千早-金剛山-水越峠-御所 宮戸橋バス停(2008.4.26)



☆期日/山行形式:
2009年4月26日 市中ホテル利用日帰り、同行1名
☆地形図(2万5千分1): 御所(和歌山6号-1)、大和高田(和歌山5号-2)
☆まえがき
    大峰奥駈道、熊野古道への行き帰りで何度か、大和葛城山の麓を通っている。
はじめのうちは、ロープウエイも懸かって観光地になってしまっているような気もしてあまり気にも留めずに通り過ぎていたのだが、やがて、この山とその隣の金剛山は、役の行者の故地であり、奥駈道と深い繋がりがあることを知った。
山脈北端の二上山から大和葛城山、金剛山、紀見峠を経て、岩湧山、和泉葛城山あたりまで、ダイヤモンドトレイルと呼ばれる長大な縦走ルートが整備され、ダイトレの略称で地元ハイカーに親しまれているという。

  今回の山旅では大峰に入る前に大和八木に足溜まりを求め、金剛山、水越峠、大和葛城山から岩橋峠あたりまで歩く計画だったのだが、天気が悪かったため翌日に繰り下げて計画を縮小、千早登山口-金剛山-水越峠から御所へ下山しただけで終わった。
カヤンボ下降点付近から見た奈良盆地には大和三山が見えた    (クリックすると拡大)
☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
    八木西口[6:40]=橿原神宮前=古市=富田林[7:35]=(金剛バス)=[8:04]金剛山登山口バス停(8:35)-登山口(8:40)-尾根上970m 圏(9:30/35)-天法輪寺(9:50/10:00)-葛木神社(10:10/15)-一の鳥居(10:22)-カヤンボ下降点(10:57)-カヤンボ谷林道(11:10)-水越峠(11:40)-祈りの滝(12:00/15)-葛木水分神社(12:35/40)-名柄交差点(13:05)-(13:26)宮戸橋バス停[13:42+3]=(奈良交通バス)=[14:40]大和八木駅[15:43]=橿原神宮前=[16:31]下市口[17:47]=(奈良交通バス)=[19:05]洞川温泉=[宿の送迎車]=(19:10)民宿翠嶺館

◆ダイトレを歩いたあとで洞川温泉に入らなければならないので朝早くホテルを出た。
ビジネスホテルに毛が生えた程度のホテルだったが、八木駅前商店街の一角にあって買い物に便利で、おいしい食事場にも恵まれていた。
  不用品は橿原神宮前駅のコインロッカーに納め、日帰りに必要なものだけを納めたサブザックを持って近鉄難波線に乗った。
古市で長野線に乗り継いで山の裏側にある富田林にまわり、富田林駅の改札を通って駅前広場に出たら金剛山登山口行きのバスが走り出そうとしているところだった。
慌てて手を挙げて停まってもらい、飛び乗った。
  初めてで土地勘が働かない割にはスムースなアプローチで、手早く登山口まで行き着けたところまでは良かったのだが、そこから先に問題があった。
  取りあえずは朝飯を、とバス停前の店に入ってきつね(けつね?)うどんを注文し、できたのを食べながら山の様子を聞いてみたら、ここのロープウエイはチョッと風が吹くとすぐ止り、今日も運休になっているという。
  この調子では葛城ロープウエイも当てにできないと思ったので思い切り計画を縮小。
千早から金剛山に登ったあと水越峠から奈良盆地側へ下山することにした。
間違っても洞川入りに失敗しないようにするためだった。
    ポピュラーな山らしく、登山口には間違えようもない大きなサインがあり、そのすぐ後ろの車止め広場にはザッと30台ほどの車が停まっていた。

  駐車場の先から右手の沢溝に沿って登る登山道は高尾山表参道と良く似た感じの舗装道だった。

  週末のせいか人が多く、軽装のハイカーが三々五々歩いていた。
スニーカとジャージーでザックも背負わず、空身で駆け下りてくる者もいる。
  ひと登りして谷から尾根に上がる所は左のようなジグザグ階段になっていた。

  尾根の背に乗ったあとも長い階段道が続いた。
大勢が登り降りしてもぬかったり崩れたりしないための工夫と思った。
丁寧な工事で段差も小さく保たれていたが、1時間超も続くと変な具合に足が疲れてくる。

