高原山、釈迦ヶ岳-西平岳 (2004.7.14-15)


☆期日/山行形式:
2004.7.14-15 旅館利用 1泊2日 単独

☆地形図(2万5千分1): 川治(日光7号-2)、高原山(日光3号-4)

☆まえがき
    高原山へは昨年の春先にスキーを持って出かけた。
鶏頂山には登頂したが最高点の釈迦ヶ岳には登れなかった。
梅雨明けと夏山の間の足慣らし山行に出かけてみた。
日帰りも不可能ではなさそうに思えたが、いい年をしてせせこましい山行をしたくなかったので、前の日のうちに山の麓までアプローチして泊ることにした。

  計画のあらましは、相互乗り入れで便利になった東急・東武線を利用し、北千住経由、新藤原(425)まで行って宿泊。
翌早朝に車で日塩もみじラインを上がって中腹の鶏頂山登山口(1265)から歩き出し、弁天沼(1517)を経てまず鶏頂山(1765)に登頂。 さらに火口壁縁を伝わり、御岳山(1690)を経て釈迦ヶ岳(1794.9)に登頂。
中岳(1728)、西平岳(1712)と稜線を辿って釈迦ヶ岳林道(1090)に下山。
釈迦ヶ岳開拓(954)から西平岳道標のある広場(755)へ下り、堰場川谷沿いの道を歩いて新藤原(415)に戻り、東武/東急線を乗り継いで帰る、というプランだった。
実際には、少々雲行きが怪しく、夕立に遭う心配があったたため、鶏頂山は割愛し、釈迦ヶ岳から西平岳を歩いて帰った。
North to East View from Shakagatake Top
釈迦ヶ岳頂上、北から東への展望。 雲で遠望は利かないが、左端に鶏頂山、その右下に鶏頂開拓の農場が見える。

☆行動記録、およびルートの概況

月14日
<タイムレコード>

    宮崎台[14:22]=[14:25]溝の口[14:30]=[15:26]北千住[15:31]=[18:10]新藤原{国民宿舎星光ホテル 1人部屋\8000}

  計画のとき、泊まり場所の選択で少々迷った。
すぐ近くに鬼怒川温泉があるのだが、歓楽の巷に泊まるのは山歩きに馴染まない。
登山口に最寄の新藤原駅に近いというだけの理由で、"民営国民宿舎星光ホテル" を選んだが、結果的に大正解だった。
  この一帯の庄屋だった家が駅から100m 足らずの所で経営している小規模な洋風旅館だが、先代は山学同志会のメンバーとしてヒマラヤでも活躍、今の主人も白馬尻の小屋で修行した経験があるという事で登山者への理解が深い。
登山口までの車の便も宿が提供してくれるという事で、タクシーを呼ぶ必要もなくなった。

  やや疲れ気味だったのと、急な暑さで使い出した冷房のせいで少々体調がおかしかったが、電車の中でよく眠り、風呂で身体を温めたらスッキリした。
豪華とはいえないが地物の材料を生かしたおいしい夕食を食べ、眠り薬を服んで早い時間に寝た。
この夜の泊り客は仕事で来ている熟年男二人とあわせて全部で三人。 静かで良く休まった。


7月15日
<タイムレコード>

    新藤原[7:30]=(宿の車\4000)=[8:00]鶏頂山登山口(8:15)-スキー場上端(9:00)-弁天沼(9:20/30)-火口縁鞍部(9:55)-御岳山(?10:10)-小休止(1035/40)-釈迦ヶ岳(10:55/11:15)-中岳(11:40)-西平岳(12:10)-西平岳標柱(12:15/25)-釈迦ヶ岳林道(13:20)-小休止(13:35/45)-(14:40)釈迦ヶ岳開拓入口[15:10]=(小泉農場の車)=[15:20]新藤原(星光ホテルで入浴)[16:19]=[18:52]北千住[18:55]=[19:51]溝の口[19:55]=[19:02]宮崎台

