南房総 三石山、石尊山-清澄山 (2018.3.25-26) |
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☆期日/山行形式: 2018年3月25日-26日 一軒宿温泉一泊二日 単独行 ☆まえがき 昨年の春先、梅ヶ瀬渓谷から大福山に登ったとき、南の方に重畳する山並みの奥に清澄山と思われる山影が見ました。 清澄山から西へのびている尾根を伝わって元清澄山までは、何年か前に歩いているが、石尊山から南下する尾根を辿り、麻綿原を経て清澄山に到達するルートをまだ歩いていない事に気がつきました。 この尾根ルートは、十数年前に中高年の大パーテイが道に迷って山中で一夜を明かすことになった事故があったのが、種子切れで困っていたマスコミの好餌となって大々的に報道され、有名になったものです。 今は GPS 情報を使って精密なナビゲーションができますから、同様の事故を起こす恐れは殆どなくなっていますが、"歩き出" は昔と同じです。 足が弱って早く歩けなくなった年寄りが楽しく歩くには十分な時間的余裕を確保しなければなりません。 そこで、石尊山の袂にある七里川温泉に泊まって翌朝の朝早く出発することにしようと考えました。 七里川温泉に泊まりに行く日を有効に活かすため朝早く出発し、千葉から出ている鴨川行バスで君津物産センターまでアプローチ。 亀山湖と元清澄山の間にある三石山を越えて亀山湖畔の草川原まで歩いて足慣らしをすることにしました。 山行の初日は、もう春の盛りなのか?と思うほどの暖かな快晴となり、三石山の天辺の広大な展望を楽しみました。 また二日目はこの時期相応の冷涼な晴れ日になり、南国特有の常緑樹の密林の中に立っている荘厳な巨木との遭遇と、要所で眼の前に展開する山野の展望を楽しみました。 |
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三石山展望台の眺め (画像をクリックすると拡大スクロール) |
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☆3月25日(晴): 片倉ダム-三石山-七里川温泉 <2万5千分1地形図> 坂畑(大多喜13号-4) <行動時間> 宮崎台[7:07]=二子玉川=[7:58]錦糸町[8:19]=(JR総武線快速)=[8:50]千葉/駅前バスターミナル21番乗場[9:05]=(カピーナ号鴨川行)=[10:36+5]君津ふるさと物産館(10:50)-片倉ダム(11:05)-宮ノ下ピクニック園地入口(11:10)-観音寺入口(11:56/12:10)-三石山観音寺(12:15/38)-三石山観音寺入口(12:45)-272m 峰入口(13:02)-梅畑(13:19/55)-トンネル前分岐(14:07)-草川原八幡宮(14:22/26)-(14:29)三石山入口(観音寺入口看板)[15:00]=("きみぴょん号"君津市デマンドタクシー)=[15:09]七里川温泉 <ルートの概況> |
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千葉駅から鴨川行バスに乗り継いで行くアプローチは昨年から何度か利用し、ほぼルーティンになっている気楽なルートです。 君津ふるさと物産館で下車したあと、来た方向に戻ってゆくとダム湖に架かっている橋がありました。 橋の親柱の上に立っている鞨鼓舞の銅像が珍しいものでした。 |
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橋のすぐ先で右折して脇道に入ると片倉ダムが見えてきました。 平成13年に完成した君津市内で最も新しいダムだそうです。 |
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堰堤を渡って右岸に移り、右折して僅か進んだ所にピクニック園地入口がありました。 |
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舗装路の緩やかな登り坂を進んで行き、尾根の端を回り込んだ所に大きなソーラー発電所がありました。 入口ゲートの横に立っている看板に記されている説明によれば全部で16万KW ほどもの出力があると言うことです。 |
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山桜 (クリックすると拡大) |
道路脇に山桜が咲いていました。 淡いピンク色の小ぶりの花がたくさん枝に付いている様は、山里の春の喜びの象徴のように見えました。 |
元清澄山方面の眺め (クリックすると拡大) |
ごく緩やかな登りだったので気がつきませんでしたがいつの間にか高度が上がっていて尾根の端を乗り越えるところで視界が開けたら元清澄山あたりと思われる尾根筋が見えました。 |
行く手の高い所に三石山の頂上かも、と思われる露岩のあるピークが見えました。 |
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尾根の裏側がゴルフ場になっているところに差し掛かり、尾根の背のすぐ下の斜面に沿って右手に回り登ってゆくと観音寺入り口に着きました。 T字路になっていて今登ってきた道が亀山湖の方へ下ってゆく峠状のところから左へ別れてゆく道が参道になっていました。 |
