六本松跡-曽我山-いこいの村-了義寺(2020.2.19)

(β版) 

☆期日/天気/山行形式: 2020年2月19日/ 晴/ 単独日帰りハイキング
☆地形図(2万5千分1): 小田原北部(横須賀13号-1)
☆まえがき
    寒中の運動不足を埋め合そうと、曽我丘陵を歩きに行ってみました。
曽我丘陵は、20年あまりもの昔、大病のあとのリハビリの最初のハイキングで歩いているところですが、長年月の間に山の様子が変わっていて、初見の山と変わらぬ新鮮味がありました。
雲がやや多目でしたが空模様は落ち着いていて、富士、箱根、丹沢の山並みがよく見えました。
花盛りの曽我梅林がとても綺麗でした。
小田原、大磯のあたりの海も見えて展望を楽しむ昼ウオークキングができました。


曽我谷津梅林上部の展望  (画像をクリックすると拡大スクロール)

☆ルートの概要


 ルートマップを拡大表示

★ルート線は携帯端末内蔵 GPSで記録した実際の行動軌跡です。
     主なマーカは、クリックするとその地点で撮った写真の縮小画像を表示できます
     ほとんどのマーカは現地で位置を確認し、補正してありますが GPS 自体のエラーは排除できません。

<行動時間>

    宮崎台[7:50]=(東急線)=中央林間=(小田急江ノ島線)=[9:08]藤沢[9:12]=(JR東海道線 熱海行)=[9:36]国府津[9:50]=(御殿場線御殿場行)=[9:54]下曽我駅(9:57)-越前寺(10:19)-曽我裕信宝篋印塔(10:48/51)-六本松峠(10:10/18)-尾根上登山口(11:33)-不動山(11:49/53)-浅間山(12:23/26)-いこいの村へ1.7Km 道標(12:45)-いこいの村あしがら(12:58/13:20)-おおいゆめの里(13:25/30)ー上大井駅へ2.1Km 道標(13:41)ー了義寺(13:54/14:00)-(14:28)上大井駅[14:49]=(御殿場線沼津行)=[14:55]松田/新松田[15:00]=(小田急快急新宿行)=町田=(横浜線)=長津田=(東急線)=[16:27]宮崎台


☆ルートの詳細

<ルートの要所>

  このハイキングの出発点は御殿場線の下曽我駅でした。
アプローチルートはいろいろ考えられましたが、時間的に最も短くなりそうなのは、中央林間-藤沢-国府津ルートでした。

 行き着いた駅は、左のように小綺麗な蔵造りの駅でした。
改札口から出ようとしたら Suica が使えないと言われ少々まごつきました。
 御殿場線はJR東海のエリアだから駄目、と言うのです。
Suica は関西や西日本でも使えているのに首都圏の縁にある下曽我でだめと言うのが不思議でした。
(この(2週間ほどあとの3月2日に ICカード改札機が導入されたそうで、今は Suica がつかえるようになっているかも?)

  歩き出しの方向を間違えたせいで、少々の遠回りをして下曽我駐在所前の交差点に出ました。

 交差点の向こう側の左手に曽我神社参道入口の大鳥居が立ち、右手には城前寺入口の標識が出ています。

  城前寺の脇を通って山の方へ進んでゆくと複雑に枝分かれしている農道の要所に左のような道案内が立っていて進路の選択を助けてくれてくれます。

  梅林に植えられている梅は実を取るための品種なのでしょうが彼岸桜に似た薄紅色がとても綺麗でした。

  緩やかに坂を登ってゆくにつれて視界が開け、右手を振り返ると箱根から足柄の山並みの先に富士山が見えるようになってきました。

 地球温暖化の影響でかつて経験したことがないほどの暖冬になっていますが、富士山は森林限界の上が真っ白な見慣れた姿をしています。

  やがて進行方向右側の梅林の先に相模湾の海面が見えて来ました。

  曽我裕信宝篋印塔の看板が立っていたので立ち寄ってみました。

 農道から一段上がった頃にある木立の茂みの中に大柄の宝篋印塔が立っていました。

(画像をクリックすると拡大)

