丸岩/菅峰-浅間隠山 (2003.4.21-23)


☆期日/山行形式: 2003.4.21-23 旅館/山荘利用2泊3日

☆地形図(2万5千分1): 長野原(長野5号-2)、浅間隠山(長野6号-1)

☆まえがき
JR吾妻線の長野原草津口駅を起点とし、西上州北部の山間の温泉で三夜の泊まりを重ね、丸岩(1124)/菅峰(1474)、浅間隠山(1756.7)、角落山(1393)、鼻曲山(1655)を越して軽井沢に抜ける山旅を計画した。
  行動のあらましは、初日に長野原草津口駅(600)からタクシーで須賀尾峠手前の取付(1000)まで上がって丸岩(1124)に登頂。 さらに須賀尾峠(1035)から中間峰(1275)、鞍部(1335)を経て菅峰(1474)に登頂したあと、峠の南麓にある吾妻町清水に下って温川温泉(760)に宿泊。
二日目は清水から温川谷を遡り、林道終点(980)、しゃくなげ尾根(1450)から稜線鞍部(1565)を経て浅間隠山(1756.7)に登頂。 南麓を流れる烏川源流の谷間にある奥浦川温泉はまゆう山荘(830)まで下って宿泊。
三日目は赤沢出合(880)から コル(1230)を経て角落山(1393)に登頂。 コルに戻ったあと剣ノ峰(1439.5)を越し、十六曲峠(1280)から霧積温泉に下って金湯館(942)に宿泊。
四日目は霧積温泉から鼻曲山登山口(1070)、十六峠分岐(1275)、霧積のぞき(1290)、鼻曲峠(1580)を経て鼻曲山(1655)に登頂。 鼻曲峠に戻ったあと留夫山(1590.8)、一ノ字山(1336.0)から恩婦石(シフセキ)へと稜線を伝い、熊野神社(1250)から見晴台(1225)を経て旧軽井沢の二手橋(980)に下り、JR軽井沢駅(941)から新幹線で帰る、という物だった。


左手前の円頂が菅峰、その右手低くに丸岩から高ジョッキへの連なり、遠い雪稜は志賀から野反湖を経て谷川
連峰西部に至る国境稜(浅間隠山から)


  あいにく出発間際に風邪を引き、それを押え込もうとして強い薬を服んだら風邪のほうは治ったがその代わりに胃腸の調子がおかしくなった。 初日と2日目は頑張って何とか計画通りに歩いたが大分疲れ方がひどかった。 "春に三日の晴れなし" の例え通り、空模様の方も思わしくなくなって来たので行動を中断し三日目の朝に下山して権田-室田-高崎経由、家に帰った。
計画の半分しか達成できず、特に角落山に登り損ねたのは残念だったが久し振りに奥上州の人と自然に触れ、少年時代を過ごした土地への懐かしみを味わった。

☆詳しい記録
4月21日
<タイムレコード>:宮崎台[6:15]=[6:36]表参道[6:38]=[7:06]上野[7:20 特急草津1号]=[9:48]長野原草津口駅=[Taxi \2660]=丸岩取付(10:10/20)-丸岩(10:45/50)-取付(11:10)-須賀尾峠(11:20/25)-中間峰(12:05)-菅峰(13:00/05)-下降点(13:10/35)-須賀尾峠(14:30/40)-(15:45)清水温川温泉白雲荘

