南八ヶ岳、西岳-青年小屋-棒道[2004.6.29 -30]




☆期日/山行形式
: 2004.6.29-30 山小屋利用、単独

☆地 形図(2万5千分1): 八ヶ岳 西部(甲府9号-3)、八ヶ岳東部(甲府9号-1)、谷戸(甲府9号-2)

☆まえがき
    梅雨の中休みと言うが今年は "休み" が多い。
あちこちで局地的な大雨は降って水害を起こしたりしているが、青空が広がる日が珍しくない。
毎年この時期には、傘をさして歩ける湿原などに行く事が多いのだが、今年に限っては1泊2日程度だったらまともな山登りができそうだ。
  適当な山行先として、高原山か、南八ヶ岳か、どちらにするか秤に掛けた。
前者は、昔枯れ木沼辺りまで行った事があるのと、昨年の春先のスキー山行で鶏頂山に登ったが、まだ最高点の釈迦ヶ岳に登っていない。
  鬼怒川谷から登って登頂したあと、剣ガ峰を経て矢板市側へ降りれば面白いのではないかと、乗り物と泊まり場の状況を調べてみたのだが、結果はあまり芳しく なかった。
  観光道路が頂上近くまで延びた結果、歩いて登る山ではなく、日帰りドライブに行く山になってしまったようで、バス路線もほとんど運行中止同様の状態だ。
山上の泊り場所も皆閉鎖されてしまっていてイメージしていた泊り山行の目的地としては、適していない事が分かった。
  これに対して後者は、富士見から入山して、西岳に登り、青年小屋での宿泊を中継して権現岳を越え、三つ頭、天女山を経て甲斐大泉に下山するという、ちょっと面白そうな南八ヶ岳横断ルートが可能だ。

Panoramic view from Nisidake Summit.
西岳頂上の展望、左端から赤岳、権現岳、編笠 山

  行程のあらましは、初日に中央線富士見駅からタクシーで富士見高原ゴルフコース上の登山口(1400)まで入って歩き出し、不動清水 (1510)から2138m 地点の小広場を経て西岳(2398)に登頂。 尾根伝いに源治新道を辿り、乙女ノ水(2370)から青年小屋(2385)まで行って宿泊。
  2日目は天気とコンディションが悪くなかったらギボシを経て権現岳(2745)に登頂。 南東方に延びている尾根を辿り、三ツ頭 (2580)、前三ツ頭(2364.4)、天の河原(1625)、天女山(1528.8)を経て小海線の甲斐大泉駅(1648)に下山。 小淵沢を経て帰ろうと言う計画だった。

  初日の西岳は、虻の大群に悩まされながらも順調に登頂し、南八ヶ岳主脈の展望を楽しんだが、二日目は空模様が芳しくなくなった。
弱点を抱えている消化器官の調子ももうひとつだったので計画を変更。 編笠山を捲いて観音平に下ったが日が翳って涼しかったのと、すぐに降りだすような空模様でもなかったので、火の見櫓の十字路から甲斐小泉駅(1045)近くまで、 戦国時代の史跡である棒道を歩いて帰った。
  三つ頭、天女山を未登頂の宿題として残すこととなったが、西岳頂上から南八ヶ岳主脈への展望を楽しみ、様ざまな花を見ることができた。


☆詳しい記録

月29日
<タイムレコード>

    宮崎台[6:27]=長津田=八王字[7:29 スーパーアズサ#1]=[8:54]小淵沢[9:01]=[9:16]富士見[9:30]=(Taxi\3880)=[9:35]西岳登山口(9: 45)-不動清水(10:15/20)-推定1850m 地点(11:20/25)-2138m の小広場(12:15/25)-西岳(13:10/30)-乙女ノ水(14:20/25)-(14:30)青年小屋{二食付 \7800}

    今回も隠居の特権を行使したウイークディ山行だ。
月曜日の朝とあって、八王子からの特急スーパーアズサの乗客も、乗客の八部以上はビジネススーツ姿の人達だった。
僅かな空席のひとつに腰を下ろしてしばらくすると眠くなった。
日頃の夜更かしとIT疲れのせいだ。 ウトウトしていたら検札が来た。 乗車券を延長し、特急券を購入をして、また眠る。
甲府を過ぎたあたりでようやく目が覚めた。 内陸部の方が天気がよく、雲より青空の方が広い。

  富士見駅からのタクシーでは例によってドライバーといろいろ話す。
不動清水から西岳や編笠山に登る者は少ないようだ。

Entrance for Nishidake
  かなりの時間、針葉樹の中を走ると、会社の保養所が集まっている所がある。
そこを過ぎて舗装が切れた先に車止めがあって "西岳中央口" と記した看板が掛かっていた。

