直線上に配置

西吾妻-東大巓-一切経山-土湯峠
[1993.5.3-7]

☆期日/山行形式: 1993.5.3-7 / スキー縦走 小屋利用 単独 4泊5日

☆地図: 檜原湖(福島14号-4)、吾妻山(14号-2)、天元台(14号-1)、土湯温泉(10号-4)、
           安達太良山(11号-3)、白布温泉(14号-3)
☆泊り場
アルプ天元台:〒992-14 山形県米沢市李山大笠 12118-6 TEL:0238-55-2236
弥平衛平小屋(明月荘):〒992 米沢市役所観光物産課 0238-22-5111
吾妻小舎:〒960-21 福島市桜本ぬる湯温泉気付 遠藤 守雄 0245-91-3173

☆概要
残雪豊富という春山の情報を聞いていたが海外出張が続いてまとまった山行が出来ないでいるうちにゴールデンウイークが来てしまった。 ゴールデンウイークもはじめの日に用事ができて山行ができなくなったが春山の借りを取り返す最後のチャンスだ。 ゴールデンウイーク明けに休暇を取ることでなんとか長目の連休を作り、吾妻連峰と安達太良山のスキー縦走に出かけた。 メインの吾妻連峰は、昨年11月の初旬に偵察をしに行ったのだが冷雨の降る白布峠から登って行った西大巓の頂上で吹雪に遭い、上着とザックをバリバリに凍らせて西吾妻小屋に逃げ込む始末となった。 翌日も吹雪が収まらなかったため一切経山への縦走をギブアップし、若女平から白布にエスケープして終わった。
今度の行動のあらましは、初日の5月3日に山形新幹線で米沢経由、白布温泉からロープウエイで天元台に登って宿泊。
2日目にリフトを利用して北望台(1820)まで上がり、梵天岩、天狗岩(2004)経由、西吾妻山(2035)までピストンしたあと、人形石(2000)、藤十郎(1860)から弥平衛平まで進んで明月荘(1831)に宿泊。
3日目は、まず東大巓(1927.9)に登頂したあと、昭元山(1892.6)、烏帽子山(1879)、ニセ烏帽子(1836)、家形山(1877)まで縦走し、五色沼(1780)を経て一切経山(1948.8)に登頂。 浄土平(1600)に下って桶沼裏の吾妻小屋(1590)に宿泊。
4日目、中休みを兼ねて東吾妻山(1974.7)付近を周回したあと新野地温泉まで行って泊まる予定だったが少々疲れが出て来たのと吾妻小屋の居心地が気に入ったので連泊。
5日目、安達太良山が時間的に難しくなったので次年への宿題にして割愛。 吾妻磐梯スカイライン沿いを土湯峠(1272)まで歩いたあと、定期観光バスに乗って五色沼、磐梯高原をまわり、猪苗代、郡山経由で帰った。


