金精峠-温泉ヶ岳/根名草山-加仁湯 [2003.8.28-30]



☆期日/山行形式
: 2003.8.28-30 民宿/旅館利用 単独

☆地形図(2万5千分1): 男体山(日光12号-1)、川俣温泉(日光11号-2)、
                                    三平峠(日光11号-4)
☆まえがき
   天候不順で満足な夏山山行ができないうちにシーズンが終わってしまった。
山が賑わう時季でも人が行列しているような所は嫌だ、4〜5日は山の中に居るとして、最低3日くらいは天気が良くなってくれなければ楽しくない、などと贅 沢を言っているうちに8月の下旬になった。  20日過ぎに数日の晴天続きがあったがほかの予定もあったので山靴をビブラム底の張替えに出して しまっていたせいもあって何処にも行けずに過ぎてしまった。
  せめて月が変わらないうちに水晶岳/赤牛岳あたりを歩きたいと思って準備をしたのだが一向に天気が落ち着いてくれない。   つづく最後の週には早くも秋雨前線の気配が現われ、長期山行を狙ってこのまま天気待ちを続けていると山行間隔が空きすぎて足腰が ダメになり、まともに山を歩けなくなる惧れが出てきた。
方針を転換して大形山行は秋に回わし、短い晴れ間を狙って近間の宿題のひとつを片付ける事にした。

  行き先としては、前回ミスした南会津の三岩岳から窓明山あたりが考えられたのだがチョッピリ趣向を変えて奥日光湯元から奥鬼怒温 泉郷へ抜けるミニ縦走をしてみようと考えた。 金精峠から温泉岳/根名草山を経て日光沢温泉に下山するルートは気になりながらトレースできずに いた所だし、登り始めと終わりの標高が高くて、13,400m 程あるから涼しくて夏向きだ。

  計画のあらましは、一日目は光徳入口(1403)から小田代橋(1395)、湯滝(1480)、湯ノ湖西岸歩道を経て湯元温泉 (1485)まで歩いて足慣らしをしたあと湯元の民宿に宿まり、二日目に宿の車で金精峠菅沼側入口(1735)まで送ってもらって歩き出し、金精峠 (2025)から温泉平(2225)、念仏平避難小屋(2240)を経て根名草山(2329)に登ったあと日光沢手白沢分岐(1920)から日光沢温泉 (1395)を経て加仁湯(1340)まで歩いて宿泊。 三日目は天気や体調など、コンディションが良かったら鬼怒沼湿原(2000)まで往復 し、以前泊ったことのある避難小屋(2030)の様子を見たり、まわりの山を眺めたりして下山。 入浴して汗を流したあと、女夫淵温泉(1110)に出て栗山村村営バスに乗り継ぎ、鬼怒川温泉駅から帰ろうという物だった。

温泉ヶ岳への登路から望む白根山
                                                                                       白根山、温泉ヶ岳への登路から


☆詳しい記録


8月28日(曇)
<タイムレコード>: 宮崎台[8:00]=[8:06]溝の口[8:10]=[9:12]北千住[9:21]=[11:16]東武日光
        [11:25]=(バス)=[12:32]光徳入口(12:35)-小田代橋(13:00)-湯滝(13:40/14:00)-
        (15:10)湯元温泉

