博士山、小野岳、二岐山 (2003.5.22-26)


☆期日/山行形式: 町立温泉施設、民宿利用 4泊5日 単独

☆地形図(2万5千分1): 博士山(新潟8号-2)、林中(日光1号-3)、東尾岐(新潟4号-4)、
                                          湯野上(日光1号-1)、甲子山(日光1号-2)
☆まえがき
    雪国の山に生命の息吹が満ち溢れる季節が来た。
この時期の慣わしになっている会津方面への山旅に出た。
数年前、会越国境の守門岳と浅草岳から手を着けた山域で、めぼしい山を拾い食いしながら年を追って東漸して来た。 今年は "中通り" に近い博士山、小野岳と二岐山に行って見ることにした。
地味だがそれぞれ個性のある山だし、山麓に温泉があるのでそこでの泊まりが楽しみだ。
4月下旬以来なかなか治りきってくれない風邪の "湯治" も意識した行程を立てたが、あらましは初日に新宿から高速バスで会津若松へ。 そこで乗り継いだローカルバスで会津柳津まで行って町立の宿泊施設に宿泊。 二日目の朝にバスで大成沢(355)まで行って林道歩きでアプローチ。 登山口(755)から道海泣き尾根に取り付き、シャクナゲ洞門(1150)を経て尾根道合流点(1275)に上がり、社峰(1442)を越して博士山(1482.0)に登頂。下山は尾根ルートをシャクナゲ畑、近洞寺山(1266)から林道(710)へ下り、大成沢からバスで柳津に戻って宿泊。
三日目は早朝のバスで会津若松経由、会津鉄道線湯野上温泉駅まで行き、タクシ−で大内宿(670)まで行って登り始め、送電線鉄塔(885)、巡視路分岐(1160)を経て小野岳(1383.4)に登頂。南に向かう尾根を湯野上登山口(600)へ下って小野観音堂(530)を経て湯野上温泉(420)に下山して民宿に泊まる。
四日目はタクシーで蝉トンネル先の二岐山女岳登山口(1000)へ行ってまず女岳(1504)に登頂。 最高峰の男岳(1544.3)に登ったあとブナ平(1275)から二股温泉登山口(980)へ。 林道を御鍋神社(955)を経て二岐温泉(800)まで歩き、時間があれば温泉で汗を流して須賀川駅行きバスに乗り、鏡石駅からJR線で帰る、という3泊4日の行動計画だった。
  ところが、ほとんど治ったと思っていた風邪がまたぶり返して喉や鼻に炎症が出て来た。 それを抑えるために消炎剤や抗生剤を服みながら博士山に登ったがかなり疲れ方がひどかったので三日目を休養に当てて日程を1日延長した。
長年山登りをしていて悪天候による停滞はした事があっがこの様な意識的に休養を取る日を設けたのは始めてだった。 効果はてき面で、その後の小野岳と二岐山は快調に登って帰った。


☆詳しい記録
5月22日
(アプローチ)
<タイムレコード>: 宮崎台=渋谷=新宿駅南口バスターミナル[9:10]=(高速バス \4800)=[13:30]会津若松[14:00]=(路線バス \1100)=[15:03]会津柳津(一王町)-(15:10)柳津温泉{つきみが丘町民センター \6450}

  マイカーを使わ(え)ない場合、僻遠の山域にどの様な手段でアプローチするか悩むことが多い反面、最適のアプローチ法を探し出して行程を組立てるのも "山"  の楽しみのひとつだ。 縦走や山越えなど、山行形式を自由に選択できるのも大きな利点だ。
  この山行では今年の春から相互乗り入れをするようになって乗り継ぎが便利になった東急-東武線を利用して会津若松へ行くか、回り道だが時間が早い東北新幹線郡山経由で行くか考えているうちに新宿から猪苗代、会津若松へ高速バスが運行されているのを思い出した。 4時間半足らずで行けて低料金だ。 会津若松から柳津までの間も、運行本数の少ない只見線よりローカル路線バスを利用した方が遥かに便利だという事が分かった(http://www.aizu.com/bus/)。
  長い間スッキリしないでいた風邪のダメージで家を出る時、大きくもないザックの重さでガクッとしたり、裏山を越すのに息切れがしたりで気分が暗くなったが、バスの旅は快適で無事に柳津に着いた。 ここは只見河畔の景勝地で、日本三大虚空蔵尊のひとつと言う圓蔵寺の門前町がある(下左)。
柳津 飯谷山
  宿泊所は 町役場が紹介してくれたつきみが丘町民センターだった。 川を挟んで寺と向かい合っている丘の上の諏訪神社の森の中にあるミーティングホール付属の宿泊施設だ。 質素な宿だが24時間いつでも温泉に入れ、部屋の窓からは只見川対岸に立つ飯谷山の奇麗な姿が見えた(上右)。
  夕方圓蔵寺に参詣し、早目に夕食と入浴を済ませ、薬を服んで寝床に入った。


