☆期日/山行形式: 民宿、山小屋利用 4泊5日 単独
☆地形図(2万5千分1): 新子(和歌山2号-3)、洞川(和歌山3号-1); 大台ヶ原(伊勢15号-4)、
大杉峡谷(伊勢15号-2)、宮川貯水池(伊勢15号-1)
☆まえがき
十月初めの週末に京都で同窓会があった。
ここ5,6年ほどの間、関西方面へ出かけた時には、帰り道に立ち寄り山行をするのを習いにしている。
比良、鈴鹿をはじめ、伊吹山、能郷白山などはこのようにして登ってきた。
残っている山域で筆頭の大物は大峰と台高だ。 部分的でも縦走をしてみたかったのだが既にシーズンオフになっていて少数の山小屋を除いて山上の宿坊は皆、閉ざされてしまうことが分かった。
今回はこの山域への初山行なのであまり欲張らず、軽装備で目ぼしい所を歩いて山域の様子をさぐり、次回の山行のための "山勘"
を養う事にした。
色々な選択肢を検討したが、洞川温泉(845)を足溜まりとし、山上ヶ岳(1719.2)と弥山(八経ヶ岳
1914.6)頂上へのピストンを行なったあと、大台ケ原(1585)から大杉谷に下降し、桃ノ木小屋(490)での宿泊を経て伊勢側(松坂)に下山、名古屋経由で帰ることにした。
残念ながら夏以来の "雨癖" から脱け切れず、冷雨を衝いて山上ヶ岳には登ったものの、近畿の最高峰として楽しみにしていた弥山(八経ヶ岳)はギブアップ、一日早く大台ケ原へ向う事となった。
霧雨に煙る大台ヶ原は盛りに近付いた紅葉が奇麗だったが日出が岳からの展望には恵まれず、僅かにバスの車窓から大普賢岳を始めとする大峰連峰を眺めただけで終わった。
四日目も天気は捗々しく回復せず、五里霧中の日出ヶ岳から粟谷小屋へ下降。
今にも降りだしそうな雲に覆われた大杉谷を下って桃ノ木山の家に入った。
珍しい事にこの小屋で同宿した5人のうち、4人までが外国から来た若者達だった。
神戸から来た中年女性のほかはイギリスとニュージーランド人がそれぞれ1人ずつ、あとの2人がフィンランド人と言う組み合わせで、思い掛けない所で異文化交流をする事となった。
幸い最終日は秋晴れになった。 陽光に煌めく豪壮な大滝の眺めを楽しみながら宮川湖へ下り、大杉から大台へ出て、松坂、名古屋経由、一日掛かりで帰宅した。
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☆行動記録と写真
10月5日
<タイムレコード>: 京都[14:43]=(近鉄京都線)=[14:56]橿原神宮[16:17]=(近鉄吉野線)=[16:42]下市口駅[18:15]=(バス)=[19:33]洞川温泉{民宿五代松荘} |
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近鉄吉野線下市口駅から延々一時間半近く、真っ暗な中に所々人家の灯火が散在する吉野の山地を走りつづけ、三つの峠を越して行った山中に忽然と洞川温泉郷の大集落が姿を現した。
我が国の信仰登山のルーツと言われている吉野古道の行者の宿りとして千数百年もの歴史を持つ最古の温泉リゾート地だ。
昔風の建物の行者宿が並ぶ通りに漂う懐かしい雰囲気は木曽谷の中仙道宿場町を思い出させた。
宿舎に選んだ五葉松荘は集落の一番奥の方にある。 稲村ヶ岳への登山道を開いて小屋を建て、山域一帯の自然環境保護に大きな功績のある赤井家が営んでいる民宿だ。 |
10月6日
<タイムレコード>: 洞川温泉[8:30]=(宿の車)=[8:45]清浄大橋(8:50)-一本松茶屋(9:40/45)-洞辻小屋(10:45/55)-鐘懸岩上(11:25)-山上ヶ岳(12:00/20)-レンゲ辻(13:00)-小屋跡(13:25)-小休止(13:30/35)-車道(13:55)-清浄大橋(14:15/30)-(15:15)洞川温泉
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朝からシトシトと冷たい雨が降っている。 "雨でも行者さんは登らはりますけどどうしますぅ?" と、女将さんに聞かれた。 "何とか登れる程度の雨だから行ってみますよ"、と答えたら、登り口まで車で送ってあげますからユックリ食事をしてくださいと言う。
登拝口の清浄大橋は我が国の信仰登山の中枢に相応しい立派な門が立ち、その背後には多数の石碑と
