南会津、三岩岳 (2004.6.13-15)                     


☆期日/山行形式:
2004.6.13−15 / 旅館、無人小屋利用、単独 

☆地形図(2万5千分1): 檜枝岐(日光10号-2)、内川(日光10号-1)

☆まえがき
    大峰への山行から帰ってひと息入れていたら梅雨になった。
例年より一週間も早い入梅だ。
ここ数年、6月上旬には会津への山旅に出るのが通例になっている。
以前から気になっていた三岩岳をメインとし、前後に二つか三つ、小ぶりの山を付け足して歩こうというのが今年の計画だったのだが意外に早い入梅に出鼻を挫かれる形となった。 仕方がないから、どこかの湿原に行き、傘をさして歩きながら花見でもして歩こうと思いかけていた所に台風3号北上のニュースが出た。
  大峰の時と同じ様に、台風が通過したあと、一時的に気圧配置が変わって、梅雨の中休みが来るのではという期待が持てるようになった。 ただ、今の時期には好天はせいぜい二、三日位しか続かないだろうから長旅は諦め、三岩岳一本に絞った短期山行とした。
  この山は会津田島から野岩鉄道線会津高原駅を経て尾瀬に行く路線バスを小豆(アズキ)温泉で降りた所に登山口があってすぐに山に入れる。 アプローチが省けるのはありがたいのだが、その反面、"南アルプス級" の、1300m ほどもの標高差を消化しなければ登頂できない。 年寄りには少々きつい山だが、頂稜上の避難小屋の写真が資料に出ていて、なかなか良い感じなのでここに宿泊して体力的な負担を分割することを考えた。

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三岩岳から北方への展望。  窓明山から坪入山を経て丸山岳、朝日岳への繋がり。  遠くに、飯豊が霞んでいる。

  登山口から小屋までの標準タイムは2時間半だから "年齢割増" と休憩時間を考慮しても、早朝発で日没頃までには小屋に入れそうだと思ったが折角一年ぶりに会津に行くのだからゆっくりしようと考え、前日の昼過ぎに出発して会津高原駅近くの旅館に宿泊。 翌朝のバスで登山口(780)へ行くことにした。

  登路は、黒檜沢から出合渡渉点(930)、尾根上ブナ平の旧道合流点(1295)を経て三ツ岩岳避難小屋(1840)へ。
余裕があれば2065m の頂上へ往復して小屋泊り。
三日目に要すればを頂上へピストンしたあと、尾根伝いに窓明山(1842.3)へ向かい、さらに家向山分岐(1525)、巽沢山(1162.1)を経て保太橋(765)に下山。  時間があれば小豆温泉で入浴着換えをしたあと、バスで会津高原(720)に戻って帰ろうという計画だったが、台風の推移とその後の天候回復の見込みを考慮し、出発日を一日繰り下げ、6月13日に出かけることとなった。

    実際に登って分かったのは、5月の気候が冷涼だったせいで頂稜部の残雪が意外に多いということだった。
もう少し雪が多ければあまり藪に悩まされずもっぱら地形判断で歩けるし、もう少し雪が融けていれば夏道があらかた現われてルートファインディングの労が省けるのにという中途半端なコンディションで、意外に歩き難い状態だった。
  小屋は何とか探り当て、期待した通りの快適な一夜を過ごせたが、窓明山経由の周回下山路の入口が分からなかったため、往路の尾根ルートを下降せざるを得ず、まる2日半も掛けたのに三岩岳に登頂しただけに終わり、この頃良くやってしまっている低効率山行の実例をもうひとつ増やす結果となった。

  三岩岳は目立たぬ場所にある地味な山で、頂上も狭い切り開きの中に三角点標石と山名を記した杭があるだけのささやかなものだったが、そこからの山岳展望は、裏尾瀬、野岩国境から、南会津、会越国境まで、中部山岳地帯とはまた一味違う雄大なものだった。
たまたま、台風の後に流れ込んできた乾燥大気下の晴天にめぐり合わせる幸運にも恵まれ、しばらくの間豪華な展望を独り占めするという贅沢を味わった。


