阿武隈霊山、奥久慈岩稜および篭岩 (2003.10.26-29)




☆期日/山行形式:
2003.10.26-29 公共宿泊施設、旅館利用 単独

☆地形図(2万5千分1):
霊山(福島6号-1)、大中宿(白河12号-2)

☆山行のあらまし
    山の紅葉は9月から見て来てはいるが、秋も深まったこの時期に "本格的な紅葉見山行" をしてみようと思った。
  紅葉が良いのは東北の山だ。 飯豊や朝日に行けば最高なのだが体力的に少々厳しい。 天気の悪い秋山でバテたりすれば、紅葉を愛でるどころの話ではなくなる。 それに折角出かけるのだから今まで登った事のない山へ行ってまだ見たことのない山岳展望を楽しみたい。
 小さ目の山でルートとしての面白味があり、しかも奇麗な紅葉が見られそうな所を物色した結果、阿武隈北端部の霊山と奥久慈男体山の南にある奥久慈岩稜とを組み合わせた山行計画を組み立てた。
  夏以来尾を引いている "雨癖" が気になるので予備日を一日設け、状況によっては奥久慈南端部の篭岩ルートも歩いて見ようというプランにした。
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霊山の紅葉

#  上の写真で見てのとおり、霊山では紅葉のピークと秋晴れに巡り会え、岩峰群を彩る紅葉の眺めを堪能した。 背景に連なる、安達太良、吾妻、蔵王など、思い出深い山々への展望も楽しんだ。
  歩き始めたのが月曜日の朝早くからだったので始めのうちは山が静かだったが下山ルートに入った頃から登ってくる人が多くなって、最後に登山口の駐車場に出る頃は切れ目なしの人の列と擦れ違う状態となった。 ルートの整備は行き届き、時どき出かける藪山に比べると、"山登り" ではなくむしろ "公園散歩" と言った方が当っていると思ったほどだった。

  奥久慈の方でも紅葉が始まって、奇麗になっていたが、天気は芳しくなかった。
初日は天気がが悪かったので日程を入れ換え、篭岩ルートの方に行ったのだが小尾根の急登の途中から本降りとなった。 雨は時間とともに強まり、一時は篠突くとも表現できる程となったが、篭岩基部テラスの岩室や、その先やつつじヶ丘にあった東屋に助けられてあまり濡れる事もなく歩き終えた。 #

奥久慈岩稜の紅葉
古分屋敷から望む奥久慈岩稜核心部側壁の紅葉。

# 幸いにも最後目は天気が持ち直し、今回の山行のうちでは最も中身のある奥久慈岩稜ルートのトレースができた。
  この日、朝のうちは霧が濃かった。
釜沢越で稜線に上がり、頂稜を歩き始めて暫く経ったところで霧は晴れたが間もなく寒冷前線の影響が現われて風が吹き出し、雲行も不穏となった。 パッとしない天気のため、ユックリ展望を楽しみながら歩く気分にはなれかったので大円地越よりひとつ手前の鞍部の小草越から下降した。
  数年前にここを下降した記録を見ていたし、下降点に立っている道標には古分屋敷まで25分と記されていたので選択したショートカットだったのだが沢ルートの下半分が荒廃していたせいで思わぬ苦労をし、1時間近くも掛かってようやく大円地集落の廃屋の裏庭に脱出した。
  思わぬトラブルに遭ったこともあって久し振りに手ごたえのある山歩きとなったが、その余韻を引きながら山里の道を歩いているうちに天気の方は回復し、古分屋敷の道端で昼休みをしているうちに日が射してきた。 歩き抜けてきたばかりの岩稜核心部側壁を飾る紅葉が美しかった(上)。




☆行動記録と要所の写真

[1] 霊山

10月26日
<タイムレコード>:
宮崎台[7:06]=渋谷=新宿[8:00]=(ハイウエイバス アブクマ1号)=[13:15]福島駅東口[13:35]=[14:21]掛田駅前[14:36]=[14:55]行合道=[送迎車]=霊山こどもの国{紅彩館}
かつて鉄道駅だった掛田駅バス停
  もう時間的な拘束はうけていないのだからユックリ山旅をと割り切り、初日は霊山山麓にある町営宿泊施設: 紅彩館まで行って泊まるだけの行程にした。

