上総亀山-横尾番所跡-久留里城 (2017.2.28)



☆期日/天気/山行形式:
2017年2月28日(曇のち晴天気) 単独日帰り低山ハイキング、城跡探訪
☆地形図(2万5千分1): 坂畑(大多喜13号-4)、久留里(大多喜13号-3)
☆まえがき
    公共交通機関利用では不便な南房内陸部へ千葉駅前から出ているカピーナ号を利用してアプローチし、亀山-坂畑-横尾番所跡-怒田-久留里城ルートを踏破しました。
  道標のない横尾の旧道は上手く歩き抜けられのですが、久留里城の裏道に入って本丸まであと300m ほどまで迫った所で古い道形に気を取られて道標の指示方向を読み誤り、山裾の車道に降りてしまいました。
山裾を歩いて三の丸跡へ回り、一般登城路を通って本丸に上がることとなりましたが、広大な展望を楽しんだあと、城址資料館で上総掘りのことを学び、城下に湧き出ている銘水を味わって帰りました。

久留里城薬師曲輪の展望    (画像をクリックすると拡大)
☆行動時間
   宮崎台[6:56]=溝の口=錦糸町[8:03]=(JR総武線快速千葉行)=[8:41]千葉/千葉駅前BT#21乗場[9:05]=(カピーナ号亀田病院行)=[10:28]亀山・藤林大橋バス停(10:32)-亀山駅(10:40/44)-坂畑公民館前十字路(10:55/11:07)-坂畑の石道標(11:12)-199m峰トンネル(11:25)-鳥養殖場の看板(11:42)-旧道分岐(11:58)-横尾番所跡(12:08/15)-茅の平地に夏蜜柑と梅の花(12:50/52)-舗装林道(13:05)-北向地蔵(13:12/28)-旧道入口(13:32)-怒田市道(13:48)-怒田隧道手前久留里城入口(14:09/14)-方向がおかしい道標(14:24)-県道(14:35)-久留里城入口(14:52)-薬師曲輪跡展望台(15:09/20)-久留里城本丸(15:26/36)-久留里城址資料館(14:41/55)-国道(16:07)-田丸家の名水(16:10/12)-(16:31)久留里駅[16:44]=(JR久留里線)=[17:26]木更津[17:42]=(JR内房線・総武線快速東京行)=[18:52]錦糸町=(メトロ・東急線)=[19:57]宮崎台

☆ルートの概況
   近頃の山城ブームの影響か、城跡への関心が高まっているので、毎年冬から早春の恒例になっている南房総山行では、静かな尾根つたいから城跡に到達するルートを選びました。

  房総の山歩きのガイドブックをめくってみたら、久留里線終点の上総亀山を起点として、坂畑から旧川越藩横尾番所跡、北向地蔵尊を通って行く尾根伝いのあと、怒田から搦手道を詰めて背後から久留里城本丸にアプローチするルートがあることを見つけました。

  亀山は南房総の中央部で三石山、大福山、元清澄山などにアプローチする起点として重要な地点ですが、久留里線の運行本数が極端に少ないのとコミュニティーバスが殆ど運行停止に近い状態になっているのとで相当に不便です。
  さてドーしたものかとあれこれ調べてみたら、千葉駅から安房鴨川へ向けてカピーナ号と称する高速バスが毎日9便運行されているのが見つかり、これを利用すれば割りと容易にアプローチできる事が分かりました。

  カピーナ号は千葉駅から1時間20分あまりで亀山藤林大橋バス停に到達しました。
湖畔のバス停に相応しく、ポストの横に2艘のボートを利用した花壇がありました。

  近くにある亀山駅に向かって歩き出すとすぐ、道端の畑の縁に「ヤマヒルに注意」と記した警告看板が掲げてありました。
温暖湿潤なこの地方ではヤマヒルが殖えているようで暖季に山に入るときは要注意なようです。

  坂を登ってゆくと久留里線の末端の横手に出ました。

  下総亀山は閑散としていましたが駅舎の隣には小奇麗な公衆便所がありました。
便所の横の広い駐車場の向い側にタクシー会社の看板を掲げた車庫がありましたがシャッター降ろされていて、営業しているかどうか分かりませんでした。

