大石ダム-大熊小屋-杁差岳-大石山-地神山北峰-天狗平


☆期日/山行形式: 2003.7.27-29 避難小屋利用2泊3日 単独

☆地形図(2万5千分1): 安角(村上8号-4)、杁差岳(新潟5号-3)、長者原(新潟5号-1)、
                                 二王子岳(新潟5号-4)、飯豊山(新潟5号-2)

☆まえがき
    6月下旬に二王子岳の頂上から飯豊連峰を眺めているうちに、まだ行ったことのない杁差岳から地神山までの間の稜線を是非とも歩いてみたいと思った。
飯豊本山方面から起伏を繰り返しながら徐々に高度を落としてきた飯豊連峰のスカイラインは頼母木山、大石山と鉾立峰の間のコルで1400m 台まで下がったあとふたたび高度を回復して標高1636.5m の杁差岳に達している。 標高だけ見ると数ある中級山岳のひとつとしか思えないのだが実際には標高50m 程の山麓から立ち上がっている大きな山だ。 登山口のある大石ダム(200m) から、"南" 並みの標高差を乗り切らなければ頂上を踏ませてもらえない。 さらに無人の避難小屋泊まりとなるからテント以外の一切合切を担ぎ上げなければならない。
  どう考えても年寄り向きの山ではなく、バテバテ山行になる事は必定なのだがこの歳になって飯豊の雄大な景観と美しいお花畑に再会できれば、それ以上嬉しい事はないと思った。

杁差岳遠望
          杁差岳は飯豊北端の雄峰だ。 梶川尾根下降点付近まで来てもまだ遥か彼方に見える(2000.8.19)

  杁差岳へは胎内から足の松尾根ルートを登れば標高差が1100m 程で大石山の稜線に達せられるから、頼母木小屋に泊まって翌日に往復すれば割合楽に登れる。 多くの人達はこのルートを利用しているようなのだが、これだと稜線上を行ったり来たりする事になるのが気に入らない。 骨は折れても北麓の大石ダムからアプローチして杁差岳に登り、鉾立峰、頼母木山を経て地神山へと南下する形ですっきり縦走にしたい。
  大石ダムからは西俣川と東俣川の二本のルートがあるのだが西俣から登る事にした。 西俣ルートは谷が険しく、数箇所の渡渉点など難場もあるようだが中間に大熊小屋があるので最初の日にここに泊まれば時間的な無理がなくなるだけでなく体力的な負担も二日に振り分けられる。 体力は目だって落ちてきているが難場に対処する判断力や技術は、まだそれ程衰えていない筈だと思っての選択だ。 西俣川谷には十貫平はじめ美しいブナの森があるというのでこれを見る楽しみもある。
  計画のあらましとしては、朝一番の電車で出発。 上越新幹線、米坂線を乗り継いで越後下関駅へ行けば10時前に着く。 タクシーで大石ダム(200)へ入って西俣川谷を遡り、滝倉沢橋(210)、イズグチ沢(290)、十貫平(285)を経て谷奥の大熊小屋(380)で宿泊。
二日目に大熊沢(425)を渡り、一杯清水(890)、カリヤス平(1270)、一ノ峰(1470)、二ノ峰(1490)、新六ノ池(1520)を経て杁差岳(1636.4)の南肩にある杁差小屋(1615)まで登って宿泊。
三日目は鉾立峰(1573)、大石山(1567)、頼母木小屋(1626)、頼母木山(1735)を経て地神北峰(1889)まで頂稜を辿ったあと丸森尾根を下降し、水場(1030)を経て天狗平(405)の飯豊山荘に下山。 町営バスで小国駅に出て坂町、新潟を経て帰ろう言う物だった。
  状況によっては頼母木小屋あたりにもう一泊し、貴重な飯豊の頂稜でジックリ "山見、花見" をしてもよいのではないかと思った。
  山行時期は梅雨明け早々か、梅雨明け間際の晴れ間を狙って7月下旬としたのだが、予定日が近付いても小笠原高気圧が発達せず一向に梅雨明けの気配がない。 大幅に日程を繰り下げたのだがそれでも足りず、梅雨前線が一時的に南下して日本海側が好天になりそうな時期を見込んで出かけることとなった。


