深沢-1414m三角点峰-三角コンバ-嵯峨塩橋
(2004.2.27)


☆期日/山行形式:
2004.2.27 単独、日帰り

☆地形図(2万5千分1): 塩山(甲府6号-2)、大菩薩峠(甲府2号-4)、
                                          笹子(甲府3号-3)、石和(甲府7号-1)
☆まえがき
     立春も過ぎてようやく日差しが回復し、日の暮れも目立って遅くなって来た。
厳冬期の寒さを敬遠して、一ヶ月あまりの間、三浦半島の山に通っていたが、そろそろ昨年末に通っていた大菩薩日川尾根南部の藪ルートに戻るべき時期だと考えた。
  年明け以来の軟弱山行続きで足腰が鈍ってしまっているだろうから、いきなり本番と言うのではなく、楽な行程を設定して付近の様子を偵察する積りだった。
  ところがである。
深沢集落の奥の上道沢(960)から林道を歩いて深沢峠(1251)にあがり、峠の東側にある境沢ノ頭への登路を偵察、状態がよければ登頂をしたあと、西側の宮宕山(1368)に向かい、頂上から南へ稜線を辿って棚横手(1306.2)を越して大滝不動(915)に下山。 林道、歩道を繋いで勝沼ぶどう郷駅(475)に戻ろうと言う計画だったのに、タクシーから降りて歩き出した地点の判断を誤ったため、峠から2Km 近くも離れた1413.6m 三角点峰に登り上げるというご粗末な結果になった。
  幸い、登ったのが奇麗な赤松混じりの林に被われた悪場のない尾根だった上に、頂稜の踏跡がほとんど登山道化していて要所に道標まであったお蔭で、奇麗な落葉樹林の間から周りの山の展望を楽しみながら三角コンバまで北上し、新ハイ三鷹の道標に助けられて牛奥の嵯峨塩橋に下降。 木賊から天目温泉に下山し、甲斐大和駅から帰宅した。
  はからずもこの山域の未踏部分のほぼ核心部分のトレースができてしまったので、隠れた好ルート発見と言いたい所だが、軽率な勘違いが原因で計画とは全く違う所を歩く事になってしまったご粗末山行だったのだからあまり自慢にはならない。
Minami-Alps
尾根上1200m 圏からの南アルプス連峰(左から小河内岳、聖岳、赤石岳、荒川岳)

☆行動の概略

<タイムレコード>
宮崎台=長津田=八王子=高尾[8:00]=[9:10]勝沼ぶどう郷駅=[Taxi \2020]=中道沢(9:30)-水場(10:05/10)-尾根上1390m地点(11:10/20)-1413.5m三角点(11:40/55)-三角コンバ(12:20/30)-嵯峨塩橋(13:00)-栖雲寺(13:40/14:15)-(14:30)天目温泉[15:05 \100]=(村営バス)=[15:20]甲斐大和駅=高尾=八王子=長津田=宮崎台


    週日の金曜日だったがこの日だけは好天と予報されていたせいか、高尾駅のホームには年寄りや主婦のハイカー達が出てきていた。
ひとつ前の河口湖行き直通電車をやり過ごす間にホームのパン屋からホットコーヒをテイクアウトした。
眠っている胃袋にいきなり食べ物を押し込んでも腹を壊すだけなのでまずコーヒを飲んでみて胃袋が目を覚ましてくれるようだったら少量のパンを食べてみようという考えだった。

  電車は走り出すと間もなく高尾山の山間に入る。 沿線の山林がかすかに赤みを帯びて来ている。 今年の2月は記録的な高温だったそうで、その影響もあるのだろうが山の木々は早くも春の到来を感じ取って芽を膨らませているのだ。

  勝沼ぶどう郷駅で下車。
ほかに降りた者はいなかった。
駅舎の玄関先で客待ちをしているタクシーに直行する。
"深沢の谷の奥で道が甲州高尾山に向けて折り返すところまで行って下さい" と行き先を告げると、"一番奥の家の先までしか行けないんですけど" と言う返事だった。

Nakamichizawa
  後知恵だが、この返事をシッカリ頭に止めておけば今回の間違いを防げたかもしれない。
  道が沢を渡った所で車が止まったので料金を払って降りた。
折り返して行く道路の曲り具合からテッキリ上道沢だと思い込んだのがこの山行のモロモロの始まりだった。

  身支度を整えてコンクリート舗装の林道を歩き出す。
予想していたような寒さは感じない。
谷間は冷えているだろうと思っていたのだが、日溜りになっていて風も吹いてこない。
Onetorituki
  歩き出して10分程で舗装が終わり、さらに5分ほどの所に左の山腹へ上がってゆく道の分岐があった(左)。

