八総佐倉山、平滑沢-七ヶ岳縦走、龍王峡(1999.6.4-6)


☆期日/山行形式
: 1999.6.4-6 / 旅館利用 単独 2泊3日

☆地図:糸沢(日光6号-1)、荒海山(日光6号-2)、松戸原(日光6号-3)、湯ノ花(日光6号-4)

☆まえがき
昨年の秋、湯の谷温泉から田代山、帝釈山に登った翌日、七ヶ岳に登ろうと取り付きの高杖スキー場まで行ったが、折あしく寒冷前線の通過に遭遇し、荒れ模様の天気になってしまった。 しかたなく八総に下ったが集落の手前から家並の先に見える佐倉山の峻険な姿に目を惹かれた。 尾瀬から来たバスに乗って帰途についたのだが時間が早かったので観光を兼ねて会津田島まで行って見た。 天気の回復は予想外に早く、阿賀川谷の向かい側に幾つものピークを連ねた七ヶ岳の頂稜が望まれた。 こちらに面した斜面は雪崩に削られた急崖になっていて、谷川岳や鳥甲山と似た雰囲気がある。あらためてあの稜線をトレースしたいという気持ちが強まった。
 この山への登路は幾つかあるが、一番面白そうなのは東面の程久保沢右俣の滑沢を詰めるものだ。 このルートはブロック雪崩が出るので残雪が消える時期まで待つ必要がある。 仕事のスケジュールとの兼ね合いも考え、6月初旬の週末をあてる事にした。 せっかく会津まで行くのだし、また雨に降られる事もあるだろうからと考え、予備日も含めて二泊三日の計画とした。 天気次第で出たとこ勝負もできるスケジュールだ。 優先順位は第一に七ヶ岳、次に八総佐倉山、さらに好天が続いて体調が良かったら野岩国境稜線上の荒海山にも登って帰ろうと言う考えだ。
 山行予定日が近付き、例によってインターネットの気象情報に注目していると、どうも初日の6月4日の天気が芳しくないらしい。 取り敢えず主要目標の七ヶ岳を二日目に繰り下げ、現地に着いた時にソコソコ歩ける空模様だったら、短時間で決まりがつく佐倉山に行くことにした。
行動のあらましは、一日目は、会津高原からバスで井桁バス停(760)まで行って八総佐倉山(1073.2)に登頂。 八総に下ってバスで会津高原に戻り、滝の原温泉(720)に戻って宿泊。
ニ日目、野岩鉄道会津高原駅からタクシーで羽塩登山口(885)まで行き、平滑沢取付点(1000)から尾根道出合(1580)を経て七ヶ岳(1635.8)に登頂。稜線ルートを辿って下岳(1509.8)からpk1326まで縦走した後、広域林道七ヶ岳線(1085)、林道長沢線(925)を経て会津荒海駅(615)に下山。 会津高原に戻って滝の原温泉に宿泊。
三日目は調子が良かったら、荒海山(1580)に登頂するが、天気が芳しくなかったり疲れが出たりしたら、いつも素通りしている龍王峡でも見物して帰ろうかという計画にした。

☆詳細記録
6月4日
5:47に宮崎台を出るため、五時前に起き出す。 前の日に関東以南が梅雨入りした。 あまりパッとした天気ではないが降ってはいない。 表参道経由で浅草に行く。 7:00発の快速電車は、前半分が会津田島行きで後ろの方が日光行きになっている。 金曜日と言う事もあって半分くらいの席が空いた状態で発車になる。 春日部から栃木の間は、仕事に出掛ける客が乗って来てほぼ満席になったが、その先はまた空いて来た。 乗客の大部分は鬼怒川温泉駅の前後で降りて行き、会津高原まで行ったのはほんの一部だった(10:19)。
 思っていた程天気は悪くなく、薄日が射す明るい高曇りだ。 これならばすぐに降り出す心配はないので、佐倉山に登る事にする。 サブザックに必要最小限の装備を入れ、残りを中形ザックごとコインロッカーに預ける。 バスターミナルの棚に置いてある南会津一帯の観光案内ガイドを取ってバスの運行時刻をチェックする。 昨年まで10:40に出ていた沼山峠行きが、4月初めからの時刻変更で10:45に繰り下がっている。 5月に行った高ドッキョウの興津川谷もそうだったが、今年はバス時刻の変更が多い。



