牛奥-境沢ノ頭-深沢峠-宮宕山-棚横手-大滝不動
(2004.3.14)



☆期日/山行形式:
2004.3.14 [太陽=5:53−17:48; 月=22.7]
☆地形図(2万5千分1): 塩山(甲府6号-2)、大菩薩峠(甲府2号-4)、笹子(甲府3号-3)
☆まえがき
    前回ルートミスをして登り損ねた南大菩薩日川尾根の山々へのリベンジに出かけた。
前回、"良い迷い方" をしたお蔭で、この山域の未踏部分の中ほどをモロに横断することとなり、一帯の尾根の繋がりようと谷の様子が頭に入った。
今回は、それを踏まえてスッキリした歩き方をしてみたいと思った。
組み立てた行動プランは、牛奥の嵯峨塩館前(1215)から嵯峨塩深沢林道(1450)に上がり、杣坂峠(1425)から塩山市-勝沼町境界尾根を辿って、1490m 圏無名峰-境沢ノ頭(1459.9)-深沢峠-宮宕山(1368)-棚横手(1306.2)-大滝不動と歩いたあと、勝沼ぶどう郷駅に下山するというものだった。

  実際に歩いてみた所では、嵯峨塩林道杣坂峠に新設されていた展望園地の脇で山に入る所から宮宕山頂上までの間は、まれにコースサインを見るだけで、かなりシッカリした藪尾根ルートだった。
幸い温暖な好天に恵まれ、久し振りに、地図読みと山勘とが要求される "真っ当な山歩き" を楽しんだ。

宮宕山(左)から棚横手へ、菱山のブドウ畑を守るように連なっている山並み

☆概略の行動記録
<タイムレコード>

    宮崎台[5:59]=長津田=八王子=高尾=[8:36]甲斐大和[8:40]=(Taxi 20min \3290)=[8:55]嵯峨塩館前(9:05)-林道(9:50)-展望広場(9:55/10:00)-1495m峰(10:30)-境沢ノ頭(10:50/55)-深沢峠(11:30/40)-宮宕山(12:15/20)-棚横手山(12:40/13:10)-大滝不動分岐(13:20)-展望台(13:35/50)-大滝不動(14:00/05)-大滝川(14:35)-菱山、三光寺(15:00/10)-(15:25)勝沼ぶどう郷駅[15:55]=八王子=長津田=鷺沼=[18:16]宮崎台

  甲斐大和駅では、同じ電車から降りた登山者は、ほかにいなかった。
前の夜に電話でタクシーを予約してあったお蔭で待ち時間ゼロで甲斐大和駅を出発できた。
ここのタクシーは登山者が良く利用するため、ドライバーが林道の様子に詳しく、いろいろな情報が得られた。
ひとつ前ので来て湯ノ沢峠の方に向ったパーティがあったという。

  嵯峨塩館の入口で降り、ルートの入口となる擁壁の階段で支度を整える。
奇麗に晴れ上がって風もなく最高の早春の朝だ。
週末で何人か泊り客がいるようだ。 そのうちの一人と思われる三十男が山に上がっていった。
  嵯峨塩林道へ上がる道はもう何度も歩いてすっかり御馴染みだ。  入口からひと登りの所にある富士展望点では三ツ峠まで見えたが富士山は春霞の蔭だった。

  徐々に芽を膨らませている雑木林の中に差し込んでいる明るい日差しを浴びながら登ってゆくと源次郎岳と杣坂峠への道の分岐点がある。
道標が新しい物に取り替えられ、文字がはっきり読めるようになっていた。
 

    林道の様子を良く見ておきたいと思ったので右手の源次郎岳への道を進む。
林道への出口の道標もしっかりした物に取り換えられていた。
  左へ、杣坂峠の方に向う(左)。
5、600m 程進んだ所が杣坂峠の鞍部で、左下のような園地が作られていた。
霞がなければ富士が奇麗に違いないと思える所だ。

園地の向い脇から山に入る。 道標などはないが、山火事予防と "かくれっくぼ" と記したプレートがあった(下)。

 

   落ち葉に隠れて途切れがちの踏跡を追ってまず1460m 台の小ピークを越す。
  その先の緩やかな鞍部から尾根に上がってひと登りで1490m 台の無名峰に着いた。
今日歩くルートのうちではここが最高地点だ。
ケルン一基以外、何もないサッパリした所だが明るくて、樹木の間から周りがグルリと見回せる、とても雰囲気の良い頂上だった(左)。

  ひと息入れて先に進む。
杣坂峠から境沢ノ頭まで、稜線が何度か屈曲している。 進んで行く途中で境沢ノ頭が右横に見えてアレッと思ったりするが、尾根が適度に痩せていて迷うような所はない(左)。