戦場ヶ原には秋風が吹いていた   何もせずに湯元温泉の宿に行っても面白くないと思い、足慣らしを兼ねて戦場ヶ原から湯ノ湖のあたりを歩いてみる事にした。
戦場ヶ原の北端に近い光徳入口でバスを降りた。
林を抜けて湿原の中に出ると乾燥した涼しい風が吹き、一面の茅の穂ですっかり秋の景色になっている。
林の後の山並みの上に白根山が顔を出している。
ポツリポツリと木道の上をハイカーが歩いている。
また林の中に入ると間もなく小田代橋だ。
直進して湯ノ湖から流れ出す沢の左岸を登って行くと児滝に着く。 名の通り、高さ4、5m 位しかないナメ滝だが水量は豊富で川幅一杯に流れ落ちている。
水量多く、豪快だった湯滝 児滝の下で対岸に渡り、右岸の台地に上がる。
濶葉樹に被われた平坦な地形が広がり、風情のある高原逍遥路だ。時折、家族連れが歩いてくるのに出遭うが至って静かで気分が落ち着く。溶岩層の隙間から水 が湧き出している所があった。 かなりの水量が湧き出していきなり太い流れが始まるのが珍しい。 三島の柿田川のミニ版だ。
林の先の方から水音が聞こえてきてやがて湯滝の下手にに着いた。大勢の観光客がいる橋を渡って観瀑台に上がる。50m 程の落差を大量の水が落ちていて豪快だ。
台地の上にあるレストハウスのすぐ先に駐車場があって沢山のマイカーやバスが停まっている。レストハウスの庭先のベンチで腹拵えをしながら休憩する。
すぐ後に石碑が立っていた。
明治の初期に越後三条の人がこの滝への道を開いたと刻んである。
静かな湯ノ湖西岸歩道から望む対岸の三ッ岳 石碑の脇から葛篭折れの道を登って落ち口に出た。 盛んに水滴が吹き上げているため、眼鏡やカメラのレンズがすぐ曇る。
すぐ先の橋を渡って湯ノ湖西岸の遊歩道に入った。皆対岸の道路を車で往来するため、わざわざこちらを歩く者は少ないようで、40分ほど歩く間に三組の家族に出遭っただけだった。紅葉の時期に歩けば最高に違いない。
ロッジや旅館が集まっている北岸の浜では数組の家族連れが夏休みの最後の週末を楽しんでいた。
時間が早いので温泉寺や源泉地などを見て回ってから宿に行った。
予約してあった民宿は集落の一番奥から二軒目で、スキー宿風の古い建物だった。


8月29日(晴のち曇)
<タイムレコード>: 湯元(6:45)=(送迎車)=金精峠菅沼口(7:00/10)-金精峠(8:15/20)-温泉平(9: 55/10:05)-温泉岳分岐(9:10)-温泉岳(9:25/35)-縦走路(9:43)-念仏平避難小屋(10:30/45)-最低鞍部の先 (11:30/45)-根名草山(12:05/35)-稜線上に戻る(13:25)-石楠花が群生している小ピーク(13:30/40)-日光沢/手白沢 分岐(13:55/14:05)-小休止(14:40/45)-日光沢温泉(15:00)-(15:10)加仁湯

  不思議なもので山に来ると自然に早寝早起きになる。
9時前に寝たおかげで4時過ぎに目が覚めた。  まだ早すぎるのでもう一眠りしたら5時にセットしてあったアラームが鳴った。
  窓を開けてみたら雲ひとつない快晴になっている。 昨日も時どき薄日が射すくらいで最近の天気としては良い方だったのだが直前に一日繰り下げたのは大正解だったという事になる。

白根山菅沼登山口   六時からの朝食を食べたあと諸々の準備を終え、6:45に出発。
スキーをやるらしい若女将が車を走らせながら、こんな良い天気になったのは夏以来始めてだと言う。
昨日の朝も雨で、関西から白根を登りに来ていた人が3泊もしたのに登れず、諦めて次の予定地の榛名山に行ったのだそうだ。
金精トンネルを抜けて群馬県側に入り、ひと走りした所にあるドライブインの手前の角を入った所が白根山の菅沼登山口で、金精峠への登り口もこの辺りにある筈だ。
週日だったが数台の車が停まっていて何人かが白根に向おうとしている所だった。
金精峠入口 丸沼高原スキー場からゴンドラを使って登るルートがポピュラーになったと聞いていたがまだこちらから登る人達も多いようだ。
駐車場のあたりには峠への登り口がなさそうなので国道まで戻り、道の右側に注意しながらトンネルの方に向って歩く。
200m 程進んだ所に立っている樹木にささやかな道標が取り付けてあった。
高い枝には積雪期の目印に赤テープが取り付けてあった(左)。

