雷鳥平-大日連峰、加賀白山(1999.7.31-8.4)


☆期日、山行形式: 1999.7.31-8.4 山小屋、旅館利用 4泊5日

☆地形図(2万5千分1): 剣岳(高山5号−3)、立山(高山5号−4);
                                 加賀市ノ瀬(金沢8号−1)、白山(金沢4号−3)、
                                 平瀬(金沢3号−2)、御母衣(金沢4号−1)
☆まえがき
    時間が自由になって "遠くの名山" に行きやすくなった。
ゴールデンウイークには伯耆大山と三瓶山に登った。 まだ登っていないうちで一番の大物は加賀の白山ということになった。 大山よりは近い山なのだが、その手前に魅力たっぷりな後立山や立山/剣があるのが邪魔になって、どうしても行き先が逸れてしまうのがこれまで行きそびれていた原因だ。
  病後初めての3000m クラスへの山行で木曽の御岳山に登ったあと、妙な経緯で飛騨川に降りて濁河温泉に泊まったとき、谷の先の方に見えていた白山が秀麗だった。 まだ体力と小遣いに余裕があるのうちに登って置こうと、今年の夏山メイン山行の対象に選んだ。
  はるばる金沢あたりまで時間と金を掛けて行くのに白山だけではもったいない。 途中でもうひと山稼ぎたいと思ってまだ登っていなくて面白そうな山を物色した。 妙高の火打山、大糸線姫川奥の雨飾山、白山の南にある大日ヶ岳など、幾つかが浮かび上がったが、最後に選んだのは立山の大日連峰だった。 標高は2600m 余りで、立山剣への展望と豊富な高山植物とに恵まれた良い山だが白山と同じ理由でこれまで歩きそびれている。

 大町からアルペンルートで立山室堂に入山し、大日連峰を縦走したあと富山から金沢へまわり、市内で一泊した翌日に白山に登って山上の室堂に宿泊。 最終日は山の裏側の岐阜大白川に下山し、JRバスで名古屋に出て新幹線で帰宅する4泊5日の周回山旅計画を組み立てた。
  山行予定日の天気が心配だったが梅雨が早目に明けたあと、太平洋高気圧が異常に北に偏して居座っている。 台風や熱帯性低気圧の発生位置も北に偏しているが、高気圧に押されて玄界灘から黄海方面に行ってしまうパターンになっている。 好天が続くと期待できたが一日くらいは降られることもあるだろうと考え、一日余分に休暇を取って予備日を確保した。


                    (室堂平からの立山連峰)

☆詳しい記録
7月31日
     今日は立山室堂から雷鳥平まで行って泊るだけなので普段の出勤日よりいくらか早めに朝食を食べて家を出る。 相変わらずの晴天だ。 宮崎台7:27発の電車で長津田経由、八王子に行き、8:34のスーパーあずさ3号に乗る。 夏の行楽のピークに近づく時期で、大勢が通路に立つ位の混雑だったが途中で下車する者も多く、甲府で近くの席が空いた。 甲府盆地、諏訪盆地の上空も文句なしの快晴だ。 大気が澄んでいるため山がくっきり見え、冷房が効いた車内から眺めていると秋ではないかと錯覚するほどだ。 茅野の手前でカーブを通過する時、前方に槍穂高が見えた。 松本駅で大勢の登山客が降りて行ったが、入れ代わりに長野の方から来た人達が大勢乗ってまた通路に立つ者が出た。 連結機の故障で松本止まりの車両が切り離せなくなって修理に手間取り、信濃大町には11:30頃に到着した。 急いで改札を通ってバス乗り場に行く。 小さな小屋で扇沢までの乗車券を買い(\1260)、ザックはハイデッキバスのトランクルームに預ける。 前から二列目の女性の横がたまたま空いていたので座らせて貰う。 普段は貸し切り旅行に使っているだろう大型バスだったが、満席になって発車(11:40)。 老女が三人、後ろの方から前の補助席に移って来た。 どこかの農村から出掛けて来たらしく、最前列に座っていた白人夫婦に丁寧に挨拶してから、その横の補助席に腰を下ろした。 隣に座った老女に「立山観光ですか?」と尋ねて見ると、「いいえ、そんな遠くじゃなくて、黒四ダムの見物なんです」と答える。 日常の忙しさから開放されて本当に嬉しそうにしている。
 12:20に扇沢に着いた。 室堂までの通し切符を購入する。 5460円という運賃は、景色と時間の対価としてもずいぶん良い値段だ。 トロリーバスの待合室は人で一杯で、かなり待たされるだろうと覚悟したが大増発をした様で、予定通り12:30に出発できた。 車両の奥の方で立ちん坊にはなったが、15分あまりの我慢で黒部ダム駅に着く(12:46)。
 黒四ダムの上空にも秋の様に澄み渡った空が広がっていた。 ダムの対岸から発車するケーブルカーは思っていたより空いていた。 ロープウエイに乗り継ぐ大観峰では30分近く待たされたがその後のトロリーバスへの乗り継ぎは順調で、13:50に室堂ターミナルに到着した。
 富山方面から来た人達でごった返していたがターミナルの外に出ると雲ひとつなく晴れあがり、夏の太陽が眩しく輝いていた。 立山は山腹の植生が薄く白っぽい岩が露出している所が多い。 室堂平一帯はあたかも凹面鏡の焦点のように光が集中していた。 今日泊まる雷鳥平のロッジ立山連峰まではほんのひと歩きだ。 写真を写す用意だけして歩き出す(14:00)。


 室堂平からミクリガ池の縁を通って雷鳥平に行く辺りは地形が複雑だ。 剣、立山に登って来たらしい人達が大勢歩いて来るが結構な登りのため汗を流している。
すぐ前を10人あまりの観光客のグループが歩いていた。 お互い同士中国語で話をしている。 台湾辺りから来たのだろうか?


