吉井南山 大沢峠から小梨峠 (2016.4.9)


☆期日/天気/山行形式: 2016年4月9日(晴) ホテル泊2日単独山行の1日目
☆地形図(2万5千分1): 上野吉井(長野3号-2)
☆まえがき
    近頃、西上州 吉井・甘楽と日野の境を区切っている南山の尾根筋への山行を繰り返した結果、南北両側の山麓も含めたおおよそのイメージができたように感じられます。
3月下旬に亀穴峠から小梨峠までの尾根伝いを行ったところ、登山ルートとしては全く整備されていない極く地味系の藪ルートながら、切れ切れの踏み跡と要所に目立たないマークがあって、少数の物好きが歩いている形跡が認められました。

  山里の桜の時期にあわせた今回の山行では、上の区間の東に隣接している尾根筋(東谷-大沢峠-小梨山-小梨峠-上鹿島)と、西の端の小幡から秋畑への部分(小幡 轟-天狗山-小柏峠-熊倉山-焙烙峠-奈良山-上平)と、ふたつの区間をカバーする1泊2日の計画を持って出掛けました。

上鹿島の山畑の上からの展望    (画像をクリックすると拡大)
☆行動時間
   宮崎台[6:37]=大手町=東京[7:48]=(Maxトキ#305)=[8:38]高崎[8:59]=(上信電鉄)=[9:23]吉井駅-(9:35)消防署前[10:00]=(吉井バス)=[10:14]東谷(10:15)-大沢(10:40)-林道T字路(11:05)-大沢峠取付き点(11:15/25)-570m圏のコブ(11:54)-689m北峰(12:35/45)-小梨山(13:25/35)-小岩峰(13:53/14:03)-小梨峠(14:14)-上鹿島1.2Km 道標(14:30/50)-養浩院(15:25/35)-(15:40)上鹿島バス停[15:47]=(上信バス上平線)=[16:24]群馬藤岡駅[16:56]=(JR八高線)=[17:11]高崎{駅前ホテル泊}

☆ルートの概況
  この日は上信電鉄吉井駅が出発点でした。
少年時代を過ごした懐かしい町の駅です。
大正13年(1924年)シーメンス・シュッケルト製の凸型電気機関車、腕木式信号機と転轍機の仕掛け、タブレット式の運行管理システムなど。
片田舎に住んでいる理科好き少年にとっては、近所のラジオ修理屋とともに、いくら見ても飽きないハイテク機器の集合体でした。
ふたつ先の上州福島駅には不思議な形をした同期モータで発電機を回す交直変流機が回っている変電所がありました。
  町を出てから60年あまり経つ間に駅舎は大幅に近代化されましたが、建屋の東半分には昔の木造駅舎の面影が残っています。
  この町は今時の田舎町として珍しく、7路線から成るマイクロバス・ネットワークの運行が維持されています。
各方面に向かうバスはすべて駅から歩いて5分あまりの役場の向かい側の消防署前バス停を通るのでそちらに行きました
  役場の建物も小さな田舎町には不相応と思うほど立派ですが、これらは町が安定した税収源を持っているお蔭のようです。

  この日の山の取付き点最寄りの東谷行きバスは10時に通過するのですが、その前後には各方面に向かうバスが次々通過するのでドライバーに確認した上で間違えないようにしなければなりません。

  ほぼ定刻に消防署前を出発したバスは他に客がなく貸し切りでした。
15分ほどで東谷に着きましたが、バス停の少し先にある三叉路の折り返し点まで乗せてもらえました。

  三叉路の角の電柱の脇に
「←牛伏山 3.8Km」、「小梨峠 3.3Km→」
と記した道標が立っています。
大沢は牛伏山入口の先の谷の奥にある村ですから、左手へ分かれて行く道を進みました。
 
