二王子岳、三合目小屋から登頂 (2003.6.22-23)


☆期日/山行形式: 2003.6.22-23  避難小屋利用1泊2日 単独

☆地形図(2万5千分1): 二王子岳(新潟5号−4)、上赤谷(新潟9号−2)

☆まえがき

   梅雨の雨が続くのに任せて毎日ディスプレイの前に座り込んでいると足腰の筋が強ばってくる。
昔やった脊椎板ヘルニアの影響が残っている左腰は特に問題で、長く座っていたあとで立ち上がろうとすると痛くて真っ直ぐに伸ばせなくなったりする。
  これを解すには山歩きが一番だ。
幸い二、三日間の梅雨の中休みが来るだろうという週間予報が出た。 足腰を解しながらひと山稼ぐ行き先としてどこが良いか、手持ちの計画リストから目ぼしい物を二、三引っ張り出して見比べる。 半日思案した後で選んだのは二王子岳だった。 候補の中では一番遠いのだが三年前に飯豊を縦走した時、北俣岳頂上から大きく悠然とした姿を見て以来、いつも気に掛かっていた山だ。


                                  飯豊 北股岳から望んだ二王子岳 (2000.8.19 早朝)

  手元にある二、三の資料を当ってみると新発田からアプローチすれば登山口の二王子神社から登り4時間、下り2時間半ほどの標準タイムだ。 地元の人達は日帰りをしているようだが神奈川県からではアプローチに時間が掛かり過ぎ、どんなに頑張っても夜行日帰が限界だ。 年不相応の夜行登山は避け、現地で1泊して2日掛けて登ることにした。
  泊り場を何処にしてどのような登り方をするのが一番良いか、新発田市役所の商工観光課に問合わせをしたりして色々検討したが三合目の避難小屋に泊まって登るのが体力と財力への負担が軽くて最も合理的だという結論になった。
  アプローチにタクシーを使えば二王子神社から三合目まで、約1時間半の登りだから疲れる前にけりが着き、初日の足慣らしとしてちょう良いだろう。 2日目の登頂は三合目からならノンビリ歩いても昼頃には下山できるだろう。 時間の余裕はたっぷりあるから近くの適当な日帰り温泉で汗を流して家に帰れる。
  行程のあらましは、上越新幹線長岡駅から新津経由で新発田駅へ行き、そこからタクシーに乗って二王子神社まで入る。 神社脇の登山口(300)から三合目(725)まで登り、一王子神社の脇にある避難小屋で宿泊。   2日目は宿泊装備を小屋に残置し、サブザックで定高山(五合目 994.4)、油コボシ(八合目 1350)を経て二王子岳(1420.3)に登頂。  頂上の展望を楽しんだあと避難小屋に戻り、残置装備を撤収して二王子神社に下山するというもので、"汗流しは" 神社から南俣(90)、田貝(55)集落を経て1時間ほど歩いた所に二王子温泉があるようだからそこでできそうだ。 温泉のあとは徒歩30分ほどの下羽津からバスに乗るか、タクシーを呼んで新発田駅に戻り、新潟から上越新幹線に乗って帰ればよい。


☆写真と記録
6月22日
<タイムレコード>: 宮崎台[7:21]=[7:48]渋谷[7:58]=[8:36]大宮[8:50 トキ#309]=[10:09]長岡[10:42 くびき野#3]=[11:24]新津[12:17]=[12:46]新発田(13:30)=[Taxi \3880]=(13:30)二王子神社(13:42)-水場(14:30/40)-(15:15)三合目{避難小屋泊}

  時間的に余裕があったので長岡から新津を通って新発田に行ってみた。 羽越線/磐越西線のターミナルだった新津駅は、かつてSLの機関区があった。 今でもSLが牽引する特別列車が運行されている。新発田は思ったより大きな町だったが何となく活気がない。 バブル経済が破綻したあとも東京の都心部では局地バブルとでも言うべき状況が引き続き、大規模オフィスセンターの開発が続けられている。 その反面、地方の中小都市はどこへ行っても沈滞していてシャッターを下ろしたままの店が目立つ。タクシードライバーにどんな地場産業があるんですかと聞いて見たら、製糸工場はあるが主な産物は米と酒だと言う。