"従是女人結界" と大文字を刻んだ石柱が立っている。 |
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手入れのよい杉林の中を緩やかに登ってゆくとまず一ノ世茶屋があり、さらにひと登りした所に一本松茶屋がある。
茶屋は道を跨いで建てられているが屋根の下のスペースの半分ほどに木製テーブルとベンチが置かれ、雨でもゆっくり休めるようになっている。
高度が上がってまわりが杉林から濶葉樹林になると、左下の沢が徐々に近付いて来てやがて同高度になった所に道標が立っていた。
右に折れてひと登りすると尾根筋にある洞辻茶屋に着いた。
ここまで上ってくる間もそうだったが尾根筋に沿った道は千数百年もの間、無数の行者に踏み固められ、手入れが続けられ、都会の公園の遊歩道の様に幅広で坦々としている。 色付いてきたまわりの木の葉が雨に濡れて鮮やかだ。 |
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暫く歩いてダラスケ茶屋を過ぎると油コボシ、鐘掛岩の下に着く。 下山用と記された亀岩への直行階段道は見送ったが、傘とストックで両手が塞がっている状態で難場を登るのは避け、その次の分岐点で鐘掛岩を捲き登る階段道に入った。 幅1m ほどの作りの丁寧な木製階段で、鐘掛岩からその上の歌詠み場の岩頭まで簡単に登る事ができた。
前方に山上ヶ岳の頂上が見えた。 平坦な頂上は鬱蒼と樹木に被われている。 行者が逆さ吊りにされて懺悔をするという西覗き岩の横手を通り、石段を登って木戸を潜ると宿坊の前に出た。 9月下旬に閉鎖され、玄関も板戸で塞がれていた。
庭先に水飲み場があったので蛇口をひねってみたが水は出てこなかった。 東方の柏木方面への谷間が見下ろせたが雲霧に埋められて谷底の様子は分からなかった。 |
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左下の窪地に建っている大きな建物を見下ろしながら進み、ひと登りで頂上広場に出た。 重厚な感じの大きな本堂が立っている。 雨が強くなってきたので広場の向い合せにある建物の軒下に腰を下ろし、ホットレモンを飲みながらパンやチーズを食べる。
本堂の右脇の石囲いの中には護摩を焚いた跡があり、その奥手の岩の高みには、林立する石塔に囲まれた石祠がある。
その他にもさまざまな人工物があって一帯に人の気配は濃厚なのだが人っ子一人居ず、ただ雨が降り注いでいるばかりの情景は少々不気味だ。 広場の南端の簡易トイレの手前に巨大な鉄の高歯下駄が置いてあった。 天狗の履物でもあったのだろうか、長さが60cm 程もある。
暫く休憩したあとでお花畑に向う。 奥行き100m あまりの平坦な草原は、天気が良かったらさぞかし気分の良い休憩地点だろうと思われる奇麗な笹原だが今日はビショビショで腰を下ろす気にもなれない。 原の南の端近くからは雨に霞む稲村が岳方面の連峰が見えた。 |
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広場が尽きた所から細尾根に乗る。 笹と潅木の間の細い道を下ってゆくと雉が長い尾を振りながら慌てて逃げていった。
いったん緩んだ傾斜がまた強まると岩場に掛かる。 ここにも丁寧な作りの階段が掛けられている。 片手に傘、もう片方にトックを持ってトントン下り、降り切った所がレンゲ峠だった。 門の脇に女人結界の看板が立っている。 外人女性が登ってしまった事でもあったのだろうか、"信仰の歴史的な理由により女性の立ち入りを禁ずる" と言う主旨の文が和英両語で記されている。
もともとの計画では尾根伝いに稲村小屋のある山上辻の方に行き、法力峠を経て洞川に降りる事にしていたのだが冷雨の山の上でグズグズして居たくなかったので右下のレンゲ坂谷ルートに入った。
案内地図には途中まで点線で記されていたのでどうかと思ったが実際には至極明瞭な良い道で、ほかの山域だったら優に赤実線が引かれている位だと思った。
倒壊して久しく、苔に被われた材木の盛り上がりでしかなくなった小屋跡があった。 間もなく水流が見えるようになり、さらにひと下りした所で舗装車道に出た。
