直線上に配置

金峰山 黒平五丈石ルート
(1997.8.29-31)

☆期日/山行形式: 1997.8.29-31 旅館、山小屋利用2泊3日 単独

☆はじめに
    御嶽昇仙峽奥の黒平から水晶峠を越して御室小屋に入り、ケイオウ谷と三薙谷の間の急峻な支稜を金峰山五丈石に向って直登するルートは、かつては金峰山への登拝路のひとつとして歩かれていたが黒平から御室小屋までのアプローチが長くて大変なため、最近は殆ど人が通らなくなったと聞き、興味を持った。 ルートの偵察を兼ねて五月に金峰山および昇仙峽奥への山行をし、金峰山小屋の管理人に話を聞いたり付近の山や峠を歩き回って様子を眺めてみた。 五丈石から覗き込んでみた限りでは尾根の上部はかなり急だが明瞭な踏跡がある事が確認できたのでとにかく尾根に取り付いて末端付近にある "片手回し" の難所を突破すればあとは何とかなるだろうと思った。 アプローチも含めると長大なルートゆえ、時間切れでビバークとなる可能性もあるのでその用意もした上で、日の長い時期に好天が続く日を狙ってチャレンジしてみることにした。
   胃の手術から4年近く経って大分力が付いてきてはいるのだが体力面の余裕はあまりないから極力体力をセーブするため、前夜昇仙峽滝上の旅館に泊まって翌日早く車で伝丈橋まで入って歩き出す作戦にした。 昼前中に御室小屋までのアプローチを消化できれば休み休み尾根を登っても夕方までには金峰山小屋に入れるのではないかと計算した。


5月の偵察で木賊峠付近から見た金峰山。 手前は八幡山で、頂上右に御室小屋ルート上部が弧を描いている。


☆概況
8月29日: 甲府から御岳昇仙峽滝上の旅館に入って宿泊。
<タイムレコード> 宮崎台[13:29]=長津田=八王子=[16:43]甲府[16:55]=[17:59]昇仙峽滝上

8月30日: 黒平奥の林道ゲートから入山。 御室小屋裏から尾根に取付き、五丈石へ。
<タイムレコード> 昇仙峽滝上(7:00)=[宿の車]=伝丈橋(7:30/35)-取付の道標(9:05/15)-造林記念碑(10:15/25)-唐松峰のコル(10:50/11:00)-水晶峠(11:40)-牧丘分岐-御室小屋(12:00/30)-坊主岩の肩(13:10/15)-這松の中の露岩(13:50/14:00)-金峰山(15:00/10)-(15:30)金峰山小屋{泊}


御岳昇仙峽のすぐ上手にあるダムに注ぎ込んでいる荒川左岸を通っている野猿谷林道を遡り、下と上に分かれた黒平の集落を経て進んで行くと木賊峠から増富方面に通じる池ノ平林道の分岐点のすぐ先に伝丈橋がありそのすぐ先に車止めがある。
送ってくれた宿の主人に礼を言って車から降り、ゲートの脇を摺り抜け、歩き出す。 ルートの入口を捜しながら荒れた砂利道を進んで行ったが途中の小沢の脇にあった踏跡に入って20分ほど時間をロスした。ゲートから歩き出して1時間半ほど経った所で道の左側に白いプラスチック板に "金峰山登山道" と記した道標が見付かった(左)。

ほとんど踏まれていない踏跡を登って行くとすぐに防火帯の切り開きに出た。 傾斜があって踏み固まっていないため足場が悪い。 1709.5m ピークへの踏跡を分けると間もなく防火帯が終わり、左から旧登山道と思われる道が合流するが深い藪に被われ歩ける状態ではない(左)。
一旦唐松林に入り、また防火帯に出た所には一面花が咲いている草原で二頭の鹿が遊んでいたが 突然林の中から人が出てきたのでビックリし、谷側の藪に飛び込んで逃げていった。 僅かな時間だったが真っ白な鹿のお尻が見え隠れしていたがそのあとで "ピーィ、ピーィ" と仲間を呼ぶ声が聞こえてきた。 この先は傾斜が緩み、明瞭な道形が残っていて唐松林と濶葉樹林とが交互に交代する中を良い気分で進む。

さらに進むと右手の樹間に小屋の屋根が見えてきた。
小さな流れを横切った所に林道が山を回って延びてきていて脇に造林記念碑が立っている。 50m 程下手には6×4m 程のプレファブ小屋があった(左)。
入口の戸は外れているが屋根と壁はしっかりしていて中に木製ベンチが2脚置いてあった。
御室小屋より建物の状態は良い。