☆詳しい記録

7月27日
<タイムレコード>
:宮崎台[5:08]=大手町=東京[6:08 トキ301]=[8:16]新潟[8:38 ベニバナ2]=[9:51]越後下関=[Taxi \2830]=大石ダム(10:05/10:20)-滝倉沢(10:50/55)-小沢(11:25/35)-イズグチ沢(12:30/40)-スノ沢よりひとつ手前の渡渉(13:30/40)-対岸に鎖のある渡渉(13:55)-R(14:110/20)-ブナ林台地からの降り口(15:15/25)-(16:30)大熊小屋{イロリ、銀マット2枚}

  久し振りに朝一番の電車で出発。
朝早く出発する前にコーヒーを飲むとどうも胃腸の調子が悪くなる事に気が着いたので小瓶のプルーンジュースを1本飲んだだけで家を出た。
  東京駅で上越新幹線の一番列車に乗って新潟に向ったが新潟に着くまでほとんどウツラウツラして終わった。 米坂線の快速列車が走りだした所で東京駅で買ったミニ握り飯詰め合わせを食べ始めたのだがもうひとつ食欲が出ない。 朝早く起き出す事自体が胃に悪いなどという事があるのだろうか? それともこの歳になって乗物酔いをする様にでもなったのか? 無理に食べても一層腹具合を悪くするだけだから大部分を残し、小屋に着いてからの食料にする。
前もって電話をして置いたのでタクシーが駅で待っていてくれた。  予想外の好天になって青空が広がっている。 ドライバーの話では昨日まで曇り日が続き、時々小雨の降っていたと言う。

たいしたもん蛇がいるトンネル 夏雲の杁差岳

ダム堰堤の端で車を降りる。 西俣川ルートは対岸のトンネルから始まる。 入り口の天井からは地元の伝説にちなむ "大したもん蛇" が見下ろしていた。 トンネルを抜けると前方に杁差岳が姿を現した。 夏雲が纏わりついている頂上の下にいくつかの雪渓が覗いている。

滝倉沢橋
  30分ほど進んで車道が尽きる所に滝倉沢橋がある。 人道用の橋としては非常に立派な鋼製の吊橋だ。 渡り始めの欄干に登山者カードポストが取り付けてある。
非常に高い所を通っている橋で "南" の畑薙大吊橋を思い出した。
橋を渡り終えると登山道になる。
次に出て来る黒手沢橋は、ワイヤーロープの手摺りを備えた短い鉄橋だ。
黒手沢橋
イズグチ沢へのスラブトラバース道
  谷の中に分け入って行くにつれて地形が険しくなる。
雪崩で磨かれたスラブ状の露岩にブッシュが生えているだけの谷壁の中程を横切って道形が刻まれている。 危険な所はないが遥か下方に谷底を見下ろし、高度感がある。
枝沢に廻り込んで行き、フィックスドロープで流れの脇に下って最初の徒渉をする。
イズグチ沢だ。

大石川西俣のブナ林
穏やかで美しい林と緊張感のあるスラブ谷壁のトラバースの間に枝沢の徒渉がある。
U字形に深く刻み込まれた本谷に滝となって落ち込んでいるすぐ上のゴルジュ状の枝沢を渉ることが多い。 枝沢の源流地帯は一様にスラブの斜面が多いようなので大雨が降れば急激に増水するだろう。
その様な状況での渡渉はかなり困難となり、失敗すればすぐ下の本流に落ちてそのまま大石ダムまで流されてしまいかねない。
対岸のルートが分かりにくく、露岩の見難い所に取り付けてある鎖や僅かな痕跡で判断をしなければならない所が二、三あった。
丸太の吊橋
最後の徒渉を終わると前方の谷が開けて来たが周囲の地形はかえって険しくなる。
道形は殆どなくなり、凸凹のある岩盤をトラバースしてゆく所が多くなる。
ブッシュの蔭になって沢の状態は分からないが水音から滝場を捲いているようだなと思った。