  ゲートの脇で山支度を整える。
門柱の両側を鉄パイプで厳重に固めているのはバイクの侵入を防ぐためなのだろうか?
右脇の斜面を回り込んでゲートの中に入った。
Fudo Shimizu Spring
  暫くはほぼ等高に林道を進んで行く。
周りは濃密な人工林で様子が分からない。
三十分ほど進んだ所に急角度の屈曲点がある。 変則的な四つ角になっていて、何本かの道標が立っている。
  それらのうちの2(3?)本に従って一番左の道を進むとすぐに不動清水だった。
  林の僅かな隙間に野外ベンチが据えられ、その脇のビニールパイプから水が流れ出している。
  脇の木の幹には、ここが修験道と繋がっていたと記したプレートが掛けてあった。 また、 "安曇大神" と刻んだ石標があって、諏訪の先の安曇とも関係があった事を示している。
  飲み水を汲みながらひと休みして出発。
Forestry road crossing
  五葉松の密林の中の緩やかな登りが始まるると間もなく、虻の群れが押し寄せてきた。
歩いている回りをブンブン飛び回りながら隙あらばチクリと食いつく。
シャツが長袖なのでいくらかは助かっているが布を通して刺すのもいて安心できない。

  相変わらず濃密な人工林の中で回りの様子は分からないのだが、ほぼ15分毎に林道を横切る。
出入口は明瞭で道標が立っているから迷う心配はない(左)。
3本目の林道を横切った所からは自然林に入り、山道らしくなる。
Amigasayama
  道端に色々な花が咲いていて登りの疲れを癒してくれる。

  標高2140m 付近にちょっとした切り開きがあって良い休み場になっているが虻が煩るさくてゆっくり休めない。
  途中で拾った五葉松の枝を振り回して叩き落すと一時的には静かになる。
枝から出る松の樹脂の匂いも虫除けになるようだ。

  そこからしばらく登った所にガレ場があって視界が開ける。
右手の谷向かいに編笠山が大きい(左)。
Summit尾fにしだけ
  もうひと登りした所にある二番目のガレ場を過ぎると次第に傾斜が緩み、やがて西岳の頂上に登り着いた。

  思い掛けないことに頂上では熟女3人パーティが休んでいた。

  やはり不動清水から登って来たと言うことだがこれまで人気を感じなかったのは時間的に少し離れていたせいのようだ。
Nyuugasa mountain range view
  登ってきた方を振り返ると諏訪盆地南端部の向こう側に対峙している入笠山連峰がよく見えた。

  その左手は鋸岳から始まる "南" の筈なのだがスッポリ雲に被われている。
Gonngenndake
  行く手には編笠山から権現岳を経て赤岳への南八ヶ岳の頂稜が一望だ(冒頭パノラマ写真)。

権現岳が槍ヶ岳の様に高く鋭く尖がって迫力十分だ。

  今夜泊る青年小屋のあるコルは今居る西岳頂上とほとんど同じ高度だ。
絵図小屋跡プレート
  大岩に描かれた赤ペンキの矢印に従って源治新道に入る。
この道は、2万5千分1地形図に描かれているより主脈に近くまで進み、切掛沢の源流地帯を少し高い所で横切っている。

  道がグルッと回って行ってほぼ南向きになったかなと思われるあたりの木の幹に、かつて "絵図小屋" がこの下にあったと記したプレートが掛けてあった(左)。

  "乙女の水" はそのすぐ先だった。
Kinnmeisui(Golden Clear Water Spring)
  沢溝に下りて見ると、岩の間に差し込まれたパイプから水が流れ出していた。
水量豊富というほどではないが冷たくて美味しい水だった。
  昔、"金命水" と行者が呼んでいたと記したプレートが、木の幹に取り付けてある。
"絵図小屋" はこの水を頼りに建てられた篭り所だったに違いない。
Seinennkoya
(青年小屋と新しい管理人  6/30朝)

  水場から僅か5分あまりで青年小屋に着いた。
建物の外観は少々疲れ気味だったが内部の手入れは行き届いて、気持ちがよかった。

  水場からのホースがなかったので尋ねてみたら用水は天水で賄っているとの事で、蛇口から出る水は生で飲まないでくれと言う事だった。
  食事は、最近の山小屋の例に漏れずなかなかの物で、食後の果物にメロンまで添えられていた。
  若い管理人は、今年のゴールデンウイークから働き始めたのだそうだが、人懐こく明るい感じのする青年だった。
この夜はほかに客がなく、少々静か過ぎるくらいの泊りだった。


月30日
<タイムレコード>

    青年小屋(6:55)-押手川(7:50/8:00)-雲海(8:20)-観音平(8:55/9:10)-光ゴケ(9:15)-舗装道路(9:50)- 八ヶ岳公園道路観音平口交差点(10:00)-火の見櫓交差点(10:10/25)-(信玄棒道)-小荒間東屋(11:05/15)-(11:35)甲斐 小泉駅[12:19]=[12:26]小淵沢[12:33]=(普通列車)=[14:52]高尾=八王子=長津田=宮崎台

