駒宮-麻生山-三ッ森山-小姓 (2004.11.21)


☆期日/山行形式:
2004.11.21  単独、日帰り
☆地形図(2万5千分1): 大月(甲府3号-1)、上野原(東京14号-4)、七保(甲府号2-2)、
                                      猪丸(東京15号-3)
☆まえがき
    夏の高温と度重なる台風のせいか、今年の山の紅葉はどこへ行ってもパッとしなかった。
それもそろそろ見納めかという時期になったので、名残りの紅葉を見ようと、久し振りに大月の奥の葛野(カツノ)川谷に行ってみた。
  目当ては、麻生山から三ッ森北峰までの頂稜のトレースだ。
権現山頂上から西に延びている尾根が時計回りに90°曲がって北方の奈良倉山に向おうとする変曲点で、谷向いを並走している水無山・尾越山南尾根から見ると、岩峰らしき三ッ森の突起の連なりが周囲の穏やかな山並とは異質な雰囲気を醸し、以前から気に懸かっていた所だ。

  行動計画のあらましは、猿橋から上和田行きバスで富岡(390)まで入って歩き出し、天神峠(470)から長尾根を登って麻生山南峰(1255)で主稜に到達。  西北に向う頂稜を、三角点のある麻生山中央峰(1267.5)、山名標のある同北峰(1265)から尾名手峠(1215)、ふたつの岩峰を越して三ッ森北峰(1245)へとトレースしたあと、北峰北肩から鋸尾根を下降して小姓(420)に下山。
対岸の杉平入口バス停(415)からバスで大月駅に戻ろうと言うものであった。


麻生山北峰は稀な展望峰だ。 小金沢連山が描いているスカイラインを背景に、雁ガ腹摺山から手前へ大峰/水無山、
尾越山へと延びて来る楢ノ木尾根と、宮路山から大垈山を経てセーメーバンに至る尾根とが二重の弧を描いている。
( 麻生山北峰に戻る)


  この尾根筋は奥秩父の笠取山あたりから、柳沢峠、大菩薩、牛ノ寝通り、松姫峠、奈良倉山、小佐野峠を経て、権現山、扇山/百蔵山まで繋がっている。
長年の間に殆どをトレースしていて未踏の部分は、牛ノ寝通りの大ダワから松姫峠、および小佐野峠から権現山の間だけになっている。
前者は小菅に一泊すれば至極楽な行程だから、70代になっても問題なく歩き切れるだろう。
また後者も、今回計画通りに歩き切れれば、そのあとは小佐野峠から三ッ森北峰まで、および、権現山から麻生山までの、2回の日帰り山行によって比較的容易にトレースできるようになる。



☆行動記録とルートの状況
<タイムレコード>
    宮崎台[6:41]=長津田=八王子=高尾[7:46]=[8:24]猿橋[8:46]=(上和田行バス)=[9:10]富岡(9:15)-天神峠(9:25)-586m駒止嶺(9:50)-駒宮から直登路の合流点(10:00)-小休止(10:10/20)-尾根左捲道入口(11:25/30)-尾名手峠道と直登尾根ルートの分岐(11:38)-主稜/麻生山南峰(11:55)-麻生山三角点峰(12:05/15)-古い山名標があって好展望の麻生山北峰(12:20)-尾名手峠(12:25)-三ッ森北峰(12:55/13:00)-小姓(14:25)-(14:35)杉平入口バス停-(淺川入口方向に5分ほど歩いた地点でバスに乗車)[14:40+]=[15:07]大月[15:25]=[16:18]八王子=長津田=宮崎台

◆ 秋の観光シーズンを締めくくる三連休である上に、好天が続くという予報が出たため、大勢のハイカーが繰り出し、高尾始発の中央線列車はほぼ満席だった。
この時期になると、既に冬になっている高山のかわりに手近な低山を目指す者が多くなるようで、相模湖や藤野で降りた者が多く、上野原駅から先は車内が空席だらけになった。
猿橋では10人ほどが降りた。
ただこの人達もみな百蔵山あたりへ向ってしまったようで、ただ一人バス停に残って上和田行きを待った。
  ほぼ定刻に大月始発のバスが来た。  後の電車で来た若い旅行者二人と一緒に乗り込む。
親戚を訪ねて来たらしいオバさんと、中年夫婦らしいハイカーとが乗っていて、乗客の総勢が6人になった。
猿橋で桂川を渡って葛野川谷に入るとすぐの所にある福泉寺で若者達は降りて行き、残りの乗客4人となって葛野川谷を遡る。
この谷は、奈良子入口のあたりで一時狭まるが田無瀬まで行くとまた開けてきて、淺川入口あたりからは穏やかな山村風景が広がる。  二週間ほど前に見た吉野の険阻な谷とは全く違う様相だ。

