東熊野街道筋探訪 (2014.5.24-27)


☆期日/山行形式: 2014年5月24日-27日 温泉、宿坊、旅館利用3泊4日グループ旅行
☆まえがき
    伊勢路を完歩し、山上ヶ岳や玉置山にも登ったシニア古道探訪グループの仲間から、東熊野街道筋を探訪してみたいと言う声が出ていました。
  吉野川源流域から大台ケ原に上がったあと、奥駈道尾根筋東側を流下している北山川谷を南下して前鬼の宿に泊まり、さらに池原から筏師の村北山村を訪ねたあと瀞峡ウォータジェット船で志古へ。
新宮に出て紀伊半島を縦断するルートを路線バス・タクシー・宿舎送迎車を乗り継いで行く3泊4日の山旅を計画しました。

  はじめ、レンタカーを利用すれば簡単かと思ったのですがさにあらず。
大和八木あたりで車を借りるのは簡単でも返す所が限定されるため、所望のルートを組み立てる事ができず。
最終日の楽しみとなるウォータジェット船に乗れない犠牲者が出るとか、70台のドライバーが長距離の山岳道路を運転するのは危険だとか、さまざまな難点も出てきてギブアップしました。

  あれこれ考えたり調べたりして組み立てた山旅の計画は昨年の秋に実行する事になったのでしたが日程が台風と鉢合わせしたため中止。年越しの宿題になりました。

  仕切り直しの今回は、年中で最も天候が安定する5月下旬に行うことにしたところ、最高の天気に恵まれ、
雨が降ったのは北山村に泊まった三日目の夕方から4日目の明け方ににかけてのみ。 実質的には降られずにすみました。

  公共交通機関が極端に不便なのが問題点でしたが、思ったより順調に移動でき、随所で秘境の景色を楽しみました。

  山歩きとしては、大台ケ原半周コースを歩いて日出ヶ岳に登ったのと、前鬼の宿から前鬼口まで歩いただけで、至極細やかなものに終わりましたが、大峰奥駆道や大杉谷など、記憶に残る山行をした山と谷、山間の村を再訪する機会が得られ、楽しい時間を過ごしました。

大台ケ原日出ヶ岳展望台西南方の展望    (画像をクリックすると拡大スクロール)

☆5月24日(晴): 大和上市-宮滝遺跡-杉の湯-入之波温泉
<20万分1地形図>
和歌山、伊勢
<行動時間>
    宮崎台[6:28]=あざみ野=新横浜[7:22]=(ひかり461号)=[9:47]京都[10:50]=(近鉄特急橿原神宮前行)=橿原神宮前=(近鉄特急吉野行)=[12:21]大和上市駅/上市駅前バス停[13:25]=(奈良交通バス)=[13:39]宮滝バス停(13:42)-宮滝遺跡(13:47/14:05)-吉野歴史資料館(14:09/24)-(14:35)宮滝バス停[14:39+2]=(奈良交通バス)=[15:00]杉の湯[15:10]=(宿の送迎車)=[15:30]入之波温泉山鳩湯
<ルートの概況>
    新幹線京都から近鉄特急に乗継ぎ、橿原神宮前でさらに吉野線に乗り継いで大和上市へ。
駅前で昼食をしたあとバスで宮滝へ移動。 遺跡と資料館を見学したあと、吉野川源流域谷間の秘湯 入之波温泉に泊まりました。

  入之波温泉に行く途中立ち寄った宮滝は縄文、弥生から飛鳥・奈良時代までの遺跡が重層している吉野地方切っての歴史ポイントです。
バス通りから吉野川へ向かってゆるい坂を降りてゆくと右側の園地の柵を背に宮滝遺跡の看板が立っていました。
  吉野川にかかっている柴橋を渡り、対岸の展望所から見ると遺跡は硬い石英系の岩の断崖の上の台地にあることが分かります。
古代から紀伊半島内陸部交通の要衝になっていた場所で、吉野山を守る前哨基地のサイトとしても最適の地形と思いました。

大台ケ原日出ヶ岳展望台西南方の展望    (画像をクリックすると拡大スクロール)
 
 
  橋を戻って街道沿いの集落の裏側の通りを西に進むと川寄りに芝の広場が広がっていました。


  広場の西にある数軒の家の前を過ぎるとまた芝生の広場が広がっていて、6世紀から9世紀にかけて、いわゆる吉野宮が営まれたサイトの広さを伺うことができました。

  さらに対岸の谷奥を眺めると吉野山の青根ヶ峰が見え、ここが吉野の里への入口だったことが分かります。
    国道筋に戻って味噌・醤油醸造所の前を通り過ぎ、北に向かって坂を登って行ったところに吉野歴史資料館がありました。
バスが来るまでの短い時間でしたがひと通り展示物を見学し、学芸員の説明を聞くこともできました。

