阿夫利神社下社-大山-蓑毛 (2020.6.29)

(β版)

☆期日/天気/山行形式: 2020年6月29日/ 晴/ 単独日帰り軽ハイキング
☆地形図(2万5千分1): 大山(東京16号-1)、厚木(東京12号-3)
☆まえがき
    COVID-19 感染防止外出自粛が明けたあとのリハビリ山行の二度目では、前回登り損ねた大山の頂上を訪ねることにしました。
 阿夫利神社下社から頂上の奥社に向かう参詣道は、大昔の山行で強い雨に遭ったためエスケープした時に歩いたことがあるだけで、登ったことがありません。

 梅雨の立ち上がり時期の好天日を選んだので雨の心配はなかったものの、空の大部分を雲が覆っていました。
6月下旬の強烈な日差しが雲によって和らげられ、吹く風が爽やかだったお陰で気分良く歩くことができました。
今回初めて登ることなった今回の登高ルートは新鮮味がありました。
下山は富士浅間道を下降して蓑毛に下山しました。
久しぶりの大下りは、下半身の筋肉に結構な負担がかかり、それなりのトレーニングになりました。


大山阿夫利神社下社の展望  (画像をクリックすると拡大スクロール)

☆ルートの概要



 ルートマップを拡大表示

★ルート線は携帯端末内蔵 GPSで記録した実際の行動軌跡です。
   多くのマーカにその地点で撮った写真を参照するリンクが埋め込まれています。
   マーカの位置は現地で確認・補正してありますが GPS 自体のエラーは残っています。

<行動時間>

    宮崎台[7:24]=(東急線)=中央林間=(小田急江ノ島線)=相模大野[8:15]=(小田急本線快急)=[8:40]伊勢原[9:00]=(神奈中バス大山ケーブル行)=[9:25]大山バス停(9:26)-(9:45)ケーブル山麓駅[10:00]=(大山ケーブル)=[+6]阿夫利神社駅(10:08)-阿夫利神社(10:10/25)-夫婦杉(10:50)-十六丁目(11:25/30)-富士見台(11:46)-二十三丁目(11:58)-イタミツ尾根(12:05/10)-大山阿夫利神社(12:25/50)-下社分岐(13:02)-十六丁目(13:30/40)-下社分岐 0.9Km道標(13:57)-西の峠かごや道分岐(14:05/10)-女人禁制碑(14:12/15)-六地蔵(14:25)-蓑毛越(14:44/50)-車道・蓑毛バス停 1Km 道標(15:01)-(15:25)蓑毛バス停[15:35]=(神奈中バス)=[15:57]秦野[16:17]=(小田急本線快急)=[16:52]相模大野[17:01]=(小田急江ノ島線)=中央林間=(東急線)=[17:46]宮崎台


☆ルートの詳細

  大山ケーブルは、伊勢原からのバスにあわせ、バスが到着した時間の15分あとに発車するよう運行時刻が設定されています。
以前は難なく間に合っていた乗り継ぎだったのですが今はなかなか大変になっていて前回はギリギリで飛び乗る事となりました。
今回は、前回より順調に歩けたと思っていたのですが切符売り場に着いたらゴトゴト発車してゆく音が聞こえて乗り遅れ!
 次の便まで20分近く待つことになったので、トイレに行ったり、スマフォの GPS アプリを起動したりして山歩きの準備をしました。

  一便遅れのケーブルカーには一番乗りの乗客になったので眺めのよい席に座り、山麓の景色を眺めながら山上駅に上がりました。

  阿夫利神社下社には前回は無かった茅の輪が置かれていました。

 疫病(コロナ感染症)退散のために設置されたもののようです。
参詣者が次々に潜っていましたがこちらは写真を撮るのに気を取られ、潜り損ねてしまいました。

  神前に上がって賽銭を納め、この日の山歩きの安全と、この先の心身の健康を祈願しました。


 お祈りのあと、神殿脇の通路から中に入って霊水を汲み、喉を潤した上でボトルに汲みました。

  阿夫利神社下社から裏参道を通って頂上に登るのは初めてでした。
登山道入口には左のような登拝門がありました。
日光男体山の登拝門を思い出しました。

 門を潜ったところから登り始める石段は非常に急で、下から見上げると威圧感があります。

  いきなりの急登を無理に頑張って登ると筋肉を傷めるのでゆっくりソロソロ登りました。

 取り付きの試練に耐えて石段を登り切った所は平坦な広場になっていてひと息入れることができます。

そこから先は、古い石段が断続する幅広の参詣道になりました。
朝早くから登った人はもう下山の時間になっているようで、時々降りて来る人とすれ違いました。

  ひと登りで夫婦杉に登り着きました。
根元の近くで幹が分かれている杉の大木は温暖湿潤な自然林の中に生えるようです。
以前、紀伊半島の山中で凄い大木に出逢ったことがあります。

(画像をクリックすると拡大)

  林の切れ目からさがみ野が見えました。
梅雨どきゆえ雲が多目ですが雨が降って来そうな気配はありません。

(画像をクリックすると拡大)

