浜名湖、湖西連峰と富幕山 (1999.1.16-17)
☆期日/山行形式: 1999.1.16-17 公共宿舎利用 単独
☆地形図(2万5千分1): 気賀(豊橋8号-1)、三河富岡(豊橋7号-4)、三ヶ日(豊橋8号-3)、
新城(豊橋11号-2)、豊橋(豊橋12号-1)、二川(豊橋12号-2)
☆まえがき
安倍川東山稜の山のいくつかに登って静岡の山の頂稜部の植生の豊かさと"南"や"富士"の展望の美しさを知った。
山麓や山上で出会った人々の純朴な穏やかさも印象に残った。
何よりも山の自然がオーバーユースを免れ、"疲れていない" のが良い。
あらためてローカル出版物専門の書店に行って入手した案内書などを読んでみると、浜名湖の周りに景色の良い山連なりがあって近在のハイカーに親しまれているらしい事が分かった。
"低くて遠い山" だが、雪がほとんど降らない温暖な土地だから小正月にノンビリ歩いてみるのも年相応で悪くはなさそうだ。
条件が良かったら1泊2日で湖西から湖北にかけての全稜線をなぞってしまおうという、野心的な(?)
計画を立てて出かけていったのだが何分にも初めての山域で土地勘が働かない心細さで気後れし、三ケ日の奥の部分をそっくり割愛してしまう結果となった。
行動のあらましは、東海道新幹線を利用して浜松経由、新所原(30)へ行って、まず梅田峠(135)に上がり、仏岩(214)から神石山(324.7)に登頂した。 さらに多米峠(265)から大知波峠まで稜線を歩き、廃寺跡(350)を見て大知波へ下山。
天竜浜名湖鉄道の知波田駅から気賀へ回って国民宿舎 奥浜名湖に宿泊。
ニ日目には、タクシーで尉ガ岳駐車場(380)まで行ってまず尉ガ岳(423.9)に登頂。 さらにpk417.3、風腰峠(261)を経て一等三角点のある富幕山(563.2)へ。 東へ延びる尾根を伝わって方広寺(75)に下山して門前(25)から出ている浜松行きバスに乗り、天竜浜名湖鉄道金指駅へ。 掛川から新幹線に乗り継いで家に帰った。
連休で天気も良かったせいか山は思っていたより賑やかで、浜松や豊橋あたりの人達に親しまれている事が良く分かった。
稜線上の所々から望まれる浜名湖への展望や、富幕山から降りる途中で見えた南西方向からの
"南" の珍しい展望や雲間に微かな姿を現していた富士山が印象に残った。
☆詳しい記録
1月16日
<タイムレコード>
宮崎台[6:00]=[6:06 \150]あざみ野[6:17 \260]=[6:33]新横浜[6:51 コダマ#441]=[8:34]浜松[8:45]=[9:09]新所原(9:30)-梅田峠-嵩山(10:15/25)-梅田峠-仏岩(10:45/50)-ラクダ岩(11:05)-神石山手前の送電線鉄塔広場(11:15/40)-神石山(11:50)-雨やどり岩(11:55/12:00)-多米峠(12:30/40)-大知波峠(13:45/55)-廃寺跡-林道横断(14:10)-集落外れの野外テーブル(14:50/15:00)-(15:30)知波田駅[15:36]=[16:07]気賀駅-(16:20)国民宿舎奥浜名湖{\6500}
風は冷たいがよく晴れた日だった。
新所原駅から北に向って歩く。
家並が切れると湖西アルプス南端部が近付いてくる。
温暖な土地らしく樹木がびっしり覆っている。
鞍部の東側の嵩山(スヤマ)に登る。
ちょっとした岩峰になっていて、浜名湖方面への展望が開けていた。
梅田峠に引き返したあと、峠の西にある仏岩から北上する。
神石山の手前でルート脇の岩の上に上がると広大な展望が広がっていた。
浜名湖の大きさが実感できる景色だった。
神石山の北尾根にはイヌツゲの密生林がある。