  初めて東北道ハイウエイバスを利用した。
ハイデッキボディの座席は視点が高くて眺めが良く、次々に姿を現す沿線の山々への眺めを楽しんだ。
  福島でローカルバスに乗り継いで掛田駅前に行った。 掛田駅は廃線になった鉄道の駅舎を利用したバスターミナルで、玄関の上に旧漢字で駅名を書いた看板が掛かっている(左)。
霊山 紅彩館
  霊山町内で運行されている "生活路線バス" で最寄の行合道に行く。 均一料金で何処まで乗っても200円だ。  バスから降りるとすぐに送迎車が来た。 僅かな距離を走って紅彩館に着いた。

  紅葉の季節の日曜日という事で、前庭には沢山の車が止まっていた。
  玄関ホールもごった返していたが宿泊室のある二階は人気がなく静かだった。
  土曜の夜は満員だった筈だが既に皆帰ってしまったようだった。
虎取山 -紅彩館の窓から
  南に面した窓から虎取山が見えていた。
ゆったりした輪郭の山で、紅葉の山襞が傾いた日を浴びて絶妙な模様を描いていた(左)。


  ひと休みしたあと外に出た。
すぐ上に駐車場があってその先に霊山の岩峰群が並び立っていた(下)。
地元の人達が道脇に露店を並べ、さまざまな農産物を売っていた。
夕日に輝く霊山


10月27日
<タイムレコード>:
紅彩館(8:00)-登山口(8:05)-見下し岩(8:25/35)-望洋台(9:00/12)-霊山(東物見岩)(9:25/35)-霊山城址(9:40/50)-護摩壇(10:00/10)-天狗ノ相撲場(10:15/20)-(10:50)紅彩館[11:50]=(Taxi)=[12:05]掛田駅前[12:30]=(バス)=[13:16]福島駅[13:40]=[14:27]郡山[15:54]=[17:57]西金(18:01)-(18:20)湯沢温泉{湯本屋}
霊山の一般ルートは遊歩道として整備されている

  雲ひとつない澄み切った青空の広がる朝になった。
早めに用意してもらった朝食のあと、腹が落ち着くのを待って山に向う。
  林間の道には朝日が差し込んで明るい。
すでに紅葉はピークを過ぎ、落葉が進んでいる(左)。

穴が開いている弘法突貫岩
  見下ろし岩の先で右に分岐し、望洋台に向う。
日暮岩、弁天岩など色々あったが長居はせずに先を急いだ。
  道端に弘法突貫岩と言う看板が立っていた。
深い丸穴が幾つかあいている不思議な大岩だった(左)。

  稜線に到達した所で左に曲がると望洋台で、東方への視界が開けていた。
ほぼ北の方角が視野の左端で、紅葉に被われた霊山の東斜面の先の方に双子峰が見えていた。  持っていた20万分1地形図の範囲外で同定ができなかったがあとで調べたら蔵王だった(下左)。
  東の正面は相馬市で、その先は海の筈なのだが雲霞に被われて定かでなかった(下右)。
望洋台から北方を眺めると蔵王らしい山が遠くに見えた 望洋台から東方を望む。 鹿狼山の先は海か?

  北に延びている稜線に入るとすぐに蟻ノ戸渡りと呼ばれる岩稜があったが危険というほどの事もなく、すぐに林間に入った。 真近かに険しい岩場があるなどとは考えられない穏やかな道になった(下左)。

  "学問岩" の脇を通り過ぎた所で5m 程の露岩の鎖場を登ると東物見岩の上に出る。
霊山最高点と記した道標が立っている広場で眺めが良い(下右)。
頂稜はゆったりした地形になっている

  また元の道の戻って林間の道を進む。
日枝神社、霊山寺跡方面への分岐を見送るとすぐに霊山城址に着く。
広広した草原でベンチまで置いてあり、奥手には石碑が立ち並んでいた(下左)。

  ひと休みして下山ルートに入る。
国士舘跡を過ぎた所にある岩場を急に下り、左に折れ曲がって行くと護摩壇だった(下右)。
岩室のあるテラスで崖縁に設けられた柵に寄ると、西から南にかけての展望が素晴らしかった。
霊山城址の広い草原 護摩壇

  阿武隈山地は老人の肌の皺のように細かな谷溝が沢山刻まれている。
遠くの方には安達太良から吾妻ヘの山々の連なりが見えている。
何度も訪れ、色々な思い出のある山々だ。
視界の右端に望洋台から見えた双子峰が見えた。
どうも気になるので居合わせた熟年ハイカーに聞いてみたが捗々しい返事は得られなかった。

