洞川温泉-山上ヶ岳-五番関-四寸岩山-吉野 (2009.4.27-28)


☆期日/山行形式:
  2009年4月27-28日 民宿泊日帰り 同行2人
☆地形図(2万5千分1): 洞川(和歌山3号-1)、弥山(和歌山3号-2)、
                                   新子(和歌山2号-2)、吉野山(和歌山2号-4)
☆まえがき
    大峰奥駈道はひととおり歩き通しているが、再訪三訪してみたい所はいくつもある。
吉野から山上ヶ岳までの奥駈道北端部もそのひとつだ。
山上ヶ岳は既に3回も登っているが天気が良かったのは一度だけ。
吉野から入って二蔵宿小屋での泊まりを中継して歩いたときもビショビショ雨が降っていた。
新緑か紅葉の季節の晴天日を選んで軽装で、まわりの景色をユックリ眺めながら歩いてみたいと思っていた。

  シニア山友達と大和の低山を登り歩いた山旅は、最後の仕上げとして洞川温泉-山上ヶ岳-五番関-四寸岩山-青根ヶ峰-吉野 蔵王堂を歩けば、なかなか格好が良くなるのではないかと思った。

  五番関を継ぎ目として行程を2日に分割し、洞川温泉に宿を求めて足溜まりとすれば、見かけ上、日帰り山行を2日続ける形となり、デイパックでの軽装行動が可能になる。
  最初は2人で歩く積りでいたのだが、熊野古道グループのメンバーにも興味がありそうな者がいたので計画を公開し、希望者を募ってみたら、もうひとりが参加することになったので洞川で合流して貰い、3人で歩こうと言うことになった。

  大和からの相棒は古手の山屋だが、こちらは古道・街道歩きが専門。
山歩きの経験は乏しいが、足腰の強さは仲間内でも際立っているから問題ないと思った。

  1日目に登った山上ヶ岳は前の日に降った雪により、厳冬期と同じ状態になっていた。
パートナーの装備、経験は必ずしも十分とは言えず、慎重な行動が要求されたが、積雪量がローカットシューズでも歩ける程度で、しかもまだ踏み固まっていない新雪状態と言う、最良の条件に恵まれた。
晴れ上がってはくれなかったが風が吹かなかったお蔭で新雪を踏んで登頂し、下降時の難所も無事に通過できた。
  2日目も曇りがちだったが落ち着いた雲行きの天気に恵まれた。
芽萌きの五番関から冬枯れの四寸岩山に登り、新緑の青根ヶ峰から奥千本を経て若葉香る吉野へ。
春山の尾根伝いを楽しんだ。
四寸岩山頂上の展望    (クリックすると拡大します)
☆行動記録とルートの状況
4月278日
<タイム記録>

    洞川温泉=[宿の送迎車]=清浄大橋(7:53)-一本松茶屋小休止(8:40/45)-洞辻茶屋(9:40/50)-西の覗(10:35/40)-山上ヶ岳(11:00/15)-洞辻茶屋(12:00/35)-蛇腹の岩場(13:13/16)-鍋カツギ行者(13:40/45)-五番関女人結界(14:20/25)-五番関トンネル入口(14:40)-車止め広場で宿の送迎車と会合(14:58)-母公堂(15:03/12)-(15:20)洞川温泉{民宿翠嶺館}
◆ 洞川翠嶺館から山上ヶ岳への日帰りだから時間的な余裕は十分あり、ユックリ朝食を食べてから出かけても楽勝だった。

