志賀高原、大沼池-硯川 (2004.8.19-20)

☆期日/山行形式:
2004.8.19-20 前夜シティーホテル泊2日 単独

☆地形図(2万5千分1): 中野東部(高田12号-2)、岩菅山(高田8号-4)

☆あらまし
    志賀高原は昔、スキーで何度か行って思い出の多い所だ。
スキーの駆け出し時代、何度目かのツアーで横手山から渋峠を経て万座に抜けたとき、横手から滑り出して幾らも経たない所でスキーを折ってしまった。
若くて元気一杯だったし、天気も良かったおかげで、片足スキーで万座まで頑張り通したが、もう少しで暗くなるほど時間が掛かった。
志賀高原とその周辺は無雪期の山歩きの対象としても面白い所で、一度は泊まりに行ってみたい芳ヶ平ヒュッテ、岩菅山から烏帽子山・笠法師山を通って秋山郷への尾根ルート、あるいは赤石山からダン沢ノ頭・大高山を越して野反池への分水嶺縦走路など、体力が残っているうちに歩いておきたいルートがいくつもある。
   隣接した秋山郷や、野反湖までは何度か行っているのだが志賀自体には踏み込んだ事がないので手始めとして軽い偵察行をし、一帯の無雪期の様子を見て、頭に入れようと思った。

  もとの計画では、大沼池から赤石山に上がり、金山沢ノ頭から東館山への尾根を辿りながら、野反池方面と秋山方面への尾根の繋がり具合を見ようという目論見だったのだが、台風一過のあとは晴れという言い習わしの通りにはならず、一帯は霧と風の荒れ模様だった。

  山に上がるのは諦め、偶然行き遭った大沼池竜神祭を見物したあと、四十八池から硯川に抜け、濃霧を衝いてのバスドライブで白根山から草津へ抜け、長野原草津口経由帰宅した。









 偶然行き遭った大沼池竜神祭。
沼に突き出た尾根上の祠に据えられた竜神の前に供物が並べられ、神主の祝詞の準備が行われていた。
地元テレビ放送の取材カメラを含め、狭い所に大勢が詰め掛けていた。

☆行動記録とルートの状況
月19日
<タイムレコード>:
宮崎台[13:16]=渋谷=新宿バスターミナル[14:20]=(高速バス \4000)=[17:57]長野
                               駅前{サンルートホテル}
  長野まで行って泊るだけで時間的な余裕があったので、コストパフォーマンス比の良い高速バスで行ってみた。
途中、少年時代を過ごした群馬の田舎町の外れを通った。  秋になると仲間と連れ立って自転車で栗拾いに行った山が真近かに見えた。
  予約したホテルは、翌朝一番電車に乗る予定にしていた長野電鉄駅のまん前だった。
インターネットで適当に決めた泊まり場だったが、まさにお誂え向きのロケーションだった。


月20日
<タイムレコード>
長野[6:30]=(長野電鉄)=[7:37]湯田中[7:40]=(長電バス \780)=[8:14]大沼池入口(8:20)-発哺分岐(8:50)-池尻(9:05/15)-大沼池レイクハウス(9:30/10:30)-竜神社(10:40/55)-四十八池(11:15/20)-滋賀山入口(11:40)-前山スキー場上(11:55/12:00)-小休止(12:05/15)-(12:30)硯川[13:56]=(長電バス \870)=[14:24]白根火山[14:30]=(JR/西武/草軽バス \1100)=[15:00]草津[15:05]=(JRバス \670)=[15:30]長野原草津口[16:00]=(\2940)=[17:12]新前橋[17:17]=(快速)=[19:11]上野=三越前=宮崎台

  昔、長野電鉄は丸窓付きの風情のあるボディの電車を走らせていたが、今は東急線のお古と思われる車両になっていた。
須坂、小布施を通って終点の湯田中まで行き、路線バスに乗り継いだ。
まだ夏休みシーズン中だったが、週日の早朝のせいか、バスはひと桁台の客で発車した。


  丸池、蓮池を過ぎると間もなく大沼池入口だった。
天気は芳しくない。
頭のすぐ上まで雲の層が降りてきて一帯を覆っている。
大げさな革登山靴には相応しくないな山なのでローカットの布靴を履いてきたが、小石が入り込んだりズボンが汚れたりするのは防ぎたいので中スパッツを持ってきた。
足拵えができて歩き出そうとしている所へ車が上がってきて初老の男が降りた。
何となく連れ立って歩き出す。

 長野市の住人で、竜神祭のため初めて志賀にきたのだと言う。
話しながら緩い登りの林道を歩いていると、3、4人が乗った車が追い抜いて行った。
天気は良くないがその代りに風が涼しいのがありがたい。
楽に歩いたのに1時間もかからずに沼尻に着いた(左)。
大きな水面で、沼と言うより湖と言った方が良いくらいだったが沼尻に築かれている堰堤から見て昔はもっと小さな沼が窪地の底にあっただけなのかも知れない。