  緩く下って行ってひと登りすると境沢ノ頭に着く。
1490m 台無名峰から見た時の、樹木に被われながらも尖った姿から予想していた通り、狭苦しいといっても良いくらい小じんまりした頂上だった(下左)。
  ここにも山名板などはなく、至ってサッパリした所だが、切り開きに "恩" と刻んだ古いのと "基本" の二文字が見える新しいのと、ふたつの三角点標石が並んでいる(下右)。

  ここから深沢峠に行くルートの分岐は要注意だ。
三角点標石から10m ほど、来た方に戻って左側(西側)の藪を良く見ると僅かな隙間があり、両脇の潅木の枝に黄色いテープが捲きつけてある。
  初めはかなり急で、潅木に掴まりながら下って行くことになるが正しいルートに乗っていれば左のような金属製の市町境界標識がある。
  尾根上の瘤の左肩を捲いて西面に出た所は桧の幼木林の上縁で、正面に穏やかな姿をした宮宕山が眺められる(左下)。
ここから深沢峠の林道近くまでは明瞭な作業道があって全く問題なく進んで行ったのだが、最後の部分でちょっとした失敗をやらかした。 

    穏やかな尾根なのでその背を辿ってゆけば峠の林道に降り立てるだろうと予想したのは間違いで、左下写真の左側に見えている擁壁の上に出てしまった。
10m 程もの高さがあってとても降りられないので横手に逃げ、潅木を頼りに写真の中ほどの低い段まで降りてきて路面に飛び降りた。
  深沢峠はもう一段低い所なのだが今のミスに懲りたので砂利道を歩き、左へ2、300m ほど行った所からUターンし、戻るような形で峠に着いた。
 歩き出してすぐの所に上から降りてくる道があった。 少し上で尾根の左斜面に入れば何も問題く降りられるようになっていたのに尾根の背にこだわりすぎたのがこの失敗の原因だった。

  久し振りに広い所に出たのでユックリ休みながら、飲み食いをする。
深沢峠から宮宕山への取付を示す目印は何もない。 尾根の両側を挟んでいる車道を見たが何も見えないので峠に戻り、あらためて向かい側の斜面を良く観察すると、正面、緑の潅木の右手に何となく人が踏んだ跡のような感じの崩れがあった(上右)。
  そこを上がって尾根の背なりに登ってゆけば宮宕山の頂上に着けるだろうと思ったので潅木を頼りに攀じ登ってみたら尾根上の松の手前あたりから明瞭な踏跡に乗れた。
  さらにもう少し進むと、あまり歩かれてはいないもののシッカリした古い道形が出てきた。
シメシメと思いながら進んで行くと稜線を逸れて左側の斜面に入って行く。 ちょっと変だなぁ、と思いながら進んで行ったら右脇の樹木に黄色のビニールテープが捲きつけてあった。 かすれたマジックの文字が "宮宕山" と読めた。
"かくれっくぼ" 以来、初めて見る "標識" だったのだが、実はこれが右脇の木にあった所に意味があったのだと言う事に気が着くまでさらに15分あまり無駄な迷い歩きをする事となった。
  少々藪っぽくはあるがこれまでに比べれば格段に "良い道" なのでそのまま歩いていってみたが水平に進んでゆくばかりで一向に山に上がる気配がない。
  そのうちに、棚横手の西側の山の中腹を水平に捲いている古い道が分かれていたことを思い出した。
どうやらこの道はそこへ繋がっている可能性が高いと思い当たった。 反転して元に戻って行くと、先ほどのテープの所から尾根の上に登ってゆくかすかな踏跡があったので藪を掻い潜って尾根の背に上がるとウッスラした踏跡があった。
  この踏跡を拾いながら宮宕山頂上を目指す。
右側は伐採跡で、左側より藪が薄いのだが茨が生えていたり残材が散乱していたりしてかえって歩き難いくらいだ。 藪と伐採跡の間を行ったり来たりしながら尾根の背を進んで行くと前方に赤松の大木が見えてきた(下左)。

  この赤松の前で左に曲がり、10m 程進んだ所が宮宕山の頂上だった(下右)。
木の根方に倒れてかかっていた白塗り10cm 角ほどの山名標柱、赤塗りの古い三角点標石のほか、松の木の高い所に境界見出しプレートが取り付けられている。
周りは濃密な林に囲まれているが登って来た方を振り返ると僅かながら視界があり、大菩薩嶺から介山荘のある鞍部の付近までを望む事ができた。
  別にどうという事もない無愛想な頂上だが、嵯峨塩館前からここまで、前回登り損ねた所をかなり上手く歩けてこられたことに満足を感じながら休憩した。

  南隣の棚横手へのルートは一般ルートとしてよく踏まれている。
藪の抵抗もない踏み均された道を歩いていると泥んこの裏通りから舗装された大通りに出てきたような感じがする。
宮宕山への登頂ルートとしてはもっぱらこちらが使われているのだろう。