  夫婦杉からひと登りすると牡丹岩。
もうひと登りすると天狗の鼻突き岩がありました。
大岩に開いている丸い穴は天狗が鼻で突いた跡なのだそうです。

  さらにもうひと登りして富士見台に着きました。
西の方が開けた小平地から富士山が見える筈ですがこの日は雲の陰でした。

  富士見平の先に道が洗掘されてえぐれ、溝状になった所がありました。
雨水の通り道になってヌカるの避けるためか、長い木道になっていました。

  少しずつ疲れが溜まってきましたが登りが穏やになってきたお陰で身体と相談して無理のないペースで登ってゆけばあまり苦しい思いをしないで済みます。

左手が開け、ヤビツ峠から表尾根方面が見える所に出ました。
富士山も見えるのでしょうがこの日は雲が多く塔ヶ岳も見えません。

  二十三丁目まで来ました。
下社から1590m、頂上へ1487m、と刻んだ石標が立っています。

  イタミツ尾根道と出合いました。
二十五丁目の標石が立っています。
頂上は二十八丁目ですからここまでくればあとひと頑張りです。

  大山の肩に上がる部分で登りが少し急になりました。
一段ペースを落として登り続けていると外人の青年が追いついてきました。
「どこから来たの?」と訊ねたのに帰ってきた返事がもうひとつよく聞き取れなかったので、「エスパーニャ?」と聞き直したら「シ」という返事。

 「楽しんでる?」と聞いたら 「平らな土地ばかりで木もあまり生えていない国から来たので、こんなに沢山の木が生い茂っている険しい山はとても珍しいです。」 と言う答えでした。

 元気いっぱいの若者は体力を持て余しているように見えたので 「どうぞお先に、楽しんでね」 と言って先行してもらいました。

 まもなく路面を鉄格子で覆い、両側を金網で遮った所を通過しました。
鹿はこのような人工物を警戒して通らないのでドアがなくても鹿避けができるのだそうです。

  半分崩れかかった古い石段が現れると間もなく石鳥居が現れました。

  鳥居を潜るすぐ、参籠所と思われる建物の前を通りました。

 数段の石段を登ると阿夫利神社奥社社務所の玄関先で、右手へもう一段上がった所が頂上広場。
広場の手前よりの奥に阿夫利神社奥社の社殿がありました。

 質素でこじんまりした作りの奥社は、大きくて華麗な下社と対象的です。
 雨の気配はないものの、まわりに立ち込めている霧が視界を閉し、何も見えません。
奥社の前の石段に腰を下ろして飲み食いをしながら暫く休みました。

  下山の始めの部分は登ってきたのと同じルートで、ひと下りすると霧の層の下になって視界が開けました。
 鹿避け柵を通り過ぎた先の右横に写真のような観測機器が設置されていました。
これと同じような機器は頂上から見晴台へ降りていった所、下社と二重滝の間の森の中でも見ました。
 近寄ってよく見ると傘をかぶっているのと、いないのと、ふたつの "ヘッド" と地面に置いた容器がチューブでつながっている事が分かりましたが何が目的なのかは分かりません。
 帰宅したあとネット検索をしてみたら大山頂上周辺で行った酸性雨、エアロゾルなどの観測の報告が出ているのを見つけました。

  登ったのと同じ登山道を下降するスタイルの山歩きの下りは気楽ですが、タルミすぎると歩き方がいい加減になってかえって転ぶ危険が高まるので注意しなければなりません。

 先刻出合ったスペイン青年の母親と出合いました。
やはり緑の山が良いそうです。

 そのすぐ後からもうひとり外人のおばさんが登ってきました。
こちらはアメリカのアラバマ州からでした。

 ヤビツ峠分岐には、二十五丁目、標高1174m と刻んだ標石が立ち、ヤビツ峠へ  1.1Km と記した道標も立っていました。

  富士見台を過ぎて十六丁目まで下った所で下社への道を左に分けました。
  尾根の背を直進してゆく道の入口には、 "従是右富士浅間道" と刻んだ石柱が立っています。

  分岐から僅か下った所でルートが左折しました。
下って来た尾根を直進すると春岳沢の上部の扇の要状のところへ降りてゆく小尾根に乗ってしまいます。

 ルートミスを防ぐため、左の写真のように目立つ色の通せんぼが仕掛けてありました。

  左折して山腹をトラバースしてゆくと僅か進んだ所に左のような標識が立っていて右手へ下るよう指示しています。

  右折道標から僅か下った所が西の峠でした。
穏やかな鞍部から左手へ別れているのが "かごや道" です。

 かごや道は下社の横手にある登拝門の前の広場につながっていますが、この上にはかなり急な所がありました。
かご屋はどんな風に登り降りしていたのでしょう?

