伏拝王子-本宮大社から那智へ (2007.10.27)


☆期日/山行形式:
2007年10月27日(雨のち晴れ)

☆地形図(2万5千分1): 伏拝(田辺1号-4)、
                                    紀伊勝浦(田辺3号-1)、新宮(田辺2号-2, 木本14号-4)

☆まえがき
  中辺路歩きの最終日は伏拝王子、三軒茶屋、祓戸王子から本宮大社までのショートコースで、ユックリ歩いても午前の早い時間に終わる。
昼までに那智にまわり、那智大社、青岸渡寺、大滝を見たあと、大門坂を歩いて帰ることにした。
本宮大社から那智まで、新宮まわりで40Km 弱の移動はジャンボタクシーを利用する。

  この朝も天気が悪く、伏拝から三軒茶屋あたりまでは雨だったが、展望台のあたりで止んできて大斎原に立つ大鳥居が見えたのは幸いだった。

  那智への移動は順調で、ほぼ予定通りの時間に着いた。
お昼を食べた那智黒本舗の出店でザックを預かってもらえたので、身軽になって寺社と大滝を見て回ることができた。
地元のボランティアガイドを依頼し、いろいろ詳しい説明が聞けた。


☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
   川湯温泉(7:20)=[送迎車]=伏拝(7:50/30)-三軒茶屋跡(8:55/9:00)-展望台(9:30/40)-祓戸王子(9:55/10:00)-本宮大社(10:05/10:45)=[ジャンボTaxi]=那智山(12:00/40)-那智大社(12:50)-青岸渡寺(13:30)-那智大滝(14:05/20)-大門坂上(14:45)-多冨気王子(15:12)-(15:25)大門坂駐車場バス停[15:46]=(熊野交通バス)=[16:06]紀伊勝浦[17:12]=(南紀#8)=[20:40]名古屋[20:58]=(ヒカリ#386)=[22:26]新横浜=あざみ野=[23:17]宮崎台


◆中辺路最終区間は春の熊野行でお世話になった請川の鈴木さんにガイドを依頼、川湯の宿の車で伏拝に行く途中、本宮鳥居の前で合流してもらうことにしてあった。
予定通りピックアップするとすぐに、半年振りの再会の挨拶を交わし、春に世話になったことへのお礼を言った。

伏拝の茶店では昨日休憩したときに居たオバサンの片方が早出し、飲み物の用意をしていてくれた。
   コーヒを飲みながら伏拝の歴史を鈴木さんから聞いたあと出発。
テレビの朝ドラ: "ほんまもん" の撮影をした民家の後ろを通って杉林の中に入った。

  暫く歩いて車道の上に架かる橋を渡ると三軒茶屋跡の休憩所がある。
建物の中で鈴木さんから貰った古文書を見ながら古道の歴史話を聞いた。
 
 文書の一方は古道沿いの茶屋に関するものだった。
本宮から那智の周辺地域の13箇所に茶屋が配置され、それぞれ、餅・茶・水汲み道具などを常備するよう指示されていたことが分かる。
  もう一方は請川の庄屋が西国札所巡りに出る村人のために書いた通行証だった。
もしもの事があったときは、懇ろに葬ってやってくれと言う主旨の文句もみえた。
昔の旅は、途中で病気に罹って行き倒れになるなど、命がけだった事が分かる。

  三軒茶屋を出て杉林の中の道を歩いてゆくと徐々に雨が止んできた。

  途中で分岐に入り、展望台に上がると、大斎原の大鳥居が見えた。
  鳥居の背後は大日越の山続き、さらにその後に遠く、雲取越えの峰続きがスカイラインを描いている。
去年の春、小辺路を歩いてここに来たときには雨が降り込め、熊野川の川原までしか見えなかった。


