比叡山 雲母坂から大比叡、および回峰行路 (2017.12.16-17)


☆期日/山行形式: 2017年12月16日-17日 市中ホテル利用 4泊 5日行程の 3~4日目
☆まえがき
    琵琶湖の西に尾根を連ねている比良山脈の支稜が南に延び、琵琶湖と京都市街の間に割り込んだ形になっている山並みが比叡山です。
仏教の聖地として古代から生態系が護られ、生物多様性に富む魅力的な自然環境になっていることは容易に想像できます。

  比叡山はこれまでに何度も訪ねていますがバス・ケーブルカーを利用した寺巡りでは、山中の堂塔が点と線で繋がっている一次元的なイメージしか描けません。
  尾根と谷が複雑に交錯している複雑な地形の中に巧みに配置されている多数の堂塔の在り処の3次元イメージを脳裏に形成するには、自分の足を使いながら、相応の時間をかけて訪ねまわる必要があります。

  比叡山とよく対比される吉野・大峰には、一時足繁く通っていましたが、紀伊の山住みの人達から、吉野から山上ヶ岳への大峰回峰行路は、比叡山の回峰行路より段違いに厳しいのだ、と何度か聞かされたのを覚えています。
伝聞による判断でなく、実際に自分の目で見たらどう感じるのか?
曲がりなりに山を歩ける今のうちに、比叡山の回峰行ルートも自分の足で歩いて見れば、ふたつの回峰行路を自前の体験を通じて比較できるようになる、と思いました。

  数年前、琵琶湖畔で会合があったのを機会に、比叡山の回峰行路を歩く計画を立てたものの、体調管理に失敗して旅行をキャンセルしておわりました。
今回は、12月中旬に彦根に行く機会が得られたので、再度この行者道の巡回を試みようと思いました。

  彦根の会合が終わったあと草津まで移動し、駅近くのホテルに3泊して3日続きで比叡山に通う計画としました。
初日は八瀬から大比叡に登頂したあと東塔から無動寺明王堂・トオノ岩を経て坂本へ。
2日目は東塔・中塔・西塔から玉体杉、横川を経て八王子山・坂本日吉神社へ。
3日目は予備日とするが、状況によっては、峰道から横高山、仰木峠を経て大原三千院への東海自然歩道ルートを歩いたあと寺を拝観して帰ります。

  地球温暖化のせいかこの年はとても暑い夏でしたが、秋が深まると何故か気温が急降下。
11月下旬から波状的に寒波が流入するようになって、各地に初雪が降りました。

  この山旅の間も、平地で霙に遭ったり、山の高い所が雪に覆われていたり、昼下がりにもかかわらずキラキラしたものが空中を舞うようなことがありましたが、衣服を濡らすほどの雨には遭わず、 随所で展望を楽しみながら歩きまわることができました。

比叡山が高尾山、吉野山などと同様に、仏教の聖地であるだけでなく、魅力的な山歩きのフィールドであることを認識しました。

峰辻 伝教大師像園地から横川方面、琵琶湖の展望    (画像をクリックすると拡大)
☆12月16日(曇): 修学院駅-雲母坂-大比叡頂上-阿弥陀堂-明王堂-トウノ岩-松ノ馬場駅
<2万5千分1地形図>
    京都東北部(京都及大阪2号-4)
<行動時間>
    草津[7:42]=(JR網干行)=[8:00]山科[8:06]=(地下鉄東西線太秦天神川行)=[8:15]三条京阪/三条[8:20]=(京阪本線特急)=[8:24]出町柳[8:30]=(叡山電鉄鞍馬行)=[8:37]修学院(8:39)-雲母橋(9:03/13)-水飲み対陣之跡(9:59/10:00)-浄刹結界石標(10:12)-京都一周トレイル東山#70標柱(10:24)-千草塚跡(10:46)-東山73-2標識(10:55)-スキー場跡(11:16)-ロープウエイ駅(11:30)-比叡山頂バス停(11:40/43)-比叡山頂上(11:51/53)-無動寺下降点(12:04)-阿弥陀堂(12:18/28)-大講堂(12:30)-一隅を照らす会館地下の鶴喜そば(12:34/13:06)-ケーブル駅(13:25)-無動寺参道鳥居(13:28)-明王堂(13:43/51)-玉照院(13:57)-獣避けゲート(13:59)-トウノ岩(14:23/39)-紀貫之墳墓九町石標(14:55)-法華塔(15:02/04)-相応水?(15:14)-浄刹結界標石(15:18)-琵琶湖病院(15:32)-倭神社(15:36)-(15:44)松ノ馬場駅[15:47]=(京阪石山坂本線石山寺行)=[16:06]京阪膳所/JR膳所[16:18]=(JR米原行)=[16:30]草津

