直線上に配置

小赤沢-白嵒ノ頭-鳥甲山-赤嵒ノ頭-屋敷
[1998.5.30-6.1]

☆期日/山行形式: 1998.5.30-6.1 旅館利用 単独 2泊3日

☆地図:切明(高田8号-3)、鳥甲山(高田7号-4)、苗場山(高田7号-2)、佐武流山(高田8号-1)

☆まえがき
昨年7月の中旬に苗場山に登って、初めて鳥甲山を真近かに見た。 秘境秋山郷を擁する中津川の険谷の西岸に、空を舞う猛禽の姿に似たスカイラインから幾本ものルンゼが薙ぎ落ちている豪快な姿に強く惹かれた。
 その年の紅葉の時期に登ろうと計画を立てて宿の予約をしたが、天気の巡り合わせが悪くて延期。 宿が混雑する体育の日の後の週末をセカンドチャンスとして設定したが、例年になく早い寒波で木の葉が散ってしまっただけでなく、初雪まで降ったと言う宿の主人の話で中止。 年越しの宿題となってしまった。
 ルート上の雪が消える6月に入ってから登るよう奨められていたが、ゴールデンウイーク中に電話を掛けて様子を聞くと、いつもの年よりは残雪が少ないという。 いくらかは残雪があったほうがかえって面白いから、5月の最後の週末に登って見る事に決めて宿泊を予約する。
 それにしても今年の春は天気が悪い。 ゴールデンウイークにも雨に祟られたが、五月の中旬を過ぎてもほとんど五月晴れの日がなく、グズついた空模様の日が続いている。 ペルー沖の海面温度の高まりが、はるか日本列島にまでこれほどの大きな気候変動を及ぼしているというのは驚きだ。 最近天気図を描かなくなってしまったが、インターネット上に豊富な気象情報が流れる様になったので、それを利用して天気の予測ができるようになった。
幾つかのソースからの情報を検討した結果、月曜日に休暇を取って土曜日から三日間の山行を計画した。 天気が順調なら日曜日に、悪かったら月曜日に登頂しようという計画で、初日に小赤沢(750)の秋山館まで行って宿泊。 二日目に和山対岸の堺地内にある登山口(1040)から取り付き、pt1437、万仏岩(1705)、白嵒ノ頭(1944)を経て鳥甲山(2037.6)に登頂。 頂稜を赤嵒ノ頭(1840)、赤嵒北峰(1675)、pk1460と縦走して屋敷(750)部落へ下山して小赤沢の旅館にもう一泊。 三日目に秋山郷を散歩したあと津南、越後湯沢経由で帰宅するというものである。


                                                     鳥甲山の雄姿

☆記録
5月30日
    今日は秋山小赤沢の旅館まで行って泊まるだけで、日ごろの仕事の疲れを癒す良い機会だ。 ゆっくり起き、のんびり朝食を食べたがまだ時間がある。 最近バージョンアップしたばかりの "駅すぱあと" でチェックしてみると渋谷から大宮に行く代りに、上越新幹線が始発する東京駅を回っても料金の違いは僅かなばかりでなく、時間的にはかえって早くなる事がわかった。
 予定よりかなり早めの10時半過ぎに東京駅に着いた。 上越・長野新幹線への乗車口に行ってみると人だかりがしていて雰囲気が変だ。 場内放送が上野駅で信号機故障があって、列車が遅れていると言っている。 これはまずい事になったかなと思いながら、ともかく、一番早く発車しそうな列車のホームに上がる。
 停まっていた列車は9:45に発車。 定刻8:48の列車で、1時間近くもの遅延だ。 客は溜まっていた筈だが、七分ほどの座席が埋まった程度でゆっくり座れる。 心配した列車の運行には支障なく、幾分かは遅れを取り戻して、ほぼ正午に越後湯沢に着いた。 ゆっくり食事をしても十分に予定のバスに間に合う時間だ。 偶然の産物ではあったが、早めの時間に東京駅に行った事が幸いした。 霧雨が降ったり止んだりしていて道が濡れているが、空は明るい。 大きなホタテの貝柱をふたつ乗せたそばを食べ、宿への手土産に "葛切り" の菓子折を購入する。
 津南経由、森宮野原行きの急行バス(13:05発)には地元の人らしい二三人の他、大きなザックを担いだ8人ほどの学生パーティが乗り合わせた。 魚沼丘陵をトンネルで抜けて山を下ると清津峡の下手に出る。 清津川谷を下って信濃川筋に出てからひと走りで津南の大割野にある乗り継ぎ点に着く(13:55)。
 5分の待ち合わせで秋山行きバスに乗り継ぐ。 天気は相変わらずパッとしない。 高い所ではバスは霧の中を走る。 15:00近くに小赤沢に到着。 学生パーティもここで降りた。 多分苗場山に登るのだろう。 十ヶ月振りで泊まる秋山館は、郵便局や幼稚園などが納まっている "とねんぼ" の隣だ。 玄関から声をかけると眼鏡の陽気なお神さんが顔を出した。 この夜は大型バイクに乗って来た17、8人ほどのグループと同宿。
 テレビは晴天を予報していたが、暗くなってからも雨が断続している。 翌日の空模様を気にかけながら寝床に入る。 バイクグループは思ったより礼儀正しかったが、若くて元気の良い者もいて、夜遅くまで何度か廊下を歩き回る足音で目を覚まされた。 それでも、夜半前には静かになって、朝まで熟睡する。

