子東屋(11:25/12:00)-上多和茶屋跡(12:55/13:00)-林道交差点(13:25/30)-大坂本王子(13:45/50)-牛馬童子(14:35/45)-箸折峠入口(15:00)-近露王子(15:05/40)-楠山坂登口(16:00)-比曽原王子(16:25)-継桜王子(16:40/50)-野中清水(16:55/17:00)-(17:10)野中民宿のなか山荘


田辺で泊ったホテルのすぐ前に熊野古道へのバス停があった。
全員早朝に起ききだし、6時過ぎにチェックアウト。
朝一番のバスで出発した。
気圧の谷の接近でどんより曇り、いつ降り出すかという空模様だ。


  田辺から近露、本宮、発心門をつないで運行されているバスは、朝来まで南下したあと富田川谷を遡った。

  山間部は霧雨模様になっていた。
30分あまりで滝尻に着いた。
バス停の対岸にある熊野古道館の通路の屋根の下に入って雨支度を整えた。

  記念写真を写したあと橋を渡った尾根の鼻にある滝尻王子から古道歩きが始まった。

  暫くの間、杉林の中の急な所を葛篭に折れ登った。
胎内くぐりや乳岩と呼ばれる大石が現れるとまもなく不寝王子跡を示す立て札がある。

  傾斜が緩んできた所をさらにひと登りして剣ノ山の展望台に上がると尾根の北側を流れる富田川谷の展望が広がった。

雨が止んできたのがありがたかった。



  暖帯林の間の穏やかな下りから僅か登ると飯森山頂上で、地形図に記されている三角点標石を確認した。

  このあたりには2箇所、富田川谷の国道へのエスケープルート入口を示す道標がある。
最悪、ここから誰かを下ろすことになるかもと、計画時に考えたが見たところでは全く問題なさそうだ。

  古道の道は、普段歩いている登山道に比べ格段に手入れが良く、幅も広くて歩きやすかったが雨で濡れた石畳の部分は要注意だった。

  緩く下って行くと右下から車道が近付いてきた。
この付近の道路沿いは畜舎が多いようで臭かった。


  尾根上の道を上下して進み、下地の山上集落に入った。
山畑の先の谷奥に護摩壇山の山続きが見えた。

  集落の中ほどの小ピークを巻いて行った先に高原熊野神社があった。
小さいながら色鮮やかで装飾の多い華麗な社殿だった。
彩色は近年の改修によるものだが社殿自体は室町時代の様式を伝え、中辺路沿い最古だと言う。

  神社のすぐ先に車道が上がって来ていて高原霧の里の休憩所と車止め広場がある。
休憩所の中には椅子、テーブル、飲み物の自販機、トイレがあって良い休み場だ。

  車道の向い側から集落の中を登ってゆく道に沿って並んでいる家のいくつかに、もとは旅籠だったと記した標識が立っていた。
集落を抜けると山の右側斜面に入り、見通しの利かない杉林の中の道になる。

  前線の寒気側に入ったようでひんやりした風が吹いてきたがうっそうとした杉林が風を和らげてくれた。
  高原池の水面を見下ろしてさらに斜上し、尾根の裏側に乗越して暫くで大門王子(左)の柵囲いの前を通る。
  今度は山の左側に入り、左下に谷を見下ろしながら進み、やがて尾根の背に乗ると傾斜が緩む。

  行く手に山が近付き、もうすぐ十丈峠と思われる所に左のような東屋があった。
すぐ脇の広場に水が引いてあり、非常連絡用の無線電話の設備もあった。

  積もりより少々遅れ気味ではあったが我慢できる範囲内だし、相応の時間にもなっていたので東屋に入ってお昼を食べる事にした。

  まだ今日の行程の3分の1程しか歩いていない事になるが、風邪気味の自身を除けば全員非常に元気だ。
この調子なら今日の行程は問題なく全員歩ききれるだろうと予想した。
  十丈峠から少し進んだ所から悪四郎山の登りになる。
登りに掛かるとすぐ、風邪の後遺症が残った筋肉が長休みで冷えて頚痙しかかったので皆に断ってペースを落とした。