☆概略の行動記録
6月13日
<タイムレコード>

    宮崎台[14:07]=表参道=[15:07]北千住[15:31 快速会津田島行]=[18:52]会津高原{満寿屋旅館}

    珍しく家で昼食をしてからの出発となった。
何度か泊まっている三滝温泉旅館は満員だというので、代りに駅近くの旅館を選んだ。
夕食はいらないと言ってあったので、北千住駅で弁当を捜す。  パンやサンドウイッチなら簡単に手に入ったがご飯物が手近には見当たらなかった。 半ば諦めてホームに上がったら売店に "弁当" と記した看板があったので聞いて見たら "ありますよ" と奥の方に積んであるのを見せてくれた。  二種類ある中から "深川飯" を選んだ。
  会津田島行き準急列車はほぼ毎時一本運行されている。
6両編成で、先頭部の2両が会津田島、次の2両が新藤原、最後尾の2両が日光行きになっているから乗る車両を間違えないよう注意が必要だ。
  関東平野を北上して行くに連れ、台風の置き土産の雲が次第に減って行き、鬼怒川谷に分け入る頃には奇麗な青空が広がって来た。  雨に洗われて野岩国境付近の山々の新緑が鮮やかだ。
  満寿屋旅館は会津高原駅から歩いて3、4分の国道の角にある民家風の建物だった。
七十前後の老夫婦が経営していたが、女将さんは愛想が良く、話好きで、人を泊めて話をするのを楽しみに営業を続けているような感じだった。


月14日
<タイムレコード>

    会津高原[8:55]=(会津バス \1480)=[10:08]小豆温泉(10:20)-黒檜沢出合(10:50)-小尾根上で小休止(11:10/15)-ブナ平旧道合流点(12:20/40)-支尾根上部で小休止(13:30/40)-主稜ジャンクション部雪田(14:15/迷う/45)-(15:00)三ツ岩岳避難小屋{無人}

会津高原 憩いの家とバス停
  爽やかな快晴の朝になった。
ゆっくり朝食と食休みをしたあと宿を出る。
駅に隣接した "憩いの家" の脇にバス乗り場がある(左)。
  週日の朝とあってあたりは閑散としていたが、バスの出発時間が近付いた時に着いた下り電車から数人のハイカーが乗り移り、全部で10人あまりが乗って発車となった。

  荒海山の入口になる袋口で熟年二人組を下ろしたあと新緑の中山峠をトンネルで越えて館岩川谷に入る。
  松戸ヶ原から横道に入り、湯の花温泉に立ち寄る。
そこで熟年女性三人組が下車し、タクシーに乗り継いだが、ちょうどこの日がこの日が田代山の山開きだったことをあとで知った。
小豆温泉、三岩岳登山口
  内川で沼田街道に合流し、桧枝岐に向って10Km ほど走るとスノーシェードの中に小豆(アズキ)温泉バス停がある。
  ここで降りた客は一人だけ。
シェードの外に出た所は車止めの広場になっている。 周りをキョロキョロ見回していたら向こう側に停めてある車の脇に座っていた男が "三つ窓はこっちだよ" と手で指し示してくれた。
  広場の隅で山支度を整え、男に手を振ってシェードの端に出る。
入口の上に7月7日に三岩岳山開きがあると記した横断幕が掛けてある(左)。
黒檜沢渡渉点
  右の山側にあるコンクリートのスロープを登り、シェードの上を100m あまり進んだ所に鉄の階段があり、そこから黒檜沢コースが始まる。

雨季と雪融けで高い水音を上げている沢の右岸を遡って行くと、30分ほどで黒檜沢の渡渉点に着く(左)。

  少し古い案内書には、雪崩に打たれて不安定になった鉄橋が架かっていると書いてあるが、橋は撤去されてなく、その代りにコンクリートの階段と飛び石が設けられていた(左)。
  大雨の後は渉り難いかもしれないと思いながら飛び石を渡った。
三岩岳見ゆ!
  左岸に移ったあと、沢沿いをしばらく登ってゆくと小尾根を乗越す所があって、新緑の間から三岩岳上部が見えた。
頂稜にはタップリ残雪が残っている。