  大阪府と奈良県の境に近い950m 圏にある尾根の平坦部分で小休止した。
さらにもうひと登りして尾根の背を外れると前の方に頂稜が見えてきた。





  右下に妙見谷を見下ろしながら緩やかな土道を登って行ったあと、左に曲がり登ると広場に出た。

  登ってきた尾根の地勢からは想像することが難しい広さのある場所で、右側に巨大な掲示板が立ち、100回から1000回以上登頂した人達の名札を掛けてあった。

  広場の奥手には大きな茶店が並び、その先の石段を登った所に天法輪寺があったのでとりあえず本堂の前に上がり御本尊を拝んだ。

  寺で拝んだあとどちらに行けば頂上なのか、突然地形が緩んだため見当が狂い、良く分からない。
  いい加減に見当をつけて寺の左手を回りこんで行ってみたら山の北側をまわって葛木神社の背後に出たので、道標にしたがって右手に登り、社殿の前に出た。

  葛木神社は一言主大神を祭っていて、この山の最高点 葛木山の天辺に鎮座している。

  奈良・平安時代以降、吉野の金峯山と同じ様に山岳宗教の聖地となり、天台・真言の修験道場の地とされていて、明治初年までは女人禁制の山であった、と言う。

  礼拝のあと、社殿の横の社務所に居た神官に道を尋ねた。
同様の質問をする者が多いようで、慣れた手つきで脇の箱から絵地図のコピーを引っ張り出し、赤鉛筆で印を付けてくれた。

  神官の教えに従って一の鳥居に向かった。
道の両側は国内南限と言われるブナ林だ。
芽萌きの時期を迎え、良い雰囲気になっていた。

  ひと下りで一の鳥居に着いた。
鳥居の先で分れている道の右手はちはや園地、村営香楠荘を経てロープウエイ乗り場へ、左はダイヤモンドトレールで、旧パノラマ台からカヤンボを経て水越峠に行け、西に行けば富田林、東に行けば御所に下山できる。

峠の向かい側を登ってゆけば大和葛城山だ。
(クリックすると拡大)

  鳥居の先から尾根を右手に巻き降りて行くところでは、谷向かいに大和葛城山が見えた。

  奈良盆地からは結構切り立っているように見えるが頂稜の大阪側は平坦で、高原状のなだらかな地形になっている。

 

  左のような石柱の道標が約500m ごと(?)に立っていた。
良く整備されて歩きやすいルートで、緩急を繰り返しながら高度を下げてゆくが、地質が花崗岩のようで、登山道に粗砂が敷き詰められて水捌けが良く、ぬかっている所がほとんどないのがありがたかった。
(クリックすると拡大)

  旧パノラマ台付近から左手のカヤンボ谷に下降するが下降点では奈良盆地が一望できた。
二日前に登り歩いた大和三山が集落の中にポッコリ、緑の盛り上がりとして見えた。

  下降点からカヤンボ谷の底まではかなりの急降下で、葛篭折れの丸太階段が続いた。
ステップの土砂が流出し、階段と言うよりハードルと言ったほうが当たっている状態になっていた。
丹沢蛭が岳南面の登りと同様だ。

  下りでもさることながら登りでは格段歩きにくくなるため、それを避けて皆が横手の林の中に歩くようになり、その踏跡で別の登山道ができている。

  水音が聞こえてくると間もなく東屋が見えてきて、その下手に架かっている橋を渡ると林道に出た。

  林道を僅か歩いた所に清水があり、 "金剛の水" と記した標柱が立っていた。

  これまでの経験で、花崗岩の谷の水は例外なく美味しい。
ここのはどうかと味見をしてみた結果は、所変わっても品は変わらず、非常な美味だということが分った。

  林道は間もなく簡易舗装路になった。

  千早側の登山道ほどではないが、結構な数の人が歩いていて頻繁にすれ違う。

  車止めの隙間から峠の道路に出てみたら、ザッと20台ほどの車が停めてあった。
金剛山へだけでなく、大和葛城山に登りに来た人の車もあったようだ。

  峠の最高点を乗り越して奈良盆地側も、2車線ガードレールつきのスーパー林道なのだが車が殆ど走って来ないのでパタッと静かになった。

  行く手に広がる奈良盆地の景色を眺めながらノンビリ歩いて行き、大きくカーブして回り下って行った所に祈りの滝があった。
20m ほどの滝の前に役の行者が修行したと記した立て札が立ち、祠もあった。

  新緑の木陰にベンチがあったので飲み食いをしながら休んでいたら急に雲行きがおかしくなり、降りだした。
気圧配置としては前日に気圧の谷が通り過ぎていったあと、大陸から移動してくる高気圧の前面に入っている筈なのにどうしたことかなぁ、と考えた。
高層に流入している寒気が非常に強いせいか?