  駅前広場の角の店先におじさんが出ていたので坂畑に行く道を確かめました。
山に突き当った所を右折し、熊野神社の下を過ぎると左手にトンネルがありました。
トンネルの手前にはホテルの看板と「黒滝 滝原」と記した道標が立っています。

  トンネルを抜けた所から少し進んだ所に十字路があり、角の向こう側に消防車の車庫、手前側の角に門構えの立派な公民館がありました。

  ひと歩きして身体が温まり、山も近付いてきたので消防車車庫裏の水槽の脇で小休止をしながら支度をしました。

  十字路を左折して南に向かって進んで行くと山裾にかかり、山神社の鳥居の下を通りました。

古い石標    (クリックすると拡大)

  僅か登りになってきた所にある二股の角に古い石柱道標が立っていました。
左側に「横尾、久留里方面」と刻んであります。

  左俣を進んだため集落の中を通ってゆく回り道となりましたが、右手の谷戸に降りると山と畑の境を進むルートに乗りました。
畑の中では梅が咲いて春の景色になっています。

  最奥の家の先から杉林の中に入って右手に曲がり登って行くと手掘りのトンネルがありました。

  南房総には富士山からきた火山灰が積もり固まった凝灰岩が侵食されてできた薄べったい尾根が錯綜し、独特の地形になっています。

  柔らかい岩でできた細尾根を通り抜ける手掘りのトンネルとよく出合います。

  ふたつのトンネルを通り抜けると尾根の背に乗り、左右が開けました。

  まわりが暖地林のため常緑樹が多く、視界は開けませんが所々にある林の隙間から、まわりの山の穏やかな起伏が見られました。

  「鳥の養殖場」と記した看板の脇から別れてゆく道がありましたが、Google Maps の航空写真でみると、この奥には結構な大きさの建物があったようです。

  分かれ道を見送って少し進み、左手にまわって杉林に中に入ってゆこうとする所では右下から大勢の犬の鳴き声が聞こえてきました。
鳥だけではなく犬の養殖もしているようです。

  杉林を抜けると右手が開け、谷向いの尾根が見え、高い所に人家の屋根が見えました。

  山深い所を歩いていたらひょっこり人家に行き当たったりするのが南房総の山の面白いところです。

  地形図と GPS 座標とを見比べながら進んでいってこのあたりに違いないと思った所に「坂畑支77」のラベルがついた電柱が立っていました。

  電柱の袂から左手に上がってゆく細い道が横尾番所跡に通じている旧道です。

  ひと登りした所で尾根の端に上がり、右折して登ってゆく所は露岩があったり、落ち葉や枯れ枝が堆積している所を猪がかき回してグチャグチャにしていたりでした。
人が通らなくなくなって山の動物のテリトリーに戻ってしまった山道の混沌状態は西伊豆歩道の状態とよく似ています。

  横尾の尾根を乗越した左手に曲がり下ってゆくと竹藪になりました。
緩やかな斜面を覆う竹林の僅かな切り開きに古い石標と「川越藩 横尾番所跡」と墨書きした標柱が立っていました。

  石標に刻んだ文字によれば、直進してゆく道からT字状に右に分岐している道を進むと元清澄山の方に行けるようです。

  T字路の向かい側の角に六角断面の石柱に地蔵を浮彫りした石標が立っていました。
「享保七年... 」、「これより 元きよすみ道」と刻まれ、基台に線香を供える窪みがあますから、行き倒れの供養と道標を兼ねたもののようです。

  南に向かって進み、自然林の中に入ると滲み出した水でヌカり気味の所にオフロードバイクが走った轍が見えまし。
左下は崖に近い急な斜面ですからよくこんな所へ、と思いました。

ホッソリした尾根を辿って行きながら、ときどき尾根の背に上がると左右の視界が開け、尾根伝いの爽快味を感じました。

  轍で溝状になっているところに水が滲み出していると凝灰岩地帯特有の滑りやすいぬかるみになります。
歩き難いので両側の縁ををまたいで進みました。

  切通状の左側の壁に石で囲った横穴を波鉄板で覆ってある所がありました。
古い井戸のように見えました。

  間もなく右手が開けた所に出ました。
茂みの向こうを尻尾を上げて走ってい行った獣がいました。
猿か鹿、と思いましたが道の上に落ちていた夏蜜柑の食べかすからみて猿だったに違いありません。