<ルートの概況>
    前月行った奈良倉山への山行でまだ少しは山を歩けることは分かっていましたが大きな登降差に対応できるか否か自信がなく、初日は叡山ケーブルを利用して山に上がれると良いなと思っていたので草津-山科-三条-出町柳-八瀬ルートでアプローチしたのですが、出町柳まで行った所で叡山ケーブルが冬季運休になっていることを知りました。

  事前の調査が不十分で、12月はじめから3月下旬までの冬季は、正月の三が日を除いて、比叡山京都側のバス、ケーブルカーと山上各地点を繋いで運行されているシャトルバスは全て運休になることをチェックできていませんでした。
  もしかして体調が良かったときにトライしてみようと用意してあった、雲母坂・水飲み対陣跡経由で大比叡の頂上へ、と言う予備計画に急遽切り替え、終点の八瀬より三つ手前の修学院駅から歩き出しました。


  修学院駅から白河通りに出て僅か北に進んだところで音羽川にあたり、右折して山に向かいました。

  谷の奥の方に姿を表した比叡山は、スッキリ尖ったピラミダルな独立峰に見え、古の修行僧があの山の上に寺を築きたいと思ったのは、至極当然なように思いました。

  はじめ川の左岸の道を進みましたが、少し歩いた所で右岸の道に移ってみたら家並みの上に南の方へ連なる山並みが見えました。
右の端の方にある高みは瓜生山あたりかも、と思いました。


  修学院の敷地の西南コーナーにフェンスが立てられていてその先の右岸の道に進入できなかったので左岸に移りました。

  川に沿ってごく緩やかに登って行くと堰堤に突き当たりました。
堰堤の袂にちょっとした広場があったので小休止をしながら足拵えをしました。
すぐ横手に架けられているのが雲母橋でした。

  支度ができたので橋を渡ると橋の対岸の袂に "親鸞聖人御旧跡" と刻んだ石柱が立っていました。

  治承5年(1181年) 9歳のときに青蓮院で出家した親鸞聖人は、叡山(比叡山延暦寺)に登って修学に励んだが、29歳(建仁元年=1201年)の春頃に叡山と決別。
山を下って六角堂で百日参籠を行い、浄土真宗を創始したと伝えられている歴史のモニュメントです。

  入口からわずか舗装路を進んだところから左側の尾根に上がる歩道が分岐していました。

  音羽川右岸の尾根の背に向かって急な斜面を折れ登ってゆく所は深く抉れた溝になっていました。
足の踏み場に浮石、木の枝、落ち葉が積もり、些か歩き難い状態になっていました。

  急斜面から抜け出して尾根の背に上がると溝道が終わり、間もなくこんもりしたコブに登りつきました。
大きな露岩の後ろに立っている木の幹に "雲母城跡" と記した板が取り付けてあります。

  平らになった尾根の背を辿ってゆくと、ごく狭くなっている所がありました。
自然地形ではなく、山城の防御システムにつき物の土橋跡のように思いました。

  平らな尾根が終わって急な登りに移り変わろうとする所に "水飲み対陣之跡" の石碑が立っていました。

  1336年(北朝: 建武3年/南朝: 延元元年6月7日) の延元の乱で、比叡山に篭った後醍醐天皇方の千種忠顕率いる軍が細川氏が率いる足利直義軍の先陣と対戦した古戦場のモニュメントです。

  小広場にわずかに見える白い雪は、その前前日に流入した強い寒気の置き土産です。
  ひと登りして上がった僅かなコブの上には石積みに囲まれた石像(不動尊?)と、"浄刹結界跡" と刻んだ石柱がありました。

  もともと比叡山は、女子の立ち入りを禁じる聖域でした。
それが解除されたのは、神仏分離政策の一部として女人禁制解除が発布された明治5年だったということです。

  ちなみに、現在でも、女人禁制が残っているのは、大峰山上ヶ岳、淡路島石上神社船木石神座、石川県能登町の石仏山、福岡県宗像大社沖ノ島の四ヶ所だそうです。
 
   結界跡標柱の先、僅か進んだ所で道がふた手に分岐し、二俣の角に京都一周トレイル東山#71ポストが立っていました。

東山パノラマ台の展望    (クリックすると拡大) 