☆詳細な記録
5月3日
昨年、山形までの新幹線が開通し、東北の山々へのアプローチが非常に便利になった。 家でユックリ朝食を食べ、9:02発の登り電車で宮崎台を後にする。 表参道(9:30)で銀座線に乗り継ぎ、10:00に上野着。 ゴールデンウイークの旅行客で混雑している。 自動販売機から自由席特急券を買っていたら、東洋系の若い女性からたどたどしい日本語で宇都宮への切符の買い方を訊ねられた。 日本語・英語混じりで説明する。 二十年余り前、初めて米国に滞在した時、いろんな所を道を尋ねながら歩き回った事を思い出す。 いまの日本と東南アジア諸国との関係は、あの頃の日本と米国のそれに通じる所があるのかもしれない。
東北山形新幹線のホームに降りて見ると、心配した様な混雑はなく、むしろ閑散としている。 喫煙車の最後部に席を取り、背もたれの後ろの隙間にザックとスキーを押し込む。 途中の大宮、郡山、福島ではかなりの人数が乗り込んで来たが、最後まで二人分のシートを占領したままだった。
本州中央部を通り過ぎて行った低気圧の影響が残っていて日光連山や那須連峰の高い所は雲に隠れている。 堤防の桜が満開になっている最上川を渡ると米沢駅だ(12:26)。 列車が止まってドアが開き、ホームに出た途端、駅舎の方から「ドカドカ ドッカーン」と轟音が響いてビックリ。 サテは過激派の爆弾か? と、思って恐る恐る改札口を出ると、駅前広場は大勢の人で一杯だ。 上杉祭りだと言う。 人ごみの向こう側から具足に身を固め、鉄砲を担いだ一隊が出て来た。 さっきの轟音は、鉄砲隊の射撃実演の音だったようだ。
寒冷前線が通過しているようで、落ち着きのない風が吹き、雲行きが早い。 山の上は荒れ模様になっているだろう。 果物を持って来なかったので、駅の玄関脇の自販機からミカンジュースの缶を買う。
12:51発のバスは5、6人の地元の人達が乗っただけで、山支度の客はない。 祭りで出て来た沢山の車で、ひどい渋滞になっている町中をやっとの事で通り抜ける。 船坂峠越しに掛かる辺りでは、ルーフのラックにスキーを付けた車が次々に降りて来る。 天元台のスキー場は結構賑わっているらしい。 他の乗客が全部降りて貸し切り同然になったバスは、13:40にロープウエイ駅に着いた。 最近事故があったようで、登山者カードに記入を求める掲示が大きく出ている。 記入用紙を取って切符を買う。 20人程のスキーヤーとキャビンに乗り込んで天元台に登る(14:00)。 スキー場はエラク盛況だ。 目当てのアルプ天元台は満員だと言う。 同系列のホテルにも聞いてもらったがやっぱりだめだ。 仕方が無いのでホテルの脇に並んでいるペンション民宿を当たって見る。 ここのスキー場はGWが最盛期なのだそうで、何処も満員だったが、一番奥の「シャモニー」の親切な女主人が何とかしましょうと受け入れてくれた(14:40)。 感謝感激である。 此処も三十人程の若いスキーヤーで満員だったが三人部屋の空きベッドの上で眠る事が出来た。

5月4日:
コーヒ、卵、などが付いたかなり本格的な朝食を食べ、8:45に出発する。 高い所には霧が掛っているが良い天気になりそうだ。 シールを張ったスキーを持ってリフト乗り場に行き、三本乗り継いで一番高い所に上がる。 最後のリフトを降りる時、番人から登山者カードの提出を求められた。 昨日記入しておいたカードを渡す。 今時までスキー場に来ている人達は上手な人が多い。 下のゲレンデよりもむしろ上の方が賑やかで、登って来るとどんどん滑って行く。 登山ルートはスキーコースより一段上にある様だ(10:30/40)。
スキーを引いて急な斜面を登ると右手に緩やかに登っているトレールがある。 西吾妻方面に向かうルートの様だ。 今朝は結構冷え込んだので、雪が締まっている。 スキーを履かずに登り続ける。 西吾妻小屋から来たらしい登山者のグループが降りてきた。 上は良い天気ですよ、と言う。 中大巓の肩まで行くと展望が開け、飯豊、朝日の連峰が真っ白な姿を現す。 この辺が北望台と呼ばれている所なのだろう。 雪がクラストしている。 後ろから中年夫婦の登山者が追い付いて来た。 右の方にトラバースして行くと、巾広く緩やかなコルを隔てて天狗岩のピークに正対する分岐点に着く(10:20)。 犬を連れた熟年登山者が休んでいる。 スキーとザックをデポし、テルモスと写真機を肩に掛けて西吾妻に向かう(10:30)。
なだらかな地形の所へ、一面の雪から反射する陽射しが強過ぎて、距離感が掴めない。思ったより早く天狗岩に登り上げた。 向こうから歩いて来た単独行の老人とすれ違う。 この人も西吾妻小屋に泊まったのだろう。 天狗岩の祠を右手に見る所からタンネの疎林の中に見える小屋に向かって直進する。 なだらかに下り、平らな雪原の真ん中を突っ切って行く。 天気は良し、春山歩きの醍醐味だ。
昨年お世話になった小屋の中に入って見ると、二人の中年登山者がラーメンを食べている(11:05)。 地元の人達で、今朝登って来て今日中に若女平経由で下山するのだそうだ。 中年夫婦も後から入って来たがすぐに出て行った。 テルモスの蜂蜜入りポカリスエットを飲み、煙草を一服して西吾妻に向かう(11:15)。