  ここから出土する土器は海産の巻き貝を押し付けた独特の模様のあるものだそうです。

  1時間ほど見学したあと、次のバスに乗って川上村の道の駅/杉の湯に向かいました。
迎えに出てくれた宿のマイクロバスで吉野川源流の谷に分け入り、大迫ダム右岸の入之波温泉に入りました。

(山鳩湯ウエブより引用)

  入之波温泉は、全国的にも珍しい炭酸石灰系の温泉です。
カルシウムの結晶が浴槽の湯面に浮き上がってくるほど濃厚な炭酸泉はで、筋肉痛などによく効くそうです。

  食事は大広間で食べましたが、山家風の山菜料理交じりの献立は西日本では珍しいと思いました。

  ほかには僅かな客しか居なかったので気兼ねなく、賑やかに楽しい会食となりました。

  入之波温泉は古くから近畿地方から大台ヶ原にアプローチするときの玄関口として知られています。
大台ドライブウエイに運行されているバスで登れるようになった今でも、三津河落川を越して徒歩で吉野川源流の谷を下ってきた時に、汗を流して疲れを癒やせる泊まり場として価値が高いと思いました。
また、大台辻を越えて宮川源流西の谷に入り、粟谷小屋/堂倉小屋を経て大杉谷に入るルートの起点としても利用できます。
 
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☆5月25日(晴のち曇): 不動窟-大台ケ原(日出ヶ岳周回)-わさび谷-不動七重滝前-前鬼小仲坊
<20万分1地形図> 和歌山、伊勢
<2万5千分1地形図>
大台ケ原(伊勢15号-4)
<行動時間>
   入之波温泉[9:05]=(宿舎送迎車)=[9:20]不動窟[9:41+2]=(奈良交通バス)=[10:51-5]大台ヶ原バス停(10:50)-大台ヶ原ビジターセンター/日出ヶ岳登山口(11:01)-水場(11:23/24)-日出ヶ岳(11:40/12:10)-正木嶺(12:30)-正木ヶ原(12:49/54)-尾鷲辻(13:03)-大台荘(13:34/14:00)-大台ケ原ビジターセンター(14:05/15)-(14:25)大台ヶ原バス停[14:30+3]=(奈良交通バス 950円)=[15:28+4]わさび谷(15:37 Taxi分乗)=道の駅吉野路上北山(15:53/16:08)=前鬼口(16:24)=大滝前(16:35/45)=(17:00)前鬼小仲坊
<ルートの概況>
    この日はバスで大台ケ原に上がり、日出ヶ岳登頂を含む半周ルートを歩いたあとわさび谷に戻り、予約していたタクシー2台に分乗して国道169号線を南下。  前鬼口から前鬼川谷に分け入り、不動七重滝を見物したあと前鬼小仲坊に泊まりました。
 
  宿の車で不洞窟まで送ってもらって、大台ケ原行きバスが来るのを待ちました。
源流に近くなって吉野川は、このあたりでは白っぽい色の綺麗な渓谷になっていてすぐ上流に巨大なダムがあるとは思えません。

  バスは準予約制になっているせいか程よい空席があって快適なドライブがでした。
ワサビ谷でいったん新伯母峯トンネル南口の和佐又口へ往復したあと北口に戻り、斜面を折れ登って伯母峰峠に上がりました。
伯母ヶ峰から先は稜線直下の斜面をトラバースしてゆく展望ドライブになります。
  尾根筋に上がるとすぐ、間近に大普賢岳が見え、さらにその先では深く刻み込まれて 800m 程もの高距がある北山川谷を見下ろします。

  険しい斜面を横切って西大台の経ヶ岳を通り過ぎると次第にまわりの地形が緩んできて、やがて大台ケ原に到着します。

  1600m ほどの山の上にある平原状の大台ケ原は好天の週末とあって大勢のハイカーやツアー客が押しかけ、大賑わいになっていました。
最小限のものを持って身軽に歩くため、ビジターセンターに荷物を預けたあと建物の脇の遊歩道から日出ヶ岳に向かいました。
 
  山の上は漸く芽吹きの時期に差し掛かったところで、年中で最も和やかな雰囲気が漂っていました。

  よく整備され、歩きやすい道を歩いて、日出ヶ岳頂上から流れ出している谷の奥をまわり登ってゆくと次第に開けてきて大台ヶ原の東側の縁を形成している尾根の背に乗りました。
 