  今回は久し振りの長期山行だったが思ったより早く準備が済んで時間の余裕ができた。 昨年夏に入手したIBM製サブノートPC(S-30) のOSがどういう事情か WindowsMe に変更されていてときどきハングアップするのを気にしていたがこの機会に思い切って本来の Windows2000pro に戻してみようと考えた。
  あらかじめ用意してあったリカバリー CD-ROM を手持ちの SCSI PCカード インターフェイス式ポータブル CD-ROM ドライブでインストールしようとしたのだが SCSI ドライバーのインストールがうまくできずまるまる一日を費やしてギブアップしてしまった。
  その夜遅くインターネットで調べて見たら、秋葉原のアウトレットショップが純正品の CD-ROM ドライブをディスカウントプライスで提供している事が分かった。 翌日の朝から出かけて行って入手、午後遅くからあらためて仕切り直しをした。 まっさらな Win2000pro のインストールができたサブノート機は、これが同じ機械なのかと思うくらい安定して動作するようになり、レスポンスも早くなったのだが、引き続いて手をつけた常用アプリケーションのインストールとセットアップは予想以上に大変だった。  何とか山に行く前に一段落させようと睡眠時間を切り詰めて頑張った疲れと、春先の不安定な気候による気温の変動とで風邪気味になった。
  急遽、薬を服んで寝たが朝起き出して見ると何となくだるくフラフラする。 長い間気に掛けながら出掛けられずにいた山々に折角出かける事にしたのだからと、あらためて手元の抗生剤や消炎剤を服み込んで予定通り出発した。
 朝のうちは雨が残るかもと言う予報より天気の回復が早い様で、大宮を過ぎる辺りで所所に青空が見えるようになった。 サンドウイッチを少し食べて軽く腹拵えをしたあとしばらく眠る。 高崎を過ぎた辺りで目が覚めたら大分気分が良くなっている。 これなら何とか山を歩けそうだなと思う。 長野原草津口駅で下車。 降りた者は皆温泉旅行の年寄りグループばかりでほかに山支度の者はいなかった。 スキーシーズンは終わったがハイキングにはまだ早すぎる時期だからだろう。 
  この山行で初っぱなに登る丸岩は、グルリと丸く岩壁を廻らせた茶筒の上に饅頭を乗せたような特異な形で吾妻川谷の対岸に聳え立っている。


  駅前に並んでいたタクシーに乗って登山口に向う。 須賀尾峠への車道は山間地に似合わぬ立派な舗装路だ。 ドライバーの話では、最近遠くから丸岩や菅峰を登りに来る者が増えているそうだ。
丸岩の岩壁を見上げながらその裾を通り過ぎ、さらにその後ろに立っている岩峰の先まで行った所にあるヘヤピンカーブの先の道端に小さな青地の道標が立っていた(左)。
車から降り、身仕度を整えながらまわりの様子を観察する。 こちらから見た丸岩は須賀尾峠から延びてきた尾根上の顕著な岩峰の肩になっているささやかな盛り上がり過ぎない。





道端で支度を整え林の中に入る。
林床に積もった落ち葉の中に明瞭な踏跡がある。
岩峰の裾をトラバースして回りこんでゆくと丸岩へ繋がっている尾根の上に乗った。
クヌギや楢が林立していて気分が良い。
盛り土状の所を登り上げると頂上に着く。
狭い切り開きの脇の立ち木に "丸岩" と記したプレートが立木に掛けてあるがそれ以外は何もないサッパリした頂上だ。







樹木に囲まれてはいるが下の方が崖になっているせいか樹の間を透かしてまわりの景色が良く見える。
北の方に残雪を被った草津白根の大きな山。 下の吾妻川谷には長野原の集落が見えている。
登って来た方を振り返ると背後の岩峰の右手に菅峰が高く(左)、左手には高ジョッキの尖峰が見えている。 ひっそりと静まり返った頂上で一服したあと出発点に戻る。
車道を通って須賀尾峠へ行っても良いのだがすぐ上が峠の鞍部の様に思えたので林の中を直進する事にした。 そちらに進んでゆくと古い林道の跡らしい幅広の道形が現れた。 倒木でゴチャゴチャした所があったがそこを過ぎるとすぐに舗装路で、目と鼻の先が峠の頂上だった。
峠の左側の道端の石地蔵の脇が高ジョッキへのルート(下左)で、その向い合わせに立つ長野原町の看板の横手が菅峰へのルートの始まりだった(下右)。







朝方服んだ薬が効いてきたようで気分もいくらか良くなって来たので菅峰にも登ってゆく事にした。
踏跡はか細く、道標も全くないが結構踏まれている様でしっかりしており、要所に赤テープのコースサインがあるので迷うような事はない。
風が強くなってきた。 所所に風の通り道があって帽子を飛ばされそうになる。 中間峰を乗り越して左に曲って行く辺りからは菅峰の頂上が左手高くに見えた。
浅いコルを過ぎると急登が始まる。 足場が悪い。 手近な潅木に掴まって強引に登って行くと眺めのよい茅戸の尾根の上に出た。 左に折れ、広々した笹の緩斜面を登って頂上に向かう。 まわりを唐松林に囲まれ雰囲気の良い所だ(下左)。
菅峰の頂上は細長い笹尾根で展望はなく、三等三角点の標石と測量の標柱、粗末な山名プレートがあるだけだった(下右)。





下降点まで戻って休憩をする。
正面に榛名山が穏やかな姿で横たわっている(左)。
物好きしか来ない寂峰はウイークデイのせいもあって全く人気がなく梢を渡る風の音しか聞こえてこない。
ひと休みしたあと、ワンピッチで峠に戻った。