  天気図から晴天を期待したがそうはならず、山の高い所は雲に隠れていた。
西の高気圧から流れ込んでいる寒気の影響が思った以上に厳しいようだった。

  宿の車で清浄大橋まで送ってもらって歩き出した。
冷え込んでいるが前の日の様な風はない。
  女人結界のゲートをくぐって杉林の中を登ってゆく登路は大峰では最も良く歩かれているルートで、整備が行き届いている。
ただこの朝は、ところどころにある木の階段、桟道の表面が凍結していて滑りやすく、最大の注意を要した。
一本松茶屋で小休止したがその前後から雪道になり、左上に近付いてきた主稜線の林が樹氷で白く見えて来た。
時ならぬ冬山景色に喜んだ反面、足拵え十分とは言えない状態で無事に登頂できるのかどうか、一抹の不安も感じた。
  稜線近くにある遭難碑の手前あたりから本格的な雪道になった。
大型ザックを背負った登山者が二人降りてきた。
奥駈道縦走にきて昨夜は五番関で幕営したのだが雪に降られ、この状態で前進するのは無理だと判断し、エスケープするところだと言う。
ひとりはこちらと同世代で、70歳の記念山行だったのに残念だと言った。
大普賢岳から行者還岳あたりまでは難所が多いから、撤退は正解と思いますよ、と慰めた。
五番関に泊まった者はほかに3人いて山上ヶ岳方面へ向かったそうだ。
装備・経験に欠けるところはなかったのだろうか?
  泥辻茶屋では雪の中、2人が小屋明けの準備をしていた。

  泥辻茶屋で小休止しながら思案した。
陀羅尼助茶屋までは問題なく行けるだろうがその先はどうか?
岩場や階段が凍結していたら非常に危険だ。
ルートの状態と2人の足取りを見ながら慎重に進み、危ないと判断したらただちに反転することで同意して貰った。

  三番目の茶屋の先にある分岐ではもっとも安全な右手の新道に入った。
問題の階段は2~3cm ほどの雪を被っていたが新雪状態だった。
大勢が歩いたあとで踏み固まっていたり、凍結があったりしたら危なくてとても歩けないだろうと心配していたが、そのような状態こはなっていなかったので安心した。
雪山としてはもっとも歩きやすい状態だったと言えよう。

  地表は勿論、まわりの樹木も樹氷で真っ白になってきた

  お亀岩についた。
我が子への愛情に駆られて結界に入り込んだ母親がここまで来たところで石に変わり、動けなくなったと言う。

  お亀岩から先は露岩の急登が多くなる。
尾根の西側に整備されている新しい木の階段道のお蔭で安全に登降できた。

  階段を登り上げた所に西の覗があった。
新しく行者の仲間に入った "新客" がこの崖だ逆さ吊りの試練を受けることは、時どきテレビでも紹介されて有名だ。
始めて、しかも雪道を踏み分けてここまで登って来られた二人は感激の態だった。

  足場探しが難しい露岩を下り、樹氷が煌く鞍部からやや急に登って桜本坊に着いた。
ここでは早々に小屋明けの準備が進んでいて、雨戸はすべて開き放たれ、窓ガラスが綺麗に磨き上げられていた。

 桜本坊から僅か左手に寄り、左下に三棟の大きな宿坊を見たあと、右手に真っ直ぐ登ってゆくと、大峰山寺の山門が見えてきた。
幅広く緩やかな石段道の両側にはさまざまな石碑が林立している。

  最後の山門を潜ると石段が終わり、山寺本堂前の広場の一角に出た。
例年5月3日に行なわれる戸開け式の前のため、鎧戸が固く閉ざされ、素っ気無いが、険しい山の上の、思いがけない所に立っている大きな建物は不思議な雰囲気を漂わせていた。

  本堂の向かい側から僅か登って頂上広場に出た。
お花畑と呼ばれる広い平坦地で、天気が良くて雪がなければ、ノンビリ休憩に最適な山上楽園なのだが今日は厳冬期さながらの状態で腰を下ろせる所もない。

  広場の端の最高点には山名標柱と "日本百名山" と記した看板が立っているが、標柱にはエビの尻尾が付いている。
霧がたちこめて何も見えないので登頂証拠写真を撮ったあとすぐに退散した。
 (クリックすると拡大します)

  山頂付近の山林は左のようになっていて、まさに氷雪の異次元。
夢見るような雰囲気が漂っていた。

  参道の石段でスリップすると怪我をする恐れがあるのできわめて慎重に下った。
喜蔵院は何度か泊めてもらった宿坊だが、この日は人気がなく、固く戸を閉ざしていた。

  山の西側をまわり降りてゆく階段道では、スリップすれば下の谷へまっ逆さまとなり兼ねない。
最高の注意を払いながら下降した。
途中、先の方を見ると谷間に洞川温泉の家並みが見えた。
さらにその背後の山並みの先には薄日のあたる奈良盆地が明るく霞んでいた。