新緑のブナ林
  しばらく遡ってから山腹にあがり、さらにひと登りした所に格好の休み場があった。
辺りにはブナの大木が林立している。
雪国の森の春は実に美しい。
道端の木の幹に人の名が刻んである。 "星某" とあるのは地元の人の物だろう。

  それらの中に、 "六十一才" と書き添えた名があった。
こちらはもうこちらは六十七才だ。
大病を生き延びて生かされ、山にまで登らせてもらえている。
感謝!



  ジグザグを切りながら  尾根上の小ピークを乗越し、僅か下って行った所から山腹のトラバースになる。

  大小7、8本の枝沢を横切って行くがどれも花崗岩質の岩の溝を流れ下っている。
この岩質の沢の水は例外なく美味しい。

ブナ平 旧道合流点
  視界の前上方を横切っている尾根の高さが次第に減じ、ヒョッコリと旧道合流点に出た(左)。
Tの字の三又路の交点に黄色い標識プレート、コンクリート台に貼られたルート案内図、出水時には旧道を通るよう指示を記した看板がある。


  合流点から小屋のある頂稜まで500m 程の標高差を消化しなければならない。
ブナの大木が林立する尾根の登りが続いた。
道端に色々な花が咲いている。
特に目立ったのはイワウチワとショウジョウバカマだった。

  高度が上がるに連れて季節が徐々に逆戻りし、まわりの木の葉が芽萌きに近付いて行く。
木の高さも徐々に低くなって視界が開けてきた。 
主稜ジャンクション付近の雪田
  かなりのアルバイトを覚悟して来たが、本当に急な部分は数ヶ所に分かれて短く、案外楽に高度を稼ぐ事ができた。

  時々雪を見るようになると間もなく、雪解け水で沢のようになった道を進み、さらに、1700m の小ピークを越したあたりからはほとんど雪の上を歩く様になった。

  頂稜に近付くと一挙に尾根の幅が広がり、だだっ広い雪田になる。
視界が開けて気分は爽快なのだが肝心のルートが分かり難くなった。
三岩岳避難小屋
  どっちへ登れば小屋に着けるのか分からなくなり、暫くウロウロしたが、どうも高く上がりすぎているように思ったので雪田の左縁に沿って下ってみたら運良く笹薮の間に道形が見付かった。

  これを登っていってもダメだったら敗退下山だな、と思いながら進んで行くと、10分程で湿原の末端部と思われる草原が覗いている雪田があり、そこを登り切ると森の中に小屋が立っていた。

  こじんまりした小屋だが森に守られて落ち着いた雰囲気がある。
入り口の階段のすぐ下を水が流れている。
地階は五畳と二畳ほどの床が張ってあり、天井裏の半分近くが中二階になっていて、10人以上楽に泊まれそうだ。
  薪ストーブがあるらしいので楽しみしていたのだが見当たらずガッカリした。
利用者帳をめくってみたら数年前に傷みが酷くなって撤去されてしまった事が分かった。
身体が冷える前に急いで乾いた着物に替え、さらに用意してきたホカロンをソックスの間に挟んだ。
年のせいで体温維持能力が低下しているのと、台風の前の冷え込みでやや風気味になっていたのとの対策だったが、念のために服んだ風邪薬とホッカイロの相乗効果か、小一時間もするとコロッと喉鼻の痛みが消え、身体全体が軽くなった。

  宿の女将さんが作ってくれた握り飯を、即席味噌汁の助けを借りながら半分ほど食べたあと、シラフに入ってラジオを聞く。
明日も快晴に恵まれそうだ。
明朝、確実に登頂して小屋に戻るにはどうすればよいか考えた結果、小屋の棚の上に置いてあった包装用の赤ビニールを1m 程の長さに切ったコースサイン材を15本ほど作った。