  分岐点から僅か西に寄った所が京都一周トレイルのパノラマ台で、京都市街を見渡すことができました。
ただ立木が邪魔で、パノラマ写真が撮れる程の視界は得られませんでした。
 
  道の分岐はどちらへ進んでも良さそうに思えたので右手に入りましたが、しばらく登っった所に京都一周トレイル東山#73-1標柱が立っていました。

  此処で左手から登ってきた道が合流し、角に "千種塚跡従是一丁" と刻んだ石標が立っていました。

  左手の道は千種忠顕卿戦死之地の石碑が立っている所を通って来る道だったことが分かり、そちらを通ればよかったのになぁ、と思いました。
 
  左手に向かって山腹を斜上してゆくあたりから、まわりが白くなりました。
一応ゲーターを着けていたものの、ローカット山靴で来ていたので雪が深くなると困るなぁ、と心配しました。
 
  幅の広い舗装路とT字に出合い、左右どちらに行くか迷いましたが、右手へ坂を登ってみました。

  電波塔が立っていて道の向かい側にロープウエイ山上駅がありました。
道路の先はガーデンミュージアム比叡でしたがゲートが閉ざされていてその先に進めません。
 
 
  仕方なくT字路に戻り、左手へ進んでゆくと間もなく比叡山頂上バス停のある広場に出ました。




  広場は道路部分だけ除雪されていました。
除雪でできた雪の山を越えて広場の北の端にある展望所に行って手摺の脇に立つと、正面に横高山・水井山への山稜が見えました。
右手に派生している尾根筋が横川のようです。
 

比叡山頂上バス停広場から横高山、横川方面の展    (クリックすると拡大)
 
  大比叡の頂上はバス停広場の奥手から始まる雪の車道の先にありました。

  緩やかに登って行く舗装路に被さった雪が凍結しかかっていたのでスリップしないよう注意して進んで行くと、ささやかな盛り土状の高みがあってその天辺に三角点標石と小さな雪だるまが立っていました。
 
  頂上から東へ延びている頂稜の上に、数基の電波塔が林立していました。
 
 
  電波塔の脇をすり抜けて進んで頂稜の端まで行くと、その先の急降下の降り口に "智證大師御廟入口" と刻んだ石柱が立っていました。

  石柱の手前で左折、雪に覆われた斜面を折れ下ってゆくと下の方に建物が見えてきました。
 
  宝篋印塔のような形をした石塔の前を通り過ぎて右手に回り込んでゆくと右下に朱塗りのお堂が見えてきました。

阿弥陀堂    (クリックすると拡大)
 
  山道から出てきた所は阿弥陀堂の裏手でお堂の間を抜けて前庭に出ると、ぱっと開けた所に立っている巨大な朱塗りの堂塔は暫くの間呆然と見とれたほど印象的でした。

  あたり一帯は雪に覆われて冬景色でしたがお堂の前だけは除雪され、若い家族連れやカップルが三々五々拝観にきていました。

  阿弥陀堂正面の石段を下り、右手に僅か進むと大講堂があり、前庭の向こう側に鐘楼が見えました。

 (クリックすると比叡蕎麦が見えます)

  大講堂の先の坂を下ると萬拝堂と無料休憩所がありました。

  休憩室の地下にある鶴喜そばの食堂に行って見たら僅かな客がいるだけで空いていました。
前に来たときと同じ窓際の席に座り、名物の比叡蕎麦を食べました。

  質素な蕎麦ですが温かいもりそばは朝から雪の山の中を歩いてきた年寄りにとっては極上のご馳走で、お腹の中から身体が温まりました。

  蕎麦屋でゆっくり休んだあと外に出て坂本ケーブル駅に向かいました。

  僅か進んだ所に拝観券を売るポストがありましたがゲートの中から出てきた者はノーチェックでした。

  ケーブル駅のすぐ上にある西尊院に立ち寄ってみたいと思ったので車道を進んでみましたが歩行者禁止のサインが出ていたので途中から引き返しました。

  斜面を横切って進み、坂本ケーブルの延暦寺駅に着きました。

  ケーブル駅の向かい側から山に登ってゆく階段があり、こちらからなら容易に西尊院に行けそうでしたが、無動寺を経て坂本まで行く長丁場の入口が目の前だったので思い止まりました。