  夜中には星が見えたりしていたが朝目が覚めてみると小屋の周りを霧が流れている。
この状態で権現岳に登っても何も見えないだろう。
久し振りに2400m 程の高さに泊って幾らか高度の影響を受けているようで軽い吐き気がする。
効き目を期待して服んでみたコーヒは逆効果で、かえって気分が悪くなった。
体調もパッとしないので頑張るのは止め、編笠山も捲いて観音平へ下る事にした。

  朝食はなかなか立派な物だったが無理に胃袋に押し込んだらまた具合が悪くなった。
普段の消化剤のほかにセルベックスも服んで、しばらく横になって休む。

  30分あまりでようやく落ち着いてきたので戸口に出た。
靴を履いている所へ管理人が出てきた。
明後日は何人か予約があるが今夜は誰も来ないだろうと言う。

Ositegawa
  小屋と管理人の写真を撮って捲き道に入る。
アップダウンがあって思ったほど歩きやすくはない。
一時間ほどで登頂ルートとの合流点のある押手川に着いた。
登りの途中で休んでいる者が居た(左)。

  ここから雲海を経て観音平までの間の道はいたって歩きやすい。
全部で10人を越す熟年登山者と擦れ違った。
昨夜の天気予報が好天を知らせていたので出て来たのだろうが、梅雨時の山の天気はなかなか気難しい。
ギブアップした権現岳どころか編笠山の頂上も五里霧中の状態だろう。
Kannonn daira flat
  思ったより早く観音平に着いた。
町営グリーンハウスのトイレに入ったり、蛇口で顔を洗ったりしながらゆっくり休憩。

  時間的にはタップリ余裕がある。
小淵沢駅へ直行せず、どこか面白そうな所を回って甲斐小泉駅に下りてみようと考えた。

  広場の奥にある看板(左)のコースマップと持ってきたルート地図とを見比べ、光ゴケから八ヶ岳神社を通って行こうと考え、光ゴケに行って見たが神社の方へ 行く道の入口が分からない。
Fire defence line
  仕方なく小淵沢方面への下山道に入った。
自然林の中のやや急な所を下って行くと人工林を切り開いた防火帯に出る(左)。
道に草が生えて来て踏跡に近い状態になっているのはここを歩く者の数が少なくなっていることの証拠だろう。
Wild flowers
  草生した林道を横断すると間もなく牧場の上部に出る。
道端に咲いている色々な花を見ながら下って行くと右折するよう指示している道標がある。
牧場を横切ってちょっと登った所は観音平から下って来た車道で、ここを10分程下ると八ヶ岳公園道路との交差点に出た。
Entrance to Boumichi Historical Road
  交差点を横切って直進し、さらに10分程行った所は昔からある火の見櫓の立つ十字路で、武田信玄時代に開かれ棒道が交差している。
Boumichi Guide Map
(クリックで拡大します)

  火の見櫓の向かい側に棒道の歴史を記した看板と、八ヶ岳山麓遊歩道のコースマップ看板(左)とが立っていた。

  持っていたルートマップと照らし合わせたらここを左折すれば棒道遊歩道で、甲斐小泉駅まで約1時間の道のりだと言う事が分かった。
よい機会だからここを歩いて見ようと思った。
Boumichi Guide Statue
  歩き出すとすぐ、道端に十六番観音の石像があった。
Boumichi Historical walk way through forest
  始め、道の左横がゴルフ場の柵になっていて幾分気を殺がれるが、しばらく歩くと自然林の中に入って雰囲気が良くなる。

  3、400m 位の間隔で姿を現す観音像が歴史を感じさせる。
Exit of Bomichi Walk Way
  水源施設が現われ、新しい別荘地の脇を過ぎると間もなく小荒間の集落に入った。
遊歩道の出口には左のような石柱が立っている。
Historical Monyument of Bomichi Guard Post
  古杣川を渡った所に東屋があったので小休止。

  法姓寺の裏から角を曲がって坂を下って行くと昔の番所跡を示す看板が立っていた。
戦国時代、武田勢が北信濃を攻略する際の人馬の通路として、棒道が重要な役割を果たしていたことがわかる。

小荒間の集落の中を進み、古戦場の前から平山郁夫シルクロード美術館の前を過ぎるとすぐに甲斐小泉駅のかわいらしい建物があった。

☆おわりに

    1泊2日で西岳ひとつというあいも変わらずの低効率山行に終わったが、西岳頂上の展望や、青年小屋の静かな泊り、さらに棒道での歴史ウオークなど、雨に降 られる事もなく楽しめてよかった。
8月最終土曜日の夜、青年小屋でバロックコンサートがあるという。
都合をつけて再訪し、翌日の天気が悪くなかったら権現岳-天女山ルートを歩いてみよう。