雪が深いのと気温が上がって来たためか、時々膝くらいまで潜る。 スキーを履いて来た方が良かったかな? と思う。 11:35に登頂。
西大巓が真近かだった。 5分ほど休憩して引き返す。 天狗岩とのコルに向かって樹林の中をまっすぐに下る。 短く登って左に折れ、隙間に雪が詰まった露岩の上を渡って行くと天狗岩の祠だ(11:45/50)。 思ったより大きくて立派な祠だ。 今回の山行の安全を祈る。
12:20にデポに戻る。 やや空腹を感じたので、昨日の残りのサンドウイッチを食べたあとシールを張ったスキーを着けて縦走に踏み出す(11:50)。 50m程登ると、右へトラバースして行くシュプールがある。 13:10に人形岩を通過。 大きくて良い目標になる岩だ。


かなたに大きく広がる平べったい三角形の東大巓。 さらに右の方へうねり重なりあっている一切経方面への峰峰。 遥か彼方まで連なる雪稜をひとりで歩き通せるのかなぁ? と、一抹の不安が頭を擡げるが、遠くなだらかに広がる樹林の中に黄色く見える明月荘に励まされる。
藤十郎へは、標高差200m程の下りだ。 荷物が軽ければ絶好のダウンヒルができる所だが、シールを付けたまま半制動、ボーゲン、キックターンで下る。 シールを外してヤッとばかりに滑り出したいのに、重いザックと衰えた足腰が恨めしい。 降り切ったコルは平原状の広い所だ。 所々に立っている赤布付きの竹ポールを追って行く。
13:45に藤十郎の肩を通過。 この辺りに中津川谷ルートと不忘閣へのルートが分岐している筈だが、指導標が雪に埋もれていて分からない。 東大巓への登りが始まる最低コルは中津川谷の詰めに当たっている。 (14:00/15)。
大分雪が緩んで来た。 坪足で歩いたら大変だろう。 この様な山ではこの時期、下りよりも登りの方でスキーが役に立つ。 雪上に残されたトレールは、人形石までに比べて格段に薄くなった上に広くなだらかな地形の中で迷いながら進んだ者が多いらしく、あちらこちらに散らばっている。 東大巓の頂上の方向と、弥平衛平の夏ルート図をにらみ合わせて適当な所を登って行くと、先の方に案内板らしい物が見えて来た。 近付いてみると大部分雪に埋まっているが、「弥平衛平」と読み取れる文字が記されている。 トレールは東大巓頂上の方から来たのと、小屋の方へ向かっているのとに二分している(15:00/05)。 登頂は明日にして小屋に向かおうと、シールを剥がす。


緩やかなタンネの疎林の間を、樹木と衝突しないよう慎重に滑って行くと明月湖らしい雪の窪地の縁に出た。 二階建ての小屋はすぐ先の台地の上だ(15:20)。
建物の周りだけ雪が融けているため雪原から小屋に入るには、2m位の壁を降りなければならない。 中に入ると階下は女性を含む三十才位の四人組が占領している。 人気のない二階の方が暖かくて良いだろうと覗いてみると、地元の人らしい三十台の男が一人寝そべっているだけで、十分なスペースがある。 垂直な梯子からザックを担ぎ上げ、人形石の方に向かった窓の下にマットを広げる。 作りの良いしっかりした小屋だ。 床もきれいで気持ちが良い。 西吾妻小屋もそうだった。 小屋の清潔さがこの山域を歩く登山者の質を表わしていると思った。
16:00の気象通報で天気図を描いて見ると、本州北部を移動性高気圧が覆っている。 等高線の形から高層にリッジが来ていると推定される。 明日も天気が良いだろう。 16:30過ぎから三々五々入って来たパーティは、殆ど一切経から縦走して様だ。 夕食の大盛り焼き蕎麦は旨かった。 運び難いのと、水を無駄に捨てなければならないのが欠点だが、料理が至って簡単な上に、いつも美味しく食べられる事は重要だ。 この夜の同宿は十人ほど。 穏やかな夜で熟睡した。