  ケーブル駅のすぐ先に石鳥居が立っていてその先にきれいに掃き清められた参道が伸びていました。

  この参道は東南に面した山の斜面を通っているせいか、あたりに雪が見えず、冷たい風も吹き付けず、穏やかな雰囲気になりました。

  縁結びに御利益があると言う弁天宮入口の鳥居を通過し、黄色い砂を敷き詰めた参道を進みました。

 (クリックすると拡大)

  やがて行く手が開けると、急な尾根の中段のような所に建てられている無動寺明王堂が見えてきました。

  本堂の階段を上がって障子を僅か開け、賽銭を上げて久々の山歩きの安全を祈って戻ろうとしたら障子が引き開けられ、堂守と思われる老人が顔を出しました。

  良かったら上がってゆきなさいと言われましたが、"山歩きの途中ですから" と丁寧に謝絶しました。
  松ノ馬場駅への下山路に問題はないかどうか尋ねたてみたら、前の日にご婦人がひとり降りていったが問題はなかったようですよ、という返事でした。
 
  切り立った石垣の上に建てられた展望台のように造られている宿坊の脇の階段を降り立った所は大乗院の入口で、"親鸞聖人御修行旧跡" と刻んだ石柱が立っていました。
 

  さらにもうひと下りするとちょっと風変わりな意匠の門構えの玉照院の前に出ました。
門の中を覗き込んでみると正面の玄関の脇の壁に沢山の草鞋がかけられています。

  百日回峰、千日回峰を行う行者は、此処を宿りとして厳しい修行を行うようです。
 
  玉照院の門の先で左折する所に坂本への道標があり、そのすぐ先にと獣よけのフェンスが立てられていました。
  柵の作りから見て鹿か猪を防ぐためのようでしたが、回峰行者がイノシシと衝突するような事故などなければ良いな、と思ったりしました。
 
 
  左手へ斜面を下っていって僅かばかりの水が流れている沢溝を渡ると対岸の尾根の斜面を登り返して行くようになりました。 
    尾根の背まで登り上げたところから裏側へ向かって僅か進んだ所に角ばった大岩が突き出していました。
トオノ岩(遠見岩)と呼ばれている所で、東の琵琶湖の方が開けた明るい小平地は格好の休み場でした。

  左手の尾根の背へ登ってゆく山道の入口に "紀貫之御墳墓・・・" と刻んだ石柱が立っていました。
裳立山から眺めた琵琶湖の景色に惚れ込んだ本人の遺言によって立てられた墓と伝えられていますが現存する墓石は明治のものだそうです。
  この次に比叡山に行く機会があったら是非訪ねてみたいと思いました。 
  国土地理院2万5千分1地形図では、トオノ岩から尾根の中腹をトラバースして北寄りの尾根の背を通っている破線路に到達するルートがもうひとつ不明確でしたが、実際はよく手入れされた良い道があって、何も問題なく歩けました。

  古代から坂本ケーブルができるまでは、坂本からの表参道だったし、回峰行路の一部でもある訳だから地元が常時整備しているに違いありません。
  普通のハイキングコースでみられる、腕木付きの道標がほとんどない代わりに石造りの祠や仏塔がほぼ一定間隔に据えられ、花が供えられているのはいかにも参詣道らしいと思いました。
 
  トオノ岩から10分程進んだ所にちょっとした平坦地があって "法華塔" と刻んだ仏塔と灯明台が立っていました。
このあたりが宿(=やどり 和労堂) の跡ではないでしょうか?

  ひと息入れながらあたりの様子を見回ったあと先へ進もうとしたところへ幼子の声が聞こえてきました。
後ろを振り返ってみたら小さな子供を抱っこひもで抱き、デイパックを背負った若い父親がいました。
 
  普通、小さな子供を山に連れてゆときは両親二人がかりで、一方が子供を背負い、もう一方がザックを担いで歩くきます。
  イクメン一人で子供もザックもというのは珍しかったので声を掛け、子供さんはおいくつと尋ねたら1歳半ほどと言う返事でした。

  ぐずりだした子供をあやすために立ち止まったイクメン君に "じゃぁお先に" と声を掛けて先に進み、谷詰めのやや急な斜面を折れ下るとビニールパイプでこしらえた水場があり、その脇の杉の木の根方に "浄刹結界跡" と刻んだ石標が立っていました。 
 