  やがて山火事跡を見渡す小ピーク上に出る。
ここは富士方面への展望点としても最高の場所だが今日は霞が濃くて目を凝らすとようやくそれと分かる位にしか見えないのが残念だ。
前方に棚横手が姿を現し、緩やかに上下しながらの一投足で到着した。

    頂上に着いてあたりの景色をデジカメに納めている所へ西の方から熟年登山者がやって来た。
昨年末からこの山域に来るようになって以来、はじめて出遭った人だ。
甲府に住んでいて、大善寺から登り、甲州高尾山を通って来たという。
林檎やチーズを食べながら甲府盆地をめぐる山々の "お談義" をしているうちに、ところでどちらから登ってきましたかと聞かれた。
牛奥の嵯峨塩館前からだと答えるとピンと来ないような顔をした。 尤もだと思ったので、地形図を見せ、通って来たルートを指でなぞって見せると、「へぇーっ、そんな所に道があるんですか」と聞く。
「はじめの所には林道がちょっとありますけど、あとは大体藪なんですよ」と答えたら、「地図が読めていいですね」と、変な羨ましがり方をしてくれた。

  御坂黒岳の左上の中空に富士山の仄かな姿が浮かび上がってきた。 手前の深沢を見下ろすと、このあいだ間違って登った尾根が良く見える。 中程に平坦なピークを持つ、かなり顕著な尾根だ。 なまっていた足腰でよく登った物だと自分に感心する。
  大分長休みをしたので "お先に" と言って下山に掛かった。
ここから先の道は12月に通っているのだがそのときに比べて大分道が良くなっているような気がする。

  藪が奇麗に伐り払われ、最近かなりの人数が歩いた形跡がある。
  稜線から降りて展望台のある尾根に行くまでの間の林道も草薮が奇麗に伐り払われていた。
  展望台から眺めた甲府盆地は霞が立ちこめてぼやけていた。
  尾根伝いに下の林道に下れるのではないか思ったのは間違っていて、下の方にガードレールが見え隠れするあたりまで下った所から非常な急傾斜になった。 深沢峠より格段に厳しい形勢だったので回れ右をし、ひと汗掻きながら元に戻った。
大滝不動では下部が凍結している滝を眺めたあと、山門下の林道に下り、徒歩で駅に向う。

    歩き出して間もなく、展望台下の林道の様子が見えた。
尾根突端の一帯が高さ10m 以上もの崖になっていて、とても降りられるような地形でない事が分かった。
無理に突っ込まず、後戻りしたのは正解だったと胸をなでおろす。
  林道が折り返して山懐の大滝沢まで戻った所で沢沿いの旧道に入る。 セメント舗装の急な坂道は疲れが出てきた足の筋肉にとって負担が重い。 硬直してきた筋肉を傷めぬようペースを調節しながら進んで行くと、まずキャンプ場、ついで大滝不動の里宮があった。
 一日楽しく山を歩かせてもらったことを神に感謝して里道歩きを始めた。
地形図に "菱山" と記されているこの辺りは西向きの扇状地で見晴しがとても良い。 今日は小楢山から乾徳山あたりまでしか見えないが空気が澄んでいる日だったら、奥秩父や "南" の大展望が楽しめるに違いない。
  駅まで幾らもないと思われる所に奇麗な寺があった(上)。
白壁の土塀の真中に優美な山門がある。 非常に凝った建物で、よく見ると鐘楼を兼ねている。
本堂は対照的に飾り気のない重厚な建物で、大善寺の薬師堂に似た雰囲気がある。
八重の梅が奇麗に咲いていた。 水の出る蛇口があったので喉を潤したあと、持ち帰り用に水袋に汲んだ。
  三光寺というその寺から駅まではすぐだった。
待合室で山支度を仕舞ったあと、売店に行く。
何度も来ているので何か変わった物をと見回したら、桃の葡萄汁漬けの大きな瓶詰めがあった。
家への土産に買い込んでザックに押し込んだ。
  16時近くの立川行き列車に乗った。
始めはガラガラだったが大月から上野原あたりまでの各駅で大勢のハイカーが次々に乗り込んできて藤野、相模湖あたりでは大勢が通路に立つ程となった。

☆おわりに
    日川尾根南部の藪ルートも残すところ僅かとなった。
残り物のうちで目ぼしいのは古部山と東西の志戸山あたりしかなくなった。
静かで、山が人擦れしていないのが好い。
木々の芽萌きを眺めながら大事に歩き切りたい。


 なお、今回歩いたルートは一般的な案内書の類には紹介されていないと思うのでルートマップを掲出する事にした。
  左のサムネイルをクリックすると2万5千分1地形図を元に作成した元図が表示される。
  迷い歩いた前回山行のものに比べればかなり正確度が高いと思っているが何分にも登山ルートとしての整備が行なわれていない領域だし、天候・季節によって状況がどのように変わるか分からない。 危険個所に気付くことなく通過している可能性もある。
  利用される時は、どうか自己責任でということを確認して下さるようお願いする。