5月31日
    早寝したお陰で4時過ぎに目が覚める。 テレビの予報が的中し、すがすがしい快晴になった。 カメラを持って外に出て久し振りに再会した鳥甲山の写真を写す。 とねんぼの前に小型トラックが集まってきた。 車から降りて来た男たちは皆、オレンジ色のベストを着て猟銃を持っている。 どうやら"害獣駆除"に出かけるらしい。 宿に戻ってパッキングを仕上げると朝食の時間になった。 テーブルの上には沢山のご馳走が並べられていたが半分ほど食べただけで満腹になる。 短い食休みをし、トイレを使って出発(6:30)。
 木訥な感じの宿の主人が車を運転して送ってくれた。 屋敷部落の上の林道に面した下山口を見せてくれた上で堺の登山口へ連れ行ってくれる。 道が良くなって外の者が入り易くなったため、山の山菜が荒らされて困ると言う。 中には地元の人が作っている物もあるのだが、それすら根こそぎ持っていってしまうのだとこぼす。 やがて河岸段丘の上の平坦地にある駐車場に着く。 小型車なら20台くらいは置けそうな広場で、案内看板と登山届けを投函するための大きなポストが立っている(7:50/55)。
 左手から右上に向かって急角度に迫上がっている尾根が登路だ。 いくつもの岩峰が突き出して迫力がある。 駐車場の端からやや湿っぽい窪を登って行くと、すぐに栃や山毛欅の大木の下の急登になる。 道の上に今朝登って行ったらしい靴跡が付いている。 ひと登りした所で水場のサインを見る(7:10)。 少し左手に行った所に水場があるようだが宿でアルミボトル一杯に水を汲んで来たのでそのまま歩き過ぎる。 足腰の筋肉が痛んで来た。 サブザックの軽荷なのにこうなるのは、ここしばらくの間、大した山に登っていないせいだ。
 さらにひと登りすると尾根の上に出て、岩菅山から白砂山方面への展望が開ける。 南側の山裾を舗装道路が縫っている。 奥滋賀へ通じているスーパー林道だろう。 後から考えると、ここが万仏岩だったようだが、時間も早かったし、腰を下ろすに適した所もないままにさらに登り続ける。 7:25にザックを道端に降ろす。 極く薄い高層雲が出て来たが上々の好天だ。 あたりは新緑が満ち溢れ、カラッとしたさわやかな風が吹いている。 大気が澄み切ってまるで秋のようだ(7:25/30)。
 道端のそちこちに、イワカガミ、ツガザクラ、ナズナ?などが沢山咲いている。 このように花が多いのは、僻遠の地の峻岳のため限られた人しか入らないためだろう。 鎖場を登る。 節理の細かいカンテ状の岩場に折り畳み式の金属梯子が掛けてある。(9:10)。 小岩峰が階段状に積み重なっているような尾根のため下の方は見えないが、両側が急峻に切れ落ちていて高度感がある。 さっき通った駐車場に数台の車が来て停まっているのが見える。 何組かのパーティが取りついている様だ。 上の方でかすかに人声がしたように思えたが、姿は見えない。 小さな平坦地があったのでザックを下ろす。 腕時計に仕組まれた高度計を見ると標高1800m近くまで来ている(9:30/35)。