調整はなんとかうまく行き、しばらく歩いて身体が徐々に温まると調子が戻った。

  左斜面の斜上を続けていった先を右手にひと登りで上多和茶屋跡(左)に着いた。

ここが今日の行程の最高点で、この先に大登りはない。

  上多和茶屋跡の先は自然林の尾根の背を下り気味に進む。

  地形図の625m 点の手前あたりに三体月伝説の説明看板があった。
二十三夜、ここに上がって来ると、三体の月が見られるという。

  さらに緩やかに上下しながら進み、ひと下りしたところで舗装林道を横切った。
車でアプローチする人達のためか、大きな案内看板が立っていた。


  林道を横切って右下の谷に下った。
杉林の中を折れ下って行く急降下の石畳道になった。
足腰に負担が掛かり、山坂に慣れていないメンバーから悲鳴が上がった。

  後続を待ってグループをまとめ、さらにひと下りすると谷底の大坂本王子跡に降りつく。
沢の脇に残る石碑と説明看板だけのささやかな遺跡だったが厳しい下りの疲れを癒やすため、暫く休んだ。

  休憩のあとは谷底の流れに沿って歩いた。
暫く進むと右手の林の中から国道を走る車の音が聞こえてきた。

  やがて谷向かいに道の駅を見下ろす所に出た。
国道から出入りする道の合流点を過ぎたあたりはバスや車で来て箸折峠にある牛馬童子像まで往復する人達が歩いている。
  牛馬童子はどちらにあるか、方向が分からずウロウロしているオバサンふたり連れを拾った。
テレビで見たので娘に調べさせた路線バス運行時刻のメモだけを持って山陰の町から出かけて来たという。

  牛馬童子を見るだけだから良いようなものだが度胸がよいのか無鉄砲なのか?

  峠までたいしたことはあるまいと高を括っていたが杉林の中の緩い登りは長かった。

  馬と牛に跨った童子は花山法皇熊野詣の姿といわれている。
童子像の後には小振りの宝筐印塔があった。
  箸折峠から日置川畔の近露王子まで、かなり急な石畳道の下りがあり、長途を歩いてきた脚に負担が掛った。

  朝以来何とか持ちこたえていた空から雨粒が落ちてきたので、対岸に美術館を見下ろす見晴らしにあった東屋に入って小休止。
傘を引っ張り出して歩きだしたが雨はすぐに止んだ。

  山裾の車道に降り、橋を渡るとすぐの森の中に近露王子跡がある。
引き水で淹れた抹茶で最後の休憩をし、長途を全員が無事に踏破できたことを祝った。
  宿の車を呼び、全員のザックと疲れた人を運んで貰うことにした。
空身で野中一方杉、継桜王子跡まで歩いたが、川岸にある王子跡から近野の小、中学校がある台地に上がってゆく坂道は結構きつかった。
道端の家のいくつかに昔は旅籠屋だったという事を示す立札があった。

  校庭ではリレーの練習をしていた。
谷の下手に見える山並みが乙女の寝姿に似ていると記した看板が立っていた。
言われてみればそうかなぁ、と言う程度だった。
  坂の上の古道は生活道路になって山上集落の中を通っている。
左上の月待ち供養塔のような旧跡は、昔の道の遺跡であろう。


  集落の外れに比曾原王子跡を示す道標が立っていた。


  右下遥かの谷底に国道を見下ろしながら進んで継桜王子跡に着いた。

  急な石段を上がると王子の社殿があり、その前に大杉が立っていた。
近露からこのあたりまでの王子社は、明治の神社統合令で潰され、この杉もあわや切り倒されるかという所だったのを、南方熊楠が運動して阻止したと言う。

  昼なお暗い森の中が日暮れ真近かで殆んど暗闇と言ってもよいくらいになっていたが、継桜王子跡の石碑だけは何とか判別できた。

  下の車道に降り、少し西に進んだところに野中の清水があった。

  落ち葉が浮いている大きなプールだった。
どうかなと思ったが柄杓が置いてあったので飲んでみたら柔らかな山の水の味がした。

  左の写真は真っ暗に写ったのだが、リタッチソフトに掛けたら "復活" した。
デジタル技術の恩恵だ。

  野中の民宿へは近道を下った。
足慣らしに歩いた高尾山から陣場山の下りで何かあったようで、 "Kさんの近道は歩きたくないっ!" という声も聞こえたが別段の問題もなく下の国道まで下り切り、道路の向かい側にある民宿に入った。