待望の丸太吊橋が見えてきた。 二本の丸太をロープで吊っただけの簡素な橋だが見た目よりしっかりしていて殆ど揺れず、渡り易い。
右岸に渡って200m 程進むと河岸段丘の上に大熊小屋があった。 こじんまりしているが屋根裏部屋の二階を持つシッカリした鉄骨の建物だ。 入り口の脇に利用上の心得を記した看板と二枚の道標プレートが掲げてあった。


ダムサイトのトンネル入り口からここまで、ブナ林の中では数箇所木の枝に結び付けたビニールテープのコースサインを見たがそれ以外は数枚の営林署のプレートだけで一般的な道標の類は見えなかった。
一本道で徒渉点以外ではルートファインディングをしなければならない所はなかったがダムからここまでの間で、現在位置はすべて地形図と地形と照合して自前でやらなければならない。
大熊小屋 小屋利用心得の看板
大熊小屋の内部
滝倉沢橋のポストで見た入山届で先行者が二人いると思っていたのだが小屋の中には五十男が一人いただけだった。 千葉の牛久から夜行列車で来たと言う。 山を始めて3年目だと言うことで、 "今夜は貸切かと思ってました" とホッとしたように言う。
小屋の内部は凹形に床が張ってあり、土間の中央に囲炉裏が設けてある。 下で火を焚けば二階は暖かいだろうが煙くもなるだろう。

水場は至って便利で、入り口のすぐ前を流れている水流だ。 大分汗を掻いたので裸になって身体全体を拭い、着ていた物を水で濯ぎ、上下全部を着替えた。
脱水と塩抜けの影響か、あまり食欲がなかったが即席味噌汁をを吸いながらお握りパックを全部胃袋に押し込んだ。
一夜の友といくらかの山談義をしたあとローソクを消して寝袋に入る。 ポケットラジオを聞いていたら新潟を含む北陸地方の梅雨明け宣言が出たと報道された。


7月28日
<タイムレコード>
大熊小屋(6:10)-大熊尾根の末端(6:50)-約510mの地点(7:00/10)-約685mの地点(7:55/8:00)-一杯清水(8:45/9:05)-約1020mの地点(9:45/10:05)-カリヤス平(10:50/昼寝/12:00)-一ノ峰(12:45/55)-新六ノ池(13:15/40)-杁差小屋(14:05){同宿5人 雪渓融水へ5分 毛布8-10枚備付}

    4時過ぎに男が動き出した物音で目が覚めた。 相変わらず腹具合がはっきりしないのでコーヒを淹れ、ミニパンとチーズを食べる。 行ける所まで行く積りだと言う男が5時半頃に出て行ったあとゆっくり食休みをしながらパッキングをする。 大キジを打ちに行った。 この小屋はトイレに問題があると誰かがインターネットで書いていたが、水場の先の林の中に細丸太を組んだ差し掛け台式のキジ場がつくられていて少し危なっかしいもののまずまずだった。
食べ物は少し減ったが飲み水で幾分重くなったザックを背負って小屋を出る。 夜中は満天の星だったが朝霧と思われる雲が空に掛かっている。 尾根の末端の台地を回り込んで行くと大熊沢の激流がある。 二本の丸太と虎ロープの手摺りの簡素な橋を渡って尾根の背に回り込んでゆく。 道は谷の中より大分良いが道標の類は相変わらず見えない。 まわりの地形と高度計で現在位置を推定しながら登って行く。
あたりにまったく人気がなく、鳥の声と時たま動物の気配が感じられるだけだ。 本来の山登りの雰囲気はこうなのだと思う。
大熊沢源流地帯
ひと登りした所で大熊沢源流域が見えた。
右手の一番高い所が杁差岳の頂上付近なのだろうか? いずれにしても稜線ははるか彼方だ。
登路は所々で緩くなってそれほど厳しくはないのだが久し振りに背負った中型ザックの重さが応える。
一杯清水に着いた。テントひと張分の平坦地がある。 岩の間からそこそこの量の水が沁み出しているのだがすぐにザレた地面に広がってしまうため汲める所がない。 諦めて戻りかけたらチョロチョロ音が聞こえた。 音のする所を見ると石の間に挟まった木の枝が樋の働きをして細粒が流れ落ちている。 携帯カップがすぐに一杯になる位の流れだったので喉を潤し、ペット瓶のレモンジュースを満杯にした。
二王子岳が見えてきた   この先はやや急な登りが続く。 時々右手への視界が得られる様になり、やがて鉾立峰から派生している尾根の上に二王子岳が見えるようになってきた。
まだ幾つもの雪田が頂上付近に残っている。
かなり疲れてカリヤス平に着いた。
ここでは断層が尾根を横切っているのだろうか、尾根の背が少しずれてギャップになり、底が細長い平地になっている。
雪が消えていくらも経っていない雰囲気だ。 薄日が射し、適度に風通しが良くて気分が良いのでザックを枕に寝転んだらすぐに眠くなった。
目が覚めたら4、50分も時計の針が進んでいたので驚いたが長い昼寝のお蔭で疲れが取れた。
二ノ峰から杁差岳頂上が見えてきた
取り戻した元気で急登を上がり、一ノ峰に着いた。
細長い露岩のピークで見晴しがよい。 流れる霧のため時々チラリと見えては隠れているが、二ノ峰から新六の池の雪田の先に続く尾根の上の高い所が杁差岳の頂上らしい。
右手の方では鉾立峰が霧の層に頭を突っ込んでいる。