鎖場、岩場の混じった潅木の間の急な所を辛抱しながら登りつづけて行くとようやく傾斜が緩み、ルートが左に曲がる。 このあたりは今まで登ってきた尾根と違って地形がゆったりしている。 クマザサの間に所々5mを越す樹木が生えている。 ルートの両側に栂と岳樺を見ながら進んでゆくと白嵒ノ頭に着く(9:55)。
樹木を透かして鳥甲山の頂上が見える(左)。
テルモスの紅茶を飲みながらチーズを食べて休憩していると下の方からかすかな人声が流れてきた。 10:10に歩きだす。
 樹木の間を下って行くと頂上へのルートが見えてくる。 最低鞍部の先は火成岩の岩場で複雑な地形になっている。 コルからひと登りした所から急峻な岩尾根が始まった。 秋山側がスッパリ切れ落ちているだけでなく、裏側もなかなか険しく、幅1mにも満たないリッジが続く。 下のカミソリ、上のカミソリと呼ばれる鎖場は鎖が足元の方に行ってしまうので、なかなか恐ろしい。 悪場を通過するとようやく本峰への登りになる。 笹と潅木の間のザレ気味の急登だ。 時々立ち止まって呼吸を整えながらひたすら登りつづける。



頂上の方から下って来たパーティの話し声が聞こえた。 僅か登った所に三叉路があった。 頂上への登路と屋敷へのルートが別れている。 わずかな差で話し声のパーティと行き違ったようだ。 左に曲がり、やや緩くなった登りを進んで行くと漸く頂上に着いた(11:30)。
白嵒の頂上と同様ユッタリした地形の場所で、やや小振りながら岳樺と栂が立ち並んでいて展望は良くない(左)。
後ろ側の樹木の間を透して残雪の山が見える。 方向と距離から妙高山と思われる。 北アルプスも近い筈なのだが、残念ながら志賀の岩菅山に邪魔されて見えない。 お昼の時間だが、足腰に血液を奪われ続けた胃袋が食べ物を欲しがらない。 せっかく宿で作ってもらった握り飯には手をつけず、ブリックパックのレモンジュースで水分を供給しながら、少量の鱈チーズを食べてわずかな栄養を補給する。 久し振りに働かされた足腰の筋肉がブツクサ言いはしたが、思ったより順調にここまで登って来られた。 誰もやってこないままに、上天気の頂上を独り占めする。 暫くの間のんびりして休み足りると、幾分退屈になって来たので、ふたたびザックを背負う(12:00)。
 分岐点に戻って、屋敷へのルートに入り、急な草附きの斜面を下る。 これから歩く頂稜のルートと、中津川谷の出口へ向けての展望が開けている。 赤嵒の手前のコルのあたりを2、3人が歩いている。 尾根を登っている時、何度か人声が聞こえていたが、その人達に違いない。 どうして頂上に来なかったのだろうか? 赤嵒との鞍部に近付くと再び笹原になり、所々に樹木が立っている。 頂上のこちら側は、所々に痩せ尾根が現われはするものの、至極穏やかな地形で頂上の向こう側とは対照的だ。 右下の谷間に和山集落とその奥手にある温泉休暇村を見下ろし、その向こうには白砂山から佐武流山を経て、苗場山と小松原湿原に至る山並みが連なっている(下)。