5月5日:いくらか雲が出ているが今日も好天だ。 昨日雪を溶かした作っておいた水でミルクコーヒをたっぷり作ってパンを食べる。 シールを張ったスキーを引いて7:15に出発。 潜滝谷の縁に添った夏道の辺りを直登して行く。 雪が締まっていて坪足で快調に進むが、絶好のスキーエリヤだ。 東大巓の頂上には先行した三十台の三人組が休んでいた(7:50/8:00)。



昭元山、烏帽子山、家形山と連なる縦走路が望まれ、遠くに一切経山の雪を被った裸の山体が覗いている。 随分遠い道のりだ。 途中で草臥れたら、家形山の避難小屋に泊まっても良いな、と考える。 スキーを履いて昭元山とのコルへ下る。 次第に尾根が狭まって、縦走ルートらしくなって来た。 最低コルでスキーを脱ぎ、ふたたびロープで曳く。 やや急な登りが終わると昭元山の広い頂上だ。 三人組が休んでいる脇を通り抜け、東の端まで行ってザックを下ろす(8:50/9:10)。 烏帽子山からニセ烏帽子、兵子をへて家形山へのルートが真近かに望まれる。 蜂蜜入りポカリスエットを飲みながら煙草を吸っていると、三人組の一人がやって来た。 昨日天元台から入り、今日中に一切経を越えて浄土平から下山するのだそうだ。
ここから烏帽子山へはかなり急なアップダウンだ。 昨日歩いて来たパーティのトレールにしたがってコルへ下り、烏帽子への登りに掛る。 椴松の矮木林の間を縫う様に登ると、急な露岩地帯に出る。 スキーを傷めてしまわないよう、ザックに着けていると三人組が通り越して行った。 すぐに傾斜が緩んで細長い頂上に出る(10:10/20)。


短いが、きつい登りだった。 三人組の脇で休憩する。  西から北への展望が開け、飯豊、朝日の連峰、月山の真っ白な山体、蔵王の大きな山体が望まれる。 北東には形に特長のある裸山の大日岳が見下ろせる。 三人組に記念写真のシャッターを押してあげる。 ここまでは、思ったより順調に来られた。 今日中に浄土平まで行けそうだ。 細い急な雪尾根を下り、樹林の中を右手に捲いて行くと雪塀の出ている大倉深沢の縁になる。 細い雪稜を登り加減に進んで行くと、ニセ烏帽子の頂上だ。 すぐ後ろに随いていた三人組をやり過ごす(10:57/11:00)。 11:15に兵子下を通過。 気温が上がり、雪面からの照り返しもあって汗が流れる。 大分腹も減って来たので、木陰にザックを下ろしてドーナッツとピーセンを食べる(11:25/55)。 顔が陽に焼けて皮が突っ張って来た。
家形山への登りは深い樹林の中を前川本谷の縁に沿って進み、右上がりに登って行く。この辺は、ルートが分かり難くてトレースも乱れている。 家形山は大きな山で、登り上げて平坦になってから物見岩の指導標のある所まで10分余りも歩いた(12:35)。 雪解けでグチャグチャした土の広場の真ん中に指導標が立っている。