  ここは屋敷の跡のようで大部分が茅原になっていましたが道に沿った部分には数株の梅が花を咲かせ、実が黄色に実っている夏蜜柑の木も立っていました。
屋敷跡の先から右手に分かれてゆく道を見送って直進し、山の右側の斜面を横切っでゆきました。

  コブを回り込んで尾根の背に戻ると左手の林の先の方にゴルフ場が見えました。
地形図を参照すると、歩いている尾根筋とJR久留里線の間の丘陵地帯には、ふたつのゴルフ場が南北に並んでいます。

  前の方がぱっと開け、尾根を乗り越えている舗装車道のカーブ突端に突き当たりました。

  地形図に従って左へ進んでゆくと右側に「北向地蔵尊の霊水」と墨書きした立て札と波形鉄板の蓋がしてある槽がありました。
鉄板を捲ってみたら中に清水が溜まっていました。

  清水から僅か進んだ所に「北向地蔵尊」と刻んだ石柱が立っていました。
数段の石段を登ると僅かな平地があり、地蔵堂と籠り堂のような小屋がありました。
地蔵堂のまわりは奇麗に清掃され、お堂の軒下には怒田北向地蔵講と染め抜いた暖簾がかけられています。

  横手の山裾に祀られている水子地蔵の袂が日だまりになっていたので座り込んでバナナを食べたりイオン水を飲んだりして休みました。

  北向き地蔵から200m ほど北上した所で林道から旧道が左手に分かれていました。

  道標のようなものはありませんが、左の写真のようにガードレールの端の手前から左下に降りてゆく道の入口のまわりの数か所に色あせたビニールテープが巻きつけてあります。

  大石が転がっていたり、滲み出した水でジクジクしていたり、かなり歩き難い道でしたが我慢して下ってゆくと、右側の岩肌が一面蘚苔類に覆われてきれいな所がありました。

  やがて左側が開け、怒田の谷戸と人家が見えて来ました。

  間もなく田圃の縁の茅戸の台地に出て一段下ると猪捕りの罠が置かれている農道に降り立ちました。

  田圃の間を進んで怒田の車道に出た所で右折。

  少し進んだ所から握手に分岐しているる舗装林道の出入り口に「久留里城←|→北向地蔵尊」と記した看板が立っていました。
坂畑から山に入って以来はじめて目にする "近代道標" です。

  怒田は南房総でよく見かける平坦な谷戸に人家が散在している村落で、門構えの中に母屋とふたつもの蔵がある大きな農家があったり、灌漑用と思われるきれいな池があったり。
穏やかな里山の景色を見ながら進みました。

  左に回ってきた道が山に突き当たった所にトンネルがあり、その手前右側に「久留里城」と記した道標が立っていました。

  久しぶりに長い距離を歩いて老体の脚に痛みが出てきたので、入口の土手に腰を下ろして休みました。

  空堀のような感じの溝に沿って草生した道を登り、尾根の背に上がると思っていたより立派な道になりました。
久留里城まであと400m 程しかないのでもう頂き、と気を許したのですが、結果的には早とちりでした。

  「←久留里城へ|怒田方面へ」と記した立派な道標のすぐ先でサテどっちに行ったものか?となりました。

  小さな切り通しがあるので尾根の裏側を覗き込んでみましたがはかばかしい道形が見えません。
尾根の背に上がってみたのですが極細のギザギザ尾根でどう見てもルートとは思えません。

  一方、左手に向かって写真のような立派な道形が延びています。
やや下り気味なのに引っからないでもありませんでしたがまずこれに違いないだろうと思って進んでみました。

  ところが、少し先で尾根の端を乗越すと急に曲がり下り、あっという間なく山裾をと覆っている舗装路の法面の縁に出てしまいました。
かなり高度差があるので藪の中を左手へ探ってゆくと、排水路らしい溝、さらにその先に直径25cm 位の合成樹脂パイプが道路へ降りている所がありました。

  パイプに沿って藪の隙間があったので適当にずり下がったら道路に降り立つことができました。
地形図で確認すると先刻見たトンネルの出口のすぐ先に出てきた事が分かりました。

  つまらないミスのためルートを外してしまいましたが少し先まで歩けば三の丸跡で、そこから右手に上がってゆく一般登城路があります。
少々回り道になりますが、そちらを通って本丸に行くことにしました。