洗面所でふたつのポリタンに水を汲み、飲み水とレモンジュースとを用意する。 会津田島からのバスは元から乗って来た客と今度の電車で来た客とを合わせて、七分ほどの席が埋まって発車した。 袋口の部落を過ぎたあたりでは、左手の谷奥に荒海山が望まれた。 門倉山の裾をからんで新中山峠のトンネルを抜けると館岩川谷に入る。 お馴染みの沿道風景だ。 胃を切った次ぎの年以外、毎年一二度は通っている。 11:05に井桁バス停に着く。
水っぽい山ではなさそうだし行動時間も短い事だからと、ショートスパッツも着けずに歩きだす。 もと来た方向に戻って行くと、右側の林の縁に八総佐倉山への取り付きを示す道標とルートマップを描いた看板が立っている(11:15)。
闊葉樹林の中に入るとすぐにジグザグの登りが始まる。 人の気配はなく、ひと登りすると車の音も遠のいて深山の雰囲気になる。 尾根の上に乗った所が塀風岩だ(11:30)。 岩の左側を巻き登る。 ふたたび尾根の上に乗って登り続けて行くとひょっこりアンテナのピークに出た(11:50)。
 テレビの共聴アンテナで、冬の豪雪に耐えられるよう頑丈な鋼製プラットホームの上に乗っている。 プラットホームの上からは、館岩川沿いの集落が見下ろせ、その先には七ヶ岳、荒海山にかけての山山が並んでいる。 行く先には佐倉山本峰が見えるが頂上までは案外距離がありそうだ。 五分ほど休んで出発。
 ピークのすぐ裏側のコルに降りると右手の谷から道が上がって来ている。 岩混じりの急峻な尾根の登りが始まる。 所々にフィックスドロープがある。 濃密な樹林の中なので高度感はないが、スリップすれば只では済まないだろう。 尾根の上を辿っている間は足場、手掛りに困る様な事はないが、ロープ伝いに右手にトラバースした後で左に折り返す所では、手掛りが悪くて緊張する。 ふたたび尾根の上に戻ってさらにひと登りすると八総佐倉山の頂上だ(12:20)。