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観音寺山門はまるで京都北山あたりの寺のような、端正な雰囲気が漂っています。 |
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三石山観音寺の境内 (クリックすると拡大) |
頂上は大岩が並び立っている岩峰になっていて、本堂は大岩の懐に抱き込まれているような形になっています。 |
観音堂 (クリックすると拡大) |
本堂はこじんまりした建物ながら軒下を飾っている華麗な木彫りに目を奪われました。 |
本堂手前右手にある石段を上がって尾根の裏側に入ると左の写真のような桟道状の石畳道があります。 |
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短い急な石段を上がった大岩の天辺に祠があり、その前の柵のようなものに縁結び祈願のハンカチが沢山結びつけてありました。 祠の脇に立つとこのページの冒頭のような広大な視界が得られ、麻綿原から清澄山方面の山並みを眺めることができました。 |
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こちらはあまりにも年を取りすぎていて縁結びをお願いする資格がありません。 その代わりに、この山行の無事をお祈りし境内に戻りました。 途中の岩壁に沢山の "やぐら" が彫り込まれていて観音らしい石像が祀られています。 古人の良縁祈願のメモリアルのようです。 |
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本殿に戻ってもう一度神仏を拝んだあと参道出口に戻りました。 亀山湖に向かって歩き出す所に鳥居が立っていたので近寄ってみるとこの奥は大山積神社の境内と記した立て札が立っていました。 祭礼日には非常に多くの参詣者か来るようで、鳥居のすぐ先に広い駐車場があり、更にその先にも数箇所の車止めスペースがありました。 |
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下降路の途中にある272m 峰に展望台があるようだったので立ち寄って見ようと思っていましたがばかしい道がなく、入口を示す標識も見当たらなかったので見送り、先に進みました。 亀山湖が近づいてくると亀山湖対岸の台地の上の坂畑あたりの家並みが見えてきました。 |
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下降路の大部分を歩き終えた感じになると山畑や人家が見えてきましたがまだ時間が大分るので道端の小さな梅林に入って昼休みをしました。 谷向かいに並んでいる民家は小山を背にした日溜りになっていて、いかにも住みごこちが良さそうです。 |
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一旦左手へ回って高度を下げていった道が右手に回って山裾にかかり、左下にる田畑が広がっているのを見渡せる所までくると、右手からであった道路の先にトンネルの入口が見えました。 奥の方で崩壊が起こって通行止めになり、林道としては廃道になっているようですが徒歩なら今でも通れ、観音寺への参詣道として利用できるようです。 |
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草川原の村は日本の山里の春の美しさの塊のような所でした。 村の下手の左手に八幡宮がありました。 こじんまりした本殿ながら長い石畳の参道があり、立派な神社でした。 神社の筋向かいの家が巨大な長屋門を構えていたりして、穏やかな自然に抱かれた豊かな暮らしがあることを示していました。 |
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神社から僅か歩いたところで湖岸を通っている465号線に出合いました。 出口に三石山観音寺の看板が、筋向かいには "のむらボートハウス" の看板が立っています。 この夜の泊まり場になる七里川温泉へは、以前、久留里/亀山から路線バスが運行されていましたがそれが廃止されたので君津市営の予約制乗合タクシーを利用しました。 予約時間まで30分余りあったので、あたりを見ながらブラブラして時間を過ごしました。 |
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七里川温泉は南房総では数少ない温泉宿です。 山深い所にある一軒宿で、肌がすべすべする硫黄泉が湧いています。 久留里、養老渓谷、天津鴨川方面から道路が通じているためか、日帰り入浴客が大勢きていて賑やかでした。 食事は、地産の固炭が燃えている囲炉裏で焼く猪肉をはじめ、海の幸と山の幸が盛りだくさんのグルメディナーで、居心地の良い山の宿でした。 |
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<ルートの詳細> ルートマップ (Android アプリ: 山旅ロガー +地図ロイドで作成したウェイ ポイントと GPS軌跡とを国土 地理院地形図を表示している カシミール3Dで読み込み、 重畳標示させて作成) GPX ダウンロード 原画フォトアルバム |
