小菅-鶴峠-奈良倉山-鶴峠-飯尾 (2003.4.5-6)


☆期日/山行形式: 2003.4.5-6 民宿泊 1泊2日

☆地形図(2万5千分1):
丹波(甲府2号-1)、七保(甲府2号-2)

☆まえがき
    大菩薩と奥多摩の間にある奈良倉山(1345)の頂上から、佐野山(1260)、佐野峠(1220)、1234.7m ピークを経て西原峠(=小佐野峠1040)へと連なっている南尾根の藪ルートのトレースは昨年十月に偵察して以来の宿題だ。
  日がのびて来た3月上旬に日取りを決めて出掛けようとしたら前日に山麓でも40cm も積もる大雪になり、民宿のおかみさんの忠告で延期した。 それから約一ヶ月経ったのでもうそろそろよいだろうと考えて計画を立て直し、土曜日に山越えをして小菅の民宿に入り、日曜日に "宿題" を片付けることにしてあらためて民宿に電話を掛け、今度は必ず行くと連絡した。
  3日前の天気予報では、日曜日は晴れるだろうと言う事だった。 その前の土曜日も曇だが何とか山を歩けそうだと予想していたのだが、初日の予報が日を追って悪くなり、荒れ模様で冷たい雨が降ると想定せざるを得なくなった。 やむなく急遽計画を変更して初日の山越えを中止。 久し振りに奥多摩駅からバスで奥多摩湖経由、小菅に行く事にした。
  久し振りに見た奥多摩湖は降りしきる雪に煙っていた。 泊り場のある小菅に着く頃にはほとんど止んでいたが一帯は 20cm ほどの積雪になっていた。

  日曜日には一面の銀世界の上に青空が広がる輝かしい朝がきた。 鶴峠までのアプローチには村内どこでも100円と言う珍しい村営バスを利用した。 このバスは山深い村に似合わない洒落たデザインの車だった。 誰も通った痕跡のない新雪を踏み分けての登高となったが頂上に近付くにつれ雪が深くなり、頂上直下の周回道付近からは膝あたりまで潜るようになった。 湿って重い春の新雪のラッセルは、僅かな距離を移動するのにも息が切れる程、骨が折れた。
  何とか登頂はしたものの、南尾根の薮ルート縦走はとても無理だと判断してギブアップ。 せめて松姫峠へ出て上和田へ車道を下ろうと思ったがそちらも想像以上に厳しく、踏み込んだ足を引き抜くのにも力が要るような状態だったので反転して頂上に戻り、登って来たトレースを伝わって鶴峠に引き返して終わった。


☆詳しい記録
4月5日
<タイムレコード>

    宮崎台[11:46]=[11:49]溝の口[11:56]=[12:29]立川[12:46]=[13:18]青梅[13:34]=[14:08]奥多摩[14:35 \950]=(西東京バス)=[15:28]小菅{民宿泊}

  生憎の天気で山越えを諦め、奥多摩駅からバスで小菅に行った。 十五、六年前に登山を再開した頃は頻繁に通ったアプローチだがそれからズゥーっと来ていないから10年振り以上という事になる。 奥多摩は駅前の土産店兼食堂が閉まっていたがそのほかはあまり変っていなかった。 冷たい雨が降りしきり、山の方から戻って来たバスが屋根の上に大量の雪を乗せている。
  春の週末なのだから天気が良ければハイカーが繰り出して来る筈だと思うのだが時間がずれているせいか、ザック姿をほとんど見ない。 乗り継ぎ時間が短いので手近の蕎麦屋に入り、一番早くできると言う笊蕎麦を食べる。 寒い日に腹を冷して壊したくなかったので普段は飲まないそば湯を飲む。 
  小菅行きのバスには、地元のオバサン、病院見舞いと週末旅行の熟年夫婦各一組が乗ったが皆途中で降りて行き、小菅村に入った時には一人だけ残された。
  小菅の田元橋で下車して対岸の台地に上がって行くと後ろから来た軽トラックに声を掛けられた。 運転していたのは民宿のおじいさんで、助手席に乗せてもらうとアッという間に到着した。
  玄関に出て来たおかみさんには挨拶もそこそこに、 "余っ程心がけが悪いんみたいだね" と冷やかされる。
  久振りに早い時間に風呂に入り、食べ切れないほどのご馳走を食べ、早寝をした。