直径5m ほどの平坦な切り開きだが、急峻な岩山に相応しく広大な展望が開けている。 南の方だけは樹木に妨げられているがその他の三方には南会津の山々が重なりあう様にして並んでいるのが見えている。 七ヶ岳はこちらから見ると至極穏やかな姿で、高杖原の奥の丸みを帯びた高まりに過ぎない。 所々に黒い雲が出て来ているのに気が付いた。 ひと雨来そうな気配だ。 降りださないうちに降りてしまおうと、急いで林檎とチーズを食べる(12:30)。
 もと来た道をアンテナのピーク手前のコルまで戻り、左手の谷道に入る(12:50)。 踏跡はしっかりしていて薮も被っていないが、濃密な樹林に覆われ人里近くの小さな山に似合わぬ雰囲気がある。 気分良く進んで行くと、やがて水流が現われ、簡易水道のホースを見る。 さらにひと下りすると出し抜けに舗装された車道に飛び出した。 車道の反対側は田圃で、その向こうに学校がある。 校庭では体育の授業をしている様で、子供達が動き回っているのが見える。 思ったより短時間で登って来られたので13:17のバスに間に合いそうだ。 地形図で国道への近道をチェックする。 どうやら山裾の農道を行くのが良さそうだ。 井桁の集落の中を通り抜けて行くと天狗岩神社への入口の脇で国道に出る。 すぐ目の前の道端に井桁のバス停ポストが立っていた(13:10)。
 天狗岩を見に行きたいと思って山裾の鳥居まで行って見たがもう少し先の山の中まで行かなければならない様だ。 バスに間に合わなくなるので我慢して国道に戻る。 間もなく尾瀬の方からのバスが走って来た(13:17)。 金曜日だと言うのに半分以上の席が埋まっている。 乗客は以前の様に中年女性ばかりでなく、中高年の男性も多く混じっている。 これもリストラ旋風のせいだろうか? 13:40に会津高原に戻る。 まだ宿に行くには時間が早過ぎる。 取り敢えず蕎麦でも食べようとターミナルの周りを見回す。 駅舎が乗っている台地の下に小屋があって "蕎麦、うどん" と記した旗が立っている。 入って見るとふっくらした色白の四十女が老女と話し込んでいる。  "特製" と記されたケンチンの蕎麦を注文する。 話し相手が調理場に入って手持ち無沙汰になった老女が話しかけて来た。 この辺にも不景気の影響が及んでいて、都会に出稼ぎに行っていた大工などの職人が次々に舞い戻って来て仕事を漁っているとか、一時景気が良かったスキー場もあちこちに乱立したために客が分散し、めっきり数が減ってしまったなどの話を聞かされた。
 山菜と豆腐のケンチンの入った蕎麦は、なかなか美味しかった。 自分で山から取ってきた材料で作っているせいか、500円と言う安さだ。 お茶を飲みながらユックリ食休みをして外に出たが宿に入るにはまだ時間が早い。 時間潰しにバスターミナルに立ち寄り、コーヒを注文する。 出されたコーヒーは濃くはあったが美味しくない。 美味しい山の水とかわりばんこにチビチビと飲む。 隣のテーブルでは、客がなくて暇なターミナル従業員やタクシードライバーなどが雑談をしている。



明日の七ヶ岳へのアプローチに必要なタクシーを予約しようかと思ったがこんなに暇なのだから問題ないだろうと思って止めにした。 コーヒーが終わると三時半を過ぎた。 ロッカーからザックを取り出して担ぎ、サブザックは手にぶら下げて宿に行く。 三滝温泉と言うこじんまりした旅館で、中山峠の下から発する鎌越沢が荒海川に注ぐ二俣の滝に面した川岸にある。 温泉は無色透明で胃腸病にも利くとされている。 身体の内外の老廃物を洗い流し、様々な山の幸を美味しく料理した夕食を食べて大いに満足する。 この夜は他に客もなくて静かな宿りとなり、早い時間に就寝した。


6月5日
五時過ぎに目を覚ます。 前夕のテレビは、曇り後晴れ、または晴れ時々曇りと言う天気を予報していた。 雲はあるが所々に青空が覗いて爽やかな朝だ。 七時に朝食を食べた後、ゆっくり食休みをしてトイレを済ます。 サブザックを背負って駅の方に行ったが、ターミナルはまだ鎧戸を下ろしたままで静まり返っていて、タクシーもいない(7:45)。 公衆電話からあらかじめ調べてあった番号に電話を掛けてみたら、20Km も離れた会津田島の町から行くので時間が掛かるし、料金も加算してくれなければ困るという。 電話の相手の態度がどうも気に食わないのでひとまず断って電話を切る。 棟続きの会津高原駅に行き、駅員に最寄りのタクシーを尋ねてみたが、やはり田島か舘岩から呼ぶしかないと言う。 電車で最寄りの七ヶ岳登山口駅まで行ってそこから歩くことも考えたが、次ぎの下りは会津高原停りで8時半過ぎまで待たなければならない。 宿の者に相談して見ようと戻って行くと入口に初老の主人がいた。 早速相談を掛けて見る。 口数の少ない主人は、ちょっと考えたあとで私が車で送りますよ、と言ってくれた。 主人が朝食を済ませるまで待って8時過ぎに出発。
 軽四駆に乗せて貰って旧道の中山峠に通じている舗装道路を登って行く。 闊葉樹に覆われた高原状の地形を縫うようにして通っている道だ。 新道が出来て車があまり通らなくなっているから、排気ガスで木の葉が傷むような事がなさそうだ。 秋にはきっと美しい紅葉が見られるだろう。 主人の話では例年六月の第一日曜日に七ヶ岳の山開きが行われることになっていのだそうだ。 今日はその前日にあたる。 もう少し進めば峠の乗越と思われる所に林道の分岐がある。 この分岐点から始まるスーパー林道は、五、六年前に開通したばかりで、手持ちの二万五千分一地形図には記されていない。 七ヶ岳の登山口を経て山裾を横切り、山の北側の針生の方まで続いていると言う。 8:35に登山口に着いた。