  尾根の背に乗った所で左折するとすぐ、木製の階段になりました。
人工的な木道は歩きやすく安全なことは確かですが、山道を歩いているというより建物の廊下を歩かされている、と言うふうな雰囲気がないでもありません。
 
  日出ヶ岳頂上の展望台も大賑わいでした。
展望台の裏側は大杉谷へ下だってゆく尾根道の始まりです。
大杉谷ルートは10年あまり前の台風被害で全面閉鎖となったあと、復旧工事が行われたものの宮川ダムから桃の木小屋までしか通れない状態が続いていたのが今年の4月にルート整備が終了し、全通になったそうです。

  西を向くとページ冒頭のように延々と連なる奥駈道の山並が、南を向くと下のように尾鷲と紀伊長島の湾入が間近に見えました。

日出ヶ岳頂上 南方の展望、尾鷲と紀伊長島の湾入が見える    (画像をクリックすると拡大)
 
  北の方は台高山脈の山並で、シャクナゲの茂みの先に山並が重なっています。
台高は今度で二度目の大台ケ原のほか、高見山、三峰山くらいしか歩いていないのが残念です。
山深く、テント泊の装備を担ぎあげないと登れない山が多く、年寄り山屋には、なかなか近づき難い山域になってしまいました。

日出ヶ岳頂上 北峰の展望、台高の山並が連なっている    (画像をクリックすると拡大)
 

正木ヶ原    (画像をクリックすると拡大)

  展望台の袂で恒例のお茶会を行ったあと先に進みました、
階段を下った先から登り返して、南隣りの正木ヶ嶺を越え、もう一度降った先をひと登りすると大台ケ原の看板もも言える正木ヶ原につきました。

笹原に枯れ木が立っている独特の眺めを楽しんだあと、下山にかかりました。
  尾根筋からひと下りすると尾鷲辻です。
東屋を左に見て右折し、谷奥をまわって下る道に入りました。

  遊歩道を歩き終えるとすぐ、大台荘に行って昼食をしました。
吉野の山奥では柿の葉すしが有名ですが麺類もなかなか美味しいと思いました。
コメの栽培に適した平地が乏しい山地ではどこでも蕎麦やうどんが重要な食べ物で味が磨かれているようです。
  食事のあと、ビジターセンターに戻って展示を見学。荷物を受け取って下山のバスに乗りました。
 
  ワサビ谷まで下った所でバスを降り、予約していたタクシーに乗継いで国道169号線を南下しました。
新伯母峯トンネル南口を出た所から大普賢岳に登る和佐又入口を通過してひと走りすると天ヶ瀬です。

  ここは弥山・八経ヶ岳への捷路である行者還トンネル東口への険阻な国道 309号線の分岐点です。

  さらにもうひと走りすると上北山村の中心部で、村役場の手前に道の駅吉野路上北山があります。
道の駅で休憩したあと僅か走った所から道路の下が池原ダムの水面になりました。 

前鬼不動七重滝    (画像をクリックすると拡大)
  

  しばらく湖岸を走り続けたあと、長いトラス橋を渡ったところが前鬼口でした。
閉鎖された茶店と長い屋根付きベンチの前を通って前鬼への林道に入りました。

  舗装はされているが、明日はここを歩いて帰らねば、と思うと少々気が滅入らないでもない道程でしたが途中で見た不動七重滝はなかなかの偉観でした。

  たまたまカメラツアーで来ていた奈良のグループと行き合わせましたが、写真を撮るだけの目的でわざわざここまで来る人達もいるのだと言うことを知りました。

  この程度の滝は、奥秩父西沢を始め、各地にあるのですがこのくらいの距離から見え、まわりの山と岩壁も含めた全貌を眺めることができるのは稀なように思いました。

  滝見の展望点から前鬼まで、さらにひと走りしなければなりませんでしたが、途中で釈迦ヶ岳から降りてきた登山パーティと擦れ違いました。
釈迦ヶ岳はとても気に入っていて、遠隔の山であるにも関わらず二度も登っている山です。

  百聞は一見にしかず、登って見ればすぐ分かることですが、素晴らしい展望の尖峰に端然と立っている釈迦如来像はあたりに名状しがたい空気を漂わせています。
串田孫一さんが百名山に入れ損ねたのは奥駈道の奥深くにある釈迦ヶ岳に登らなかったせいに違いありません。
  小仲坊は前鬼の里でただ一軒残って週末のみ宿泊を受け入れている宿坊で、建物自体が貴重な文化遺産でした。
オーナーの後鬼助夫妻に歓迎され、1300年にわたる歴史など 、色々な話を聞かせてもらいました。