  宝篋印塔から道に戻ったまた六本松跡に向かって進みました。

 谷奥の斜面を回り込みながら徐々に高度を上げてゆくと視界が広がり、広大な風景を見渡せるようになりました。

 左の写真はその一部に過ぎません。
この地点で見えた景観の大部分をカバーするにはページ冒頭のようなパノラマ写真を撮る必要がありました。

(画像をクリックすると拡大)

  六本松跡が近くなってきました。
高い所は梅林だけでなく柑橘類の果樹畑もあって常緑の濃い緑色が交じるようになりました。

(画像をクリックすると拡大)

  ゆるゆると登ってゆく道に沿った梅林が花盛りで、とても綺麗でした。

  六本松跡に着きました。
曽我別所から足柄峠へと通じていた 「鎌倉道」 の峠として人通りが多かったようです。
"六本松跡" と刻んだ石碑と芭蕉句碑が並び立っています。

(画像をクリックすると拡大)

  石碑の前から北に進んで行こうとすると右側に視界が開けました。
遠くに見える電波塔がある山は大磯の湘南台のようです。

  幅広い舗装車道を進んでゆくと右へカーブしてゆく所から分岐してまっすぐ山に分け入ってゆく歩道があり、入口に曽我山登山口の標識があありました。

  歩道は U字状に凹んだ溝になっていて、昔からのもののようで、シッカリ踏み固められていて、結構な人通りがある事が分かります。

  国土地理医院地形図に "曽我山" と書き込まれているコブを越えた所で右手へ回り込んでゆく本道から別れて左の尾根の背に上がってゆく細道がありました。
地形図ではそちらが不動山頂上へ通じている様に記されていたので進入してみました。

  林立している大木の間から緩やかに登ってゆく道は細いながら藪が被っているところもなく気持ち良く歩き、やがて "不動山" と記した山名標識が立っている小広場に着きました。

 不動山は標高 328mで曽我丘陵の最高点ですがまわりが杉の密林になっているため展望は得られません。

  山名標識の後ろから右手へやや急に下って行くとすぐに本道とT字に出合いました。
普通は、本道を進んできてこの出合い地点から頂上へ往復するようです。

  "本道" を僅か進んだ所にある小さな鞍部を車道が乗り越えていました。
車道を横切って先に進むと道幅が広がり、平らな尾根の背を行く幅広い道になりました。

  行く手の茂みの上に電波塔が見えてきました。
小田原FM の中継所です。

 道の上下が少なくなるとともに幅が広がって小型車なら通れるような感じになりました。

  中継所の先を下り気味に僅か進んだ所にもうひとつ鉄塔が立っていました。
その足元から右手へ下ってゆく道があって、分岐点の角に、古怒田菅原神社へと記した標識が立っています。

  僅か登っていった高みに大きな水槽がありました。
地形図に浅間山(317m)と書き込まれているところです。

  水槽のすぐ先に鉄フェンそで囲まれた無線中継所がありました。
工事で来ていた人達が道端で昼休みをしていました。

 尾根を乗越している車道があり、右手に下ってゆくと中井町古怒田に通じていることを示す標識が立っていました。

  "至 いこいの村" と記された赤塗りの道標が立っていいました。
"いこいの村" は昔はなかった施設です。
今回はそこまで尾根伝いをして、どんな所か見て帰る積りでした。

(画像をクリックすると拡大)

  これまで登り下りを繰り返していた道が下り調子になりました。
ブラブラ歩いても距離が稼げるようになり、気分良く進んでゆくと右手が開けた所に出ました。
遠くの方に連なっている丹沢の山並みが綺麗です。