  市街地を抜け、二王子岳の大きな姿に向って暫く走ると山裾に着く。 山間に分け入り、ひと登りした谷間の小平地にある二王子神社に到着した。 威厳のある大きな社殿だ
補修工事の足場に囲まれていたがその間を潜って参拝し、登山の無事を祈る。
神殿前の広場はキャンプ場になっていて炊事棟やトイレがある。
登山道入り口近くに2棟の宿泊棟が建っているが荒廃が進み、なんとか雨露をしのげるかどうかという程になっている。
  手前の駐車場や少し離れた広場も合せると全部で50台は下らない車が停まっていたのに驚いたがちょうど朝方から登って行った人達が下山してくるタイミングで、後から後から杉林の中から人が出て来る。
夏至の日が照りつけて暑い。 大量の汗を掻くだろうと予想し、速乾性繊維の薄手のTシャツに着替えて出発した。

  杉の大木林の中を緩やかに登って行く登山道は水流に沿っている。 キャンプ場の水源にするため沢の水を転流しているらしい。
  やがて水流から離れ、一合目のプレートを過ぎると徐々に傾斜が強まって来る。
  ひと登りで細い流れの脇に出たので小休止する。 山の水が美味い。 林の中を流れている風が心地よい。
二合目の前後の登りはかなり急だ。 久し振りに背負った宿泊装備や食料の重さが辛い。 道幅の狭い所もあって次々に降りて来る人達を交わすのに忙しくなる。
 今日は百人以上登ったのではないだろうか。 神子岩を過ぎて暫くすると傾斜が緩み、間もなく三合目に着いた(上左)。

  広場には大勢が休んでいたがその向かい側の台地の上に小屋があった(左)。
  雪国の山の小屋はなべて造りがしっかりしているものだがこの小屋も雪の重みに耐えられるようガッチリしたブロック作りになっている。 二重の引き戸の中に入ると奇麗に掃除された土間と床があった。
  トイレがない事だけは少々問題だが居住性では今まで見た避難小屋のうちではトップクラスだ。内部の広さは5m ×6m 弱で、左下の写真にはその三分の一ほどが写っている。
 さっそく水汲みに行く。 50m 程離れた沢窪に手が痛くなるほどの水が出ていた。
水汲みのついでに着ていたシャツを脱いで濯ぎ、身体の汗を拭いて小屋に戻る。
  まずペパーミントティーを淹れて飲む。 今朝方家を出る前にコーヒーを急いで飲んだのが悪かったらしく胃がむかついていたのを治すためのだ。

念のため、合成熊ノ胆?も服み、
 寝転んでチビチビお茶を飲んでいるうちに皆山から降りて行ってしまい、あたりがシンと静かになった。

  夕食には新津駅で駅弁を買って来た。 手抜きだがカップ麺と組み合わせればソコソコの食事になる。
  カップ麺はすぐ作れて食べ易く、塩分の補給にも良いから山で使いたいのだが、嵩張って運び難いためこれまで敬遠していた。 たまたまミニ丼サイズの即席麺の買い置きがあったので試して見たら、ガスボンベと直径が同じ(11cm)で、チタンコッフェルにピッタリと収まった。 ふたつ入れてもまだ少し余裕がある。 これは今後の山行の食料計画で大いに利用価値がありそうだ。
  ミントティーと薬のお蔭で胃袋の調子が戻り、食欲が出ていたのだがキツネ温飩と弁当半分ほどで満腹になった。
  ラジオを聞きながら食休みをし、さらに林檎を食べたりしているうちに暗くなって来た。  短く切って来た百匁ローソクを燈し、小屋にあった毛布を三つ折りにした代用マットの上に広げたシラフに入る。
  暫くの間、
LEDヘッドランプで National Geographic 誌のエベレスト登頂50周年記念号を読んでいたが目が疲れて来たので灯を消して眠った。 



6月23日
<タイムレコード>: 三合目(5:50)-五合目定高山(6:35/50)-油コボシ(7:45/50)-二王子岳(8:40/9:00)-油コボシ(9:45)-六合目直下(10:00/05)-定高山(10:25)-三合目避難小屋(10:45/11:50)-二王子神社(12:30/50)=(車便乗)=聖籠観音温泉(13:20/14:30)=(15:10)新潟駅[15:18 \9550]=(上越新幹線)=[17:22]上野駅=三越前=宮崎台