5月23日(博士山)
<タイムレコード>: 一王町[7:53]=(路線バス \840)=[8:45]大成沢(8:55)-登山口駐車場(10:00/10)-道海泣き尾根取付(10:55/11:00)-シャクナゲ門(11:20)-稜線ルート合流点(11:45.50)-社峰(12:20)-博士山頂上(12:50/13:20)-道海泣き尾根分岐(13:55/14:00)-シャクナゲ畑(14:03/10)-近洞寺山(14:15)-コブシヶ原(14:35)-水場(15:00/05)-林道(15:15)-道路脇の草地(15:45/16:00)-(16:30)大成沢[16:45]=(路線バス \840)=[17:33]一王町-柳津温泉{つきみが丘町民センター \6450}

  早い時間に目が覚めた。 少し早めに用意して貰った朝食を食べ。 サブザックを背負ってバス停に行く。 朝のバスは小学校生徒の通学のために運行されているようで車内は子供達で一杯だった。 ひと走りして町役場の近くで生徒たちを降ろしたあとは "貸切り" となった。滝谷川谷に入って暫くの所は狭隘だがその先はまた開けて来て所々に集落がある。 鄙びた湯治宿がある西山温泉を過ぎ、さらに暫く走るとようやく終点の大成沢だ。
博士山登山口
 博士山と志津倉山の間を通って昭和村に通じている道路から外れて集落に入り、小学校を通り過ぎた所が終点だ。
 バスを降りた所に博士山への林道の入り口があって登山上の注意を記した看板が立っている。
坂を上がって集落を抜けると博士沢谷右岸の台地上に出る。
いくらか雲があって霞んでいるが穏やかな五月晴れの空が広がっている。
田植えの終わった田圃と林が断続する脇を登って行く車道は至極緩い登り坂なのだがすぐに息が切れてピッチが上がらない。
博士山遠望
風邪と薬の副作用の両方が原因なのだろうが意気があがらない。
やがて前方が開けて来て博士山が姿を現した。
思っていた程大きな山ではないが地形は複雑だ。
複数のピークを持ち、急峻な谷の中をいく本かの支尾根がせり上がっている。 谷の奥壁の所々には雪渓が残っている。
登山道入口 ヘヤピンカーブを上がり、右手からの砂利道を合せた所から先では拡幅工事が行われていた。 間もなく登山口に着いた。 左側に広い駐車場があって3、4台の小型車が停まっている。
  大成沢からの登りでかなり疲れた。 出入り口の脇に設けてあった野外テーブルでポカリスエット入りレモンジュースを飲む。
  福島ナンバーの車が上がって来た。 中から三十台の女性二人が出て来て山支度を始めた。
ひと足お先にと声を掛けて登山道に入る。
谷底のグチャグチャした所を暫く進んで行った所に道海泣き尾根の取り着きを示すプレートがあった。 20m ほど左に行った所を流れている細い水流がこのルート最後の水場だ。
博士山稜線 尾根ルートに入るとすぐに傾斜が強まり、所々にロープが張ってある。 
ロープや鎖にはなるべく頼らないのが基本だが直前の日曜日に山開きが行われたばかりだからチェックされたばかりの筈だ。 今日はコンディションが悪いから大いに活用して足腰の疲れを軽減し、変な所でよろめいたり転んだりするリスクを減らした方が良い。
無理が来ないようスローペースで登り続けていたらシャクナゲ洞門に着いた。 ここからはいくらか傾斜が緩んで楽になる。
やがて登りついた稜線は頂上へ向う道と下山路との分岐点になっていた(左)。
博士山頂上 藪の縁に腰を下ろして登りの疲れを癒し、ボツボツ行こうかと思いかけた所へ女性パーティが登って来た。
風邪気味だからと言って先を譲るとひどく真剣な顔つきになってあんまり無理をしないでくださいねと言って進んで行った。
二人は看護士なのかも知れない。
ひと息おいて後を追う。 本名御神楽と御神楽岳本峰の間の頂稜と同じように北側がすっぱり切れ落ち、南側の藪が被り気味になっている。 社峰に上がると前方に頂上が見えた。 斜面を覆っている潅木の間に残雪が覗いている(左)。
博士山頂上広場   短く急に下って登り返しを始めた所で年寄りパーティが降りて来るのに出遭った。 最初に見えたのは2、3人だったのでそれだけかと思ったら薮の陰から次から次へと々に人が現れて総勢16、7人になった。 所々に咲いているコブシやヤシオツツジの花を見ながら登り続け、ようやく頂上に着いた。
  登路の尾根の険しさとは対照的に穏やかで平坦な頂上広場には先行していた二人組のほか、新潟から来た熟年4人組が休んでいた。
頂上北側の残雪 周りの潅木林は芽萌きで微妙に色付き、林床にはびっしり雪が残っている。
色々な山が見える筈なのだが天気が良過ぎて霞が濃く、すぐ隣の志津倉山さえはっきりとは確認できない。
僅かに北の方に青く霞んだ山影が認められた。
まわりの人達に聞いて見たが誰からもはっきりした返事が得られなかった。 気になるので家に帰ったあと山岳展望シミュレーションソフトで確認して見たら磐梯山以外にはありえないという事が分かった。
コブシの花   下山は社峰からコブシの花越しに見えている近洞寺山へ稜線を直進する。
  その先はブナの大木が林立している尾根を下って高度を下げ、尾根末端近くにある854m ピークとの鞍部の手前から右側の山腹に移る。