  富岡で降りようとするとオバさんもここまでだと言い一緒に道に降り立った。
対岸の緩斜面に駒宮部落の人家が散在し、その背後に今日登る長尾根が緩やかな上昇カーブを描いている。
集落入口の橋を渡ろうとすると、オバさんが並びかけてきて、なに山に登るのかと聞いた。
麻生山です、と答えたらバスにいたほかの二人も麻生山だって言ってましたよ、と教えてくれた。
葛野川から登る山は何れもマイナーなノーブランド系なのだが、それでも知る人ぞ知る大峰、水無山あたりならともかく、選りによって "超" 地味な麻生山などを登りに来る夫婦のハイカーもいたのかと、呆れ感心する。
きっとこちらと逆コースで、杉平入口/小姓から鋸尾根を登り、三ッ森を越して来るのだろうから、稜線上のどこかで擦れ違うことになるだろう。

  オバサンと分かれて集落の奥へ進む。
この手のマイナーな山で要注意なのは、取付を間違えやすいことで、ウッカリすると、隣の山、谷に入り込んだりして、とんでもない時間ロスをやらかす。
ここはさすがに山の町大月らしくそのあたりへの配慮に抜かりがなくて、集落の至る所に金属製の道標が立っている。
簡素ながら立派な鳥居のある駒宮天神社(左)の前を通り過ぎると間もなく最奥の人家があり、その脇から山道に入る。



 
杉林の中を緩やかに斜上して天神峠に向う途中からは、紅葉の山肌の中に人家が散在している富岡の集落の佇まいが良い感じだった。

  天神峠で尾根に乗った所で左折、少し進んで行った所で伐採地の上縁に出る。
葛野川谷の向い側に尾越山の整った三角形が美しい。
尾根の後側から頭を出しているのはセーメーバンから大垈山あたりへの連なりだろう(下)。



  自然林に覆われた気持ちの良い尾根道になった。
体が温まった所で一服しながら中スパッツを着け、足拵えを整える。

  長尾根はその名の通りの長い尾根で、緩やかにひと登りしたかと思うと暫く平な部分があるといった状態を繰り返しながら徐々に高度を上げて行く。
距離が長い分余計に時間は掛かるが体力的な負担が軽く、楽に登って行ける。

  暫く進んだ所に、尾根の右手への視界が開けている展望地があった。
富士山から道志、御正体、西丹沢あたりまで見渡す事ができたが、 特に、足元の葛野川谷と、その先の方の桂川谷と、ふたつの谷を縦観し、その先の中空に浮かび上がっている富士山の姿が秀逸だった。

  これまで数多くの展望点から富士山を眺めてきているがこれほど均整が取れ、奥行きのある富士山を見た憶えはない。


  尾根上には、山麓の部落の中と対照的に、最小限の道標しか立っていない。
コースサインの色テープも、肝心な所にしか付けてないため、ルート全体が小ザッパリしている。
尾根の中ほどで北隣の小尾根に乗り移るトリックはあるが、稜線直下までは一本道だし、こんな所に来る者はある程度山に慣れている者ばかりだ、という前提でルートの管理が行なわれているようだ。

  尾根の幅がだだっ広くなった所で踏跡が落ち葉に覆われて見分け難い所もあったが、"山勘" で見当を付けて進んで行ってみたら、コースサインが見付かって正しいルートに乗っていることを確認できた。
  登るにつれて枝に残っている葉が少なくなった。左上方の枝の間から三ッ森が見えるとすぐ、一旦ルートは尾根筋を外れて左斜面に入るがまもなく右に折り返して尾根上に戻る。

  "麻生山" と記した道標が左の山腹を指している所に着いた(上左)。
  道標の指示通りに進むと麻生山の頂上の南肩を捲いてその先にある尾名手峠に直行してしまうので尾根上を直進する。
  露岩の右脇を通り抜けたりして登り続けてゆくと、尾根の幅が広がり、踏跡も判然としなくなる。
傾斜も強まって、落ち葉でスリップせぬよう気を着けながらひたすら直登するようになると疲れが溜まった足腰への負荷が厳しく、アキレス腱が痛んでくるが、足元に姫笹を見るようになってくれば稜線は近い。

