熊野古道 伊瀬路Ⅳ[新鹿-新宮速玉大社] (2009.10.21-25)


☆期日: 2009年10月21-25日
☆地形図(1/25000): 賀田(木本9号-3/13号-1)、磯崎(木本13号-2)、木本(木本13号-4)、
                               阿田和(木本14号-3)、新宮(田辺2号-1/木本14号-4)、
                               瀞八丁(田辺1号-2)
☆まえがき
        昨年5月、伊勢神宮からスタートした伊瀬路の歩き継ぎが愈々フィニッシュの段階に到達した。
初日は前回の終了点となった新鹿から大泊まで、6347m 歩いて足を慣らし、
二日目に大泊から紀伊井田まで19Km 弱歩いたあと、
一日おいて四日目に紀伊井田から8Km 弱歩けば新宮の速玉大社だ!
三日目は予備日で、もし悪天候に遭わず順調に歩けた場合、花の窟の先で分岐して内陸を本宮大社に向かう本宮道のハイライト部である 、横垣峠入口から通り峠を経て丸山千枚田(13249m)あたりを訪ねることにした。

  昨年の春、伊勢神宮からスタートして以来、女鬼峠をはじめとして数多くの峠を越えてきたが、前回最大の難所といわれる八鬼山(647m)を無事に越えたあとは文字通り "峠を越し" た形になっていて、今回は、一日目の大吹峠(200m) と二日目の松本峠(135m) の先は新宮まで、七里御浜に沿った平坦な道が続く。
ただ、三日目にある本宮道は横垣峠(305m)、風伝峠(257m)、通り峠(390m) と三つの峠があって少々山っぽい。
徐福漂着伝説の里 波田須    (クリックすると拡大します)
☆10月22日 (晴のち曇)
<行動時間>

    松阪[11:09]=(特急南紀3号)=[12:59]熊野市-(宿舎に荷物預け)-熊野市[13:39]=(JRローカル列車)=[13:49]新鹿(14:00)-西行松(14:37)-波田須神社(14:50)-徐福神社(15:19/25)-大吹峠入口(15:55/16:03)-大吹峠(16:15/25)-(16:55)大泊駅前[17:18]=(三交南紀バス)=[17:25]熊野市-{ホテル泊}
<概況>
    奥伊勢の山から降りてきて松阪駅前に泊まった次の日、朝のうち松阪の街中を散歩して時間潰しをしたあと11時近くに駅に行き、早朝東京を出発して特急南紀に乗ってきた本隊に合流した。
これまで3次の古道歩きで最も頼りにしていたベテラン山屋のKさんがまさかの腰痛で不参加になったのが残念で、少々心細い所もあるが既に長途を歩き通してきた仲間の脚力に不安はない。

  初日は午後の半日のみの足慣らしだった。
まず今回の足溜まりとなる熊野市まで行き、駅近くのホテルに荷物を預けたあと新鹿まで戻り、そこから波田須-大吹峠-大泊ルートを歩いた。

新鹿の砂浜沿いから歩き始めた    (クリックすると拡大スクロールします)
  砂浜の美しい新鹿の集落の外れにある中学校の裏手から山に掛かり、西行松の看板が立っている山道を進んで波田須の港を見下ろす台地の上に出た。
こじんまりした入り江の集落にはどこか秘境感が漂っていた。
はるかな昔、不老不死の仙薬を求めて中国からやって来た徐福が上陸したという伝説もあながち、と頷けた。
集落の中央の高みに徐福の宮があった。
大きめの祠程度のささやかな祭祀だったが、後ろに立っている樹木(銀杏?)に性器に似た部分があって、これらも信仰の対象になっているようだった。

  波田須集落の背後の斜面を登って国道に上がるとすぐのところに観音道の入口があったが、台風18号の被害で通行禁止と言う立て看板が置いてあった。
 この古道歩きでは、新旧ふたつに道筋が分かれている所では古い方を優先するのが原則だから、本来はこちらを歩くべきだった。
町役場に問い合わせたところ大吹峠の方を通ってくれと言う返事だったので、そちらを歩くことにした。

  苔生した石畳道が孟宗の竹林の中を通っていて風情のある峠だったが、乗越付近では何本かの大木が吹き倒され、それらを切り刻んで通り道を明けた跡が生々しかった。

  緩やかな坂を歩いて大泊の海岸沿いの国道に下り、駅の先の橋の袂のバス停から路線バスに乗って熊野市のホテルに戻った。

  夜はホテルの建物の中にある活魚料理店に入り、半年振りの紀州の美味しい魚に舌鼓を打った。



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☆10月23日 (晴のち曇)
<行動時間>

    熊野市[8:21]=(JR)=[8:24]大泊(8:30)-鬼ヶ城(9:00/9:25)-古道入口(9:33)-松本峠(9:49/52)-展望台(10:00/10:15)-峠出口(10:24)-木本神社(10:45/55)-獅子岩(11:15/20)-花の窟(11:29/35)-花の窟公園東屋(11:35/12:05)-巡礼の碑(13:18)-志原川川口付近防波堤端(13:25/45)-阿田和の道の駅(14:45/15:25)-(16:37)紀伊井田駅入口バス停[16:49]=(三交南紀バス)=[17:17]熊野市駅前-{ホテル泊}