  左横の高みに水道の貯水槽と思われる物が見えると間もなく舗装路に変わり、車止めの鎖が張ってありました。
 

  車止めの僅か先で山裾を横切っている里道と交わりました。
十字路の手前の角に右脇の高台の上にある墓地の入口があり、小屋掛けの中に墓掃除の道具や墓守のルールを記したプレートなどが置いてありました。

  道路を渡って琵琶湖病院の脇を通り過ぎ、家並みの中に入ってゆくと古風な神社がありました。
鳥居に "倭神社" と記した扁額が掛けてあります。

  古い集落の中の分かり難い道を拾い歩いて松ノ馬場駅を探り当てました。

  坂本から膳所を経て石山寺への路線を運行されている京阪電車は、市街電車のような小編成の列車が頻発していて便利です。
数分も待たずに来た電車はガラ空きだったので先頭車の運転席のすぐ後ろに座って運転や線路の様子をみました。

  短い上り下りと急なカーブが連続するとても変化に富んだ路線で、乗り鉄的には最高に楽しめる電車でした。

<ルートの詳細>


  ヤマレコの山行報告(近日公開予定)


  ルートマップ (国土地理院地形図を利用し、Android アプリ 地図ロイドで作成しました)
          (クリックすると縮尺約 1/25000の元図が表示されます)


  GPX ダウンロード(ZIP書庫ファイル)

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☆12月17日(晴たり曇ったり): 東塔・西塔-峰辻-横川-八王子山-日吉神社
<2万5千分1地形図>
    京都東北部(京都及大阪2号-4)、大原(京都及大阪2号-3)
<行動時間>

    草津[7:42]=(JR網干行)=[7:54]膳所/京阪膳所[7:56]=(京阪石山坂本線)=[8:17]坂本(8:20)-(8:37)ケーブル坂本[9:00]=(坂本ケーブル)=[9:13]ケーブル延暦寺(9:18)-萬拝堂(9:28)-根本中堂入口(9:30)-西塔・横川方面入口(9:36)-山王院(9:48/50)-西塔・釈迦堂(10:11/15)-伝教大師像(10:43/57)-玉体杉(11:20/25)-せりあい地蔵(11:31/36)-鈎釣岩(11:41)-横川広場・入口(12:03/06)-横川中堂(12:24/29)-元三大師堂(12:32/43)-恵心堂(12:47)-滋賀医大霊安墓地(13:10)-三石岳分岐(13:16)-車止め脇の歩道入口(13:38)-送電線鉄塔の鞍部(13:58)-シャリバテで休憩(14:10/23)-三宮宮・金大巖・牛尾神社(14:25/36)-日吉大社(14:55/15:05)-大杉茶屋(15:17/40)-(15:50)坂本駅[15:57]=(京阪石山坂本線石山行)=[16:18]京阪膳所/膳所[16:33]=(JR野洲行)=[16:45]草津
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八王子山 牛尾宮・三宮宮の展望    (画像をクリックすると拡大)
<ルートの概況>
    比叡山の2日目は、前日に歩いた東塔-無動寺明王堂-トオノ岩-坂本(所謂無動寺参道)を除く回峰行路の残りの、おおよそ3分の2の部分をカバーしました。
  この時季に山上へのアプローチに利用できる交通機関は坂本ケーブルカーしかないことが分かったので今度は草津-膳所-京阪坂本-坂本ケーブルと言うルートでアプローチしました。
草津からJR電車で膳所まで行き、京阪坂本石山線の電車に乗り継げば正味乗車時間30分あまりで坂本駅に到達できます。
京阪坂本駅から10分あまり歩けばケーブル駅で、毎時2便運行されているケーブルカーに乗れば15分あまりで山上駅に上がれます。
  草津を選んだのは、一昨年の春、京都付近山巡りで泊まったら割りと良かったと言うだけの理由でしたが結果的には最善の足溜りを選択したことになりました。

  程々の時間に朝食を終えて出発。
順調に電車を乗り継いで京阪坂本駅に着きましたが、オフシーズンの早朝の坂本行きの電車に乗る人はごく僅かで、終点駅で降りた乗客の数はひと桁台。
洒落たデザインの駅は至って閑散でした。

  ケーブル駅に向かって坂を登って行くと、前方右手の山の上にふたつの懸け造りの社殿が見えました。

  見晴らしが良さそうだから展望台か何かかなぁ、と深く考えもせず坂を登って行ったのですが、この日の午後に、横川から長い尾根伝いをしたあとで出てきたところは、まさにこの社殿の脇で、長時間山の中を歩き続けてきた者に神仏が授けてくれたご褒美とでも言えそうな素晴らしい大展望を楽しませてもらうこととなりました。