4月6日
<タイムレコード>
    小菅の湯[9:38 \100]=(村営バス)=[10:00]鶴峠(10:05)-林道横断点(10:55/11:00)-十文字峠分岐(11:20)-頂上周回道(11:50/55)-奈良倉山(12:15/45)-十文字峠分岐(13:10)-鶴峠(13:45)-長作(14:10/50)-(15:50)飯尾[16:20 \940]=[17:15]上野原[17:24]=[17:43]高尾[17:50]=[17:56]八王子[17:59]=[18:30]長津田[18:38]=[18:57]宮崎台

  早寝のお蔭で6時前に自然に目が覚めた。 窓から見えるまわりの山は真っ白だがその上に澄んだ青空が広がっている。 ゆっくり朝食を食べ、充分な食休みを取って小菅の湯のバス乗り場に行く。  民宿のある集落の上の台地上に洒落た建物が並び、広広した園地と駐車場がある。



定刻より少し遅れて来たバスは、オープンデッキ式の乗降口を持つ、ビックリするほど洒落たデザインのボンネットバスだった。 運賃は村内どこでも100円だと言う。
  小菅の湯に入る客を集めるために運行されているバスのようだが、町に住んでいる孫の所へでも行くらしい様子の老女が一人乗っていただけだった。
  このバスは山道の走行に備えて強馬力のエンジンを載せているようで、優雅なデザインに似合わぬパワフルな走りで鶴峠の坂を登った。









  鶴峠バス停ポストの脇には去年の秋にはなかった標柱が立っていた。
斜向にある三頭山ルート入口にも同じような標柱があった。
路面は乾き始めていたが登山道に踏み込むと10から15cm ほどの積雪があった。
登って行くに連れて雪の量は徐々に増え、尾根を乗越して桧の幼木林に入ったあたりでは20cm あまりになった。
雪の重みで何本もの幼木が登山道の上に倒れかかっていたのが邪魔だった。









所々に新しい道標があった。 長さ40-50cm 位で、青地に白で  "奈良倉山" と記されている。
去年の秋に通った時にはなかったものだが小さ目でなかなか良い感じだ。










さらにひと登りすると植林地帯を斜めに横切っている車道とクロスする。 広大な視界が広がり、雲取山から七ツ石山を経て鷹ノ巣山まで、奥多摩連峰の雪姿が奇麗だった。



この辺りから一段と雪が深くなり、所々で膝まで潜るようになった。 春だからとロングスパッツを止め、中スパッツを持ってきたのは見通しが甘すぎたと悔やむ。



間もなく桧林に入った。 林の中は積雪が少ない。
木の枝が傘の代わりになっているためだ。
暫く進んだ所で頂上へ向う道と十文字峠への道が分かれる所に着いた。
ここでは頂上へ向う道標が立て直されていた。 道形も整えられたようで去年の秋に見た時よりはるかに明瞭になっている。
深雪の中を十文字峠までトラバースする気にはなれないので道標に従って頂上に向う。
ジグザグを切って斜面を登って行き、右手の尾根の上に乗った所から左に斜上して行くと大月市が立てた金属製の道標があった。 頂上直下を周回している道との合流点だ。 左に向ってトラバースしながらのラッセルは、膝上まで潜って大変だったが暫くの辛抱で十文字峠から上がって来る長作ルートとの交差点に着く。 ここまで来れば頂上は真近かで、雪がなければ鼻歌交じりのフィナーレとなるところなのだが今日は前進の一歩一歩に骨が折れる。
  あちこちの木の枝に赤テープのコースサインが捲きつけてある。 去年の秋にはなかった。 過剰なコースサインは踏跡探りの興を殺ぐので、残した者の不始末に腹を立てる事が多いのだが、今日のようなコンディションでは前進を続ける気力の支えになる。