  護摩壇から暫くは断崖の中間を横切るテラス状の所を歩くようになる。
親不知子不知と呼ばれている難所もあったが崖淵に柵が設けられ、人が擦れ違うのに苦労しない位の幅があるので安心して景色を楽しめる。
護摩壇の展望 遠くに安達太良と吾妻
岩峰上に大勢のカメラマン達が出ていた

  林間に入り、"水飲み場" と記した看板の立つ小沢を横ぎった所に天狗ノ相撲場への入口があった。
  巌上に出てみると国司沢奥壁の紅葉が奇麗だった。  見晴らしの良い巌上に老カメラマンが三脚を据えていた。 ひと言断ってその横手に入り、デジカメと645判機の手持ちで撮らせてもらった。

  もとの道に戻り、少し進んだ所から振り返ると紅葉の谷の中の巌上に大勢のカメラマン達が出ているのが見えた(左)。

  このあと紅彩館までは幅広の良く整備された道を下るだけだった。
進むに連れて下からくる人の数がドンドン増えて来て駐車場の手前では途切れない行列になった。
駐車場は大形バスまで来ていて一杯になっていたが、さらにその下の車道にも車が切れ目なく並んでいた。

  11時過ぎと思っていた心積りより早く、10時台に紅彩荘に戻った。
出がけに頼んであったタクシーが来るまで1時間あまり余裕がある。 日帰り入浴客の休憩スペースが空いていたので休憩しながら飲み食いをし、奥久慈への旅に備えてパッキングをやり直した。

  掛田発12:30のバスに乗って福島に戻り、奥久慈に向った。
水郡線の西金駅まで、郡山での1時間半を越す待ち時間も含めて、5時間半にもおよぶ長い鉄道の旅だった。

  西金駅から湯沢温泉まで、久し振りにライトを点けて真っ暗な道を歩いた。
宿に着くとすぐにテレビを点けて天気予報を見た。
明日は暖気が流入して雨になるだろうと言う。 日程を入れ換え、奥久慈岩稜は最終日に回すことにした。


[2] 湯沢峡谷-篭岩-つつじヶ丘

10月28日

<タイムレコード>: 湯沢温泉(8:55)-釜沢越分岐(9:28)-駐車場(9:50)-不動滝(9:55)-篭岩/源流分岐(10:10)-篭岩(10:25/35)-展望台/東屋(10:40)-上山(ウヤマ10:45)-つつじヶ丘(11:120/45)-釜沢越分岐(12:00)-(12:30)湯沢温泉{湯本屋}

  計画を変更して最終日に予定していた湯沢渓谷から篭岩へのルートを歩くことにした。
正味3時間半ほどのショートルートだし、途中で降り出したら回れ右をして帰って来れば良い。
空模様を見ながらユックリ朝食を食べ、9時近くに出発した。

  入湯沢の谷は穏やかな地形で、そこここに人家が散在している。
釜沢越への分岐を見送ると間もなく右手の山腹に大きな新しい寺の建物が見えて来た。  本覚寺と記された寺への階段の筋向いに駐車スペースがあり、その脇からつつじヶ丘への舗装車道が分岐している。

  
不動の滝
  正面の谷奥に見えてきた篭岩山を見ながら進んで行くと新しいスーパー林道を横切る十字路がある。
  道路の向かい側に湯沢渓谷/篭岩ルートへの入口を示す道標が立っていた。

  民家の脇を通って谷に入るとすぐに不動の滝に着いた。
石鳥居があって右手の岩壁の上の方から細い水流が落ちている(左)。
不動の滝の上はゴルジュが続く
  滝の左手の細く際どい捲き道を登り、ワイヤーロープに助けられて滝の上に出た。
  滝上の沢は狭い岩溝状になっている。 歩き易くはないが水量が少ないので助かる。 際どい所には鎖やワイヤーロープが取り付けられていた(左)。