薬の副作用で胃がムカついて来たので水分と糖分の補給もかねて林檎を食べる。
清水集落までは車道1時間弱の道のりだった。 集落の手前からは斑な残雪を被った浅間隠山が見えた。
やや小振りながら迫力を感じさせる形のよい双子峰だ。











清水集落の中の三又路に "浅間隠温泉郷" と記した道標が立っていた。 温川温泉は右手へ進んで行くとすぐの所だった(左)。
もともとは湯治宿だったに違いないこじんまりした温泉宿で六十台の夫婦がやっていた。
硼酸泉で眼病に利き、身体が温まるという能書きの通り、解熱薬を服んだあと浴場に行き、長湯をしたら身体全体がポカポカして来て熱っぽさがなくなった。 これで風邪は大分治って来たが、胃腸の具合は一段とおかしくなった。 明日起きて見てあまり体調が悪いようだったら権田経由、バスで次の泊まり場のはまゆう山荘へ行き、そちらから浅間隠か角落へピストンしよう考えながら早寝をした。



4月22日
<タイムレコード>:清水=[宿の車]=舗装路終点(8:30)-大石沢橋(9:00/05)-林道終点(9:30/40)-五合目(10:30/40)-シャクナゲ尾根(11:20/30)-県境稜線の鞍部(11:50)-浅間隠山(12:20/55)-市倉尾根分岐(13:00)-安高山鞍部(13:45/55)-国道登山口(14:00)-休憩(14:45/15:00)-(16:20)奥川浦温泉はまゆう山荘

   早寝のお蔭で6時前に目が覚めた。 胃が少々重苦しいが昨日のようなだるい感じはなくなった。 天気は上々だから何とか山に登れるだろうと判断し、無理のない範囲で朝食を食べて山に入る支度をした。 体調のハンデを少しでも補うため主人に車が入れる所まで送って貰うよう頼む。  集落を出外れた少し先で舗装が切れる所までで、距離にして 1Km あまりだけだったが歩行時間で約30分に相当し、かなり助かった。

  30分ほど歩いた所にある大石沢橋を渡った所にある造林小屋はかなり荒廃していた(上左)。 小屋のすぐ先で林道がY字形に分岐していてその横に道標が立っている。 浅間隠山へは左の道に入る。 直進すると大石沢谷を詰めて浅間隠山より2Kmあまり北の栗平峠に出るようだ。



  緩やかな地形の高原のような雰囲気のある所をしばらく進んで行くと林道末端に着く。
数台の車が停められるスペースがあって左脇に道標が立っている。
清水から徒歩で約1時間半の地点だ。 入口にゲートがあるので不可能だが車でここまで入れれば時間と労力をかなりセーブできることになる。
ここから坂を下ると徒渉点があって沢の右岸に渡る。 ひと登りした所にまた道標があって沢に下り、左岸に戻って台地状の尾根に上がる。 山懐深くまで入った雰囲気が漂い、左上方に浅間隠山が高く見える。 




 笹と唐松の明るい尾根道(上左)になると間もなく道標が立っていた。 頂上と登山口、どちらへも1.8Km と記されているので多分ここが五合目なのだろう。 道端にザックをおろして休憩する。 体調はもうひとつだが穏やかな春の晴れ日の山の中は気分が良い。 フッと人の気配がした。 見ると熟年の単独者が登ってきた。 昨日以来山の中で遭った始めての人だ。 短い挨拶をして歩き過ぎてゆく姿を見送る。




右上に笠岩を見上げながら進み、僅かに下った先から急登が始まった。 尾根が痩せてきて足場の悪い所も出てくるが暫く頑張っていると傾斜が緩み、"シャクナゲ尾根" と記した道標の立つ平坦部に出る。 名の通りシャクナゲが群生していて花期に訪れれば奇麗だろうなと思った。
横手正面に浅間隠山頂上部が大きく迫っている。 北面に多量の残雪を纏って立派な姿だ。
  シャクナゲ尾根からひと登りした所に道標が立っている。 そうとは記してないが多分八合目だろう。
尾根の左側に入ってトラバース気味に進んで行くと長野原町との境界になっている稜線上の鞍部に出た(下左)。 林を透かして浅間山が見えている。 鞍部から頂上までは大部分雪の上歩くこととなった。 先行した男の靴跡があるだけでほかにトレースがない。 月初めに降った雪のあと今日までこのルートを登った者は居なかったらしい。 標高差は200m 程に過ぎなかったのだが消化器官の不調でエネルギーの補給がうかく行かず、シャリバテ状態になってかなり辛い登りだったがやがて傾斜が徐々に緩み、頂上が見えてきた。




