檜原城山・戸倉城山 (2017.2.16)



☆期日/天気/山行形式:
2017年2月16日(晴) 単独日帰り山城跡探訪
☆地形図(2万5千分1): 五日市(東京14号-2)
☆まえがき
    檜原城は、甲斐の武田勢と対峙していた北条勢が秋川谷筋に構築した山城チエン(滝山城-(高月城)-二条城-網代城-戸倉城-檜原城) の最先端で、槍の穂先とも言うべき城でした。
檜原城山の登り口は檜原村の本宿役場のすぐ先にある吉祥寺の本堂の裏にありました。
本丸跡のある頂上へは、通常の山道と十三仏巡拝路と、ふた通りのルートが設置されています。
今回は、順拝路で十三仏を巡拝しながら登頂し、通常路を通って下山しました。

  昼近くに山から降りたので寺前の手打ち中華そば屋に入って昼食をし、バスで戸倉城山北麓の十里木まで移動して、北口から出城跡を経て戸倉城山に登りました。
檜原城が見えると聞いていた出城跡は樹木に囲まれていて視界が得られませんでしたが、月初めにも訪ねた本丸跡では前回と同様の広大な展望を楽しみました。

大手道から西戸倉に下り、前回立ち寄らなかった三島神社に参拝し、二年越しの浅川、秋川谷筋の山城跡巡りを締めくくりました。

檜原城 二の丸跡から秋川谷の眺め    (画像をクリックすると拡大)
☆行動時間
   宮崎台[7:16]=溝の口=立川[8:25]=[8:53]武蔵五日市駅[9:00]=(西東京バス数馬行)=[9:20]本宿役場前バス停(9:25)-吉祥寺本堂(9:29)-十三仏巡拝入口(9:33)-檜原城跡解説板(9:37)-不動明王(9:39)-釈迦大仏(9:41)-文殊菩薩(9:50)-普賢菩薩(9:57)-地蔵菩薩(9:59)-弥勒菩薩(10:05)-薬師如来(10:09)-吉祥観音(10:15)-勢至菩薩(10:19)-阿弥陀如来(10:26)-阿閦如来(10:30)-大日如来(10:36)-二の丸跡(10:37/39)-虚空菩薩(10:43)-本丸跡(10:43/11:00)-吉祥本堂(11:26/28)-たちばな屋(11:30/昼食/12:20)-(12:24)本宿役場前バス停[12:32]=(西東京バス武蔵五日市駅行 320円)=[12:41]十里木(12:45)-登山口(12:48)-稜線(13:11)-出城跡(13:25/28)-大手道分岐(13:32)-本丸跡(13:34/48)-西戸倉神明社(14:07)-三島神社(14:21/26)ー(14:36)戸倉バス停[14:42]=(西東京バス武蔵五日市駅行)=[14:50]五日市駅[15:06]=[15:23]拝島[15:26]=[15:37]立川[15:50]=溝の口=[16:30]宮崎台

☆ルートの概況

  昼前と昼過ぎとふたつの城山を巡るので割と早い時間に家を出ました。

  五日市駅の駅前バス・ターミナルから 9時に出る数馬行バスに乗って秋川谷に分け入り、本宿役場前で下車しました。

  檜原村は東京都内で伊豆七島以外には、ただひとつしかない村だそうです。
観光と産業のミックスがうまくいって繁栄しているようで、役場の建物も立派です。


  バスを降りた所から先に歩き出すと正面に立ち上がっている城山がなかなか険阻です。

  橋を渡った所で山に突き当たり、T字路を左折するとすぐ先の山裾に吉祥寺の参道の入口がありました。
道路の右側の石段を上がって参道を進み、本堂の前庭に入りました。


  庭の砂利を踏んで本堂の左側にまわりこんで行くと、山裾に立っている「十三仏巡拝入口」のゲートが見えてきました。

十三仏配置図    (クリックすると拡大)

  ゲートを潜って左折すると十三仏の配置を描いた看板がありました。
一見雑な描き方なように思いましたが実際に歩いてみるとかなり正確な空間感覚で描かれている事が理解できます。
ただ阿弥陀如来だけはちょっと場所が違っていたかなぁ、という気もしました。

  絵図看板から少し進んだ所に、左のような登山道と巡拝路の交差の模様を描いた標柱が立ち、その脇に
「← 一番不動尊」と記した案内札が並んでいました。

  標柱の右手には、東京都指定史跡檜原城跡の解説板が立っています。

写真の説明    (クリックすると拡大)