 
    湖畔を20分足らずでレストハウスに着いた。
大きな建物で "エメラルド大沼" と言う文字看板を掲げている。
  内部は休憩所兼軽食堂で広い土間にテーブルがならんでいる。
台所では車で来た人達が忙しく開店準備をしていた。
  天気が悪くて山に上がっても仕方なさそうだと思ったので祭りを見物して帰る事にした。
それでも最低限の偵察はしなければならない。
ハウスでは人を泊めないが、出入口の蛇口から給水ができ、ハウスの背後には水洗式のトイレと、ツエルトくらいは張れそうな小平地がある。
野反池方面への縦走の出発前夜の仮泊地としての条件は十分に備わっているように思われた。

  10時を回ると5、60人程もの人達がやって来て急に賑やかになった。
やがて池の向うからボートが漕いで来るのが見えた。
竜神社の方に行ってみたら、尾根上の祠の脇に赤い幟が立ち、白衣の神主が来ていた。
  暫く祭りの見物をしていたが次第に混雑してきたので退散。

  湖畔を周る道に戻り、四十八池を通って硯川の方に向う。
暫く歩くと尾根に上がって湖畔を離れた。
四十八池への乗越しに向けて僅か高度を上げるとすぐに雲の層の中に入った。

  天気が悪いのに硯川の方から来る人達と頻繁に擦れ違う。
祭りに来た人が多いようだ。

  所所で霧ション状態になっている。
風向きと地形の関係で降ったり降らなかったりになっているようだ。

  尾根の登りが終わった所から斜面を捲いて行くと木道になり、やがて志賀山神社の鳥居の前に出る。鳥居の手前を左に曲がると木道を広げた休憩プラットフォームがあって濃密な霧の中に四十八池の湿原が広がっていた。
ここの湿原は既に稔りの秋の気配になっている。


  志賀山と鉢山の鞍部を通り抜け、高度を下げて行くとまた雲の層の下にでた。
周囲への視界が広がると間もなく渋池だった。

  渋池からひと歩きで前山スキー場上部に出た。
広広した草原になっている。

多くの人はスキー場の下まで車で来てリフトに乗り、ここまで上がって渋池、四十八池あたりを歩いて帰るようだ。

 初級者の滑走バーンとして造成されたと思われる緩斜面の踏跡を歩いて硯川に下った。
途中、ウスユキソウの群落を見た。
スキー場造成の後に、種を撒いたのかもしれない。

 硯川には大きなホテルや旅館が並んでいた。
レストランが開いていたので中に入り、ソースカツ丼を注文した。
長野の地方料理なので期待したがあまり美味しくなかったのでガッカリした。

  長野に戻っても面白くないので、バスで白根山まで行き、群馬側の草津から来ている路線に乗り継ぎ、草津から長野原草津口を経て帰ることにした。

  車道は昔の横手山ツアールートを通り、さらに白根山の草津側ではフリコ沢を絡んで殺生、天狗山スキー場を通って行く筈だ。

  バスが横手山の登りに掛かるとまたすぐに雲の中に入った。
そのあとの長いバスツアーは、切れ目のない濃密な霧と強風の中をひたすら突き進むこととなり、景色の方はさっぱりだった。

  フリコ沢を横切って殺生河原に差し掛かろうとするあたりでようやく雲の下に出て、関東平野北端部への展望が広がった。
僅かに、菅峰、浅間隠山、角落山、鼻曲山など、馴染みの山々を見分ける事ができた。

  草津は、町外れのホテルでは音楽祭などもやっていたりして賑やかだった。
サッカーチームもかなり有名になっている。
豊富に湧出している温泉と、さまざまなアイデアが組み合わさって、魅力的なリゾートに発展しているように感じられた。

  草津から長野原へのバスはほぼ満席だった。
ほとんどの人はここから軽井沢方面行きのバスに乗り継ぎ、軽井沢から長野新幹線で帰るようだったが、一応土地勘もあし、時間もまだ早いのでそちらには行かず、吾妻線、上越線、高崎線を乗り継いで帰ることにした。

風邪薬でフラフラしながら登った丸岩、小さいけれど面白い山だった岩櫃山の麓を通り、一度は登って見たいと思っている嵩山を眺めて渋川へ。
さらにひと走りした新前橋でタイミング良く通勤快速に乗り継げ、帰路もコストパフォーマンス比の良い旅程となった。


☆おわりに
  北海道あたりまで進んでもまだ勢力を保っている台風に吹き込む風が山に当って雲が発生し、局地的に天気が悪いという不運にあったため、せっかくの偵察山行にしては僅かな情報しか得られなかった。
大沼池付近ではかなり快適なビバークができそうな事が確認できたのが唯一の収穫だった。
昔、何度も通ったフリコ沢から殺生、天狗山スキー場の辺りの様子が、無雪期にどうなっているか見られたのも良かった。