西上州 会場峠-黒仁田山-カラカラ山-焙烙峠 (2017.5.15-16)


☆期日/山行形式: 2017年5月15日-16日 公共宿泊施設利用1泊2日 単独オフトレイル・ハイキング
☆2万5千分1地形図: 上野吉井(長野3号-2)
☆まえがき
    まだ山を歩けるうちに故郷の山を端から端まで歩き切りたいと、2015年頃に西上州 吉井南山稜線のトレースをはじめました。
  今年の春までに牛伏山-大沢峠-小梨峠-亀穴峠-小柏峠-焙烙峠までを途切れなくなぞり切り、一段落した形となったのですが、焙烙峠から西へ連なるカラカラ山、黒仁田山、名無村峠、854m 峰を経て会場峠(カイショ トウゲ=小峠)への尾根筋が少々気になっていました。
  このあたりは甘楽町の奥の秋畑と上日野の境になるので、もはや吉井南山ではないのですが、地形図に描かれている尾根のプロファイルとしては、ここまで到達していないと、この山並みの端から端まで歩き切ったことにはならないように思えたからです。

  このあたりは、登山ルートとしてはまったく整備されていないだけでなく、アプローチがとても不便で、非常に山行計画が立て難いのが困り物でしたが、あれこれ調べたり考えたりしているうちに、秋畑入口の小幡に前夜泊し、翌朝の早い時間に地元のタクシーでルートの始点となる会場峠へ上がれば、何とかできそう、というアイデアが得られました。

上日野奈良山の山畑からオドケ山、西御荷鉾山    (画像をクリックすると拡大)
  会場峠から尾根に上がって東に向かい、854m 峰、黒仁田山、名無村峠、879m峰、黒仁田峠、カラカラ山を経て焙烙峠まで尾根を伝い切ってしまえば、奈良山の山上集落を経て路線バスの終点がある上平への下山路は既知のルートです。

  このアイデアを得たので1泊2日の計画を立てて、山行を行ってみたところ、まずまずの天気に恵まれ、ほぼイメージしていた通りに歩き切ることができました。
新緑の精気が充満している尾根筋のオフトレイル・ウオーキングで心身のリフレッシュができ、幾らか寿命が延びたような気がしました。

  なお、前夜現地泊の前に足慣らしとして小幡の里山巡りを行いました。
善慶寺跡-もみじ山-楽山園-雄川堰-小幡富士-連石山を歩く予定でしたが、小幡富士の登りに掛かるあたりから小雨模様になったので連石山は割愛しました。
小雨模様の中を登った小幡富士は藪が茂って道形が消え、極小の里山には過分な手応えがありました。

☆5月15日(曇りのち小雨): 小幡里山巡り
<行動時間>
    宮崎台[6:47]=(田園都市線 216円)=[7:15]渋谷[7:34]=(湘南新宿ライン籠原行 1944円)=[8:55]籠原[9:06]=[9:39]高崎[9:55]=(上信電鉄 790円)=[10:34]上州富岡[10:38]=(Taxi 1450円)=善慶寺入口(10:45/50)-国峰城外堀跡(11:00/05)-善慶寺跡(11:15/20)-福厳寺(11:28)-もみじ山公園(11:35/50)-甘楽ふるさと館(11:59/12:20)-長岡今朝吉館カフェ(12:30/13:05)-吹上の石樋(13:31/35)-雄川堰取水口(13:43/45)-下轟(13:49/53)-最奥の人家(13:58)-廃林道末端(14:10/20)-pk351.6小幡富士(14:25/30)-農道末端(14:50)-下轟(15:00)-長厳寺(15:16/20)-連石山北口(15:25)-(15:40)甘楽ふるさと館{二食付泊 7020円}

<ルートの概況>
    数年前に世界遺産登録となった富岡製糸場の賑わいがその後どうなっているか見たいと思ったので上信電鉄上州富岡駅まで行ってみました。

  以前にもまして賑わっているらしく、斜陽化していた上信電鉄も、製糸場を訪ねる人達で乗客が増え、元気になっているようでした。
  富岡駅前でタクシーに乗り継いだら、10分足らずで善慶寺原の十字路まで行きました。
この十字路は小幡城山の入口で、"民宿 国峰"の看板が立っているのが目印です。

桑畑    (クリックすると拡大)

  十字路から南に向かって歩き出すとすぐ道の右側に桑畑がありました。
桑の葉を見たのは何十年ぶりだったでしょうか?

