浄智寺-葛原岡-大仏切通-鎌倉大仏 (2022.3.11)

(β版)

☆期日/天気/山行形式: 2022年3月11日/晴/ 単独日帰り丘陵ウオーク
☆地形図 (2万5千分1): 鎌倉(横須賀5号-3)、(1万分1): 鎌倉(横須賀5号-3-3-4)
☆まえがき
    昨年末から鎌倉の切通しの探訪を始めていますが今回はその四回目として、大仏切通しを訪ねました。
交通事故で大腿骨頸部を骨折した右脚のリハビリウオーキングですから、ある程度の距離を歩く必要があります。
北鎌倉駅を起点とし、浄智寺から葛原岡に上がり、源氏山から尾根を伝わってゆく大仏ハイキングコースを辿って見ることにしました。
大仏切通しを訪ねたあと藤沢鎌倉線の火の見下バス停付近に出たあと、さらにもう少しの街歩きをして鎌倉大仏を拝観し。さらに江ノ電長谷駅へ。
藤沢までクラッシックな電車ライドを楽んだあと小田急線、東急線を乗り継いで帰ることにしました。

 コロナ感染対策でインバウンド客が居なくなった鎌倉は、鎌倉殿の十三人関連の寺社旧跡を除けばほぼ昔と同じように落ち着いた雰囲気に戻っていますが、ハイキングコースは修学旅行の中学生、地元の幼稚園児童の遠足などで賑わっていました。


大仏切通しの切岸とやぐら  (画像をクリックすると拡大スクロール)

☆ルートの概要



 ルートマップを拡大表示

★ルート線は携帯端末内蔵 GPSで記録した実際の行動軌跡です。
     多くのマーカにその地点で撮った写真を参照するリンクが埋め込まれています。
     マーカの位置は現地で確認・補正してありますが GPS 自体のエラーは残っています。

<行動時間>

    宮崎台[8:13]=(東急線)=溝の口=(南武線)=武蔵小杉=(横須賀線)=[9:11]大船[9:18]=[9:21]北鎌倉駅(9:25)-浄智寺(9:35/39)-大仏ハイキングコース浄智寺入口(9:43)-尾根の背(9:47)-天柱峰の碑(9:55/10:03)-葛原岡神社200m道標(10:04)-葛原岡神社(10:13/21)-日野俊基卿墓(10:23)-大仏ハイキングコース入口(10:29)-銭洗弁天裏(10:37)-峰山梶原分岐(10:42)-佐助稲荷神社裏(10:45)-大仏ハイキングコース道標No.29(11:08)-T字路(11:14/23)-大仏切通標柱(11:32)-大仏切通始点(11:41)-大仏切通終点(11:46)-やぐら(11:47/53)-火の見下バス停(11:56)-大仏切通大仏側入口(12:07)-旧排水管理所(12:09)-鎌倉大仏殿高(12:17/30)-(12:40)長谷駅[12:53]=(江ノ島電鉄)=[13:21]藤沢駅[14:02]=(小田急江ノ島線)=中央林間=[15:13]宮崎台


☆ルートの詳細
<ルートの要所>

 北鎌倉駅は駅の後ろが円覚寺で、その背後の山は手軽な展望ウオーキングができる六国見山です。

 前年の秋から何度も通っていて、すっかりお馴染みになっています。

  駅前を横切っている車道に出たところで左折し、少し進んで右折して道路を渡ると浄智寺の入り口です。

この寺の唐様造りの山門は鐘楼を兼ねていて独特の雰囲気を醸しています

  浄智寺の本堂を右に見て谷戸の奥へ進んでゆくとまもなく車道の末端になりました。

  バイクならなんとか通れるかもと言うくらい幅のコンクリート舗装路を登ってゆくと次第に傾斜が増してきて階段になりました。

  道の左側に尾根の背を掘り切った切通しがありましたが通り抜け禁止でロープが張ってありました。

 さらにひと登りして尾根の背に上がると常緑樹の中木の中を行く広い歩道になりましたに覆われた見た所からひと登りで尾根の背に上がった。


  右折して木の根が張っている尾根の背を登って行くと天柱峰で、不思議な形をした石柱が立っていました。

  天柱峰のすぐ先で東慶寺の裏山の尾根の背を通ってきた大仏ハイキングコースと出会いました。
T字路の角に立っている、葛原岡 200m 銭洗い展示 600m と記した道標に従って左折しました。