  展望台の北側を下って古道に戻り、しばらく杉林の中を進むと墓地の右横を通る。
また杉林に入って少し歩き、坂を下ると住宅地の脇の車道に降り立った。

  本宮の森に近い道の右に祓戸王子がある。
長途を歩いてきた参詣者は、ここで身を清め、装いあらためた上で大斎原の本宮大社の神域に進み入ったという。


  祓戸王子のすぐ先にある石鳥居を潜ればもう本宮大社の境内だ。
社殿の後ろの森の中の道を進み、左手にまわって行くと本宮神門前の参道に出る。

  鈴木さんの配慮で神官に出てもらい、八咫烏の由来、祭られている神々のことなどを説明してもらった。


  本宮の社殿はいつ見ても荘厳で美しい。


  神官に教えられ、主殿右脇に新しく祭られた社殿を見に行った。
なにか特別な関係があって静岡掛川の信徒が建立したものだという。
こじんまりしたもので、あちこちの山中でお目にかかる祠と大差ない大きさだった。

  本宮参詣を終えて石段を降りると予約のジャンボタクシーが待っていた。
鈴木さんにお別れを言い、那智のガイドに携帯電話で確認した上で那智に向けて出発した。

  まず新宮へ下り、海沿いの国道を西に向かった。
ほかに道がないため、週末ドライブの車による混雑で渋滞気味となり、ペースが下がった。
本宮から那智まで40Km 足らずしかないのに1時間半は掛かると思ってくれと、タクシー会社が言ったのは海沿いの国道が混雑するためだったようだ。

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(以下は那智の部)
  那智駅前で右に折れ、那智山に向かう道に入るとまた順調に走れるようになった。
大門坂下にある駐車場の先から山登りが始まる。
しばらく登ると車の行く手に大滝が見えてきた。

  バス終点の広場で下車したが すぐ脇の店では食事ができない事が分かった。
参道入口の方に歩きながら適当な昼飯場を探した。

  良さそうな店が見つかったので入りかけたら道向かいの店の "美人" に呼び込まれた。
歳はとっても色気は消えず、あっという間に全員回れ右して道を渡り、その店に入った。
そこは那智黒本舗の直営売店で、食堂の規模は小さかったがちょっとした腹拵えをし、手土産を調達するには好都合だった。

  中辺路を無事に踏破して那智にも来られ、天気も良くなってきたのでみなご機嫌。
蕎麦やらメハリ寿司やら、賑やかに食べた。

  食事のあと荷物を預けて那智大社参道に向い、460段あまりの石段を登った。
那智大社境内の階段を上がった所をガイドとの会合場所にしていたので境内に上がった所であたりをキョロキョロ見回していたら担当ガイドの崎本さんが近付いてきた。
2時間ほど前に電話で声を交わしただけの初対面だったがお互いに名を呼び合い、一発で合流に成功した。

  那智大社の神殿は熊野三山の中ではもっともこじんまりしている。
  ガイドの説明でうしろの山際にいくつかの社殿が並んでいることに気がついた。

  昨年の秋に来たとき、社殿の中で巫女が舞っていた。
  舞いの奉納は何時行うのか聞いてみたら、信者の求めがあったときに随時行われるという答えだった。


  大社の右脇をまわりこむと青岸渡寺本堂の前に出る。

  この前は補修工事中で覆屋に隠れていたので、全貌を見るのは今度が初めてだった。

  西国第一番札所と記した看板が掛かっている壮大な建物だった。

  階段を上がり、天井から吊るされた巨大な鰐口を鳴らして拝んだ。
  寺の右手に回り込むと正面に大滝が見える。
左手にトレードマークの三重塔、すぐ下にある宿坊: 尊勝院は去年の秋に泊まり損ねた所だ。



  ガイドに導かれて三重塔の先から右手へ石段を下り、那智の火祭りの中継広場、庚申塔を経て滝上に出た。
ここには数軒の店と公衆トイレがある。

道路を横切ってまた石段を下って行くと大滝の前に着く。
朝までの雨のせいか水量が多く、迫力があった。

   300円の拝観料を払って滝壺近くの観瀑台まで進み、記念写真を撮った。


(クリックで拡大)

  ユックリ坂を登って那智黒の店に戻り、ひと休みしたあとザックを担いで大門坂に向かった。

  門前町の表通りから大門坂の方に降りかかった所でお姫様旅装束の二人連れと出遭った。
坂下の貸衣装屋で借りてきたものだがなかなか綺麗で風情がある。
ふたりは親子のようだったがまんざらでもなさそうな雰囲気だった。


(この親子には、大門坂下でまた遭った。 このサイトのアドレスを渡したが見に来てくれるかどうか?)