  このあたりはかつて、一面の桑畑でしたが養蚕の衰退にともなってほかの作物への転換が進み、ほとんど全滅状態となりました。

  十字路から500m ほど進んだ左側に農道の分岐があって、角に国峰城外堀跡の看板が立っています。

左折して進む田んぼの中の道の先に見える丘はもみじ山公園です。

  もう少しで山に当たるという所に立っている木の脇に国峰城外堀堀跡蓮池と記した看板が立っていました。

  残念なことに池の水が涸れて草が茂り、蓮の花はおろか蓮の葉も見えませんでした。

  突き当たった山の裾を左手に回ってゆきかかるところから左へ下る道に入り、Google Mapsに善慶寺跡とマークされているあたりまで行ってみたのですが寺の痕跡は皆無で数棟の牛舎があるばかりでした。

  牛舎を探検しても仕方ないので元に戻り、山裾を回って行く道を進むと道端に新旧とりどりの墓石群が見え、なんともお寺っぽい雰囲気です。

  僅か先の山の鼻の道端に "古出山善慶寺跡" と刻んだ石碑が立っていて、ここが正しい寺跡だと言うことが分かりました。

  山裾を回り込んでゆくと福厳寺の参道と出合うT字に出合いました。
大きな宝篋印塔が立っている角を右折し、寺に向かう坂を登りました。

  寺の本堂の右脇を通って山に向かい、車道なりに坂を登って行くと墓地がありました。
墓地を囲んでいる柵に沿って廻ってゆくと、バーベキュー小屋、公衆便所、ログハウスが並んでいました。

ログハウスの向かい側が頂上で、天辺に東屋がありました。
東屋のまわりではツツジが花盛りでしたがそのまわりは楓林になっていますから紅葉の季節には "もみじ山" の名の通り、きれいな景色になるでしょう。

  人気のない里山の頂上でノンビリ長休みをしたあと山の南側へ降りてゆきました。
行く手に楽山園が見え、その手前の山裾には、この日の泊まり場になる甘楽ふるさと館の建物が並んでいます。

  昼時のふるさと館は中学生の団体が来ていて大賑わいでした。
食堂が混んでいたのでお昼を食べるのはやめ、午後の里山歩きが身軽にできるようザックを預けて外に出ました。

  とりあえずお昼を食べようと楽山園の横手の道でネット検索をしてみましたが捗々しい食事場が見つかりません。
以前、古民家の建物を利用した蕎麦屋で美味しい蕎麦を食べた憶えがありましたが検索に引っかかりません。
困ったなぁ、と脇を見たら目の前の長岡今朝吉記念館の入口にカフェの看板が出ていました。
ダメ元と思って中に入ってみたら "地物の弁当" が置いてあって急場を凌ぐことができました。
古民家蕎麦屋は何年か前に火事で焼けてしまったのだそうです。

  腹拵えができたので楽山園の裏手に戻り、雄川堰に沿う道を上流に向かって進みました。


  しばらく歩いて行くと右手が開け、川向いに連なっている里山が見えてきました。
手前の山は富岡製糸場の礎石が切り出された石切り場だった連石山のようです。
その奥の方に連なっているふたつの山の手前側のコブが小幡富士と思われます。

連石山から小幡富士の山並み    (画像をクリックすると拡大)