真下は白く凍結した五色沼、向かいに一切経山が高い。 頂上に人がいる様だ。 左下の谷にトレースがあって家形山小屋の屋根らしい物が見える。 谷からスキーを履いた二人組が登って来て、五色沼の縁を通り、谷地平の方へ滑って行った。 12:55に腰を上げる。 五色沼の右側のコルへは急な雪の斜面を下る。 スキーを引いてグリセードという妙な下り方でコルに出た。
一切経の登りはスキーを履いた方が良さそうだ。 砂礫が露出しているので雪を拾って取り付きへ進む。 初めの内は緩かった傾斜が次第に急になり、到々スリップして転ぶ。 一息入れて立ち上がり、斜登高に切り替える。 スキーを叩き付けながら直登して来た三人組が脇を通り過ぎて行く。 荷が軽ければあれで良いんだけどなぁ、と思ったが、そのまま斜登高を続けて行く。
平石山との間のカール状の縁の尾根の上に出ると傾斜が緩む。 ここから上は裸の砂礫地帯なので、スキーを脱いでザックに着けなければならない。 フッと上の方を見ると、カモシカが来ている。 三人組に教えてやったら中の一人が「良い尻皮が出来るんだけどなぁ」、とつぶやいた(13:55/14:05)。
この斜面は風の通り道になっている様で、ザックに付けたスキーが煽られる。 疲れも溜まって来て踏ん張りが利かず、時々ヨタヨタする。 14:15、大きな石積みと、三角点のある頂上に登りついた。 三人組は何処へいったのか姿が見えない。 浄土平の方に霧が掛っていて良く見えず、暫くの間、方向が分からなくてウロウロしたが、ウッスラと吾妻小富士が見え、右手に進めば良い事が分かる。 煙草を一服して下山を始める。 歩きながら振り返るとピッケルを持った若者が上から降りて来ていて、こちらに向かって手を振った。
雪解けで土が露出した所はグチャグチャだ。 こんもり盛り上がった肩のピークの付け根のケルンに寄り掛かって休憩(14:45/15:00)。 今夜の泊り場、吾妻小屋の所在を確かめる。 気象通報が始まる16:00までには、なんとか小屋に入れるだろう。 平石山から中大巓へかけての斜面は、たっぷり残雪があって絶好のスキーエリヤのように見える。 道の先の方に人影がある。 どうやら三人組らしい。


露岩とグチャグチャ土のミックスした歩き難い下山路だ。 疲れも溜まっていてピッチが上がらない。 右下に酸ヶ平の避難小屋が見えて来た。 右下の谷筋には一杯雪が詰まっていて、二三人のスキーヤーの姿がある。 三人組も沢筋に滑り降りて行った。 15:40に浄土平の木道に着く。 時折、吾妻スカイラインの車道を車が走って行く。 車道の脇に立っている指導標に従って吾妻小屋への踏跡に入る。 桶沼の中腹を越して行く登りが辛い。 気象通報の時間が迫って来た。 15:55になっても小屋に着かなかったら、ザックを下ろしてエヤーチェックを使用と決心した時、斜面の陰から小屋の赤い屋根が姿を現した。 急いで小屋の前まで行き、ラジカセを出して受信を初める。


管理人が様子を見に出て来た。 今晩の宿泊を頼む。 ガラガラかな、と思って中に入って見ると、十五人程の客が居て、なかなか賑やかだ。 造りは古いが天井が高いしゃれた建物だ。 管理人も感じが良い。 回廊状の二階に荷物を上げ、出されたお茶を飲みながら天気図を描く。 今日の好天の元だった移動性高気圧は東方海上に去ったが渤海湾に次の高気圧が出て来ている。 明日も好天だろう。 連休前半とは打って変わった良い天気の周期に当たっている様だ。
この日の同宿は、12人。 疲れた胃袋がこなし切れないくらいの豪華な夕食を食べて、八時頃就寝。

