富士見塚-三島神社-かりがね松 (2020.3.9)

(β版) 

☆期日/天気/山行形式: 2020年3月9日/ 晴/ 単独日帰り丘陵ハイキング
☆地形図(2万5千分1): 秦野(東京16号-2)
☆まえがき
   曽我丘陵から富士見塚、三島社、かりがねの松などを経て渋沢丘陵へ。
四十八瀬川左岸沿いの丘陵を通っている鎌倉道、矢倉沢往還をトレースしました。
好天に恵まれ、富士見塚付近に植えられている彼岸桜の花季とも合って、随所で美しい景色を楽しみながら、穏やかに起伏している丘陵の道を歩きました。


富士見塚の展望  (画像をクリックすると拡大スクロール)

☆ルートの概要



 ルートマップを拡大表示


★ルート線は携帯端末内蔵 GPSで記録
    した実際の行動軌跡です。
    主なマーカは、クリックするとその地点
    で撮った写真の縮小画像にリンクして
  います。
     ほとんどのマーカは現地で位置を
  確認・補正したものですが GPS 自体
  のエラーの排除はできません。

<行動時間>

    宮崎台[7:32]=(東急線)=中央林間=(小田急藤沢線)=相模大野=(小田急快急小田原行)=[9:27]新松田駅[9:37]=(富士急湘南バス 松04 ダイナシティー行)=[9:43]あつみ医院前(9:45)-最明寺(9:50/10:10)-金比羅神社(10:21)-金子台遺跡(10:28/32)-東名高速上山田隧道(10:38)-富士見塚(10:43/11:21)-三島社(11:52/59)-矢倉沢往還分岐(12:18/22)-農道出合(12:31)-無名の峠(12:40)-頭高山・震生湖分岐(12:47)-かりがねの松(12:53/58)-頭高山登山口(12:59)-頭高山を愛する会看板(13:05)-千村生き物の里(13:13)-若竹の泉(13:20/25)-二ツ塚(13:46/50)-(14:03)渋沢駅[14:26]=(小田急快急新宿行)=[15:02]町田=(横浜線)=長津田=(東急線)=宮前平


☆ルートの詳細

  この日のルートの起点は松田の最明寺です。
小田急新松田駅、あるいは御殿場線相模金子駅から歩いても良かったのですがルート終着の渋沢駅まで、運動不足の年寄りにとっては結構な長丁場になるので僅かでも時間と労力を節約しようと新松田駅前から出ている路線バスを利用しました。

 最明寺最寄りのバス停: あつみ医院前は高架になっている東名高速道の下を潜ったすぐ先にある医院の前でした。

  参道の入口に立つと並び立っている大木の間の真っ直ぐな道の奥に石段と山門が見え、厳かな雰囲気が漂っています。

 参道奥の石段を登って山門の中に入ると端正で大きな本堂の前庭でした。

 この寺は松田山の山上に史跡公園として跡が残っている北条時頼所縁の古刹 最明古寺の衣鉢を継iいでいます。

(画像をクリックすると拡大)

  参観が終ったので金子遺跡へ行く途中にある金比羅宮への近道を探りましたが藪潜り覚悟でも簡単に行けそうもないことが分かりました。

 歩き始めの所でトラブって時間を費やすのは不味いので一旦下の村まで降りて迂回し、また登り直すルートを取ることにしました。

 最名寺境内から南寄りに下ってゆく脇参道の上部からは正面にキレイな富士山が見えました。

  最明寺の南隣にある金毘羅神社は人家の裏手に立っている石造りの鳥居から短い石段を登ったところにありました。
こじんまりしたコンクリートの覆屋の中に納められた村の鎮守の社でした。

(画像をクリックすると拡大)

  金毘羅神社の横手から手すりが付いた階段道を登って台地に上がると、芝生の園地の中に金子台遺跡群がありました。
平坦な地面に築かれていた石の円環が保存されています。遺跡の縁に立つと足柄の山並みの先に見える富士山が綺麗です。

 古代富士山は活発に活動していたと言われています。
 間氷期の海面上昇でこの高台の下まで海が入り込み、 "酒匂湾" になっていたでしょう。
ここでは海の向こうで煙を上げている神の山富士山に向って祭り事をしていたに違いありません。