<ルートの詳細>



  GPS スライドショー



  Flickr の元画像スライドショー



  全行程のルートマップ


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☆5月26日(曇のち雨)
: 前鬼-前鬼口-池原-七色ダム-北山村大沼
<20万分1地形図>
    和歌山
<2万5千分1地形図>    釈迦ヶ岳(和歌山4号-1)、池原(和歌山4号-2)
<行動時間>
    前鬼(8:05)-車止め(8:31)-大滝前(9:00/15)-成瀬水没碑(10:14)-(10:36)前鬼口[12:08]=(奈良交通バス)=[12:16]池原バス停-きなりの湯(12:25/13:35)=明神池/池神社(13:50/14:00)=七色ダム(14:20/25)=北山村大沼東光荘(14:40/15:00)=道の駅おくとろ・おくとろ温泉(15:10/17:00)=(17:15)東光荘
<ルートの概況>
    前鬼小仲坊から前鬼口まで歩いたあと路線バスで池原へ移動し、ダムの下の運動公園にあるきなりの湯のレストランで昼食。
迎えに来てくれた宿の車で北山村に向かいましたが、その途中、池峰の明神池と、七色ダムとを訪ねました。
宿舎は和歌山県の飛び地の村 筏師の里 北山村の役場の近くにある東光荘旅館でした。

  憧れの前鬼の宿は夜中にトイレに行くのもひと仕事になる 「歴史的建造物」 でしたが大台ケ原の山歩きの疲れもあって各自それなりに長い時間熟睡したようでした。

  宿坊としてはとてもゆっくりした朝食を食べたあと出発。
荷物は五鬼助さんが車で運んでくれることになったので身軽なウオーキングスタイルになりました。
  歩き出した所で振り返って見た前鬼の里は山中の別天地とも表現できる穏やかな雰囲気でした。
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  ひと下りした道端に前鬼の里の歴史を記した看板が立っていました。
修験道が盛んだった時代には前鬼・後鬼の5人の子供の子孫が切り盛りする5つの宿坊が繁栄していたのだが時代とともに衰退。
一時は廃墟同然になっていたのを五鬼助61代目の義之さんが小仲坊を復活した所です。

  食事の提供は週末のみだが、素泊まりなら無人開放の建屋が通年利用できます。
 

  車止めを通過してゆくと道路のすぐ下に渓流が迫ってきました。
不動七重滝のすぐ上流に当たる部分ですが綺麗な峡谷でした。

  不動の滝を作り出している尾根の迫り出し部分を3本連続しているトンネルで通り過ぎました。
最後のトンネルを出た所から 500m ほど先でもうひとつの尾根の端を回りこもうとする突端が大滝展望点です。

  ここまでくれば前鬼口までの道程の六部方を歩けたことになります。

  雲行きが少々おかしくて、どんよりした雲が上空を覆っていましたがすぐに降りだす感じはありません。
前鬼口のバスには十分過ぎるくらいの時間がある事を確認した上でのんびり休憩しました。
  12時過ぎのバスが来るまでどうやって過ごそうかかと思うほどのタイミングで前鬼口に着いてしまいました。
  林道が国道と出合うT字路の手前には20人以上入れそうな長い屋根付きベンチと、公衆トイレがあります。
国道に出た所には茶店があったようですが今は廃業して戸が締まっています。
  あれこれ駄弁っていたら案外早く時間が過ぎ、バスが走って来ました。

  池原で下車してきなりの湯の食堂 きなり亭に入って昼食をしました。
熊野の山中で食べた山形牛の焼き肉定食は思いがけない美味でした。
    約束した時間に迎えに出てくれた宿の車に分乗して北山村へ向かいました。
ガソリン代分のプレミアムを払って近在の名所を巡ってもらいました。

最初に渡った池原橋は、一見どうということもない鉄構トラス橋ですが、昭和初期にに架けられた時には山奥では滅多にない大鉄橋で、工事中も、完成後も、遠近から見物人が来たそうです。
以前泊まった民宿の主人が、この橋は村の誇りだったと話してくれたのを思い出しました。

  北山川右岸の急斜面を折れ登ると平らな台地の上に出て、思いがけない場所に明神池と呼ばれる大きな池がありました。
    役行者所縁の池で、流れこむ沢も流れだす川もないのに時たま水位が大幅に変動し、池に向かいあった所にある池神社の床まで水が上がることもあるのだそうです。