  にわか雨とは思ったが、どうも雲行きが良くないのでザックから引っ張りだした折畳み傘を持って歩き出した。

  滝からひと歩きの関屋集落入口に葛木水分(ミクマリ)神社があった。
山裾にこじんまりした社殿があるだけながら、吉野・宇陀・都祁・葛木の四水分社のひとつに数えられる古い神社だという。

  神社から2Km ほどで名柄の交差点に出た。
コミュニティーバスのポストが立っていたが待ち時間が長いのでさらに1.5Km ほど先の国道まで歩いた。
途中の道端に小さなレストランがあった。
空腹だったがあまり混み過ぎているようだったので入るのをやめた。

  国道に出たところに宮戸橋バス停があった。
15分ほど待った所に走ってきたのはなんと、新宮から来たバスだった。
新宮と大和八木をつなぐバス路線は国内最長といわれている。
数年前、南奥駈の南半分を歩いたとき、起点の上芦川に入るため八木から十津川役場前まで乗ったことがある。
その時はガラ空きだったが、今度は大違いで僅かな空席しか残っていないほどだったので驚いた。
十津川あたりでキャンプをしてきたらしいボーイスカウトの子供達とその引率者が大勢乗っていたせいだった。

  少し走った御所駅前で子供達が降りてゆくとそのあとは、以前と同じような空き具合になった。
このあとしばらくは順調に走ったのだが、八木の町外れでショッピングセンターに詰め掛けた車の渋滞にはまったのは運が悪かった。
時間が早かったので洞川に入るバスに間に合うかどうかまでの心配はいらなかったが、八木駅に着くまでの何十分か、空腹に悩まされた。

  八木駅の食堂で昔風の洋食ランチを食べ、飢えた胃袋を満たした。
橿原神宮前駅のロッカーから引っ張り出したザックを持って近鉄吉野線に乗り継ぎ、下市口へ。
5時半過ぎに出る洞川温泉行きバスまで十分すぎるくらいの時間があった。
バスの切符売り場のおねぇさんに、どこかチョッと見に行く所があったら教えて、と聞いてみたが捗々しい返答が得られなかったので仕方なく、シャッター街になっている駅前通りを歩いて吉野川を見に行った。
かなり大き流れになっていたがまだ渓谷の雰囲気を残す清流だった。

  下市口から洞川へのバスは1時間半ほどかかる。
山また山の中を走って三つもの峠を越してゆくルートは何度通っても山の深さに驚く。
始めてこの路線に乗った相棒も呆れ顔で窓の外を流れてゆく景色を眺めていた。

  洞川温泉の宿は翠嶺館。
初めてここへきた時は古い民家で、五葉松荘と名乗っていた。

  何年か前、京都でクラス会があったときにそれに出ただけで帰るのはもったいないと、立ち寄り登山計画を立てた。
稲村ヶ岳山域ルートの開拓者に泊めて貰えれば、色々な情報を教えてもらえるのでは、と考えてここにふた晩の宿を借り、山上ヶ岳と大台ヶ原・大杉谷を歩いた。
法隆寺や大仏で象徴されていた奈良イメージとはまったく異なった峻険な山岳と峡谷の大集積に驚嘆したのがきっかけとなって毎年の春と秋、紀伊半島の山地に通うようになった。

  大峰から吉野までの奥駈道北端部を歩きたいと、もうひとりの仲間が合流し、一段と賑やかになった。
翠嶺館は改築したあとまだ数年しか経っていないため、客室が広く綺麗だった。
窓からの眺めも悪くはなかったのだが、着くのが遅すぎたし、寒くて中側の障子も閉め切ってしまった。
3人で楽しく話しながら夕食を食べ、早い時間に寝て翌日の大登りに備えた。
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☆おわりに

  ダイトレは金剛山から大和葛城山を越えて岩橋峠のあたりまでの核心部をトレースする計画だったが、天候に恵まれず、金剛山から水越峠までをチョッと味見して終わった。

  展望に恵まれ、歴史的にも興味深く、上部には自然が残り、なかなか良さそうな山のように感じた。
地元ハイカーに親しまれている所は首都圏における高尾山とそっくりだ。
態々ここを目当てと言うほどではないにせよ、今後も、機会を見つけては登りに行き、ひと通りは歩き切ってみたいと思う。