  園地を横切って後ろ画を通っている道路に降り、左手へ進んで行くと東名高速道の下を潜って後ろ側を通っている地方道向に抜ける隧道があります。

 地方道をわたって向かい側の台地に上がった所で振り返ると左の写真のように "大井松田" の道路標識が見えました。

  台地の上に上がると一挙にまわりが開け、まるでどこかの高原を歩いているかのような雰囲気になりました。





 振り返って後ろを見ると今越えてきた台地の先に箱根から足柄への山並みが連なり、その背後に雪化粧の富士山が立っています。

松田高台からの展望(画像をクリックすると拡大スクロール)

  ネット情報と地形図とを突き合わせて見当をつけていた旧矢倉沢往還の道筋を探りました。

 探り当ててこれではないかと見た道は農道のような雰囲気の道で簡易舗装されていましたが人も車もあまり通らないようで落葉期から4ヶ月も経ったこの時期になってもまだ落ち葉が散り敷かれています。

 久しぶりに静かな古道跡を歩けるかと気を良くして進んでいったらいくらも経たない所で大量のごみの山に突き当たりました。
人も車もあまり通らないのを知っている者がゴミ捨て場にしてしまったようです。


  正面突破が難しいことが分かったので左手の藪へ逃げ、その後ろに広がっている山畑の畦を通って、沢溝の向こう側の舗装車道に移りました。

  強行突破した藪と山畑の畦で大量の引っ付き虫を貰ったあとで上がった車道は至って穏やかな雰囲気の舗装路でした。

 浅い沢溝の詰めの斜面を緩やかにまわり登って行くと富士塚の標識が立っている十字路に着きました。

 サテどちらに行こうか?とあたりを見回していたら右手の山から降りてきた中年夫婦のカミさんのほうがツカツカっと近寄ってきて「あっちの山の上に行くと良い写真が撮れますよ、菜の花と富士山がとっても綺麗でしたよ」と教えてくれました。
 こちらは先が長いので「どうもありがとう、ここまで来る間にも沢山写真を撮ってきているし、まだ先が長いので....」と答え、左の高みにある園地の方へ進みました。

  園地へゆく道に彼岸桜が綺麗に咲いていました。

 園地の奥手に据えてあった野外ベンチにザックを置き、景色を眺めながら休憩しました。
西に向かって視界が広がり、ページ冒頭のパノラマ写真のように相模湾から箱根山を経て富士山まで、広大なな景色を見ながら豪勢な休憩を楽しみました。

  園地から降りてきた所が旧鎌倉道、矢倉沢往還の旧峠あとです。
道の角に石碑と源頼朝との所縁を記した解説板が立っています。

(画像をクリックすると拡大)

  園地から戻ってくる途中、向かい側の山を見ると、芽吹き色の山を薄紅の彼岸桜が彩って夢のような雰囲気を醸していました。

  図らずも巡り逢えた富士塚の美景を存分に楽しんだあと渋沢の方に向かって歩き出したました。

 坂を降りて行った所に道路の上に覆いかぶさるほどに繁茂した大木の袂に着きました。

  三島社はこの辺り一帯(旧曽我村、即ち現在の大井町上大井、西大井、小田原市鬼柳、小田原市下大井)の鎮守の神社です。
鳥居横のスダ椎は神奈川の名木百選のひとつになっています。

  鳥居の脇に矢倉沢往還の道標が立っていて、鳥居の前から左手へ進むよう指示しています。

 道は細めで農道程度ながら簡易舗装されていましたが、ひとつ高みを越えて下ってゆくと道の下に写真のように広い石庭の家がありました。

  こじんまりした集落の篠窪を通過した道が右手に回りながら坂を登て行こうとする所で進路の選択に迷いました。

 このまま広い舗装路を進んでゆくと渋沢の南端となる峠集落の方に行ってしまい、旧矢倉沢往還からは逸脱してしまいそうです。

 周りを見回したら左手の杉林の間に入ってゆく非舗装の細い道がありその入口に立っている手造りの道標に "矢倉沢往還" と記されていました。

(画像をクリックすると拡大)

  細い道に入り、杉林と山畑の境をまっすぐ登りあげると丘陵の高いところを通っているb農道に出合いました。

 左手が開け、少し先の山の肩に大きな電波塔が立っています。
((この次の山行で渋沢丘陵を歩いたとき、電波塔の山は八国見山だったことを確認しました。)

(画像をクリックすると拡大)

