伊勢路Ⅱ-1、阿曽-大内山(2008.10.21)


☆地形図(2万5千分1): 古和浦(伊勢11号-1)、間弓(伊勢11号-3)

☆まえがき
    今年5月に行った第一回伊勢路歩きでは伊勢神宮から大内山まで歩く計画だったが雨に祟られ、阿曽までで終わった。
今度の初日の行程は阿曽から大内山まで、足慣らしを兼ねて前回未達分のリカバリーをすることとなった。

  参加人数は色々な事情で減って7名になった。
うち3人は前回、神瀬と下楠の間の茶畑でしでかしたルートロスによってできた "落穂" を拾うため、もうひとりは前回不参加だったのを、あとから個人でリカバリーしたのが、完結していなかったのを埋め合わせるため、それぞれ先発した。
  こちらも、立ち寄り登山を行うために3日早く先発し、前夜は松阪に泊まったので現地で合流することなった。
当日の朝、東京を出発してくる本隊は、僅か2名だけという変則的な形となった。

☆行動記録とルートの状況
10月21日(晴のち曇 13.4Km)
<タイム記録>

    松坂駅前バスターミナル[12:05]=(南紀特急バス、大台町で本隊と合流)=[13:00]阿曽バス停(13:10)-(3.5Km)-阿曽観音堂(13:20)-寶蔵寺(14:20/25)-(8.4Km)-大内山の一里塚(16:10/野点/40)-(1.5Km)-(17:10)大内山駅[17:33]=[17:47]紀伊長島駅=(宿の送迎車)=(18:10)ホテル季の座


  バラバラで複雑な集合となったが、何も問題なく阿曽バス停に勢揃いした。
みな旅慣れている。

  前回歩き終わった区間の最終ランドマーク、阿曽観音堂を確認した上で歩き継ぎを始めた。
前来たときは新緑だったケヤキの古木が色付いていた。


  左手に阿曽の駅を見たあと国道に出てしばらく歩いて藤ヶ野集落に入った。
また国道に出て歩き、岩舟橋を渡った所に、東屋とトイレを備えた園地があった。
歩き出してから1時間近く経っていたので小休止。

  園地での休憩を終えたあと、昔風の家並みが残っている柏野集落に入った。
厄病封じのために祀られたという津島神社があった。

  神社の先に寺があった。
宝蔵寺と言い、街道筋から移された伊勢路の道標があった。

  国道を横切って南出橋を渡ると、田の中に垣外後(カイトジリ)庚申塚があった。

  その後も国道の縁の歩道を歩いたり、昔の家並みが残る集落の中を歩いたりを何度か繰り返した。

  大紀町長野集落の外れにある大皇神社は山を背に負って、風格のある神社だった。




  建設中の紀勢自動車道の膨大な工事に驚き呆れたりしながら進んで行って大内山の一里塚に着いた。

  一里塚そのものは見えなかったが記念碑の先が小広場になってログハウス風の公衆トイレが建てられていた。

  いくらか雑草が生えてはいたが広場には細かい砂利が敷かれていて、良い休憩場所だった。

  ここまで来れば大内山駅までもうひと息だ。
順調に足慣らしができた所で恒例の野点となった。
Kさんの恒例の抹茶も美味かったが、もうひとりのKさんが持ってきた奥さん手作りの栗蒸し羊羹は格別だった。

  野点のあとは桧林の中の道になった。
この日歩き出して以来、初めての土道が心地よかった。


  行程の終わりが近くなった所で大内山川と対面した。
静かな流れが傾いた日の光を反射していた。

  たそがれ時に大内山駅に着いた。
この夜から3泊する紀伊長島の宿に、携帯電話で連絡して迎えの車を頼んだあと、下り列車を待った。
列車が来たときにはあたりが暗くなっていた。


  とっぷり日が暮れたあと、紀伊長島駅に着いた。
駅前で待っていた車に乗り、15分ほどで宿に着いた。

  リゾート開発はなやかなりし時代に私鉄会社が作った大型施設だが経営が捗々しく行かなかったのを、地元の個人が引き取って営業しているという。
一応、温泉もあったが、この宿の最大の目玉は海の幸を生かした食事のようだった。
山登りの疲れと牛丼の食べ過ぎとで腹具合が悪くなっていた年寄りにはありがたいことだった。

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☆おわりに
  今回はいつものような事前の足慣らしハイキングは行わず、本番初日の行程で代用した。
それぞれのライフスタイルはバラバラで日頃どの程度歩いているのかはまったく分らない。
半年振りで一緒に歩くメンバーの調子はどうか、少々どころではない不安があったが、何も問題なく半日の行程を歩ききり、あとに続く日の峠越えへの不安が和らいだ。