   ここでもまた最新版の2万5千分1地形図とシッカリ照合すれば舗装林道であるべき所が砂利道になっている違いに気が着く筈の所だったのだが、天気が良くてあたりの雰囲気が良いことに気分を良くして何も考えず山腹の道に入って行ってしまった。
幅は2mあまり、車は無理だが林業用の小形車両ならなんとか通れるくらいの幅がある。
  程よい勾配でいたって歩きやすいが、最近はあまり踏まれていないようで所どころで路肩が崩れて幅が狭まっている。
One_Route
  桧と杉の混合林の中を下り気味に進ん行くと細い水流がある。
流れを渡ったあと折り返すように左岸の小尾根の裾を捲き上げて行き、尾根の裏側でまた折り返すように登って尾根の背に上がる。

  濶葉樹が主体で赤松が混じった林に被われた尾根の上に明瞭な道形があった。
気持ちのよい登路だ。
Rindou_View
  やや急な所を乗り切って1280m 圏まで登ると一時的ながら傾斜が緩み、左側の谷の向うの斜面を林道が通っているのが見えた(左)。
大分距離が離れていて、目論見とはかなり違う場所に来ていることが分かったがここまでの間に悪場のような所はまったくなく、快適に登ってこられた。
林道の上に見えている宮宕山らしい山の高さと比べてもソコソコ高度が稼げていることも確認できた。
  このまま登り続けて行けばいずれ日川尾根の稜線のどこかに登り着くことは間違いない。
そこまで行けば場所の目鼻もつくだろう。
その前に悪場が出てきたり、突破できないほどの藪にぶつかったら来た所を戻ればよい。
MtFuji
  いったん緩くなった尾根の傾斜がまた急になろうとする所に林の切れ間があった。
国境の笹子峠に連なる山々の頂稜の先の方に奇麗な姿の富士山が見えた。
  雲が棚引いているのは高い所を強い風が吹いている証拠だ。
Akamatu_One
   赤松の大木が林立している所があった。
この辺まで来ると人の痕跡が薄れてきて踏跡も途切れがちになる。

  時折の風の音のほかは、静寂があたりを支配している。

この辺りには山の動物と自分しかいないことを実感する。

単独藪山歩きの醍醐味だ。
Oosidoyama
  左下に東大志戸山と徳並沢ノ頭らしいピークを見下ろすようになった(左)。

日川尾根頂稜の近くまで来ている事が確認できたが斜面がかなり急になるとともに踏跡が見えなくなった。
  こうなったら余計なことを考えずひたすら高みを目指して登りつづけるしかない。
数年前の三ツ峠東尾根の頂上直下と似たような状況だが落ち葉の下の凍結した残雪でスリップしそうになるようなことはなく、乾いた地面の上に落ち葉が積もっているだけだ。
少々藪っぽいのと引き換えに掴まる潅木に事欠かないこともあって大分楽だ。
1414mSannkakutenn
   昔の伐採で使われた索道の残骸のワイヤーロープが切り株に捲きつけられている所を過ぎると橇道だったと思われる真っ直ぐな溝があった。
溝の中は藪がないのだが傾斜が急なため、掴まる所が乏しくてかえって登り難い。
脇の藪の端に沿って進む。
  右から尾根が合流すると傾斜が緩んで尾根の幅が広がる。
若しもここを下降しなければならなくなった時に備えて、登ってきた尾根の入口の立木の特徴を脳裏に刻む。

  厚く積もった落ち葉を踏み分けて進むと三角点標石のある切り開きに着いた(左)。
  標石の左横にこじんまりした白塗りの道標が立ち、右に進めば古部山、直進すれば三角コンバと記した腕木が取り付けてある。
  2万5千分1地形図 "笹子" と照合して図上端部にある、1413.6m 三角点の横長の無名峰に登り上げた事を確認した。
山中のひっそりした小ピークだが厚く降り積もった落ち葉の上に日の光が降り注ぎ、最高の休み場だ。
間違いのお蔭で思い掛けない好ル−トに巡り会えた幸せを味わいながら暫くの間、休息を楽しんだが、休みながらこのあとどう歩いてどこに下山するか、考える。
  計画にこだわるなら、境沢ノ頭を越して深沢峠に行き、宮宕山から大滝不動まで行って勝沼に下る事になる。
時間的には十分可能と思われたが、久し振りに、しかも予期しない藪尾根登りをやってちょっと疲れたような気もする。
  牛奥の方に下ればずっと近いし、今後のトレース計画を考える上でも役に立つ情報が手に入るような気がする。
たまたま小林経雄さんの "甲斐の山々" のコピーを持ってきていたので地図ケースから出してみる。 境沢ノ頭を越して杣坂峠の方に北上、嵯峨塩館に下るのが一番手堅いようだが、その手前の三角コンバから嵯峨塩橋に下るルートも使えそうだ。 
RyousennRoute
  頂稜にはほとんど道といって良いくらいのはっきりした踏跡が続いている。
所どころの木の枝にコースサインが付けてあって、登ってきた尾根に比べればまるで "ハイウエイ" を歩いているような気分で、雰囲気としては一般ルートだ。

