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横尾-蝶ヶ岳-大滝山-徳本峠-明神 (2003.9.9-10 &22-25)
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☆期日/山行形式: 2003.9.9-10 & 22-25 山小屋利用 単独
☆地形図(2万5千分1): 上高地(高山7号-2)、穂高岳(高山7号-1)、波多(高山3号-4)
☆まえがき
いくらか歩けるうちにと思って昨年の夏山シーズンに、"栂海新道"
と "裏銀座" を縦走した。
若い時に歩いた分を含めれば "北" の主要な稜線でまだトレースしていないのは、針ノ木峠から烏帽子岳、赤牛岳から黒部湖、蝶ヶ岳以南の徳本峠を経て霞沢岳、および焼岳あたりという事になった。
このうちでは、蝶ヶ岳から徳本峠までは、最もマイナーで地味な所だが一昨年の9月に歩き洩らしている。
燕岳から大天井、常念、蝶ヶ岳を越えて徳本峠まで南下し、コンディションがよければ霞沢岳にも登って島々谷を下ろうという計画だったのだが、初秋に良く降った年で思い通りには歩かせてもらえなかった。
合戦尾根を登った初日は良い天気だったのだが二日目は朝から雲行きが不穏で、大天井岳頂上で降り始め、横通岳を経て常念小屋へは次第に降り募って来る雨の中を歩くこととなった。
三日目は幾分回復して常念の下りから少しずつ周りが見えてきて、蝶槍からは梓川谷越しの槍穂高の展望を楽しんだのだがその次の四日目はまた霧雨になった。 しつこい雨に嫌気がさして縦走を中断して三俣へエスケープ。 山麓の入浴施設で汗を流したあと豊科駅から帰った。
蝶ヶ岳から大滝山を経て徳本峠までの稜線は "北"
では取り立てて言う程の所もない、至って地味なルートなのだが徳本峠は若い時代の苦い思い出と繋がっている。
今年の夏の不順な天候のため、"北" はどこも歩かないうちに秋が来てしまった。
せめてこのルートをトレースして徳本峠の小屋に泊まり、昔を偲びながら島々谷道を歩こうと考えた。
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蝶槍の頂上から望む槍ヶ岳。 左南鎌、右に北鎌尾根を従え、堂々とした姿だ |
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行動計画のあらましは、初日に松本から新島々、上高地(1510)を経て徳沢(1565)までに入って宿泊。
二日目に横尾(1625)からpt2255を経て稜線(2625)に上がり、蝶槍(2665)からの展望を楽しんだあと蝶ヶ岳ヒュッテ(2655)に入って宿泊。 三日目は大滝山(2610)を越し、大滝槍見台(2364.5)、明神見晴(2180)を経て徳本峠(2140)まで縦走して峠の小屋に宿泊。 四日目は岩魚留小屋(1280)から二股(935)を経て島々(724)に下山してバスで新島々(685)へ。
松本からは高速バスまたはJR線に乗って家に帰ろうと言うものだった。
天気の推移は思ったより早く、雨の中を歩くだろうと予想していた徳沢へのアプローチは快晴。 翌日に稜線に登り着いた時にもまだそこそこの天気で、蝶槍から槍穂高への展望を楽しんだのだが三日目の朝は出発する頃に降り始めた。 大滝山までは降り方が弱くそこそこの展望も楽しんだが大滝槍見台あたりから本降りとなり、徳本峠に近付くに連れてどんどん強まって最後は水が川の様に流れようになった道を歩いて徳本峠小屋に飛び込んだ。 夜通し降り続けた雨は四日目の朝になっても一向に衰えなかった。 島々谷道歩きはギブアップして明神に降り、上高地からバスで新島々に出て帰ることとした。
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☆詳しい記録
9月9日
<タイムレコード>: 宮崎台[7:16 \210]=[7:34]長津田[7:44 \3890+2100]=[8:17]八王子[8:33 Sアズサ3]=[10:37]松本[10:50 \680]=[11:20]新島々[11:30 \1900]=[12:40]上高地(12:30/45)-明神(13:30/40)-(14:30)徳沢{村営徳沢ロッジ \8150}
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久し振りの上高地はすっかり観光地化していたが梓川の向こうに見える岳沢は昔のままだった
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梓川対岸に明神岳を見ながら進んで徳沢に行き、安曇村村営ロッジに泊まった
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9月10日
<タイムレコード>: 徳沢(7:20)-横尾(8:20/コーヒ飲みつつ雨宿り/9:00)-徳沢(9:50/10:00)-明神(11:00/10)-穂高神社(11:00/10)河童橋(12:00)ウエストン記念碑(12:20/50)-(13:00)上高地バスターミナル[13:20
\2400]=[14:30]新島々[14:48]=[15:17]松本[16:20 \3400]=[19:30]新宿BT[\150]=渋谷[\220]=宮崎台
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穂高神社とウエストン碑に立ち寄り、ウエストンがケンブリッジ大学 Master of
Arts という事を知った
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9月22日