  暗くなり始めるのを待って眠り薬を服み、小屋にあった毛布と持ってきたタープをシラフの上に掛けて寝た。
小屋の周りには雪だらけだったが、十分温かさが保たれ、夜中にちょっと目が覚めたほかは熟睡した。


月15日
<タイムレコード>

    三ツ岩岳避難小屋(5:50)-三ッ岩岳(6:40/55)-三岩岳避難小屋(7:30/8:00)-ブナ平(9:10/20)-アンテナ上(10:10/20)-NTTアンテナ(10:34)-車道(10:45)-(10:55)小豆温泉[13:20+5]=[14:40]会津高原[14:55]=[17:52]北千住[17:55]=[18:59]宮崎台

   鳥の声で目が覚めた。
窓から外を見るとちょうど日の出だった。

熟睡できたせいで気持ちが良い。
コーヒを淹れて小テルモスを満たし、余りを飲んで胃袋を覚ましたあと、味噌汁を作って握り飯の残りを食べた。
三角点標石のある三岩岳頂上
  食休みをしながらパッキングを済ませ、頂上に向う。
入口の脇に数本の測量ポールが立てかけてあったので、そのうちの2本を持って出た。
予想通り、藪に仕切られた広い雪田を繋いで行くパターンになった。
  雪田にポールを立てたり、木の枝にビニール紐を取り付けたりしながら登って行くと、T字形の木道が雪から出ている所に着いた。
  この辺りで北斜面から抜け出した形となり、夏道が途切れることなく露出している。
右の方に上がって東西に細長い頂稜に乗ると、山の南側への視界が広がった。
僅かな高みの狭い切り開きに三角点標石と山名を記した杭が立っていて三岩岳の頂上であることを示していた。
  ゆったりとうねる頂稜の先の高みが会津駒ヶ岳だ。
そのすぐ後からチョッピリ頭を出している双子峰は尾瀬の燧岳に違いない。
日光の奥白根と錫ヶ岳に皇海山、温泉ガ岳から根名草山を経て奥鬼怒への連なり、男体山から女峰山、お馴染みの関東山地中核部の山々が立ち並んでいる(下)。

    三岩岳から南方への展望。 (クリックすると拡大)
三岩岳頂上の展望。南から東南方

  東から北に向って、高原山、日留賀岳と男鹿岳、那須から二岐山がならび、それらの手前には荒海山、七つヶ岳、博士山、志津倉山など数多の南会津の山々が群がっている(下)。
あらかたは登ったが、日留賀岳と男鹿岳はまだだから何とかしたいものだ。

    三岩岳から東-東北方方の展望。 (クリックすると拡大)

三岩岳頂上の展望、東から東北方

   さらに北から北西にかけては、会津磐梯山と、その先に霞んでいる吾妻と飯豊、会越国境の連山から浅草岳、守門岳、その手前には会津朝日岳から丸山岳(冒頭パノラマ)、独り占めにしていては申し訳ない程の豪華な山岳展望をしばらくの間楽しんだ。

  ひと通りをカメラに納めたあと、小屋への帰途に就いた。
登りで設置したコースサインが適切だったかどうか、あらためて確認しながら進んだ。
行きに設置したコースサインは帰途で撤去するのが常識だという事は承知しているがこの位ルートが分かり難くなっている状況であれば残しておいた方が良いと考え、明らかに過剰と思った数箇所を撤去しただけで、大多数を残置した。
  7月7日に山開きが行なわれるからその前に地元の設営パーティが偵察に来るに違いない。
残雪の状態が変わって位置が不適切になったり、必要性がなくなったりしていたら、適切に始末してくれるだろう。

  そろそろ小屋近くの林に入ろうとする所で老登山者と出遭ってビックリした。 地元の人で慣れている感じだが、まだ7時過ぎだ。 早朝駐車場を出発したとしても大変な健脚だ。

  小屋に戻り、ひと休みしながらあらためて飲み食いをしてから下山に掛かった。
頂上から見た範囲では窓明山付近のルートは夏道が出ていて問題なく歩けそうだった。
そちらをまわって下山しようと左手への分岐を捜しながら進んで見たが見付からない。
登って来た尾根が分岐する地点まで下ってしまったので、左手の藪に分け入り、50m ほど奥までガサガサやってみたがもう下り過ぎで手遅れらしく一向に埒があかない。
窓明山まわりは諦めてもとに戻り、登ってきた尾根の方向を見定めて雪田を下る。