5月6日:高層雲が出ているが落ち着いた空模様で、陽に焼けなくてかえって具合が良い位の天気だ。 計画では浄土平周辺を一回りして土湯峠まで行く事にしていたが、小屋の居心地が良いので、ここにもう一泊する事にした。 文字通りの休養日だ。 朝食が終わり、泊まり客が次々に出発して行くのを見送ってから支度に掛る。 スパッツのゴムバンドが疲れて来て、着けようとしたら次々に切れてダメになった。 予備のバンドと替えて見ると、短すぎて合わない。 仕方が無いのでゴム紐で代用する。 これに時間を食ったため、出発は9:30。 今日のザックは、行動食とテルモスとカメラしか入っていないから至極軽い。 兎平のキャンプ場を通り抜け、車道を横切って姥が原の方に向かう。 暖かな日で、上着のシャツを脱ぐ(10:15/25)。


沢に添った所から、蓬莱山を右に見て台地に上がると、姥が原の一角である。 スキーを脱ぎ、荷物を置いて鎌沼を見に行く。 今日高湯に降りると言っていた同宿三人男の一人と行き会う。 「此処まで登ってきたんですか」、と言われ、「休養日にしては歩き過ぎました」、と答える。
中大巓からの尾根と蓬莱山に抱かれたような池は、まだ凍結している(11:10/20)。 雪原を横切り、姥が原から谷地平への下り口へ行ってみる。 姥神の石像を探したが見当たらない。 もっと先の方に立っているらしい(11:30)。 元に戻り(11:40)、お昼のドーナッツ・ロシヤケーキを食べて再びスキーを履く(12:00)。
鎌が池の向こう岸を単独行のスキーヤーと同宿だったおばちゃん二人組らしい人影が進んで行く。 こちらは、蓬莱山の山裾を回って行く事にする。 一面の雪原で物音一つしない。 酸ヶ平に近付くと向こうから父親と娘らしい二人組が歩いてきた。 所々笹が出ている所を通過して、小屋の入り口に行き、中を覗いてみる(12:30)。 吹き込んだ雪が凍結しているが、四、五人なら十分泊れる。 小屋の前から平石山と一切経のコルに向かって延びる沢は、昨日見た通りに雪がいっぱい詰まっていて絶好のスキールートだ。 沢の上部に人影が見える。 向かいの尾根を登っている四、五人の人影が見える。 人の事は言えないが、のろのろぐずぐずしていて、登る気があるのかどうかと思うような足取りだ。 沢の上部に登ろうかとも思ったが、休養日にしては随分歩いたので、此処から下る事にする(12:40)。
シールを外したスキーを履いて滑り出す。 久し振りのスキーで斜面に突っ込むのに気後れする。 融けかかった新雪と、ザラメになった旧雪が交互に現れ、滑りが変わるので注意が必要だ。 狭まった沢が浄土平に向かって開ける所で、脇の岩蔭に人影が見えた。 同宿のおばちゃん達かも知れないと思ったがやっと滑りの調子が出てきた所なので、そのまま通り過ぎる。 最後の部分では高速ターンがなんとか様になってきた。 明日からの安達太良山へスキーを担ぎ上げる気にならないので、浄土平のドライブインから宅急便でも使えないかと様子を見に行ってみる。 福島市営天文台の建設現場の脇を通り過ぎようとする所で、工事のおじさんから「どっから来たんかねェ」と聞かれる。 東北の人達は純朴で、都会人からは失われた暖か味がある。 ドライブインは大きな食堂になっていて、丼物や麺類のサンプルが並んでいる(13:00)。 フラフラっと天ぷら蕎麦を注文した。 旨い。 店の中を見回したが宅急便はやっている様子がない。
諦めて帰り掛かったが隣に建っているビジターセンターに気がついた。 閑散としているが開いている様なので中に入って見る。 簡素だが吾妻山系の地形と地質、動植物の分かり易い説明パネルが並んでいる。 出口のケースの中に置いてあったパンフレットを買って出ようとすると、受け付けのおばさんがスライドを見ませんかと誘う。 良く分からなかったが時間はあるので「エエ」と答えると脇のスイッチを入れた。 玄関脇のドアを開けると大きなホールになっていて向かいのスクリーンに映像が写っている。 二台のプロジェクターを使って擬似動画を写しだすシステムで、吾妻連峰の四季の美しい映像が次次に写しだされた。 他の観客が居ないのを幸い、ベンチに寝そべって鑑賞する。 登山中に美味しい蕎麦を食べたり、スライドショウを見たりで、珍しい経験をしたが、中々楽しかった(14:00)。
スキーを担いで車道を歩いて小屋に戻る(14:20)。 オバサン二人組が戻っていて帰り支度をしている。 姥が原と沢の途中と二回会いましたねと言う。 遠目が利かないので自信がなかったがヤッパリそうだったのかと思う。 「登山用のプラブーツで良く滑れる物ですね」と言われたが、こちらにとってはスキー用の靴がどんなだか分からないので、「昔、山スキーを教わった時には、もっと浅い兼用靴でしたから別に問題はないですよ」、と答えると何だか感心された。 今のスキー靴はそんなに滑るのが楽なのかなぁ、と思う。
管理人夫婦が用事で下山しているので、二人組が出て行ってしまうと小屋の中はガラーンとなった。 今夜、泊まり客が他にいないと寂しいなぁ、と思いながら天気図を描いていると、二十台後半と思われる男が来た。 熊谷からだと言う。 鎌ヶ池越しに見えたのはこの若者だった様だ。 五時近くになって管理人が戻って来た。 今夜も美味しい夕食を食べ、階下の床の上に広々と布団を敷いて八時頃就寝。