  吹上の石樋の記念碑が立っている所に来ました。

  江戸時代に、枝沢の上に架けられた水路橋で、二枚の石の板を精巧に組み合わせていると書いてありますが上から見ただけではよく分かりません。

  堰に沿って更に進んでゆくと古い洗い場がありました。
昔、色々なものを洗っていた跡です。

  子供の頃、里芋か何かを入れた四角い箱形の水車が小幡の町中の雄川堰の流れで回っていたのを覚えています。

  轟の下手に架かっている県道の橋の手前に雄川堰の取水口がありました。
江戸時代の建造物のままではなさそうです堰堤の高さは今も昔も変らない筈です。
重機がなかった時代に取水口の工事を成し遂げた先人の技は大したものだと思いました。

  橋を渡って下轟に差し掛かると小雨が降りはじめました。
山歩きには不向きな状況になりましたが行ける所まで行ってみようと折りたたみ傘を引っ張り出し、小幡富士への道に入りました。

  僅か歩くと最奥の民家の庭先に出ました。
道の左側に母屋がありますがそれと道を挟んだ向かい合わせに物置のような建物があってなんとなく他人の家の中を通り抜けてゆく様な感じになりましたがほかに通り道がないのでそのまま通り過ぎました。

  家の裏側は何かの果樹畑になっていて、畑と山林の間の道を進みました。
あとで聞いて分かったことですが、この "何か" はキュウーイでした。

  やがて路面が緩んで歩き難くなっている廃林道になりました。

  その先へ僅か進んで尾根の背を乗り越える所で笹薮に突き当たりました。
藪の先には道の続きがあるのではないかと藪の中に入ってみましたが道形は見つからず。
仕方ないのでもとの鞍部に戻り、藪っぽい尾根の背をまっすぐ登ってみました。


  枯れ枝と落ち葉が積もってかなり歩き難い所でしたが降り始めた弱い雨は林床を濡らすまでにはなっていなかったので着物が濡れるようなことはありません。

  やや急に登ってコブをひとつ越えると尾根道の痕跡が現れて歩きやすくなりました。

  鞍部を渡った先からやや急な所を強引に直登してゆくと僅か平坦地があり、立木の根方に左のような石祠がありました。

  祠から10m 足らず北に寄った高みには左のような三角点標石があって、351.8m の小幡富士の頂上であることを確認できました。

  まわりを山林に囲まれて展望はなく、長居していても面白くないので登ってきた藪尾根を下りました。

  キュウイ畑の縁に出たときはすっかり雨模様になっていて、谷向いの山は雨霧に閉ざされてしまいました。

雨の宝積寺    (クリックすると拡大)

  連石山はスキップすることにしましたが、せめて出入り口だけでも確認しておこうと小幡富士の山裾の農道を北に向かって進みました。

  少し高い所に上がったので後ろを振り返って見たら、向かい側の山の麓に天狗山登山口にある宝積寺の屋根が霞んで見えました。
 

  長厳寺まで来ました。
山裾の河岸段丘の上にある寺で、石段を上った山門の中の本堂前庭がきれいでした。

  本堂の北脇から山に登ってゆく階段道がありました。
入り口に三十三観音入口の標識が出ていて、連石山の南口であることを確認できました。

  雨は小止みになっていましたが雲が低くて好展望は望めないので連石山は後日の楽しみとっておくことにして通過しました。

  長厳寺から300m ほど北に進んでところで折り返すような形で左に分かれいる登る道がありました。

  角に甘楽ふるさと館への道標が立っていたので左折して坂を登ったら、山に当たる手前で右手にカーブして行く脇に駐車場がありました。

  駐車場広場の山側から歩道が山に上がっていて、入口の脇に左のような連石山トレイルコースの案内看板が立っていました。
  こちらが連石山の北口で、展望台、石切場跡から尾根を伝わってゆけば長厳寺の裏山の三十三観音に行けるようです。

  間もなく甘楽ふるさと館に着きました。
敷地の南隅に "達磨窯" がありました。
隣町の福島で富岡製糸場のレンガを焼く工場が作られたのがそのあで、屋根瓦を焼くようになったのだそうです。

<ルートの詳細>



  ヤマレコの山行報告



  GPX ダウンロード





  ルートマップ
    (国土地理院地形図を利用し
   Android アプリ 地図ロイドで作成)