林業の作業小屋や索道のエンジン小屋を見ながら進んで行ったらポッカリと清浄大橋脇の駐車場に出た。 広場の端にある茶屋の屋根の下に入って飲み食いをする。 谷の奥に見えている山上ヶ岳の頂稜はゴツゴツと起伏する岩稜で、とても今日歩いたように整備の行き届いた道が通っているようには見えない。
洞川に向けて舗装車道を歩き、役の行者が生母と再会したといわれる母公堂で休憩。 小規模な鉱石採掘跡、五葉松鍾乳洞、ゴロゴロ清水など、色々なスポットを眺めながら歩いて洞川の集落に入るとすぐに五葉松荘だった。 玄関から声をかけたが誰も返事をしないので雨衣を脱いで部屋に上がる。
乾いた着物に換えて暫くテレビを見ているうちに雨が止んできた。 やがて女将さんが帰った気配がしたので温泉センターのある場所を教えてもらい、必要な物を持って出かけた。 最近あちこちで見るタイプの日帰り入浴センターで、土地の老人達の溜まり場にもなっているようだったが、体が温まる良い温泉だった。
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10月7日
<タイムレコード>: 洞川温泉[7:25]=(バス)=[8:33]下市口駅[9:06]=(近鉄吉野線)=[9:19]大和上市駅[9:30]=(バス)=[11:11]大台ヶ原{大台荘}(13:10)-日出ヶ岳(14:00/10)-正木ヶ原(14:35/40)-尾鷲辻(14:50)-(15:20)大台ケ原ビジターセンター-(15:40)大台荘 |
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タクシーを利用して行者還トンネル西口から弥山(八経ヶ岳)頂上へピストンする予定だったが天気予報が芳しくないので断念。 予定より一日早く大台ケ原に行くことにした。 これによって大杉谷の行程の前半が楽になるばかりでなく、大台ケ原を素通りせずに、一部だけでも見て回る時間が確保できる。
朝一番のバスで洞川を出発して下市口駅から大和上市駅に回り、一日に一本だけ運行されている9時30分発の大台ケ原行きバスに乗った。 1時間40分も掛かる長いバスドライブで大台ケ原に上がる。 天気は昨日よりは幾分良くて、伯母峰峠を過ぎたあたりから大普賢岳をはじめとする大峰の山々が望まれた。
年間4000mm を越す国内最大級の降水量によって余肉を削り取られた山々は鋸歯のようにギザギザしたスカイラインを描き、V字形に深く切れ込んだ谷とあわせて独特の雰囲気を醸している。 北/中央/南のアルプス、上越、飯豊、朝日とならんで我が国の第一級の山岳地帯のひとつに数えられる山域ではないかと思った。 今回は山上ヶ岳一山で終わってしまうが次の機会には前鬼あたりから入山して釈迦ヶ岳、弥山、大普賢岳、山上ヶ岳から大天井岳あたりまで縦走してみたいと思った。
大台ケ原バス停のすぐ近くにある大台荘に行って宿泊を申し込む。 山小屋というより旅館と言った方が当っているくらい大きくて立派な建物だ。 弥山をスキップしてタクシー代が浮いたので少し贅沢をして個室に泊まる事にした。 今日一番の客だったおかげで角の部屋が宛がわれた。 広くて奇麗でテレビと電気ポットが備え付けられている。
五葉松荘で作ってもらった握り飯と下市口駅前で買って来たカップ麺でお昼を食べ、ひと休みしたあと、明日の偵察を兼ねて日出ヶ岳に行く。
山荘の横手から整備の良い遊歩道に入る。 道端の木の紅葉が奇麗だ。 三脚を担いでいる熟年カメラマンが多い。
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暫くの間、ほとんど水平に歩いていったあとで鋭角に曲がって坂を登ると間もなくT字路に着く。 左に向い、幅2m 程の木製階段を登り上げると日出ヶ岳頂上で、大きな展望台と三角点標石がある。
大杉谷への降り口を確認したのち正木嶺、尾鷲辻を回って山荘に戻った。 霧雨模様で視界は2、30m 程しかなく、まさに五里霧中の状態だった。 景色はほとんど見えなかったが鹿が多いらしく、笹原の至る所に獣道が着いていた。
山荘に帰る前にビジターセンターに立ち寄った。 建物が立派だった割には展示はやや簡素に過ぎるように見受けられ、よくある入れ物優位のパターンだったのが残念だった。
山荘に戻ったが部屋が寒いのでヒーターを点けて温まりながらテレビを見る。 天気の方は少なくとも下り坂ではなさそうな予報だった。 うまくすれば明日は降られずに済み、その次の最終日には好天に恵まれそうだ。