  左手へ進むと不動尊の先に開けた感じの場所に大きな釈迦如来像が居られました。

向かって左へ更に進んで斜面の南側の尾根に近いところで文殊菩薩を拝んで尾根の背に上がると山裏の採石場で稼働している砕石機の騒音が高くなりました。

  尾根の背を僅か上がった所から右に逸れ、斜面を斜めに登ってゆくと北側の外れに近い所にある古井戸跡の上に印象的な端正美の弥勒菩薩像が立っていました。


  3度目の右ターンで斜面の上部に達し、足許が不安定な所に張られたロープに沿ってひと登り斜上すると頂稜の肩にあがりました。
尾根の背への出口に金色の大日如来(十二番)が立っていて谷底の村を見守っていました。

  稜線に上がった所で左折。 僅か進むと二の丸跡の平地に登り着きました。
直径 10m程の小広場で、秋川谷を見渡せる所にベンチが置かれています。

  二の丸跡の先に進むとすぐ、尾根を切り欠いた空堀跡がありました。
左手にまわって一段上がると本丸跡の北端に登りつきました。

  本丸跡は細長い平地で、奥の方に地蔵堂があります。
 
  広場の東寄りの縁では虚空蔵菩薩像が村を見守っています。






  北の方が開けていて木立の先の谷の向かい側に三頭山から笹尾根への尾根が高く連なっていました。

檜原城本丸跡から三頭山笹尾根方面  
 (画像をクリックすると拡大)
  地蔵堂の裏側に回ってみるとその先は尾根を掘り切った深い空堀の跡で向かい側から急峻な藪尾根が立ち上がり、その先の方に尖ったピークが立っていました。

  左下の谷で採石が行われるようになる前はここから笹尾根まで行けるルートがあったそうですから、この先のピークも城の一部で、本丸が置かれていたのではないかと思われましたが、いまは一般が立ち入れるのはここまでとされています。

  ほかに誰もいない静かな頂上でゆっくり休憩を楽しみました。

  下山にかかり、素直に下って行ったら仏巡りの道には入らず、北側の尾根の背を下降する道に導かれました。

  ひと下りして杉林の中に入ると右に折れ、斜面を斜めに下るると十三仏巡拝路の鉄パイプ手摺に突き当たりました。

  十三仏斜面の北寄りを何度か折れ下ってあっさり本堂の裏手に降り着きました。

  本堂の前庭の川寄りの縁の垣根に沿って羅漢像が並んでいました。
15体ほどの様々な僧形像がユーモラスでした。

  昼近くの程よい時間に下山できたので寺の向かいあわせにある 「たちばな家」 に入ってお昼を食べました。
手打ちそばの店でしたが中華だったので五目そばを注文しました。
五目そばは、ごく平凡なスタンダードナンバーで面白味がないかも、と思いましたが出てきたドンブリには山里の店らしい山菜系のトッピングが載せられていて美味しく食べられました。

  中休みを兼ねてゆっくり食事をしたあと店を出て役場前バス停に戻りました。
12時半過ぎのバスまで少し時間があったので交番の脇に復元されている口留番所の門を見たり、橘橋の袂の地蔵堂に納められている岩舟地蔵を拝観したりしました。

  格子戸の間から覗き込んで見た木彫りのお地蔵様は、ハッとするほどの迫力がありました。
 

  十里木まで移動してバスを降りた所は、養沢方面への道が分岐している三叉路のすぐ手前でがあり、筋向かいに立っている下り線バス停ポスト脇の石垣に「城山 荷田子」と書いた案内プレートが取り付けてありました。

 

  石垣の上に上がった所は竹林になっていて、山に向かう道の脇に送電線巡視路の黄色い標識が立っていました。

濃密な竹林の中を緩やかに登って自然林に入るとやや傾斜が強くなりました。

  稜線が近づき、前方の高い所が明るくなってくるとさらに傾斜が強くなり、丸太階段が続くようになりました。

  階段道を登り切った所は平坦の尾根の背で左折して城跡に向かいました。
何故だか分かりませんが曲がり角には幾つもの道標が立っています。

  出城に向かって進み始めるとすぐ巨大な送電線鉄塔の下を潜りました。
僅か進んだ所にあるもうひとつの鉄塔の下を通り過ぎた所で振り返ったら秋川谷を縦観でき、昼前にいた檜原方面が一望でした。