  明け方前に身体が冷えて目が覚めた。 寝ている間の体温維持ができにくくなったのも年のせいだろう。 シラフカバーは持ってきたが引っ張り出すのが面倒なので小屋の毛布を一枚シラフの上に掛ける。 間もなく身体が温まってまた眠り、夜明けまで熟睡した。
  鳥の声で目が覚める。 最近の朝寝癖のせいで寝惚けが取れるまでに時間が掛かったが5時過ぎにシラフから這い出す。
  窓から空を見上げると薄い群雲が広がっているが安定した空模様だ。 胃の調子は大分持ち直してはいたが眠気のせいで食欲がない。 昨日の失敗に懲りてコーヒーは止め、紅茶を淹れてミニパンを食べる。 最近持ち歩いている小さなパンだが、ポムデケージョという塩味のチーズ味やゴマ味のおつまみパンは日保ちが良くて食べ易い。



  必要な物だけを入れたサブザックを背負って小屋を出る。
  雲は奇麗に消えて青空が広がり、とても梅雨の最中とは思われない。
  五合目まではシッカリした登りが続く。

六合目の先まで行くと前方への視界が開け、頂上への尾根の連なりが見渡せた(左)。
高くはないが山は大きく、頂上はまだ遥か彼方だ。






  北側斜面の溝に残雪を見たり、道端で根曲竹の筍を食べている猿の群れに声を掛けたりしながら進んで行って油コボシに着いた。
  このルートで唯一の難場らしい所で、ボロボロに風化した露岩にロープが左右2本取り付けてある(左)。
  取り着きの小平地は眺めが良かったのでひと休みした。 海まで見える筈なのだが霞で平野部さえ判然としない。

油コボシを登り上げた所に八合目のプレートがあった。










まわりが笹と低潅木になって視界が開けてきた。
蛙の声がする雪田の湧水で喉を潤して進み、さらにふたつの雪田を横切った。 1300m 圏とは考えられない豊富な量の残雪だ(左)。











  左手の高みに地蔵の石像を見た所からやや急に登って行くと九合目の気象ロボットが見えて来る。
  道端に沢山のヒメサユリの花が咲いていた。 ドウダンツツジやシロバナイワカガミも見えた。












頂上が近付き、カマボコ形の避難小屋と鐘の櫓が見えて来た。















  小屋の中に入って様子を見た。
左の写真には内部の3分の一弱が写っている。 床面積は三
合目の小屋とほぼ同じ位で長年の使用で幾らか汚れが溜まってはいるものの清掃が行き届き、居心地は悪くなさそうだ。

宿泊者名簿を見ると週末には2、3人が泊まりあわせる事がよくあるらしい。

  頂上広場は平坦で広い。
深く切れ込んだ胎内川谷の向こう側に飯豊の山々が連なっている。
 天気が良過ぎて霞が濃く、辛うじてスカイラインが見分けられる程度のため迫力はもうひとつだが展望説明板と見比べながら頂稜の起伏を辿っていると3年前の夏の縦走の記憶が蘇ってきた。


   谷底と稜線との間の登降は厳しくて地獄だったが頂稜は豊富な残雪と広大なお花畑でまるで天国を彷徨っているような気分で縦走した。
  梶川尾根から天狗平へ下山したため、まだトレースしていない地神山から杁差岳への北部稜線がオイデオイデをしている。
  展望説明板の後ろ側に廻り、飯豊を正面に腰を下ろす。霞さえなければ "南" の夜叉神峠、"北" の徳本峠に匹敵する素晴らしい山岳展望スポットであることに疑いない。