痩せ尾根を進んでザレたギャップを下ると新六の池だ。 池の縁を回り込んで行った所に雪田があった。
雪渓から流れ出す水が音を立てている脇にザックを下ろす。 池の脇に標柱が立っている。 今日始めて見るルート標識だ。 冷たい雪解け水で喉を潤しながらまわりを見廻すと雪が消えたばかりの湿地に沢山の赤紫の小花が咲いている。  後で図鑑と照らし合わせたらハクサンコザクラだったが優に50輪を越すくらいはあって、今までに見たうちでは最大の群落ではなかったかと思う。 池の縁にはイワカガミの群落もあった
新六ノ池 ハクサンコザクラ

  ここから杁差岳避難小屋まで、標高差100m 余りの急登があるのだがついに飯豊の頂稜の一角に到達したんだぞと嬉しさがこみ上げてくる。
雄大で美しいこの山々が "東北のアルプス" と言われるのは至極当然だと思う。
胸ほどの背の笹の間を登って行くと徐々に傾斜が緩んで、右側の笹原の先に小屋の屋根が見えてきた。 道が平坦になるとすぐに縦走路で、右手真近かに小屋がある。
メルヘンの園にある杁差小屋

  杁差岳の南肩にある小屋の周りは笹混じりのお花畑で色とりどりの花が咲き、広大な山岳展望と相まって御伽の園にいるのではないかと錯覚するような雰囲気が漂っている。
小屋には3人が先着していた。 年に十数回も泊まりに来ていると言う地元のベテランと最近山を始めたばかりという麓の関川村の中年が一階を、単独の若い女性が2階を占領していた。
スペースにはたっぷり余裕があったので南側の窓の下にマットを広げる。 身体を拭いて着換えをし、落ち着いた所へ熟年男が入ってきた。 小柄だが引き締まった体つきでいかにも元気そうだ。 聞いた見たら山口県から来たと言うのでビックリする。 新潟に仕事で来たついでに飯豊全山縦走をしているのだと聞いてまたビックリ。

  水場は小屋から5分ほど下った雪渓の末端だ。 冷たくて美味しい水を汲んできてコーヒーを淹れる。 寝転んでコーヒーを飲みながら暫く休んだあとカメラを持って外に出る。 ほんの4、5分で石祠のある頂上広場に着いた。 祠の脇に三角点標石と山名標柱とが立っている。 頂上の裏側を覗き込むと草原に被われたなだらかな尾根が延びている。
  3年前に三国岳から門内岳まで縦走したあと、飯豊にはふたたび来られないのでなないかと半ば諦めていたのに、その中でもとりわけ僻遠な位置にある杁差岳の頂上に立てた喜びを噛みしめる。
杁差岳頂上の石祠 杁差岳のお花畑