  頂上の方を振り返ってみると、西の覗のピークと頂上とが、氷雪の鎧を纏ったいかめしい姿で並び立っていた。
 
 (クリックすると拡大します)
  陀羅尼助茶屋まで下ればもう安心だと思ったが、案外そうでもなかった。

  泥辻茶屋で燃料補給をしながら長い休憩をしていると作業服姿の5、6人が登ってきた。
上の宿坊へ電気工事をしに行くところだと言ったが思わぬ雪山でなんとも心細そうな顔をしていた。

  泥辻茶屋から五番関に向かったが通過に注意を要した場所が3箇所あった。

  茶屋の向いのピークの裏側の下りでは水流で抉れた道に雪が凍結し、ツルツルになっていた。
  雪山で良くやる手で、道の横手の林の中に入り、歩き良さそうな所を下ってこの難場をパスした。

  次は蛇腹の岩場だった。
20m 超の露岩を斜めに下降するのだが、順層で足場が多く、固定ロープもあるので普段なら容易なのだが、凹所に詰まった雪が半凍結状態になっていて、非常に下り難くかった。
ストックで突いて氷雪を割り、払い落として足場を作り、慎重に下降した。

  鍋担ぎ行者の祠まで下ったところで小休止した。
これで難所は終わりと思ったが五番関の手前にはもう一箇所問題な所があった。

  小天井岳を越していった先でもう間もなく五番関、と言うあたりで尾根の背を降り、北斜面を斜めに下って行くようになるのだが、沢溝付近が崩壊して道形がなくなり、かなり悪いトラバースを強いられた。
  山慣れた者にとっては時どきある場面なので別段どうと言うこともないのだが、山慣れていないメンバーが混じっているパーティでは不安だ。

  五番関の女人結界門まで来ればもうおしまい。
処女雪を踏み分けて登頂し、難場を切り抜けてここまで降りてこられた満足感に浸りながら休憩した。

  五番関から林道トンネル入口への下りは思っていたよりきつかった。
下り始めの部分が非常に急でロープが固定してある。
トラバース気味に下ってゆく形となるため、力の掛け方に注意しないと横に振られる。

  下の方は沢溝の底にゴーロ状に積み重なった大石の上を伝わって下降する。
疲れているためバランスをとるのが辛く、こんなじゃなかった筈なのに、と言うくらい時間が掛かってようやくトンネル入口の東屋の脇に出た。
昨夜、奥駈を目指した5人がテントを張った所だ。
  3時前に宿の車が迎えに来てくれる事になっていたのだが、それまで立ち止まっていても退屈なのでブラブラ林道歩きを始めた。
毛又谷へ回り込んで行く所で行く手を見上げると、谷奥の崖の上の遥か高い所に氷雪の山が乗っていた。
  もうすぐ3時と言う頃、車止めの広場に差し掛かったところへ宿の車が上がってきた。
  女将さんに山の様子を話しながら走ってゆくと母公堂の前を通りかかった。
連れの二人は初めだったのでよく見て貰おうと車を停めてもらった。
お堂の前に行くと脇の小屋からでてきた番人と出会い頭になった。
  山開け準備の作業に来ていた二人と休憩するために紙コップに入れたコーヒを運んでいたのをご接待だと言いながら差し出されたので大いに恐縮したがありがたく頂き、それを飲みながら、このお堂にまつわる役の行者の母親の伝説を聞かせて貰った。

  宿に戻ってひと息入れたあと、村の共同温泉浴場に行った。
長い時間湯に浸かって身体を温めたあとの帰り道、竜泉寺を見るため回り道をした。

  神変大菩薩として神仏習合の神になった役の行者を本尊とする真言の古寺だ。
  本堂参拝を終え、境内を見始めたところへ雨が降ってきたので急いで宿に戻った。
翌日の準備もかねて荷物の整理をした。
長い山旅の終わりの日には必要ない物を宅配便で送り、吉野への尾根伝いの荷を軽くしようという考えだった。