  メインルートに乗ったら平坦で良い道になり、気分良く歩いてゆくと先の方に子供達のグループが見えてきました。

 追い付いて何年生?と尋ねたのは見当違いで、幼稚園の年長組でした。

 この前、高野切通しで出遭った幼稚園児のグループもそうでしたが、この時期の子供は発育の違いによる体力の差が大きいようです。
先頭を行く子は元気が有り余っている風なのに一番後を従いてゆく子はいかにも疲れてしまったような様子でした。

  天柱峰から僅か歩いたあたりで行く手が開けてきて源氏山公園の一角に着きました。

  広場の右脇に葛原岡神社の入口がありました。
明治時代に建立されたごく新しい神社で、倒幕謀議の疑いで捉えられ、葛原岡で処刑された日野俊基を祀っているのだそうです。

、短い参道の奥にある社殿が普通の神社と違って大ぶりの祠とでも言えるような慎ましい造りになっていたのはこのような事情によるのかも知れません。

  神社前の広場を通って源氏山公園の中を横切ってゆくと梶原から佐助の谷戸に乗越してゆく道と大仏ハイキングコース交差している十字路に出ました。

角の石垣に分かりやすい道標がありました。

  開けた尾根の背に出ました。

長谷方面の眺め  (画像をクリックすると拡大)


  左手が開け、鎌倉駅から材木座方面への視界が得られました。
山の下は銭洗弁天でそちらに降りてゆく分岐もありました。

  葉を落とした中木の林がきれいな平地がありました。
緑の時期に来れば良い休み場になるでしょう。

  細尾根になり自然林の中を進むと峰山梶原口分岐の標識が立っている三叉路を通貨しました。

  このあたり地元幼稚園年長組の遠足と一緒に歩くこととなりました。
 元気いっぱいで歩いている子が居ると思うと、ブランド物の山支度なのに "モーヤダー" というような素振りをsしながらやっと歩いている子も居て、みんな違って面白いどころではない状況で保母さんたちが大変そうでした。

  鎖の手すりが付いた急降下になりました。。

  切通しの壁に設けられた階段を降りた所で古い乗越道とT字に出合いました。
大仏切通への道かも、と思て右折して進んでみたらすぐに住宅街が見えてきて間違いだったことが分かり後戻りしました。
T字路を通り過ぎるとすぐに鎌倉側への急降下になりました。

  ひと下りした所に左の写真のように右手に登ってゆく階段が現れました。
登り口には大仏切通しへの入り口であることを示す標識が立っています。

  階段を上がってゆくと乗越頂上の立木に地形の改変を禁止する旨を記した看板が取り付けてありました。

 MTB かなにかで通りやすくなるためとかで、道を弄った者が居たようです。

  乗越の先は木製階段の急降下でした。
人一人通れるくらいの幅に頑丈な杭を立てた柵があってMTBが走れないようになっていました。

  山際を横切ってゆく所は、左側が開けて明るく、気分良く歩きました。

  切通しに差し掛かりました。
初めの所は土を掘り下げただけの平凡な様相です。

  大仏切通の標識が立っていました。

  岩を掘り切った典型的な切通し道になりました。

  堀切が深くなり、本格的な切通しになりました。
記録によれば、この切り通しができたのは仁治2年(1241)から建長2年(1250)にかけてだそうですが、近世から近代にかけて地形が改変されずに済んだため、鎌倉時代と大差ない状態で残っていると言われています。

  向こうから親子連れがやってきました。
初めて見る切通の異様な地形に興奮している様子です。

  切り通しから抜けだしたところの右側の岸壁(鎌倉では切岸と呼ばれている)にある "やぐら" の見学路が分岐していました。

  木製階段を上がって見ると岸壁に幾つもの角穴が掘られていました。
鎌倉時代に墓地として作られた洞穴だそうです。

長谷方面の眺め  (画像をクリックすると拡大)


  大仏切通とやぐらの解説板が立っていて、大仏切通しが原形を損なわれずに残った事情も詳しく記されていました。

  ”やぐら" の先の林の中をを下ってゆくと住宅街の裏手の道に出ました。

  僅か歩いて藤沢鎌倉線に出ると右手に火の見下バス停のポストが見えましたがリハビリ・トレーニング目的の遠足で来ているのでバス停の方とは反対の左手へ。
長谷方面に向かって歩き出しました。