 頂上から小屋に戻る道の両側には色とりどりの花が咲いていた。 ニッコウキスゲ、ミヤマウツボクサ、オゼソウ、イブキトラノオなど、比較的背の高いものだけでなく、登山道の縁には幾種類かの背の低い草花が咲いていた。

正面の小屋の背後にある鉾立峰から左手奥へ大石山、頼母木小屋を経て地神山、北股岳へと徐々に高まってゆく主稜線は梅雨の名残りの霧が纏わり付いていてなかなか全貌を現さない。
小屋の右手には胎内谷を隔てて二王子岳が大きい。

                                      杁差岳頂上直下から南方の飯豊主脈稜線を望む

日没近く、一同外に出て景色を眺めながら山談義をする。 雲務が多くて景色がぼやけていたがそのお蔭でかえって赤い円盤になった太陽が日本海に沈んでゆく様子がよく見えた。 日が落ちて小屋に戻ると地元ベテラン氏が大形ガソリンランプを点した。 前もって担ぎ上げておいたもののようだったが営業小屋の電灯よりも明るいほどで持ってきたローソクは無用の長物となった。
夜になると幾分霧が少なくなって新潟平野の明かりが良く見えるようになった。 新発田や新潟の街の位置とその間を繋ぐ道路がよく分かる。  日本海には幾つかの漁火も見えた。
人数が少なくて余裕があったせいもあるがこの夜の同宿者は感じの良い人たちばかりで楽しい話が出来た。 特に、下越地方の良い山の様子と本州西端部の山の話、地元関川村の伝承や泊まり場など、参考になる事が多かった。


7月29日
<タイムレコード>
    杁差小屋(7:15)-鉾立峰(7:45)-コルの先(8:05/9:05)-胎内ルート合流点(8:45)-大石山南峰(8:55/9:05)-頼母木小屋(9:40/10:05)-頼母木山(10:45)-地神北峰(11:20/25)-丸森峰手前の雪田(11:50/12:00)-約1220m地点(12:40/55)-水場(13:20/25)-約800m地点(13:50/14:00)-約600m地点(14:30/35)-(13:05)天狗平飯豊山荘[15:47 \700]=[16:39]小国[17:34]=[18:17]坂町[18:38 イナホ12]=[19:19]新潟[19:33]=[21:42]上野=三越前=宮崎台

  少々朝寝をして5時近くに寝袋から這い出した。
目覚ましのコーヒを飲みながら腹具合を伺う。 昨日ユックリ登ったおかげか調子が良さそうだ。 身体全体もそんなに疲れていない。 用心して即席赤飯のパックの半分だけを蒸して即席味噌汁、鮭フレーク、味噌漬などをお菜に食べた。 久し振りに美味しいと感じた食事だった。
 食休みがてらパッキングををしているうちにほかの人たちは次々に出発していった。 "関川村のお兄さん" は鉾立峰まで行ってくるとサブザックで出て行ったがほかの4人は権内尾根を下山しに行った。
  苦労して登りついた飯豊の稜線だ。 幸いか不幸か胃腸の調子が悪くなったせいで食料も余裕がある。好天が続くようだったら頼母木小屋あたりでもう一泊してあたり一帯の "山見、花見" をしたいと思い、昨日の夕方、帰りが1日遅くなると携帯で家に連絡したのだが、夜のラジオの天気予報で朝鮮半島から東進する低気圧が各地に大雨をもたらし、下越地方も夜から降り出して総雨量が80mm 程になるだろうと告げた。 土砂降りの中で飯豊の厳しい下山路を歩く気にはなれない。 残念だが最初の計画に戻って今日のうちに下山する事にした。
  チョッピリ小さく軽くなったザックを背負って小屋を出る。 パッとしない空模様だ。 海の方からの湿った風が山に当って吹き上がり、17,800m あたりに雲の層を作っている。
小屋のすぐ下に飯豊のパイオニア "藤島 玄" の記念碑があった。 御影石のまん中にブロンズ製の胸像レリーフが埋め込まれ、その横に松方三郎の銘文を刻んだプレートが貼ってある。
藤島玄の碑 鉾立峰頂上