 12:30に "赤嵒" と記した表示板が出ているピークを通過した。 ふたたび先の方を歩いている人影を見る。 サブピークを二つ越した先のコル(13:00)は、栂と岳樺が散在する奇麗な場所だったが、背丈が1mを越すほどの笹が道の両側にビッシリ生えていて腰を下ろせる場所がない。 残念だとは思いながらも、そのまま通過する。
 赤嵒北峰を乗り越し、崩壊した崖の縁を歩き過ぎると潅木林の中に入る。 所々に濡れて滑りやすい急坂が現われるがなかなか標高が下がらない。 足腰に疲れが出てきた。 時々立ち止まって小休止しながら歩き続ける。 傾斜がゆるんで来たかなと思いながら歩いていると突然 "赤嵒肩" と記した太い標柱が現われ、屋敷への下降路の入り口に着いたことを知る。
 頂上を出発して以来大した休みをしていないし、ここから下の林道まで、非常な急降下が続くと聞いたので、道端に腰をおろす。 テルモスの紅茶を飲み干し、ブリックパックのレモンジュースでチーズを食べる(13:45/14:00)。
 始めは大したことはなかったが途中から極端な急降下が始まった。 木の根や岩が少なくて足場が悪い上に土が濡れているので、余計踏ん張らないとスリップしそうになる。 腰を下ろして休めるような所もない。 膝から腿にかけての筋肉が頚痙してきた。 いつも悩まされている左膝は、頂稜を歩いている時に何度か引っ掛かっていたが、周囲のトラブルと入れ違うように引っ込み、殆ど気にならなくなってしまった。 無理に歩き続けていると頚痙による痛みが酷くなってきた。 道端の倒木に腰を下ろして休憩する。 この頚痙の最初の兆候は、頂上から下りだした時に感じた軽い痛みだった。 頻繁に小休止をしないと筋肉に老廃物が溜まり過ぎるのかもしれない。 濃密な濶葉樹林の中で見通しが利かず、どの位下ったのか分からない(15:00/10)。
 休んだ後も、筋肉が温まって来るまでは要注意だ。 辛抱しながら下り続けてゆくと漸く樹木の間から下の畑が見えてきた。 幾つかの砂防堰堤を見ながら急な窪地を下っていると突然林道の上に飛び出す。
 15:20に林道を横断。 杉林の中をひと下りで屋敷部落の上部に出た。 Uターンをしている車道を歩いて行くと見覚えのある民族資料館の前に出たので建物の間を抜けて一段下のバス停に行く(15:30)。
 16時になると宿の主人が迎えに来て呉れるが、それより早く降りた時は部落の中の適当なお店から電話で知らせることになっていた。 あてにしていたバス停前の食料品屋は鎧戸を下ろし "長らくお世話になりました" と記した紙が張ってある。 困った事になったが、小赤沢へは一本道だからそこを歩いていれば行き違う事はなかろう。 坂を下り,左手に校舎を見ながら橋を渡って上の車道へ登り返してゆく。 坂を半分ほど登った所で宿の車と出会った(16:00)。
5分ほどで宿に戻り、一休みしてから近くの村営浴場に送って貰う。 楽養館と称する公衆浴場で、沸かし湯らしいが鉄分で赤く濁った温泉が吹き出していて、如何にも効き目がありそうだ。 やや温かめの浴槽に長時間漬かって頚痙したがる筋肉への血行を促す。
 汗を洗い流して風呂から上がり、さっぱりした衣服に着替える。 母屋の売店で、栗とお多福豆の甘納豆を土産に買い、夕日に輝く周りの景色を眺めながらブラブラ歩いて宿に戻る(17:30)。
 夕食は大ご馳走で、炊き込みご飯と蕎麦に焼き魚・天ぷら・煮物に何種類もの山菜料理が並ぶ。 お神さんは用事で出かけたようで、ご主人が給仕を勤めてくれた。 いささか頼りなさそうだった客が骨の折れる山にアッサリ登って来たうえ、ちょっと見には大して疲れた様子もなく平然としているので、コレハコレハと思ったらしく、あらためて四方山の話がはずむ。
 地元の漁師は冬に鳥甲山に登ると言う。 カミソリのナイフリッジを通りぬける事もあるのだが、鉄砲を持っているから勇気が出るが、そうでなければとても恐くて通れないと言っているそうだ。 漁師にとっての鉄砲は、山屋にとってのピッケルやクライミングロープの様なものかもしれない。 ご主人は苗場や鳥甲には登った事はあるが、佐分流山や小松原湿原には登っていないと言う。 秋山から佐分流山に通じるルートがあるようで、佐分流山の頂上の石を登って来た者に見せてもらった事があり、一度連れてってもらいたいと思っていると言う。
 小松原の方は最近地元の中里村が宣伝に力を入れているとかで、お神さんも行きたがっているらしい。 大赤沢の下手の見倉からが標準的な登路なのだが、地元でもなかなか厳しいルートだと言われている様だ。 苗場山の小屋に泊まって翌日に小松原へ行き、見倉へ下って来ると言う方法もあるが、これも行程が長くて荷物を軽くしなければ大変だと言う。 小松原の方は来年の今時分に計画するが、群馬の野反湖から切明に下って来るルートは、今年の紅葉の時期にぜひ歩いて見たいと思っているので日程が決まったら連絡するのでよろしくと言う。
 食事の方は、六分方食べるのが精々で、とても食べ切れない。 食べ過ぎて下痢になったら元も子もないので、胃袋が半分しかないのでと言い訳をして途中で止める。 明日は家に帰るだけなのでのんびりテレビを見て九時過ぎに就寝。 外に泊まり客もなく静かだったため、朝まで熟睡した。