  牛伏山の南裾を歩いて20分足らずの所に牛伏山入り口がありました。
入口の角に 「左 吉井町、右 下日野」 と刻んだ角石柱の道標が立っていました。

  谷が少し開けた所に大沢の村があって、緩やかに右に曲がって行った所で十字路を左折。
橋を渡ると対岸の袂に高さ1m ほどの三角形の庚申碑が立っています。
 
  緩やかな坂を登ってゆくと左手の谷の奥にこれから歩こうとしている山の頂稜が見えました。

 
  会社か何かの入口を示す道標が立っていて、それに取り付けてある腕木のひとつに、直進すれば 「ふじおか、ひの方面」 と記してありました。
 

  まわりが杉林になたところから先は路面に杉の落ち葉が積もっていてあまり車が来ないことを示しています。

  ヘヤピンカーブを回った道が北に向かって進む所では、谷の下手に八束山と朝日岳の頂上部分が見えました。 

  前方がパッと開けて、山の裏側を通っている舗装林道に突き当たりました。
T字路の角に 「林道延長 748m」 と記した標柱が立っています。
  右折して地形図に469m と記入されているコブの肩を回って行きました。
道路の左下はゴルフ場で、その向こう側に牛伏山が立っています。

  少し進むと右上の山の尾根が下がってきて左の写真のように道路との高さの差が3~4m しかない所に着きました。

  左右2箇所に赤リボンの目印があり、その間から尾根に上がってゆく踏み跡が見えます。
入口の側溝の蓋の上に腰を下ろして糖分とイオンの補給をしました。

  尾根の背に上がってみると赤杭や赤テープの目印があり、明瞭とは言い難いものの、しっかりした踏み跡が認められました。

  10m くらいの間隔で赤杭は打ち込まれ、通し番号が書かれていました。
林業作業のための標識のようでした。
 

  赤杭を辿って進むと次第に尾根の傾斜が急になるとともに崩れやすい地質に変わって、足場が悪くなりました。

  藪も出てきて登り難くなったので尾根の背を外れて右手の斜面に逃げ、所々にある立木を頼りに力ずくで登り続けました。

  腕が疲れてきた頃、ようやく傾斜が緩み、落ち葉に覆われたコブに上がりました。 


  平坦な尾根の背をやや右手に向かって進み、次のコブを越えた所で左下の谷を登ってきた道形と出合いました。
古いが幅の広い道形で、かつては下日野の高井戸と大沢の間を結ぶショートカット・ルートとして頻繁に人馬が通っていたようです。

  道形を追ってゆくと徐々に右手に向かって尾根の背から外れて行きそうな気配になってきたので進路を左向きに修正し、元の尾根の背に戻りました。
二番目のコブを越えた先の鞍部は左のように倒木に覆われていました。

大沢を見下ろす鞍部    (画像をクリックすると拡大) 

  数年前の台風が残した爪あとのようでしたが、倒木のおかげで視界が得られ、牛伏山が見えました。

  左下から赤ヘルの若者が二人登ってきました。
これまで延べ10日ほどこの山の中を歩いていますが人と出会ったのは、これが始めてでした。
動力鎌を持ち、森林組合のユニフォームを着ていましたから、週末のアルバイトの学生さんのようでした。

  緩やかに進んでいって笹が出てきた所はこの日のルートのうちで最も山勘が必要とされた所でした。

  尾根の背を進んでゆくと小規模な二重山稜状になっている鞍部の北側の露岩の高みに上がりました。
先の方で尾根が途絶えているように見えたので左手の笹薮に降り、歩き難い藪を横切って左側の尾根の背に移りました。

  やや急な所を僅か登ると平坦な尾根の背に上がり、僅かに左手へ曲がって進みました。

  道形は殆ど見えなくなったものの、尾根の背はなんとなく通りやすくなっていて迷わずに進めました。
(油断してタブレットを見ながら歩いていたら小さな切り株に躓いて転び、アキレス腱を痙攣させるご粗末をやらかしました。)

  地形図に689m と書き込んである双頭(?)峰の北峰に登り着きました。
左のように2本の赤杭と杉の木の幹に赤テープが巻きつけられてます。
中央の細い立木に巻きつけてあるビニールテープは褪色するほど古くなっていたので分かり易くするため持参していた赤テープをつけ足しました。

