松姫峠-奈良倉山-坪山-郷原 (2003.5.10)


☆期日/山行形式: 2003.5.10 単独日帰り

☆地形図(2万5千分1): 猪丸(東京14号-4)、七保(甲府2号-2)、丹波(甲府2号-1)

☆まえがき
    以前はゴールデンウイークには大きな山へ出掛けるのが慣わしだった。 胃をやられてからは厳しい所へ行くのは躊躇するようになったがそうかと言って混雑する "定番の山" には行きたくない。
  無理のない範囲で最大限の冒険的な要素を求めた結果 "ノーブランド系薮ルート" へ足を向けるようになった。 この時期の山は、1500m 以下なら新緑になったばかりだし、それより高ければ芽吹き時で何ともいえない雰囲気が漂っている。  例年天気が不安定な事も考えて、日帰りの薮山歩きをふたつやってみようと計画を立てていたのだが4月下旬の西上州山行でこじらせた風邪がいつまでたっても治らず、五月晴れの青空を恨めしく見上げながら家でゴロゴロしているうちに終わってしまった。
  連休の次の週末にはなんとか山歩きを楽しめそうな所まで回復して来たのでせめて片方だけでもと、体力的に楽そうな奈良倉山から坪山への薮ルートをトライして見ることにした。
 ここは昨秋来の宿題で、4月始めに小菅の民宿を足場にトレースしようと出かけたら時季外れの大雪に遭い、鶴峠から奈良倉山に登っただけで敗退した。 もし調子が良くなかったら途中から鶴峠や飯尾にエスケープできるので気が楽だ。
  朝一番の特急アズサで大月へ行って乗り継いだタクシーで長駆して松姫峠(1245)に上がり、まず奈良倉山(1345)に登頂。 南へ伸びている尾根をつたわって1238m 無名峰、佐野山(1260)、佐野峠(1220)、1237m 無名峰を経て小佐野峠(1040)まで行った所で東方に派生している尾根に移り、中間にある1170m 無名峰を経て坪山(1102.7)に登頂。 引き続き東に延びている安寺沢尾根に乗り、1034m 無名峰、995m 無名峰、896m 無名峰を経て "びりゅう館"のある西原(540)に下山。 名物の手打ちそばを食べたあとバスで上野原に出て帰ろうという目論見だった。


☆詳しい記録
<タイムレコード>
    宮崎台[6:27]=長津田=[7:23]八王子[7:29]=[7:55]大月[8:30]=(Taxi \7930)=[9:00]松姫峠(9:25)-奈良倉山(10:10/35)-佐野峠(11:15)-小佐野峠(11:45/55)-コル(12:05)-PK1175(12:20)-坪山(12:50/13:30)-PK1034(13:50)-花の里分岐(14:10)-安寺沢分岐(14:45)-(14:45)郷原びりゅう館-郵便局前[16:25]=(バス \900)=[17:15]上野原=高尾=八王子=長津田=宮崎台

<アルバム>
   
最近、宵っ張り朝寝坊の癖がついて寝つきが悪い。 長引いた風邪のあと、睡眠不足で山を歩きたくなかったので眠り薬を半錠服んで寝たら思ったよりよく利いて深く眠り、5時過ぎにスッキリと目が覚めた。
胃に負担が掛かるコーヒーはやめ、紅茶を飲みながらチーズをひとかけら齧って家を出る。 予報されていたよりは雲が多いが落ち着いた空模様だ。 連休中は仕事が忙しく、この週末になって始めて出掛ける人は結構いる様で、長津田や八王子のホームには旅姿や山支度が多かった。 特急アズサも満席で、大月駅に着くまで通路に立つ事となった。 見込み違いだったのは松姫峠へのタクシーで、普段は駅前に4、5台並んで客待ちをしているのにこの日に限って出払っている。 20分程待ってようやく1台やって来たが後ろに並んでいる老女が病院に行くと言うので譲った。 これでさらに10分ほど待ってようやく出発できることとなった。 走り出してすぐドライバーに聞いてみると前の電車できた大勢のハイカーが清八峠の方に行ったので車が出払ってしまったのだそうだ。 この車もゴルフ客を乗せて河口湖の近くまで行って来たのだと言う。
 鶴川谷を遡り、上和田を過ぎると家並が切れる。 深城から先は急峻な斜面を大きくジグザグを描いて松姫峠に登る。 雁ガ腹摺山の大峠へは何度も行っているが松姫峠は始めてだとドライバーがいう。 峠一帯は意外に広広としていて、10台あまりの車が停められるスペースがある。 車道の左側には大菩薩方面への、右側には奈良倉山への入口を示す道標が立っている。
  登山道入口の近くでサンドウィッチを食べて腹拵えをしていると停めてある車から出てきた老人が一人、さらにそのすぐあと小菅の方から車で上がってきた熟年夫婦が奈良倉山の方へ歩いていった。
食事の後ひと休みして登山道に入る。 ゆったりした尾根上の道は濶葉樹に被われて気分がいい。