  綺麗な並木道がありました。
神社か寺の参道だったのか、ここだけは他と違った雰囲気が漂っていました。

  左から登って来た道が出合っている所にいこいの村へ 0.7Km 10分と記した道標が立っていました。

  道標の先 100m 程の所に "赤田給水池" の門柱がある塀囲いの施設の脇を通過しました。

  GPS ナビゲーションで参照している国土地理院地形図に 219.1m の三角点記号が書き込まれていました。

実物を検分するため、給水地の先 200m ほどの所で道の右側の高みに上がって見たら僅かに残留している山林の中に目印の白杭が立っていました。

(画像をクリックすると拡大)

  標石の脇に立ってみると左手に箱根連山から足柄峠、正面に丹沢、右手に伊勢原、厚木方面が見え、三角測量の中継点として最適な地点のように思いました。

  行く手に "いこいの村あしがら" の建物が見えてきました。
見晴らしの良い山上に整備された園地の中に立派な宿泊施設があります。




 いこいの村入口ゲートの向かい側にある大井町郷土資料館の脇に立つと下のような美景を見ることができました。

いこいの村付近から丹沢方面の展望  (画像をクリックすると拡大スクロール)

  いこいの村の建物の北側には道の駅 四季の里直売所がありました。
新鮮な野菜などが買えるということでしたが山の中を大根を担いで歩きまわる気にはなれかったのでスキップしました。

(画像をクリックすると拡大)

  直売所を通り過ぎると右側が丁字が原農村公園、おおいゆめ里として園地が整備されていました。

 箱根連山と富士が見える斜面が紅梅のピンクに覆われ、足許には水仙と菜の花が咲きそろって綺麗でした。

  梅林の先からやや急な坂を下り、山の下を通っている車道に出合うとT字路の角に上大井駅へ 2.1Km の道標が立っていました。

  右折して山麓の道を進んでゆくとT字路に突き当たり、右手に了義寺寺の山門が見えました。

 南北朝時代の延文5年(1360)創建の古刹です。
山門を潜った先から石段を登り上げたら広場の向かい側に端正な本堂がありました。

  拝観を終えて駅に向かって歩き出すと間もなく、風流なゲートのある民家の入口の前を通りました。

 日本の田舎の村を歩いていると、あちこちで綺麗な花や庭との遭遇があります。
 いろいろな花が咲き出してくる春は格別で、下手な里山を歩くより、村里を見て歩く方が楽しいかも、と思うほどです。

  駅に向かって田んぼの中の道を歩いてゆく所では先刻歩いていた曽我山の穏やかな起伏を見ることができました。

 農道から地方道に上がって、緩やかな坂を登り、丘を越して行くと上大井の町に入りました。

 小さな町を横切って行った所上大井の駅がありましたがここの駅舎は朝方通った下曽我駅と違って至極簡素なものでした。



☆ルートの詳細


詳細ルートマップ
   (縮小画像をクリックする
    と元図が表示されます)


★このルートマップは Windows アプリの カシミール3D に国土地理院新版淡色レベル16 を読み込んで作成しました。
 GPS軌跡の記録と地点マーカ位置の補正には Android アプリの山旅ロガーと地図ロイドを使用しました。
 ルートの詳細を伝えるため元図はサイズが大きくなることがあります。
 ダウンロードしたら適宜縮小するか要所を切り出して印刷、利用してください。
 縦横比は維持し、スケールも付けてありますが縮尺は不定です。
 国土地理院の紙地図を参照するなどで推定してください。



 GPS軌跡・地点マークのダウンロード
 ★上の地図の GPS 軌跡と地点マーク情報をまとめて ZIP 圧縮したものです。
   解凍するとそれぞれの GPX ファイルが得られます。



Googleフォトアルバム(六本松跡-蘇我山-いこいの村-了義寺)
 ★撮影地点の経緯度情報が付いた元画像のアルバムが見れます。

☆おわりに
    20年ぶりに曽我山に行ってみたら山里の様子は変わっていませんでしたが、山上の様子は大分変わっていて、初見の山のような新鮮な感覚で歩けました。
曽我梅林が花盛りで綺麗でした。
あちこちに素晴らしい景色が見られる展望地がありました。
地形が穏やかで急登降がなく、歩道もよく整備されていたおかげで楽しく安全に歩くことができました。

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