  樹木に囲まれて展望はありませんが、なんとなく落ち着いた雰囲気が漂う良い休み場でした。

 左折して小梨山に向かうところは少々藪っぽくなりましたか穏やかに起伏する温和な尾根の背が続き、のんびり藪山散歩を楽しみました。

  所によって山林の密度が薄くなり、北側に並んでいる牛伏山、八束山、朝日岳やその先に広がる吉井の市街地が見えました。

  大沢を見下ろす鞍部には谷の中から上がってきているかすかな踏み跡がみえました。

大沢を見下ろす鞍部    (画像をクリックすると拡大)
 
 
  689m 北峰からふたつ目めのコブは左のように岩屑が積み上がった特徴のある高みでした。

  3つめのコブを越えた鞍部にも倒木がありました。
被さっている木の数は少なかったのですが、両側が急斜面の細尾根だったので慎重に通過しました。
 
  倒木帯を通過した先で向こうから歩いてる老ハイカーと出合いました。

  この山域に入るようになってはじめて出合ったハイカーでした。
ほぼ同じ位の年代で、長年山を歩いてきて、ありきたりの既製ルートを歩かされるのに飽きた御仁、と見受けました。

  小梨山への登りにかかると登りがやや急になりました。
地盤も不安定で、写真のように標柱も倒れかかっていました。

  目の前にコブが見えてきました。
短い急登から上がった少ピークは小梨山頂上東側のサブピークでした。





小梨山東峰を越えて穏やかな鞍部を渡った先から短いがかなり急な登りを力まかせに登り上げると小梨山の頂上でした。

小梨山頂上    (画像をクリックすると拡大)

  ごく狭い頂上広場には、三角点標石と国土地理院の白杭、町界標識コンクリート杭があるだけでしたが、ここがこの日のルート上での最高点(709.7m) です。

  周りを囲んでいる灌木が邪魔で見えにくいのですが、少し先にサブピークのような高みが見えたので地形図でチェックすると、この山は東西にサブピークを擁していて小さいながら 「堂々たる三峰山」であることが分かりました。

  南側に林の薄い所があり、日野の谷とその向かい側に並んでいる御荷鉾連峰が見えました。

八束山と東谷が見える    (画像をクリックすると拡大)
 

  小梨山頂上西側の鞍部にはこの日で3番目の倒木帯がありました。
尾根がやや岩っぽくなっているので慎重に通過しました。




  倒木があれば視界が開ける、というのがこの尾根筋のルールで、ここでも視界が開けて吉井側に広がっている平野が見えました。

小梨山重畳から吉井方面    (画像をクリックすると拡大)
 

  小梨山主峰を越えると尾根は穏やかな下りになるとともにやや岩っぽく細まってきました。


  やがて前方の雰囲気が怪しくなってきて、杉林の間に青白いものが見えてきました。
 
  なにかなぁ?と訝りながら進んでゆくと高さ6~8m ほどの青岩の岩峰がニョッキリ立っているのでした。

  結構険相な岩峰なので横手を巻いて行けないだろうかと様子を探ってみましたが、左右双方ともかなりの急斜面で灌木もあまり生えていません。

  横手を巻いてゆくのはかえって危険と思ったので観念して尾根の背に戻り、正面から登り上げてみました。

ひと登りすると、天辺直下下の凹角状の所にロープが垂れ下がっているのが見えました。
 
  ロープが左手に寄っているのでそちらに振られそうになるのをどうにか耐えながら這い登ると小さな平頂に上がりました。
登ってきた所を見下ろす左の写真のようになっていて、結構な高度差があったことが分かります。
 
  岩峰の裏側がどうなっているか心配でしたが案ずるほどのことはなく、右手へ笹の斜面を下ったあと左手に戻って尾根の背に戻ったあとはごく穏やかな下りになりました。

  ひと下りすると下の方の木の間が明るくなってきて峠間近の雰囲気になりました。

  ひょっこり岩の上に据えられた仏像の横手に下り着きました。
これは、前に小梨峠を通った時に確認していたものです。
その時は不動像と思いましたが今度あらためてよく見ると観音像のようです。
峠越えに使役した馬を弔う馬頭観音かも知れません。
 