付かず離れず並行している林道からいったん分かれて1321m の無名峰の北側を捲くがふたたび稜線に戻ると林道上を歩く様になる。
電波反射板の立つ尾根を回り込んで行くと正面に奈良倉山の頂上が見えてくる。
大月市の道標が立っていてこのまま林道を直進して正面の尾根を登るルートと頂上の北側に回り込む登山道との分岐を示している。








4月の大雪の時、松姫峠へエスケープしようと下りかかったが深雪で無理だと判断して反転した場所を確認したかったので林道を直進する。
サンドウィッチを一度に全部食べたせいでダンピング症気味になってきた。
緩やかな尾根の登りなのに息が切れて気分が悪くなる。 いささか不快だが暫くすれば治る事が分かっているので騙し騙し登りつづける。 ひと登りした所に見覚えのある太い倒木が横たわっていた。 峠からここまで、大した距離ではないがあの時の大雪をラッセルして峠の車道まで出るのはかなりのアルバイトだったに違いない。 ここからは傾斜が緩み、 間もなく頂上広場に着く。 今回は新緑の林に囲まれて地面が露出し、至って穏やかな雰囲気が漂っている。
  ダンピング症は峠を越し気分は直って来たが下腹が重苦しい。 先行した三人の姿が見えないのを幸い、藪の中に入って大キジを打ったら落ち着いた。



頂上広場の南側に富士山方面への眺めの良いの草原があるのだが今朝は富士山どころか手前の三ツ峠山、もっと近くにある滝子山まで雲に隠れ、僅かに谷向いの泣き坂ノ頭から大峰、水無山への連なりが見えるだけだ。

15分ほど経つとまず熟年カップルが、さらに5分ほど遅れて老人が上がった来た。
頂上の北側に回り、鶴峠からの道を合わせたあと、飯尾ルートと合流して登って来る登山道を歩いてきたらしい。





暫く休んでいるうちにダンピング症の影響は跡形もなくなり、すっかり気分が良くなってきた。
元気一杯で南尾根ルートに入る。
良く踏まれた踏跡が左の濶葉樹林と右の桧幼木林との間を通っている。
ひと下りで林道に飛び出した。
ここにも大月市の道標が立っていて佐野峠方面から来た場合にも間違えずに奈良倉山に行けるようになっている。
ゲートがあって一般車は入れないようだがその割にはよく車が通っているようだ。
前方に佐野山が見えてきた(左)。




暫く進んだ所で振り返ると奈良倉山がノッソリした姿で立っている。
地味な山だが松姫峠からなら楽に登れ、飯尾や鶴峠から頑張れば樹木が奇麗だし、何より人が少なくて静かなのが取り柄の山だ。











下りきったコルから山の東側に入り、ふたつ目のピークである佐野山を捲き終わった所が佐野峠で、手作りながらシッカリした道標が立っていた(左)。
事前に調べた文献にはここから七保に下る道は険しい上に藪がひどいと記されいたが入口から覗き込んだ感じでは藪が伐り払われ歩きやすくなっているようだ。
大月市役所に電話で問い合わせたとき、2002年9月にこの辺りの藪払いをしたといっていたがここもそのときに整備されたのだろう。






反対方向から三十台の登山者が歩いてきた。前途の様子を聞いて見ると 林道はかなり先まで続いているらしい。
また山の東側に入って暫く進み、鞍部でまた反対側に乗越した所に車が来ていた。
すぐ下の斜面に植えられた檜の苗木の近くで数人が作業をしていた。
老人が二人道端で休んでいたのでどちらからですかと聞いて見たら下の谷を指差してあっちだよと言う。
見ると上和田の下手の八坪、川津畑辺りの集落が見えていた。












1120m 圏ピークから左手に分岐している坪山への頂稜を見ながらやや荒れ気味の林道を下ってゆくと道の左に赤布テープが下がっていて薮の間に入って行く踏跡があった。
ここを入れば尾根伝いに坪山へ行けるに違いないと思ったが小佐野峠を確認しておきたかったので前進を続けた。
坂を下って行くと前方に権現山らしいピークが見えてきた(左)。