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☆3月26日(晴): 七里川温泉-石尊山-麻綿原-清澄山 <2万5千分1地形図> 上総中野(大多喜13号-2)、安房小湊(大多喜14号-1) <行動時間> 七里川温泉(7:25)-廃屋(7:36/40)-表裏参道分岐(7:57)-石尊山(8:12/22)-裏参道出合(8:27)-崩壊地(8:33)-大多喜分岐(8:34)-♂記号石標(8:43)-札郷分岐(8:57)-凍り蛇(9:04)-東大演習林看板/麻綿原90分道標(8:24)-小倉野分岐(9:11)-大岩壁(9:27/30)-崩壊地(9:41)-もみじ郎(10:08)-麻綿原60分道標(10:30)-横瀬分岐(10:41)-保護木ヒメユズリハ(11:02)-モミの大木もみ太郎(11:05)-麻綿原30分道標/横瀬分岐(11:14)-356m峰(11:20)-石祠(11:22)-麻綿原20分道標/地蔵(11:39)-麻綿原10分道標/真根沢歩道分岐(11:52)-舗装林道(12:00)-麻綿原天拝園(12:06/19)-妙法生寺書道館前庭(12:25/49)-関東ふれあいの道出合/トロッコレール製ゲート(13:02)-清澄無線中継所入口(13:45)-関東ふれあいの道石標(13:09)-関東ふれあいの道石標(13:30)-海展望所(13:40)-トロッコ道出口ゲート(14:00)-清澄寺(14:03/12)-(14:12)旭屋茶店[15:00]=(タクシー)=[15:20]亀田病院[15:30]=(アクシー号東京行)=[17:53+30]東京[18:42]=(メトロ/東急)=大手町=[19:30]宮崎台 <ルートの概況> |
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七里川温泉のある黄和田畑は、小櫃川源流地帯の谷間にある小さな山村のひとつです。 宿のすぐ脇を清澄養老ラインが通っているので昼間は結構な "車通り" がありますが朝晩は至って閑散で静かな宿りができまた。 朝食は8時からというのでそれを食べてからの出発では十分な時間的な余裕が得られません。 早い時間に食べられるよう、前夜、握り飯を作ってくれるよう頼んだら大きな握り飯が3個入ったパックを受け取りました。 |
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前夜の食事も量が多すぎて食べ切れず、部屋に持ち帰っていた焼きおにぎりとパックに入っていたおかずだけで十分な朝食になりました。 残った握り飯をザックに入れて担ぎまわるのは荷物なので残りは "忘れ物" にして出発することにしました。 宿の玄関を出て裏側へ回った所が登山口で、入り口に南房総名物の "ヤマヒルに注意" の看板の脇が立っています。 |
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山畑の縁を通ってひと登りすると作業小屋か住居跡かと思うくらいの建物があり、その手前で道がふた股に分かれていました。 取り敢えず直進し、建物の左脇から先に進んでみましたがなんとなく行き止まりっぽいのであと戻り。 右手へ進んでみたらこちらはそれなりの人通りがある雰囲気の道が続いていました。 |
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僅か進んで山に入ると古い参道特有の溝状に抉れた道になりました。 ルートの心配から解放され、杉林の中を穏やかに登ってゆく道を進みました。 |
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杉林の中に "石尊山 表登山道" と "裏登山道方面" と記した、ふたつの腕木を取り付けた道標が立っていました。 |
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左手の表登山道に入って暫く進むと右折するよう指示する道標があり、そちらへ向かうと苔生して傾いた石灯籠と石段が見えました。 |
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傾いた一対の灯籠の先には半ば埋もれた手水台があり、地震か山崩れの被害を受けたまま放置されているような感じです。 狭い石段は角がすり減っているのと落ち葉が積もっているのとでとても登りにくく、まるで露岩の斜面を登っているような状態でした。 上部には固定ロープが取り付けてありましたがそれがなかったら両手も使わなければ登れないくらいの状態でした。 |
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危ない石段を登りあげると大小3基の石祠が並び立っている小平地に着きました。 古びて苔生し、刻まれている文字が読み取るのが難しくなっていましたが、"房総丘陵" によれば左手前は大天狗の祠。中央で大きいのが大山阿夫利神社。右後が小天狗の祠だそうです。 |
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祠群のすぐ北の小平地に三角点標石がありました。 347.6m の標石の脇に "石尊山" と記した山名標識が立っています。 |
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頂上に戻って南の方を見ると遠くの空を横切っている尾根筋が見えました。 麻綿原の先にある県民の森の尾根筋のように思いました。 |