  城山へ向かって進むとすぐに自然林の中の穏やかな登りになりました。

  さらに登り続けてゆくと空堀跡に突き当たりました。
尾根を掘り切ったあとで向かい側が急峻な斜面になっています。

  左に折れて堀の底を数m 歩いた所から北面に回り込んでゆく巻道に入り、高みの裏側まで回り込んで行ったところで右折すると出城跡の端に上がりました。

  幅5~6m、奥行き15m 程の細長い平地になっていて、檜原城が見えると言うことでしたが冬枯れの季節にも関わらずまわりの濃密な山林に視界が妨げられ、見通しが利きませんでした。

出城跡の標識なども見当たらず、落ち葉が深く積もった広場の真ん中の立木に赤テープが巻きつけてあるだけでした。
 
  元に戻って本丸に向かうとホッソリした尾根の背の道になりました。

  わずか進んで着いた鞍部には道標が立ち、その袂から左手へ大手道が分岐しています。

  鞍部を横切って先に進み、右手の高みの上にある公衆便所の建物の横から左へ、石垣に沿って登ると頂上広場の端に出ました。

  戸倉城山頂上は半月前に来たばかりでしたが、今回も広大な視界がが得られました。
ただ、前回より空気が濁っていて、前はうっすら見えた西新宿のビル群が全く見えなかったのは残念でした。

  頂上広場の東端にある三角点標石の先は光厳寺から登って来た搦手みちの上部です。
幅の狭い岩尾根の背を伝わってくるところは、各地の山城跡でよく見る土橋と同じ働きの隘路になっています。



  広場の北東側の縁に野外ベンチが並んでいて、その上に立つと秋川谷を縦観できました。
谷の出口の先には関東平野が広がっています。

戸倉城本丸跡から五日市拝島方面の展望  
 (画像をクリックすると拡大スクロール)

  前回見損ねた戸倉城出城跡と昼前の檜原城とを実見し、八王子城から始まって檜原城に至る浅川、秋川谷筋の中世山城跡の探訪がひと通り終了したことになるのでささやかな達成感を味わいながら大手道の下降をはじめました。


  北へ派生している尾根の背をひと下りした所で右に逸れ、沢溝の斜面に入ってゆくあたりの横手にはこの城の水の手があったと言われています。

  右に沢溝を見下ろしながら高度を下げて行ったあと、かなり急な丸太階段を下ると西戸倉神明社の鳥居の下の広場に降り着きました。

  神社の先へ僅か進んだ所に光厳寺への道標が立っていたので鋭角に右折し、山裾の道を進みました。

戸倉の眺め    (クリックすると拡大)

  左手が開けてきて、戸倉の台地の上に並んでいる人家を見渡せる展望スポットを通過しました。

  間もなく石鳥居が立っている三島神社参道の入口に着きました。
    長い石段を登りきって平になった所にふたつ目の鳥居が立ち、先の方にふたつの社殿が並んでいるのが見えました。

  向かって右側が大山祇神を祀っている三島神社でしたが、左側は「大蔵山」と記した扁額がかかり、玄関庇の格子天井に絵模様が描かれており、事代主神を祀っているようです。

  主殿の右脇には稲荷神社と熊野神宮の祠が並んでいました。

三島神社参道の眺め    (クリックすると拡大)

  参拝が終わり、バスの時間も近付いてきたので戸倉バス停に向かって参道を下りました。
石段の途中からは左のように戸倉から五日市への市街が見えました。
遠くの山は雹留山、網代弁天山などがある秋川丘陵のようでした。

  戸倉からの帰り道は2週間前よりひとつ早い時間のバスになりました。
五日市から先の電車も相応の時間の乗り継ぎとなり、夕方の早い時間に家に帰り着きました。


<ルートの詳細>




  ヤマレコの山行報告






  ルートマップ



  GPX ダウンロード

 
ページ先頭へ    

☆おわりに

   昼前に檜原城山を、昼過ぎに戸倉城山の出城跡を訪ねたことにより、武田・北条時代に秋川谷筋に展開していた山城チエンの探訪がひと通り終了しました。
あちこちできれいな景色を眺めただけでなく、檜原吉祥寺では十三仏を巡拝する機会に恵まれ、檜原口留番所脇の地蔵堂の中に祀られている素晴らしい地蔵木像とも巡り合えました。