  ついにスゥーッと傾斜が緩んで前進が楽になった。
呼吸を整えながら進んで行くとモッコリした高みに上がった所で権現山の方から来ている明瞭な踏跡に突き当たった(左)。

  登りあげた所は、麻生山南峰とも言うべき地点で、左に5分あまり稜線上を行くと三角点標石と白塗りの金属製山名板のある麻生山中央峰に着く(左)。

  潅木に囲まれ、落ち着いた雰囲気の漂うこじんまりした頂上だ。
樹間を通して笹尾根の連なりが見える。

  この先、三ッ森の難場の通過があるので、"シャリバテ" による注意散漫を予防するため、少量の食べ物・飲み物を口に入れる。
   ソロソロ歩き出そうかと思いかけた所へバスの夫婦がやって来た。  お互い、予想していた事なので、やっぱり会いましたね、という感じで挨拶を交わす。
  三角点峰からまた5分ほど行った所に古い大きな山名看板の立つ麻生山北峰があった(左)。

  看板の下に丸太を二本並べた腰掛があった。
腰を下ろすと目の前に広大な展望が広がった。
  このあたり屈指の展望点だが、寒冷前線の接近で、急に出てきた雲が日を遮って景色が単色になり、諧調も乏しくなってしまったのが残念だ。
    ( ページ冒頭のパノラマ参照へ)
  麻生山北峰から尾名手峠まではすぐだった。
大月市が立てた新しい道標は駒宮への下降路だけを指示していたが木製の古い道標には反対側の腕木に "腰掛部落" の四文字がかすかに残っていた。
  峠を過ぎると三ッ森第一峰の急登になる。
頂上を乗越した北側はかなりの高度差のある痩せ尾根の急降下だった。
 潅木が密生しているのでそれを頼りに下ったが、もしそれが疎らだったら長めのシュリンゲか補助ザイルでも持ってなければ物騒かも、と思った。
  第2峰は小振りですぐ登れるが裏側の3〜4m 程の岩場は要注意で、久し振りに "3点支持" の基本を守って下降した
  最後の北峰への登りは長い。
今日最後の登りなのだからと自分に言い聞かせながら登り続けていると最後にはスゥーッと地形が緩んで楽になり、穏やかな尾根道から、頂上に着いた。
こじんまりした草原の頂上で、一本伐り残された樅の木の幹に "北峰" と記したプレートが取り付けてある(左)。
  尖がったピークの通例で広大な視界がある。  特に西から南へ掛けての樹木が刈り払われているお蔭で、小金沢から百蔵山・扇山方面までが一望だ。
葛野川谷とその左岸に立っている百蔵山から扇山への連なり具合が表側から見たのとは大分違っている(下)。
(クリックすると拡大します)

    緊張から解き放たれ、目論見通りに未知のルートを歩き抜けることができた満足感を味わいながら稜線上最後の休憩を楽しんでいたがやがて落ち着いて来たので時計の針とバスの時間とを見比べて帰りの時間の計算を始めた。
  手持ちの情報によれば、鋸尾根から小姓部落に下り、杉平入口バス停まで正味1時間半ほど掛かりそうだ。  どこか頚痙しそうになったり膝が痛くなってきたりして、休憩に時間を費やすようなことがなければ、14時半過ぎの便に間にあうかも知れない。  もしその便を僅差で逃がした場合は、さらに1.5Km ほど下手の浅川入口まで歩けば14:50のバスがある。
朝から割と順調に歩けているのでその余勢を駆ってトライして見る事にした。

  鋸尾根への入口は北峰頂上の北肩にある。
"小姓"
 と記した大月市の道標が立っており、さらに入口の両側の潅木の幹に黄色いビニールテープが捲き付けてもあるから間違える事はない(左)。

  下降路の始めは非常に急で、密生した潅木の隙間を腕力を使って強引に攀じ下って行く形になるが暫くすると尾根に乗る。
まもなく傾斜が緩み、背の幅も徐々に広がって普通の山道になる。
尾根の途中に1129m の痩せたコブが突出しているのが北峰頂上から見え、そこをどんな風に通過するのか気になったが、別に苦労もなく、頂上の左斜面を捲いて通り過ぎた。

  ただし、岩っぽい急斜面の横断になるので相応の注意は必要で、よそ見をしながら歩く訳には行かない。
道が尾根の上に戻ると気楽な下りになった。
所々で木の間から葛野川対岸に形の良い尖峰を持ち上げている大峰や、奈良倉山から小佐野峠への連なりなど見ながら進んで行った。
  半分以上下ったあたりにだだっ広く開けた所があって踏跡が落ち葉に覆われて分かりにくかったりはしたが、要所にコースサインもあって間違った方向に迷い込むような事はなかった。