  安部清明の故事を記した看板が立つ石橋を渡るとすぐに大門坂の降り口で、そこから鬱蒼とした杉の大木の間の石段の下りが始まる。

  熊野古道の石段の代表選手のような所で、熊野古道に行って来たと言う人の8、9割はここを歩いて古道はこんな物という観念を持っているようだが実体は少々違う。

  中辺路の山間部、さらには雲取越、小辺路を歩いてみれば分かるが、いつ果てるやらと思うほど長い長い単調な山道が続く。
心身の持久力が試される祈りと瞑想の道だ。

  石畳も、長年の摩耗と苔で滑りやすく、今時のゴム底山靴では相当に歩きにくい。

  石段の途中でガイドが立ち止まった。
短い坂道なのだが、微妙に曲がっているため端が見えず、深い森の中にいるような気分になる。

  坂道をこのようにアレンジするアイデアはよその国にはない、と言う説明になるほどと思った。

  坂を8分通り下ったあたりに多富気王子跡の石碑がある。
これが九十九王子の最後だ。

  間もなく石段が尽き、夫婦の大杉の間を通ると霊界と俗界の境と言われている振ヶ瀬橋がある。

橋を渡って鳥居を潜るとすぐに貸衣装屋があった。

   貸衣装屋の下は、かつて南方熊楠が滞在した大阪屋旅館だ。
熊楠はここを足場として付近の谷に分け入り、粘菌類を採集したという。

  ガイドが小学校の教科書を引っぱり出して説明した。
人間も自然界の一部であるから、ほかの生物の生存圏を冒して勢力を広げようとするのは間違いだ、と言っていたそうだ。
早くから今の時代が直面している環境問題に対する警鐘を鳴らしていたと言う訳だ。

  予定していた那智勝浦行きバスに十分余裕がある時間に大門坂下駐車場に着いた。
ガイドの崎本さんに礼を言って別れ、東屋にザックを置いて身体の内外を綺麗にし、長途の帰り旅の支度をした。

  土曜日だったせいで、バスは意外に混んでいて、通路に立たなければならないほどだった。
途中の那智駅で半分以上が降りて行ったので助かった。

  勝浦では名古屋行き特急が出るまで1時間あまりの待ち合わせがあった。
駅の待合室にザックを置き、それぞれ土産物探しや街中探検に出て行った。

  出納係のTさんと夕食の弁当をどうするか、駅横売店に聞いたり駅員に尋ねたりしているうちに時間が少なくなったのだ街探検は諦めた。
トイレに行ったら出口の前に足湯があり、仲間のひとりが入って、足を暖めながらビールを飲み、よがっていた。
こちらも仲間に入ったが、飲めないのでおつまみだけご相伴に預かった。

  帰りの特急くろしおは空いていて自由席に余裕があった。
適宜席を移動し、これからの相談をしたり駄弁ったり。
松坂では待望の牛飯弁当にありついた。

名古屋からのひかりも自由席にまとまって座る事ができ、学生時代に戻ったような楽しい旅だった。

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☆おわりに
     春に続いて同世代の仲間と3泊4日の楽しい山旅ができた。
このグループとしての本番は来春以降で、伊勢神宮から熊野本宮まで、伊勢路の歩き継ぎをすることになっている。
ただ、ほかにも行きたい所があると言う声も出ていないではない。
一人一人異なっているニーズをうまく折り合わせ、楽しい山旅を続けて行くことができればいいなぁ、と思っている。

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