中開戸-南山-服部牧場-志田峠-平山(2003.2.1)



☆期日/山行形式: 2003.2.1 日帰り単独

☆はじめに
    前週は時間不足で宮ヶ瀬湖北岸の南山をギブアップした。 さらにそのあとの里道でご粗末な判断ミスをしたためサブコースの志田峠越えまでし損ねてしまった。
続く週は IMS eMall と Website の統合に関わるちょっとした仕事があった。 少々頑張ってそれを片付け、ご粗末山行の後始末も済ませた所でこのふたつの "借り" に一日でケリをつけようと "ダブル山行" を計画した。 服部牧場での "アイスクリーム休憩" と帰りの交通の便とを考慮し、鳥屋の中開戸から歩き出し、三増古戦場跡を終点に設定した。
後半の志田峠越えが軽いからアルバイトとしては "セミダブル" 程度だがこのふたつを歩き切ると宮ヶ瀬湖を取り巻く稜線を大略グルリと周回したことになる。

☆タイムレコード
    宮崎台[6:13]=[6:30]長津田[6:42]=[7:02]橋本[7:10]=[7:41]三ヶ木[7:50]=[8:10]中開戸-住宅地(8:15/30)-東南林道-遊歩道入口(9:10/15)-長峰(9:35/45)-権現山(10:00)-南山(10:15/35)-東屋(10:50)-服部牧場(11:15/50)-清正光入口(12:05)-農工大農場(12:15)-朝日寺(12:30/35)-志田峠(12:50)-旗立松入口(13:10)-三増合戦場跡(13:30/50)-田代局前(14:05)-(14:20)半僧坊前[14:36]=[15:15]本厚木[15:22]=[15:34]相模大野[15:40]=[15:44]中央林間[15:49]=[16:19]宮崎台

☆概況
    出発時間は前回と同じだったが、今度は橋本駅前からバスに乗って三ヶ木ターミナルに行く。 三ヶ木は山好きの姿を見かけることの多い所で今度の鳥屋行きバスでも長年山を歩いている風体の熟年登山者二人と乗り合せた。
中開戸で下車し、100m あまり先に進んだ所で左手の町道に入る。 緩く坂を登ると意外に広広とした平坦地があって前方に南山連峰がなだらかな頂稜を連ねていた。 造成されたばかりの宅地の端にザックを下ろし、スパッツや耳覆いを着けて支度を整える。 平地が尽きる所に "南山遊歩道" と記した道標が立ち、左に舗装車道が分岐している。 東南林道と地元の案内地図に記されている道路だ。 所所に消え残っている雪がツルツルに凍結している。 沢窪を横切って左に曲がり上がる所にマジックインキでベニヤ板に禁猟区を記した看板が立っている。 そこを通り過ぎてすぐ、次のカーブを右に回り込んだ所に山に入る古い道を見つけた。 感じとしては良さそうなので入ってみたが雪と藪に被われて判然としないので戻る。 林道の先の方はコンクリート擁壁が続いていて近くに登り口があるようには見えない。 ほかに尾根に上がる道があるとすればさっき見たベニア看板の所以外には考えられない。 看板の所まで戻って山の様子を調べる。 看板の脇に送電線巡視路をがあることを示す小さな目印が立っていた。 それを通って稜線までは行けるのではないかと思ったが長峰まで 1Km 程の稜線上がどうなっているか予測ができない。 曲がりなりにも "ダブル山行" なので最初から時間ロスをするリスクは避け、最悪地元が整備した "南山遊歩道" から登る覚悟をして林道を進む。 残雪に残された跡から車は結構通っているようだが人が歩いた形跡はほとんどなく、下って来た一人分の山靴の跡があるだけだ。 曲がり角から犬が出てきた。 野犬かと思ったら後から4頭の犬に囲まれたミニカーが現われた。 犬の運動をさせている車上のおばちゃんに挨拶をして擦れ違う。 こんなに歩いたら山を通り過ぎてしまうのではないかと思うくらい林道歩きが続いたが、途中では谷向うに仙洞寺山から金太郎権現への連なり奇麗に見えた。 去年歩いた藪山だがなかなか面白かった。 頂上から北東に派生している大きな尾根を乗越した所に南山遊歩道への入口があった(上)。