  年配夫婦が営業しているこの民宿は、野中一方杉バス停近くだった。
建物は想像より大きく綺麗で、内部の設備も山中の民宿にしてはなかなか良かった。
  朝一番のバスで出発したのに時間が掛かって到着した時は暗くなりかかっていたが誰もバテず、無事に歩き通せたのはうれしかった。

一般に山の中の民宿の食事は質より量で勝負、と言うスタイルが多いのだが、ここは珍しくボリューム控えめで上品だった。
古代米入りご飯、珍しくておいしい山菜料理、まる齧りできる鮎の塩焼きなど、チョッと目先が変わった料理が並んだ。
ほかに客がなくて貸切だったため、はばかりなく賑やかな会食をした。

  この夜、唯一の気掛かりは次ぎの日の天気だった。
テレビの天気予報や携帯の天気図を見比べた結果、かなりの悪天候も予想すべきという結論になった。
朝食は早い時間に設定しておくが、空模様が芳しくないときは、小広王子から路線バス終点の発心門へまわって伏拝王子までの残りを歩く、キセル・エスケープをやろうという相談をした。

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10月26日 (曇り一時雨)
<タイム記録>

    野中民宿(8:20)=[送迎車]=野中清水(8:30)-継桜王子(8:40)-中川王子(8:55)-新高尾隧道(9:15/25)-小広王子(9:40/50)-(10:10)小広王子口[10:40]=(龍神バス発心門行)=[11:37]発心門王子(11:45)-猪鼻王子(12:05/10)-発心門王子(12:25/13:55)-水呑王子(13:40)-伏拝王子(14:30/14:50)=[送迎車]=(15:20)川湯温泉{旅館みどりや}

◆天気が気に掛かっていたせいもあって夜中に2度ほど目が覚めた。
午前2時頃には星が見えていたが3時半過ぎにはポツポツ雨が降り出していた。
5時近くに起き、林檎を食べたり、コーヒーを飲んだりしながら空模様を眺めていたがどうも芳しくない。

  バスエスケープ必至と割り切り、ユックリ朝食を食べ、8時過ぎに出発した。
宿の車で野中の清水の脇の茶屋前に上がって歩き出した。
このあたりは舗装車道になっている。

  継桜は下のパノラマ写真のように桜の大木を中心に数基の石碑が立ち並ぶ園地になっていた。
古道は一段高い所を通っていたようで、道路自体は世界遺産の指定から外れているようだ。

  秀衡桜から1Km あまりの所に中ノ河王子跡があり、さらにその先700m ほどの新高尾トンネル入口の先に東屋があった。
霧雨模様だったので中に入ってひと休み。


藤原秀衡の熊野詣に由来するという伏継桜王子の桜   (クリックすると拡大)

  東屋から30分あまりで小広王子跡に着いた。
車道が乗越している小広峠の手前に八角形の大きな建物があった。
道の駅のような物かと思ったがそうではなく、私立の武道練習場だった。
一般は立ち入り禁止と書いた立札が立ち、綱が張ってあって雨宿りもできないのでガッカリ。

  少し戻って左に下って行く車道歩き、谷底の国道に降りたら茶店まで1Km と記した看板があった。
霧ションの雨避けができるかと思って進んでみたが大分遠いようだったので道端の空き家の軒下にザックを下ろした。

  このあたり、バスは自由乗降区間らしかったがそれに間違いないことを携帯で確認した。
定刻に僅か遅れてきたバスは空車だった。
  キセルのバスはトンネルを潜って数分で山を越え、熊野川の支流の谷を下った。
春に泊まった湯の峰温泉に立ち寄ったあと請川で熊野川沿いの道に合流。
北上して、本宮大社の前を通りすぎ、三越川谷を遡って1時間ほどで発心門王子に着いた。

  時間が早かったので王子の床下にザックを納め、ひとつ先の猪鼻王子跡へ往復した。
  この王子は急傾斜の谷壁を1Km 近く斜下降して行った先の谷底にある。
小さな石碑と道標とで特段のこともない史跡だった。
谷奥から出てくる道は小広峠からのものだなぁ、と思った。
  発心門王子への帰りは舗装された車道を歩いた。
遠回りだったが緩やかな登りで、ノンビリ歩くことができた。