  15:10にロッジに着いた。 地獄谷の上手の台地上にある二階建の大きな小屋で、広い土間にスキーラックがある。 二食付きの宿料8400円を前払いして指定された部屋に入る。 まだ誰も来ていない。 八人が寝られるように作った二段蚕棚式の部屋の一番奥の窓際の区画を今夜のねぐらにする。 ガラスを通して大日連峰の稜線が望まれ、下の腰板にはAC100Vのコンセントがある。 風呂があると言うので行って見た。 建物の一番奥に設けられた共同風呂場は、大きな浴槽を持ったガラス張りの展望浴場だ。 大日連峰を眺めながら湯に浸かっていると湯治気分になる。 景色が良くて宿料が安いから下手な湯治場に行くよりここに来た方が良い。
 サッパリして部屋に戻った所でミニノートパソコンを起動する。 携帯電話を窓際に置いてみるとアンテナが2〜3本立った。 スループットはやや遅かったがアサヒネット富山から天気図はじめ気象情報をダウンロードできた。 やるべき事は終わったがまだ日があるので外に出る。 稚児車が咲く草原に腰を下ろし、立山連峰や別山乗越を見上げながら林檎とチーズを食べる。 雷鳥平のキャンプ場には色とりどりのテントが張られて華やかな雰囲気になっている。
 部屋に戻って文庫本を読んだりしているとボツボツ客がやって来た。 向かい側は劔岳を登りに来た五十台の男だ。 暫くすると夕食になった。 食堂に出て来たのは30人ほど。 とりどりのお菜を添えて美味しい。 この大きな小屋としては余裕タップリで、夏山にしてはなんとなくのんびりした雰囲気になっている。 客のほとんどは立山や劔岳を登りに来ていて、大日の方に行く者はごく少ない様だった。


8月1日
    大日小屋まで行けば良いので急ぐ必要はないのだが夜明け時にひとりでに目が覚めた。 5時に起き出し、玄関の外に出てコーヒーを淹れる。 今日も青空がひろがっている。 朝食は山小屋としてはやや遅く、6時からだ。 いろいろなお菜がついて美味しい。 恒例の食休みとトイレを終え、6:45に出発。 まず緩く下って雷鳥平に降りる。 キャンプ場の奥に木造の建物が建っている。 いままでここを何度か通っているが決まって天気が悪く、気にしながら素通りしていた。 立ち寄って見ると、キャンプ場管理センターと記した看板が掲げてある。 入口の左側は金沢大学医学部の診療所で、右側は共同便所になっている。 長年の疑問が解け、"安心"して山に向かう。 キャンプ場では家族連れや、若者のグループがテントを畳んでいる。 雷鳥沢を渡った所でウロウロしていた熟年パーティのリーダに別山への道を聞かれる。 どこを登りに来たのか知らないが、取り付きも分からないのに人を連れて来るとはいい度胸だ。 入口の道標を指差して「こっちですよ」と知らせてから大日連峰へのルートに入る。


台地状の所に上がって、別山乗越から発するゴーロを渡ると緩やかに広がる草原の斜面に出る。 丁度花の盛りの時期にあたり、あたり一帯に色とりどりの花が咲いている。 小屋の前もそうだったが稚児車が多い。
行く手に大日連峰が穏やかなスカイラインを描いている(左)。




  傾斜が急になってザレた小尾根を何度かジグザグするとまもなく新室堂乗越だ(7:30)。
乗越には別山の方から来た熟年者の大パーティが休んでいたのでそのまま歩き過ぎ、少し先の曲がり角でザックを下ろす。 稜線より少し下がっているので剣や東大谷は見えないが、雷鳥平、弥陀ヶ原への広広とした展望で心が広くなるような気分になる。 まわりの山や足元の花の写真を写しながら10分ほど休んでから立ち上がる。 ここから室堂乗越まではひと歩きだ(7:55)。
 先程から前後して歩いていた熟年登山者からカメラののシャッターを押すよう頼まれた。 長く深く切れ込んだ東大谷の向こう側に屹立する劔岳が雄大だ。 海に近いため、谷底から頂上までの高距が大きいことによると思われる。  このように豪快な山岳展望はむしろ北アルプスには少なく、南アルプスに多いような気がするが、こちらは冬の豪雪に削られた岩山になっているだけ迫力がある。




 小ピークを越して行くとカガミ段乗越に着く。
熟年カップルが休憩していた。
ここから奥大日岳に向かって、いったん失った高度を回復しなければならない。 登りの始まる所で休憩する。