<概況>
    この日の行程が今回の伊瀬路行のメインパートだった。
大泊駅からスタートしてまず鬼ヶ城を見に行ったあと松本峠を越して熊野市に下り、街中から海岸沿いにある獅子岩、花の窟へ。
さらに、七里御浜にそって紀伊井田駅まで、平坦な長いルートを歩いたが、好天に恵まれたお蔭で楽しく歩ききることができた。
  行程の前半は景色の良い所が多かった。
なかでも松本峠の僅か南にある東屋から眺めた七里御浜は、伊勢神宮から歩き出して以来見てきた景色の中でも一、二を争うほどのものだった。

松本峠東屋の展望、熊野市と七里御浜    (クリックすると拡大スクロールします)
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  熊野市と七里御浜との境を区切っている花の窟はイザナミノミコトの御陵と言い、新宮の神倉神社と同じような古代の原始信仰を起源とする神域である。

  花の窟の南側には感じの良い園地があった。
東屋に入り、秋刀魚寿司のお昼を食べた。

  昼過ぎは七里御浜沿いの道で、防風林の中の遊歩道、防波堤の上、国道沿いの歩道、集落の中の旧道を交互に歩いた。
やや単調になるきらいがあったが、阿田和の町にかかろうとするところにあった道の駅に助けられた。
この道の駅は観光バスなどの休憩所になっているようで、二階が海の見える大きなカフェテリヤになっていて色々な飲み物や食べ物が得られた。

  紀伊井田駅から熊野市への帰りにはバスを利用した。
このあたりはJR線よりバスの方が運行頻度が高く、便利が良さそうだ。



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☆10月24日 (曇一時雨)
<行動時間>

    熊野市(8:30)=[Taxi \4500]=風伝トンネル入口(9:00/9:15)-風伝峠(9:45/48)-矢の川(10:45/50)-千枚田・通り峠入口バス停(11:05/10)-通り峠入口(11:27)-通り峠(11:50/55)-千枚田展望台(12:05/13:05)-丸山車道出口(13:20)-丸山アクティブセンター(13:40)-水車(13:49)-(14:15)千枚田通り峠入口バス停[14:57]=(熊野市バス)=[15:30]熊野市河上横町-{ビジネスホテル河上}
<概況>
   予備日だったが前夜から降り始めた雨が上がりそうになっていた。
花の窟から本宮大社に向かう内陸ルートのハイライト部に向かった。
横垣峠から丸山までの予定だったが横垣峠は台風18号の被害で通行止になっていた。
タクシーで風伝トンネル入口へまわり、風伝峠-通り峠-千枚田展望所-丸山-千枚田入口バス停ルートを歩いた。

  不注意でルートをミスし、矢の川まで行過ぎて戻ったり、通り峠付近の登降が下手な山より大変で、大汗をかいたりしたが、雨上がりの千枚田の素晴らしい展望に報われた。

  なおこの日は、ホテルの部屋にカメラを置き忘れるというポカミスをやらかした。  下のパノラマやスライドショーの画像はすべて同行の松沢勝さんから頂いたものによる。

丸山千枚田展望所の眺め(松沢勝氏撮影)    (クリックすると拡大スクロールします)



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☆10月25日 (曇)
<行動時間>

    熊野市[8:25]=(JR)=[8:45]紀伊井田(8:50)-狼煙場跡(9:15)-井田一里塚跡(9:18)-横手延命地蔵(9:20/25)-粥森様(10:05)-熊野大橋(10:35)-熊野速玉大社(10:45/11:00)-徐福公園(11:25/35)-徐福寿司-新宮駅[12:45]=(南紀6号)=[16:05]名古屋[16:33]=(ヒカリ478号)=[18:21]新横浜=あざみ野=[19:01]宮崎台

<概況>
    伊勢神宮から始めた伊勢路の長途もいよいよフィナーレを迎えた。
紀伊井田駅から7Km 弱の道のりを歩けば新宮速玉大社に到着する。
駅から僅か戻り、紀勢線の踏切りを渡って山裾の道に上がるとみかん畑の先に熊野灘の水平線が緩やかなカーブを描いていた。
紀伊井田山裾の道の眺め    (クリックすると拡大します)

  鵜殿の町の背後から坂を下って神内川を渡ると熊野川は近い。
大小の車が疾駆している川沿いの道路から熊野大橋を渡るとすぐ、早玉大社参道の入口の交差点に着いた。
一昨年の春、グループ最初の熊野旅行で来た所だ。
長途を歩ききった満足感に胸を膨らませながら3年ぶりの参道を歩いて境内に入った。

  朱塗り鮮やかな早玉の社殿は熊野三山の中でもっとも華やかで優しい。
伊勢神宮からの長い道のりを無事に歩ききれた事に対する感謝の祈りを捧げたあと、出発ま近かに腰を痛めて参加できなくなった仲間の治癒に役立つという御札を求めた。

小文字による写真の説明    (クリックすると拡大スクロールします)
  早玉参拝を終えたあと、林業の衰退とともに寂れてシャッター街になってしまったアーケード街を通って駅に行き、近くにある徐福公園を見た。
最後に駅前の徐福寿司に入り、名物のすしで腹を膨らませ、予定の南紀6号に乗って帰った。



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☆おわりに
  70歳前後のシニアグループによる伊瀬路の歩き継ぎが完結した。
グループが発足した時は体力も技量もバラバラで、山道どころか平地の道でも長距離は無理では、と心配になったほどだったのが、近郊低山へのハイキングからはじめて徐々に段階を踏み、足腰を慣らしているうちに徒歩旅行の要領が体得され、予想を超えた健脚グループができ上がった。
その結果は、大難関と思われた八鬼山も余裕を残して乗り越してしまった程だった。

  体力に自信が持てるようになっただけでなく、長時間行動を共にしたことで気心の通う仲間ができたことがとても嬉しい。