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麻綿原方面への道標に従って踏跡クラスの道を進むと "清澄180分. 麻綿原 120分-国道465 30分" と記した道標が立っているT字路に突き当りました。 |
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左折して進んでゆくと山抜け跡に差し掛かりました。 房州の山で時どき出合うタイプの難場ですが、通る者が苦労している形跡が伺われます。 まっすぐ水平に横切って行くか、上に上がって横切る踏み跡を使うか、ちょっと迷いましたが "がれ場は高巻き" の原則に従って、取り敢えず上に行ってみたら、どうにか通過できました。 山抜けのあとはかなり下の方まで樋状のスラブになっていてスリップしたら、50m 超は落ちてしまいそうでした。 天気が悪い時などは避けたほうが良いと思った悪場でした。 |
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山抜け跡を通過して尾根の背に戻ると尾根の北面を登ってきた幅広い道に出合いました。 合流点には "←大多喜方面" と記されているので筒森の物見塚から稜線直下まで来ている舗装車道に繋がっているようです。 石尊山頂上から北側に降りれば電波塔の脇を通ってこの林道に出合います。 先刻通ってきた嫌な感じの山抜け跡を迂回するルートとして役に立ちそうです。 |
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角の向かい側に "野生動物の保護にご理解を" と記した東大演習林の看板が立っていました。 このあたりから清澄山-元清澄山の尾根筋まで広大な地域が演習林になっていることが分かりました。 |
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幅広く明るい尾根道になりました。 少し風があって肌寒い感じですが空模様は至って落ち着いていて気分の良い尾根伝いが始まりました。 |
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道端の高みに上面が赤く塗られた石標が据えてありました。 側面に雄マークの "♂" をまっすぐ立てたような模様が刻まれていましたが何の意味でしょうか? |
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繁茂した常緑の灌木の間を進んで行く所はいかにも南房総の山の雰囲気で、寛いだ気分になりました。 |
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路面に木の根が沢山落ちているところで地面をよく見たら "ヘビ" がいました。 微動だにしないのは凍えているせいでしょうか? 前の日が暖かかったので穴から出てきたところ、今朝の冷え込みでここまで来たところで身体を動かせなくなったようです。 |
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わずかに鞍部状になった所に麻綿原90分、石尊山30分の道標と "東京大学大学院農業生命科学研究科附属演習林千葉演習林"
の看板が並び立っていました。 看板には一般公開や森林教室を開き、野生動物の観察や学術研究林の見学をする機会を提供していると書いてあります。 大学に入りたての頃、山歩きへの手引きをしてくれたのはS君でした。 土佐から出てきて迷うことなく農学部林学科に進み、林野庁に入った志操堅固な青年で、ただ電気や機械を弄るのが好き、と言うだけの幼稚な子供とは格違いでした。 |
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石尊山から麻綿原への道のりの3分の1ほどの所に "大岸壁" がありました。 名前で想像していたような絶壁ではなく、杉林の中に巨大な露岩が立っているものです。 岸壁の裾をトラバースして通過した所で振り返ってみると左のようになっていました。 |
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大岸壁を過ぎると間もなくふたつ目の山抜け跡がありました。 地形図に太田代と書き込まれている西で稜線がグルっと湾曲している所にあたります。 こちらも下のほうが樋状のスラブになっていて落ちれば止まれない、と言う感じでしたがルートの途中に逆さまになった倒木が引っかかっていて、その根を足場にして通過することができました。 |
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常緑樹林の中を歩いていると茂った木の葉に視界が妨げられて展望が得られず単調になりがちです。 上の山抜けの影響で尾根筋が小回りに急旋回しているせいで、南の方への視界が得られる所がありました。 大多喜の尾根筋が大分近くなってきたのが分かりました。 |
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もみの大木もみ次郎 (クリックすると全体像) |
まわりの木が大きくなってきたな、と思いなが歩いていたら "モミの大木もみ次郎" と記した名札を懸けた木が立っていました。 人間より桁違いに長い年月を生き抜いてきている巨木には荘厳な雰囲気があります。 |
常緑樹の極相林です。 |