  南東方に盛り上がっている二本木山から先の方に延びている尾根は、赤津山を経て主脈上の門内岳へ繋がっている様だが霞の中に融け込んでいて先の方の様子は分からない。
  北に向って雪田のパッチ模様を乗せた尾根が延びている。 ユッタリおおらかな起伏を描いていて中腹以下の峻険をまったく感じさせない頂稜は飯豊の特徴だ(左)。
  広場の隅から始まる踏跡を伝わって行けば胎内ヒュッテの下手に降りられる様だがかなりの薮ルートの様に見受けられる。 地元だったら是非ともトライして見たいと思った。
  誰も居ない頂上で心ゆくまで眺めを楽しんだあと立ち上がり、"青春の鐘" を何度か打ち鳴らして下山に掛かる。
  九合目の先で中年女性二人組に出遭った。 一番乗りを目指して登ってきたのに先客が降りて来たのにビックリしたようで、「ずいぶん早いですね」と言う。 「ええ、三合目の小屋からですから」と答えるとなるほどと言う顔になった。 このあと三々五々登って来るパーテイがあって小屋に降り着くまでに全部で15、6人と擦れ違った。 首都圏から遠く離れた山としては人が多かったが昨日の賑わいに比べれば格段に静かだ。
  頂上、油コボシ、定高山、そして三合目の一王子神社、それぞれの間の下降時標準タイムは参考にした案内地図では25分づつとなっているがこれは少々厳しい見積もりの様で、ほぼ標準的なペースで歩いてそれぞれ約35分掛かった。
  爽やかな風が吹いてはいたが下るに連れて暑くなって来た。 小屋に着いた時は少々オーバーヒート気味で汗みずくになっていて暫くの間クールダウンしなければならなかった。
  五合目のあたりから感じ出した吐き気がおさまらないのでどうしてなのか考えているうちに気が着いたので昨日食べ残した駅弁の味噌漬と塩鮭を食べてみたら間もなく胃袋がグルッと動いて活動を再開し、食欲が出てきた。 とりあえずミニパンと林檎を食べて胃袋を喜ばす。
  体調が整ってきたところで撤収作業に掛り、中型ザックのパッキングををはじめた。 あまり食べられなかったとはいえ林檎やパンはなくなっているのに収まりがつかないので少々焦る。 最後は諦めて空の駅弁の容器をザックの外側に縛り付けてけりをつける。
  小屋から下はザックが重くなった所へかなりの急降下だったが杉の大木林が日射しを遮ってくれたため心配したような暑い思いはせずに済んだ。
  炊事棟の横手に流れ出している水で顔を洗い、日帰り温泉の様子を聞くために携帯を引っ張り出した所へ中年男がやってきた。 山の上の方の様子やどこから来たか、これからどう帰ろうとしているかなど、 聞かれるままに話したあと、携帯の番号を押し始めたら温泉だったら車に乗せてってあげますよと言う。 たった今遭ったばかりの見知ぬ人のオファーなのでちょっと躊躇ったが人柄は良さそうだし、山の話をもっと聞きたがっているような感じがしたので誘いに乗る事にした。
  走りだした車の中で色々な話ができたのは良かったのだがそのせいもあって道を間違え、新発田の "アヤメの湯" に入りそこない、新潟寄りの聖籠観音温泉に入る事になった。 平野のまん中の大きな建物の日帰り温泉で、週日の昼間なのに沢山の車が停まっている。
  男もこんな風に風呂に入るとは思わなかったと苦笑いしながら一緒に浴場に行く。 温泉は食塩泉だったが山の汗を流すには何でも良い。 風呂から出たあと着替えてサッパリし、喫茶室でコーヒーを飲んで車に戻る。
  新潟市内に住んでいると言う男の道順上、とうとう新潟駅まで送って貰ってしまったのに対して何もお礼ができない。 何かあったら連絡してくれればできるだけの事をすると言い添えながら名刺を渡した。
  車に便乗させてもらったお蔭で回り道をしたにも関わらず早い時間の新幹線列車に乗れ、夕方早くに家に帰り着いた。


☆おわりに
    二王子岳は首都圏から出かけてゆくに値する良い山だった。
紅葉の時期にカメラを持って頂上の小屋に泊まったり、残雪期にスキーを担ぎ上げればきっと楽しいに違いない。
 首都圏から出かけていったときに利用価値が大きい三合目の避難小屋は、ここ2年あまりの間の宿泊者名簿を見た限りでは利用者はそんなに多くはなく、正月とゴールデンウイーク以外に複数パーティが同宿した形跡はほとんどなさそうだった。
  霞でぼやけてはいたが頂上から飯豊連峰への山岳展望は刺激的で、家に帰った翌日に早速、杁差岳から地神山への北部稜線縦走を梅雨明けに行なう計画を立てた。