  体調が芳しくないため朝からのアルバイトでかなり疲れた。 ちょっとしたきっかけで足腰のどこかの筋肉が頚痙しそうな気がするので急がず休まず歩き続けて徐々にクールダウンするよう努める。
  大分大成沢が近付いたあたりで体調が落ち着いてきた。 バスが出るまでにはまだ時間があるので田圃の入り口の草原に入って休憩する。 寝転んで目を閉じると瞼を透って来る光が赤い。 まだ身体の中を赤い血が流れている事を実感する。 風邪の方はほとんど治ってくれたようで喉や鼻の痛みは引いた。 このまま直ってくれれば計画を中断して家に帰るようなこともなくなるだろう。
  大成沢からのバスは西山温泉近くから小学生が一人乗って来たほかに客はなかった。 宿舎の温泉で長湯をして足腰に溜まった疲労素を流す。 疲れは軽くなったが終日足腰に血液を奪われた腸はすぐに立ち直ることができず軽い下痢をした。



5月24日
(休養日)
<タイムレコード>: 柳津温泉[9:33]=(路線バス \1100)=[10:40]会津若松駅[10:56 \1000]=[11:44]塔のへつり駅[13:21 \260]=[13:30]湯野上温泉駅-(14:10)湯野上温泉民宿橋本屋{\8500}

1日休養して博士山の疲労を癒す事にした。 ゆっくり起き、時間を掛けて食事をする。 のんびりしたローカルバスの旅で会津若松まで行き、鉄道に乗り継いで泊まり場のある湯野上温泉よりひとつ先の塔のへつり駅まで行く。
小野岳遠望   塔のへつりはこれまで何度か通り過ぎて気になっていた観光スポットだった。
  黒部の下ノ廊下のような所かと期待して谷に降りて行ったのだがへつり道の長さが僅か200m 程しかなかったので大いにガッカリした。
せめてもの救いだったのは、川縁の店で食べた手打ち蕎麦が美味しかったのと谷の中から見上げた小野岳が奇麗だった事だった。
  新緑の林の中にあるこじんまりした駅舎で待った下り列車に乗って湯野上温泉駅に戻る。 珍しい茅葺き屋根の駅舎でコーヒーを飲んで予約の民宿に行った。
ひと晩の宿泊しか予約しれなかったがもうひと晩泊めてくれるよう頼む。 これで日程を1日延長できたので天気が悪くならない限り予定していた小野岳と二股山に登って帰れる事になった。