 一段と立派に見えるようになったカガミ段谷越しの劔岳の写真を撮る。
久し振りに担ぎ出して来た645判一眼レフは調子良く動いているが、サブのニコン35Tiのご機嫌が悪い。
フィルムの巻き戻しが旨く行かず、 "E" の字を点滅して動かなくなった。 ストロボを併用して花を接写するのとフィルムスキャナに掛けてデジタル画像に変換するのに便利なので持って来たのに困った事だ。 小屋に着いたら暗い所で点検して見る事にしてザックに仕舞い込む。
  弥陀ヶ原側の斜面の潅木の間を斜上して稜線を乗っ越すと東大谷側が雪田になっている。 黒々とした劔岳の三角形が実に立派だ。 色が白で反対だし、場所も離れているが、甲斐駒ヶ岳とよく似ていると思う。
奥大日岳の頂上はすぐ目と鼻の先だ。 9:20に登頂。 祠のある頂上は三方が急斜面に切れ落ちているために狭く、20〜30人ほどで身動きが不自由になる程混雑してしまう。 室堂乗越の方から縦走して来た者の数はそれほど多くはなかった訳だから、ここに居る者の大部分は称名の方から登って来ている事になる。 かなり深い鞍部を隔てた先の方に七福園と中大日が見え、その先の大日岳とのコルに大日小屋の屋根が見える。 レモンティーを飲んだり乾燥果物を食べたりしながら周囲の展望を楽しむ。 早月川谷の支流のひとつであるクズバ川谷の先の方に富山の平野と海が見える。 劔岳の右手に見えているのは白馬岳とその北方につながる山々だ。 去年の夏、台風が来て大雨の中を逃げ降りた朝日岳も見えている。 30分ほど休憩して腰を上げる。
 水溜まりのある二重山稜を通り過ぎると最低鞍部に向けて急降下する。 小さな上り下りが続く所を次々に越して行くとようやく七福園への登りが始まる。 疲れが溜まって来たので登り掛けの草地にザックを下ろす(10:45/11:00)。
 真夏とは思われないほど雲が少ない。 空気が乾燥していて風が爽やかなため汗が流れるような事もない。 ザレた所を登り上げ、積み重なった大岩の間を登って右手に回り込むと傾斜が緩んで七福園の一角に出た。 ここは大岩が積み重なった所で少々歩き難い。 大きな岩塊の上を伝わって行くと岩屋がある。 さらに進んだ所に小高くなった所があって中大日と記したプレートが立ててあった(11:15)。



潅木林の間を下って行くとすぐ下に大日小屋の赤い屋根が見えて来てまもなく前庭に降り立った(11:30)。
目の前に劔岳と猫又山が並んで、展望は最高だ。
新室堂乗越でシャッターを押してあげた老登山者がプレファブ小屋の軒下でお昼を食べている。 こちらも隣に腰を下ろして林檎とチーズを食べる。
富山市の住人で65歳だと言い、年を取ってから山歩きを始めたが、この辺の山々は便利が良いので、ホームグラウンドとしてよく来ていると言う。 殆どの山が一泊二日で歩け、車を使えば薬師も一泊二日で十分だが、劔岳だけは別格で、一度登っただけだと言う。 第一級の山々に手軽に登れる御身分に羨望を禁じえない。 近く仲間と槍ヶ岳に行くことになったので、今日はそのための足馴らしに来たのだそうだ。 こちらより良いペースで歩いていたから、「良い脚をしてますよ。 その調子なら大丈夫ですよ」と励ますと嬉しそうな顔をした。 何処から来たのかと聞かれたので神奈川県からと言うと、遠くからよく来たねぇ、と言う感じの反応だったが、加賀の白山への行きがけにここに立ち寄って歩いている事と、数年前に胃袋を半分切り取られ、トレーニングを積み重ねて少しずつ体力を鍛え、ようやくこの程度に山を歩ける様になったのだと話したら、驚いていた。
 長話をしたがまだやっと昼になったばかりだ。 1時間半ほど下れば大日平小屋がある。 美しい大日平高原の一角にあって風呂にも入れるのだが、こちらでは晴天続きのため天水タンクが空になりかかり、風呂どころか顔も満足に洗えない。 いっその事下ってしまおうかとかなり迷ったが、これほど立派な山岳展望のある小屋は滅多にない。 ここに泊まった方が良いと思うよと老人にも勧められ、やはりここに泊まる事に決める。
 「二週間ほど前に電話をした川崎の齋田です」と言って宿泊の申し込みをすると奥の大部屋に案内された。 二段になった蚕棚の一番奥で、弥陀が原に面した廊下から明かりが差しこんでいる。 通路の端に荷物を入れ、カメラの点検をする。 故障の原因は簡単で、巻き始めのフィルムが長過ぎてスプールの裏側で折れ曲がり、巻き戻しモータの力では引き抜けなくなったためだった。 フィルムを引き抜いて交換したら正常に動作するようになったので安心する。
寝転んで地図を見たり、文庫本を読んだり、うたた寝をしたりしていたが、また外に出て見る。 珍しく積雲が出てきた。 雲を纏った劔岳が立派だ。 部屋からカメラを持ちだしてきて写真を撮る。 「今日、富山じゃあ気温が37℃にまで上がってるってよ」と小太りで元気いっぱいな小屋のお神さんが言う。 雲で時々日が陰る様になったこともあって一段と涼しくなり、まさに天上の楽園だ。 部屋に戻ると隣に客が来ていた。 五十台の父親と三十前と思われる息子だが、仲が良さそうでいろいろな話をしている。 話の様子から二人とも技術者のような感じだ。 ひと休みすると親子は外に出て行った。 こちらは暫くの間文庫本を読んだりしていたがまた退屈になってきた。 大日岳の頂上でコーヒを沸かして飲む事を思い付いたので、持って来た折り畳みサブザックにガスストーブやコッフェルを入れ、カメラも持って外に出る(15:00)。
 下がって来た雲が霧になってあたりを流れている。 劔岳も姿を隠してしまった。 霧の中をゆっくりゆっくり登って行くと程なく大日岳の頂上に着く(15:15)。 這松に囲まれた頂上広場には何人かが来ていたが、例の親子もその中にいた。 コーヒーを入れるための道具一式を出して湯を沸かし出すと父親が「それだけの物を背負って歩くのは大変ですね」と言う。 「年を取ったのと病気をしたのとで以前の様には担げなくなりました。 でも、コーヒだけは飲みたいもんですから」と答える。 やや薄めだが美味しく入ったコーヒを飲みながら霧が晴れるのを待ったがどうも晴れて来る気配がない。 ほかの者は諦めて三々五々降りて行った。 息子さんの方も降りて行ってしまった。 しばらく座り込んでいたが一向に埒が明かないので腰を上げた。 父親も名残り惜しそうにしていた渋々腰を上げた(15:40)。