  コルへ下りはじめた所で "関川村のお兄さん" が戻ってくるのに出遭った。 毎日眺めている郷土の山なのだろうが始めて登ってその美しさや雄大さに触れ、深い印象を受けたに違いない。 コルの手前あたりまで進んだ時、鉾立の頂上に人影が現われた。 登り返して行くと間もなく三人、さらにその先で二人と擦れ違った。 いずれも胎内ルート分岐からのピストンらしく、身軽な格好だ。
  鉾立峰の頂上は標柱が一本立っているだけの小さな切り開きだったが飯豊の峰にしては尖がっている上にまわりに木がないため、360度妨げる物のない展望が得られる。
杁差岳が大きく、堂々としていてこの山脈の北の押さえとしての貫禄を示している。
  やや急に下ったコルから緩やかに登り上げた所に胎内ルートとの合流点があって道標が立っていた。 道端に数個のザックが置いてあった。 そこから隣のピークに登ったところで振り返ると鉾立峰を前衛に従えた杁差岳が堂々と立っていた。頂上の左肩にチョコンと可愛らしく、 昨夜お世話になった小屋が乗っかっていた。
鉾立峰を従えた杁差岳

、前方の高台に上にある頼母木小屋に向うあたりは道の両側にさまざまな花が奇麗に咲いていた。 切合小屋付近、本山付近、あるいは梶川尾根上部の様に地形が広広していないので大きなお花畑にはなれないが小群落がパッチ模様になっているのが良い。
ハクサンフウロ ハクサンイチゲ

大石山からほとんど平坦に進み、さらにひと登りした台地の上に頼母木小屋がある。 こじんまりした小屋二棟からなっていて軒下に炊事場のある小さい方に若い管理人が居て、もう一方の二階建が宿泊棟として使われている。 炊事場には太いホースで水が引かれ、盛大に流れ出している。 喉を潤し、レモンジュースのペット瓶を満タンにする。 
頼母木小屋から一段上がり、さらにもうひと登りした所に頼母木山と記した標柱と石地蔵が立っていた。
頼母木小屋 扇ノ地紙、北股岳方面

このあたりから霧の中に入った。
  またしばらく登り続け小ピークを乗っ越して進んで行くと丸森尾根下降点を示す標柱の立つ地神山北峰に着く。 五十台の男が一人休んでいた。 日帰りで梶川尾根を登り、これから下山する所だと言う。 男と話しながら丸森尾根に入る。 稜線から少し下がった所にヒメサユリが咲いていた。 名残りの一輪だ。
五十男は新発田の住人で最近夫婦で山登りを始めたと言う事だ。 この御仁と言い、関川村のお兄さんと言い、こんな素晴らしい山に何時でも来られる所に住んでいるのが羨ましい。
下り始めて間もなく、一時的に霧の隙間が来て扇の地紙から北股岳への連なりが見えた。 北股岳は南の方から見ると頂上直下に急峻なナギを抱えた険阻な鋭鋒だが北の方からはいたって穏やかな円頂に見える。 
梶川尾根上部の様に広く平らな所がないせいで大きなお花畑はないが所々で色々な花が見えた。 杁差からの稜線では見なかったアカモノが咲いていた。 稚児車の群落も頻繁に現れる。
アカモノ チングルマ

丸森峰のすぐ上の雪田の脇で止まった。 男はお昼にするらしく、ガスストーブで湯を沸かしだし、握り飯を取り出した。 暫く話を続けていたが人の食事を見ていても手持ち無沙汰なのでお先に失礼した。
丸森峰の標柱が立っている所から下りがやや急になる。 梶川尾根のような急降下ではないが水流で侵食されて深く抉れ、歩き難い。 暫く下った所で小休止していたら新発田男がやって来た。 無理して一緒に歩く事もないので挨拶だけで先に行ってもらう。