5月25日(湯野上岳山開き)
<タイムレコード>: 湯野上温泉民宿橋本屋(6:45)-(7:00)湯野上温泉駅[7:10]=(山開きマイクロバス)=[7:30]大内宿登山口(7:50)-水場(8:05/07)-鉄塔横の尾根上(8:25/30)-巡視路分岐(8:50)-小野岳頂上(9:45/10:25)-下降路中間部(11:10/20)-湯野神登山口標柱(11:35)-観音堂(11:45/12:00)-湯野上温泉駅(12:20/12:50)-湯野上温泉民宿{\8500}

日程が1日遅れたため小野岳の山開きに参加する事となった。
駅舎に貼ってあったポスターに7時から受け付け開始と書いてあったので朝食を早めて貰って定刻の15分前に宿を出る。 駅舎の周りには30人ほどが集まっていた。受付でもしているのかと思っていたが何もしないので一体どう言うことになるのかなぁと思っていると突然中型バスが2台走って来た。 何の説明もなかったが各自勝手に乗り込むと走りだし、暫く走って大内宿登山口に着いた。
小野岳の山開き 車道からひと登りした所にある広場には2、30人が集まっていた。
  受け付け名簿に書き込んで参加記念バッジやルートの説明、行事の時間割りなどを貰う。
参加者は遠くても若松辺りからでお互いに会津弁で話をしている。 家庭的な雰囲気が好ましいと思った。
広場のまん中にお祓いのための幣を結んだ笹竹が立てられていたがプログラムを見るとあと40分も待たないと行事が始まらない。
  気の早い人達が三三五五登って行くのでこちらもその後を追って登山道に入る。
沢沿いの道をひと登りすると道から外れて山菜採りをしている熟年夫婦がいた。 早目に歩き出している人達の目あては山菜だったらしい。
小野岳のブナ林 最後の水場で喉を潤しながらペット瓶の水を汲み替える。 沢奥の山腹を左に向かって斜上して行く道は送電鉄塔巡視路共通の黒色プラスチック部品で階段が作られている。
尾根上に登りついた所の木に "天望台" と記したプレートが掛けてあった。 左へ20m 程行った所に立っている送電鉄塔の周りが切り開かれて休み場になっているが背の高い笹薮に囲まれ、文字どおり "天" しか望めないようだ。 ひと息入れていると近くにいた熟年男にカメラのシャッタボタンを押してくれと頼まれた。
右に折れて尾根上の道を進む。 休養日の効果はてき面で、体調が非常に良い。
緩急を繰り返す尾根道から頭の上を見上げると黄緑色の若葉が覆っている(左)。
やや急な所を登って行くと頂上が近付いて来た。
道の両側の笹薮の中で何人かがガサガサやっている。 宿の主人に筍を取ってきてくれと頼まれていたのでザックを下ろして笹の中に入ってみた。 所々に筍が出ていたが単純に引き抜いたのでは途中から折れてしまう。 ブツブツ言っていたら、山側に折り返せばちょうど旨い具合に折れてくれるよと傍にいたおじさんが教えてくれた。
山開きの小野岳頂上 頂上には湯野上口から登って来た人た者が大勢いて賑わっていた。
こじんまりした山に似合わぬ広広とした頂上広場で、奥手の大内宿側に石祠がある。 横に立つ説明看板によれば、祠の下に財宝が埋まっていると信じた者達が掘ったため何メートルか陥没してしまったのを大内宿の有志達が修復したと言う事が記してあった。
広場の北東側の縁に見つけたスペースに腰を降ろす。 隣りの熟年ハイカーは若松からだった。
正面に見える大戸岳の山繋がりが意外に大きく、登り出がありそうに見える。 飲み食いをしながら休んでいると大内宿の方からの人達が到着しだし、次第に混雑して来た。 十分休んで疲れが取れたので場所を明けるために立ち上がる。 下山口に入る前に広場の東端に行って見たら三角点標石があった。  緩い下りはすぐに急降下に変わるが暫くするとまた傾斜が緩み、その先は緩急を繰り返して下って行くようになる。
小野岳 湯ノ上登山口 途中にあった笹薮に入ってみた。 南東面にあたっているためか太い筍が沢山出ていた。 何本か採ってザックに入れる。
そこから先は新緑の林の中をひたすら下り続けてゆく事となったが、会津っぽの性格を写してか律義に刻まれたジグザグ道は非常に歩き易かった。
大半は下ったと思われる所で一服し、また歩き出すとすぐに杉の植林の中に入った。 下枝下ろしも行なわれていない手入れの悪い暗い杉林だ。 間もなく "湯野上登山口" と記した標柱に着いた。
観音堂   地元のご婦人達が用意してくれたお茶と漬物のご接待にあづかる。
汗をかいたあと、塩辛い漬物は山の水で淹れたお茶とあいまってとても美味しかった。
昼時になったので礼を言って立ち上がる。
阿賀川谷  左に向かって水平に進んで行くと観音堂がある。 参道を降りて行く途中からは右手に大戸岳が高く見え、前方には阿賀川谷の眺めが奇麗だった。 山間に細長く延びた湯野上温泉の集落からはいかにも穏やかそうな雰囲気が感じられた。
湯野上駅前の店でラーメンを食べて宿に戻る。 土曜の夜は大勢が泊まって賑やかだったが皆帰ってしまって暇になった主人は帳場のパソコンでマージャンゲームに熱中していた。 ただ一人、大広間の隅で夕食を食べるのはいささか寂しかったが山から採ってきた筍を焼いてくれて熱くなった皮を剥いて甘味噌で食べたのは絶妙な味だった。