<小幡里山巡りのまとめ>
    足慣らしを兼ねた小幡の里山巡りで、国峰城外堀跡、善慶寺跡、紅葉山公園、雄川堰、小幡富士、などを訪ねました。
小幡富士では山道が藪に埋もれ、極小低山には似合わない手応えがありました。
雨模様になったためスキップした連石山はいずれ機会を得て訪ねたいと思っています。
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☆5月16日(曇時々晴): 会場峠-黒仁田山-カラカラ山-焙烙峠-奈良山-上平

☆まえがき
  小幡の甘楽ふるさと館は甘楽町の公共の宿泊施設です。
リーズナブルな料金で設備がよく、贅沢ではないが丁度よい量の美味しい食事が出て、よい泊まり場でした。
会場峠へのアプローチに利用した地タクシーは、10年ほど営業している元の個人タクシーでドライバーは小幡から秋畑の道に精通していました。
焙烙峠に上がったことはないが会場峠には年に何度か行っているそうです。


  会場峠から黒仁田山、カラカラ山を経て焙烙峠への尾根筋は、山林の木の葉が出揃った時期です。
視界が悪くなっているだけでなく、藪を通過する時の抵抗が大きくなっていることを懸念していましたが、一部を除いて中高木林に覆われている尾根筋は、藪はごく僅かで地形も穏やかだったので気持ちのよいオフトレイル・ウオーキングができました。

  焙烙峠から奈良山への下降路では鮎川谷最奥部の雄大な山岳景観と再会しました。
奈良山の山上集落ではあふれる新緑の中に色とりどりの花が咲いていました。

奈良山山畑の縁から御荷鉾連峰    (画像をクリックすると拡大スクロール)
 

<行動時間>

    宿舎[8:01]=(Taxi 5770円)=[8:32]会場峠(8:43)-尾根取付点(8:45)-共聴アンテナ(8:48)-854mコブ(9:26)-枯笹の小鞍部(9:51)-黒仁田山(10:03/18)-林道出合(10:34)-名無村峠(10:42)-名無村峠(10:32)-879m峰(10:50)-黒仁田峠(10:58/11:10)-カラカラ山(11:30/40)-共聴アンテナ(12:00)-林道出合(12:09)-ホーロク峠道出合(12:15)-焙烙峠(12:19/21)-春日神社(13:08/58)-県道(14:28/31)-御前岩橋(14:54)-熊倉山林道入口(15:12)-上平名水(15:15/18)-(15:25)上平バス停[15:40]=(上信観光バス小柏線500円)=[16:24]藤岡駅[16:56]=(八高線 1944円)=[17:11]高崎[17:37]=(高崎線快速)=[18:47]大宮[18:51]=(湘南新宿ライン)=[19:28]渋谷[19:39]=(田園都市線216円)=[20:07]宮崎台

<ルートの概況>
    宿舎から会場峠まで約30分でした。
那須から峠へ上がってゆく途中には険しい崖の中間を横切ってゆく所もありましたが全体としては良く整備された舗装路の山岳ドライブ路でした。

会場峠の頂上には左のような大山祇神社があります。
境内に立つと新緑がきれいな鮎川源流地帯の山並みを見渡すことができました。

  神社の西脇に鮎川谷を下って日野、藤岡方面へ通じている県道177号線の起点があります。

  177号線に入って僅か進むと左の写真のような尾根の端があり、人や獣が出入りしている痕跡が認められました。

  尾根の背に上がって僅か進んだ所に赤杭が打ち込まれていました。
藤岡市と甘楽町の境界標識と思われます。
地形図と GPS を照合し、目的の尾根に乗れたことを確認しました。

  僅か進んだ藪の中にテレビ共聴アンテナが立っていました。
右下の林の先に会場集落の人家の屋根が見えました。

  尾根の左側は急な崖になっていましたが、右側は地形が緩やかで、尾根の肩を削って通した古い道形が断続していました。
廃道になってから何十年も経っているため、道形の真ん中に大きな立ち木があったりしましたが、歩きやすそうな所を拾ってゆくと少しずつ道形が明瞭になってきて、古い赤テープが見えたりしました。