  荷物の整理が終りかけた頃、夕食の用意ができたと、女将さんが知らせてくれた。
厳冬期と同じ様な処女雪の頂上に登れたのは、幸運だったなどと話し合いながら夕食を食べた。
こじんまりした宿で温泉がなく浴室が狭いのが難点の宿だったが、食事には色々な工夫が感じられた。
これまで泊まってきた各地の山の宿の中では、もっとも垢抜けして美味しい食事の宿のように思った。

  五番関から吉野へのルートの状態を尋ねたら、吉野に泊まらずその日のうちに帰京するのはかなりの強行軍だから、早朝の出発が必要だと言われたので早い時間に寝床に入った。
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4月28日
<タイム記録>

    洞川温泉(5:55)=(宿の送迎車)=五番関トンネル入口(6:05)-五番関(6:30)-二蔵宿小屋(8:05/35)-足摺宿跡(9:25/30)-四寸岩山(9:50/10:00)-新茶屋跡(10:22)-心見茶屋跡(10:40)-車道(10:55)-送電線鉄塔下(11:10/15)-青根ヶ峰(11:42/47)-西行庵(12:13/50)-金峯神社(13:07/12)-(13:20)奥千本口[13:30]=(バス \400)=[13:45]竹林院(14:00)-蔵王堂(14:20/25)-(14:35)吉野山ロープウエイ駅[14:35]=(\350)=[14:40]吉野[15:05]=(近鉄特急)=橿原神宮前=[16:50]京都[17:22]=(ノゾミ#250)=新横浜=あざみ野=[20:08]宮崎台
◆できるだけ早く出発するため、朝食は弁当にして貰い、6時前に車で出発した。
尾根伝いが終ったあとの吉野はできるだけユックリ歩きたいと思ったからだった。

  車でなら五番関まで10分ほどしかかからない。
昨日は歩きにくいなぁ、と思いながら降りてきた東屋脇から五番関への登路は、ひと晩寝て疲れが取れたせいか、案外楽に登り上げた。

  結界門前の広場から吉野に向かうルートは、大天井岳の頂上を越してゆく尾根筋と、北山村側の斜面を横切ってゆく巻き道とふた通りに分かれる。
今回は時間を節約するためトラバースルートを選んだ。

  巻き道ルートに踏み込んだところは芽萌きの林の中で、なかなか良い感じだった。
ただ、山が大きいため、延々と沢溝を横切り、尾根を乗越して行く。
沢溝の中には断層の露出と思われる崩壊により足場が悪い所もあって、歩き易くはなく、要注意だった。

  山慣れない者が混じっているパーティのときは時間が掛かっても尾根筋を歩いた方が良いかも知れない。

  分岐から1時間あまり歩いて大天井岳南の1239峰から派生する尾根を乗越す所に良い休憩場所がある。
  五番関から二蔵宿小屋まで、尾根筋ルートの標準タイムは2時間だったのを勘違いで1時間と思っていた。
最後の部分はまだかまだかと言う感じで歩き、ようやく二蔵宿小屋に着いた。

  吉野の方からひとりで入山し、一夜の泊まりをした懐かしい小屋だ。 樹脂波板1枚の屋根に当たる雨の音が煩かった。
  前庭のベンチで、薄雲を通して射しこんでいる柔らかな春の日を浴びながら朝食を食べた。
硬めに炊いたご飯と塩鮭の組み合わせが美味しかった。

  二蔵宿まで来ればそろそろ里山ムードになる。
30分ほど歩いた所で舗装林道にでた。
川上村から登ってきて尾根の黒滝村側に乗り越し、吉野まで延びている林道だ。

  道端に車が止まっていた。
山菜取りか何かに来たらしい。

  僅か林道を歩いた所に立つマップ看板の先からまた山に入った。
2Km ほど先の四寸岩山頂上に向け、200m ほどの高度差をゆるゆる登ってゆく至って穏やかな尾根道だ。