ルートは林道の向かい側の林床の笹の中に続いている。 何年も藪払いが行われていないようで道の跡では笹の背が低いのが切れ切れに繋がっている。 昔の道形から外れると地面が踏み固まっていず軟らかいのもルート判断の拠りどころになる。 緩く登って行った所に唐松峰とのコルがあった。 八幡尾根から唐松峰への微かな踏跡と交差して十字路になっている。 コルの先は地形がやや険しくなり、山腹を下ってミコノ沢に入る。 沢の中を流れている水は美味しいがルートはかなり分かり難い。 僅かに残されている赤テープやかすれたペンキマークを拾って進んで行くと2段の滑滝に当る。 倒木とザレ場で錯綜しているが滝の右側を攀じ登って倒木を乗り越した所に踏跡が見付かった。 シラビの大木の間を緩やかに登って行ったあと下りに転じるとすぐに "水晶峠" と記した道標を見た。 密生した潅木林の中の狭苦しい所だが地面にはそれらしい白い石片が散乱している。

ここからは踏跡が幾らか明瞭になり、道といっても良いくらいになる。
ひと下りで御室川谷に降り立ったが白い花崗岩の谷で林の中を歩いてきた目に光が眩しい。

谷の向かい側に牧丘へ通じるルートを示す道標が立っていた(左)。











谷の中をひと登りした所に御室小屋があった。 荒れてはいるが床はあるから泊まり場としては使い物になるろう。
前庭で腹拵えをしたあと小屋の裏側に廻り、尾根に取り付く。
崖のような所をバンドを伝わって左に横切り、尾根の裏側に回り込むようにして上がると "片手回し" だ。 30m 程の長さの左傾したスラブで鎖が取り付けてあるが中ほどのアンカーが抜けているため弛みが大きく、あまり頼りに成らない。 岩が乾いていたのでフリクションが良く利いたが濡れていたり凍結していたりしたらかなり嫌な感じになるだろう。 昔、慶応のパーティが遭難したのはこの辺りではないかと思った。

ここを登り切ると尾根上部への展望が開け、尾根の中間にある坊主岩が見える。 先の方には五丈石が霧の中に見え隠れしている(左)。 尾根の傾斜は急だが五丈石までそんなに遠いようには感じない。
登って行くと急な岩場と平らな所が交互に出てくるが樹木が多いので急登の割に高度感は少ない。
尾根上のルートは御室小屋までのアプローチに比べて格段に良く踏まれていて明瞭だ。 牧丘から大弛峠に通じている峰越林道の中間点から荒川谷を渡って御室小屋へ来る者はある程度いるように思われた。
丸太の階段と鎖を登ると "坊主岩" の肩で、岩に赤ペンキで "一休場" と記されている。
さらに進んで白いガレ場の上部を横切り、朽ち掛けた丸太階段のある岩場を登り上げると這松に囲まれた露岩の上に出る。 推定2300m 程の地点で、周囲の展望が開けた。 "良い尾根" を登った時にいつも経験する一種の豪快感を覚えた。
左手の千代の吹き上げと本峰の間の尾根上を歩いている人影が霧の隙間に見え隠れしているのを見ながら石楠花と這松が混じっている所を登りつめて五丈石の袂の石垣の上に据えられた祠に着いた。 五丈石の右脇を回りこんで行った所が頂上直下の道標の立つ広場だ。
霧が出ている上に遠くから雷鳴が聞こえて来るのでひと息入れただけで小屋に向った。 夏休み最後の週末の習いで小屋にはかなりの泊り客がいたが疲れた身体を休めるのに差し支えるほどの混雑ではなかった。


8月31日: 大弛峠を回って川端下に下山する計画だったが疲れたので金峰山小屋経由下山した。
<タイムレコード> 金峰山小屋(6:30)-ジグザグ道の上(7:00/15)-中ノ沢出合(7:45)-水場(7:50/8:05)-金峰山荘(8:50)-廻り目平(9:10/15)-(10:00)川端下-(11:30)秋山=[Taxi25分]=信濃川上駅[13:32]=小淵沢[14:30]=八王子=長津田=宮崎台

☆あとがき
    胃の手術を受けて4年足らずで長い藪のアプローチを突破し、1350m の標高差を消化しできて我ながら感激した。

峰越え林道からのアプローチは通っていないので様子が分からないが荒川への降り口には駐車スペースがあるからここまで車で入って御室小屋から五丈石へ登り、鉄山、朝日岳経由、大弛峠を通って出発点に戻る周回ルートが考えられる。


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