  霧が立ち込め、時どきパラパラ降るようになって来た。 暫く進んで小尾根を乗越した所に道標が立っていた。
  直進すれば抱き返しの滝がある湯沢源流地帯だが崩壊のため進入禁止と記したプレートが掲げてあった。
  篭岩へ1.1Km と記した道標に従って右手の急な小尾根に上がる。
  始終両手を使わなければならないような登りで鎖場も多い。
篭岩の岩室テラスで雨宿りをした
  急に雨の音が高くなったがここまで来て引き返す手はない。 雨具を出すためにザックを下ろせるような所もないまま、早く難場から脱出しようとピッチを上げた。
  色付きはじめたばかりの濶葉樹の葉が傘になってくれたおかげで雨音が大きかった割には濡れ方が少なかったのは幸いだった。
  上着のシャツがシッポリして来た頃、上の方に鉄桟道の手摺が見えた。 鎖に掴まって尾根の裏側へ乗越した所が岩室になっていて格好の避難所になった(左)。

  岩室で休んでいるうちに雨が幾分弱くなった。 ザックから出した折畳傘をベストの懐に入れて立ち上がる。
  桟道を渡った所に篭岩上段への鉄梯子が掛かっていたが雨の中を登ってみても何も良いことはなかろうと思い、そのまま進んだ。
  すぐに展望台に出た。頑丈な手摺に囲まれた 4m 四方ほどの鋼製プラットホームだ。
  霧が立ち込め、あたり一面墨絵の世界になっていた(左)。
  展望台の後側に東屋があり、その後に篭岩山へのルートがある。 この雨の中では様子見をする気にもなれない。
西金駅、竜神峡-山方駅への道標
  すぐに舗装車道に出た。 角に道標が立っていて、上山(ウヤマ)集落の畑の縁に沿って行けば、つつじヶ丘/竜神峡に出られると記してある(左)。
 今登ってきた崖のすぐ上とは信じられない穏やかな地形だ。 車道を直進すると遠回りになりそうなので右下の畑の間の道に降り、窪地の向かい側の奥手の人家の方に進む。
  玄関から覗き込んだら老夫婦が炬燵でテレビを見ていた。
 「こっちからつつじヶ丘に行けますか?」と聞いたら、「前の道をちょっと行けば降り口があるよ」と、教えてくれた。
つつじヶ丘の東屋でも雨宿りした
  30m ほど進んで杉林に入った所に "つつじヶ丘/西金駅" と記した道標があった
杉林の中の急斜面を葛篭に下って尾根に乗り、暫く進むと舗装車道が見えてきた。
セメントで固めた階段を下りた道路の向かい側に "つつじヶ丘" への入口を示す道標が立っていた。
  車道から200m 程進んだ所で左に上がると尾根の上に金属製東屋が立っていた(左)。
  また雨が強くなっていたのでこれ幸いと屋根の下に入って雨宿りをする。
雨と霧に霞む男体山-奥久慈岩稜
  湯沢入谷を隔てた正面に奥久慈の岩山が連なっている。
一番奥が男体山だ。 角張った三角形の姿には僅か660m 足らずの低山とは思われない風格がある(左)。
  腹拵えをしているうちに雨が止んできた。
東屋の僅か先に "湯沢、西金駅" と記した道標が立ち、歩道が分岐している。
  すぐに細い舗装車道に出た。 本覚寺の建物が立ち並んでいる間を通った。 どの建物も大きく立派だが、人が出入りしている形跡がなく、出入口に草が生い茂っている。 一帯どういう素性の寺なのか不審に思った。
  雨が小止みになったお蔭で湯沢入谷の帰り道はノンビリ散歩になった。
午後の早い時間に宿に着き、ユックリ温泉に使って汗と疲れを洗い流した。

  午後遅くからまた降り出した雨は、強弱を繰り返しながら降り続き、一向に止む気配がない。
翌日がどうなるか不安になったが、夕方のテレビは天気は間違いなく回復基調で、明日は朝のうち俄か雨が降るような事があるかも知れないが、次第に晴れてくるだろうという予報を出していた。
  念願の奥久慈岩稜ルートをトレースして帰るべく、朝食を早めに用意してくれるよう頼み、パッキングを済ませて早寝した。