  尾根の左手に入ってひと下りした所でほぼ直角に右折すれば尾根の大部分を下ったことになる。

   谷間にある学校の校舎などが見えてくるあたりまで下った所では、850m あまりの高度差をノンストップで下降してきた疲労素が膝まわりの抗重力筋に蓄積し、ちょっとしたきっかけで頚痙が起こりそうな気配になったので、ペースを落とし、騙しだまし歩き続けた。

  とにもかくにも小姓集落まで無事に降り着き、道端で落ち葉掻きをしていた人の家の庭にある蛇口で美味しい山の水を飲ませてもらったあと、やっとこさっとこ坂を登って車道に出るとバス停ポストが立っていた。

  時刻表をみたら定刻を5分ほど過ぎている。
横手の家の奥さんが庭に出てきたので、バスが通ったかどうか尋ねてみたが、分からないと言う返事で困ったが、どちらに転んでもまずいことにはならないと考えて、淺川入口まで歩き続けることにした。


  葛野川の向こう側に長尾根の下半分が見えている。
傾きかけた午後の日を浴びて山腹の名残りの紅葉が綺麗だった(左)。

  5分ほど歩いた所で後ろの方からそれらしいエンジン音が聞こえてきた。
振り返るとカーブの蔭からバスが出てきたので、やれやれアリガタヤと手を振ったら目の前に乗車口を止めてくれた。

  「どうもありがとう」、といいながら乗り込んだら誰も乗っていない。

  淺川入口で麻生山の夫婦が乗ってくるかと思ったが姿は見えず、暫くの間は "貸切バス" になった。
ほかに誰もいない気楽さで、ドライバーとポツリポツリ山の話をしながら谷間の道を走って行った。

  田無瀬のあたりから、一人またひとりと客が乗ってきて燃料代くらいは稼げるのではないかと思う程度になり、猿橋では数人が乗り込んできた。
  ほかの何人かと一緒に猿橋駅で降りることも考えたが、時間があれば蕎麦などが食べられるし、特急や快速に乗るのにも都合が良いので、大月駅まで行ってみたら休日のみ運行されている大月始発東京行きの臨時電車が間もなく出る所だった。
蕎麦は八王子までお預けとし、そこまでの乗車券を買って乗った。

  臨時電車の客の殆んどはハイカーで、上野原からは大勢が立つ位の混雑となった。
八王子駅ビルのレストランフロア-に上がったら "そじ坊" があった。
鴨セイロ蕎麦を注文した。
かなり汗を掻いて体から塩が抜けた後だったため、醤油の利いた香ばしい汁がとても美味しかった。
ちょこっと寄り道をした訳だが、尾根の下りで頑張ったお蔭で早い時間に家に帰りつけた。


☆ルート概略図
  このルートはマイナーなため情報が乏しい。
手元の昭文社の案内地図には、実線が引かれているのだが、実際に歩いた結果と照らし合わせてみたら、三ッ森と尾名手峠の位置関係が不正確に表示されていることに気が着いた。
バージョンが少々古いのでその当時、踏査が十分できなかったのかも知れない。

  そこで、より実体に近いと思うルート概略図を作成してみた。
下はその縮小サムネイルで、ダブルクリックすればブラウザーの別ウインドウが開いて元図が表示される。

  このルートは、国土地理院の2万5千分1地形図、4枚にまたがっているので、地図センターが提供している地形図閲覧サービスサイトに "Kasmir"  でアクセスして、必要部分の継ぎ目なし接合図を切り出し、下図として利用した。
ルート線やランドマークの記入操作では極力元サイズを保持するよう注意したがうまく出来たかどうか、自信はない。  スケールに関してはオリジナルの紙地図と比較照合していただきたい。

上の記録も含め、ここで提供されている情報の利用はすべて自己責任でと、お断りはするが、いくらかでも、どなたかのお役に立つならば幸いである。
なお、三ッ森中央峰と南峰北面の難場を考慮すれば、杉ノ平から鋸尾根を登って頂稜を南下し、長尾根を下る逆コースの方が安易かもしれない。


☆おわりに
  マイナーで情報も乏しい山だったが、変化に富み、随所に優れた展望点のある好ルートだった。

  あと3回の日帰り山行で "赤線" が繋がってトレースが完結する所まで漕ぎ着けたこの尾根筋は、この冬から来年の春に掛けての低山歩きの楽しみのひとつである。

  いくらか頑張ってみたら休憩時間込みでもほぼ標準タイムでひと山を歩き切れた。
もはや以前の様に足腰の強靭さを自慢できる状態ではなくなっているのだが、コンディションが良くて軽荷だったら、ソコソコは歩ける力がまだ残っていることが分かったのはなかなか嬉しい発見だった。