吉三郎小屋の上手にあたり、羽塩から沢沿いを登って来た登山道と林道とが橋の袂で交差している。 何パーティかが入山している様で、数台の車が入口の空き地に停めてある。 ナンバープレートを見ると福島のもあるが、栃木、埼玉から来たのもいる。 主人に礼を言って別れ、林の中に踏み込む。 地形の緩やかな谷で、四駆車なら何とか入って来られるかなと思われる位幅の広い道がブナ林の中に通っている。
 暫く進んだ所で白樺林に入った。 八ヶ岳東裾の八千穂高原のに比べれば規模は小さいが、すんなりした高木が立ち並び、伸びやかな雰囲気が素晴らしい。 次第に身体が温まって来た。 今日は割合に調子が良い様だ。 昨日の軽い山登りが良かったのかも知れない。 9:00頃程久保沢に入る。
 始めのうちは細いゴーロ状の平凡な沢だがひと登りすると岩盤が現われて来て滑滝が連続するようになる。 凝灰岩と思われる灰色のスラブでフリクションが良く利く。 明瞭な踏跡が付いているだけでなく、急傾斜の場所にはロープが取りつけてある。 沢登りと言うよりは流れに沿った一般ルートと言った方が良い。 沢の中程で中年男と出逢った。 今朝早く登頂して降りて来たらしい。 気温が上がって来たのと沢の中で湿度が高いのとで汗が流れる様になって来た。 少々疲れて来たなぁと思う頃、水がなくなり、谷の詰めのゴーロの登りになった。 高校生くらいかと思われる若い娘さんとその父親とが降りて来た。 間もなく上方の樹木の間に頂上らしい草付きの高まりが見える様になって来た。 なんとなく周りが開けて来た所で狭い平坦地が見つかったのでザックを下ろす(9:40/45)。 休憩を終わって歩きだして見るとすぐ上が尾根道との合流点だった。 





次第に周りの樹木が低くなり、所々にシャクナゲの花を見る様になる。 大きな岩塊が積み重なった所を急登するようになって来ると、そこここにイワカガミの花を見る様になる。 九人ほどの熟年パーティが降りて来た。 そのすぐ後には熟年夫婦が随いている。 笹が増え、背の低い潅木がまばらに散在するようになって来ると、周囲の展望が開け、間もなく頂上直下の賽の河原に着く。 日光から那須に掛けての連山が雲を纏っている。 久し振りの山岳展望をカメラに収めようとシャッターを押していると下から中年男が登って来た。 岩塊が散在する草付きの間の裸地をひと登りすると頂上だ(10:25)。
小広い頂上広場は這松に囲まれている。 思っていたより早く登頂できた。 宿の車で送って貰ったのと体調が良かったためだろう。 熟年夫婦が休んでいた。 まだ着いたばかりの様子だ。 沢の中や、尾根の下部で微かな鈴の音を何度か聞いたような気がしたが、この奥さんのザックに付けてあった物だったようだ。 何処から来たのかと言うご亭主の問いに神奈川からだと答えると、物好きだなぁ、と言うような顔をした。 昨日来て八総の佐倉山に登ったと言うと、「あらッ私達も先週登ったのよ」と奥さんの方が得意そうな声で言う。