[3] 奥久慈岩稜(釜沢越-鷹取岩、入道岩-小草越-大円地/古分屋敷)
10月29日
<タイムレコード>
: 湯沢温泉(7:35)-釜沢越分岐(8:05)-登山口(8:25)-小休止(8:35/40)-釜沢越(9:00/05)-鷹取岩(9:55/10:10)-小草越、古屋敷下降点(10:50/55)-(沢の下部ルート不明)-大円地(11:50)-古分屋敷の峠(12:00/40)-弘法堂入口(12:50)-湯沢温泉(12:30/14:00)-(14:20)西金[15:52]=[16:55]水戸[17:09]=[19:18]上野=三越前=宮崎台
釜沢越付近の頂稜   生暖かい朝になった。
雨は止んでいるがあたり一面霧が立ち込めている。 テレビの天気予報は昼前に寒冷前線が通るため、一時降る恐れもあると告げていたが昨日のような長時間の雨にはならなさそうだ。

  昨日歩いた道の途中から左に分かれ、佐中部落に通じる道を上がって釜沢越に向う。 小高い所に上がると前方に釜沢越付近の頂稜が見えてきた。
登山道
  車道の脇に立っている道標の所から山道に入る。 すぐに尾根の上に乗り、よく茂った濶葉樹林の中に入る(左)。
  霧がなければ少しは周りの眺めが得られるのだろうが天気の回り合わせは如何ともできない。 歩き出して1時間ほど経った所にやや平坦な場所があったのでザックを下ろす。

  昨日もそうだったが今日もあたりに人気がなく、静まり返っている。
霊山のように混雑している山は少ないにしても、この頃はポピュラーな山に行くとウイークデイでも熟年者や女性の姿を見かける事が多くなった反面、ちょっとでも "盛り場" から外れると誰にも遭わないことが多い。
  場所による格差が極端に開いて、"山の過疎化" とでも言うべき状況が現われてきているように思われる。
  休憩地点からひと登りすると尾根の左側に入る。 やがて露岩の裾を捲くとザレた足場の悪い急斜面になる。 不規則に折れ曲がりながら登り上げて行った所が釜沢越の鞍部で、杉林の中に道標が立っていた(下左)。
  尾根を乗越して直進すれば篭岩/不動滝へ、左に折れて北に向えば古分屋敷/鷹取岩に行けると示している。
後者が所謂奥久慈岩稜と呼ばれている縦走ルートなのだがかつて山岳宗教の修行場だった名残りで入口に石の灯篭と祠がある(下右)。
去来する霧の中でひと息入れながら祠を拝んで山の安全を祈った。 
釜沢越 釜沢越の祠
奥久慈岩稜の紅葉


  まず乗越のすぐ北にある466m 峰の肩まで高度を稼ぐ。
稜線上では紅葉がかなり進んで奇麗になっている(左)。 
この山域全般の地形的な特徴で、頂稜の東側は急峻な崖になっているがその裏の西側は緩斜面になっている。 縦走路も大部分尾根の西側を通っている。

  ただし、阿武隈と同じ様に地形が細かく入り組んでいて尾根が複雑に折れ曲がっているため、所どころで折り返すような感じで鋭角的にルートが曲がっていて面食らう。

  右下に沢を見下ろしながら暫く歩いたあと、やや急に登ると前方が開けてきて、鷹取岩頂上の一角に出た(下左)。 
鷹取岩は切り立った岩峰で稜線の西側に突き出しているため広角度の視界が得られる。
北隣の入道岩とその後に立っている男体山の眺めはなかなかの物だったが、晴れてきた霧と入れ代わるように寒冷前線の影響が出てきて大気が濁り、雲も掛ってもうひとつだったの残念だった(下右)。
鷹取岩頂上 入道岩と男体山
左側が切れ落ちた岩稜
  途中に鎖場もある急降下で鞍部に降りたあと、急登して入道岩へ登り返す。
崖縁の露岩の上を歩く事が多くなる。
特に危険な所はないが、左側がすっぱり切れ落ちているため高度感がある(左)。

  寒冷前線の影響は強まって落ち着かない感じの風が吹き、雲行きも不穏になった。
岩峰の間に古分屋敷への下降点を示す道標が立っていたが入口のすぐ下がザレ場の急降下で踏み込むのはちょっと躊躇われる。
男体山が近付いてきた
  入道岩を越したあと、三、四回登降を繰り返すと山の左側の斜面をトラバースするようになる。
ここはこの山域では珍しく、西斜面が崖になっていない。
  前方に男体山が近付いてきた。
下の谷の地形も緩やかだ。
この先の小草越から下降すれば谷の出口に見える集落まで問題なく下ってゆけそうに思われた。
小草越えに立つ道標
  笹で被われた小草越の鞍部に道標が立っていた(左)。
25分で古分屋敷に下れると記してある。
入口は笹が被っていたがすぐに明瞭な踏跡に乗った。 少し下った所に5、6m ほどのスラブを下る所が出てきてちょっと困ったが足許を見ると鎖が取り付けてあるのが見付かり、難なく降りることができた。
小草越下降路   
  谷窪のゴーロ状の所を下ってゆくとまたスラブが出てきた。
全部で25m ほどあったが二本連ねて取り付けてある鎖で降りた。