  外が明るくなる頃、自然に目が覚めた。
薬のお蔭で早く寝たせいもあるが、山に来た時の条件反射でもある。
湯を沸かしてコーヒを作り、テルモスを満たした残りを飲んで身体を覚醒させる。
7時の朝食までに時間の余裕があったので近所を散歩した。
宿の向い合わせに寺があった。
こじんまりした集落の寺としては大きくシッカリした建物だった。
宿の前庭の横手には天神と稲荷の祠が並んでいた。
造作も立派で、個人の家の庭先にあるものとしては最大級だ。
7時から朝食のあと、ひと休みして出発。
登山口までかなりの時間走る。
やや雲が多い。 宿の主人は午後は一雨あるかも知れないと言う。
状況によっては鶏頂山をスキップし、早めに山から降りるようにしたほうが良いかも、と考える。

  鳥居のある西口登山口を見送り、閉鎖された鶏頂山メイプルヒルスキー場の山荘脇まで入った所で車を降りた。
入口の右脇には鶏頂山登山口と記したのとコース図を描いた看板が立っている。

  この前、処女雪にシュプールを描いた滑走バーンは一面草薮に覆われている。
左脇のトイレのテラスではホースから水が流れ出していて使用可能なように見えたので様子見を兼ねて入ってみた。
何も説明はなかったが、"マニュアル水洗方式" と言うことで、"大" をしたときはテラスのホースで満たされたバケツの水で流す事になっているようだ。

   ルートは滑走バーンの中を通っている車の轍あとに重なっていた。
周りはかなりの草薮だがソコソコは踏まれていて不明な所はない。
左のような "鶏頂山山頂" と記した道標が所々にあって迷う恐れはない。

  ひと登りした所から狭い切り開きの中を進んで行くと丸太造りの鳥居が立つ湿原に出る。
枯木沼だ。

  前方の木立の上に鶏頂山が頭を出している。
右手に向って木道を歩き、林の中を進んで行くとリフトの頂上施設が2基ある広場に出た。
ここがメイプルヒルスキー場の上端部だ。

  幅広で明瞭な山道の入口には左のような目印がある。
水平から僅かに下り気味に進んで行くと大沼への分岐を示す石柱が立っている。
沼から流れ出している水流を横切るとまた緩やかな登りになる。
積雪期に道を迷うわぬようにか、林の中にロープが張ってある。

この前通った時にラッセルのトレースと思った道の中央部の凹みは水流でできた溝だった。

  僅かな下りがあると弁天沼で、丸太造りの鳥居、石祠、釣鐘、二基の大きな石碑などがある。
宗教登山の山でよくあることだが、誰もいない山の中で思い掛けない人工物の集積に出遭うと、妙に不気味な感覚に襲われる。
  何度か釣鐘を打って山の獣たちに知らせる。
宿の主人が言っていたが上昇気流の雲の出方が早い。
ひと雨来るのは避けられないような気がしたので鶏頂山を割愛して釈迦ヶ岳に直進する事にした。
左に分かれている道は、かつて爆裂火口壁から湧き出している鉱物水を汲む人達が行き来した道だが、数年前にその採取が禁止されて以来、歩く者が減って所どころ藪が被っている。

  荒れた沢溝の中に入って登りあげて行くと急な所にロープが取り付けてあり、やがて火口壁の縁のコルに着く。
釈迦ヶ岳の方から来た者のため、"弁天池近道" と記した立札が立っている。

  左に笹の中を急登すると稜線に乗る。
ひと登りで御岳山の頂稜の一角に上がり、周りへの視界が開ける。

  前方に釈迦ヶ岳と中岳の頂稜が見えてきた。

  背後を振り返ると枯木の向うに立っている鶏頂山がなかなか良い格好をしている。

  御岳山の頂上からは近付いてきた釈迦ヶ岳がヌゥーッと大きく高かった(左)。

  所どころ、右下が切れ落ちている場所があったり、覆っている笹薮を手で掻き分けないと道形が見えないような所もあるが難場はない。

  釈迦ヶ岳への登りに掛かると傾斜が強くなる。
露岩と木の根を伝わって行くような道だか回りは濃密な緑に包まれて奥山の雰囲気が漂っている。
雲が増えて日が翳り、暑さが和らいでいるのはありがたいのだが、夕立が早まるのが心配だ。