頂上広場の中からは眺めがないので賽ノ河原側の出口に休み場を探す。 林檎とチーズを食べていると、高杖の方から初老の男が登って来た。 空身でペットボトルを手に持っている。 最近あちこちの山で、車でやってきて地形も何も分からずに登って来る手合いに出っくわすようになった。 「下岳はどっちの方ですか」と聞くので、「あっちですよ見えてるでしょう」と、わざとブッキラボウに答える。 食休みを兼ねて山座同定をするため、二十万分一地形図を広げていると中年男が近寄って来た。 南方正面は日光連山でその手前に帝釈山、荒海山などが並んでいる。





右手は至仏山と燧岳とだが、いつになく大量の残雪を纏って山体の大部分が白い。 東の方に目を移すと高原山から日留賀岳を経て男鹿岳に至る連峰で、頂稜のすぐ下を車道が通っている(左)。 更に右手の方に高いのが那須連峰だ。 近いうちにこの辺りの山々にも行って見たいものだ。 北の方には南会津の山々が折り重なっている。 雲が多い事もあっていちいちは分からぬが、手前に見える幾らか傾いた平らな頂上を持った山が駒止高原でないかと思われる。 こちらの方も南会津から奥只見に掛けて面白そうな山がたくさんあって興味を引かれる。 栃木から来たと言う男は会津の山を愛好していて頻繁に来ていると言う。 物静かだが、山歩きにピッタリのがっしりした身体つきだ。 時計を見ると思ったより時間が経っているので、慌ててザックを背負う。 体調が悪かったり時間が足りなくなったら沢伝いに針生へ下山しようと考えていたが、この調子なら余裕を持って下岳方面への縦走ができる(10:55)。




下岳方面へのルートは東壁の縁に付けられているのですこぶる展望が良い。 前後に人影がないのでマイペースで気持ち良く進んで行く。 一旦大きく下って急に登り返した所がpk1558だ(左)。 かなり歩いて疲れたので一服(11:45/55)。
 ここから下ると樹林の中に入る。 赤松、ブナ、楢が多いが、大きな白い花を咲かせている高木があった。 一種艶やかな色気を感じさせる風情がある。 家に帰って調べて見るとモクレンの一種のコブシだった。 両側の笹が次第に深くなって、所どころで道の上に被る様になって来た。 時々軽い薮漕ぎをしなければならなくなる。 笹や潅木が密生するようになって展望も悪くなって来た。 単調な歩きに飽きて来た頃、ようやく三角点標石のある下岳に着く。 三角点の脇の露岩の上に立つと阿賀川谷の展望が得られる。 今日はもうこの後大登りはない。 ホッとして小休止をする(12:25/30)。
 下岳から先は緩やかな上り下りになる。 右下に林道が見え、その向こう側に白いガレ場のある山が見えた。 地形図をあたってみると高倉山と山名が記されている。 背丈が高くなって来た笹と潅木の間を潜り潜り進んで行ったら出し抜けに三叉路に飛び出した(13:05)。
 角の木に道標が掛かっていて、その下で中年男と初老の男が休んでいる。 近くの笹薮の脇にザックを下ろしながら「こっちへ行くと針生でしょうかね?」と尋ねたら、「良く分かんないけど、さっき何人か降りてったよ」と言う返事だ。 喉も乾いたし空腹にもなって来たので残った半分の林檎とチーズを食べながら話をする。 二人組は大宮と春日部から来たのだそうだ。 そう言えば登山口に置いてあった車の中に大宮ナンバーのがあった。 数年前まで大宮に通っていたと言ったら急に打ち解けて話が弾んだ。 大宮駅の操車場跡地の再開発が進んで来ているが、研究所の近くに建設中の新らしい駅が一年もしないうちに開業すると言う。 暫く話をした後、二人組は「じゃぁまたどこかの山で遭いましょう」と言い残して降りて行った。 こちらもザックをまとめ、ひと足遅れて出発する(13:25)。
 ここから林道まで、250m 程の標高差を急降下する。 潅木の混じった笹の間の道は、雨で濡れると滑り易くなって歩き難いだろうが、今日は山が乾いているので全く問題ない。 暫く下ると下の方に平坦な草原が見えて来た。 降り立った所は七ヶ岳の末端と高倉山との間にできた広い高原状のコルで、七ヶ岳の山腹を絡んで来た車道が針生に向けて乗っ越している。 駐車用の広場が設けられ、その入り口には林道完成記念碑が立てられている(13:40)。
 広場では十数台のバイクツーリングのグループが休んでいる。 若い人達の様で女性も混じっているが、皆オフロード仕様のバイクに乗って来ているから、山中の林道を走りに来たのだろう。 体力が残っているうちに仕事から完全にリタイアし、この様なバイクに乗って全国の山々を登り歩いて見たいとも思うが、今からでは遅過ぎるだろうか?