  坂道の登りで身体が暖まってきた頃、ケーブル駅に着きました。
30分毎に出ているケーブルが数分前に出たばかりで長目の待ち時間がありましたが、待合室の真ん中に石油ストーブが据えられてあって冷えた手を温めながら次の便を待ちました。

ケーブル延暦寺駅の展望    (クリックすると拡大)

  乗車券売り場の窓口で "片道切符" と言ったら "簡単には降りて来られませんよ" と脅かされました。

  他所からひとりでやってきた貧相な年寄りが片道切符をくれと言うので怪しんだようだったので、"山登りに来ているんです" と説明したら、渋々発券してくれました。

  山上駅に上がってみたら前日より格段天気が良く、展望所に出ると坂本の市街から琵琶湖まで綺麗に見渡すことができました。

  ゲートで拝観チケットを買い、萬拝堂でこの日の山歩きへのご加護を祈ってスタート。

  大講堂の前を通り過ぎた所にある二俣で阿弥陀堂への道を見送って右折。
釈迦堂、西塔を経て横川方面へのルートに入りました。

  戒壇院は、出家者に階段を授け、正式な僧侶として認める儀式を行うお特別な建物だそうです。

  弁慶水の先で奥比叡ドライブウエイの上に架けられている人道橋を渡りました。

  橋を渡った突き当りの台地の上にある山王院堂は三井寺建立と繋がっている重要な歴史モニュメントです。

  円珍の死後、山内で円珍派と慈覚大師円仁派の紛争が起こり、円珍派は、ここから円珍の木像を背負って園城寺(三井寺)に移住したのだそうです。
また、 武蔵坊弁慶が千日間の参籠をしたお堂とも言われています。

  2歩いて1段降りるくらいの段幅の広い石段を下りきって浄土院の門前に降り立ちました。
天台宗の開祖 伝教大師が修行した所で阿弥陀如来を祀っています。

  浄土院の門前で左折して進んでゆくと常行堂・法華堂がありました。
ふたつのお堂が回廊で繋がっているので "にない堂" と呼ばれているそうです。

  回廊の下を潜って進み、釈迦堂の前に出ました。
威風漂う堂々とした大建築は国の重要文化財です。

  右手に居士林研修所を見ながら進んでゆくと人道トンネルがあって奥比叡ドライブウエイの下を潜りました。

  トンネルの向こう側へ抜けたところから坂を登って尾根に上がると車道と着かず離れずで進んでゆくようになりました。

  歩道の路面に積もった雪が一旦融けかかったあと凍結して滑りやすくなっているのでスリップしないよう注意して進まなければなりませんでした。
やがて車道に出会うと、道の向い側に傳教大師の大きな像が立っています。

  大師像前は広い駐車場になっていて、その東側の縁には展望レストランがあるのですが、冬期休業のため入口が閉ざされ、あたりに人影もありません。

  広場の端に立つと谷向いに横川の尾根筋、その先に琵琶湖が見えました。(ページ冒頭のパノラマ)

  伝教大師像の袂で長目の休憩をしたあとルートに戻り、先に進みました。
回峰行路は尾根の細かな凸凹を交わしながら尾根の背に絡んで行くのですが所々で車道のすぐそばまで近寄ります。

 (クリックすると玉座が表示されます)

  細かく上下してゆく所で4~5人のトレイル・ランナーが追い越してゆきました。
若かったい頃、重い革山靴を履いたまま山の中をドカドカ走り回っていたのを思い出しました。
彼らも年をとるとまわりを見回しながら、ノロノロ歩くようになるのでしょうか?