  少し歩いた所にトンネルがありました。
先刻見た説明板によれば、近世に行われた道路拡張において、地形が厳しい大仏切通しルートを避け、こちらにトンネルを堀り抜いたのだそうです。

  大仏坂トンネルを潜って長谷側に出た所に左のように道路脇から山に上がってゆく階段道がありました。
入口に葛原岡・大仏坂ハイキングコース入口の標識が立っていました。

  階段登り口のすぐ先に左の写真のような建物がありました。
趣のある建物で入口ゲートが空いていたので玄関先まで覗きに行ってみたら、庭先に止まっている車の中にいた人に立入禁止だよ、と怒られました。
急いで玄関の軒下に刻んであった文字の写真を撮り、ゲートの近くから建物全体の写真を撮りました。
軒下は五文字の崩し漢字で、読めない文字が混じっていましたが家に帰ったあと難読文字をチェックしてみたら 「清泉万戸をうるおす」 とでも読めば良い、と言うことが分かりました。
 この建物は Google Maps では "大仏坂体育館" と表示されていますがモトは水道配水施設だった建物が最近まで体育館として転用されていたようです。
 すでに民間に払い下げられて取り壊し工事の準備が始まり、商業ビルか何かに建て代わるのでしょう。

  暫く歩くと鎌倉大仏高徳院の入口に着きました。
大仏切通しを通ってきたところでもあるから久しぶりに拝観して帰ることにして、山門脇の木戸口で拝観料を払って境内に入りました。

長谷方面の眺め  (画像をクリックすると拡大)


  大仏前の広場に出ると奥の壇上に鎮座している阿弥陀如来像が見えました。
コロナのせいで閑散としていましたが、修学旅行の高校生らしい男女が数十人歩いていました。

長谷方面の眺め  (画像をクリックすると拡大)

  "美男におわす" と与謝野晶子が読んだこの阿弥陀様は、離れた所から見るとうつむき加減の前かがみで至極温和な感じに見えましたが、足許まで近寄って仰ぎ見ると様相が一変。
堂々峻厳たるお姿に变化します。

 この日の心地よいウオーキングに感謝し、あわせて、この先の晩年の日々を、穏やか、健やかに送れますように、とお祈りしました。

  大仏詣でのあと、良さそうな蕎麦屋を探しながら歩きましたが良さそうなのが見つからないうちに江ノ電長谷駅に着いてしまいました。

 蕎麦は藤沢であらためて探すことにして上り電車に乗り込み、帰途に就きました。
レトロな電車は、昨秋乗った富山地鉄のと同様、時々一般道路と交わりながらゆっくり走り、湘南海岸の景色を楽しませてくれました。

 藤沢の駅の周りは新旧様々なお店ができていて選り取り見取りでしたがたまたま食べてみた九州風鴨せいろはなかなか結構でした。

☆ルートの詳細

詳細ルートマップ
    (縮小画像をクリックすると元図が表示されます)



★このルートマップは Windows アプリの "カシミール3D" に国土地理院新版淡色レベル16 を読み込んで作成しました。
GPS軌跡の記録とマーカー座標の補正には Android アプリ "山旅ロガー"、"地図ロイド" および Windows アプリ "カシミール 3D" を使用しました。

元図をダウンロードしたらA4紙縦一杯にプリントすると約12,500分1になります。
念のため、国土地理院地形図との照合をお勧めします。




 行動GPS軌跡・地点マークのダウンロード

 ★上のルート図の GPS 軌跡と地点マーク
情報によって作成したGoogle マイマップから
地図全体を kmz 形式ファイルにダウンロードしたものを取り扱いの便利を考慮して ZIP アーカイブにしました。
要すればルート図の復元にご利用下さい。




Googleフォトアルバム
 ★撮影地点の経緯度情報が付いた元画像のアルバムが見れます。

☆おわりに
  今回の山行によって、鎌倉七口のうち釈迦堂切通のほかはひと通り探訪したことになりました。
釈迦堂切通しの場所は先年訪ねた衣張山の麓ですが、大雨の影響かなにかで落石の危険が増しため立入禁止になって、近づくことができません。
 大規模な地形改変によって原形が失われ、接近することもままならず、となってしまった巨福呂坂切通しよりはマシですが残念な状態です。
 これに対し、大仏切通は元の地形がよく保存され、かつての軍事都市鎌倉の防御装置の姿を偲ばせてくれ、貴重な史跡だと思いました。

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