5月7日:昨日、日本海に入った移動性高気圧の圏内で、抜けるような晴天になった。 九時半過ぎのバスで土湯峠へ行こうとしたが時刻表を良く見ると、休日のみの運行と記されている。 12時のバスでは、今日中にくろがね小屋まで行き着けない。 三日続きの山歩きで満ち足りたので、今回は安達太良山を省略して帰宅する事にした。 その代わり、土湯峠まで歩いて猪苗代に下山する。 時間的に余裕があれば、会津若松から会津高原鉄道を使い、東武線で浅草へ帰るのも一興だろう。 管理人に話すと、近道の仕方を親切に教えてくれる。
8:30に出発。 あちこちで写真を写しながらノーンビリと車道を歩いて行く。 道の両側は、2-3mの雪の壁になっている。 9:30に鳥子平、10:00に幕川温泉を見下ろすヘヤピンカーブの曲がり角に着く。 すぐ下のカーブまでショーとカットをしようと山に入る。 思ったより雪が締まっていて歩き易い。 下のヘヤピンカーブから幕川温泉に下るルートを探したが見つからない。 仕方が無いのでまた車道を進む。


近付いてきた安達太良山とその向こうの那須連峰、磐梯山が美しい。 道端に蕗の塔が沢山出ている。 車道がヘヤピンカーブを繰り返して相の峰の稜線上に降りる所で、再びショートカットする。 東吾妻と高山の眺めの良い、相の峰の肩で休憩(10:50/11:00)。
遠く西大巓から西吾妻への稜線が望まれる。 長丁場を良く歩いた物だ。 最後はやや疲れたが、12:00に土湯峠のドライブインに着く。 スキーをケースに仕舞い、山支度を解く。 バスまで時間があるのでドライブインの食堂でカツ丼を食べる。 定刻に猪苗代行きの福島交通バスがやって来た。 中にはカメラを持った五、六人の老人客が乗っている。 安達太良山への登山口がある横向温泉を通り、高森部落から吾妻磐梯レークラインに入る。 この辺の山の樹木は芽萌き時にあたり、心和む早春の気配だ。 秋元湖の湖畔から、深くえぐれた中津川谷を渡り、山に登ると小野川湖への展望が広がる。 五色沼のターミナルを経て、13:50に磐梯高原着。 猪苗代へのバスは14:15発だ。 これでは会津高原経由で帰るに時間が足りないのでJR線で帰ることに決めた。 14:45に猪苗代着。 あたりは桜と木蓮の花が盛りだ。 駅には大勢の観光客がいる。 郡山から新幹線で帰る事にしてその旨を家に電話で知らせる。 郡山着が16:03。 16:08に新幹線に乗り、上野に18:06。 七時過ぎに帰宅した。




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