渋沢丘陵 頭高山-八国見山-震生湖 (2020.4.11)

(β版)

☆期日/天気/山行形式: 2020年4月11日/ 晴/ 日帰り軽ハイキング
☆地形図(2万5千分1): 秦野(東京16号-2)
☆まえがき
    前回の山行で頂上の脇を通った頭高山が首都圏有数の八重桜の花見の名所であることを知りました。
八重桜が咲き揃う時季に合わせ、老友を誘って10年ぶりに訪ねてみることにしました。

 コロナウイルス感染予防が叫ばれ、高齢者には家ごもりがすすめられている中での山行でしたが、穏やかな好天に恵まれ、八重桜の林はハッとするほど綺麗でした。
穏やかに起伏している渋沢丘陵の尾根筋から眺める丹沢の山並みが美しく、伝染病禍の鬱屈からの、ひと時の解放を楽しみました。


頭高山頂上手前鞍部の展望  (32画像をクリックすると拡大スクロール)

☆ルートの概要



 ルートマップを拡大表示

★ルート線は携帯端末内蔵 GPSで記録
     した実際の行動軌跡です。

     多くのマーカにその地点で撮った写真
     を参照するリンクが埋め込まれています。

     マーカの位置は現地で確認・補正して
     ありますが GPS 自体のエラーは残って
     います。

<行動時間>

    宮崎台[7:08]=中央林間=相模大野[8:11]=(小田急新松田行急行)=[8:48]渋沢駅/南口バス停[9:18]=(神奈中バス 渋03)=[9:25]峠バス停(9:25)-畑の展望台(9:37)-かりがねの松(9:43)-頭高山入口(9:46)-頭高山(10:12/25)-分岐(10:41)-かりがねの松(10:56)-畑の展望台(11:03)-八国見山入口(11:22)-八国見山(11:34/43)-八国見山入口(11:53)-栃窪神社入口(12:03)-栃窪会館(12:08)-震生湖へ 1.4Km道標(12:16)-震生湖入口(12:44)-秦野福寿弁財天社(12:50/13:10)-金井場休憩所(13:29)-(13:41)南ヶ丘一丁目バス停[13:47]=(神奈中バス 秦90)=[13:55]秦野駅[14:19]=(小田急新宿行急行)=[14:55]町田=(横浜線)=長津田=[15:40]宮崎台


☆ルートの要所

  渋沢駅は秦野、伊勢原と並ぶ丹沢の玄関口です。
週末の朝は大勢のハイカーで賑わうものですが今回は我々のほかに山支度の者は1人も居ませんでした。

 南口バスターミナルから出ている峠行きバスも貸切状態となり、閑散とした街中を走ってゆきました。

 市街地の一番奥にある渋沢中学校の横手から坂を登ってトンネルを潜り抜け、坂を下ると間もなく終点の峠バス停に着きました。

  バスがきた方へ少し戻ったところから左手に別れ、緩やかに登ってゆく道を進みました。
まわりは芽吹きの里山です。
山畑の土手に春の花が咲いていました。

  ゆるゆると登って丘陵の尾根筋を通っている道と出合ったところは "畑の展望台" と呼ばれていて、ポータブルトイレと野外ベンチが並んでいる小園地になっています。

 ベンチの脇に立つと山畑の先に丹沢の山並みを見渡すことができました。

畑の展望所の眺め  (画像をクリックすると拡大スクロール)

  西に向かって林と畑の境を進んで行くと三叉路に着きました。
この三叉路は前回の山行で富士見塚・三島社方面から歩いてきて通った所です。

 曲がり角に道標が立っていて、右へ 5.0Km 進むと震生湖、左に行くと 0.4Km で頭高山入口、渋沢駅へは 2.8Km  と表示しています。

  右折して緩やかな坂を下ってゆくと右脇の小高い所が "かりがねの松" で赤塗の覆屋に納められた石祠が置かれています。

 鎌倉の若武者を慕って京の都から旅してきた女性が雪の日に行き倒れ、村人の介抱空しく亡くなってしまったのを哀れんで松が植えられた所です。

  悲恋のモニュメントから元の道に降りて僅か進むと薄紅に咲き揃った八重桜林が行く手に見えてきました。

 左に分かれてゆく道があり、入口の角に頭高山へ 1.2Km 15分 と記した道標が立っています。

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  頭高山への道を進むとすぐに桜林に入り、赤味が濃いもの、薄いもの、様々な色合いの八重桜花が混じって綺麗でした。

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  綺麗な花を愛でながら進んで行くと浅い鞍部を渡る所で右手に視界が得られ花の背後に丹沢の山並みが見えました。

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  鞍部の向かい側には合掌を象った慰霊碑がありました。
芽吹きが真っ赤な楓と薄紅の桜と芽吹きの黄緑のミックスが綺麗でした。