 右手に石丸峠あたりから湯ノ沢峠へ、大菩薩の峰続きが所どころに茅戸のパッチを見せている。
普通の年と違って、どこにも白い雪が見えない。
Sannkakukonnba
  30分足らずで三角コンバに着いた(左)。
稜線のちょっとした曲がり角で、何もなければ気着かずに通り過ぎてしまうような場所だが "SHC 三鷹" の銘が記された山名杭と "YHC" の道標とふたつのランドマークが立っている。

  道標の指示板のひとつが嵯峨塩橋へ下るルートを示していたのでこのルートをトライしてみる事にする。
  携帯が繋がったので念のため家にルートミスをして書き置いてきた計画書とは大分違う所に来ていることと、これからの下山先を知らせた。
Sagasiobasi
    下降ルートには明瞭な踏跡があった。
まず緩く下って瘤をひとつ乗越すとその先には思ったより緩やかな尾根が伸びている。
対岸の小金沢稜線を見上げながら気持ちよく高度を下げて行ったが、谷底真近かになって下の方に車道や家の屋根が見え出した所で傾斜が強くなった。
踏跡も分かり難くなったので立木に掴まりながら尾根の背を強引に降り続けていたら斜面を斜めに横切っている踏跡と再会できた。
  そこから下はこの踏跡に大いに助けられたが谷底近くでは所どころが崩落仕掛かっていてヒヤヒヤしながら渡り抜けるような場所も二、三あった。
  ストックを斜めに突いて急斜面を斜下降し、笹の間に入るとすぐに堰堤の下に出て、嵯峨塩橋が目と鼻の先だった。
橋の袂にも "YHC" の道標が立っている(左)。
Tokusa
  何度か歩いて馴染みになった車道をブラブラ歩いて木賊に向う。
さすがウイークデイにこんな所へ来る車は少なく、稀に工事の資材を運ぶトラックを見るくらいだ。
  山の端を回り込んでゆくと木賊集落が見えてきた。
栖雲寺を中心に集まっている日だまりの集落は、大倉高丸を背景になんともいえない平和な雰囲気を漂わせている。
  木賊と甲斐大和駅との間には、誰でも一人一回100円と言う時代離れした運賃の村営バスが運行されている。
あまり汗を掻いてもいないので今日は天目温泉で入浴する代りに寺を見て帰ることにした。
  栖雲寺は14世紀に、元に留学した僧が開いた古寺で、昔は大勢の修行僧が居た時代があったようだ。
"武田氏" とも関係があると、県重要史跡の説明看板に記されていた。
  修行場の跡だといわれている石庭に上がると富士山が見えた。
今は手前を太い高圧送電線が横切っているのが目障りだが昔はそんな物はなかった訳だから、奇麗な富士山を見ながら修行が出来た筈だ。
  ひと通り見回ったあと寺の境内で日向ぼっこをしながら休み、時間つぶしとクールダウンを兼ねて次のバス停がある天目温泉まで歩いた。

  15時過ぎのバスまで、入浴に不足だがちょっとした時間の余裕があったので食堂に入った。
温かい山菜蕎麦はファストフード風の物だったが結構美味かった。
売店の棚に御坂で作られたパン菓子が置いてあった。
小さい子供にあげると喜ばれそうなものだったが大きな子供しかいない家への土産にした。


☆おわりに

    久々に大幅なルートミスを犯し、計画から大分かけ離れて所を登ってしまったが、怪我の功名で、勝沼深沢から牛奥木賊に抜けられる、静かで美しい尾根ルートを発見するという幸運に恵まれた。

  一部、ルートが不明な急登降があるので山慣れた人にしか薦められないが、紅葉から冬枯れを経て新緑の季節まで楽しめる好ルートだと思うので、物好きの向きの参考のため、今回の迷い歩きのルート図を作成してみた。

   左のサムネイルをクリックすると拡大図画が表示される。
国土地理院の CD-ROM 2万5千分1数値地図画像の "大菩薩峠" と "笹子" を連結し、必要な部分を切り出したものにルートと地名を記入した。
"" は道標を表している。
  ただ、何分にも迷い歩きの産物なので正確さには自信がない。 特に沢から尾根に移る部分があやふやである。 またスケールがないので印刷した画像の縮尺は正規の地形図と照合して見当をつけて頂きたい。
    いずれにしてもこれから歩こうと思っていた未踏領域の中程の部分を横断してしまったので、今後の計画が非常に立て易くなった。
  反省と、今後の注意は必要だが、たまに山で迷うのも悪い事ばかりではない。