風呂のあと美味しく夕食を食べ、大杉谷下降の準備をして早い時間に寝床に入った。
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10月8日
<タイムレコード>: 大台ヶ原(8:05)-日出ヶ岳(8:45/50)-シャクナゲ平(9:25)-粟谷小屋(10:20/35)-堂倉滝吊橋(11:25/30)-光滝下のテラス(12:30/45)-七ツ釜滝上吊橋(12:55)-避難小屋(13:15/20)-(13:45)桃ノ木山の家 |
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昨夜ここに泊まったので時間の余裕はたっぷりある。 観光に来た客と一緒にゆっくり朝食を食べる。 天気は昨日よりはましだが下の駐車場に断続的に霧が流れ込み、嬉しくなるほどではなくい。
充分な食休みを取ったあと、8時過ぎに出発。
昨日歩いて様子が分かっている遊歩道を歩いて道標の立つT字路に行く。
濃密な霧が立ち込め、墨絵の様な景色になっていた。
左に折れて進み、木の階段を登って日出ヶ岳頂上に着いた。
紀州の山と志摩湾が一望だということで展望を楽しみしていた頂上だったが昨日と同じように霧に閉ざされ、どちらを向いても真っ白だ。
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デジカメのメモリーカードの空きが少なくなっていたので交換して大杉谷への下降路に入った。
入口の脇に立っている案内看板には、ルートの概略図とともに、不用意な初心者が進入せぬよう警告が記されている。所々、石畳やコンクリート擬似木の階段が設けられているが土砂が流失してハードルのようになって、かえって歩き難い所もあった。
間もなくシャクナゲ林の中に入った。 緩急を繰り返して下ってゆく道は明瞭でほとんど迷うような所がない。 1525m ピークの手前で突然人声が聞こえてきて間もなく熟年夫婦と出遭った。 時間から見て粟谷小屋から登ってきたと思われた。
要所にある道標で現在位置の確認をしながら下ってゆくと堂倉避難小屋と粟谷小屋との分岐点に着いた。
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朝飲み損ねているコーヒーがあるかも知れないから小屋に立ち寄って見ようと、粟谷小屋への道に入る。 笹が深かったり、水流で荒れた所があったりしたが間もなく林道に飛び出した。
左手の方から発電機のエンジン音が聞こえ、そちらを見ると小屋があった。 食堂らしい部屋に電灯が点っていたので入口を覗いてみたが靴を脱がないと入れそうもない。 面倒臭くなったので入口の横の屋外テーブルにザックを下ろす。 京都で買って来た生八つ橋が美味しかった。
霧が濃くなって今にも降りだしそうな気配になった。 雨の谷を下るのは嬉しくない。 早い所桃ノ木山の家まで行ってしまおうと思いながらザックを背負い上げる。 林道を200m ほど進んだ所に堂倉滝への降り口があった。 暫く笹の間を進むと急下降が始まる。
ルートの整備は行き届き、少し下りにくい所には鎖が取り付けてある。 普段歩き慣れている山に比べると過保護気味かなぁと感じた。
やがて落下する水の音が聞こえてきて堂倉滝の滝壷の縁に降り着いた。 高さ20m ほどだが水量が多く、貫禄がある。
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滝壷を見下ろしながら吊橋を渡って右岸に移り、取水堰の下手に繋っている二番目の吊橋で左岸に渡る。 少し進むと対岸に与八郎滝が見えた。 落差約70m、上段が二筋、下段が一筋と言う珍しい流れ方をしている。
隠滝の吊橋を渡って右岸に移ると間もなく、転落事故が多いので注意するよう記した看板が立っている。 岩壁に刻み込まれた急傾斜のバンド状の道からは、遥か下の方に谷底が見えて高度感がある。 沢登りでは大地に抱かれている安心感があるし、気持ちが攻撃的になっているため少々際どい所でも平気なのだが今度の様に谷を下っている時には気持ちが防衛的になるためか、かえって緊張する。