  次の鞍部は右手が大きく開け、桜のピンクと芽吹きの山林の黄緑のパッチ模様の方に丹沢の表尾根から大山への尾根筋が見えました。

  地図に "ずっこうやま休憩所" と記入されている所には、こじんまりした園地の奥に公衆トイレがあり、まわりが紅色の花に囲まれていました。

  頂上の肩を鉢巻状に周回している道に入りました。
まわりが開けて明るく、頭上に青空が広がって爽快です。

  ほぼ半周した所に頂上への道の分岐があって標識が立っていたので左折して登りにかかりました。

  ひと登りして小判形饅頭のような頂上の一角に上がると、左の写真のように前方に東屋が見えました。

 この写真を撮った場所の左脇に三角点標石があった筈でしたがうっかり気づかずに通過してしまいました。

  東屋は小判形の頂上の東寄りにあってそれに向かい合って山名の由来を説明する看板が立っています。
また東側へ一段下がった所に秋葉神社(?)の祠が安置されています。

 東屋はまわりを樹木に囲まれていて捗々しい展望は得られず、僅かに林の隙間から箱根方面が見えるだけでしたが、まわりの芽吹きの森の中には蘇った命が充満しているの雰囲気がありました。

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  たっぷり休憩したあと渋沢丘陵トレイルに向けて出発しました。

 頂上東肩から時計回りに周回路を歩いてゆくと四十八瀬川の向こう側に立っている松田山が間近かに見えました。

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  周回路が終わって最前登ってきた道に戻ると間もなく桜林の先に広がっている西丹沢の高原状丘陵の新緑がきれいでした。

  景色に気を取られながら歩いているうちに渋沢丘陵ルートから外れてしまい、千村の方に降りてゆくルートに進入しました。

前回山行で通った "頭高山を愛する会" の看板がある十字路に出てルートミスに気がついたので右手に登り返し、先刻通った登頂路入口から、かりがねの松を経て畑の展望所へ戻りました

  展望所から西へ向かう道は尾根筋に残っている山林と山畑の境を通っている舗装農道でした。
昔は山道を歩いたような気がするので尾根の背に上がってみましたが藪に埋もれて廃道と化していました。

 農道に戻って進むと向こうから歩いて来た数人のハイカーとすれ違いました。

  道端に "頭高山から約 2Km"、"震生湖へ約 4Km" と記した道標が立っていました。

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  農道の右側が山畑になって視界が広がり、芽吹きの里山の先の方に箱根山が見えました。

  左手へ渋沢中学校への道が分岐している所の角に立っている道標には、震生湖へ 4.3Km と記してありました。

(画像をクリックすると拡大)

  林道、農道の分岐がいくつかあって進む方向が分かり難くなりましたが、たまたま散歩に出てきた地元の人と出合ったので良い道案内が得られました。

 道案内の人に勧められたので八国見山に立ち寄ってゆくことにしました。
入口に角に立っている手造りの案内板に "ちょっとよりみちをしてみませんか 八国見山 15分" と記してあります。

  右折して山腹を横切ってゆく林道に進入してみたら思ったより長い道で、こんない深入りして大丈夫か?と心配になるほどでした。

  山の裏側まで回り込んだ所で大きな電波塔が立つ広場に出ました。

 八国見の展望所は電波塔広場らしいのですが雲が多くなって視界を遮るようになっていたのと頂上の様子が気になるのとで広場の入口から右手へ上がってゆく手造りの竹手すりの細道に進入しました。

  頂上は思ったより広く平らな広場でした。
穏やかな雰囲気の漂う良い休み場で、 "八国見" の国名を記した看板が立っていましたがまわりを囲んでいる闊葉樹林に視界を妨げられ、一国しか見えません。
八国を見るには、木の葉が落ちた時期に来なければならないようです。

 元の道に戻ため頂稜に沿った溝の底を通っている長い道を歩きました。
この溝は、多分、大地震の時に頂稜の片側がずり落ちでできた二重山稜ではないかと思いました。


 思ったより長かった道を歩いてもとの登山口に戻りました。
小さいが長い頂稜を一番奥に頂上がある変わった形の山でした。

  栃窪を経て震生湖へのルートに戻って進み始めると間もなく赤鳥居の下を通りました。
"宇主山の蟠龍王様" の説明札が立っていて、なかなか怖い神様が鎮座している事が分かりました。

  栃窪神社の参道にT字に突き当たって左折。
桜並木の参道を下ってゆくと栃窪の村に入りました。

 角に栃窪会館、その先の右手の高みの上に真栖寺がありました。
 寺の境内に上がってゆく道の入口に "大勢のハイカーが入り込んで飲み食いをするのは迷惑がから立ち入らないでくれ" の旨を記した掲示板が出ていました。