  徐々に歩きやすくなってきた尾根の背を進んで 854m のコブに上がりました。

  こんもり盛り上がった所にコンクリートの境界標識が打ち込んでありました。
そのほかには特段の目印はありません。
地形図と GPS 座標とを参照し、現在位置を確認しました。

  浅い鞍部をの先からひと登りして黒仁田山西肩の890m 圏のコブに上がりました。
山林の隙間に見えた山は黒仁田山と思いました。

  ホッソリした尾根になりました。
これまでと同様、左の秋畑側は急斜面ですが右の上日野側は緩やかです。

  枯れ笹に覆われた小鞍部を通過しました。

  鞍部から右手に上がると幅の広い尾根になりました。
ここにもコンクリート境界標識がありました。

  このあたりはまわりの山が見えず、GPS と地形図によるナビーゲーション・ツールが頼りでした。 

黒仁田山の天辺    (クリックすると拡大)

  黒仁田山の頂上に着きました。
ゆったり盛り上がった良い形の天辺ですが 938.7m の三角点標石がポツンと据えられているだけで、山名標識などはありませんでした。

897m 峰とカラカラ山が見えてきた  (クリックすると拡大)

  黒仁田山頂上から南に派生している顕著な尾根があるのでちらに迷い込まぬよう注意しました。

  用心して左手へ降ってゆくと行く手に 879m 峰からカラカラ山へ連なっている尾根筋が見え、正しいルートを進んでいることが分かりました。

  尾根がホッソリして歩き易くなるとともに、標識杭が増えてきて、赤と黄と白と三色の杭が頻繁に見られるようになりました。
人外境的な雰囲気が濃厚だった 854m 峰あたりとは違って、時々人が来ているような感じがするようになりました。

  浅い二重山稜状の所がありました。
降り積もった落ち葉と枯れ枝でやや歩き難く、ルートも分かりにくい所でしたが、高いところを外さないように注意して進みました。

  また尾根が細くなって歩きやすくなったので気分良く進んで行ってら急に右下が明るくなり、舗装林道の路面が見えてきました。

  名無村峠と呼ばれている鞍部で、右下に降りてゆけば鮎川沿いの名無村集落に行けるようです。

  "名無村" という名は明治時代に地形図が作られたときに付けられた地名で、村の名が無かったらからだったと言われています。

  樹木に覆われた平坦な尾根の背を進んでゆくところは、まるで南房総の尾根筋の様な雰囲気でした。

尾根の背を進んできた林道が左手の斜面に入ってゆくところを直進し、向かい側の尾根の背に上がりました。

  やや急な尾根の背を忠実に登って行くと青岩の露頭が目立つ 879m 峰の頂上に着きました。

  このコブは南面の肩を巻いてゆく林道を通ってパスすることもできるようです。

わざわざ尾根通しに登ってくる者は少ないようで人跡は希薄でしたが穏やかでスッキリして、気持ちよく歩ける尾根筋でした。

  緩やかに下って黒仁田峠に着きました。
樹木に覆われて入るものの広々した鞍部でした。
地形図に描かれているは実線をなぞると、鞍部を乗り越えている林道を左へ降りて行くと秋畑の内久保に降り着けることが分かります。

  たまには林道ライダーが来ているようで、峠の近くには MTB が走った痕跡も見えます。

  カラカラ山の登りは主稜と南へ派生している尾根の間の幅広い緩やかな斜面を登ってゆく形になりました。
黒仁田山の方から来たときはひたすら高い所を目指して登れば良いのですが、焙烙峠の方からきて下るときは、上日野の方に誘い込まれてしまぬよう慎重に方向を見定め、右手寄りに進む必要があると思いました。


  緩傾斜で幅が広く、まるで台地のような所は綺麗な林床で藪がなく、オフトレイル・ウオークの醍醐味を味わえる所でした。

  高度が上がると尾根が細まって傾斜が一段と緩やかになりました。

カラカラ山の頂上    (クリックすると拡大)

