初島-函南原生林-箱根西街道(2004.10.21-22)


☆期日/山行形式:
2004.10.21-22 [太陽=5:53-16:58; 月=7.0]/前夜泊、2人

☆地形図(2万5千分1):熱海(横須賀13号-3)、網代(横須賀13号-4)

☆まえがき
    初島でクラス会があった。
例によって行き帰りの立ち寄り山行を計画した。
往路は、函南から丹那断層(250)、熱函道路(315)を経て玄岳(798.4)を越し、熱海に降りて初島に行く。
二日目は "野反湖の旧友" とともに熱海駅から元箱根行きバスに乗って函南原生林入口(855)へ行き、禁伐林内を周回している遊歩道を歩いたあと出発点のバス停か、富士箱根ランド(815)に出て熱海に戻ろうと言うプランにした。

  残念ながら、またまた台風が来たため、玄岳は中止したが、その代りに二日目は頑張って函南原生林から旧東海道箱根峠道に出て山中城址を訪ねたあと、三島の町外れ近くまで、旧街道の石畳道を拾い歩いて帰った。

   山登りというほどのルートではなかったが、大木が林立している函南原生林のほか、精緻な築城術の痕跡を残している山中城址、背負っている俵の米が汗で蒸されて強飯になってしまうほどの "コワメシ坂" の急坂、茜空に浮かぶ富士と愛鷹山の美景、なかなか楽しめる要素の多いウオーキングだった。


箱根西街道、山中城址公園西の丸跡から見上げた箱根連山、右端のピークは玄岳



☆行動記録とルートの状況

<タイムレコード>
10月21日
    宮崎台[11:26]=中央林間=藤沢=[13:28]熱海=(後楽園行きバス)=[13:50]熱海港[16:00]=(富士急定期船)=[16:25]初島港=(送迎バス)=エクシブ初島{宴会/宿泊}

10月21日
    エクシブ初島=(送迎バス)=初島港[9:25]=[9:50]熱海港=(Taxi)=熱海駅[10:50]=(伊豆箱根バス \860)=[11:31]函南原生林入口(11:35)-大ブナ(12:10/30)-原生の森分岐点(12:50/13:05)-尾根上の広場(13:20/25)-山中城址北口(14:55/15:00)-西の丸(15:10/40)-山中城址正門(15:50)-コワメシ坂(16:40)-市の山[17:18]=(東海自動車バス \320)=[17:35]三島[17:56]=[18:33]新横浜=あざみ野=宮崎台


  久し振りに旧友と出かけた野反湖は天候に恵まれず不本意な退却に終わった。
幾らかでも "借り" を返そうと朝食後早々に相棒と港に行き、熱海駅に戻った。
僅かな差でバスを逃がし、次の便まで40分近く待つこととなったが、昼飯用に買ったおにぎり弁当をザックに納めたあと、ノンビリ駄弁りながら時間を潰す。
  箱根行きバスは熱海市街の背後の急斜面を縫うように登った。
30分ほど走るとようやく、なだらかに起伏する伊豆箱根稜線の頂稜付近に出た。
笹原の間を10分程走った所に函南原生林入口があった。
目立たない入口だが横手に左のような案内看板が立っている。


  笹の間を10分ほど急降下するとT字路があって周回路に突き当たった。
左に入り、さらに下り続けてゆくとアカガシの大木の脇に着いた(左)。

  推定樹齢700年、太く真っ黒な幹が何本もの枝を振りかざし、名状しがたい威厳を漂わせている。

   アカガシからさらに10分あまり下った所に右に分かれる道があった。
そこを2、30m 入った所に設置された観覧プラットホームのすぐ下に大ブナが立っていた。

  推定樹齢700年、中部地方第一という大木だが大分老化が進んでいて、幹には茸が生え、一部の枝にしか葉が付いていなかった。

  全て命あるものには終わりがある。



  さらに一段下り、富士急ランドへの道の分かれにある野外ベンチでお昼を食べる。

  

  谷に下り、小尾根を一本乗越してその北側の谷に入り、流れに沿って下ってゆくと "函南原生の森" に出た。
池の周りが奇麗に整備され、まさに山間の別天地だった。
あたりの木はそろそろ紅葉になっている。
  山中城址へは池の傍のトイレの前から北の方に向うべきだったのを、逆に南西の方に向う広い舗装路に入り、函南の桑原方面へ進み掛けたが通り掛かった車のドライバーに尋ねて反転した。
  堰堤から流れ出している沢に架かる橋を渡り、緩く登り気味に進んで尾根を乗越し、さらに来光川を渡って対岸の斜面を登る。

   Uターンして高度を上げた所に右に分かれる道があって紛らわしかったが、富士急箱根ランドの建物が北方の尾根上に見えていたお蔭で方向の確認ができた。

  林道を直進する間もなく、旧街道の石畳道があってそのすぐ先に車が行き来する国道が見えた。

  国道への出口には "雲助徳利" の墓標があった(左)。
酒で身を持ち崩して雲助の仲間に入った侍を供養するために立てられたものだと言う。

  国道を渡って向かい側の山に入り、わずか登ると山中城址北の丸跡だった。
奇麗に整備された芝原になっている。
すぐ脇の高みが本丸の跡らしい。

  西の丸跡への道標に従って進む。
空掘の底には畝が設けられ通過を妨げる工夫がされていたりしたが、秀吉の小田原攻めの大軍の力攻めに遭い、僅かニ、三日で落城したらしい(左)。






  西の丸跡の西端に見張り台があった。
非常に見晴しが良く、 三島方面はもとより、箱根山のスカイラインも真近かに見渡せた(下)。


  西の丸跡からひと下りで城址公園の入口に出た(左)。
正門の中は広い駐車場になっていてトイレもあり、大勢を迎え入れられるようになっていたが、通路の芝の踏まれ方から訪ねる人の数はそれ程多くはなさそうに思えた。

  門の向かい側から石畳道に入り、ひと下りするとまた車道に出た。
ひっきりなしに走ってくる車に注意して道路を渡り、向かい側の石畳道に入った。
石畳道はそれ程歩き易いものではないが、車道の様に迂回していないのでショートカットにはなった。
  笹原の一里塚の近くで車道の向かい側に入るとコワメシ坂の急坂だった。
両側に人家が並び、舗装路になっているが驚くほどの急坂で下手な登山道も顔負けするくらいだ。
サンフランシスコの山の手の住宅街の急坂を思い出した。
坂が終わる所にこの急坂の名のいわれを記した看板が立っていた。
この急坂は箱根西街道最大の難所で、背負った俵の米が汗で蒸されてコワメシになってしまうほどだった、というオーバーな喩えが面白かった。

  尾根上の道の両側に人家が断続するようになる。
人家の間から素晴らしい展望が得られた。
日中は多かった雲が消え、西の方、茜に染まった空に富士山と愛鷹山が立ち並んでいた。
徒歩の旅の時代、箱根の登りに掛かろうとする旅人の目を楽しませたに違いない美しい山並みだ(上)。

  そろそろ暗くなりかかる頃、市ノ山新田の家並に入った。
バス停があったので時刻表を見るとあと数分で三島行きの便が来ると記してある。
予定外の "遠足" をして少々疲れても来たのでここからバスに乗ることにした。

  間もなく三島市街に入った。
三島大社の脇あたりからは夕方のラッシュに遭い、走ったり止まったりになった
それほどの時間も掛からず三島駅に着き、待つほどの事もなく新幹線に乗って程ほどの時間に帰宅した。