  林道入口からひと登りしたところに足摺宿がある。
元々の祈祷所と思われる岩群の横手に祈祷小屋がある。
道が小屋の中を通っているのが珍しい。
小屋の内部は普通の避難小屋と違って祭壇と祈祷台がある。

  足摺宿からさらにゆるゆる登り続けて行くと前方に森が切り開かれているのが見えてきた。

 (クリックすると拡大します)
  左側が切り開かれて明るくなった尾根上の道を進んで四寸岩山の頂上に上がった。
五番関とほぼ同じ高さだがここでは季節の進みが遅く、まわりの樹木がやっと芽萌きと言う程度に止まっていた。

  西の方への視界が開け、ページ冒頭パノラマのような眺めが得られた。
上空に青空が広がって来てはいたが、地上の大気にはまだ水蒸気が残っていてもうひとつスッキリしない眺めだった。

  四寸岩山から北隣の薊岳までは近い。
やや細まった尾根から左手に回り込んでゆくと目立たないピークに着く。

  ここから先、道筋がふたつに分かれる。
尾根上を直進するのは吉野古道で、左手に派生する尾根を下って行く道は新茶屋跡をまわって山腹を斜めに下降する一般道だ。

前回と同じ新茶屋跡ルートに入ってみた。
杉林の中のかなりの急降下を進んでゆくと下から登ってきた老ハイカーと出遭った。
車で来て林道から上がってきたと言う。
杉林の中にプレートがあるだけの茶屋跡で右折。
吉野の方に向かった
  新茶屋跡から林道までは思ったより遠かっただけでなく、所どころに足場の悪い所があってあまり気楽には歩けなかった。

  やがて、林道が近づいてきた。 車が停めてある。
コンクリートの階段を下って林道に降り立ったあとはノンビリ回りを眺めながらの散策ムードになった。

  心見茶屋跡のあたりにザッと30人ほどのハイカーがいた。
挨拶をしたあとで尋ねて見たら、大阪から来たと、引率者らしい男が言った。
パックツアーのようだった。

  それから間もなく、大型ザックを背負った熟年登山者と遭った。
奥駈道を目指して入山するところに違いないと思ったので声をかけ、昨日の山上ヶ岳の様子を話した。
今日入山するのは最高のタイミングで、運が良かったと長い前途を祝った。

  いったん山道に入り、送電線鉄塔を見上げる道端で小休止したさきでまた林道に戻り、さらに進んでゆくと青根ヶ岳への入口があった。

  入口の道標の脇から青根ヶ岳頂上まではほんのひと登りだった。

  三角点標石のあるこじんまりした頂上広場は、まわりを濃密な山林に囲まれて展望がないが、落ち着いた雰囲気が漂い、山上ヶ岳からの尾根伝いが一段落した達成感を味わうのに相応しい場所だった。
  丸太階段を下って行った先の広場に東屋が立ち、その前から西に分かれてゆく道がある。

  仲間のひとりが是非とも訪ねたいと熱望していた西行庵への道だ。
分岐点から西行庵まで、直線距離で500m ほどしかないのだが山腹を横切り、尾根を乗り越えてゆくため結構時間が掛かる。

  まだかまだかと歩いてようやく苔清水に着いた。
このあたりまで来ればもう観光客のエリアで、普通の旅支度をした女性の姿を見かけるようになる。
 (クリックすると拡大します)

  苔清水から200m ほど、西へ等高に進んだ所に西行庵の広い園地があった。
広く綺麗な平地の奥手に庵、その向いの谷側に東屋がある。

  萌え出たばかりの新緑に混じって山桜の木が一本、花盛りだった。
広場の真ん中に並んでいた丸太椅子を占領してお昼を食べ、恒例のお茶会を行なった。
 (クリックすると拡大します)

  西行庵広場の入口から山に上がり、尾根を乗越した所を右に向かってまわり降りて行くと古い女人結界の石柱があり、その僅か先で金峰神社の脇に出た。

  意外に質素な社殿だが、全国各地にある金峰、金精、金鑚のふた文字を冠する山や神社すべての元締めである。
賽銭を供え、ここまでの長い山旅を恙無く終えたことへの感謝を捧げた。