側壁には1m ほどの間隔でアンカーが打ち込まれ、両手で掴まれるよう太い鎖が二本取り付けてある。 片手をストックのストラップに通していると時どき通路に突っ掛かって邪魔になるのだが鎖のない所では使いたいのでしまいこむ訳にも行かない。 少々困っていろいろ試した結果、幾分短めにセットしておいてストラップに後ろ側になる腕を通せばあまり邪魔にならない事が分かった。
急降下が終わった所のすこし先から振り返ると急傾斜の岩壁を滑り落ちている優美な形の光滝が見えた。
流れに沿って右岸を暫く進んで行った所にテラス状のスラブがあった。
急峻な谷の中にしては珍しい小広い平らな場所で、貴重な休息地点だ。 ザックを下ろし、ユックリ休憩しながら飲み食いをする。
谷の奥に今下りてきた尾根が見えている。 上の方は雲の中に消えている。
谷の両側はほとんど垂直に近い壁で、深く刻み込まれた割れ目のようになっている。 狭隘な谷底には巨大な岩塊が積み重なり、荒々しい様相を呈している。
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尾根の端を回り込んだ所に架かっている吊橋を渡って左岸に移り、また転落注意の看板を見て尾根を乗越し、急な鎖場を伝わって崖を下って行くと対岸に七ツ釜滝を望む東屋に着く。
名前が同じであるだけでなく、数段の滝と滝壷が積み重なっている形からも、奥秩父笛吹川西沢の七つ釜五段の滝を連想させられた。 あちらの様に形が整った奇麗な滝ではないが、落差が大きくて形が荒々しく、力強い印象を与える。
鎖がなかったらかなり危険だと思われるヘツリ道がこの後も暫く続く。 鎖はおろか道もなかった時代にこの谷を遡行したパイオニア達の勇気が偲ばれる。
このあといったん地形が緩んで一時的に緊張から解放されるがそろそろ桃ノ木小屋が近いと思われるあたりでまた鎖場になる。
こんな険しい谷の中に小屋を建てるようなスペースなぞあるのだろうかと思いながら進んで行くと樹木の間に小屋の赤い屋根がチラリと見えた。
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ゴーロのような所を登降し、木の橋で枝沢を渡ると目の下に桃ノ木山の家があった。
僅かに傾斜が緩んだ谷壁にへばりつくように建てられている小屋だが想像以上に大きく、堅固な建物だ。
このように険阻な谷の真中にこんなに大きな小屋をどうやって建てたのだろうかと思い、受付の娘さんに聞いてみたがニコッと笑っただけだった。
昨日に続いてその日最初に到着した客だったため大部屋の入口の脇の一番便利な場所を宛がわれた。
早速、乾いた着物に替え、3日分の汗が染み込んだシャツを濯いで窓の外のロープに掛ける。
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玄関脇で湯を沸かして淹れたコーヒーを飲みながらチーズや生八橋を食べたが、そのあとは時間をもてあましたので寝部屋に戻り、敷き布団とシーツの間にホカロンを仕込む。 ホンノリ温まった布団に潜って地図を見たり案内書を読んだりしているうちにあたりが薄暗くなり始めた。 時計の針も四時半を回り、今日はもう誰も来ないのかなぁ、と思いだした所へ人が入ってきた。
神戸から来た単独の中年女性で、午前のバスで大台ケ原に上がり、日出ガ岳を越して下りてきたと言う。 五時間そこそこで歩き切った計算になるから相当な健脚だ。 後から外人達が降りて来ると言う事で、心配したような寂しい宿りにはならない事が分かった。 どんな連中が来るのか心待ちにしていたが5時を廻ったので風呂に行った。
湧き上がっていない風呂はまだぬるかった。 風邪を引かぬよう、ジィーッと長く浸かって上がると手早く身体を拭いて着物を着た。
廊下に出たらちょうど四人の外人達が到着した所だった。 一番年嵩の者でも三十歳そこそこと思われる若者達だったがあとで尋ねて分かったのは、それぞれは別のパーティで、一人は台湾から来たニュージーランド人、もう一人は動物学関係の学会で来日したイギリス人、残りの二人は仕事の隙間を利用してミニ冒険旅行に来たフィンランド人のツアーコンダクター達だという事だった。 いずれにしても短期の旅行であるにも関わらずこのような所へよく来たものだと感心する。
国際化の波がこんな所にまで及んでいる事をあらためて認識した。 |