  登り続けて行くうちに徐々に傾斜が緩み、やがて大間々台方面からのルートが合流する(左)。

  合流点から先は道幅が広がり、藪払いも行なわれている。
ほとんど水平に近い緩やかな道を進んで行くと周りが開け、やがて釈迦ヶ岳頂上に着いた。

  南北に長く、広い頂上広場には誰もいなかったが、三角点標石、山名標柱、神社境内であることを示す小看板、高さが3m 近くもある大きな釈迦坐像など、色々な物がある(左下)。

  楽しみにして来た展望は、雲霧に妨げられてあらかた隠されて見えないが、僅かに北から東に掛けてはページ冒頭のような眺が得られた。

  少量の飲み食いを終わり、ソロソロ降りようかと思いかけていた所へ中年女性二人組が上がってきた。
黒磯の人達で、大間々台の方から登って来たと言う。
釈迦石像の前で記念写真のシャッタを押してあげたあと、下山を開始。

  笹の間の道が急降下に変わるとする所に左のような道標の立つ分岐点があった。
古い案内地図には記載されていなかったが新しいのを参照したら尾根通しに前山(1435)を経て釈迦ヶ岳林道に下る塩谷ルートの入口だったという事が分かった。

  前方に中岳が近付いてきた。
結構尖がっているし手前を岩峰が守っている。
大峰の釈迦ヶ岳に比べれば規模は遥かに小さいが潅木林の中に岩場があって "元祖" を彷彿させる雰囲気がある。

  ロープが取り付けてある岩場を数m 登って左にトラバースし、回り込んで行くと中岳の頂上だ。
潅木と岩塊とゴチャゴチャッと集まった感じのせま苦しい所で、鉄製の小鳥居、"神社境内の小看板" が置いてあった。

  腰を下ろせる場所もないのでそのまま進んで行くと穏やかな尾根道になった。
濶葉樹の巨木が林立していて風情に富んでいるのだが雲霧が一段と濃くなってきてひと雨来る気配が濃厚になった。

  やや急に下った鞍部から緩やかに登って行くと火山性の裸地に出る。
100m 程の焼け土の尾根を緩く登り切るとまた潅木の間に入り、間もなく西平岳の最高点に着く。


  道脇の笹の中に、古い山名板、鉄製の小鳥居と神社境内の看板があるだけで腰を下ろして休むには向いていない。

  さらに5分ほど歩きつづけると、道標の立つ小ピークに着いた(左)。
大勢が休めるほどではないが、まわりの木が伐り払われて頂上らしい雰囲気になっている。

  標柱の先から長い降下が始まった。
緩急を繰り返しながら自然林の笹の林床を下りつづける。
霧で回りの様子が分からないため、どの辺まで下ったかの判断はもっぱら勘に頼るしかない。


  時たま聞こえてくる鳥か猿を追い払う爆発音が徐々に近付き、道の右横に檜の植林を見ると道幅が広がってきて、やがて下の方に林道の道形が見えてきた。

  

  林道に出たところは左の様に峠のような高みになっていて、"西平岳入口" と記した標柱と、手製の登山届ポストがある。

  雲行きが大分変だなぁ、と思いながら林道を歩きはじめたらパラパラッと来た。
山の中で雨に遭わずに済ます作戦には成功してよかったが、本降りにならないうちに一服しておこうと道に木の枝が被さっている所でザックを下ろす。

  "世界一" という名に惹かれて結構な金を払った林檎を剥いたが期待外れだった。
スモークチーズとともに腹の足しにはなった。
Nisihiradake
  2回のUターンで高度を下げたあと、左に下って行く分岐路を見送り、やや登り気味に進んで行くと10分程で谷窪を渡り、間もなく開いているゲートを通り過ぎた。