  栃窪の集落を出外れた所に立っている道標には頭高山入口から 3.7Km、震生湖へ 1.4Km と記した道標が立っていました。。

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  ルートの左側が開け、果樹園の先の方に秦野の市街地が広がっていました。

(画像をクリックすると拡大)

  広い畑に差し掛かると右手への視界も得られるようになり、二宮、大磯方面がえるようになりました。
海も見えるのでしょうがこの日は霞が濃くてよく分かりませんでした。

  小高い所に秦野市水道向山配水場の巨大な給水タンクがありました。

  藪が刈り払われて普通の自然林とは違う雰囲気の林の脇を通りました。
やまゆりの里として地元のロータリークラブが整備している林地のようでした。

  畑の間の農道が舗装路と出合うとすぐ先に小さな森がありました。
道端に "震生湖バス" のポストと "峯坂" と刻んだ石標が立っています。
木立の中には大震災埋没者供養塔も立っているそうです。

 供養塔は、関東大震災の時に、この丘陵の南麓にある平沢地区(旧平沢村 戸数235、家族人員1536名)が死者11人、全壊住家73戸、半壊住家106戸という被害を受けたのを供養するものです。

  駐車場の向かい側に "震生湖公園入口" と記した看板が立っていました。
入口の脇に "湖畔まで 0.1Km" と記した看板が立っています。

  芽吹きが綺麗な林の中を下りました。
0.1Km とあった下降路はじっさはもっと長く、地図で測ってみると水平距離 160~170m、高度差が 40m でした。

(画像をクリックすると拡大)

  震生湖はもとは谷戸だった地形の下の方で崩落が起き、水の流れが塞がれてできた湖で細長い形をしています。
  急な斜面を横切ってゆくと弁天宮があり、赤塗社殿の前に設けられた野外ベンチで昼休みをしました。

 関東大震災のあとにできた神社ですが、熊野古道後鬼の湯洞川近くにある天川弁財天を分祀していますから三大弁財天の系譜を引くものです。

 休憩のあと赤い幟が林立している参道を通って上の車道に登り、右折して尾根の末端へ向かいました。

 緩やかに起伏している丘の背の道を進んでゆくと右手に広がっている盆地一杯に広がっている秦野市街が一望でした。

渋沢丘陵今泉付近の展望  (画像をクリックすると拡大スクロール)

  小高い所に上がると金子場休憩所で、道の右脇に据えられている野外ベンチで家族連れが休んでいました。

行く手に秦野総合高校が見えてきました。
可愛い天体観測ドームを載せた白塗りの校舎はなかなか良い格好をしています。

  校門の前の道路に降りて左折し、丘陵末端の高台の上にある高校キャンパスの下の石垣に沿って坂を下りました。

  高校正門へ行く道を右手に見送って坂を下ってゆくと "南ヶ丘一丁目" のバス停ポストが立っていました。
秦野駅南口行バスが毎時4~5通過していて次の便の定刻まで6分。 ほとんどジャストインタイムでした。

 バスは朝と違って2、3人の先客が乗っていましたが秦野駅は驚くほどの閑散で駅のまわりの飲食店もすべて休店でした。
時間が早かったのでちょっと飲み食いをしてから帰ろう、と思っていたのがあてが外れて仕方なく、そのまま新宿行電車に乗って帰りました。


☆ルートの詳細
詳細ルートマップ (縮小画像をクリックすると元図が表示されます)


★このルートマップは Windows アプリの カシミール3D に国土地理院新版淡色レベル16を読み込んで作成しました。
 GPS軌跡の記録と地点マーカ位置の補正には Android アプリの山旅ロガーと地図ロイドを使用しました。
 ルートの詳細を伝えるため元図はサイズが大きくなることがあります。
 ダウンロードしたら適宜縮小するか要所を切り出して印刷、利用してください。
 縦横比は維持し、スケールも付けてありますが縮尺は不定ゆえ国土地理院の紙地図と照合するなどで推定してください。



 GPS軌跡・地点マークのダウンロード
 ★上の地図の GPS 軌跡と地点マーク情報をまとめて ZIP 圧縮したものです。
   解凍するとそれぞれの GPX ファイルが得られます。



Googleフォトアルバム
 ★撮影地点の経緯度情報が付いた元画像のアルバムが見れます。

☆おわりに
    好天のもと、八重桜満開の頭高山から八国見山、震生湖を経て秦野総合高校まで、春の盛りの渋沢丘陵の尾根筋ウオーキングを楽しみました。
桜の花だけでなく、芽吹きの森の黄緑、丹沢表尾根のスカイラインが綺麗でした。
コロナウイルス感染対策緊急事態の成り行きが不透明な中、貴重なアウトドア運動ができました。

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