10月9日
<タイムレコード>: 桃ノ木小屋(6:50)-ニコニコ滝避難小屋(7:30/35)-千尋滝避難小屋(8:40/45)-平等ー手前のゴーロ(10:20/35)-宮川第三発電所(10:45)-(11:25)第四乗船場[12:20
\1200]=(宮川ダム観光船)=[12:40]大杉[14:20 \1100]=(宮川村営バス)=[15:33]大台町就業改善センター前-(15:42)南紀特急バス大台町[16:53
\1070]=(三重交通急行バス)=[16:45]松坂[17:25]=(JR快速みえ)=[18:41]名古屋[18:47]=(のぞみ)=[20:10]新横浜[20:23]
=[20:40]あざみ野[20:44]=[20:51]宮崎台
宮川ダム湖第4乗船場発12:20の船に乗って大杉へ行くと14:20の宮川村営バスに乗り継ぐ事になる。 1時間半を越す待ち時間があるのでシャワーを浴びたりお昼を食べたりするのに都合がよい。
フィンランド組とニュージーランド人はその前に出る11:20の船に乗る積りのようで6時半前後に出て行った。 彼等を見送ったあとトイレに行ったりしながら食休みをしていたがだんだん退屈になってきたので出発する事にした。
神戸女と連れ立って小屋の玄関を出るとすぐに吊橋を渡って右岸に移る。 暫くは地形が穏やかで普通の谷道と同じような道が続く。 加茂助の吊橋を渡って鎖場を下り、また穏やかになった道を進んで平等ー吊橋で左岸に渡る。 この橋は高くて長い。
驚いた事に神戸女は恐れる風もなくスイスイと渡った。 ルートが荒れた所でちょっと判断に迷うだけで難場も楽々とこなしている。 たまにしか山に行かないと言うのが信じられない快ペースで、ボヤボヤしているとこちらが置いて行かれそうだ。
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やがて対岸にニコニコ滝が現われた。 落差130m と言われる水量豊富な大滝は豪快美麗で、大杉谷随一だと思った。
鎖場、巨岩の隙間のトンネル、山抜け跡の大高捲きなど、さまざまに変化するルートを進んで行くと千尋ノ滝が見えてきた。
不思議な滝で、はるか上空に見えている尾根の背のすぐ脇に落口がある。 滝の手前を尾根が横切っているため、下の方の大部分が隠されているのだが、観瀑台とも言うべき小尾根上の東屋にザックを置いてあらためて仔細に眺めると樹木の隙間にたぎり落ちている下部の水が見え、
"千尋" という名に相応しい大落差を確認する事ができた。 |
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また鎖場を通ったりガレ場を横切ったりしながら下流に向う。 東屋から10分程歩いた所で登ってきた三十男と出遭った。 鎖場の途中だったので慎重に擦れ違う。 進んで行くにつれてにあたりの地形が徐々緩み、谷底の幅も広がってきた。 幅が広がった谷底の河原の脇を歩くような所も出てきた。 上部に居た時のような緊迫感はなくなり、ノンビリムードになるが、まだ所々に難場がある。 これまでの経験ではこのような状況でかえって事故に遭い易い傾向があった。 意識的に気持ちを引き締める。
枝沢に掛けられた吊橋も長大になったが高さはなくなった。 鉄構を持った堅固なものは人が通っても殆ど揺れない。
対岸の尾根に送電線が見えて宮川第三発電所が近くなった思われる所で、行く手に大日ーのスラブが見えてきた。
別れが近付いた大杉谷の景色を惜しんで長目の休憩をする。 4日の山歩きのあとで残っている僅かな食料のうち、林檎半分と生八つ橋などを神戸女と分け合って食べる。 頭上に広がって来た空は青く澄み切り、久し振りの陽光が眩しい。 今回は山の上では雨と霧ばかりだったが曲がりなりにも最終日に好天に恵まれ、幸せだ。
とかく公園化が進みすぎて自然本来の野性味が失われ、興を殺がれるのではないかと、心配しないでもなかった山行だったが大杉谷では予想以上の豪壮な渓谷美に接する事ができた。
歩き出すと間もなく仕事で上がってきた電気工事会社の人達と擦れ違った。
平等ーのスラブは7月に通った飯豊杁差岳西俣川のスラブと似通っているが高さが低く、逆コの字形の通路が丁寧に刻み込まれているので全く問題なく通過した。 枝沢に架かる吊橋を渡った所が発電所で、その塀に沿って歩き、舗装車道に出た所が登山口だった。