  牧場の上端に差し掛かってまわりが開けたあたりで、急に土砂降りが来た。
長く続けば傘を差していても下半身びしょ濡れになるかも知れない。 どこか雨宿りができる小屋掛けでもないか、と思いながら歩いて行くうちに次第に雨脚が衰えてきて助かった。

  道路も舗装に変わり、所所に人家が見えるようになった。
  畑を迂回して行く所で振り返ると消えてきた雨雲の陰から西平岳が姿を現していた。
今降りて来た尾根の中間にある小ピークが良く見える。

  水が流れている沢を渡り、右岸の崖の縁を伝わって下って行くとやがて高原山の南裾を横断している車道とTの字に突き当った。
釈迦ヶ岳開拓の入り口の角には、開拓農家の位置を示す案内地図の看板と "熊出没注意" と記したサインが立っていた。
鬼怒川公園駅近くに日帰り温泉があると聞いていたのでそこで汗を流し、着換えをしたいと思った。
角のすぐ下手の農家の横手の蕪の即売所の脇にザックを置いて携帯を出したが "圏外" で繋がらない。

  蕪農家の有線電話を借りなければダメかと思いかけた所へお神さんが出てきて、よかったら中に入ってコーヒを飲んで行きなさいと誘う。
コーヒはともかく、電話を借りるためには後に随いて行くしかない。
大きな作業小屋のような建物の中にはテレビが映り、ご主人が仕事の中休みをしていた。
薦められたコーヒを飲みながらこのあたりの様子を聞く。
この開拓地は京浜地区向けの大根と蕪の大産地なのだが、人口が30人あまりしかいないせいで携帯のアンテナが立たず、"圏外" のままなのだと言う。
  お神さんの話では、昔、車道が通じていなかった頃、鬼怒川からここを通って塩原まで、人が物資を運んでいた事があったのだそうだ。
数年前にその道を見に行ったら途中までは道形があったと言う。
あらためて地形図を良く見ると、開拓村の上手から山の中腹まで上がったあと、緩傾斜地の縁をなぞるように中腹を横断し、日塩もみじラインに合流している切れ切れの破線路が描かれている。
20万分1の広域地形図を見ると、この大きな山が鬼怒川谷の地形を険阻にし、それよりさらに奥にある塩原との間の交通障壁にもなっていたであろうことがよく分かる。

  コーヒが終わったのであらためて電話を貸してくれるよう頼むと、車で駅まで送ってあげると言う。
ご好意に甘える事にして軽トラックの荷台にザックを乗せ、運転席のご主人の横に座って新藤原駅に出た。 お礼をしたいが何も持っていない。
ガソリン代の足しにと千円札をダッシュボードの上に置いて車を降りた。
駅舎に入って時刻表を見ると、上り列車をひとつ見送れば1時間ほど時間の余裕がある事が分かった。 駅からすぐの宿に電話を掛け、入浴ができるかどうか聞いてみたらOKだと言う。
身体中の汗と垢を洗い流し、着ていた物を、ズボン以外全部換えてサッパリした。

  会津田島から浅草まで運行されている快速電車は鬼怒川公園や下今市で長い停車をしたりして無用な時間が掛かるのが難点だが、乗換えをせずに北千住までこられ、僅かな待ち時間で東急線乗り入れ電車に乗り継げる点が便利だ。
都心部の駅からは仕事帰りのラッシュだったが夕飯時には無事家に帰り着いた。

☆おわりに

    近いので何時でも行けそうなのに何となく登りそびれていた高原山が "片付いて" いくらか気分がスッキリした。
しかし、まだこの山の一部分をちょっと齧っただけだに過ぎない。
ハンターマウンテンスキー場の方から御岳山に登ってくる新しいルートが開かれたようだし、矢板/塩原側の剣ガ峰、大入道、大間々台方面も未見だ。
次は紅葉の時期にでも再訪してみたい。