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保護木ヒメユズリハ (クリックすると拡大) |
"保護木 ヒメユズリハ" と記した札がかけられた立木がありました。 |
もみ太郎 (クリックすると半身像) |
ゆずり葉のすぐ先に "モミの大木もみ太郎" が立っていました。 次郎より高齢なようで威厳のある姿をしています。 |
地形図に356m と書き込まれている高みの手前でルートが尾根の背を外れ、東の方へトラバースして行くようになりました。 崩れやすい斜面を横断してゆく所は道形が不明瞭で、コースマークを見ながら踏み跡を辿ってゆきました。 |
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トラバースが終わって尾根を乗越した所に水っぽく足場が不安定な溝状の所があり、スリップして転びました。 老いたりとはいえ山中で転ぶことがないのを密かな誇りにしていたのに、つまらない所でご粗末をやらかし、ガッカリしました。 濡れた溝状の所を僅か下って右手に上がると横瀬から登ってきた古い道形と出合いました。 右折して緩やかに登ってゆくと左のように雰囲気の良い高みに上がりました。 |
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高みの南側へ降りかかる所に左のような石祠がありました。 横瀬から麻綿原を通って清澄山に向かう参詣道の名残りかも知れません。 |
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南房総特有の白っぽい凝灰岩の細尾根を通過しました。 |
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不動像のように見える石像がある二股に着きました。 地形図に 372m と書き込まれている高みの北側にあたり、"房総丘陵" のルートマップに馬頭観音分岐と書き込まれている分岐点です。 石像の左横に立っている道標に従って左手に進みピークの東肩を巻いて通過しました。 |
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細尾根が崩落した所に沢山の杉丸太を渡しかけた橋を渡りました。 左下の方で山仕事をしているようでチエンソーの音が断続的に聞こえてきました。 |
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橋の先を僅か登った所でT字路に突き当りました。 幾つもの道標が並んでいて、左は麻綿原へ10分、右は真根坂歩道/立入禁止と指示しています。 ひと昔前、中高年の大パーティが山中で仮泊した事故はここでルートを誤ったために起きたようです。 石尊山の方から歩いてくれば、はかばかしい道標がなくてもルートをミスる可能性は低いでしょうが、麻綿原の方から来て右手に下る分岐を見過ごして直進すればそのまま真根坂歩道の方に行ってしまいます。 |
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真根坂分岐で左折して僅か歩くと左下に舗装林道が見えてきました。 この林道は横瀬から麻綿原へ上がってきているもので房総ふれあいの道として整備されています。 石尊山からの込み入ったルートをほぼノーミスで歩き抜けることができたのでホッとして車道歩きに移行しました。 |
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僅か進むとパッと前が開け、麻綿原の一角に出ました。 道の左脇に鎮座している西向天竺観音菩薩の脇から高みに上ってゆく道がありました。 |
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ひと登りで着いた高みには "南無妙法蓮華経" と刻んだ古い石碑と八角堂がありました。 お堂の中には東に向かって法華経を唱えている日蓮聖人の立像があります。 |
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日蓮聖人が日の出に向かって、諸経の王とされている法華経を高らかに唱えたと言うこの高みは天拝園と呼ばれています。 八角堂の袂に立つと東方への視界が得られ、夷隅の山並みを見渡すことができました。 大気が濁ってよく分かりませんでしたが、山並みの先には太平洋が広がっている筈です。 |
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天拝園の眺め (画像をクリックすると拡大スクロール) |
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天拝園の下に並んでいるお堂は妙法生寺です。 林道沿いに回り込んでゆくと早春の花に囲まれた寺の佇まいが見えました。 |
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妙法生寺の花 (クリックすると拡大) |
本堂に細やかな寄進を捧げ、この山行の無事を感謝したあと、一段下にある書道館の前庭で休憩しました。 向かい側は物置小屋兼トイレでしたが満開のツツジと建物の白壁が良い眺めでした。 |
久しぶりの長休みを終えて境内から出ると舗装車道の三ツ辻に出ました。 |