 展望がないままに足下に視線を向けると色々な花が咲いている。 室堂乗越への登りからここまで、今日は沢山の花を楽しんだ。 調子が戻った35mmカメラで花の写真を写しながら歩く(左:チングルマ)。
大日連峰は、眺め良し花良しで今までに登ったうちでも屈指の良い山だ。 こんな良い山に "ついで登山" をしたのでは申し訳けがない。
 小屋の手前の尾根のすぐ下に雪田がある。 沢山の小鳥が来ていて、雪をかすめるように飛んだり雪の上に降り立ったりしている。 イワツバメだろうか? 霧で猛禽に狙われる心配がないので涼みに出て来たようだ。
 16:00に小屋に戻り、一休みしたあとで天気図をダウンロードする。 富山のアクセスポイントに安定して繋がり、すんなりと天気図や週間予報のダウンロードができた。 小屋の前庭のベンチから滑川と思われる町が見通せる。 その辺りに中継アンテナがあるためだろう。 熱帯性低気圧が発生しているが北に偏した太平洋高気圧は健在で、 明日も好天が続くのは間違いない。 午後遅くから夕方に掛けて少しずつ客がやって来て大部屋も八分の入りになった。 夕食に出て来たのは総勢で二十人あまり。 小屋の収容能力にタップリ余裕があって、和やかな雰囲気だった。 前の晩は九十人も泊まったと言う。 さぞかし大変だったろう。


8月2日
    4:45に起床。 庭のベンチでコーヒーを淹れる。 僅かに巻層雲が出ているが快晴だ。 雲は九州方面に接近している熱帯性低気圧の影響による物だろう。 5:30から朝食になった。 稜線上にあるこの小屋も中々美味しい食事を出す。 ご飯は少なめにして貰ったがお菜は全部平らげた。
6:30に出発。 下山する前にもう一度大日岳の頂上に登る。 大日平への入口にザックを置き、カメラだけを持って頂上に向かう。 ひと登りで頂上に着く(6:45/50)。



昨日は霧に隠されていた山々への大展望が広がっている。  太陽を背に黒々と聳え立つ劔岳、明るく優美な雰囲気を漂わせている立山連峰、幾筋かの赤っぽいザレ場が山肌を刻んでいる薬師岳、弥陀ヶ原とその向こうにある鍬崎山(2090)、遠くには笠ヶ岳まで見えている。 7:00に下降点に戻り、ひと息入れて出発。
 大日岳の頂上の手前から派生している小尾根を乗越し、その裏側の谷に向かって潅木林の中を下って行く。 下り30分と言われている水場になかなか着かない。 ようやく人の声が聞こえて来て水場に着いた(7:40)。 関西弁の熟年女性三人組と近在からと思われる五人の男達が休んでいた。 冷たくて美味しい水だ。 顔や首筋、腕にこびりついた汗を洗い流してからペットボトルを満たし、テルモス一杯のレモンティーを作る。 真近かに見下ろす様になった弥陀ヶ原を大型バスが往来している。 見上げるようになって来た薬師岳がボリュームを感じさせる。 7:55に出発。
 谷底に近づくと転石が増えて薮っぽくなってきた。 まもなく傾斜が緩んで大日平の奥手に着く。 右手の小高い所に木製ベンチがある。 左から下って来ているゴーロを渡り、湿原の中を緩やかに登って行くとタンネの林の中に大日平山荘が建っていた(8:45)。
 例の親子が入口の脇で休んでいた。 休み場所になる良い日陰がない。 小屋の横に僅かな日陰が見つかったのでザックを下ろす。 小屋で飼っている犬が出て来た。 尾を振って愛敬をふりまいている。 小屋に限らず、山の中で飼われている犬はみな人懐こくて愛敬が良い。 小屋の裏に出ると一ノ谷滝が見える。 弥陀ヶ原に湧き出す水が称名川の廊下の壁を流れ落ちている滝で、水量はそれほどではないが、落差が大きく見ごたえがある。