5月26日(二岐山)
<タイムレコード>: 湯野上温泉[7:55]=(タクシー \4840)=[8:25]二岐山女岳登山口(8:30)-推定1320m地点(9:15/20)-女岳石祠(10:05/10)-男岳(10:40/11:05)-ブナ平(11:36)-林道(12:05)-御鍋神社(12:15/35)-(13:25)二岐温泉[15:30]=(路線バス \800)=[17:10]鏡石駅[17:39 \3570]=[18:01]新白河[18:30]=(新幹線 \2520 地震で遅延)=[21:40]上野=三越前=宮崎台

  二股温泉からの帰りのバスは午後3時30分発の一本だけだ。 コースタイムと風呂の時間から逆算して8時に来てくれるようタクシーを予約した。
湯野上温泉から二俣までは思っていたよりずっと近く、ひと走りしてトンネルを抜けるともう天栄村だった。 右に折れて二俣温泉に向かい、スキー場の下を過ぎると間もなく二股山林道の入り口がある。 最近建設された風力発電所への資材輸送で手入れが行なわれて走り易くなったため最近はこちらからアプローチする者が多いと言う。
  ひと走りした所にあるカーブの裏側に "二股山登山口" と記した道標があった。 タクシーの運賃も予想より安く、5000円でお釣りが来た。
女岳登山口 入り口のすぐ上に鳥居がある。
雌岳へのルートは密生した新緑の潅木林の中の緩やかな登りから始まる。
曇りの月曜日のせいか周囲に人気はなく静まり返っている。 二日ほど前、天栄村の山に山菜を採り来ていた人が熊に襲われて亡くなったと聞いた。 出会い頭が最も危険なのでこちらの存在を知らせるよう時々 "吠え声" を出しながら進む。 やり方は簡単で、吐き出す息で裏声を出しながら舌を振動させる。 良く通る甲高い音が楽に出せるだけでなく、腹の底から大きく息を吐き出すことになるので呼吸の助けにもなる。
女岳肩の石祠 進むに連れて傾斜がドンドンきつくなった。
始めは所々だった虎ロープが連続するようになり、さらに二本も張ってあるほどになった。 登りではともかく、下りにこのロープがなく、雨で地面が滑り易くなっていたらかなり難儀に違いない。 北斜面だから残雪期には凍結すると思われ、シッカリしたアイゼンとピッケルが必要になるだろう。
ブナの大木林を抜け、周りの樹木の背が徐々に低くなって視界が開けて来ると頂上は近い。
尾根が痩せて来て傾斜が緩んだ所を登って行くとシャクナゲの花が現れ、やがて石祠の前に登り着いた(左)。 急登から解放され、ホッとして休憩する。
女岳から望む男岳
広い尾根の上を緩やかに登って小雪田を横切るとだだっ広い感じの女岳頂上だ。
前方に姿を現した男岳は黒々した山体に霧を纏わらせて厳しい雰囲気を漂わせている(左)。
やや急に下った鞍部から芽萌きの潅木の間を登って行くと所々でシャクナゲの花を見る様になった(下左)。
やがて標柱の立つ広々した広場になっている男岳頂上に着いた(下右)。
 360度の視界が得られる素晴らしい展望地で、近在からと思われる熟年4人組が休んでいた。
石楠花 男岳頂上
  記念写真のシャッターを押してあげたら4人組はザックを置いて女岳の方に行った。
一人残された頂上をブラブラ歩きながら飲み食いをしたり写真を写したりしてこの山行最後のピークを楽しむ。   南は那須連峰だ。 雲が纏わりついていて核心部は見えないが朝日岳の尖ったピークが目立っている(下左)。 振り返って北の方を見ると流れる雲の切れ間に吾妻連峰と思われる雪の山脈がウッスラ見え隠れしている。 その手前側から西の方に掛けては只見から南会津一帯の山々が折り重なるように並び立っている(下右)。
  この数年の間にこの地域を何度か訪れ、いくつかの山に登ったがまだまだ沢山の未登頂のピークが残っている。 とても生きているうちには登り切れないなぁ、考える。