  行く手に枝が茂った杉の木が見えてきました。
近付いてみると連座が彫り出されている御影石のベンチが木蔭に据えられています。
  回峰行者は、ここで一度だけ腰を下ろして休むことが許され、蓮座から京都御所に向かって加持祈祷を行うのだそうです。


  杉の木の先に立つと正面に京都市街が望まれ、その左手には前日に登頂した大比叡がまだらな雪化粧になっているのが見えました。

比叡回峰行路玉体杉の景色    (画像をクリックすると拡大スクロール)

  玉体杉の先に進み、ふたつばかりコブを越すと横高山の手前の鞍部に着きました。

  八瀬から登ってきて横川を通り、坂本の方へ行く道が乗り越えている峠で "せりあい地蔵" と呼ばれる地蔵が祀られています。

  鞍部で熟年ハイカー3人が休んでいました。
頼まれたのでカメラのシャッター・ボタンを押し、雪の斜面バックの写真を撮ってえあげました。

  ふた言三こと話をしたあと、横高山の方へ登って行った3人組の後ろ姿を見送ったあと、休んでいたら手足が冷えてきたのでまた歩きだしました。

  すぐにトンネルがあって車道の下を潜り、杉林の中に入りました。
車道は尾根の背の裏側でこちら側は杉林に覆われており、落ち着いた雰囲気の山道になっています。

  数回のアップダウンを過ぎると行く手の林の下に広場が見えてきました。
狭くて急な丸太階段を降りた所は横川のバス停がある車止め広場の一角でした。
車が1台停まっていましたが人気はなく、バス停のポストも全便運休になっていることを間違いなく告げるためか、時刻表や路線図を描いたプレートが取り外され、枠だけになっていました。


  横川中堂入口の番所のオバさんにチケットを見せて中に入り、中堂に向かって進んで行くと道に沿って著名な大師・聖人の生涯を描いたイラスト看板が並んでいました。
比叡山は大乗仏教の最高学府として、多くの宗派の開祖が学んだ歴史を誇っています。

  右折して石段を上がると横川中堂の前庭に出ました。

杉木立の中にあるお堂はこじんまりしていました。
中塔一帯の華やいだ感じと対照的な着いた雰囲気は、こちらの方はまっとうな修行場であるように感じました。

  中堂参道をまっすぐに進んでゆくとT字路の突きあたりに朱塗りの鐘楼が建っていました。

  鐘楼の前で左折し、緩やかな坂を下った所に元三大師堂がありました。
財政窮乏で荒廃に瀕していた比叡山をおみくじの発明によって再興した元三大師を祀っている所です。

  四季ごとにお経の講義が行われていたので四季講堂とも呼ばれているとのことです。

  元三大師堂の門を出て鐘楼の前を直進。
海軍通信学校慰霊碑入口を通り過ぎると間もなく恵心堂がありました。

  "往生要集" を著し、平安時代の文学に強い影響を与えた恵心僧都の旧居跡です。
紅葉に囲まれた静かな雰囲気は吉野山の西行庵を想起させるものがありました。

  恵心堂を覗いたあと元の道に出てきて、雪混じりの林道を先に進みました。
行者道で一般ハイカーが歩くことを想定していないためか坂本方面への道標はまったく見えません。
誰も歩いていないので少々心細い感じもありましたが、車の轍があるのと数名が歩いた靴跡があるので、これらの人跡を追ってゆけばいずれどこかの人里に出られる筈、と歩き続けました。

  道端にちょっとした石段があり、登り口に掲示板が立っていました。
文面を読んで見ると、滋賀医科大学に献体をした故人の霊を慰める慰霊碑でした。
琵琶湖に対面し、滋賀の里さとから日夜見上げることができるこの場所に碑を据えた人々の心配りが感じられるモニュメントでした。
 
  ルートの両側は杉の高木の多い山林で視界が得られませんがたまに左手の谷間への視界がひらけ、琵琶湖方面が望める所がありました。
 
  林道が折り返すように急カーブした先に鎖が張られ、右下の歩道に降りるよう指示するプレートが懸けてありました。
 
  右下へ降り立った歩道は古くから多くの行者に踏み固められた素晴らしい雰囲気の漂う山道でした。


  この日は風がとても冷たく一時はダイヤモンドダストのようなキラキラ光る物が空中を舞うほどでした。
適当な休み場もないまま横川中堂からノンストップだったため、ややシャリバテ気味になってきたころ、ぱっとまわりが開け、送電線鉄塔が立つ鞍部に出ました。
  鞍部の向こうは八王子山だからこの先から下っって行ったところは日吉神社です。
門前の蕎麦屋で恒例の "下山蕎麦" が食べられる、と勇んだのですが鞍部の向かい側の登りに掛かり、頂上南方の平坦なところまで上がった所で血中糖度が底をついた感じになりました。

  これ以上無理に歩き続けていると危ない、と思ったので道端にザックを下ろし、キャンデーとチョコレートで糖分を、テルモスのレモンティーで水分を補給しました。
  このあたりはすでに日吉神社の神域になっているようで、長く人の手が入っていない山林は極相林の様相を呈しています。

