西上州縁辺 八束山 (2014.12.8)


☆期日/天気/山行形式: 2014年12月8日 日帰り単独山行
☆地形図(2万5千分1): 上野吉井(長野3号-2)、富岡(長野3号-1)
☆まえがき
    八束山(標高453m)は、上信電鉄吉井駅の南4Km ほど、上州西南部一帯で錯綜している尾根筋が関東平野に没しようとするあたりに散在している低山のひとつです。
和銅何年とか言う古代にこの一帯に住み着いていた渡来人集団の頭、羊太夫のものだったと言う山城の跡が残っていて城山とも呼ばれ、国土地理院地形図にはこちらの山名が書き込まれています。
好展望で知られる牛伏山、名前と姿が良い朝日岳(多胡美人)とあわせ、吉井三山のひとつに数えられています。
吉井は少年時代を過ごした町で、ヤツカの山と言う言葉は今でも頭の中に残っており、中学校生のころ学校林の作業とか、秋に実る山栗拾いとかで麓の山林に入ったことがあるような気もします。

八束山頂上東肩の展望    (画像をクリックすると拡大スクロール)
☆行動時間
   宮崎台[6:53]=大手町=東京[8:04]=(Maxタニガワ#403)=[9:02]髙崎[9:18]=(上信電鉄)=[9:41]吉井駅(0:10)消防署前[10:02]=(よしいバス \200)=[10:13]神戸(10:25)-八束山西コース登山口(10:33)-八束山(11:29/32)-展望所(11:35/37)-山道(11:58)-舗装林道(12:02)-小休止(12:04/10)-十字路(12:16)-浄水場(12:25)-北コース登山口(12:35)-県道(12:44)-牛臥ドリームセンター入口(12:58)ー(13:05)牛臥ドリームセンター[15:05]=(よしいバス 乗継割引\100)=[15:12+3]吉井駅[15:25]=(上信電鉄)=[15:47]髙崎[15:55]=(高崎線)=[17:42]上野[17:49]=三越前=宮崎台
☆ルートの概況
   少々遠いが山が小さくて行動時間が短いから高崎まで新幹線を使えば楽に日帰り山行ができると思いました。
吉井は辺鄙な田舎町としては珍しくマイクロ車の路線バス(時刻表は役場で貰える)が維持されていて、登山口へのアプローチに利用できます。
注意が必要なのは、普通と違って路線バスのターミナルが駅前広場でなく、徒歩10分ほど離れた所にある役場の隣の 「消防署前」 になっていることでした。
  吉井の町から出て60年以上も経っているので、建物はみな入れ替わっていましたが街中の道はあらかた同じだったので、幾らか残っていた昔の記憶を頼りに消防署前バス停に行き着き、東谷(ヒガシヤ)行きバスを待ちました。
  田舎の路線バスでは時々あることですが、この時もほかに客がなく、貸切状態で走りました。
町の中心の十字路から南へ向かって走ってゆく途中、子供の頃、吉井に住んでいたことがあり、今日は八束山に登りに来たなどドライバーに話したところ、八束山登山口のすぐ先に朝日岳の登山口もあるから、ついでに見てゆかないかと言い出しました。
  折角のご好意なので有り難くいただくことにして神戸バス停をやり過ごし、この路線の折り返し点になっている東谷まで行って朝日岳登山口を確認しました。
  東谷からほんの 700m ほど戻った所が八束山の登山口で、懐石料理屋の門の向かいに八束山入口を示す道標が立っていました。 

  畑の中にある墓地の脇を過ぎ、大沢川を渡った先で左折。
道なりに進んでゆくと小さな沢溝の向かい側の尾根の末端から登ってゆく丸太階段の入口に 「八束山西コース」 と記した標識が立っていました。

  いきなり急な斜面の折れ登りになったので息が上がりかけましたがひと登りで傾斜がゆるみ、まわりが明るくなりました。

  尾根の背に上がると、朝日が射し込んで爽快です。

  葉が落ちた林の向こうに朝日岳が見えてきました。

  最初の大岩を固定ロープに助けられて登りました。

  岩頭に上がるとパッとまわりが開け、11月に登った小幡天狗山のあたりが見えました。




  尾根は急で大岩の露頭が多く、固定ロ-プの助けを借りて登ることを繰り返すようになりました。
岩頭に上がれば視界が開け、谷向いの朝日岳や上信国境の山並みを眺めることができました。

八束山西コース上部の展望    (画像をクリックすると拡大スクロール)
 

