北奥羽[八甲田、田茂萢岳-大岳小屋-毛無岱] (2005.8.25-26)


☆地形図(2万5千分1): 雲谷(青森4号-4)、八甲田山(弘前1号-1)

☆まえがき
    早朝に出発。 東京駅から東北新幹線ハヤテ1号で八戸へ。
さらにスーパー白鳥1号に乗り継いで青森へ行き、JRバス八甲田十和田ラインのみずうみ6号で八甲田ロープウエイ駅(665)へ。
八甲田山頂公園(1305)に上がって歩き出し、田茂萢岳(1324)、赤倉岳(1548)、井戸岳(1452)、大岳避難小屋(1435)を経て大岳(1584.4)に登頂したあと、頂上南下の仙人岱避難小屋(1390)に宿泊。

翌日は、仙人岱避難小屋(1390)から小岳(1478)、箒場平分岐(1285)を経て高田大岳(1552)に登頂したあと、谷地温泉(790)のバス停(763)に下山。  青森駅に戻ろうと言う計画だった。

しかし、タイミング悪く台風11号が接近。
赤倉岳の稜線に上がった頃からその影響が現われ、強い冷風と霧になった。
長途の初日から無理をするのは避けて大岳避難小屋に避難したが翌朝になってもまだ回復していなかった。
止むなく、毛無岱を通って酢ヶ湯に下山し、青森に戻った。


毛無岱下段湿原と池塘群

☆行動記録とルートの状況


月25日
<タイムレコード>
  宮崎台[5:56]=大手町=東京[6:56]=(ハヤテ#1)=[10:04]八戸[1016]=(スーパー白鳥#1)=[11:14]青森[11:40]=(JRバス十和田行)=[12:35]ロープウエイ駅[12:40]=[12:50]八甲田山頂公園駅(12:55)-田茂萢沼(13:05/20)-赤倉岳(14:10)-小休止(14:15/20)-祠(14:23)-井戸岳(14:35)-(14:50)大岳避難小屋{毛布なし、水場枯渇、天水槽利用}


  バスの休憩所になっている萱野茶屋から見た八甲田はまだ青空をバックに綺麗なスカイラインを描いていた。

  ロープウエイで上がった田茂谷地岳は遊歩道が整備されて、観光客の領分になっていたが、思い掛けない強さの風が吹いていた。
行く手の赤倉岳には笠雲が掛かりはじめ、風が強まる兆候を示していた。


  窪地に池塘があった。
ここだけは風蔭になっていて穏やかな雰囲気だった。
岸辺のプラットホームでは改修工事が行われていた。

  登山道に入り、高度を上げて行くと視界が広がった。
雲間にウッスラながら岩木山が見えた。

  赤倉岳の稜線は風が強く、霧が視界を閉ざしていた。
井戸岳頂上も左のように五里霧中の状態だった。


  井戸岳から降りて行った鞍部に大岳避難小屋があった。
雪国の山小屋の常で、堅固な建物だった。
まだ新しい建物で、内部も左下のように清潔だった。



刻一刻天気が悪化していたので大岳を越して仙人岱避難小屋まで行くのはギブアップし、ここに泊まることに決めた。

  問題は水場が枯れている事だったが、小屋の軒下にあるドラム缶に天水が溜まっていた。
ウッスラ錆色の水だったがボーフラやオタマジャクシもいない。
煮沸すれば十分使えそうだと判断した。

  この夜、外は荒れ模様になった。
台風に向って沿海州方面から吹き込む冷風のため、明け方に掛けて冷え込んだ。
夏用寝袋では保温力が足らず、身体が冷えて目が覚めた。
新幹線車内で読んだ新聞を寝袋の内部に入れて寒さを防いだ。
                                                                                                                ページ先頭

月26日
<タイムレコード>
 大岳避難小屋(7:10)-田茂萢道合流点(7:35)-毛無岱下段休憩所(8:00/05)-(8:45)酢ヶ湯[8:50]=(JRバス青森行)=[9:50]青森駅[10:25]=[11:00]三内丸山遺跡[12:13]=[12:48]青森駅→岩木山のページへ


  台風は三陸沖を遠ざかりつつあるようだが相変わらず荒れ模様だ。
大岳を越して谷地温泉に行くのは中止、毛無岱を通って酢ヶ湯に下山することにした。

  早い時間に降りれば青森で時間の余裕ができるからちょっとした観光でもしてみようと思った。

  アオモリトドマツの間を少し歩くと湿原の木道になった。
上段湿原から下段への下り口では冒頭パノラマのような美景が眺められた。
天気が悪いのが残念だった。

  下段の湿原から樹林の中に入り、意外に長くて単調な上下をして行くと、城ヶ倉温泉からの道が合流する。
ジグザグを数回繰り返すと下の方に酢ヶ湯の駐車場が見えてきた。

  8時50分の青森行きバスはここが始発で、駐車場に停まっていた。

 10時前に青森駅に戻った。
タップリ時間の余裕がある。
観光案内所で聞いてみたら、三内丸山遺跡まで路線バスで片道35分、十分行って来れる事が分かった。

 この遺跡は、かつて海に望んでいた広大な台地の上にあって、5000年前から約1500年間もの長期にわたって大集落が存在していたと言う。
縄文式土器はじめ、かなり高度な文化があったことを証明する、膨大な遺品が出土している。
驚くべきことに、
信州和田峠の黒曜石の出土まで確認されている。





  遺跡から戻り、駅前の寿司屋で海鮮丼を食べたがまだ時間が余ったので予定よりひとつはやい列車で弘前に行くことにした。
季節運行の "リゾート白神号" で昔話や津軽三味線などのサービスがあって、楽しかった。