普段行っている山では見られない暖地性の林で、独特の雰囲気があって珍しかった。
神石山から幾つかの小ピークを越していった所に多米峠があった。
大石の脇に道標が立っている。
さらに5、6回上下を繰り返しながら北上を続けると大知波峠に着く。
もうひとつ北の本坂峠まで行く計画だったのだが本坂から出ている三ヶ日駅行きのバスの本数が少なくて昼間の便には間に合いそうもなくなった。
峠のすぐ下にある廃寺跡にも興味があったので縦走を中断し、史跡を見て知波田駅に下山することにした。
1月17日
<タイムレコード>
気賀国民宿舎[8:30]=(Taxi 10min \1470)=[8:40]尉ガ岳駐車場(8:50)-尉ガ岳(9:10/35)-風越峠(10:25/30)-砂利の林道(11:10/15)-富幕山(11:45/12:30)-展望の良い茅戸の尾根(12:45)-遊園地のカフェテリア(13:20/40)-(14:20)奥山半僧坊バス停[14:30]=[15:00?]金指-天竜浜名湖鉄道金指駅[15:40]=[17:00-]掛川駅[17:23]=[18:49]新横浜=あざみ野=宮崎台
快晴の朝が来た。
冷え込んではいるが風も殆どない。
タクシーで西方4Km あまりの尉ガ岳登山口に行く。
尾根の鼻にある小さな駐車場の脇からひと登りで尉ガ岳頂上に着いた。
南の方への展望が得られ、浜名湖越しに浜松中心街のビル群が見えた。
北西の方向に延びている尾根を進んでひと下りした所が風越峠で、数台の車が停めてあった。
杉の植林の中を緩く上下を繰り返しながら登って富幕山の頂上に着いた。
コンクリート製の東屋のある広い頂上広場は大勢の中高年ハイカーや家族連れのパーティで賑わっていた。
横手にあるアンテナ塔が目障りだが南の方を望むと浜名湖の水面が光っている。
景色を眺めながら飲み食いをしている間にも次々に人が登り着いてますます賑やかになった。
殆どの人達は東からの尾根道を登ってきているようだ。 道の出口に立っている道標には方広寺、奥山に通じていると記されている。
計画では、県境稜線を西へ6Km ほど歩いて宇利峠から三ケ日に下山する事にしていたのだが昨日以来の弱気で大勢に従うことにし、東尾根を下る事にした。
頂上広場から道に降りて少し進むと見晴らしの良い茅戸の尾根の上に出た。
前方に秋葉山とその前衛の山が並んでいるがその先の方の雲間に富士山かと思われるものが見えていた。
すぐ脇に双眼鏡を持っている人がいた。 多分二度とは来られない所だと思ったので勇気を出して厚かましく頼み込み、双眼鏡を貸してもらう。
やはり富士山だった。
正月の軽い散歩だからと、コンパクトカメラしか持ってこなかったので写しとめる事ができなかったのが残念だった(上)。
富士山の左の方は "南深南部" の山々が、さらその左手奥に雪の連山が立ち並んでいた。
双眼鏡を振ってそちらへ向けてみると肉眼で見てそうだろうなと思っていた通りで聖、赤石から荒川あたりの "南" の巨峰達だった。
これも広角固定レンズのコンパクトカメラ(Nikon35Ti) には無理で、まともに写し取ることはできなかったが始めて見る南西方角からの
"南" の山並みが新鮮だった。
ルート変更のお蔭で思わぬ山岳展望に接する事ができて、ここまで来た甲斐があったと満足して尾根を下って行く。 杉の植林帯に入るとまもなく尾根の右下に駐車場があった。
そこを横切って一段降りた所に遊園地があり、道の脇にこぎれいなカフェテリヤがあったので立ち寄ってアイスクリームを食べる。
このあと、車道をブラブラ歩いて、方広寺経由、門前町の中ほどにある奥山バス停へ下山。
浜松行きバスに乗って途中の金指駅入口で下車。 天竜浜名湖鉄道線で天竜二俣経由、掛川へ行き、新幹線で家に帰った。