 小屋の脇に戻ってクラッカーや林檎を食べていると、途中で追い越して来た関西女三人組がやって来た。 日陰を求めて一人が横に来て腰を下ろすとすぐにほかの二人もやって来てまわりを取り囲むように座ってしまった。 人懐こいのか関西流の図々しさなのか? そこそこ休憩も出来たし、どうも居ずらくなったので一足先に出て行った親子連れを追うように出発(9:05)。
 平坦で笹の多い草原の中に木道が敷かれている。 右手に見上げる中大日岳と大日岳に挟まれたカール状の地形が美しい。 下から登って来た5、6人と遭う。 大日岳から流れ出して高原の奥手を流れていたザクロ谷が近寄ってきて狭い尾根の背の上を歩く様になる。 登って来た家族連れとすれ違うとすぐに例の親子連れに追いついた。 極く狭くなった牛ノ首の尾根の背から左手の急斜面に下る。 親子連れに道を譲られて先に出た。 下に見えている谷底までそんない遠いようには感じないのだが、急斜面に付けられた小さいジグザグを何度も何度も折れ曲がって行かなければならない。 天気が良くて日差しが強いのと、標高が下がって来たのとで非常に暑くなって来た。 足腰に掛かる負担も大きくくてどこかで休みたいと思うのだが、ユックリ腰を下ろせるような所がない。 ウンザリして来た頃ようやく傾斜が緩んで潅木林の中に入った。 細い水流があったが林道までもういくらでもない感じになったのでそのまま歩き続ける。 まもなく足元に林道を見下ろす階段の上に出た。 大勢の観光客が歩いている(10:30)。



  とりあえず滝の近くまで行って見ようと疲れた足を引きずって車道を進む。
  滝の飛沫を浴びながら橋を渡り、左岸に付けられたコンクリートの階段を上ると展望台がある(10:40)。
  立山観光の目玉のひとつになっているだけあって高さも水量も十分で貫禄のある滝だ。
 落下する水が冷風を巻き起こしていてとても涼しい。 陽の当たらない場所に腰を下ろして林檎とチーズを食べる。 後ろから来る親子や関西三人女が来るのを心待ちにしていたが一向に姿を現さない。 バスの時間を見計らってザックを持ち上げる(11:15)。
 舗装された車道を緩く下って行くと膝の周りの筋肉が引きつって痛い。 海外出張のため山行間隔が空いた上、前回の "南" への山行では雨に降られて車道歩きをしただけのため足腰の筋肉が弱ってしまったようだ。
  11:30に称名バス停に着いた。 発車時刻の五分前だ。 ほぼ満席になっていたが前の方に空席があったので座らせて貰う。 11:50に立山駅に到着し、駅の横の食堂に入った。 一番奥のテーブルにつき、塩分の補給も考えてチャーシュウ麺を注文する。 顔を洗うためにトイレに行こうとして、例の親子が手前側のテーブルに座っているのに気が着いた。 滝見には来なかったが同じバスに乗っていた様だ。 トイレから戻る途中、廊下に張り出された時刻表で次の電車の時間を確認する。 親子には、またどこかの山で会いましょうと別れの挨拶をする。 一期一会と言う言葉があるが、良く山に行く者には一定の行動パターンがあるようで、どこかの山で遭った後、それほど時間を置かずに別の山で再会すると言う事が、これまで何回かあった。
 久し振りに食べる麺と塩辛い汁が美味しい。 ユックリ休憩して隣の駅に行く。 弥陀ヶ原へのケーブルカーには長い行列が出来ていた。
 12:38の電車で富山に向かう。 こちらには沢山の空席がある。 砺波平野に走り出ると電車の窓から今朝降りて来た山々が見えてきた。 残念なことにまだ時間が早いのに高い所が雲に隠れていて、ひとつひとつの峰を見分けられない。
  13:37に電鉄富山駅に着く。 何時もの事だが、夏の北陸は暑い。 JR富山駅に行って金沢まで行くJR北陸線の時刻をチェックする。 今出たばかりで、次ぎの14:35まで1時間近くも待ち時間がある。 冷房の効いた待合室に "グレ電" が見つかったのでリブレットを引っ張り出して富山APにつないだ。
  DoCoMo での接続とは比べ物にならぬスピードで天気図が取れた。 熱帯性低気圧が九州を通過するのでいくらかは影響がありそうだが、白山に登るのに支障が出ることはなさそうだ。
  何か食べたいような気もしたが、疲れている時に食べ過ぎるとすぐに腹が壊れるので我慢する。 かわりに自販機からアイスクリームを買ってチビチビ舐める。 近くのベンチに座っている老人が、いい年をしているのにおかしな奴だなぁ、とでも言いたそうな顔でこちらを見ている。
 福井行き北陸線ローカル電車はほぼ満席だったが、海側を背に山を眺められる席に座れた。 電車が砺波平野を西に走って行く間、雲を纏った立山連峰が眺められた。
  万葉集に立山を読んだ歌があったのを思い出す。 徒歩や牛車で都から下ってきた旅人は、数日にわたって前方に並び立つ立山連峰を眺めながら進んだことだろう。 雲間に雪を纏って聳える姿は非常に印象深かったに違いない。
 15:32に金沢駅に着く。 ここも暑い所だが、大勢の旅行者が来ている。 予定より早く着いたし、重いザックを背負って街中をウロウロしたくない。 涼みがてら待合室に入り、予約した旅館の場所を地図で確かめる。 どうも方向が判然としない。 駅のコンコースの案内地図でようやく見当がついた。 旅館鹿島屋は駅から五分あまりの横丁にある格子戸の純日本風旅館だった。 打ち水がしてある玄関から声をかけたが誰も出て来ない。 荷物を置いて散歩でもして来ようかと思い掛けた時にヒョッコリ主人が顔を出した。 お神さんも出て来て部屋に案内される。 玄関や廊下は暑苦しかったが、部屋は冷房が利いていてホッとする。 まず風呂に入って身体の汗を流す。 おとといからの山歩きで汗がしみ込んだシャツを部屋の洗面所で濯いだが、干す場所に困った。 暫く考えた後、伸ばしたストックを洗面台の上に立てかけ、それにハンガーをぶら下げた。 山登りの中継基地として利用する場合には洋式ホテルの方が好都合だ。 洗濯が自由にできるだけでなく、湯を沸かしたり氷を手に入れたりするための設備も整っている。
 ひと休みしていると五時を過ぎた。 いくらかは涼しくなっただろうと思い、白山に登る二日の間に必要な林檎やカップ麺などを調達しに出掛けた。 駅の方に向かって五分ほどの所にコンビニが見つかった。
  宿に戻るとまもなく夕食になった。 越前蟹など色とりどりの純日本料理が美味しく、とても一泊1万円の宿とは思われない。 宿の知り合いの子らしい高校生とその友達、二人のOL旅行客、それにドライブに来たらしい若い男が客の全部だった。 テルモスに入れる氷は女将さんに頼んで作って貰う。 翌日は朝が早いので朝食を断って早寝する。