第2乗船場の下手にある大杉山荘でコーヒーが飲めるのではないかと期待したが石垣の上から犬が吼えかけてきただけで営業している雰囲気はなかった。 六十尋滝のある美濃ヶ谷入口には東屋があったが休み場としては捗々しくなかったのでそのまま通過。 |
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すぐ先の第3乗船場を過ぎて尾根の鼻を回るとダム湖の方からエンジン音が聞こえてきた。
杉林の隙間を透かしてみると桟橋を離れようとしている船が見えた。 小さな渡船を予想していたのは大違いで、隅田川で運行されている水上バスと同じような大きな乗合船だった。
ここまで来るのは正午前後と予想していたのだがもう少しで一時間早い船に間に合いそうなほどの時間に下山できたのは神戸女の脚が良くて、終始快調なペースで歩けたお蔭だ。
乗船場への階段の途中の踊り場で山談義をしながら次の便を待つ。
来るだろうと思っていたイギリス人が姿を現さないうちに船がきた。
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宮川湖は大きなダム湖で村営バスへの乗り継ぎのある大杉まで20分ほど掛かった。 桟橋から石段を上がった所に旅館を兼ねた茶店とビジターセンターがある。 センターにシャワーがあったので汗を流して着換え、向かい側にある旅館のおばあちゃんに頼み込んで店を開けてもらい、山菜鍋焼きウドンを食べた。
空腹にうどんが美味しかったがそれ以上に店先に流れ出している水が美味しかった。 水の美味しい谷でよく見る花崗岩とは少々違うが、白く硬い岩でできているこの谷の水はとても美味しい。 携帯カップに汲み換えては飲んでいるのにおばあちゃんが気付き、大杉谷の水の味自慢になった。
時間が近くなったのでバス乗り場に行く。 先刻着いて停まっていたバスにイギリス人が乗っていた。 13:40の船に乗って来たという訳になる。 動物行動学が専門で、蟻や蜂など、社会を形成する昆虫の相互コミュニケーションを研究しているそうだからアウトドアの専門家ではあるのだが、素足にウオーキングサンダルと言う軽装でこのような険谷をよく歩ききったものだ。
このあと伊勢へ行って泊まり、明日は伊勢神宮などを見たあとで京都に戻り、英国に帰るのだと言う。
日本に来たのは初めてなのだそうだが、どこの国でも大同小異になって来た都会ではなく、その土地の気候、風土が生み出した独特な自然、文化に触れることに貴重な時間を使おうとする心掛けに感心する。
長い大杉谷を抜け出すため、大台ケ原に上がるときと同じような長距離のバスドライブをしたあと、紀勢線三瀬谷駅のひとつ手前で下車して特急バス大台乗り場へ回り、松坂行きに乗り継いだ。
どういう回り合わせか、バス停でこの近くに中学校に英会話のインストラクターとして来ている東洋系米国人に遭った。
随いて来たイギリス人にいきなり英語で話し出したので簡単に引き合わせた。 尋ねてみたらUCバークレイの卒業生だと言う。 出来すぎの偶然に驚くとともに、テレグラフ通りに屯しているファンキーな若者達やソラノーにあった飛び切りの味のアイスクリーム屋の話など、懐かしい町の話をひとしきり楽しんだ。
バスに乗って松坂に向う途中、イギリス人の今夜の泊まり場の予約や伊勢へ行く交通機関のことなど、この若者が諸事の面倒見をしてくれたお蔭でこちらはノンビリ沿線の景色を楽しむ事ができた。
松坂駅で神戸女とイギリス人と別れ、新横浜までの通し切符を買ってJR線で帰ったが家に帰り着いたのは夜の9時、朝の7時前から14時間を越す長い帰路だった。
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☆おわりに
天候には必ずしも恵まれなかったが、雨具を始めとする一部の装備を予め洞川の宿舎に送って置くなどの工夫をしたお蔭で全面敗退とはならずに済み、ついでの立ち寄り山行としては充実した山歩きができた。
大峰は少々遠いが強烈な個性を持つ第一級の山域だ。 来年の春から夏までの間に再訪し、せめて前鬼口から吉野山までへの縦走をして見たいと思っている。
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