 
  観音像の脇から数m の所に小梨峠の切り通しがありました。
この峠は、鞍部付近の地形のせいで、かなり急な角度で南西から北東に向けて斜めに鞍部を乗り越えています。

  小梨峠を乗り越えている道は関東ふれあいの道としてよく整備されていて、日野側、吉井側のどちらへも安全に下れます。

  吉井方面は牛伏ドリームセンターで食事や入浴ができるのがよいのですが、峠から6Km あまり歩かなければ行き着きません。

日野側は県道近くにあるお寺の養浩院で美味しい山の水が飲めるだけですが、毎日5便の藤岡行のバスが運行されている県道に、ユックリ歩いても1時間足らずで降り着けるのが取り柄です。

小梨峠の展望    (画像をクリックすると拡大)

  峠の日野側の下り口近くに日野谷の展望点があり、鮎川谷の向こう側に並んでいる鬼石の山や城峰山が見えました。
  クールダウンのつもりでのんびり林道を下ってゆきましたが傾斜は結構きつく小梨山以来ほとんど休んでいない足の筋肉に乳酸が溜まってきました。

  ちょっとしたはずみで痙攣しそうな気配になったので小梨峠から 1.3Km、上鹿島バス停まで1.,2Km と記した道標が立っている曲がり角で休憩し、糖分とイオンを補給し、痙攣止めの薬を服みました。

  やがて上鹿島の山畑を見下ろすところまでくると、畑の縁に花桃が咲いていて、谷向かいに御荷鉾連峰から雨降山への山並みが綺麗なスカイラインを描いているのが見えました。

上鹿島山畑受けの展望    (画像をクリックすると拡大スクロール)
 
 
  山畑の隅には稲荷神社の祠があり、その下の道に山仕事用のキャタピラ運搬車が止めてありました。

  道の下に見えてきた上鹿島の集落のまわりの、もとは山畑だった所が一面ソーラーパネルの発電所になっていました。

  日当たりの良い南斜面ですから農作物を作るより電気を作ったほうがずっと稼ぎが良いのでしょう。 

  村の下の方まで降りてくると養浩院の庫裏が見えてきました。
手前の道端には関東ふれあいの道の案内看板が立っています。 

  看板には絵地図が描かれ、小梨峠から牛伏山、多胡碑を経て馬庭駅へ行くルートの案内が記されています。 

  バスの待ち合わせを兼ね、養浩院で休憩しました。
本堂の脇に山の水を引いた洗面台があるので顔を洗ったり喉を潤したりできます。

  ご本尊にこの日の藪ルートを恙なく歩かせてもらったお礼をしたあと、山門の下の急な石段を降りました。

  道に降りた所に大きな石地蔵と並んで芭蕉句碑と芭蕉塚がありました。
なぜかこのあたりは山中の所々に芭蕉にちなむモニュメントがあります。

  芭蕉塚の脇からひと下りで県道に降り立ちました。
バス停ポストの前から山の方を見ると、今日歩いてきた尾根筋がよく見えました。

<ルートの詳細>




  ヤマレコの山行報告





  ルートマップ


  GPX ダウンロード

 




  前回/今回山行全ルート
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☆おわりに

    早春の好天に恵まれ、かねてよりの念願だった故郷の町の南山の稜線をほぼ全長にわたってトレースできました。
亀穴峠から小梨峠への尾根伝いをした時、コブの東側の下りが急峻で尻セードを繰り返すことになったのを教訓として、今回は大沢峠から小梨峠へ、東から西に向かうルートを設定したところルート上の急な所がすべて登りになりました。
大沢へのアプローチと下山先の上鹿島では美しい山村風景を楽しみました。
小梨峠近くに青岩の岩峰があったのは想定外でしたが幸いなことに難場にロープが固定してあり、無事に通過できました。

  この日のルートは全体として、亀穴峠・新屋峠-小梨峠より、ワンランク難度が高いと思われます。
少なくとも、新屋峠-小梨峠を余裕を持って通過できる程度のルートファインディング力がないと進路を誤るおそれがあるトリッキィーな尾根の繋がり方になっています。