金精峠道 道はすぐに荒れ気味の沢溝の中に入る。
あまり歩かれていなさそうな割には分かり易く、迷うような所はないが今夏の台風でできたと思われる倒木が詰まっていて通り難い場所もあった。

30分あまり登った所で小尾根を乗り越して隣の沢窪に移ると昔の道形が良く残っていて気分の良い登りになった。
金精峠
  濶葉樹の中を数回ジグザグして峠の鞍部に出た。
距離が長いせいもあって思ったより時間が掛かったが菅沼側の地形は湯元側に比べるとはるかに緩やかで積雪期にはスキーでも登降できそうな事が分かった。
  峠の南側は湯元側が崖になっている金精山があって険しいがこれから向う北側の温泉ヶ岳は至って穏やかな丸みを帯びた形をしている。
金精峠から見上げた温泉ヶ岳   まわりには誰もいない。
こんなに天気が良いのに登って来る者がいないのは週日のせいでもあろうが、今時はみなアルプスの方に行っているのだろう。
温泉ヶ岳への登路は湯元側の急峻な地形を避け、尾根の東側の混交樹の中をジグザグを描いている。
樹木に視界を妨げられているが時々尾根の上に出ると湯元方面への展望が開ける。 高度が上がると金精山の後ろから現われた白根山が次第に大きくなって行き、最後は周りの山を圧する堂々たる姿となった(トップページ)。
傾斜が緩んでくると間もなく湯元からの尾根の頭になっている2270m 台の小ピークに着く。
温泉ヶ岳の頂上 頂上の北側を通って行くと温泉ヶ岳の肩にあたる平坦地がある。
多分このあたりが温泉平と呼ばれているのではないかと思って休憩に良さそうな場所を捜しながら進んで行くと道の左側に温泉ヶ岳へ10分と記した手製の表示板があった。
今回参照した案内地図や2万5千分1地形図には温泉ヶ岳頂上の様子に関しては何も記されていなかったこともあって登頂を特に意識してはいなかったのだが縦 走路から頂上までの標高差は精々50m 程しかない。 折角ここまで来たのだから立ち寄って行くことにした。
プ レートの脇から笹薮の中に入って見ると膝上位の姫笹の中に割合明瞭な踏跡がある。 傾斜はそれほどきつくはないがアッと言う間に笹の葉の朝露が ズボンの中に沁み込んできた。 頂上真近かと思われるあたりにある密生した針葉樹の下で笹がなくなったため踏跡が分かり難く、一時的にルートを 踏み外したが間もなく復帰した。 水溜りのある小さな窪地の脇を擦り抜けて三角点標石のある頂上に着いた。
笹と潅木に囲まれた奇麗な所で、山名プレートが立ち木に掛けられてある。 雲が出てきて離れた山は分かり難くなっていたが東の太郎山、女峰山から高原山、日留賀岳、荒海山などを経て田代山、帝釈山辺りまでへの展望が広がっている。

真北の手前には縞枯れ模様の原生林に被われた膨大な平頂があり、その左肩に根名草山と思われるピークがチョコンと頭を出している。
北八ヶ岳と似た雰囲気を漂せているう森林の山並みだが人の気配は全く感じられず、原始の匂いが強い。
むかし、あのあたりを猟師が通るとき、念仏を唱えながら歩いたため、"念仏平" という地名ができたと案内書に書いてあったのを思い出し、さもありなんと納得した。

温泉ヶ岳頂上から女峰山を望む 真北の手前には縞枯れ模様の原生林に被われた膨大な平頂があり、その左肩に根名草山と思われるピークがチョコンと頭を出している。
北八ヶ岳と似た雰囲気を漂せているう森林の山並みだが人の気配は全く感じられず、原始の匂いが強い。
むかし、あのあたりを猟師が通るとき、念仏を唱えながら歩いたため、"念仏平" という地名ができたと案内書に書いてあったのを思い出し、さもありなんと納得した。
根名草山への縦走路は膨大な原生林の中だ
温泉ヶ岳頂上から念仏平、根名草山方面を望む