  神社の正体がよく分からないのでネットを検索してみたら下北山村のブログが見つかり、明神池の七不思議と言う言い伝えがあることを知りました。

  池神社のあと下北山村の行政センターがある寺垣内、上葛川を経て十津川村への捷路が分岐する浦向を通りました。
不動トンネルを抜けると北山村七色で、村境にある七色ダムを見せて貰いました。
    このダムと池原ダムとの間では揚水発電が行われ、最大35万KW の電力が発電されるのだそうです。
  車中の女将さんの話しによれば、北山村の観光資源となっているレジャー筏下りは決まったスケジュールでダムの放水をしてもらい、一時的に激流を作っているのだそうです。
同じようなやり方でカヌー競技大会も行われる事になったのだが、いつもやる場所と違って勝手が分からず「沈」が頻発して参っ、と、参加選手がぼやいていたそうです。

  宿に着いて部屋割りを行ったあと、少し下手にあるおくとろ温泉に行き、山の湯に入りました。
  村役場の近くにある東光荘は、僻地の町村によくあるもので、村内の仕事で来た人などが滞在する 「ご馳走つき下宿」 兼村の接待所とでもで言うべき旅館でした。
ほかと少し違っていたのは、主人の趣味のドラムスやキーボードなど、バンド演奏の楽器が広間に置いてあり、「生伴奏付きカラオケ」 ができるようになっていたことでした。
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☆5月27日(曇)
: 北山村大沼-田戸乗船場-瀞峡-志古-新宮-四日市
<20万分1地形図>
     田辺
<2万5千分1地形図>
    大沼(田辺1号-1)、瀞八丁(田辺1号-2)、伏拝(田辺1号-4)

<行動時間>
    東光荘(8:45)=(9:08)田戸乗船場[9:21]=(瀞峡ウォータジェット船)=[10:10]志古ターミナル[11:21]=(熊交バス)=[12:00]新宮[12:44]=(特急南紀6号)=[15:33]JR四日市{四日市3泊して鈴鹿山巡り}

<ルートの概況>
    4日目は、この旅最後のハイライトで、北山村の西外れにあたる田戸乗船場から瀞峡ウォータジェット船に乗って北山川を下りました。
 熊野川本流に面した志古ターミナルで路線バスに乗り継いで新宮へ。
特急南紀に乗って帰途につきましが四日市でほかのメンバーと別れ、町中に3泊して鈴鹿の山巡りを行いました。

 雨上がりの北山村の朝はとても静かで、谷間に朝霧が立ち込めていました。

  朝食のあと、10Km ほど西の田戸乗船場まで車で移動しました。
郵便局の前から谷底の河原に向かって階段を降りてゆくとウォータジェット船が走ってきました。

  以前、南奥駆の笠捨山、貝吹金剛から上葛川に下山して泊まり、田戸からこの船に乗って志古に出た事があります。
その時はパックツアー客で満員だったため一番後ろのエンジンルームの壁の前の席に小さくなって座りました。

  今回は他に客がなく僅か7人で貸し切りになりました。
良さそうな席に座ってゆったり峡谷見物の旅をしました。

  瀞峡遊覧航路も数年前の大水害で壊滅的な被害を受けたと聞きました。
建機で川底を浚渫して船が通れるようにした痕跡があちこちに見えました。

途中ですれ違った同型船の走りっぷりはなかなか格好の良いものでした。

  定刻より早く志古ターミナルに着きました。
まだツアー客が出て来る時間ではなかったのか閑散としていました。
客待ちのタクシーがいたら手早く新宮に出て速玉大社に参詣して帰ろうということになっていたのですが1台も見えず。
ターミナルで教えてもらった番号に電話で聞いてみた法外な運賃がかかることが分かったので予定通りバスで行く事にしました。

カフェテリアでコーヒを飲みながらバスを待ちました。
  バスで新宮に向かう途中の熊野川谷は先年の台風の爪痕があちこちに残っていました。
本谷に流入する沢溝に幾つも新しい滝場ができていました。

  新宮では駅の手前の権現前で下車し、明治初めに創業した老舗に立ち寄って瓦煎餅を購入。
半ばシャッター街になったアーケード街を通り抜けて新宮駅に着いたあと、駅前の徐福寿司に行ってさんま寿司を買い、車中で食べる昼食の用意をしました。

  紀伊半島の海岸沿いを走る特急列車の車窓には、伊勢路を歩いた時に見た景色が次々に現れ、懐かしい思いをしました。
三瀬谷の手前では、滝原宮の鳥居まで遠望できたのは望外の幸せでした。
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☆おわりに

    同年の知り合いの訃報がポツポツ聞こえてくるようになった今どき、良い仲間に恵まれ、楽しい山旅ができる幸せを実感しました。

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