<タイムレコード>: 宮崎台[7:16 \210]=[7:34]長津田[7:44 \3890+2100]=[8:17]八王子[8:33 Sアズサ3]=[10:37]松本[10:50 \680]=[11:20]新島々[11:30 \1900]=[12:40]上高地(12:30/45)-明神(13:30/40)-(14:30)徳沢{徳沢園 \9000} |
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明神を過ぎると梓川谷の奥に大天井岳が姿を現した |
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徳沢園は小屋というよりホテルだった |
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9月23日
<タイムレコード>: 徳沢(7:30)-横尾(8:35/45)-槍見台(8:25/35)-尾根の上に出る(10:00)-R(10:20/25)-2255m
平坦地?(11:00,?11:15)-R(11:25/35)-標高約2500地点の道標(12:00)-R(12:15/25)-稜線(12:40)-蝶槍(13:00/30)-(14:10)蝶ヶ岳ヒュッテ{\9000}
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横尾の手前で前穂東壁が姿を現した
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台風直後で横尾山荘は閑散としていた
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横尾からひと登りした槍見台からの展望
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横尾から蝶ヶ岳へは濃密な針葉樹林の中を登る
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梓川谷の向かい側は穂高連峰だ
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北には常念岳と大天井岳が連なっている
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南の方には浅いコルを隔てて蝶ヶ岳と大滝山がなだらかな起伏を描いている。 |
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9月24日
<タイムレコード>: 蝶ヶ岳ヒュッテ(6:45/55)-大滝山(8:20)-大滝山荘(8:25/30)-R(10:00/10)-大滝槍見台(10:45)-R(11:00/10)-明神見晴(11:55)-R(12:00/15)-PK2246.5(12:45)-(13:15)徳本峠小屋
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蝶ヶ岳と大滝山のコルの池塘のまわりの紅葉
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大滝山への登路で振り返って蝶ヶ岳を望む
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大滝山頂上から徳本峠、霞沢岳方面を望む
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大滝山荘は閉鎖されていた
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崩壊寸前の大滝槍見台
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明神見晴では屏風の頭あたりしか見えなかった
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トレードマークのツッカイ棒で支えられた徳本峠小屋。
雨の中を島々から登ってきた青梅の女性二人組と同宿した。
雨は翌日も降りつづけ、やむなく川の様になった道を歩いて上高地に下山して帰った。 |
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9月25日
<タイムレコード>: 徳本峠(7:30)-明神(8:40/9:00)-(9:50)上高地バスターミナル[10:00 \2400]=[11:10]新島々[12:53]=[13:22]松本[14:20
\3400]=[17:48]新宿BT[\150]=渋谷[\220]=宮崎台 |
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☆おわりに
大滝山頂上から徳本峠までの間は濃密な針葉樹林の中を登降を繰り返して行くためほとんど展望が得られない。 林床が笹や地衣類に被われているルートは奥秩父の十文字峠付近を思い出させた。
徳本峠小屋はツッカイ棒に支えられて辛うじて立っている老朽した建物で今でもランプと外便所という時代離れしたスタイルだが、管理運営はシッカリしていて食事も良く、居心地の良い小屋だった。
やっぱり山は天気がよくないと楽しくない。
7月以来、隔週の山行周期が天候変化の谷間にはまってしまっているのは本当に困ったことだ。 |
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