見上げると今降りて来た七ヶ岳が空高く聳え立っている。 林道の反対側に下山ルートを示す道標が見つかった。 辺りの景色をカメラに納め、例の二人組に別れを告げる(13:45)。
二人組はこれから車を置いてある所まで歩いて戻らなければならない。 最近マイカー利用登山が盛んになっている。 建設業と行政との癒着のお陰で、山中至る所に林道が建設された結果、アプローチが非常に楽になるという利点が得られた反面、山の裏側へ下山する訳に行かなくなり、登頂したら往路を戻るだけのつまらない山登りが多くなった。 この二人の様に敢えて縦走をすれば山麓を歩いて戻らなければならなくなるから大変だ。 見知らぬ土地への期待に胸を膨らませて未知の谷や尾根を下って行くのは、山旅の重要な楽しみだと思っているのだが。
 潅木の間に踏み込んで谷に向かって降りて行くと、大きなヤマカカガシが道を横切って日向ぼっこをしていた。 沢に入った所でもヘビに出逢ったが、今時はヘビの繁殖期かも知れない。 このルートは、傾斜の緩やかな長い谷を通っている。 林道の下は幾分急だがその後は傾斜が緩んでノンビリ歩いて行ける。 途中からは水の流れを見る様になるが淀んでいて飲む気にはなれない。 暫く下ると枝沢が合流して水量が増えるとともに、漸く沢らしくなってきた。 流れを渡る所を通りかかったので顔や首筋を洗って喉を潤す(14:00/05)。
 リフレッシュして気分良く歩き出すと間もなく車道に入った。 この道は高倉山の肩から下って来たもので、所々セメントで舗装されている。 杉林の中の車道を進んで高圧線の下を潜ると間もなく幅広の舗装道路に出る(14:10)。 あちこちの山の中で時々見掛けるようになった "高速型林道" で、路肩にガードレールが付いているだけでなく、道の中央に分離線が引かれている。 時折車が走り過ぎて行く。 中山峠の方から田島方面に抜ける近道として利用されているらしい。 谷の出口が近づくと道の左側に学校のような施設が現れた。 広い庭に一面草が生い茂っている所を見ると今は使われていない様だ。 普通の学校とは違うので何だろうかと訝りながら進んで行くと、道端に立っている看板に青少年野外活動センターと記してある。 改修工事が始まるらしく、ここ数年間は使用中止と言う掲示も出ている。
東京都立大学の保養施設への入口を示す看板が立っている角の先に、茶色の瀟洒な建物があった。 田島町立の歴史民俗資料館だ。 もう駅までいくらも掛からない所に来ていると思われるが、予定の上り電車まで一時間半近くもの時間がある(15:00)。 喉を潤すためのジュースの自販機くらいはあるだろうと考えて玄関に入る。 受け付けで入場料(300円)を払って展示室に入ってビックリした。
かつて交通不便な山間地であったゆえに独自の文化経済圏を形成していた南会津の農林業や手工業関係の機具や民具、生活用具など、膨大な収集品が所狭しと並べられている。 近年、あちこちの山村でこの様な展示館を見る様になったが、ここのは質と量の両方で抜きん出ている様に思われる。 長時間歩いて疲れていたのでザァーッと見ただけで済まし、廊下の自販機から買った缶ジュースを持って中庭に出る。 資料を収蔵している大きな建物の前の芝生に腰を下ろしてジュースを飲みながらチーズとクラッカーを食べる。 歩いていれば汗が出るが、休んでいれば爽やかな風が吹いて快適だ。 立派な資料館だが山奥にあるせいか誰も来る気配がない。 空腹も満たせたし身体も十分休まったので、ふたたびザックを背負う。 敷地内に古い民家が移築されていて、地元の老女達が藁細工などをしていると聞いた。 生け垣を隔てた下手の園地には、何棟かの大きな茅葺きの農家がある。 何人かが作業に来ている様で人の気配がある。 住居だけでなく炭焼き小屋や木地師の小屋などもあって、雪深い風土に合わせた造りが興味深い。 特に一番下手にあった木地小屋は、粗末な笹葺の小屋だが、中に入って見ると、木地作業用の鉋台から轆轤まで備えている上に、風呂桶まで置いてある機能的な造りになっていた。 深山の中でも長期に亘ってなかなかの生活水準を維持できるのではないかと想像され、この国の物造りの民の生活の知恵に感心する。
16時近く、ふたたび車道に戻って歩き出す。 杉林の縁に腐乱した獣の死骸があった。 近寄って良く見るとキツネの様だ。 車に撥ねられたか、猟銃で打たれた後ここまで這い出して死んだか、事情は分からないが、あらためて山が深い事を感じる。 西沢口の集落を過ぎて阿賀川を渡り、田圃の中を近道して会津荒海駅に向かう。 振り返ると川越しに七ヶ岳が高い。 16:15に駅に着く。 運動部の練習を終わって下校する地元の中高生が何人か居るだけの無人駅で閑散としている。 16:28の電車で会津高原に戻ってみると、尾瀬帰りの客が大勢いて昨日とは打って変わった賑やかさだ。 ターミナルでコーヒを飲んで宿に戻る。 この夜は他に二組の客が泊まり、いくら物音はしたが眠りを妨げられるような事もなく、良く休むことが出来た。