予約をした時の約束に従って加仁湯に確認の電話を掛けた。
本当は日光沢温泉に泊まりたかったのだが宿泊日を繰り下げようとしたら女将さんの応対が妙に意地悪で、山を歩くのに天気を気にするような人は泊められませんと言う理不尽な断り方をされた。
加仁湯の電話に出た若い男は、"今の時間にそこにいるなら楽勝ですね" と言う返事だったが "天気が良いのでゆっくり歩いてゆきます" と告げてせっかくの好天の山をゆっくり楽しむ段取りをした。

マイナーであまり注目されない山だが紅葉の時期など季節を選んで登りに来ればここだけても充分に満足できる位の価値のある好ピークだ。
温泉ヶ岳の捲き道から切込湖/刈込湖、太郎山 思い掛けなく巡り会った大展望を存分に楽しんだあと縦走路に戻る。
下りは嘘の様に楽で、登りに15分掛かった所を7,8分で降りてしまった。

温泉ヶ岳の南肩から東へ回りこんで行くと右下に刈込湖と切込湖が見えてきた。
ふたつの山の狭間に出来た水溜りである事がよく分かる。
その先には山王帽子山から太郎山が立ち、さらにその背後に女峰山から赤薙山への連なりがある。

  捲き道が終わった所に緩やかな笹の鞍部があった。 白樺見晴しと呼ばれているという事だが和やかな雰囲気の漂う良い休み場だった。
モミ、ツガの林立する暗い林の中に分け入り、ふたつ三つの小ピークを越してひと下りした所に念仏平避難小屋があった。
幅5m x奥行き4m 程のこじんまりした小屋で、外見はかなり古びているが内部は割に奇麗で二段の蚕棚になっている(下右)。
三、四枚の毛布のほか寝袋まで置いてあって充分使用に耐える状態だ。  すぐ近くに水流がある。 周りの環境は素晴らしく、食料や燃料を担ぎ込めば最高の泊まり場になるだろう。
念仏平北方の2326m 平頂肩の広大な枯木林
念仏平の枯れ木林から望む奥白根山

白錫尾根 さらに進んで行った所からは白根山から錫ヶ岳の方へ連なる、所謂白錫尾根が見えた(左)。
日光周辺の山もあらかた登った形となり、残っている大物は錫ヶ岳と皇海山の二つという事になった。
皇海山の方は百名山ブームで混んでいるのが嫌だ。
登りに行ってみたが大した山ではなかったと、袈裟丸山で遭った栃木のベテランから聞いたことがあったりしてあまり意欲を持てないが錫ヶ岳の方は何とか工夫して登ってみたいものだ。
根名草山頂上 大きな平頂を越すのに大分時間が掛かった。
最高点の右横を通過して下りが始った道端に古い道標プレートが置いてあった。
文字はほとんどかすれ、僅かに "日光 ..." と "鬼怒 ..." と言う部分だけが読み取れた。
最低鞍部の少し先の風通しの良い所で小休止したあと、ひと登りで三角点標石のある根名草山頂上に着いた。
西側半分は樹木に視界が妨げられていて群馬県側は見えない。
わずか数m だが標高も温泉ヶ岳より低くて一歩を譲っているがなかなか気分の良いピークだ。