  やがてカラカラ山頂上の三角点標石に着きました。

  赤杭が打ち込まれている最高点より数m 西に寄った藪の中に 925.2m の三角点標石が据えられています。
その脇に倒れかかっている棒は、もとは赤白のツートーンカラーだった測量ポールが黴びて薄黒くなってしまったもののようでした。


  カラカラ山はこの日のルート上の最後のピークでした。
尾根筋が分かりやすく藪が少なかったお陰で時間的には順調に歩いてこられました。

ノンビリ長休みをしながらあたりの様子を見て回ったら三角点から10m ほど東に寄った所に細い青色のポールが立っていて、東の方から藪に覆われた道形が来ているのに気が付きました。

  このポール、まわりが緑だと左の写真の様に分かり難いですが、周りが茶色になる冬枯れの時期に来ればそれなりに目立つ目印になるでしょう。

  カラカラ山から焙烙峠へは、強いて道形を追わず、尾根の背の歩きやすそうな所を適当に進みました。

  藪だらけだったり、落ち葉や枯れ枝が積もって歩き難くなってしまった山道より山の中のほうが歩きやすいことは良くあります

  ただ、左のようにぞんざいな間伐が行われた跡は、杉の中木の間が広くて一見歩きやすそうに見えても、いざ踏み込んでみると地面の凸凹がひどく、意外に歩き難い思いをしました。

  闊葉樹と林床の新緑がきれいな所がありました。
焙烙峠に近づくとともに、何となく里山っぽい雰囲気が漂ってきて、新緑の中ののんびりウオークになりました。

  林床に小さくていけれど可憐な白花が咲いていました。
同じ形の葉がかなり広い範囲に分布し、大群落が形成されているようでした。

  僅かに盛り上がった丸いコブは山林が切り開かれ、テレビ共聴アンテナが立っていました。
山の北面には人家がありませんから、南面の奈良山集落の共聴アンテナに違いありません。

地形図で方向を確認し、アンテナの右脇を通って左手へ進みました。

  道形が現れましたが落ち葉や枯れ枝が積もって非常に歩き難いので脇の山の中に逃げました。

 西伊豆歩道などでも経験したことですが、人が歩かなくなった山道は路面が緩んだ上に色々なものが積もると道がないところより歩き難くなることがあります。
 
  突然、行く手の下の方に林道が見えてきました。
この林道は焙烙峠の方からきて、先程通った共聴アンテナのコブの方へ行っているようです。


  林道出合いから僅か進んで焙烙峠の道に出合いました。
左へ200m 足らず行けば峠の頂上です。
滅多に来れる所ではないので確認も兼ね、峠まで行って見ることにしました。

  焙烙峠の頂上には
"藤岡市 上日野←焙烙峠(862M)→甘楽町 秋畑"
と墨書きした道標と、この峠でつながっている林道の様子を描いた絵図看板とが並んで立っていました。

  前回ここに来たときは木の葉が落ちていて周りがよく見えましたが今回はぐるりを若葉に囲まれているため何も見えません。
  焙烙峠から先は既知の道です。
時間的な余裕も十分あるのでノーンビリ・ムードにスイッチを切り替え、ノロノロ歩きました。

  峠の頂上から少し下った所から左に分岐している林道があります。
この分岐から入って行けば、多分、熊倉山との中間にある奈良山峠へ通じていて、北側へ降りてゆけば秋畑の内久保あたりへ降り着けると思われます。
  また熊倉山林道とも繋がっているようですから、熊倉山の頂上を回って上平へ降りることも可能でしょう。

  林道沿いの山林も葉が茂り、前に歩いたときのように熊倉山などは見えませんでしたが緑に囲まれいる中をのんびりゆったり歩くのも悪くありません。

  奈良山が近づいて周りが開けると右上の高い所に先刻歩いていた稜線が見えました。


御荷鉾連峰の眺め    (クリックすると拡大)