8月3日
    五時前に起きる。 天気は問題なさそうだ。 ガスストーブで沸かした湯で淹れたコーヒーを飲む。 バスの時間まで間があるので様子見がてら駅まで散歩に行く。 白山への登山口である別当出合へのバスは駅前広場の西側のホテルの前から出ているようだ。 宿に戻り、7時前にチェックアウトする。 まだ30分以上間がある。 駅の中でグレ電を探して天気図を取り、バスの中で食べる幕の内弁当と夕食にする贄寿司とを買う。 バスターミナルに行って切符を買おうとしたら、乗り場で買うようにいわれた。 乗り場には老車掌がいて切符を売っていた。 狭苦しい代わりに周りが良く見える一番前の席に座った。 定刻になっても誰も来ず、運転士一人客一人で発車。 あまりの客の少なさにがっかりした運転手がブツブツ言っている。 今朝の散歩の時に見かけた6:40のバスにはかなりの人数が乗っていた様だったのだが、こちらには中心街の停留所で若いカップルが乗って来ただけだった。 外の景色を眺めながら弁当を食べる。 街を抜けてひと走りすると鶴来の町に入る。 道端に中村留精密の工場があった。 二十年くらい前だったろうか、電気油圧サーボアクチュエータを応用したワークローダの話で来たことがある。 あれ以降、大いに発展した様子で、沢山の立派なビルが立ち並んでいるが今は不況で難儀しているかも知れない。 町の奥には加賀一宮の社があってバスはその境内に沿った道路を走る。 道端に立っている看板にはこの神社は白山比姫を祭っていると記してあり、白山に対する山岳信仰と密接な関係があることが分かる。
 谷間に入って行くと手取川ダムがある。  トンネルを通ってダムの上に上がり、左岸を走ってヘッドウオータを過ぎると白峰車庫に着く。 山間の集落の中に車庫と休憩舎が建っている。 長時間運転して来たドライバーが休憩している間、乗客はトイレを使ったり辺りを歩き回ったりする。
 大きなキャンプ場を通り過ぎ、山の中に入って行った所が市ノ瀬だ。 この先は一般車乗り入れ禁止になっているので大きな駐車場とキャンプ場がある。 川を渡って山に上がり、山腹を縫うように進んで行くと別当出合に着く(9:45)。
 大きなビジターセンターがあるが閑散としている。 室堂が改築中で食事付き宿泊が出来ないため、客の数が幾らか減っているのかも知れない。 天気は悪くはないのだが風がやや強く、山の高い所に掛かっている雲の動きが早い。 上の方では相当な強風が吹いている様だ。 掲示板にルート情報を記した紙が張ってある中に大白川林道が崩落して歩行者も交通止めだという事を記したのがあった。 これでは岐阜県側に降りて名金線バスで名古屋に出る計画は実行不能だ。 明日はまたこちらに戻って金沢から帰るしかない。 金沢から先をバスにするか鉄道にするかは後で考えよう。
 トイレを使って腹を軽くしたあとで出発(10:10)。 吊り橋で別当谷を渡って尾根をひと登りすると中飯場に着く。 柳谷川の源流地帯を見上げる広場でトイレと水汲み場とがある。 ペットボトルの水を汲み替えながら休憩する(11:00/15)。
 ひと登りして車道を渡り、ブナやダケカンバの下を登って行く。 大日連峰の疲れであちこちの筋肉が痛む。 オーバーペースにならぬよう気をつけながら登り続ける 11:50に別当覗に着いた。 左側の別当谷を望む崖の縁で、観光新道が通っている尾根が見渡せる(11:50/55)。
 下山して来る者と頻繁にすれ違う。 家族連れや先生に連れられた生徒達のパーティが多い。 山が大きいので大山のような混雑にはならないだろうが、大勢が登っていて賑わっている様だ。
 傾斜が緩むとやがて甚之助小屋だ(12:40)。 登りと下りと両方の人達で賑わっている。 地面に戸板の様な物を置いた休み台の隅が空いていたのでザックを下ろす。 林檎とチーズを食べているとすぐ横に熟年カップルがやって来た。 挨拶無しにすぐ近くに座り、少しずつ侵略して来る。 大山でもそうだったがラッシュアワーの通勤電車のような雰囲気だ。 何時も混んだ山を歩いていると、このようなマナーになるのだろうか? 普段人気がない山を歩いている者にとってはどうも居心地が悪い。 早々に撤収して出発する(13:30)。
小屋から先は、甚之助谷から弥陀ヶ原に上がる途中の急崖をジグザグを繰り返して登って行く。
丁寧に道が付けられていて見た感じより楽に高度が稼げる。