6月6日
一昨日と昨日、予想より天気が良かったお蔭で佐倉山と七ヶ岳に登れた。 やや疲れも溜まったので、荒海山は紅葉の季節に再訪する事にし、今日は観光をして帰ることに決めた。 朝食を早く食べる必要もないので八時からにして貰ったが、六時過ぎに目が覚めた。 時間潰しを兼ねて滝の原一体の散歩に出かける。 昨日よりさらに良い天気になりそうで、谷の上空に青空が広がっている。 駅前を通り過ぎた先の台地の上は畑になっている。 早朝から人が出て農作業をしているが、どの区画も小さく分割され色々な作物が作られている。 もっぱら自家用の野菜の様で、むしろ "本格的な家庭菜園" と言った方が当っているかも知れない。 小さな部落なのに旅館や民宿が多い。 以前会津駒ヶ岳に来た時に泊まった民宿のほかにも二三軒の旅館がある。
 宿に戻ると間もなく朝食が出て来た。 食後の休みを十分取ってトイレを使い、忘れ物がない事を確かめて部屋を出る。 二泊で一万八千円余りの宿料だったが、主人が車で送って呉れたお礼をふくめ、二万円ちょうど払って玄関を出る。 会津高原駅を8:54に始発する浅草行き快速電車に乗る。 野岩国境の旧山王峠越しをする事も考えたが、栃木側の地形図を持って来なかったので峠の向こう側がどうなっているか予想がつかない。 山王峠は次回の楽しみとし、今日は鬼怒川上流の龍王峡を見て帰る事にした。
 9:23に川治温泉駅で下車。 駅前の車道を暫くの間下流に向かって歩き、トンネルの脇のゲートを通って旧道に入る。 旧道は急峻な渓谷崖に刻まれていて、縁のガードレール越しに深い谷が見下ろせる。 この辺の谷はまだ平凡で、樹木の間に砂利の河原が見えているだけだ。 川治第二発電所の上手で老人グループが向こうから歩いて来るのに出遭った。 七十才台と思える四人パーティだが一人を除いて女性だ。 年を取ると男は急激に老い込むのに対し、女の方はいつまでも元気で居続ける事が多いようだ。 この後も何組かのハイカーに遭う。 きつい山登りを避けてこの様な所を歩くハイカーも結構多いらしい。 下り気味に闊葉樹の中を進んで行くと白岩半島の先端部に着く。 谷が鋭く屈曲している部分にできた突出部だ(10:10)。
 ここからひと歩きすると園地がある。 大分歩き続けているのでベンチのひとつにザックを下ろす(10:25)。 隣のベンチに座っていた初老の男が話しかけて来た。 52才で退職してから8年間、全国の市町村を訪ね歩いているのだと言う。 夏には北の方へ、冬になれば南の方へ出掛けて、その土地の物を見て歩き、飽きることがない。 今日は日光の新緑を見たかったが、日曜日はイロハ坂が混雑するので、代りにここに来たのだそうだ。 こちらは62才を越してまだグズグズと仕事を続けている。 胃癌の手術から立ち直ってある程度の山歩きは出来るようになったのだが、この後何年山に登り続けられるだろうか? この秋で奇麗さっぱり仕事を止め、暫くの間山歩きに専念するのもひとつの選択かも知れない。