  発心門王子も明治の神社統合で破壊され、今ある社殿は再建されたものだが、昔の雰囲気が感じられる。
あたりに楓の木が多いから紅葉の時期は綺麗だろう。
  引き水の脇でお昼を食べた。
ベンチがあったが人数が多くて座りきれないので向かいの地面にグランドシートを広げ、そちらにも分かれて座った。
緑茶でもコーヒーでも、山の水で淹れると美味しい。

  キセルの後半は伏拝まで1時間あまりの楽な行程だったが歩き出してまもなく、急に霧が濃くなった。
杉林の中を歩いているうち、遠くから雷鳴が聞こえてくるようになった。

  雷鳴が徐々に近付いてくるのでこれはちょっと不味いかなぁ、と思っていたら、頭の上でピカドンとやられ、ザァーッっと激しい雨が降りだした。

  幸いだったのは杉林から出た所に空き家があって、その軒下にとび込めたことだった。
2,30分ほど雨宿りをし、降りが弱くなった所で再出発。

  すぐ先の坂を下って行った所に水呑王子跡があった。
その名の通り、おいしい山の水が引いてあった。

  王子跡のすぐ先に集会場のような大きな建物と、野外舞台の設備があったが老朽し、閉鎖されているようだった。


  坂を登り下って伏拝の集落に入り掛かる所では冒頭写真のような、霧立ち込める熊野川谷が見えた。

  伏拝集落の中は道が錯綜しているので、古道を歩いてきた者が迷わぬよう、要所に分かりやすい道標がある。

  またパラパラ降り出してきた雨の中、緩い坂の途中から右手の畑の畦道を上がって行くと伏拝王子の茶屋があった。


  雨宿りをかねて全員茶屋に入り、宿の車が迎えに来るまでコーヒを飲みながら休んだ。
湯の峰の温泉で淹れたコーヒは一風変わった味だったが疲れを癒やすには良い物だった。

  店番をしている地元婦人会のオネェさん達と駄弁ったり、すぐ上の伏拝王子に上がって写真を撮ったり。
幾分インチキはやったがうまく悪天候をかわして無事行程を消化できたので、賑やかな休憩になった。

  迎えに来た宿の車で湯川温泉に向った。
伏拝の集落の中をうねうね曲り下って熊野川沿いの国道に合流。
右に曲がって南にひと走りすると熊野本宮大社の鳥居の前を通る。

  大斎原の大鳥居を見たあと、七越山に上がる備崎橋の入口を過ぎ、右側の山に穿たれたトンネルを抜けて山の裏側に入り、ひと走りすると湯川温泉みどりやの玄関先に着く。

  経営難になった老舗の旅館をチェーン経営の会社が買い取り、人件費を押えて運営しているようで、設備がよい割には料金がリーズナブルだった。

温泉は内湯の大浴場ほか、下の河原に露天風呂もあった。
ただ、湯の峰のような濃厚な温泉ではなかった。
食事がバイキング式のため、好きな物を好きなだけ食べられたのは悪くはなかった。

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☆おわりに
    熊野古道歩き2回目の今回は、まだ熊野概観の旅ながら、二日続きで18Km 超のロングルートを含む半端でない体力負荷の掛かる行程だった。
経験、体力バラバラな老年グループにとってどうなのか心配した。

  二日目が雨模様になったため、路線バスで部分エスケープし、その分歩行距離が減りはしたが、かなりの山坂もあったルートを全員が楽しく歩き切れたのは自信になった。
各自、脚力を鍛えてきたことの証だった。

  むしろ、直前のコンディション管理を怠って風邪気味となり、それを押さえつけるための薬漬けの後遺症もあって、あと僅かのところでバテそうになった自分自身が一番の問題だった。
  長年山を歩いてきた経験があるとはいえ、最年長であることと相応に体力基盤が衰えているのは間違いない。
今後は脚力の維持強化と直前の体調管理と、相応の努力をはらわないとメンバーに迷惑をかける恐れがある、と反省している。

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