 頂上広場(上右)には二度上峠の方から登ってきた人達が6、7人居た。  そちらから登る人は多いようで頂上広場は大勢に踏まれて土が露出していた。 広場の外れの草地の上にザックを下ろして360度の大展望を楽しむ。



 すぐ近くに流麗な姿で立っている浅間山の右手に遠く、蓮華岳/鹿島槍を始めとする "北" の連峰が並んでいる。 その右手は、四阿山から白根山、志賀、野反湖付近の山々を経て谷川方面へ連なる国境の雪稜が奇麗だ。 浅間の左手には蓼科から八ヶ岳、さらにその左の手前に鼻曲山、妙義、角落山など、際立った形の山々が並んでいて見飽きない。 この山の展望がこれほど良いのは近くに視界を妨げるピークのない独立峰だからだ。 体調は芳しくなかったが好天のお蔭で展望最高の頂上に登れてほんとうに良かった。 
 今夜の泊まり場である "はまゆう山荘" へは、多くの人が利用している二度上峠ルートを通って車道に下り、山荘までは車道歩きをする安全第一のルートを選択した。 距離は長いがどんなにバテ込んでも危険がない。



  二度上峠ルートは南面の尾根の上を通っているため、ほとんど雪がなくて暖かい。 岩淵山と安高山の間のコルまで下るとすぐ下に車道が見え、エンジン音が聞こえてきた。 胃袋が幾らかは動き出した気配になったので乾燥プルーンを食べながらこの山の中での最後の休憩をする。 潅木の隙間から見上げる浅間隠山が高い。

唐松林の中を数回折り返して下ってゆくとすぐに登山口に出た。出口に倉渕村の看板が立ててあってはまゆう山荘まで8Km と記してある。
車道を歩き出すとすぐに史跡 "善光寺道問屋場跡" と記した標柱とその歴史を記した看板が立っていた。 "水場" と記したサインもあって、かつて信州と上州との間で行なわれた物資交換の中継ぎ問屋があったと記してあった。 
ここからはまゆう山荘までは長い道のりでかなり疲れたが途中で眺めた浅間隠山(下左)と角落山(下右)の姿は素晴らしかった。


浅間隠山の南面から烏川に注ぎ込む高芝川を渡ったあとしばらく歩いて烏川谷の底に降り着いた所に作業小屋があった。 前庭に史跡の標柱が立っていてその横の看板には明治時代にはこの辺りに大きな炭焼き集落があってそこの子供達を教育するために "高芝学校" があったと記されていた。



間もなくはまゆう山荘に着いた。
こんな僻遠の山中にはまったく似合わぬ巨大豪華な建物だったのでビックリした。
内部の設備もアーバンホテル並の立派さで多額の運営費用が掛かるだろうにほんの数人のしか宿泊客がいず、さぞかし経営が大変だろうと余計な心配をした。








4月23日
<タイムレコード>:はまゆう山荘(9:40)-白沢(9:55)-赤沢(10:10)-はまゆう山荘(10:30/40)=(送迎車)=(10:55)権田[11:45]=(バス)=[13:00]高崎[13:30]=[15:02]上野[15:07]=[15:13]三越前[15:21]=[16:05]宮崎台

  体調が悪いのに浅間隠山を越してかなり疲れた。 天気も悪くなってきたので計画の後半はギブアップし、権田-高崎経由で家に帰ることにした。
  8時半からの朝食をゆっくり食べたあと、チェックアウト。 送迎車を10時半に出してくれるよう頼んで角落山の取付を見に行く。 できるだけ早い時期に再来してリベンジしたいと思ったからだった。
男道の取付になっている白沢と女道の入口の赤沢と両方を見て思ったのは角落山ははまゆう山荘に一泊して軽荷で男道から登頂し、女道を下って山荘に戻るのが良いのではないかと思った。


☆おわりに
   胃袋を半分なくし、歳も取って生理的な適応力が低下している現実をシッカリ受け止め、山行直前に変な色気を出してコンディションを崩すような事をしてはならないとあらためて実感した。

  IBM サブノートPCの方は山行から帰ったあと常用アプリの細かいセットアップを済ませたが、LANで繋がったメインマシンの補機として本格的に使い出しているが WindowsMe で頻発していたハングアップがまったく影をひそめ、至極快調に動作している。