ここから先が龍王峡の核心部でハイカーや観光客が増えてくる。 大きな甌穴や兎はねと呼ばれる流路の狭まりなどを見下ろしながら進んで行くとムササビ茶屋がある。 ここには吊り橋があって対岸に渡る事ができる。 橋の途中から谷を見下ろすと鋭く切り込まれた白岩のゴルジュになっていて流石と思わされる景観だ。 右岸の遊歩道を歩いて行くと家族連れなど大勢の観光客に遭う。 虹見橋で左岸に戻り、ひと登りすると龍王峡駅前の広場だ。 休日ドライブの車がたくさん停まっていて賑わっている(11:35)。
 駅舎の入口の上に掲げられた時刻表を見ると浅草行きの快速は出たばかりだ。 次の快速まで一時間近くの待ち時間がある。 広場に面して並んでいる店の一軒に入ってラーメンを頼む。 "山屋"の扱いに慣れている様で、お茶の代わりに冷や水を出し、聞きもしないのに洗面所の場所を教えてくれた。 蕎麦ができるのを待つ間、山支度を解き、洗面所に入って顔や腕の汗を洗い流す。 ラーメンは昔風の作りで、観光地のこの種の店にしては美味しかった。 店を出がけに家への手土産とアイスクリームを買う。 12:24の浅草行き快速電車に乗るためホームに降りて見ると、三十人余りの客が待っていた。 アイスクリームを舐めながら待っていた所へ電車がやって来たが、時間が半端なせいか、ほんの数人が乗っているだけでガラガラに空いていた。 選り取り見取りなので、鬼怒川谷をよく見られる進行方向右側の席に座った。 間もなく着いた鬼怒川温泉駅では大勢が乗り込んで来てほとんど満席になった。 土地柄、同窓会や慰安旅行の客が多いようだ。 今市の辺りから関東平野に出る。 この沿線の風景にもすっかりお馴染みになった。 15:03に浅草駅に着いて早い時間に帰宅した。