間もなく降り着いた鞍部に小佐野峠の道標が立っていた(左)。
先に進めは七保/大月へ、東側の斜面を鋭角に折り返す道に入れば坪山方面に行けると指示している。
車が停めてあってすぐ先でやっているらしい林道工事の物音が聞こえてくる。
工事が終わったばかりの殺伐とした雰囲気の場所だがここから先は "念願の藪ルート" になるので車の脇に腰を下ろして飲み食いをする。
林の中からチエンソーを持った男が出てきた。 作業で来ている森林組合の人だった。 この峠をなんと呼んでいるのか尋ねてみたらはっきりした返事は得られなかったが少なくとも七保側の人達は西原峠と呼んでいないらしい。


1170m 圏ピークの東面の急な斜面を横切る足許の悪い踏跡を進んで行くと道標の立つ稜線の鞍部に着いた。
林床の笹薮の隙間に熟年夫婦が座ってお昼を食べていた。
短い挨拶をして坪山/安寺沢と記された方の道に入ろうとすると奥さんに声を掛けられた。
坪山から来たのだがこの先へ進めば七保の方に行けるだろうかと聞く。
小佐野峠に道標が立っていたからまず間違いないと思うが林道工事中だから入り口が分かり難くなっているかもしれないと話す。




鞍部から坪山まで、踏跡は明瞭だがかなり薮っぽい。
春は残雪の山も楽しいが、薮山では身の回りを香わしい新緑に包まれ、鳥の声が聞こえ、所々で春の花を見る事ができる。
中間峰を乗り越してやや急に下り、痩せ尾根から、岩っぽい急登を登り上げると坪山の頂上に着く。 意外な事に誰も居ず無人だった。
小さい山だが奈良倉山とは対照的に急峻で尖った頂上で視界が広い。 三角点標石の横に道標が立ち、その先に三頭山が大きい(左)。




左手の方にはモッソリと大きな奈良倉山が見え、その頂上から佐野山を経てこちらへ連なっている穏やかな頂稜が良く見える(左)。

昼時なので握り飯やゆで卵を食べていると八田橋ルートから熟年パーティが登って来た。 二、三人が登り着いたあとパラパラと次々に登って来て全部揃った時には20人近くとなった。
充分な食休みもできたので場所を明けようと腰を上げる。
西原の "びりゅう館" へは東の方に長く延びている安寺沢尾根を下って行けばよいのだが中間に二つ三つのピークがあるのでそれを乗越すアルバイトがどれほどか少々気にならないでもない。


頂上直下はロープが張ってある急降下が続く。 右下の谷が崖になって深く切れ落ちているので低山の一般ルートとしてはなかなか厳しい。 その代わり中間ピークへの登りは思ったより楽だった。
どのピークにも "びりゅう館/安寺沢" と記した道標が立ち、その手前で直角に左に曲がる。
40分ほど歩いた所に原の "花の里" への分岐点があり、"そば、コーヒ、ピザあります(月曜は休)" と記した看板が立っていた(左)。
この辺りがこの尾根のほぼ中点にあたる。

すっかり穏やかになった尾根道を下り続けて行くと谷底の道路を走る車の音が聞こえ、やがて樹木の間から家や畑が見えて来た。 長引いた風邪の後遺症で膝まわりの筋肉が悲鳴を上げそうになってきた頃、安寺沢道からびりゅう館への下降路が分岐する地点を示す道標が立つ所に着いた。
  ちょっと立ち止まって膝まわりをストレッチして進んだがどうも調子が悪い。 びりゅう館で休んでいるあいだに頚痙が起きる心配が出てきたので一回2錠の解熱鎮痛剤を1錠だけ飲む。
  ひと下りで着いたびりゅう館は冷した山の水が美味しかった。 間が悪くて蕎麦は大分待たされたがその代わりに目の前で打ったばかりのでき立てにありつけた。
少々不揃いで粗野な感じの蕎麦だったが見た目によりはるかに美味かった。
帰りのバスは7、8人の先客が居た所へ頂上で遭ったパーティも加わってこれまでにない賑わいだった。

☆おわりに
    予想と違って林道が小佐野峠まで伸びていたため長い林道歩きをする事となったがおっとりと大きな奈良倉山と、小さいながら峻険な坪山に登り、いくらかは新緑の薮尾根も歩いて、病み上がりのリハビリ山行としては十分過ぎるくらいの中実があった。
小佐野峠まで歩いた結果、そこから大寺山、麻生山を経て権現山までの尾根続きが気になり出した。 中風呂から登って権現山を目指すか、浅川から登って北上するか、地形図と良く相談して計画を立て、今年の紅葉の季節にでもトレースして見たいと思っている。

〔参考〕
    びりゅう館: 上野原町西原6931 電話: 0554-68-2100
                      営業時間: 9AM〜7PM(飲食は10:30から)
                       http://www.town.uenohara.yamanashi.jp/sisetsu/biryukan.html