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三ツ辻を直進して清澄山に向かって進むとカーブの頂点の左側にトロッコ用レールで作ったゲートがありました。 ゲートの先はかつて運行されていた森林鉄道の軌道の跡だそうですが、今は一杯水林道と呼ばれ、清澄山の方へ行く関東ふれあいの道のルートになっています。 清澄山から元清澄山へ行ったときに歩いた道もこれと同じような感じの林道だったのを思い出しました。 |
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ゲートのすぐ先に赤と白の御影石を組み合わせた関東ふれあいの道の石標がありました。 更にもう少し進んだ所には高さ1m ほどの大きな石標がありました。 軌道跡なので急な登降はありませんが年不相応な長丁場を歩いてきた老体にはちょっとした登り坂も応えました。 |
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森は綺麗だが展望が得られないのでやや単調になりかかったころ道端に色鮮やかなスイセンが咲いていて目を慰められました。 麻綿原から清澄山まで4Km ほどの道のりの3分の2ほど進んだ所に左手が開けた所がありました。 空気が澄んでいれば山の上に水平線が横たわっているのが見れるとのことですがこの日は大量の杉の花粉が飛散して空気が濁り、少し離れた山でさえ定かに見えないくらいでした。 |
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一杯水林道の眺め (画像をクリックすると拡大) |
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幅広い舗装路に出合いました。 鋭角に右折して車道を進むと清澄無線中継所へ通じていると記した看板が立っています。 |
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先の方から若者が歩いてきました。 "この先に何がありますか?" と聞かれたので "ズゥーっと歩いてゆくと寺がありますよ" と答えたら、"こんなもの見ませんでしたか?" とスマフォに表示して見せてくれたのは Google Earth に表示された不思議なパターンのスクリーンショットでした。 どこかに出かける時に Google Earth や Maps の航空写真を調べることは日頃やっていることですが、Google Earth で変なものを見つけたらその正体を確かめるため現地に行って見る、と言う遊びがあることは知りませんでした。 |
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間もなくトロッコレールで作ったゲートに突き当りました。 |
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ゲートの先は日蓮宗大本山清澄寺の境内で、すぐに大本堂の横手に着きました。 祖師堂と繋がっている回廊の下を潜って本堂の正面に回り込み階段を上がるとお堂の奥で経を唱えている声が聞こえました。 |
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細やかな寄進の銭を上げ、この日の山歩きの無事へのお礼の気持ちを込めて拝んだあと石段を下りました。 境内から出てきた所で振り返ると高々と幟を上げた本堂は、威勢の良い日蓮宗を象徴しているような姿に見えました。 |
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門前街は閑散としていましたが手前の角の茶店は開いていました。 蕎麦ができると言うので店に入ったら店をやっている話し好きの老夫婦が応対に出てきました。 こちらも半日人気のない山の中を歩いてきたあとで人恋しかったのと時間もたっぷりあったのとで、あれこれ話しながら蕎麦をすすりました。 食べ終わってもまだバスが来るまで大分時間があるのでタクシーを呼んでもらい、鴨川の亀田病院バスターミナルから東京駅行の高速バスで帰りました。 |
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<ルートの詳細> ルートマップ (Android アプリ: 山旅ロガー +地図ロイドで作成したウェイ ポイントと GPS軌跡とを国土 地理院地形図を表示している カシミール3Dで読み込み、 重畳標示させて作成) GPX ダウンロード 原画フォトアルバム |
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☆おわりに 石尊山から麻綿原までのルートは東大の演習林の道のためか、南房総特有のクニャクニャ折れ曲がり、小刻みに上下している微地形を実感することはありませんでしたが古い参詣道と多数の演習林道とが交錯し、ちょっとしたクイズのようでした。 常緑樹の濃密な山林に視界を妨げられ、展望には恵まれませんでしたが変化に富んだ尾根ルート沿いに立っている巨木との出逢いがあり、久しぶりの本格的な南房総の尾根伝いを楽しみました。 七里川温泉いろりの宿の人々、予約バスのドライバー、麻綿原の寺の住職、茶店の老夫婦など、海の幸、山の幸に恵まれた温和な土地に暮らしている人々の穏やかな身振り、口ぶりが印象に残りました。 |
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