  三の丸跡からの登城路入り口には間違えようもない大きな看板が出ていました。

  坂を登ってトンネルを潜って行くと突き当りに森林体験館入口があり、その手前が広い駐車場になっています。

空堀跡    (クリックすると拡大)

  右手に曲がって長い坂を登ってゆくと尾根を掘り切った形跡がよく分かる空堀跡の下を通過しました。

車道を通すために地形が大規模に破壊されてしまいましたが、その御蔭で戦国初期の山城の空堀の構造がよく分かるのは皮肉です。

  坂の上の方にある分かれ道を右手に入ると間もなく歴史資料館の裏庭にあたる薬師曲輪に着きました。
眼下に三の丸跡を見下ろし、広い谷の向こう側に鹿野山のなだらかな山並みを見渡す展望スポットでした。

上総掘りの櫓    (クリックすると拡大)

  すぐ横手に上総掘りの櫓が展示されていました。
つなぎ合わせた竹ひごの先に付けた鉄ノミで地盤に穴を開けることによって深井戸を掘るこの地方独特の技術です。
近頃は海外でも活躍しているとのことで、興味深く見学しました。



景色に対面してベンチが置かれていたので飲み食いをしたり山支度を解いたりしながらこの日一番の展望を楽しみました。

薬師曲輪の展望  
 (画像をクリックすると拡大スクロール)

  資料館の玄関先から右折して本丸に向かうと尾根の両側を削った土橋がありました。

その先から続く丸太階段を登ってゆくともうすぐ本丸と言うところに男井戸・女井戸と呼ばれる水貯めがありました。
山城でこれほど高い所に水の手があるのは珍しいと思いました。
北条が攻め寄せてきても持ちこたえたのはこの井戸があったからかも知れないと思いました。

久留里城本丸    (クリックすると拡大)

  本丸は立派な形をしていましたが、実は偽物で、コンクリートで建てた展望台です。
本当の本丸はその横の四角い筑土の上にあったもので、多分木造の砦だったに違いありません。

  展望台に上がると広大な視界が得られました。
南の方には、この日に歩いてきた山並みを見渡すことができました。
三の丸、鹿野山方面へも広大な視界が得られましたが午後遅いこの時間には傾いてきた日が視界に入り、写真になりませんでした。

  十分に景色を楽しんだあと展望台を降り、資料館にも立ち寄ったあと山を下りました。

  三の丸へのトンネルは、向こう側の出口射し込んでいる夕日で黄金色に輝いていました。

  三の丸跡は看板がなければただの山裾の集落にしか見えません。

  国道に出た所に「田丸家の銘水」の引き水がありました。
上総掘り自噴井のひとつから湧き出している水でしたが、蛇口から携帯コップに組んで服んでみたら山の水とはまたひと味違う、まろやかな味がしました。

  国道に沿ってを久留里の町に向かうとすぐ「参勤交代道」と記した杭が立っている曲がり角がありました。

江戸に向かう大名行列はここから左に手進んでいったようです。

  直進して街に入るとすぐ古風な門構えの家があり、その門の脇に「高澤の清水」が流れ出していました。
こちらも田丸家のと同じ様においしい水でした。
 

  郵便局の前を通り過ぎ所に色々なかき氷機を並べている店がありました。
名水の氷で作ったかき氷はきっと美味しかったに違いありません。

  子供の頃、夏になると近所に小屋掛けのかき氷屋ができ、よく食べたものですが、腹を冷やして下痢になる事も多かった事を覚えています。

  商店街の中ほどにお城をかたどったシンボルを掲げたゲートがありました。
 

   久留里線は不便なので帰りは海ホタルを通る東京駅行き高速バスを利用するつもりでした。
バスの待ち時間が少しあったので駅の様子を見に行って見たらあと数分で木更津行きが出るところでした。

  駅前通りの店に手土産の和菓子を買い行って戻ったら発車時間ギリギリとなり、危うく飛び乗ることとなりました。
ジーゼル列車は空席たっぷりで、ノンビリローカル線の旅をして帰りました。


<ルートの詳細>





  ヤマレコの山行報告





  ルートマップ



  GPX ダウンロード

 
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☆おわりに

   久し振りの南房総山行では、静かな南房総の旧道歩きと、名城の展望と、上総掘り井戸から自噴している銘水の味を楽しみました。