  そろそろ尾根に乗ろうかという所で熟年二人組と出遭った。
こちらはあまり山慣れた感じではない。
このような人達も登ってくるのだったらコースサインの大部分を残置したのは正解だったと思った。

  左手に、窓明山が次第に高くなってゆくのを恨めしく見やりながらさらに下って行くと今度は六十歳前後の単独登山者と出遭った。
今朝駐車場を出発して登頂したと思ったようで、"随分早いですねぇ" と言うので昨夜は小屋に泊まって降りて来たところたと答えると、この山には小屋があるんですかと聞いた。
上部の様子を聞かれたので、小屋と頂上の間にはコースサインがあって問題なく歩ける様になっているが、小屋の下の雪田は要注意で、どちらかといえば右寄りに、一番高い所を登って行くようアドバイスした。
三岩岳旧道ルートの出口
  ブナ平でひと休みしたあと、いくらかでも気分を変えようと旧道を下ってみた。
中間にかなり急な直下降があった。
雨でぬかっていたら歩き難いだろうな思いながら下リ切るといったん平らになる。
また急降下してやや右の回りこむと尾根が痩せてきて、赤松の大木の立つ980m 台のピークを越す。
小休止のあとひと下りし、僅か登り返した所にNTT東日本のアンテナが立っていた。
  そのあたりから谷底を走る車の音が聞こえて来るようになったが車道に出るまでは結構長くて急な階段道を下らなければならなかった。
道路に出る所には平成7年国体山岳競技縦走コースと記した看板が立っていた。
  スノーシェードをひとつ通り抜けた所に黒檜沢の橋が掛かっていてその向う側に昨日登っていった登山口がある。
駐車場を横切って左手に入った所に小豆温泉のモダンな建物が立っていた。
伊南村村営の日帰り入浴施設で、入浴料は相場よりちょっと高めの850円だったが天井の高い広い大浴場は、四つもの浴槽とサウナ、外には露天風呂もある豪華なものだった。
ほんの2、3人しか入っていないので大きな浴槽に一人で浸かったあと、全身の垢と疲れを洗い流した。
着物を全部取り換えてサッパリし、パッキングをやり直して和風カフェテリアを兼ねた休憩広間に行く。
蕎麦を食べたかったのだが、麺類はウドンだけだと言う。
道路沿いにある既存の店と競合しないようにという事らしい。
仕方なく、山菜てんぷらウドンを食べた。
どうしてなのか分からないが、小麦粉で作った饂飩とパンは、ダンピング症を起こしやすい。
てんぷらの油も要注意の食品だ。
すべすべして弾力のあるとてもおいしい饂飩で、汁の味も格別だったが、長い時間を掛けてソロソロと食べ、麺はいくらか残して終わりにした。
バスの時間がくるまで長い食休みをしたあと、家への手土産に伊南村産の駄菓子を何種類か買い込んで外に出た。

  定刻より5分あまり遅れて来たバスには尾瀬から帰る客が十数人乗っていた。
走り出したバスの車窓から振り返ると何度か三岩岳が見えた。
予想外の量の残雪に阻まれて止むをえなかったとは言え、窓明山ルートを歩き損ねたミスをほろ苦く噛み締めた。

  予定より2時間も早く会津高原駅に戻り、それなりに早い時間の浅草行準急に乗れたので、まだ明るいうちに家に帰り着いた。

☆おわりに

    三岩岳は隠れた名山の中でも横綱級だった。

  避難小屋泊まりのため、寝袋や食料などある程度の荷物を背負って小屋までの1100m 程の標高差を消化してどうなるか、不安がないわけではなかった。
少々時間は掛ったが、心配したほどバテる事もなく登る事ができ、夏山シーズンの計画の前提になる体力の見極めができた様に思う。