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  暫く振りの休憩で山の静寂に浸っていたら思いがけなく人の話声が聞こえてきました。
  やがて二人の壮年が通りかかりました。
一方は白衣を着ていて日吉神社の神職のようでしたがこちらが年寄りなことに気が付いて、"大丈夫ですか?" と聞いたので "いや何も問題ありませんよ" と答えました。
  二人が通り過ぎるのを待って立ち上がり、やや下り気味になった道を進むと突然パッと前がひらけ、目の前に左の写真の様なふたつの懸け造りの社殿が並び立っていました。
  日吉神社の奥社にあたる牛尾宮と三宮宮でした。
ふたつの社殿の間に鎮座している大岩に注連縄が懸けてあり古代の磐座信仰を伝える古社であることが分かります。

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  急な石段を登ってふたつの社殿の間に立つと足許の坂本の先に琵琶湖が広がり、対岸の草津・守山あたりの市街地や三上山などが一望でした。

  あとで知ったことですが、織田信長の比叡山焼き討ちで最大の殺戮が行われたのはすでに堂塔が廃頽していた比叡山の山の上ではなくてこの八王子山で、頂上付近まで逃れてきた坂本の老若男女が皆殺しにあったのだそうです。

  この日の朝、坂本の道から何とはなしに見上げたこのふたつの社殿は、坂本の人達にとって特別なものだったことを知りました。
    ふたつの社殿から山麓に下る参道は幅広いが厳しい急坂でした。
上部は一部石段になっていましたが大部分は砂利道で滑りやすく、踏みしめ踏みしめ下っているうちに筋肉が痙攣気味になってきました。
ようやく下りきったところは日吉神社の裏手で、右手にまわって最後の石段を下ると、神社主殿と同じレベルの出口の両側に一対の祠が祀られていました。

一方は牛尾宮で大山咋神荒魂、もう一方の三宮宮は鴨玉依姫神荒魂。
二柱の荒魂を祀っているのだそうですが、これも非業の死を遂げた数多の先祖の魂を鎮めるためでは、と思いました。
 
  降り立ったところから左手に進むと日吉神社東本宮で神仏混淆の名残りを暗示する楼門の中に東本宮の主殿、脇社の樹下宮などが並んでいます。
  一年余り前に参詣していて見覚えがありましたが、古拙味の残る入念な造りの神殿の回廊に控えている狛犬の芭蕉団扇のような尻尾はなんともユニークでした。

  少々疲れましたが回峰行路を思ったより上手く歩き切ることができました。
色々な史跡に対面できて満足し、良い気分で神社の参道を歩き、角の店で鴨そばを食べたあと、電車を乗り継いで草津の宿に帰りました。 

<ルートの詳細>

  ヤマレコの山行報告(近日公開予定)





  ルートマップ
    (国土地理院地形図を利用し
    Android アプリ 地図ロイドで作成)
    (クリックすると縮尺 1/12500
     の元図が表示されます)




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☆おわりに

    2日にわたる比叡山トレイルウオーキングで、雲母坂から雪の大比叡に登頂し、回峰行路をひと回りすることができました。
  老化による身体能力が低下していたところへ、家中の事情で半年あまり山から遠ざかったあとだったのでまともな山登りができるのかどうか不安だったのですが、図らずも比叡山雲母坂ルートを歩いて登らなければならない状況に直面し、ペースを遅目にすれば今でもある程度の高度差に対処できることが分かりました。

  比叡山の回峰行路は、大峰と比べるとスケールがやや小ぶりなように感じましたが地形が複雑で変化に富んでおり、沿道の歴史遺産が豊富ですから格段濃密な歴史ウオーキングができます。

  この山域には、寺院を巡る拝観ルートと回峰行路だけでなく、琵琶湖畔から登って山内を通り大原に抜ける東海自然歩道ルート、瓜生山から登ってきて戸寺・鞍馬方面に抜ける京都一周トレイルなど、多くのルートが整備されており、なかなか歩き出がありそうです。
仰木峠以北、伊香立方面への北比叡の尾根筋も静かな山歩きが期待できます。

  今回、比叡山の前後に訪ねた油日神社と櫟野寺のある甲賀から鈴鹿峠のあたり、美しい山容が印象に残った三上山を始めとする南滋賀の山々。
琵琶湖の周辺は今後数次の山行を行いたくなるほど魅力ある領域です。