  下るにつれて倒木や積み重なった岩塊で徐々に混沌としてきたが要所にコースサインがあったお蔭であまり迷う様もなく、順調に下り続けた。

  中ほどを過ぎて谷が開けてきたあたりから荒れ方がひどくなり、コースサインも殆ど見えなくなった(左)。
  谷の大半を降りて下の方に集落の畑の上部と思われる草原が見えたあたりで杉林に入ったがこのあたりから一段とルートファインディングが難しくなった。

    本谷の滝場を捲いて左にトラバースし、左下に枝沢を見ながら小尾根を下ってゆくと本谷との合流点の上にある7、8m の滑滝の横手で小尾根が終わっていた。  地形的に右手に逃げる事はできなさそうに見えたので蔓と藪を頼りに強引に滝下まで降りた。
  この下はここ数年の間に出た大水の後遺症らしい倒木と土砂でまったくルート不明となった。
まわりの様子を窺いながら慎重に下っていると左手の山腹を横切ってゆく踏跡が見付かった。 記録には右にトラバースすると記されていて、方向が反対なので偵察の積りで少し先まで行ってみたが、少しずつ登って行く感じでこちらからは山を降りられないと判断して元に戻った。
  かなり困った状態になったがもう人里が近い事は確実だし、何よりも人が植えた杉林の中に居るのだから何とか下れる筈だと考え、流れの近くを強引に下っていると竹が混じった濶葉樹林になった。 切り倒されて間もない竹が2、3本あって出口がすぐだという事が分かった。  滝場をかわして右手の斜面を下って行くと藪の中にウッスラした踏跡が見付かった。
 突然林から飛び出し、2軒の廃屋を見下ろす草の斜面の上に出た(下左)。
軒下まで降りた所で今出てきた方を振り返って見たが道形は全く分からず、林のどこから出てきたのかさえ定かでないほどだった(下右)。

谷の出口の二軒の廃屋 荒廃した小草越ルートの出口
古分屋敷の風景
    家の脇を通り抜けると舗装車道で、向かい側の草地に右手の方に登って行けば男体山だと指示する道標が立っていた。
車道を左に進むとすぐにトンネルがあり、その手前で左に分かれて大円地越の峠に上がる。
尾根を乗越す所にも道標が立ち、左右に人家がある。
  T字に合流した道の縁から今日歩いてきた岩稜の中心部が一望できる。
谷の下手に見える古分屋敷の集落が良い雰囲気だ(左)。
  自販機で買ったジュースを飲みながら腹拵えをしていると日が射してきた。 岩壁を飾る紅葉が奇麗だった。
鷹取岩と入道岩
    たっぷり休んだあと谷の下手に向って歩きだした。
弘法堂入口付近まで進んだ所から見上げると鷹取岩、入道岩が聳え立っていた(上)。
少々トラブッたがまだ時間が早いし、天気もよくなって来たのでノンビリ山里散歩ムードで湯沢温泉に向う。

  もうすぐ湯沢という所で沢の対岸に園地があった。
30m x100m 程の広さの所に同じ種類の木が立っていたので何かと思ったら明治神宮と関係のある漆の木にちなんだ園地だと記した看板があった。

  湯沢温泉の宿に戻り、ユックリ温泉に入ったあと西金駅に行く。 列車本数が少なく1時間半も待つこととなったが、ここから水戸経由の帰路は近く、普通列車の乗り継ぎでも程よい時間に家に帰り着くことができた。


☆おわりに

  霊山と奥久慈岩稜とは南北に約120Km 隔たっている。
双方とも低山で標高差は精々200m 程しかない。
写真に見る紅葉の差は水平距離による紅葉時期の相違と思って間違いなさそうだ。
山登りをしていて以前から高さによる紅葉時期の違いは実感していたが今回は南北水平距離100Km で紅葉時期に1週間あまりもの相違があることを初めて実感した。