  東側の高みの端に立つと尾瀬の燧岳から会津駒ヶ岳、三岩岳方面への稜線とその手前側を横切っている鬼怒沼、黒岩山から帝釈山、田代山への連なりが良く見える。
鬼怒沼は茶色になっている。 もう草紅葉になっているのだろう。  以前湿原の奥手にある避難小屋に泊まって、黒岩山、赤 安山から尾瀬に抜けたことがあるが天気が悪くて終始霧と雨の中を歩く事となり、小屋を探り当てるのも簡単ではなかった程だった。
明日もし天気がよくなったら再訪して周りの山がどんな風に見えるのか眺めてみたいと思うのだがどうなるだろうか?
  腹拵えをしながら最後のピークをゆっくり楽しんで下山に掛かった。
地形図やガイドマップの記載から、北隣の大嵐山との鞍部から5,60m 登りかえし、頂上直下を通り抜けて行くのだと思っていたが実際のルート は違っていて2240m 台の鞍部より50m 以上も低い所まで下降し、大嵐山頂上直下から発しているガレを横断(下左)、さらに降 り気味に進んで二本目のガレを横切る。
道の付替えは大分前に行われたようでシッカリ踏まれ、新しい切り口の藪払いの切り株もある。 さらに進んで、もう少しで大嵐山の北尾根上に出られるのではないかと思いだした所に三番目のガレ場(下右)があった。
これは新しい崩壊のようで倒木が散乱し、土交じりで堆積した岩石が不安定で歩き難かった。
このルート唯一の要注意ポイントで、固定ロープが張ってあった。 最近の大雨で崩壊が進んだようで、ロープはまだ新しいのに頭のはるか上になってとても手が届かない。
最初のガレ場 三番目のガレ場が最も不安定で固定ロープも遥か頭上で手が届かない
日光沢、手白沢分岐点を示す道標   対岸の林の中に入って進んで行くと間もなく尾根上に出た。
暗い針葉樹林から解放されて視界が広がり、雰囲気が明るくなる。
標高2000m 弱の小ピークがあってシャクナゲが群生していた。

小休止のあと鞍部から緩く登って1972m の小ピークを越して行くと日光沢への道から手白沢温泉/加仁湯への道が分岐する地点に着く。
ここに立っている道標は金精峠からこの方初めて見る立派な物だ。
道標の前に腰を下ろして休みながらどちらの道を下ろうかと考える。
 癪に触る言い方で宿泊を断られた日光沢を通るのは止めようかとも思ったが、明日天気がよければ通る事になるのだし、ひょっとして意地悪女将に出遭えたら皮肉のひとつも言ってやりたいような気もしたので日光沢に下る事にした。
谷底への下りの最後の部分はかなりの急斜面だったが丁寧に刻まれたジグザグ道が歩きやすかった。 時どき問題を起こす膝まわりの筋もご機嫌が良かったが、あと一息という辺りでちょっと立ち止まって休ませてやる。
小さな野菜畑の横を過ぎるとすぐに日光沢温泉の建物が見えてきて前庭に降り着いた。
金曜日のせいかいくらかは客がきているようだったが女将さんの姿は見えなかったのでそのまま歩き過ぎる。
約10分で加仁湯に着いた。
ここは女夫渕との間に送迎車を走らせているため大勢の行楽客が来ていて、すっかり下界の雰囲気になっている。
露天風呂で汗を流したあと、暫く休んで広間に夕食を食べに行く。 お膳の数から本館だけでも55人程が泊まっているようだった。 新館も合わせれば全部で100人位の客があったらしい。
なかなかのご馳走だったが食べ過ぎて下痢をした。


8月30日(曇り時々小雨)
<タイムレコード>: 加仁湯[9:00]=(送迎車)=[9:15]女夫淵温泉[9:50]=(栗山村営バス)=[11:25]鬼怒川温泉駅[11:42]=[13:54]北千住[14:07]=[15:20]宮崎台

  天気予報の通りで曇り時どき小雨のパッとしない天気になった。 本当に今年は好天が続かない。
鬼怒沼へ行くのは中止し、9時の送迎バスで帰ることにした。 中型バスに全員が乗り切れず、もう一台小形が増発した。
女夫渕で村営バスへの乗り継ぐ。 三十分以上もの待ち時間があったのでカフェテリアからコーヒーをテイクアウトし、あたりを見て回りながらチビチビ飲む。 出発前の準備でウッカリして補充しなかったため、カフェイン切れになっていた。

  帰りの電車は北千住まで来てから東急線中央林間行きに乗り換えた。
少々待ち時間があったのであたりの様子を見る。
ホームにコンビニがあるのここで乗り継げば食料などの物資の調達ができて便利かもしれない。


☆おわりに
   ミニ縦走だったが誰もいない奇麗な原始林の中で一日を過ごせて大いに満足した。
最大の収穫は温泉ヶ岳の頂上で、登りやすく、美しく、素晴らしい展望に恵まれている稀な好ピークだった。