頂上広場の一角に出ると一段と雪が深くなった。
日曜日だから車で松姫峠まで上がった者が来ているのではないかと思ったが、頂上を示すプレートの周りには動物の足跡さえもない平坦な雪原が広がっていた。
新しい案内板が立っていて、この前来たときに冨士を眺めた草原の方を指していた。 そちらへ進んで行ったが見えてきた冨士は春霞が掛かっていてパッとしなかった。
湿った深い雪の中では腰も下ろせないので頂上標柱の横にあった脚立の横に戻り、足元の雪を踏み固めてザックを下ろして脚立の段に腰を下ろした。
  ラッセルで頑張ったアルバイトの影響で食欲がなくなっていたがポカリスエット入りのホットレモンを飲み、塩ゆで卵を食べる。
食休みをしながらこれからどうするか考える。 この状態では目的の南尾根はとても無理だ。 松姫峠なら近いから何とかそこまで行ければ上和田まで車道を歩いて下れる。 歩いた事のない所だからせめてここだけでもと思って桧林の切り開きを進んでみたのだが前進が容易でない。 下り坂が急になりかかる所まで行っても相変わらず状態が良くないのでやっぱりダメだと回れ右をした。



  頂上まで戻るのもひと仕事だったがそこから先は自分が踏み固めてきたトレースを踏んで行けばよく、格段に楽になった。 難場もないため気楽な下降を続けて植林地帯の端に出ると目の前に昼下がりの陽を浴びた三頭山が堂々とした姿を現した(上)。 ほとんどノンストップで鶴峠に戻り、引き続き車道を歩いて一気に長作の観音堂まで下った。
  最近建て直されて江戸時代の物といわれていた以前の建物の風情は失われたが千数百年もの歴史を秘めた観音堂の境内はなかなか雰囲気が良い。 飯尾から出るバスの時間を確認して出発時間の目安を定め、飲み食いをしたあと長休みをする。
  手作り山葵漬けがあると記した看板を見たので橋の袂の守重青果店に立ち寄って尋ねてみたら今パック詰めを始めたばかりだと言う。 小さいながら1パック320円という値段の山葵漬けは主人の勧めに従ってひと晩寝かせて次の日に食べたがらふんだんに刻み山葵が入った特上品だった。



長作集落の下手にこぎれいな園地がある。
観音堂で食べた稲荷寿司で軽いダンピング症気味になって来たので蛇口から出る水を飲んでひと息入れた。 横手の道端からは今日歩き損ねた奈良倉山南尾根のスカイラインが望まれた。
佐野山から緩やかに下降線を辿っている頂稜は、ついさっきまで苦しんでいた深雪の罠など全く想像できない温和な曲線を描いていた。





  上野原からのバスが上がってきた所に飯尾に着いた。 発車時間まで30分近くあったが、ドライバーは山が好なようで、どこへ登って来たかという質問かいろいろな話が始まった。 奈良倉山の新しい道標の事を言うとあれはバス会社と小菅村が協力してやった仕事でこの間自分達が立てたのですと言う。 登山客を予約制で募集して上野原から鶴峠まで運んで奈良倉山に登らせ、午後の早い時間に松姫峠でピックアップしたら小菅の湯に案内して汗を流してもらい、さらに郷原のびりゅう館で土産物を買ったり手打ち蕎麦を食べたりして貰ったあと上野原駅に送りとどけるハイキングツアーを催すのだそうだ。 坪山の方もヒカゲツツジが知られてきて、女性パーティが大勢来るようになったそうだ。

  日曜日だと言うのにこのバスは途中で乗ってくる者もなく、"貸切" のまま上野原駅に着いたが中央線電車には大勢のハイカーや花見客が乗っていて高尾まで立つ位だった。


☆おわりに
    トレースのない春の新雪を踏み分けて奈良倉山に登頂したのはそれなりに意義があったとは思うのだが前日に計画していた奈良倉山-大マテイ山-小菅、あるいは坪山も含めて今回の山行目的は部分的にも達成できなかったのが残念だ。
しかし山はなくならない。
この春のうちか、秋の紅葉の時期か、できるだけ早い機会を捉えて再度のトライをしたいと思っている。