  尾根は急でロープが取り付けられた所が多くありましたが藪のお陰で高度感はなく、特に危険と思うような所もありませんでした。

  これが一番の難場だった所でした。
下がやや切れ落ちている大岩の左横からまわり登るのですが取り付きがいやらしい感じでした。
2、3歩で安定したスタンスに乗り、あっけなく通過できました。

  5m あまりのロープが4本ほど連続したあと20m 近いロープを登り上げると小ピークに上がり、頂上と対面しました。 

  鞍部の向かい側から大岩の間を縫って登ると傾斜が緩んできて頂稜の一角に着きました。

  手作り風の標識が立ち、左折して頂上に向かうよう指示しています。

  尾根を切り取って作った空堀の跡の溝に下り、向かい側を固定ロープにつかまって登りました。

  空堀跡のすぐ先に石祠があり、その先の平坦地の先に視界が広がっていました。




  雲が少なく空気が澄んでいる日だったおかげで平野の向う側に並んでいる山並みがくっきり見えました。
近年では珍しく、12月上旬に上信、上越国境の山並みが真っ白になっていました。
 
八束山頂上東肩の展望    (画像をクリックすると拡大スクロール)

  すぐ先に展望所があるという案内を見たのそちらに行ってみました。
やや藪っぽい尾根の背ながら広大な展望を楽しむことができました。

  下山に予定していた北ルートは頂上まで戻り、標識板の脇から一段降りた所から始まっているのを確認してありましたが、展望所の尾根の先にも踏み跡が続いているのが見えたのでそちらの様子を見に行ってみました。

  谷向いに牛伏山が見える所で伐採地の縁に出ると尾根が二股に分かれていました。
伐採された谷溝の底に人家の屋根が見え、右手の急な尾根を下れば短時間で降り着けそうに思えました。

  か細いけれども踏み跡があったし、山麓の土地勘がある山でもある訳だからミニ版バリエーションをトライしてみようと思いました。


  尾根はかなり急で伐採地の縁に沿って立ち木から立ち木へ渡りながら下降することとなりました。
途中にあった大岩の縁を巻き下る所では少々緊張しまましたがそこを過ぎると踏跡がはっきりしてきました。

  さらにひと下りして尾根の下部に達すると道形が明瞭になり、左折して山腹を巻き下る幅広の道になりました。

  落ち葉が厚く積もった道を進み、竹やぶの背後をまわり下って行くと舗装路が見えてきて、やがて八束と東谷をつなぐ林道に降り立ちました。

  左折して坂を下ると八束の集落で、人が住んでいる家、無住になった家、あわせて4、5軒ありました。

もとは民家の庭先だったらしい小広場でひと休みしました。

  休憩のあと僅か進んだ所に変則十字路がありました。
鍵の手に折れて向かい側の斜面へ上ってゆく道は牛伏山に登る道のようでした。

  角で振り返ると今降りて来た山が高く見えました。

  左折して沢沿いの舗装路を下ってゆくと浄水場がありました。

  やがて塩の集落の家並みが見えてきました。

  集落に入る手前の山裾で山道が出合い、八束山北ルートの入口を示す標識が立っていました。

  鋳物工場と思われる臭いがする建物の脇から本道に出る角に石灯籠が立っていて南の方に朝日岳が見えました。

  角を右折し、北に向かって歩いてゆくと民家の庭先に珍しい形の松の木が立っていました。
葉がとても大きく、これまで見たこともないような松の木でした。

  塩の集落の中ほどで右折し、広い車道の坂を登ってゆくと行く手に牛伏ドリームセンターの隣の焼却場の煙突が見えてきました。
低い峠状の所から僅か下ってゆくと、右手にドリームセンター、その奥手に牛伏山が見えて来ました。

  ドリームセンターの庭では冬桜がチラホラ咲き始めていました。

  牛伏ドリームセンターはできてから20年は経っていると思いますが、建物が割と質素な作りで料金がリーズナブルなためか近在の人達に親しまれているようです。

  蕎麦と焼き肉のセットで満腹したあとゆっくり湯に使って占めて 1100円で済んでしまいました。

  広場の向かい側によしいバスの車庫があって週日は各方面に向けて20本あまりもの便が出ているのでとても便利です。

☆ルートの詳細






  ヤマレコの山行記録



   元画像スライドショー















  詳細ルートマップ
     (カシミールを使い国土地理院地形図
       にGPS軌跡を埋め込んで作りました)









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☆おわりに

   腕白時代を過ごした群馬の田舎町の奥にある八束山に登り、岩っぽい尾根の急登と、ヤブ尾根の急降下とを楽しみました。
大気が澄んだ初冬の快晴に恵まれ、故郷の山野の景色と国境の奥山の山並みの展望を楽しみました。