さらにもうひと下りし、傾斜が緩んだ所に水場のサインがあった。
"丸森の水場はどうなってるかな" と杁差小屋のベテラン氏が言っていたので様子を見に行く。 ほぼ水平に30m ほど尾根の南斜面に入っていった所に浅い沢窪があり、岩の間から水が流れ出している。
丸森尾根の水場
梶川尾根の五郎清水ほど冷たく美味しくはないが登山道からすぐだし、時季のせいか水量が豊富だ。
すぐ先からまた急坂が始まる。 登りはともかく下りでは道端の潅木に掴まらないと危ない場所が次々に出てくる。 ほかの山だったら当然ロープくらいは取り付けてあると思われる位の場所だ。 ロープを取り付けても冬の豪雪に耐えられないせいなのか、この程度の難場は問題なく通過できないような者は来ないでくれと言う意思表示なのか?
ノゾキの小ピークで梨を食べる。 低温と日照不足とのせいか今年の果物は水っぽくて甘くない。
丸森尾根下部の岩場
時々谷底を見ながら幾つかの小ピークを越すと最後の急降下が始まる。
梶川尾根の末端部の様に逃げ場のない急な細尾根ではないのだが急な露岩の部分など、道脇の潅木を頼りに下らなければならない所がある。

ノゾキから飯豊山荘まで標高差350m 程だからワンピッチだろうと思ったのは考えが甘かった。
急降下でバテてあと100m 程の所で小休止する。
あらためて飯豊の谷の険しさを実感し、"山の上は天国、途中は地獄" と、この前のときに飯豊山荘の風呂場で言ったら大受けしたのを思い出した。

幾らか助かったのは、日帰り山行の下山時によく悩まされる膝周りの痛みや頚痙が起こらないことだった。
どうやらこのトラブルは日頃あまり使わない脚の筋肉が突然の酷使に対応できなくて具合が悪くなるためで泊まり山行の2日目以降は出てこない問題なのかもしれない。
2時台に飯豊山荘に降り着ければ入浴して帰れると思っていたのだが下降路後半のスローダウンのせいで3時を回ってしまった。  最後の小休止の前後から時々パラパラッと先走りがあったが飯豊山荘の自炊場の屋根の下に入ってザックを下ろすと間もなく土砂降りの夕立が始まった。
  ヤレヤレ助かったわいと呟きながら流し台の蛇口の水でタオルを濡らして全身を拭く。 換えのないズボン以外は全部着替え、入浴は出来なかったもののサッパリした。
  パッキングに取り掛かった所にバスが来た。 大慌てで荷物を纏めて乗り場に行く。 町営バスは車体が小さいためこの前は超満員になって大変だった。 今回は時期がまだ早いのと天気が芳しくないのとで登山者は10人足らず、湯治から帰る地元のオバアちゃん達が加わっても補助席がいくつか余った状態で発車した。 すぐ下の梅花皮荘でオバァちゃんが6人が加わって補助席も一杯になったが集落に入るとそれぞれの家の前で停まって一人ずつ下ろして行き、また空いてきた。
  ほぼ定刻に小国駅に着いた。 呆れた事に1時間以上も待たないと上りも下りも来ない。 蕎麦屋でもないかと駅前広場を見廻したが1軒だけある中華そばの店も鎧戸を半分おろしている。

  少々遠回りだが時間的にはチョッピリ早くなる坂町-新潟ルートで帰った。
3時半過ぎに飯豊山荘を出たのに家に帰り着いたのは10時半過ぎだった。
7時間ほども掛かったと言う訳で、あらためて飯豊は遠いと思った。


☆おわりに
(1) 実際に通った西俣川-大熊尾根ルートの状況と小屋で遭った地元ベテランの話を総合すると、東俣川-権内尾根ルートは藪払いなどの手入れも定期的に行なわれていて危険個所もなく、ほとんど "赤実線" と思って良い状態に維持されているが、前者はスラブの側壁を持つ急峻なU字谷に流入する枝沢の渡渉、十貫平から大熊小屋の間に連続する足場の悪いヘツリなど数箇所に難場があって、何時でも誰でも安全に通過できるとは言えず、"灰色点線" に近い状態だ。

(2) 二度と行くことはあるまいと思っていた飯豊だったが二王子岳の頂上から眺めているうちにムラムラッとなってふたたび登ることとなった。 杁差岳から地神山の間は地味な山域だがそのお蔭で静けさと美しさと登山者の質が保たれている。