6月1日
    5時半に目が覚めた。 昨日よりさらに良い天気になっている。 645判と35mm 判と2台のカメラを持って外に出る。 朝日を浴びて鳥甲山の赤い崖と新緑とが鮮やかだ。 10:58のバスに乗って帰る積もりになっていたが、こんなに良い天気の日に何もしないで帰ってしまうのは勿体ない。 9:36のバスで谷奥の切明へ行って見る事にした。 朝食の後急いで荷物を纏め、近くのバス停に行く。 まだ時間があるので以前ソバを食べたドライブインの庭をブラブラしていたら突然バスが来た。 びっくりして走り戻って乗り込んだが、ドライバーの方も思いがけない客に驚いている。 他の乗客がないままにドライバーと話をしながら谷の上流に向かう。 このバスは主に通学用に利用されていて、豪雪が猛威を振るう冬の間もほとんど休むことはないそうだ。 春から秋に掛けては登山者をはじめ大勢の客がこの谷を訪れるが、冬の間は、豪雪体験旅行のパックツアーが一、二回来る以外、余所から訪れる者は全くない。
 10:10に切明に着く。 ここは野反湖の方から流れて来る魚野川と奥志賀から流れてくる雑魚川との出合いで、発電所と村営の温泉保養所などがある。 月曜日だから誰も居ないだろうと思っていたが駐車場には数台の車が停まっていた。 とりあえず出合のあたりの谷の様子を見て歩く。 発電所の上の圧力水管の上部から志賀の岩菅山へ通じているルートがあって、入り口の吊り橋の袂にはその導標が立っている。 発電所の下手を通り抜け、もうひとつの吊り橋で雑魚川を渡ると舗装された車道に出る。 これは鳥甲山の南裾を巻いて谷を遡り、奥志賀へ通じているスーパー林道だ。 積雪期には通行止めとなるが、一部を除いてほとんどが舗装されているという。 合流点の下手に掛けられた立派な橋を渡って村営保養所の前に戻る(10:30)。
 次のバスが出る和山温泉まで歩いて見ることにして遊歩道の入り口に行く。 この少し先からは野反湖へのルートが分岐している。 遊歩道は、以前はよく歩かれていたようでしっかりした道形が残っているが、今は通る人も減って草が生えている。 闊葉樹の密林の中で、新緑の香りが充満している。 途中で中津川へ薙ぎ落ちるガレ場を通過する。 対岸に鳥甲山が高い。
 昨日のアルバイトの疲れが溜まっている筋肉をほぐす様、ゆっくりしたペースで歩き続ける。 いくらか出てきた汗にさわやかな風が当たって気持ちがよい。 そろそろ車道に戻るのではないかと思われる所でザックを降ろす。 ブリックジュースとチーズが美味しい(11:15/20)。
 歩き出すとすぐに畑だったと思われる草地の縁を通る。 さらに僅かで、佐久間屋敷と言う看板が出ている平坦地があり、その縁を車道が通っている。 ひと歩きすると前方左下に和山らしい集落の屋根が見えてくる。 向こうから走って来た車が脇まで来て停まり、「どっちから来たんですか?」と助手席の男に聞かれる。 「切明からです」と答えると安心した様子で走り去っていった。 11:50に和山温泉のバス停に着く。 蕎麦でも食べられる所がないかと部落の中をひと回りしたがどうやら無理な相談のようだ。 自販機が見つかったので缶ジュースを買ってバス停に戻り、バスの旋回場の奥側に建っている集会所の玄関のたたきに腰を下ろしてクラッカーとチーズを食べる。 頭の上には抜けるような青空が広がっている。 月曜日なのにこんな所でぼんやりしていて済みませんと言うほどのすばらしい日だ。
 12時半過ぎにバスがやって来た。 前の方の席にザックを置かせてもらってまた外に戻る。 暫くすると車がやってきた。 大きなザックと大型の三脚を持った男が降りてきてバスに乗り移った。 定刻(12:51)に発車。 長い長い谷間を走り下って津南に戻る(14:15)。 湯沢行きは14:58で大分時間がある。 遅くなったがお昼を食べられる所を探して歩いたが、見つからない。 道の向かい側に弁当屋があったので握り飯を作って貰い、バス停に戻る。 脇の物陰に置いたザックに腰を下ろしてかぶりついた大きめのお握りがとても美味しい。 ダンピング症のおそれも物かは、二個平らげてしまった。
 バスは定刻より幾分遅れてやってきた。 空いていたので前の方の眺めの良い席に座る。 再び清津峡入り口を通って越後湯沢に戻る(15:55)。 次の上越新幹線は16:26に始発する。 駅のカフェテリヤでアイスクリームを食べる。 六十を過ぎたオジサンとしては、いささか気恥ずかしい食べ物だが、少しずつ舐める様に食べるととても美味しい。
 上越新幹線の始発列車は、月曜日まで遊んだ登山者やハイカーと月曜日から出張した仕事客とを乗せて定刻に発車。 17:55に上野に到着。 いつもの通り三越前経由で夕食時に帰宅した。


☆あとがき
    カミソリの難場は最近巻き道が整備され、怖い思いをせずに通過できるようになったと聞いた。
佐武流山も残雪期にしか登れないとされていたのだが地元とボランティアの協力によって登山道が開かれた。 老いぼれる前に是非登りに行きたいと思っている。  (2003.2.24)



                                              BACK 山行一覧表に戻る