看板の脇の階段を登ると杉林の中に幅広の階段道が整備されている。 すぐに尾根の上に乗るが杉林の中で展望はない。 傾斜が緩く階段道としては歩きやすいのはよいのだが両側に杭が打たれロープが張ってあるのが嬉しくない。 花を取られぬようにという配慮の産物なのかもしれないが山歩きをしている気分になれない。 それでも人気がなくて静かだからまぁいいか、と思いながら登って行ったら突然工事をしている広い切開きに飛び出したのでビックリ。
 10人ほどが仕事をしていて、近くに東屋の敷地と思われる10mx5m 程の石畳、先の方では展望台と思われる階段状のコンクリートプラットフォームが作られていた。 先週見た津久井町の看板に描かれた案内地図には "南山園地(予定)" と記されていたがその工事が始められたということのようだ。 プラットフォームの脇からはダム堰堤と半原の町が一望できた。 その先には今日の午後に行く三増の山と相模野の広がりがある(上)。


工事場一帯は雪と霜柱で表土がグチャグチャになり、切り倒された杉が積み上げられている所があったりして南山への道が分かり難くなっていたが尾根上のルートに乗ると幅の広い良い道になり、気分の良い稜線漫歩となった。
大堀への分岐点がある544m のピークを過ぎると間もなく杉林が終わり、樅、赤松と濶葉樹の混交林になる。
左の宮ヶ瀬湖側の木が伐り払われていて雰囲気が明るくなり、同時に丹沢方面への視界が開けた。 風は冷たいが良く晴れて最高の日だまりハイク日和だ(左)。







宮ヶ瀬湖が見える所で覗き込むと湖岸の道路を走っている車がプラモデルのように小さい。 ダム対岸にある高取山と仏果山が近くなって来た(左)。
こじんまりした山々だがなかなか風格のある姿をしている。 それぞれの頂上に巨大な展望櫓があるのだが目立たない色に塗装されているお蔭か、樹木の間に融け込んでいてよく見なければ分からない。
浅いコルからひと登りした所が南山の頂上だ。 直角に折れ曲がっている尾根の角にあたる高みで180度を越す視界が開けている。 冷たい風を北側の林が遮っていて日当たりが良い。



この山行では最高の休憩地点だと思ったので、ノンビリ飲み食いをしながら休む。 週末と言うのに誰もいなくてあたりは静まり返っている。
宮ヶ瀬湖の向かい側正面が丹沢だ。 左右に連峰を従えた蛭ヶ岳が堂堂としている。
これ程立派な姿の蛭ヶ岳が見える所はほかにはないのではないかと考える。
樹木が多く、かなりの積雪があっても灰色に見える山なのだが今冬は頂上付近が真っ白になっていて雪の多さを想像させる。
厳寒期が過ぎたらスキーを持って山に行こうと思った。  去年の春、急に暖かくなって雪が解けてしまったために時機を失した奥日光にするか、以前よく行っていた奥霧が峰あたりにするか。  どちらにせよ去年手に入れたショートスキーよりジルブレッタビンディングの古強者の方が頼りになる。


視線を右手の方に移すと袖平山から黍殻山を経て焼山へと連なる北丹沢東部の稜線がなだらかだ。 その手前に今歩いて来た長峰からの穏やかな尾根が横たわっている。

充分に休んでまたザックを背負い上げた。 歩き出して5分ほど経った頃、前の方で何かが動いた。 よく見ると二匹の猿だ。 こんなに慌てて逃げる猿を見るのは初めてだ。 つがいで昼寝でもしている所へ突然人が出てきたのでビックリして逃げ出したのかも知れない。 一匹は右下の斜面へ、もう一匹は左側に別れて逃げたので右下の斜面に居る方に "吼えかけ" てみたら一層慌てた様で、コソコソと倒木の蔭に逃げ込んだ。
僅かに登り返した小ピークに木製ベンチがあった。 その先はやや急な下りになる。岩混じりの崩れた所に鎖が取り付けてある場所を下り切るとまた傾斜が緩む。 間もなく送電線が見えてきて鉄塔と東屋のある小高い場所に着く。ここは眺めの良い所で三増の山から半原方面への視界が広がっている。


この先は杉林の中の道が続く。 長峰の登りと同様、丁寧な作りの階段道になっているのだが視界が閉ざされているので単調だ。 熟年夫婦が登って来るのに遭った。 今日始めて見るハイカーだ。 牧場の方から登ってくれば1時間余りで南山に達し、仏果山や高取山より遥かに素晴らしい展望が得られるのだからかなりの "お買い得" ルートだと思うのだが一般的な案内書に紹介されていない無名ルートのためか嘘のように静かだ。
山歩きの原点は未知への探求心だと思うのだがこの頃の山登りはブランド指向が強く、特定の山は大混雑しているのにそこからちょっと外れるとほとんど人に遭わない。
そろそろ飽きてきた頃、樹木の間に下の車道が見えて来た。 間もなく一週間前の案内地図看板の前を通って車道に降り立つ。 勝手知った道を歩いて服部牧場に行き、この前と同様、アイスクリームとピザ風パンを注文。 今日は胃の調子が良いのでパンも残さずに全部食べ、さらに蜜柑も食べた。