  やがて奈良山の山畑の縁に出ると鮎川谷の向かいの正面に雄大なスカイラインを描いている御荷鉾連峰と対面しました。

  急な斜面を折れ下って行くと前方に奈良山最奥の人家が見えてきました。
雄大な山岳景観に向かい合う、ロケーション最高の住処です。



  最奥の人家の下からふたつ目のカーブを過ぎた正面が奈良山林道の起点です。
カーブの脇の広場から一段上がった所に奈良山神社があります。

  階の上に立っている鳥居に扁額がなく、社名も分かりませんでしたが、この村の鎮守の社に違いありません。

  会場峠からここまで無事に歩き切れたことへの感謝を捧げたあと、社殿の横にある公民館小屋の軒下で長休みをしました。

  公民館の前には山の美味しい水を引いた蛇口があって、とても良い休み場です。

奈良山の景色    (クリックすると拡大)

  神社境内で長い休憩をしたあと上平への下降にかかりました。

  谷向いの山並みの奥の方の鞍部は塩沢峠です。
今日のルートの起点だった会場峠から鮎川源流地帯をグルっと迂回した県道がこの鞍部を乗り越えていて万場から鬼石方面へ通じています。

  前回は来たときは芽吹きの前で早春の花が見られました。
今回は春の盛りで、また違う花がいろいろ咲いていてとても奇麗です。

  数回曲がり下ると、谷底を通っている県道と出合いました。
この出合から上平への中間あたりにある御前岩と呼ばれる峡谷部が谷沿いの交通を妨げる険路になっていたようで、その近くに県道昇格記念碑が立っています。

  上平のあたりには "武笠" という珍しい姓の家が多いようです。
奥日野鮎川源流地帯は落ち武者が住み着く隠れ里だったのかも、と思いました。

  御前岩を過ぎると徐々に谷が開けてきて、上平最奥の人家が見えてきました。
家の前を通り過ぎたら、道端にオバァちゃんが出ていました。
  「こんにちは」と挨拶をしたら、この頃は鹿がやたら増えて困っているとのこと。
道端のタラきを指差し、この芽まで食べちゃったんですよ、と嘆きました。

  熊倉山南面の偵察で登降した事がある林道の分岐を過ぎたすぐ先の道端に、水源タンクのオーバーフローを引いてきた "上平の名水" があります。
ここの美味しい水を味わうのは、熊倉山南面偵察の時と、小柏峠から焙烙峠まで歩いて降りてきたときと、今度で三度目です。
  川縁から上日野の谷間を縦観できるところを過ぎると上平の集落に差し掛かりました。
スクールバスのポストを通り過ぎると間もなく上信観光バスの上平バス停に着きました。

  バスの時刻に合わせて所々で道草をしながらゆっくり歩いてきたので程よい待ち時間となりました。

  日野谷は通い慣れた道になっていてますが、新緑の時期はとても美しく目の保養になります。
1時間ほどで群馬藤岡駅に着き、高崎経由、予定通りの列車で家に帰りました。

<ルートの詳細>



  ヤマレコの山行報告



  GPX ダウンロード





  ルートマップ
    (国土地理院地形図を利用し
   Android アプリ 地図ロイドで作成)

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☆おわりに

    出揃った木の葉が視界を妨げる時期だったにも関わらず、アプローチの難点でやり難くかった会場峠から焙烙峠への尾根伝いをノートラブルで完遂できました。
  天気の周り合わせが良かったのと、地形が穏やかで藪が少なかったおかげでした。

  早い時間に焙烙峠まで行き着けたので 行程の終りの部分をのんびりゆっくり歩けたお蔭でバスを始めとする帰りの乗り物の中で悩まされる事が多くなった足の筋肉の痙攣が出ませんでした。


  今回の山行の結果、牛伏山から大沢峠、小梨山、小梨峠、亀穴峠、小柏峠、熊倉山、焙烙峠を経て会場峠までの吉井南山稜線の全長をカバーすることができました。

  五体満足なうちに郷里の山との濃厚なコンタクトができたのはとても嬉しいことでした。
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