  西の峠の鞍部の先へ穏やかに登って行くと二十八丁目と刻んだ標石が立っていました。
道に面した所には "従是女人禁制" と刻んであり、大山詣が盛んに行われた時期には大山の上部は女人禁制の結界だったことを伝えています。

 結界は " 潔界" とも記され、古くは "山" そのものが "女人結界" とされていたそうです。
 比叡山、高野山が女人禁制だったことは広く知られていますが、今でも残っているのは、 "【舟木石神座】(兵庫県)"、 "【石仏山】(石川県)"、 "【大峯山】(奈良県)"、 "【沖ノ島】(福岡県)" の4箇所だけだそうです。

  緩やかだった道がやや急に下ろうとする所に首の取れた六地蔵と立ち地蔵が並んでいました。
あたりには大きな石がゴロゴロしていて賽の河原と呼ばれています。

 石像の 首が取られたのは明治の廃仏毀釈のときだったそうです。
今の世でにもあることですが、宗教や政治が絡んだ異種排斥運動はとかく凶暴に走り易いようです。

  古い石段を下ると急降下が終わり蓑毛越えの鞍部に降り立ちました。

 写真のように古い石標と新しい道標が立っていて、道標の方は関東ふれあいの道の物で "蓑毛バス停へ 1.4Km、下社へ 1.7Km" と記した腕木が付いています。

 尾根の背を直進すれば大山南尾根ルートで、浅間山、不動越を経て高取山、念仏山への尾根伝いになります。

 今回は蓑毛へ下山するので、右下に派生している小尾根のルート入りました。

  樹木に視界を閉ざされて少々単調な下降でしたが疲れて注意が散漫になると転びやすいので気持ちを引き締め、足許に注意しながら最後の急降下を進みました。

 やがて行く手に鉄パイプの柵が見えてきました。

  柵に沿って右手へ曲がり下ってゆくと林道が見えてきて、舗装林道に降り立ちました。

 林道に降り立った所は左のようで、まわりを濃密な林に囲まれひっそりしていました。

  道標に従って左に進むと僅か先に車止めがあり、その手前から下の段の車道に下り、折返して進みました。

  林道を少し進んだ所に左下に下るよう指示する道標が立っていて、古くからの参道と思われる石畳の歩道に入りました。

 僅か下ると下の段の車道と出合い、この車道をわずか左に寄ったところからまた石畳の歩道になりました。

 もう一度舗装車道を横切ると写真のように左手へ下るよう指示する道標が立っていてまた石畳の歩道になりました。

  右側の谷が開けてきたと思ったら谷底にある千元院のお堂が見えてきて頂上からの長い下降が終わりました

 山道が寺の参道に出合う所に立っている道標には "蓑毛バス停 0.3Km" と記されていました。

  左奥に電波塔が立つ浅間山を見ながら歩くとすぐヤビツ峠への道路と出合いました。
、道路に出た所で左を見るとすぐそばに秦野行きバスが停まっていました。

 ここから秦野駅までは20分あまり。
駅中の土産物店で秦野名産の落花生を買ったあと頻発している新宿行快速特急電車に乗り、相模大野・中央隣家経由で帰りました。

☆ルートの詳細


詳細ルートマップ
  (クリックすると元図が表示されます)


★このルートマップは Windows アプリ
   カシミール3D に国土地理院新版
   淡色レベル16を読み込んで作成。
  GPS軌跡の記録と地点マーカ位置の
   補正には Android アプリ山旅ロガーと
   地図ロイドを使用。
   ルートの詳細を伝えるため元図は
   サイズが大きくなることがあります。
  ダウンロードしたら適宜縮小するか要所
    を切り出して印刷、利用してください。
  縦横比は維持し、スケールも付けて
   ありますが縮尺は不定ゆえ国土地理院
   の紙地図と照合1、補正してください。


 GPS軌跡・地点マーク
             のダウンロード

★上の地図の GPS 軌跡と地点マーク
     情報をまとめて ZIP 圧縮したもの。
   解凍するとそれぞれの GPX ファイル
     が得られます。


Googleフォトアルバム
★撮影地点の経緯度情報が付いた
     元画像のアルバムです。


☆おわりに
    久しぶりに山道を歩いて新緑の森の精気に触れ、爽快な気分になりました。
コロナ対策の家籠りで山登りの筋肉が衰弱したことは明らかでしたが身体の言うことに耳を傾けながら無理のないペースで歩くことに徹した結果、過労せず、筋肉の痛みや痙攣も免れました。

 大山は、長年の間に何度となく登り降りして "普段着の山" になっていましたが、阿夫利神社下社から参道経由で登頂し、富士浅間道を通って蓑毛へ下山したことにより、かつて盛んに行われた大山詣での史跡にふれる事となりました。

 これまでは体育会的アクティビティーを行うフィールドとしてのみ見てきたこの山を、歴史的な視点から見てみたらどうなのか?
"相州大山" のクエリーで検索してみたら、
http://www.rakudomanyu.net/yama/oyama-tanzawa071024.html
をはじめ、歴史視点で大山を歩いている人が大勢いることに気が付きました。

 大山の歴史をまとめたガイドブックもいくつか出ていることに気が付きました。
近くて行きやすい山ですから、コロナ騒ぎの中の運動も兼ね、数次の "歴史山行" をしみようと思っています。

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