 13:50に分岐点に着いた。
左は黒ボコ岩から弥陀ヶ原に上がるルートで、右に行けば南竜が馬場だ。 幾らか空いていそうなので右に進んでエコーラインを登って見る事にする(14:00)。
 10分ほどの間、ほぼ水平にトラーバースする。 道端の草原に咲いているハクサンフウロの花の色が奇麗だ。 気候や土壌が合っているのだろう。




 谷を隔てて前方に南竜が馬場のロッジとキャンプ場が見えて来た。 道標の立っている所で左手の尾根に上がる。 風が強くて帽子を飛ばされそうになる。 それほど急な登りではないが、疲れが溜まって来た足腰の筋肉が痛む。 ペースは押え気味にしたが気持ちは奮い立たせて登り続ける。 30分ほどでようやく傾斜が緩み、前方に広濶な弥陀ヶ原の眺めが広がった。
 笹混じりの草原の中に木道が敷かれている。 この山もオーバーユースで高山植物の保護が叫ばれている事を思い出した。 草原には稚児車も多い。 立山よりこちらの方が花期が早いようで、みな "風車" になっている。 平坦な弥陀ヶ原を暫く歩いて黒ボコ岩からの道との合流点に着いた(15:05)。
 左側の岩の積み重なりとの間が沢になっていて雪渓が残っている。 室堂はここから一段登った所にある様で、あと幾らもないとは思われたが長く歩き続けて疲れが溜まったので道端にザックを下ろす(15:10/20)。
 通り掛かった中年男女にカメラのシャッターを押すよう頼まれ、雪渓をバックに記念写真を写す。 遠くから来たと言うので尋ねて見ると広島からだと言うのでこちらは神奈川県からだと言うとビックリしていた。
 16:40に室堂に着く。 室堂センターが改築中のため、プレファブの管理センターが設けられている。 宿泊申し込みをすると、大勢いた学生アルバイトらしい若い男女の一人が宿泊棟に案内して呉れた。 鉄筋コンクリート製の大きな建物が三棟並んでいる。 建物の中に入ると廊下の両側に沢山の部屋が並んでいる。 部屋の中は二段蚕棚式になっていて20人くらいは楽に寝られるようになっている。
 指定された寝場所の脇にザックを納め、寝転んで身体を休める。 建物の外では霧と風が渦巻いている。 軽い低温症になって震えが出て来たので毛布にくるまる。 体が冷えて足の筋肉が痙攣しそうになったが、やがて暖かくなるにつれて回復して来た。 体調が落ち着いたので、夕食を食べるためにプレファブの自炊食堂に行く。 今朝買って来た贄寿司と味噌汁とだが食欲がなくて寿司の半分以上を残した。 疲れもあるが、2450m 近くなっている高度の影響も大きいのだろう。 胃手術の後遺症の慢性貧血は、林先生が処方して呉れた "メチコバール(= ビタミン B12)" のお陰で進行がストップしたが元の状態に戻れる訳ではない。
 明日の帰りをどうするか決めなければならない。 たまたま金沢のバスターミナルの棚に置いてあった長距離バスの時刻表を貰って来ていた。 別当出合を11:30に出るバスに乗れば2時頃までには金沢に着きそうだから、14:30の北陸道高速バスに乗り継いで名古屋に出られるだろう。 公衆電話からバスの座席を予約し、家にもその事を連絡する。 同室は20人になった。 同じ棚の奥側の若いカップルは仕事の都合で金沢に住むようになったので一度は登って見ようと来たのだそうだ。 出入口側はやはり県内から来た親子だ。 通路の向かい側に五十台の女性がいた。 四国の西条からで、数年前に胃を全摘したと言う。 "胃切り" 同志の誼みで暫く話をする。 大病をした結果、生き方を割り切り、国の内外を気の向くままに旅して歩いているのだそうだ。 それにしても "飛んでる" 感じで、旦那さんは大変だろうなと思った。
  照明の暗い大部屋の蚕棚でろくろく本も読めず、早い時間に寝る。


8月4日
    まわりが動き出した物音で目が覚めた(4:30)。 自炊棟に行き、まずコーヒを飲んで胃腸を起こす。 あまり食欲が出て来なかったが、林檎、チーズ、クラッカーを食べる。 相変わらず霧が立ち込めて視界はないけれども、最高点の御前峰だけは登って帰りたい。 宿舎の玄関にザックをデポし、カメラだけを持って出発する(5:30)。
 薄暗い霧の中で室堂の社を拝んでルートに入る。 徐々に登りが急になって来る。 食べた物が落ち着く前に歩き出したのが悪かったようで、軽い腹痛が起こった。 これ以上悪くせぬようペースを押さえる。 6:10に御前峰に登り着く。 大きな祠があって二人の神主が侍っている。 軽く礼をして通り過ぎ、頂上の岩の上に登る。