那須 朝日岳 男岳から南会津を望む

   眺めを存分に楽しんだので下山に掛かる。
今回の山行は、出だしのコンディションが悪くて厳しかったが休養日を設けたお蔭で後半は快調となり、気分良く山に登れたばかりでなく風邪も治ってしまった。
  満ち足りた気分で目の下に見えるブナ平への下降をして行くと熟年カップルが登って来た。  新緑の中を下り続けてブナ平の林道跡に出た所で振り返ると男岳頂上下の広い斜面が芽吹いたばかりの樹木に被われ、何ともいえない色合いになっている(下左)。
左に向かって5分ほど水平に歩き、今度は右に折れて下って行くとアスナロの大木林の中に入る。 鬱蒼と茂っている常緑樹の密林に視界が狭められて単調になったがやがて大岩が積み重なって混沌とした感じの地帯に入った。 二岐山には残雪期にショートスキーを使って登って見ようと考えた事があった。 実際に歩いて見ると地形図で想像していたより微地形が複雑だから少々苦労する事になっただろう。
  やがて林道に飛び出した(下右)。 ゆっくり登って二股山男岳頂上まで2時間と記した道標が立ち、近くに2,3台の車が停めてある。
ブナ平か男岳 男岳登山口
お鍋神社 林道を少し歩いた所で山菜採りらしい老人に遭った。 腰に熊避け鈴を付けている。 そのすぐ先の道端でおばちゃん三人がお昼を食べていた。
  お鍋神社入り口の道標があったので尋ねて見たらすぐ近くだよと言うので立寄って行くことにした。
緩く下って行くと入り口の軒下に大きな釜を逆さ吊りにしたこじんまりした社殿が沢岸に建っていた。
 社殿のすぐ手前にはサワラの大木が二本立っている。 沢で水を汲み、林檎やチーズを食べて腹拵えをしているとおばちゃん達がやって来た。 社殿の方はちょっと見ただけで前の笹原に入って行き、しばらく筍取りに精を出したあと戻って行った。
時間的に余裕があったのでノンビリ林道歩きをして二俣温泉に行く。
道端の桂祇荘で休憩して温泉に入り、蕎麦を食べる。
バスはまた "貸切" で、昔はこの路線がドル箱だったと言う事をはじめ、もうじき定年と言う老ドライバーの、興味深い話を色々聞かせて貰いながら広大な天栄村を走り抜け、最寄の鏡石駅へ行った。
  ここはわが国で始めてオランダ式酪農法が入った土地で、美味しいアイスクリームやチーズが作られていると言う。
  在来線で帰るより1時間早くなるので新白河から新幹線に乗り継いだがたまたま宮城県沖地震に遭って大幅に遅れ、1時間40分も遅れて帰りつくこととなった。