  さらに先に行った所で斜め後ろの方を眺めると曽我山の頂上に立っている電波塔がみえました。

  大井町と秦野市の境になっている峠を通過すると渋沢の方に向けて坂をか立ってゆくようになりました。






 坂道の下まで進むと前が開け、丹沢表尾根から大山への尾根筋を見渡すことができました。

松田・秦野境界付近の眺め (画像をクリックすると拡大スクロール)


  三叉路に着きました。
右手へ進めば震生湖へ 5.0Km、左手へは頭高山入口 0.4Km、渋沢駅 2.8Km と記した道標が立っています。

 震生湖への渋沢丘陵ルートは次回の楽しみにすることにして左折。
頭高山入口から渋沢駅へ向かうルートに進入しました。

  緩やかな下り坂の途中の右側の高みにこじんまりした鳥居と赤塗の祠覆屋があったのはかりがねの松でした。

 鎌倉武士を慕って京の都から旅してきた姫が雪の日にここで行き倒れ、哀れんだ村人が植えた松が立っていた所だそうです。

  かりがねの松から元の道に戻った所では左前方に頭高山が見えました。

穏やかに整った三角形の山容が良い感じです。

  左に分れてゆく道の入口に頭高山 1.2Km、15分と記した道標が立っていました。

  幅広い舗装路の坂を下ってゆくと十字路がありました。
角に面した石垣に "頭高山を愛する会" の看板が掛けてあります。

 あとで分かったことですが頭高山はお祝宴に出る桜茶の素になる塩漬け八重桜の全国第一の産地だそうです。
花茶の原料を採るための畑は花見に適さないので別途花見用の歩道と桜花園とを整備したようです。

  十字路の角に立っていた道標で左に行けば白山神社から曹洞宗泉蔵寺。
右手に下って行けば千村いきものの里から若竹の泉を経て渋沢駅へ行けることが分かりました。

 右手へ進んでみると僅か先に千村桜漬加工所があり、その向かい側の谷戸の棚田が千村いきものの里でした。

  いきものの里の先を左へ回り下って行った畑の中の十字路の角の左脇に若竹の泉がありました。

 泉の脇にいたおねーさんに聞いた所ではこの泉は近くから引いてきた水だそうです。
水源は不安定なようで、この日にはほんの僅かしか出ていなかったので尋ねてみたら今日は調子が良くないみたいですね、と言われました。

  泉の先の坂を登っていった高台の上は千村の新興住宅地で、今も窪地を埋め立てて宅地を拡張していました。
住宅地の縁を通って右手へ回り、緩に坂を下ってゆくところは矢倉沢往還の道筋に重なっているようで街中の十字路の角に古木と石碑が並び立っている塚がありました。

 二ツ塚と呼ばれている旧矢倉沢往還のランドマークで並び立っている石碑はいずれも富士講のもののように見えました。
 二ツ塚から渋沢駅まで 700m あまり、ブラブラ歩いても10分程で着いたので、案内所に立ち寄り、頭高山などのパンフレットを貰って帰りました。 


☆ルートの詳細



詳細ルートマップ
  (縮小画像をクリックすると
   元図が表示されます)



★このルートマップは Windows アプリの カシミール3D に国土地理院新版淡色レベル16 を読み込んで作成しました。
 GPS軌跡の記録と地点マーカ位置の補正には Android アプリの山旅ロガーと地図ロイドを使用しました。
 ルートの詳細を伝えるため元図はサイズが大きくなることがあります。
 ダウンロードしたら適宜縮小するか要所を切り出して印刷、利用してください。
 縦横比は維持し、スケールも付けてありますが縮尺は不定です。
 国土地理院の紙地図を参照するなどで推定してください。



 GPS軌跡・地点マークのダウンロード
 ★上の地図の GPS 軌跡と地点マーク情報をまとめて ZIP 圧縮したものです。
   解凍するとそれぞれの GPX ファイルが得られます。



Googleフォトアルバム
 ★撮影地点の経緯度情報が付いた元画像のアルバムが見れます。

☆おわりに
    積雪期の高山に登る体力はなくなりま、里山クラスの超低山しか楽しめなくなりましたが、そこには高山峻岳にはない素晴らし景観があり、天候に恵まれ、時季が合えば最高のエクスペリエンスが得られます。
今回は、富士見塚付近の彼岸桜の花期と出逢い、遠望が利く好天とも相まって最高の展望ウオーキングをすることができました。
たまたま近くを通過した頭高山が八重桜の名所であることを知りました。
この花の花期を狙って渋沢丘陵ハイキング行ってみようと思っています。

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