 嬉しい事に山の裏側では霧が切れていて、去来する霧の彼方に並んでいる北アルプスの峰峰が望まれる。 一番左手が白馬で、立山剣から正面に槍穂高。 その右隣が笠ヶ岳から乗鞍岳。 少し間が空いて御岳山、さらにその右手には "中央" と "南" と思われる山並みが並んでいる。 見ているうちに日が上がって来た。
 これほどの展望に恵まれるとは期待して来なかっただけに感激する。
すぐ隣で中学生達に説明をしている老教師が話しかけて来た。 マミヤのカメラに興味があるようで色々質問する。 少々重くてゴロゴロするが、220タイプの長尺フィルムを使うと30駒写せるので愛用していると話す。 この人物は鯖江の中学校の先生で、夏休みの行事で生徒達を連れて来たらしい。 6:30に下降を開始。 中学生達と一緒に室堂に下る。 こちら側の霧も晴れてきて室堂から弥陀ヶ原への展望が広がっている。
 6:50に室堂に戻り、置いてあったザックを担いで下山に掛かった。 弥陀ヶ原への出口でシャッター押しを頼んで来たのは県内の町から来た熟年グループだ。 年寄り達は皆元気一杯だが、連れて来られた子供の一人が疲れ切ってしまっている様子だった。 どうしたのと聞いて見ると、風邪気味だったのを無理して登ってしまったせいですよ、母親らしい人が言う。 道の両側に咲いている花の種類が多くて色が奇麗だ。 高山植物に "ハクサン ---" と、この山の名が被されているのが多いのは尤もだと納得した。 7:20に黒ボコ岩に着く。



観光新道を下る積もりだったが霧が谷を埋めて視界が悪かったこともあって、うっかり砂防新道に入ってしまった。 面倒なのでそのまま下り続ける。 こちらは谷道なので随所に水場がある。 花を見ながら歩いているうちにあっさり分岐点に着いた(7:50/8:00)。
 道の補修工事をしている工夫達が仕事に出て来た所だ。 ヘリコプターで上げたらしい太い木材や石材を使った工事で、登山ルートの補修というよりは、神社の参道工事と言った方が当っている。 ひと下りで甚之助小屋に着く(8:20/35)。
 まだ時間が早いので昨日の様に混んでいない。 小屋の前のテーブルの眺めの良い所を選んでザックを下ろす。 林檎やチーズを食べていると、下から登って来た30女のパーティがすぐ隣に座った。 県内から登りに来たようで軽装だ。 どうしてそんな大きなザックを担いで来たのかと聞くので、神奈川県から立山を越してこの山に来た。  家を出てから今日で五日目だと話すと納得した。
 日が差して来たせいもあって山を下るにつれてどんどん暑くなって来る。 風通しの良い日陰はないものかと思うが、よい休み場が見付からない。 結局、そのまま歩き続けて中飯場まで下ってしまった(9:35)。
 昨日は賑やかだったが今日は二三人しか居ない。 木陰の石の上に腰を下ろして休憩する。 水場は蛇口だが、山から直接引いている水なので冷たくて美味しい。 15分ほど休んで出発し、ひと下りで別当出合に着いた(10:10)。
 11:30のバスにはあり余るほどの時間がある。 とりあえず麺類を食べたいと思いながら見回すと登山センターの下手に売店があって、貼り紙に山菜蕎麦とソーメンとがあると記されている。 暑くなっていた所だからソーメンを頼む。 何気なく出されたソーメンはビックリするほどの美味さだった。 腹が落ち着いた所で登山センターの水場に行き、身体を拭いてシャツを濯ぐ。 まだ喉が渇いているので店に戻って缶ジュースを買い、家への土産に栃の実煎餅などを購入する。
 ようやくバスの時間が来た。 来た時と同様一番前の席に座る。 時間が早いためか乗客は少なく、全部で16人。 ほとんど皆阪神など関西から来た人達の様だった。 総湯温泉を過ぎようとした所で車が追って来て、何人かの高校生達がうっかりして乗り逃がしてしまったのでちょっと待って欲しいと頼まれる。 これまでの所定刻よりアヘッドしている様だから良いがあまり長く待たされると金沢への到着が遅れ、名古屋行きに間に合わなくなる心配がある。 15分以上も停まったままになって気が揉めたがようやく十人ほどの高校生達が乗り込んで来た。
 その後の運転は流石プロと思わせる技量でカーブの多い田舎道を高速で突っ走り、13:50には金沢駅に着いてしまった。 ターミナルで名古屋行きの切符を受取ったが、まだ時間があるので、涼みがてら駅の売店を見て回る。 車中で食べるための甘海老弁当と、家への土産の追加分として栗菓子とを購入。
 14:30発の名古屋行き高速バス(¥4060)は七分の入りで学生風の若者が多かった。 北陸道をまず西に向かって福井まで走り、ついで米原に向け南下する。 米原に近づくと夕立模様になっている。 雷雲の纏わる伊吹山を見るとまもなく名神高速道路に入る。 日本海沿いはおおむね晴れていたが、太平洋側は雲が多い。 揖斐川を渡って岐阜羽島を通過する辺りまでは快調に走り続けたが、尾張一宮からは混雑が酷くなって、ノロノロ運転になる。
 結局定刻より幾らか遅れ、18:30に名古屋BTに到着。 乗り継いだ新幹線は18:53のひかりで、JR名金線のバスを利用する元の計画で予定していたのと同じ列車だった(18:53 ¥9440)。 20:25に新横浜に着いて坦々麺を食べ、十時過ぎに帰宅した。