まだ時間が早くて空いていたのでゆっくり食休みをしながら里道歩きには要らないスパッツを外す。
次の目的地、志田峠への入口は幅広の車道の坂を下って登り返した所に立っている清正光薩*(土扁に垂 サッタ)と刻まれた石碑の脇にある。 角を曲がって山に向うと正面に志田峠の鞍部が見えた(左)。
ささやかな峠だが右側にある志田山の西裾を中津川が洗っているから山向うの台地で行なわれた三増の合戦で戦略上重要な役割を演じた峠だった事が頷ける。









道の左側の広い平地は農工大の農場だ。 谷の入口に "野外博物館" があった。 所々に立っている産廃処理場設置反対の看板を見ながら舗装された細い車道を進んで行くと道端に "清正光" の説明看板が立っていた。 地形図に記されている中腹の "朝日寺" は明治に創始された宗教団体の拠点だと言う。 どんな所なのか見て行こうと思って、石段を登る。 長い石段を上がると思い掛けない大きさの建物があって人が住んでいたので驚く。 数頭の犬が吠え掛かって煩るさいので横手の東屋にあった奇麗な顔の石仏をデジカメに納めて早々に退散する。
ここから先は舗装が切れ、荒れ気味の砂利路になる。 ひと登りで志田峠に着いた。 ちょっとした広場になっていて山際に "志田峠" と記した新しい道標と野外卓がある(上)。 広場の向かい側には "関東ふれあいの道" の古びた道標が立っていた。


峠から下って行く道は南面に当っているため明るく、冷たい北風も吹いてこない。
緩やかな砂利路を下って行くと左の山の上をゴルフコースが通っているのが見え、間もなく志田集落に入った。
ゴルフ場の入口に "旗立松" の説明立札があったが雰囲気が気に入らないので見に行くのは止める。 ゴルフ場の名は "東名厚木カントリークラブ" だったが地図上の位置としては東名厚木インターより中央道相模湖の方が近い位だ。 何となく詐欺っぽい名前の付け方だなぁ、と思う。
開けた台地の上に出ると右手に経ヶ岳から仏果山への連なりが見えてきた。






谷間から出た所は中原集落だ。 いかにも住み良さそうな南向きの山裾に人家が並んでいる。 畑の中の道が橋本から厚木に通じる道路に突き当たる角が小園地になっていて三増合戦場跡の石碑と東屋などがある。
峠から休まずに歩き続けて来たので東屋の南側の日だまりに腰を下ろした。
自家製の塩玉子と蜜柑が美味しい。 東屋の横手に立つ合戦陣立て絵図の看板の後の方に志田峠が見えている。
山の形の影響か、実際の距離よりかなり遠い感じに見える。 山の形や大きさが距離の錯覚を誘うようで、それがここを越えてくる武田部隊の来襲時期の見積もりを誤らせ、今川軍大敗の原因を作ったかもしれない。


台地の下を流れる中津川沿いの田代を通る淵野辺行きバスは4時近くにならないと来ない。 まだ時間が早いのでルートを変更して本厚木を回って帰宅する事にした。
乗り場までまだ2Km 近くある。 三十分ほど掛かると推定し、二時半過ぎに田代郵便局前を通る本厚木行きのバスに乗るのに程よいと思うタイミングに歩き出したのだが下り坂だったせいもあって思ったより早く歩け、もう一歩の所でひとつ前の二時過ぎのバスに乗り損ねた。
このまま田代のバス停にいても待ち時間が長過ぎる。 中津川対岸の平山まで歩き、勝楽寺を覗いて帰る事にした。 この前来た時に渡ったトラス構造の橋に並行して新しい橋ができ、道も変っていたが立派な山門を持つ寺の佇まいは変っていなず、仏果山を背景に静まり返っていた。
寺近くの半僧坊前乗り場に来たバスには一人も先客がなく、ぎりぎりの時間に前の家から出て来た娘さんとこの便の最初の乗客となった。 本厚木駅まで行く途中、何台もの半原行きバスと擦れ違った。 仏果山周辺のアプローチとして本厚木駅が良く使われるのは交通の便がよいことによるのだろう。
午後の半ばに本厚木駅に着き、ミニ版ながら最高の天気と素晴らしい展望に恵まれ、変化に富んだ山行を終わった。