  切通し状になっている参道を200m ほど下ったところにある広場に奥千本口バス停があった。
4月上旬の桜の花期から連休前後までは、奥千本口から竹林院までの区間を約30分毎にシャトル運行のバスが運行されている。
 (クリックすると拡大します)
  広場の横手に停まっていた目立たない塗装色のマイクロバスが、参道から出てきた我々の姿を見てドアを開けてくれた。

  乗り込むとすぐ、どこから来たかねぇ、とドライバーに聞かれた。
洞川に泊まって五番関から、と答えると遠路をご苦労様と言うような調子で、洞川はえらい山の中で夢みたいな感じのする所だねぇ、と言った。
  山また山の奥の洞川に辿りついて異次元に入り込んだような感覚を受けるのは遠路遙々旅してきた者だけでない、と言うことを知った。

  15分ほどで上千本口 竹林院前に着いた。
予定より約1時間先行していて余裕がたっぷりあったのでまず竹林院の庭園 「群芳園」 に入った。
  この庭は、池泉回遊式の借景庭園で、豊臣秀吉(豊太閤) が吉野山の桜の花見をしたときに千利休が作庭したのを細川幽斎が改修したといわれ、大和三庭園のひとつと称している。
高みに上がると向かい合わせに奥千本一帯の斜面が見え、桜や紅葉の時季の美しさが想像された。

  ユックリ見回ったあと道に出て坂を下った。
尾根の背を通っている道の両側に宿坊や店が並んでいる。
  喜蔵院の宿坊があった。
山上ヶ岳にあるものの "里宿"で、 ユースホステルも兼ねていると言う。

  前方の家並みを圧している大屋根が次第に近付いてきた。
最後の広い石段を上がると、広場の奥手に巨大な蔵王堂が立っていた。
東大寺大仏堂に比肩するわが国最大級の木造建築で、あたりを圧する迫力がある。
人に聞いた話では、このお堂が北を向いているのは山上ヶ岳頂上にある大峰山寺と相対するためだと言う。
千日回峰は比叡山のが有名だが、ここから大峰山寺への行き帰りを繰り返す千日回峰は、遥かにハード行だと言う。

  蔵王堂前の広場から歩いてきた山の方を振り返った。
奥手の高い所は青根ヶ峰あたりではないかと思われた。

  蔵王堂境内から道に降りて行った先に黒門があった。
吉野山神域の入口を示すものである。
かつては大名といえどもここから先に進み入るときは馬から下りなければならなかったと言う。

 黒門のすぐ下にロープウエイ乗り場があった。
ちょうど毎時35発のが発車しようとしているところだった。
売り子にせかされて切符を買い、急いだ乗り込んだらただちに発車となった。
  僅か5分かそこらで下った谷間の広場の向かい側が近鉄吉野駅だった。
俄か雨が降り始め、駅舎に入ると間もなくザァザァ降りになった。

  駅前広場に面した売店で吉野葛の土産を買ったあと、難波行きの特急電車で帰途につき、橿原神宮前で乗り継いで京都へ。 予定より1時間あまり早いノゾミに乗って帰宅した。
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☆おわりに
  シニア仲間と始めた熊野の徒歩旅行は天気との不思議な関わりがある。
新宮から湯の峰、本宮へ歩いた最初の旅では、まわりは雨なのに我々が行く先では降り止んでいる、と言う不思議なことがあった。
2回目に中辺路を歩いた時は雨を避けて発心門から歩き出したところ、雨宿りができる廃屋近くまで辿りつくのを待っていたかのようなタイミングで激しい俄か雨が降った。
  今回も、山上ヶ岳は前日の降雪で俄か冬山となり、美しい冬化粧で迎えてくれた。
五番関から吉野までの後半では、行程の終わりに近付くにつれて尻上がりに天気が良くなって行ったのが、ロープウエイ駅についたあたりから急におかしくなり、吉野駅に着くと同時にザァーッと降りだした。

  天気図と睨めっこをしながら歩いていても、おかしいなぁ、なぜこうなるんだろう?、と首を傾げたくなる気象現象が、次から次へと発生している。
熊野・吉野では人知を超越した神の力を感じる!